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ノモンハン事件では辻政信、インパール作戦では牟田口廉也、ビルマ戦線では木村兵太郎と日本陸軍ども屈指の最悪な参謀と司令の下で働いて無事に帰還できたのは凄い。
おそらく、第二次大戦で戦った日本の軍人の中で最も優秀。
いい士官です!!!尊敬に値する人様です!!!
宮崎を取り上げていただきありがとうございます。旧軍で"名将"と称される人は幾人かいるものの、私が思うにこの人は別格です。ノモンハンのエピソードもそうですが、インパールでも非戦闘職種にも小銃の訓練を徹底したというエピソードを聞いたことがあります。訓練に使用できる弾があるなら練度のために歩兵の訓練に充てるのが普通でしょうが、この人は消耗戦になることを見切っていたのでしょう。「熱いハートを持っているのに徹底したリアリスト」私が宮崎を見て思ったところです。
もっと知られるべき人
第一線にいながら終戦を迎えるところに名将を感じました。
終戦ではありません。敗戦と言います。
8月15日は「終戦の日」です。 1945(昭和20)年の8月15日、日本が無条件降伏を受け入れたことで、第二次世界大戦が終結しました。
恥ずかしながらどっかで名前を聞いた程度の方でした。こんな偉大な御仁だったとわ…興味が湧きましたし、久しぶりにもっと知りたいと興味が湧く人物でした。いい動画を配信して頂きありがとうございます。
私は全く知りませんでした。でも、これからは私の記憶に今ハッキリと残ります。
ついに宮崎先生が来たか本来は紙幣の顔になるべき偉人だった
本当に名将に相応しい!牟田口の戦後の弁明に比べ、なんとすがすがしいことか!
進軍より撤退の方が労力を強いる。過酷な状況に人間の本性が出るというが、52歳でほぼ全員年下の部下に率先垂範の姿勢を貫いたのは超人。
このチャンネルの方は本当に詳しく解説してくださって近代史にどんどん興味が湧いていきます。もしよければ広瀬武雄についての動画をいつか出していただきたいです。
宮崎繁三郎、樋口季一郎、今村 均、山下奉文、栗林忠道、本間雅晴、石原莞爾…etc優秀な指揮官がたくさんいたのに、中央が、、、
現地の部隊に有能な政治家がたくさん居ても、本国の本体が科挙で選ばれた官僚(政治屋も含めて)しか居ないのだからどうしょうもないね。今も同じだけれどさ逆でなければならなかったよね
瀬島龍三という稀代の極悪人が「影の参謀総長」として君臨してましてね…。
このリストに山口多聞、池田末男の両名を加えてください
中央と出先が入れ替われば良かったのに。山下大臣、石原総長。
@@紫電改-e2s さん海軍なら、山本海相、井上次官、小沢GF長官、山口一航戦司令官あたりですかね。軍令部総長は米内の現役復帰か長谷川清。末次や高橋三吉だといろいろ軋轢がありそう。
昭和の日本陸軍は近代的な戦術や戦略に精通した軍人より、所謂「志那通」と言われる軍人が出世し、軍中央で要職を占める様になった。板垣征四郎、土肥原賢二、辻政信などはその好例であったろう。それによる結果は・・・。宮崎繁三郎もその戦歴から言えば師団長ではなく軍司令官であってもおかしくは無かったと思う。
おっさん、「通」を語るなら、支那ぐらいちゃんと書きなよ。
人間できてるし頭はいいしなんてすばらしい人✨
宮崎さん、最近知りましたが本当に素晴らしいリーダーシップをお持ちの方ですね。心から尊敬します。
可能なら宮崎司令官の生涯を漫画でも紹介して下さい。
40年近く前に某雑誌て行われた「将軍・提督採点」【陸軍】1位:今村均 2位:宮崎繁三郎 3位:阿南惟幾。石原莞爾 5位:安達二十三まあ、納得ですね。
安達さんは何で評価されてるのですか?僕は人格的に自決されたから尊敬しますが、肝心な戦争はあんまりね。。。
阿南惟幾は自殺してなければ戦争しかけた犯罪者
@@鴨谷周 補給途絶したニューギニアでの自活方針と部下への統率、最終的な責任の取り方が評価されたのでは?40年以上前に豪州戦争博物館を見学した児島襄が、「案内の豪州軍将校が敬礼したのは安達二十三の遺品の前だけだった」「私はジェネラル・ハタゾウ・アダチを軍人としても人間としても尊敬している、と語っていたが、恥ずかしながら私は知らなかった」と書いている。
戦略的な不利をトップが解決するのではなく、現場が卓越した個人芸で死物狂いで挽回するというのは今も変わってなくて悲しくなる。
いまの自衛隊幹部に一人でも多く宮崎氏の様な人物がいることを願う。
一人ぐらいはいるでしょう。旧軍にもこうしていたわけですからね。
ただただ敬礼
東京オリンピックにおいて東洋の魔女として活躍したバレーボール日本代表を率いた大松博文監督は戦時中のインパール作戦で宮崎繁三郎と同じ第31師団所属だったらしい❗😁👍
大学法学部で、宮崎閣下のご子息の教授の国際法の履修をしました。試験問題は「国際法は法律たるか?」というすごく奥の深いものだったため35年を経てもいまだにおぼえてます。
明大法学部ですね。繁三郎氏が息子にしばしば訓育していたのが、「不断の努力」「要点の把握」の二点だったと聞きます。
同じ教育を受けながらここまで指揮官の力量に差が出てくるとなるとこれはもう前世の経験を無意識に引き継いでいるとしか思えない。
素晴らしい前線指揮官😃宮崎将軍こそ名将中の名将です⚔。
日本を代表する名将。サンジャツク攻撃だけは画竜点睛を欠く事になってしまったのは残念だった。こういう人材が省部にいて欲しい。
今度はビルマ関連で隠れた名将、飯田祥二郎と桜井省三の動画もお願いします‼︎あと動画の最後に宮崎と並ぶ陸軍良識派の今村均、栗林忠道の写真が浮かび上がったのは感動ものでした‼︎
こんな素晴らしい人間の戦後が気になり検索してみたら、復員後は下北の商店街で陶器屋を開き生涯をそこの主として生きたとかのんびり過ごしたかったのかな…
主さん、偶然か昨日リクエストした、宮崎中将の動画アップありがとうございます
今回は良い人物でした。内容も良いと思います。
宮崎繁三郎は牟田口蓮也と仲が良かったらしく、Wikiに『インパール作戦中に「軍司令官は(第31師団)佐藤師団長のいわれるように、血も涙もない人ではない。やはり情もある将軍だよ」と部下に話していたように牟田口に好意的であった。それは、戦後になってからも変わらず、牟田口と宮崎は親交を続けた。バーカーからの手紙を見た宮崎は「我々の至誠が天に通じた」として牟田口と共に喜び合っている。』とある❗🤔
インパール作戦では宮崎繁三郎少将が殿軍を務めたのですね!
日本人 強いリーダーおるとめちゃくちゃ強い説
宮崎氏は、インパール作戦は勝てる戦だったと主張されていた。日本軍に宮崎氏級の司令官が5人くらいいたら勝てたかもしれないが、そんな軍隊は世の中に存在するはずもない。インパールで鹵獲したイギリス軍の信号弾を使って、イギリス軍の輸送機を誤認させて補給物資を自陣に投下させたりとのエピソードは凄いが、そもそも補給がしっかりしていれば・・・
牟田口の代わりに、士官学校同期の栗林閣下なら
よくよく考えれば勝手に撤退した佐藤師団長は誰も責めないよな。まあ仕方のないところだろうけど、下にしちゃたどり着いたんだから戦わしてくれと思ったというし。
@@gossythefinal5318 あの野郎、数寄屋造りの官舎作らせて慰安婦まで置いてたのは、無断撤退で兵隊を救ったから帳消しみたいね。
孫子の兵法に「百戦するはすなわち凡将なり」とあります。当時の日本は、孫子を軽視していたのですね。
こんな人がいたことに驚いてしまう。名将の生き様は凄いですね❤日本人として誇れる人がいることに希望を感じます‼️
立派な人であったなあ。今、このような人が日本におられたら良いのになあ。
特務機関長時代の、宮崎さんの事を、知りたいですね。どんな、情報収集をしていたのでしようか?
素晴らしい人です
日本の宝 郷里の宝ですな!
インパール作戦大失敗後、牟田口も久野村も河辺も木村も愚将がみんな逃げたビルマには名将しか残されなかったのが、ビルマ撤退戦成功のカギなのは歴史の皮肉よな
とうとう出てきましたね第二次大戦の日本の隠れた名将戦国時代の名だたる武将にもひけを取らない名将です尊敬してます
総司令官が無能な牟田口中将だったのが勇猛な宮崎連隊にとり不幸であった。インパールへの中途で英軍を撃滅し装備を英軍のに変えた記録があります。連隊長の資質で隊員は退却でも意気軒昂だったときいてます。宮崎繁三郎連隊長のノモンハン戦の功績は初耳で参考になりました。彼の初任地は岐阜の68連隊で戦後は神奈川県二俣で美濃屋の雑貨店を経営。学校成績と実績の相関がない良い例であります。この点、人事でも米軍に負けたともされております。
良識派でいえば日中和平工作などの多田駿もおすすめです。日中の和平に成功し泥沼化を防げていれば戦争の帰結も変わってきてたでしょうね。
この方武藤章中将、山口多聞中将と同じ明治25年生だね。別に他意は有りません。一頭の狼に率いられた百頭の羊の群れは・・・という事か。
聞いてるか?牟田口?
起きているか?富永!木村!
士官学校で同期の栗林閣下と作戦すればすごい戦果できそう。カナルカナルダ島落とせたかもしれません
今の首相経験者にこれという人物は何人いただろうか
4:35くらいに流れているBGMのタイトルを教えてもらえませんか?
こういう方…良識派(?)の軍人さんも少なからず居たわけで…っていう事実を知るたび、同じ国を生きるものとしての誇らしさを感じるが、一方でどうしようもない絶望を感じる自分もいる。
日本軍に在籍なされた名将、勇将の一人に間違いなく入るお方だね。
ご本人の人格もさることながら、部下にも恵まれたのでしょうね。良き人にはいいヒトが集まるのは、世の道理ですから。
今の日本も昔の日本も同じってことやな。こういう人会社にいてるけど上からは疎まれているなー
インパール作戦だけでなく、大東亜戦争に於いて日本は兵站を考慮セずに戦域を拡大し過ぎでした‼️戦前に熟慮した戦略で迎え撃って、物資を調達してれば活路は有ったと想います。米国の挑発や陸海軍の齟齬が無ければ優位に交渉出来たのではないかと想われます😢
こんな立派な人がいたならば戦後陸自の運営のアドバイザーに採用すれば良かったのでは?🤔
本人にその気はまったくなかった。下北沢で岐阜屋という焼き物店の店長をやっていた。
軍人としてしか生きれない方々が自衛隊に率先して入ったと言うのもありますからね。叔父も海軍出で中途で入った航空自衛隊でも幹部でした
帝国陸軍の見本です
宮崎繁三郎は連合国側でも枢軸陣営でも屈指の防衛戦の名手として記録されています。今の日本では全く知られていませんが。日本の教育制度は最悪と言えます。
宮崎繁三郎は、孫子兵法を読んだのかな?
なるほど、地肌ですか。
中学から陸士だったので 傍系でしたねただ成績が大したことはなかったが それでも中将・師団長まで進んでいますから 陸士同期は平均以上です、この期では大将は栗林だけ終戦時の師団には 部下で1期上で兵団長(少将・無天)の人もいました
栗林も長野中卒で東亜同文書院と陸士を迷ったくらいですから傍流ですよね。陸大2位なのに、まるで出世コースでない。
幼年学校が本流ですか、殉職した軍人の子弟を教育る目的で創られた学校ですね、無試験で士官学校に入れたそうですね。
こういう軍人はほんと日本軍ではまれ。まれで当然成績優秀者や立身出世のために軍人になったものからすれば嫉妬の対象だもの。
日本には愚将ばかりかと思ったが、素晴らしい名将もいたんだ。だいたいこういう人は戦死しちゃってるよね。
こんな優れた戦績なのに方面軍を指揮できないとは、陸軍にお友達はいなかったの?
宮崎は牟田口に同情的で自分を置き去りにした佐藤を批判してたんですけどね。戦後も牟田口とは親交があった。
この方は亡くなる直前まで師団長でしたよね。
ノモンハンからインパールまで
我が北島の誇り。
昔の兵隊さんありがとう。私は真似できません上官に責任があるのでは?
こんな人が指導者たてば戦争も変わったかもしれませんね、
百戦不敗、などというとかえって怪しげに思えてしまいます。
ヤンウェンリーみたいな名称だな
竹中抜き蔵とは真逆の人だな!
俺の不満や愚痴なんか、この方の苦労に比べたらカスみたいなものだ。畏怖の念を抱かざる得ない。
岐阜の英雄
指導者はこうあるべき!今の政権与党も見習え!
インパールでまともに戦争してるの何者だよwww…いやホントに何者だよ…
腹切った牟田口はもういない。。。
これがアメリカ軍とは全く違うところだな。
よかったわ、ちゃちゃっと天皇が諦めてくれたのは。尾を引くような報復を日本がやっちゃったらアメリカの機嫌損ねそうだし
こんな人がこんな最前線ポストで戦っているなんて、酷いですね。原因は陸大での成績ですかね。
@@伊藤宏憲-f6t 適材適所というものじゃないのか。宮崎繁三郎の遠縁で陸士に入った方が、「貴様岐阜か? 宮崎閣下の遠縁だと? 陸軍広しと言えども全階級で(?)感状受けられたのはあの方だけだぞ」と感心されたという話が、豊田穣によるインタビューに書いてある。
@@草莽-b6d もっと上にいるべきでしたね。軍司令官とかね。牟田口に代えてこの人だったら、いいかもしれない。
@@伊藤宏憲-f6t またお得意のアト知恵ですか!(笑)作戦発起時に少将だった宮崎繁三郎を軍司令官に、というのもスゴイ話だが(発想がまるでコドモの戦争ゴッコ(笑))だが、それはともかく。宮崎の方が優秀だ、牟田口にやらせるとエライことになる、だから軍司令官を宮崎に変えておけ、……と、当時そこまて見抜いておれば良かったんだとでも?(笑)毎度毎度、得意げにアト知恵を得意そうに語るのみのそんなアナタには是非、今般の自民党総裁選で誰が当選したらどうなるのか、九人全員についてそれぞれ具体的に結果分析していただきたいものです。アト知恵なら、誰にだって言えるものね。有能無能・適不適が結果をまたず分かるというのでもなければ、ナニもアナタの様な偉そうな口調で物事語るにも及びますまい。陸大の成績がどうたらこうたらとの聞いた風な言い方も少々笑止だった。宮崎の部下の鳥飼大佐は陸士で宮崎の3期下で陸大卒だが、インパールの激戦地で聯隊長だった。インパール後に宮崎の部下となった「アラカンの名将」木庭知時は、陸士で宮崎の1期上である。
いちこめ
全ての将帥の模範
ノモンハン事件では辻政信、インパール作戦では牟田口廉也、ビルマ戦線では木村兵太郎と日本陸軍ども屈指の最悪な参謀と司令の下で働いて無事に帰還できたのは凄い。
おそらく、第二次大戦で戦った日本の軍人の中で最も優秀。
いい士官です!!!尊敬に値する人様です!!!
宮崎を取り上げていただきありがとうございます。
旧軍で"名将"と称される人は幾人かいるものの、私が思うにこの人は別格です。
ノモンハンのエピソードもそうですが、インパールでも非戦闘職種にも小銃の訓練を徹底したというエピソードを聞いたことがあります。
訓練に使用できる弾があるなら練度のために歩兵の訓練に充てるのが普通でしょうが、
この人は消耗戦になることを見切っていたのでしょう。
「熱いハートを持っているのに徹底したリアリスト」私が宮崎を見て思ったところです。
もっと知られるべき人
第一線にいながら終戦を迎えるところに名将を感じました。
終戦ではありません。敗戦と言います。
8月15日は「終戦の日」です。 1945(昭和20)年の8月15日、日本が無条件降伏を受け入れたことで、第二次世界大戦が終結しました。
恥ずかしながらどっかで名前を聞いた程度の方でした。こんな偉大な御仁だったとわ…興味が湧きましたし、久しぶりにもっと知りたいと興味が湧く人物でした。いい動画を配信して頂きありがとうございます。
私は全く知りませんでした。でも、これからは私の記憶に今ハッキリと残ります。
ついに宮崎先生が来たか
本来は紙幣の顔になるべき偉人だった
本当に名将に相応しい!
牟田口の戦後の弁明に比べ、なんとすがすがしいことか!
進軍より撤退の方が労力を強いる。過酷な状況に人間の本性が出るというが、52歳でほぼ全員年下の部下に率先垂範の姿勢を貫いたのは超人。
このチャンネルの方は本当に詳しく解説してくださって近代史にどんどん興味が湧いていきます。もしよければ広瀬武雄についての動画をいつか出していただきたいです。
宮崎繁三郎、樋口季一郎、今村 均、山下奉文、栗林忠道、本間雅晴、石原莞爾…etc
優秀な指揮官がたくさんいたのに、中央が、、、
現地の部隊に有能な政治家がたくさん居ても、本国の本体が科挙で選ばれた官僚(政治屋も含めて)しか居ないのだからどうしょうもないね。
今も同じだけれどさ
逆でなければならなかったよね
瀬島龍三という稀代の極悪人が「影の参謀総長」として君臨してましてね…。
このリストに山口多聞、池田末男の両名を加えてください
中央と出先が入れ替われば良かったのに。山下大臣、石原総長。
@@紫電改-e2s さん
海軍なら、山本海相、井上次官、小沢GF長官、山口一航戦司令官あたりですかね。軍令部総長は米内の現役復帰か長谷川清。末次や高橋三吉だといろいろ軋轢がありそう。
昭和の日本陸軍は近代的な戦術や戦略に精通した軍人より、所謂「志那通」と言われる軍人が出世し、軍中央で要職を占める様になった。
板垣征四郎、土肥原賢二、辻政信などはその好例であったろう。それによる結果は・・・。
宮崎繁三郎もその戦歴から言えば師団長ではなく軍司令官であってもおかしくは無かったと思う。
おっさん、「通」を語るなら、支那ぐらいちゃんと書きなよ。
人間できてるし
頭はいいしなんてすばらしい人✨
宮崎さん、最近知りましたが本当に素晴らしいリーダーシップをお持ちの方ですね。
心から尊敬します。
可能なら宮崎司令官の生涯を漫画でも紹介して下さい。
40年近く前に某雑誌て行われた「将軍・提督採点」
【陸軍】1位:今村均 2位:宮崎繁三郎
3位:阿南惟幾。石原莞爾
5位:安達二十三
まあ、納得ですね。
安達さんは何で評価されてるのですか?僕は人格的に自決されたから尊敬しますが、肝心な戦争はあんまりね。。。
阿南惟幾は自殺してなければ戦争しかけた犯罪者
@@鴨谷周
補給途絶したニューギニアでの自活方針と部下への統率、最終的な責任の取り方が評価されたのでは?
40年以上前に豪州戦争博物館を見学した児島襄が、
「案内の豪州軍将校が敬礼したのは安達二十三の遺品の前だけだった」
「私はジェネラル・ハタゾウ・アダチを軍人としても人間としても尊敬している、と語っていたが、恥ずかしながら私は知らなかった」
と書いている。
戦略的な不利をトップが解決するのではなく、現場が卓越した個人芸で死物狂いで挽回するというのは今も変わってなくて悲しくなる。
いまの自衛隊幹部に一人でも多く宮崎氏の様な人物がいることを願う。
一人ぐらいはいるでしょう。旧軍にもこうしていたわけですからね。
ただただ敬礼
東京オリンピックにおいて東洋の魔女として活躍したバレーボール日本代表を率いた大松博文監督は戦時中のインパール作戦で宮崎繁三郎と同じ第31師団所属だったらしい❗😁👍
大学法学部で、宮崎閣下のご子息の教授の国際法の履修をしました。試験問題は「国際法は法律たるか?」というすごく奥の深いものだったため35年を経てもいまだにおぼえてます。
明大法学部ですね。
繁三郎氏が息子にしばしば訓育していたのが、
「不断の努力」
「要点の把握」
の二点だったと聞きます。
同じ教育を受けながらここまで指揮官の力量に差が出てくるとなるとこれはもう前世の経験を無意識に引き継いでいるとしか思えない。
素晴らしい前線指揮官😃宮崎将軍こそ名将中の名将です⚔。
日本を代表する名将。
サンジャツク攻撃だけは画竜点睛を欠く事になってしまったのは残念だった。
こういう人材が省部にいて欲しい。
今度はビルマ関連で隠れた名将、飯田祥二郎と桜井省三の動画もお願いします‼︎
あと動画の最後に宮崎と並ぶ陸軍良識派の今村均、栗林忠道の写真が浮かび上がったのは感動ものでした‼︎
こんな素晴らしい人間の戦後が気になり検索してみたら、復員後は下北の商店街で陶器屋を開き生涯をそこの主として生きたとか
のんびり過ごしたかったのかな…
主さん、偶然か昨日リクエストした、宮崎中将の動画アップありがとうございます
今回は良い人物でした。内容も良いと思います。
宮崎繁三郎は牟田口蓮也と仲が良かったらしく、Wikiに『インパール作戦中に「軍司令官は(第31師団)佐藤師団長のいわれるように、血も涙もない人ではない。やはり情もある将軍だよ」と部下に話していたように牟田口に好意的であった。それは、戦後になってからも変わらず、牟田口と宮崎は親交を続けた。バーカーからの手紙を見た宮崎は「我々の至誠が天に通じた」として牟田口と共に喜び合っている。』とある❗🤔
インパール作戦では宮崎繁三郎少将が殿軍を務めたのですね!
日本人 強いリーダーおるとめちゃくちゃ強い説
宮崎氏は、インパール作戦は勝てる戦だったと主張されていた。
日本軍に宮崎氏級の司令官が5人くらいいたら勝てたかもしれないが、そんな軍隊は世の中に存在するはずもない。
インパールで鹵獲したイギリス軍の信号弾を使って、イギリス軍の輸送機を誤認させて補給物資を自陣に投下させたりとのエピソードは凄いが、そもそも補給がしっかりしていれば・・・
牟田口の代わりに、士官学校同期の栗林閣下なら
よくよく考えれば勝手に撤退した佐藤師団長は誰も責めないよな。
まあ仕方のないところだろうけど、下にしちゃたどり着いたんだから戦わしてくれと思ったというし。
@@gossythefinal5318 あの野郎、数寄屋造りの官舎作らせて慰安婦まで置いてたのは、無断撤退で兵隊を救ったから帳消しみたいね。
孫子の兵法に「百戦するはすなわち凡将なり」とあります。
当時の日本は、孫子を軽視していたのですね。
こんな人がいたことに驚いてしまう。
名将の生き様は凄いですね❤
日本人として誇れる人がいることに希望を感じます‼️
立派な人であったなあ。今、このような人が日本におられたら良いのになあ。
特務機関長時代の、宮崎さんの事を、知りたいですね。どんな、情報収集をしていたのでしようか?
素晴らしい人です
日本の宝 郷里の宝ですな!
インパール作戦大失敗後、牟田口も久野村も河辺も木村も愚将がみんな逃げたビルマには名将しか残されなかったのが、ビルマ撤退戦成功のカギなのは歴史の皮肉よな
とうとう出てきましたね
第二次大戦の日本の隠れた名将
戦国時代の名だたる武将にも
ひけを取らない名将です
尊敬してます
総司令官が無能な牟田口中将だったのが勇猛な宮崎連隊にとり不幸であった。インパールへの中途で英軍を撃滅し装備を英軍のに変えた記録があります。連隊長の資質で隊員は退却でも意気軒昂だったときいてます。宮崎繁三郎連隊長のノモンハン戦の功績は初耳で参考になりました。彼の初任地は岐阜の68連隊で戦後は神奈川県二俣で美濃屋の雑貨店を経営。
学校成績と実績の相関がない良い例であります。この点、人事でも米軍に負けたともされております。
良識派でいえば日中和平工作などの多田駿もおすすめです。日中の和平に成功し泥沼化を防げていれば戦争の帰結も変わってきてたでしょうね。
この方武藤章中将、山口多聞中将と同じ明治25年生だね。別に他意は有りません。一頭の狼に率いられた百頭の羊の群れは・・・という事か。
聞いてるか?牟田口?
起きているか?富永!木村!
士官学校で同期の栗林閣下と作戦すればすごい戦果できそう。カナルカナルダ島落とせたかもしれません
今の首相経験者にこれという人物は何人いただろうか
4:35くらいに流れているBGMのタイトルを教えてもらえませんか?
こういう方…良識派(?)の軍人さんも少なからず居たわけで…っていう事実を知るたび、同じ国を生きるものとしての誇らしさを感じるが、一方でどうしようもない絶望を感じる自分もいる。
日本軍に在籍なされた名将、勇将の一人に間違いなく入るお方だね。
ご本人の人格もさることながら、部下にも恵まれたのでしょうね。良き人にはいいヒトが集まるのは、世の道理ですから。
今の日本も昔の日本も同じってことやな。こういう人会社にいてるけど上からは疎まれているなー
インパール作戦だけでなく、大東亜戦争に於いて日本は兵站を考慮セずに戦域を拡大し過ぎでした‼️戦前に熟慮した戦略で迎え撃って、物資を調達してれば活路は有ったと想います。
米国の挑発や陸海軍の齟齬が無ければ優位に交渉出来たのではないかと想われます😢
こんな立派な人がいたならば戦後陸自の運営のアドバイザーに採用すれば良かったのでは?🤔
本人にその気はまったく
なかった。下北沢で岐阜屋という焼き物店の店長をやっていた。
軍人としてしか生きれない方々が自衛隊に率先して入ったと言うのもありますからね。叔父も海軍出で中途で入った航空自衛隊でも幹部でした
帝国陸軍の見本です
宮崎繁三郎は連合国側でも
枢軸陣営でも屈指の防衛戦の名手として記録されています。
今の日本では全く知られていませんが。
日本の教育制度は最悪と言えます。
宮崎繁三郎は、孫子兵法を読んだのかな?
なるほど、地肌ですか。
中学から陸士だったので 傍系でしたね
ただ成績が大したことはなかったが それでも中将・師団長まで進んでいますから 陸士同期は平均以上です、この期では大将は栗林だけ
終戦時の師団には 部下で1期上で兵団長(少将・無天)の人もいました
栗林も長野中卒で東亜同文書院と陸士を迷ったくらいですから傍流ですよね。陸大2位なのに、まるで出世コースでない。
幼年学校が本流ですか、殉職した軍人の子弟を教育る目的で創られた学校ですね、無試験で士官学校に入れたそうですね。
こういう軍人はほんと日本軍ではまれ。まれで当然成績優秀者や立身出世のために軍人になったものからすれば
嫉妬の対象だもの。
日本には愚将ばかりかと思ったが、素晴らしい名将もいたんだ。だいたいこういう人は戦死しちゃってるよね。
こんな優れた戦績なのに方面軍を指揮できないとは、陸軍にお友達はいなかったの?
宮崎は牟田口に同情的で自分を置き去りにした佐藤を批判してたんですけどね。戦後も牟田口とは親交があった。
この方は亡くなる直前まで師団長でしたよね。
ノモンハンからインパールまで
我が北島の誇り。
昔の兵隊さんありがとう。私は真似できません上官に責任があるのでは?
こんな人が指導者たてば戦争も変わったかもしれませんね、
百戦不敗、などというとかえって怪しげに思えてしまいます。
ヤンウェンリーみたいな名称だな
竹中抜き蔵とは真逆の人だな!
俺の不満や愚痴なんか、
この方の苦労に比べたらカスみたいなものだ。
畏怖の念を抱かざる得ない。
岐阜の英雄
指導者はこうあるべき!今の政権与党も見習え!
インパールでまともに戦争してるの何者だよwww…いやホントに何者だよ…
腹切った牟田口はもういない。。。
これがアメリカ軍とは全く違うところだな。
よかったわ、ちゃちゃっと天皇が諦めてくれたのは。
尾を引くような報復を日本がやっちゃったらアメリカの機嫌損ねそうだし
こんな人がこんな最前線ポストで戦っているなんて、酷いですね。原因は陸大での成績ですかね。
@@伊藤宏憲-f6t
適材適所というものじゃないのか。
宮崎繁三郎の遠縁で陸士に入った方が、
「貴様岐阜か? 宮崎閣下の遠縁だと? 陸軍広しと言えども全階級で(?)感状受けられたのはあの方だけだぞ」
と感心されたという話が、豊田穣によるインタビューに書いてある。
@@草莽-b6d もっと上にいるべきでしたね。軍司令官とかね。牟田口に代えてこの人だったら、いいかもしれない。
@@伊藤宏憲-f6t
またお得意のアト知恵ですか!(笑)
作戦発起時に少将だった宮崎繁三郎を軍司令官に、というのもスゴイ話だが(発想がまるでコドモの戦争ゴッコ(笑))だが、それはともかく。
宮崎の方が優秀だ、牟田口にやらせるとエライことになる、だから軍司令官を宮崎に変えておけ、
……と、当時そこまて見抜いておれば良かったんだとでも?(笑)
毎度毎度、得意げにアト知恵を得意そうに語るのみのそんなアナタには是非、今般の自民党総裁選で誰が当選したらどうなるのか、九人全員についてそれぞれ具体的に結果分析していただきたいものです。
アト知恵なら、誰にだって言えるものね。
有能無能・適不適が結果をまたず分かるというのでもなければ、ナニもアナタの様な偉そうな口調で物事語るにも及びますまい。
陸大の成績がどうたらこうたらとの聞いた風な言い方も少々笑止だった。
宮崎の部下の鳥飼大佐は陸士で宮崎の3期下で陸大卒だが、インパールの激戦地で聯隊長だった。
インパール後に宮崎の部下となった「アラカンの名将」木庭知時は、陸士で宮崎の1期上である。
いちこめ
全ての将帥の模範