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非常に勉強になって助かります。正直なところは分からないのは。吾妻鏡には北条氏に都合の悪い事は記載されていないでしょう。
北条贔屓な吾妻鏡でもあった事は隠せないが角度を変えれば真実が見えるのかもしれない。
このコーナーは凄く為になるのと分かりやすく説明されるから良く理解出来るし楽しく拝見しております。鎌倉殿の13人の大河ドラマが放映される前までは鎌倉時代や鎌倉幕府の事を結構知ってると思ってましたが、ドラマとこのコーナーを拝見しているうちに、自ら鎌倉幕府の発端や源氏平家の関わりや豪族等調べたりして認識を高めました。そうしましたら、いかに今までこの時代の背景の史実が乏しかったかを知らされました。今はこの時代の生々しい権力争いがここまであったかと思うと恐ろしいですね。これからも分かりやすい説明宜しくお願いいたします
北条世襲正当化という吾妻鏡の性格を押さえつつ、その内容を読み解くのは歴史を考察する上で大事なことですね
ありがとうございます!
先生 浜崎さん、こんばんは‼️楽しみに待っておりました。いつもわかりやすい解説をありがとうございます。
こちらこそ、いつものコメントありがとうごさいます。
源氏は二代で断絶したと一口に言われるが、其処には、種々の駆け引きがあった。京都と鎌倉の間で実朝が、自己の権力を何とかして確立しようとあがく姿が頼家と重なって、二代目、三代目の悲哀も見えてきます。やはり権力は、実力のある者にしかついてこないのが、時間とともに明らかになるのでしょう。
この時代は凄く分かりにくかったから凄く良く分かります。市橋先生解説ありがとうございます。
ら
市橋先生、お疲れ様です!黒幕が、色々と説があって、頭が痛くなかったです!市橋先生の説に納得しました‼️
ふと頭に浮かんだことをコメントさせていただきます。慈円はドラマの中で後鳥羽上皇に次期鎌倉殿(この時はまだ千幡)を大事にされたほうが良いですよと、やたらに推し、後鳥羽上皇は名付け親になり、良好な関係を築く橋渡しみたいになっていましたが、実際もそれに近かったのでは…と思います。これも頼朝が兄の九条兼実と共に出世を推挙してくれた恩を感じてるのかなとか思っています。ドラマでは慈円がいる中で後鳥羽上皇が名付けました。個人的に感じたのは、慈円の兄と盟友とも言える関係だった頼朝の子供ということで、兄、九条兼実と頼朝から1字づつとって実朝と名付けたのは、後鳥羽上皇に相談された慈円では!と勘ぐります。子供の千幡は何も気付かなかったと思いますが、政子はその意図が分かったはず…そして政子は後鳥羽上皇と実朝が良好な関係を築くため、実朝に和歌を勧めた…後々名付けの意図が義時の察することとなり、和歌を通じて後鳥羽上皇と良好な関係を築く実朝が政治に積極的に参加し、朝廷の要求に応えようとした政治を進めようとしたため…そんな妄想が頭を巡りました。
読み説く理解力凄いなー正にしっくりきますねやがて、その政子の蒔いた種が逆に鎌倉(北条と坂東武者)を守ろうとする義時には障害になる訳かな?
👍👍👍
源氏実朝も死にたえ、なにが筋なのか何故その後150年も北条政権なのか、時政謀反とはなにに謀反なのか、実朝いるからわかりやすいが
坂東武士は源氏政権に拘りはなかったと言うことか?ドラマの中の早世した北条宗時の「坂東武士の世を作り北条がその頂点に立つ」が坂東武士の中に浸透してたのではないか?その坂東武士団の纏めに北条執権体制が受け入れられて泰時以降100年ほど保ったかな
平泉で裏切って殺してきた者や義高をの首を取ってきた者は殺されましたけどね・・・
畠山重忠、人は一代、名は末代。
善い事 言わはる😄
長沼許さない!
1000%同感です!!
q
何が大事か?それは正しいのか?現代も。
「鎌倉殿の13人」、もう人の系列・流れを見失ってしまい、内容を理解できず❗😭来年の「どうする家康」に期待しまする~🤣 _| ̄|○オーマイガ!
幕府というのはそれまで朝廷が除目で行っていた守護や地頭の任命をーーー国守もですかーーー朝廷に変わり行なう事ができる機関、組織ーーー委任され?ということですか。幕府成立以前は朝廷が除目で。その後は幕府がということですか?
吾妻鏡は北条よりだから、真実の源氏将軍が書かれてないから、やはり北条は嫌いです。
非常に勉強になって助かります。正直なところは分からないのは。吾妻鏡には北条氏に都合の悪い事は記載されていないでしょう。
北条贔屓な吾妻鏡でも
あった事は隠せないが
角度を変えれば
真実が見えるのかもしれない。
このコーナーは凄く為になるのと分かりやすく説明されるから良く理解出来るし楽しく拝見しております。鎌倉殿の13人の大河ドラマが放映される前までは鎌倉時代や鎌倉幕府の事を結構知ってると思ってましたが、ドラマとこのコーナーを拝見しているうちに、自ら鎌倉幕府の発端や源氏平家の関わりや豪族等調べたりして認識を高めました。そうしましたら、いかに今までこの時代の背景の史実が乏しかったかを知らされました。今はこの時代の生々しい権力争いがここまであったかと思うと恐ろしいですね。これからも分かりやすい説明宜しくお願いいたします
北条世襲正当化という吾妻鏡の性格を押さえつつ、その内容を読み解くのは歴史を考察する上で大事なことですね
ありがとうございます!
先生 浜崎さん、こんばんは‼️楽しみに待っておりました。いつもわかりやすい
解説をありがとう
ございます。
こちらこそ、いつものコメントありがとうごさいます。
源氏は二代で断絶したと一口に言われるが、其処には、種々の駆け引きがあった。京都と鎌倉の間で実朝が、自己の権力を何とかして確立しようとあがく姿が頼家と重なって、二代目、三代目の悲哀も見えてきます。やはり権力は、実力のある者にしかついてこないのが、時間とともに明らかになるのでしょう。
この時代は凄く分かりにくかったから凄く良く分かります。
市橋先生解説ありがとうございます。
ら
市橋先生、お疲れ様です!黒幕が、色々と説があって、頭が痛くなかったです!市橋先生の説に納得しました‼️
ふと頭に浮かんだことをコメントさせていただきます。
慈円はドラマの中で後鳥羽上皇に次期鎌倉殿(この時はまだ千幡)を大事にされたほうが良いですよと、やたらに推し、後鳥羽上皇は名付け親になり、良好な関係を築く橋渡しみたいになっていましたが、実際もそれに近かったのでは…と思います。
これも頼朝が兄の九条兼実と共に出世を推挙してくれた恩を感じてるのかなとか思っています。
ドラマでは慈円がいる中で後鳥羽上皇が名付けました。
個人的に感じたのは、慈円の兄と盟友とも言える関係だった頼朝の子供ということで、兄、九条兼実と頼朝から1字づつとって実朝と名付けたのは、後鳥羽上皇に相談された慈円では!と勘ぐります。
子供の千幡は何も気付かなかったと思いますが、政子はその意図が分かったはず…
そして政子は後鳥羽上皇と実朝が良好な関係を築くため、実朝に和歌を勧めた…
後々名付けの意図が義時の察することとなり、和歌を通じて後鳥羽上皇と良好な関係を築く実朝が政治に積極的に参加し、朝廷の要求に応えようとした政治を進めようとしたため…
そんな妄想が頭を巡りました。
読み説く理解力
凄いなー
正にしっくりきますね
やがて、その政子の蒔いた種が逆に鎌倉(北条と坂東武者)を守ろうとする義時には障害になる訳かな?
👍👍👍
源氏実朝も死にたえ、なにが筋なのか何故その後150年も北条政権なのか、時政謀反とはなにに謀反なのか、実朝いるからわかりやすいが
坂東武士は源氏政権に拘りはなかったと言うことか?
ドラマの中の早世した北条宗時の「坂東武士の世を作り北条がその頂点に立つ」が坂東武士の中に浸透してたのではないか?
その坂東武士団の纏めに北条執権体制が受け入れられて泰時以降100年ほど保ったかな
平泉で裏切って殺してきた者や義高をの首を取ってきた者は殺されましたけどね・・・
畠山重忠、人は一代、名は末代。
善い事 言わはる😄
長沼許さない!
1000%同感です!!
q
何が大事か?それは正しいのか?
現代も。
「鎌倉殿の13人」、もう人の系列・流れを見失ってしまい、内容を理解できず❗😭
来年の「どうする家康」に期待しまする~🤣 _| ̄|○オーマイガ!
幕府というのは
それまで朝廷が除目で行っていた
守護や地頭の任命をーーー国守もですかーーー
朝廷に変わり行なう事ができる機関、組織ーーー委任され?
ということですか。
幕府成立以前は朝廷が除目で。
その後は幕府が
ということですか?
吾妻鏡は北条よりだから、真実の源氏将軍が書かれてないから、やはり北条は嫌いです。
ありがとうございます!