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この鶴田ーニック 2.23蔵前のAWA戦、現場で生観戦してました。正面側の6マス目に居ました。この日は東京は朝から雪で凄く寒かった事を覚えてます。懐かしいですね。
あの蔵前の試合で、「特別リングサイドレポーターの徳光さん」が、リングサイドからリングに戻ろうとする鶴田に「ジャンボ頑張れ!ジャンボ頑張れ!」って言いながら、マイク向けてたシーンが忘れられない。試合中にインタビューしようとしてるレポーターって。多分前代未聞。空前絶後。だと思う。
リアルタイムで見ました。ジャンボの大ファンでした。マジ、奇跡だと思いましたね。まずないと思ってたし。有田さんと同じ目線でした☺️
有田さんがここまで全日を熱く語ってくれるのは嬉しい
14歳がプロレスを政治でみるなw地元にテレ朝がなくて、全日本プロレスしか見えなかったから有田さんが全日を語ってくれるのはうれしい
人生で初めてサインをもらったのは鶴田選手でした、熊本の田舎のスーパーに来てくれました。AWAのベルトをとってくれたのは嬉しかったですね、ここから鶴田時代が始まったのかなあと思います。
私もです!😉奥さんも来られてました😏
私もです。寿屋の駐車場でサインをもらった思い出がよみがえりました。
@@ぽてち-k6d 寿屋懐かしい
リアルで観ましたが、当時の全日ファンのこの辺の機微を絶妙に語ってくれる有ペイとは何かが通じます😂今思うに当時はAWAも興行的なテコ入れとニック自身の希望もあり、チャンピオンの交代時期だったんでしょうね。しかしニック→リックの直接の政権移譲はネームバリューや実力的にも無理があるということで、ガニアから馬場に相談、鶴田に白羽の矢が立ったということなのではないかと思います。それにしてもテリーの悶絶ギミックからの3カウント、大阪でのリマッチ防衛の筋書きはファン心理の裏を突いたマッチメーカー馬場の見事な演出だったと思います😂
自分の中学時代ですね。ニックはこのタイトル失った後の鶴田さんとの試合の時の強さが印象的でした。ねちっこいグラウンドレスリングに鶴田さんほとんど抵抗できませんでしたもんね。「ニックのバックドロップ、完全に余裕で3カウント入ってたよな」ってみんなで言ってました。カールゴッチもニックのことは認めていたような発言されてますから、実力者ですよね。
昨日23回忌興行行きました。このニック戦は鶴田さん売り出しの布告でしたよね。新日はリアリティでしたが猪木藤波はカラダ小さくて、スケール違ったんですよね、ジャンボとは。ニック戦の頃はユルさがあったのは有田さんの仰るとおり。しかし素晴らしい選手でした。
生まれる前の話ですが、とても興味深く聞けました!ホント有田さんの話はすごい☆
あのバックドロップホールドは名シーン!!
生まれて初めての生観戦が大阪の防衛戦でした😄テリーいなくていいんじゃね⁉️と小5 は感じてました😅内容忘れましたがこの大会のセミで、マイティ井上がチャボゲレロから、NWAインターJrを獲ったのが嬉しかったです😄
ニックボックウィンクルが40分オーバーでも楽々試合してるのが凄い、この時50歳だしこの当時のフレアーやニックは、各地をサーキットして、毎試合地元のチャンピオン相手に時間切れ引き分けやってるだけあって怪物
これリアルタイムで見ましたわ。毎週AWA王者の鶴田と挑戦者の名前、勝敗の結果がテロップで流れて、子供心に過酷な防衛ロードを歩んでるなと思って見てました。
鶴田の防衛戦は反則負けでの防衛が多くてガッカリしたのを覚えています。今なら、政治的にそうなるのは理解できるけどね。
確かに日程みたら「あぁ・・・馬場さんのNWAパターンね」と思ってはいましたw
この試合の実況が徳光和夫さんと思ってる方が多いようですが、倉持隆夫さんだったはずです。徳光さんは、リングサイドのレポーター件インタビュアーのような立ち回りだったかと。場外からリング内に戻る鶴田に、「がんばれ!ジャンボがんばれ!」とマイクを向ける徳光さんの姿を見て、んなもん答えてくれるはずねえだろと思ってましたw
当時小6。真剣に鶴田を応援して、タイトルを獲った時は純粋に喜んでた。でも、さすがにテリーには子どもとはいえ、違和感を感じてた。
テリーファンクが場外フェンスに引っかかって足バタバタさせてるシーンは忘れられない
あの手の大仰というか大味な動きは、好き嫌いはっきり分かれるでしょうね
ロープでも引っかかって足バタバタしてたしあの芸は何だったのかねテリーマンのモデルだった正統派ハンサムレスラーの引退後の醜態は微妙な気持ちになったw
結局、引退後も現役選手より目立ちたい体質なのは猪木さんと一緒
私の大好きなレフェリーはジョー樋口殿テリー・ファンクです。
忘れろ忘れろw
もうすぐ鶴田さんの二十三回忌追善興行行われますね。大会の成功を願うばかりです。
リックフレアの老獪さハーリーレイス地味ながらの強さ全日本懐かしい
やっぱり全日系とU系の話は特に面白い!
懐かしい。私も熊本で有田さんと近所になりますがジャンボ鶴田サイン会に近くのスーパーセイコーに行ったのを思いだします😊
確かに、ニックからベルト借りて三日天下だと思ってたので、リマッチに知らぬ間に勝ち、アメリカ横断防衛ロードまでやったのは新鮮だった。試合内容には新鮮味のカケラも感じなかったけど。
他の方が書いてたらごめんなさい。鶴田がアメリカ遠征の最後で負けてチャンピオンで日本に帰って来れなかったというのは2度目の遠征の話しで、1度目のアメリカ遠征からは無事王者のまま帰国して、日本でもニック、ブランゼル、グレッグ・ガニアと防衛戦をしてますね。
全日の三冠の成り立ちを有田節で噺てほしい
鶴田さんは東京駅総武線地下コンコースの売店でお見かけしたことがあります時期はもう鶴田さんがセミリタイアしてた頃かな?お亡くなりになる少し前だったかもしれません身長180cm弱の自分が見上げるくらい大きくて驚きました
紙テープぐるぐるのテリーファンク大好きです笑是非ファンクス一家、ディックスレーターとか…特集してください!
有田さん。当時の衝撃を再現していただいて有難いですが、細部が違っています。①AWA奪取、大阪で防衛した鶴田は、その後のアメリカ遠征で3回防衛を果たして、無事に日本に帰国しているのですw 帰国後のシリーズで、再び来日したニック相手に防衛成功し、さらに2回防衛した後で、再び渡米して、9回防衛した後に、帰国直前にマーテルに敗れて、王座陥落でした。ですから○鶴田がAWAを取った○鶴田が大阪で防衛した○鶴田が王座を防衛したまま帰国した○ニックとの2度目のリマッチでも防衛した、という4重サプライズだったのですwしかも鶴田のニックとの2度目のリマッチは、「鶴田の反則負け防衛」という、今までの裏っ返しパターンだったのですよw②鶴田のAWA奪取試合、テリーが倒れた時点でサブレフリーのジョー樋口が入り、最後は樋口とテリーのダブルカウントというフィナーレでしたwにしても、これらの試合で見せたニックの底力は恐ろしかった。ショルダースルーで鶴田から3カウントを奪えそうな、俊敏さでした。
再渡米サーキットは全日勢も日テレもいない単独渡米だったのでマサさんがセコンドを務めてました。
有田さんと同い年なので、リアルタイムでした😅‼️「プロレスを楽しむコツは…とにかく見続ける事」最近プロレスを好きになった周りの人達に言う言葉です😊
入場テーマ曲のJが鳴り響く中、徳光さんがインタビューをなかなか終わらせなかったのが懐かしいです。
徳光さんが場外へ転落した鶴田に対して、試合中にもかかわらず「鶴田ガンバレ!」と言いながらマイクを向けていたのにも笑ってしまいました😁
リアルタイムで世代です。ニック、フレアー、あとレイスもだけどタイトルない時のが「やっぱりこの人強えーわ…」って思わせてくれましたね。チャンピオンの仕事って①お客様を呼ぶ事。②どんな形であれベルトを守る事を思い知らさましたね。
当時のアメリカの大きな団体の王者は「地元のチャンピオンに劣勢になって、ギリギリ勝つ」という地元団体の興行がその後も盛り上がるような「プロレス」ができることも大事でしたね団体内だけで試合をする日本は違いますし、アメリカもWWF、WCW時代になって変わりましたが
リック フレアーがダラスでケリーV エリックに負けた時も盛り上げの為に1度巻かせてやったみたいな感じでしたね(笑)
そのルーツがバディ・ロジャース。
第二回有プロ飲み会後だとより楽しめる話でした
プロレス会場で入待ちしてたら、ジャンボ鶴田さんが笑顔で歩いてきました。でも、あまりの威圧感で近寄ることができませんでした…少年時代の思い出です💦
有田含め、多くの方が思い浮かべてるテリーの紙テープぐるぐるシーンはおそらくハンセン・ブロディ対ファンクスの方でしょうねw
当時、ケリーフォンエリックがNWA王者になり、鶴田さんとのダブルタイトルマッチも御膳立てされていた❗️と記憶しております。日本初のダブルタイトルマッチは見たかったですね❗️鶴田さんにはNWAも巻いて欲しかったのですね。不器用な鶴田さんでは.、チャレンジャーを引き立てるファイトは、難しかったでしょうか?毎回、有田さんのプロレスLOVEには脱帽です‼️
確か幻のポスターがあったはずですよ。
蔵前国技館で生で観戦しました。当日中学生で興奮したなぁ〜
この日、東京はかなりの大雪だったような記憶があります。
自分も当日いました。あのバックドロップホールドのカウントの大合唱は凄まじかった記憶があります。あの一戦が凄すぎて他の試合の記憶がまったくありません!
鶴田さんが、リックマーテル相手に防衛していたら、日本でNWA世界チャンピオンと世界統一戦だったので、リックマーテルに負けた時は残念でした。
鶴田のAWA戴冠は嬉しかったけれど、ヒールの仕事人系王者であるニックの長期政権を終わらせてハンサムでベビーのマーテル時代に変えるための繋ぎ役としてガニアに利用されたのが非北米人の鶴田だったことは今振り返れば明らか(後のWWFにおける「バックランド→アイアン・シーク→ホーガン」の王座移動劇と構図は同じ)ですよね。興行に箔が欲しい馬場と鶴田は、この仕掛けに乗った。渡米した鶴田がランザ、ロビンソン、ラシク、マリガン、ニックらAWAベテラン勢を相手に防衛ロードを続けている最中、東スポの「ザ・プロレス」に「最終戦・セントポールでのマーテル戦で王座陥落か」という奇妙な先読み記事が出たのを憶えています。つまり、全ての手続きは初めから決まっていた訳ですが、子供だった私にはそんなことは分からなかったから、この記事は衝撃的でした。そして実際にそうなった……。あれはAWAか日テレの誰かが東スポにブックをリークしていたのか、新日サイドの妨害工作だったのか。倉持氏、新間氏辺りは知っているでしょうが、話してはくれないのでしょうね。
プロレスの興行ですからね、勝負というより、全て段取りが決まっていた演出でしょう。
@@MahiruMaki その通りですね。鶴田にNWAを取らせなかったのは多分馬場の意向かな?と思いますねお金さえ払えば日本でのシリーズ中のタイトル移動は可能だったと思いますので・・・・・。
まあ、ベルトを巻いてたら日本に帰れないしね。と言って返上もできないし。負けて返すしかなかった。
今回も面白かったです😄特別レフェリー・テリーファンク…紙テープまきまきもあったかもですが、場外フェンスジタバタもあり、衣装もなんちゅう格好してるのというのもあり、子供心に「テリー頼むよ😰」と思い、有田さんが言ってた「いつものアレ」で終わると思いました😅斜陽になっていたAWAでしたが、鶴田は米国サーキットしたのは特筆すべき点だと思いました😌
相変わらずトークがうまい、、、上田さんゲストで呼んでください。
上田馬之助!?
思い違いがありました。鶴田選手がマーテル選手にAWAのベルトを取られたのはアメリカだったんですね。自分の中ではアメリカから戻って、日本で取られたと記憶してました。
脱力タイムスでめっちゃ宣伝してましたねw
全力!脱力タイムズ観てきたw教えてくれてありがとう。ここ、教育系だったんだな。
んん
吉川美代子「 有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】」っていうのが見てみたいですねぇ
次回、とっても楽しみです!!
AWA 確か人材居ましたよね優秀な、ジェリーローラー、ジムブランゼル、リックマーテル、懐かしい
鶴田のAWAチャンプ時代の米国遠征で、ルーテーズプレス飛びすぎてフライングネックシザーズドロップになってフィニッシュしたシーン覚えてます。たぶん意図的じゃなかったんだろうけど、この形で使い続ければいいのに、と思った。
「観続けなさい」…か鶴田vsニック戦から、まさかイービルに話が繋げるとは思わなかった。プロレスは点では無く線で観続ける事でサプライズを体感出来るという事か
馬場さんがNWA王座を奪取しても1週間そこらでブリスコやレイスに再び奪われていたのを3度も見ていればそう思うのは自然だと思います。
レフェリーのテリーふざけてたよなぁw
確かこの2連戦は特別ルールで反則やリングアウトでも王座が移動する(それと場外カウント10→20)特別ルールだったと思います。それでニック詰んだと思ったら実はめちゃめちゃ強かったという印象でした。特に派手なワザが無いのに鶴田さんを追い込むところは今見ても全く色褪せません。それとこの頃のAWAはマンネリ&経営難だったので日テレ側の鶴田さんプッシュもウエルカムだったのではと推測します。あと国内でベルト貸し借りするのは馬場さんがNWAで3回やったし猪木さんのWWFもそうだったのでみんなお約束を受け入れる感じで見ていたと思います。
意外な強さを見せたニックボックウィンテルとの2戦目をベストバウトにあげる上げる人もいましたねグランドで鶴田を追い込んだニックの隠された実力にアメリカンプロレスの奥深さを垣間見せたという点で
梶原一騎の作品ではニックはサンマルチノ同様、酷い扱いでしたね。
次回楽しみだな
すっかり年を取ったビル・ロビンソンとの防衛戦は、なんだか感慨深いものがありましたね。
ビル・ロビンソンもニック・ボックウィンクルもいつの間にか亡くなっていましたね。バーン・ガニアは阿修羅・原が亡くなった時の東スポに載っていたので知っていましたが。
さらっと会話の中でプロリスナー氏が言ったダイレクトリマッチはプロレスの世界ではあまりない事に気づかされた
テリーが紙テープまみれになってたのはハンセン初登場時の最強タッグですね。AWA戦レフリーの時のテリーは場外フェンスで脚バタバタやってて「テリーは完全に脚がもつれてます」とリポートされてました(笑)
そのバタバタを、当時入門3年目だった三沢が、横で冷ややかに見ていたシーンが印象深いです。
そうなんですよね。有田師匠、ちょいちょい記憶違いがあるんですよね。まあ、愛があるので許せますけど。
ハンセン初登場と言うというか、ブロディと組んで最強タッグに初参加した1982年の最終戦ですね。
2.26の大阪大会は、最初は鶴田vsニックの2連戦と発表されたけど直前に2.23蔵前で鶴田がAWA奪取失敗した時に限り大阪大会は天龍が挑戦という形に変更されたんだよね。
次回、楽しみすぎる!!
のちにテリーが大仁田とデスマッチしたりIWAジャパンに参戦して血だらけになってるのをみて何とも言えない気持ちになった
貴重な話を聞く事が出来ました感謝。まさかジャンボが、そんな空気の読めない天然な不思議キャラだったとは… のちスタンハンセン達と激闘を繰り広げた黒パンツのエース鶴田は、文字どおり絶対王者の風格でした。日本人で勝てる奴おらんやろと思うホドに。
正直この試合はテリーが紙テープやフェンスで一人絡まるようにじたばたして悪ふざけしてる記憶しかないですww
見続けなさいって いっ てん のッ(´▽`*)
リングサイド担当が徳さん(徳光アナ)、というのも“タイトル移動、あるかも?”の現実味に寄与していましたよね🎤
鶴田のアメリカ防衛ロードの試合は、どの試合を見ても鶴田が負けるような相手はいなかった。やっぱそれだとダメよね。次はやったら勝てる!と思わせるチャンプじゃないと。
来週も楽しみなテーマだわ
当時、プロレス雑誌の記事では有田さんが仰っている様な政治的な話が割と普通に記事になることがあった気がします。(特に海外マットに関して)「NWA役員達がレイスを下ろしてチャンピオンをフレアーに変えようとしているという噂がある」の様な感じで。当時、そういう記事を読むと子ども心に少しだけ複雑な気持ちになりました笑
確かにこの試合はテリー紙テープグルグルしか記憶にありませんw
ファンクスについてもっと取り上げて欲しいwテリーとドリーは感動する🥺
鶴田の試合のNo.1はニックボックウィンクル戦だろうね。演出、レフェリー含め全てが揃っていた。
私はいい試合だと思います。ニックさんはプロレスの達人ですよ。あの時代の世界チャンピオンは負けそうで負けないそれでいて確かな実力が無いと務まりませんニックさんはこの時50歳だったと思います。全盛期の鶴田さんより動いていました。
その前の馬場vsハーリーレイスのNWA2連戦はそう思いましたね。ただ理由はチャンピオン防衛になると米国での連戦を強いられ日本での興業がババ抜きシリーズになって収益的に問題が出ると思っていました。当時私は中学生。(笑)
中学生の貴方の考えが正解。鶴田ならアメリカサーキットも出来るが、プロモーターの馬場御大には流石にそんな事出来ないもんなあw
客と一体感あったね。試合の合間に鶴田が、オォ~と叫んで客の反応を伺う間に…1つの技を掛けられるだろ…思う鶴田らしい…ファンサービスだったんだろうね。
有田さん、違うよ!ジャンボは最初のアメリカ遠征では全戦防衛してちゃんと日本にベルトを持ち帰って来たんだよ。その後日本で通常のシリーズをこなして、直後の2回目のアメリカ遠征の最後にマーテルに獲られたんです。最初の防衛ツアーではベルトを守り抜いて帰ってきたというところ、もっと評価してあげて欲しかったなー。でも久々の全日本の話題、ありがとうございました。これからも毎回楽しみに視聴させていただきます。
かすかに記憶に残ってる試合後.鶴田のコメントが「いやーニックは強いですね」だったかな?鶴田らしいと思ってみてた
確かこの試合で初めてバックドロップホールドなる技を見たような気がします。あれは咄嗟に出た技なのかなあ
確かPWFルールで行われたと記憶しています。サブレフェリーはジョー樋口だったと思います。フィニッシュのワンカウントはジョー樋口、2カウント目からテリーが駆け込みで行ったのではなかったかと…
今回も面白かったけど、次回の北斗神取楽しみ過ぎる!!!
リアルで見てました。この後のリックマーテルも確かハンセンに取られたんですよね。逆エビ固めをコーナーポストを使いながらのハンセンらしからぬ試合が印象的でした。バーンガニアからのawaもこの頃は衰退の時期だった様な…
いま思うと良く練られた運営だったと感じます。AWAとしては世代交代に迫られていた。悪者チャンピオンのニックが、全米を回って地元のアイドルと絡む路線も成り立ってたけど、新しい刺激も、、、。そんな時に日本から「鶴田に華を持たせてはくれないか?」の商談。ここで変に白人のプライドひけらかさず、冷静に考えて大金を馬場さんから貰いつつ(功労者、ニックを説得して)鶴田のアメリカツアーを条件としてベルトを巻かせ「あのニックを破った鶴田は化け物だ!アメリカ人の脅威だ」と知らしめておいて、秘蔵っ子のマーテルに破らせる。ま、マーテルがそのチャンスを物に出来る器が無かったのが残念だっけどね。アルティメットウォリアー的な?
ハンセンが取ったのを見て喜んだ思い出がありますね~
テリーが最後3カウント叩いたあと、ニックの肩とマットの間に手を挟めていたジョー樋口さんが肩が着いてないとテリーにアピールして試合を続行させようとしてましたね。テリーがリングに戻らなかった時は結末が違ってたのかもしれないですね。
私も動画で見るたびに思ってました。
次回面白そう北斗対神取〜東京ドームまでの1年半もいずれやって欲しい
Championの時は弱く見えるダーティーChampionのニックやフレアーがチャレンジャーになったらめちゃめちゃ強くて怖いfightするんよね(笑)使い分けがスゴい
彼らは何だかんだ言っても実力があるからね、かつてのNWAチャンピオンのバディ・ロジャースもそうだった。
有田さんの言ってるのめちゃくちゃわかるなおれは小学生のころWWE見始めて、中学生になるころには、だんだんと「あーこれどうせ乱入でうやむやになるやつだ」、「またマネージャーが邪魔するパターンね」って思うようになったでもたまにこっちの予想を裏切る展開があって、そうなるとめちゃくちゃ興奮すんだよねまあ、いま思うと、実はそれすらレッスルマニアまでのストーリーの一部だったんだけどさ
テリーの服装が爆笑ものだったのはよく覚えてるなぁ。蝶ネクタイにフレアって云うのかなあのシャツ。タキシードの上着だけ脱いできましたって恰好だったなぁ
テリーのもがき思い出しました。笑いました爆笑😂
AWAのタイトルマッチ、日テレの土曜ドップスペシャルで放送で、自分は、現地(蔵前)やテレビでも観ました。土曜ドップスペシャルの枠、今の有田さん出演の世界一受けたい授業、何らかの縁てすね!当時、三沢と越中のメキシコ遠征のセレモニーでのリングの挨拶だったと思う?
1984年2月23日にジャンボ鶴田さんが世界で2番に権威があったAWA世界ヘビー級チャンピオンに成った時は嬉しかったです。有田さん語って頂いて有難うございます。でも世界で1番権威があったNWA世界ヘビー級チャンピオンに一度も成れなかった事だけは残念でした。鶴田さんがNWAに18回挑戦した中でも1982年6月8日のリックフレアー戦で結果は崩れジャーマンでダブルフォール引き分けでしたが、ジョー樋口レフリーが見逃しただけで実際はカウントスリー直前に鶴田さんのブリッジが一瞬完成されて肩が上がってました。その試合の話を有田さんがして「あの時に鶴田さんの肩は上がってた」と語ってほしいです。
AWAはリングで寝首をかかれるのを防ぐため、ガチンコが強いレスラーしかチャンピオンにしなかったとか。それがホーガンが王座をついに取れなかった理由と聞いたことがあります。鶴田はそこで認められたってことですよね。
リック・マーテルは強くないでしょ。
来日前のオットーワンズが一時、奪取したと聞き、未知の強豪としてIWGPに参加した時はどんな選手か楽しみにしてました。しかし、来てみると、とんだデクの棒でした。
全日のアメリカ遠征はワクワクしましたね。最後は「マーテルなんかに負けるなよ!」という思いでした。
当時は結果を早く知りたくて、音声で結果を教えてくれる電話サービスを利用してた気がする
ウケる! 週刊ビックレスラーの電話試合結果速報だ!
みんなそうだったよね。当時のプロレスマニアは
試合以外の見せ所はレフェリー テリーファンクだけじゃない!徳光和夫(当時は既に売れっ子アナウンサー)さんがリングサイドレポート!スリーカウント取った瞬間、画面にはリングの向こうで両手挙げ飛んで喜ぶ徳光さんの姿(笑)そのあとリックマーテルにタイトル取られちゃったからリックマーテルって結構強いと思っていたけど東京ドームでのレスリングサミットで鶴田と対戦したときちっこいし、全然強くなくがっかりした記憶がある
日米レスリングサミット、懐かしいですね。本来の鶴田のパートナーは、五輪コンビの奴(やつ)だったと記憶していますが、直前でアバラ骨を負傷した影響で(のち眼鏡会社に転職しますが)、キング・ハク(プリンス・トンガ)とのタッグに変更されて、リック・マーテル(非常~にいい男 by 福澤ジャストミート朗)とカート・ヘニング(息子です! by 竹内宏介)と相対した経緯があったようですね。考えてみれば、鶴田・マーテル・ヘニングと、過去にAWAのベルトを巻いた選手が3人同じ試合に出ていたことになりますね。
@@FAMICOMROCKY さんテレビで鶴田からタイトル奪取した試合みて、ゴツくはないけどいい動きするし、ひょっとしてレスリング上手いのかな?と錯覚していただけにレスリングサミットのときに軽々バックドロップで投げられた時がっかりした記憶があります。そういえばあの時も徳光さんいたな〜
見返してみました。テリーが目立ちたがって、フェンスでバタバタしてましたけど、フィニッシュシーンでまたひょっこりカウントしてましたねw
ルールも、リングアウト反則でも王座移動アリ&両リンなしの完全決着ルールじゃなかったっけ?それでこれは奪るんじゃないか?って思った少年時代。
これが噂の教育系RUclipsrか
この蔵前と大阪の試合が PWFルールだったので ニックが断然不利 蔵前では 鶴田が取らなければいけない試合でした 大阪で両者リングアウトで鶴田が防衛でしたが AWA側からしても ニックの長期政権では観客も飽きてきたので新しいチャンピオンが欲しかったのかもですね鶴田がアメリカのサーキットで防衛戦をしていましたが AWAとしては 鶴田をヒールにしたかったと思いますが できなかったんでしょうね なので リックマーテルに AWAを取られたんでしょうね
テリーのレフリーは印象深いです。あ〜思い出します、有田さん福田さんスタッフさん、ありがとう〜!(肩を入れて)
鶴田がAWA獲った時は特別にPWFルールで行われて「反則、リングアウトでも王座移動」だったから、「どうせ獲れないだろう」って感じじゃなく「これで獲れなかったらダメだろう」って感じだったからな。でも、ニック相手の防衛戦はAWAルールで行われて、鶴田が反則負けで防衛なんてこともあった。
3日後の大阪で再戦した時のニックは本当に強かった。ワタシが鶴田最強論否定派なのは、あの試合のインパクトが強過ぎたからこそ。
徳光さん試合中のジャンボにマイク向けて、ジャンボ頑張れとか言ってたな笑
アメリカでの防衛サーキットの挑戦者の顔触れを見て、「AWAはもう終わりだな」と当時思った。その後、ウォリアーズやレオンホワイト(ベイダー)を輩出したり、ハンセンを王座につけたりしたけど、結局崩壊したね!
ガニアのセンスが、時代遅れだったのかもしれませんね。NWAは連合体で、プロモーターの多数決で次期王者決めてたから、ある程度フレキシブルだったけど、AWAはガニアの独占物になってしまった。もし、ホーガンを王者にしていたら、歴史は変わったかもしれませんね。
有田が全日の事もここまで詳しいとは思わんかったわ
テリーが賑やかでしたね笑
試合中にリングサイドで鶴田にインタビューする徳光さん笑
うん、あれだけ煽っていたから鶴田とるって穿った見方していたし、ニックが大阪のリターンマッチで取り返すと思った(笑)
この鶴田ーニック 2.23蔵前のAWA戦、現場で生観戦してました。正面側の6マス目に居ました。この日は東京は朝から雪で凄く寒かった事を覚えてます。懐かしいですね。
あの蔵前の試合で、「特別リングサイドレポーターの徳光さん」が、リングサイドからリングに戻ろうとする鶴田に「ジャンボ頑張れ!ジャンボ頑張れ!」って言いながら、マイク向けてたシーンが忘れられない。試合中にインタビューしようとしてるレポーターって。多分前代未聞。空前絶後。だと思う。
リアルタイムで見ました。ジャンボの大ファンでした。
マジ、奇跡だと思いましたね。
まずないと思ってたし。
有田さんと同じ目線でした☺️
有田さんがここまで全日を熱く語ってくれるのは嬉しい
14歳がプロレスを政治でみるなw
地元にテレ朝がなくて、全日本プロレスしか見えなかったから
有田さんが全日を語ってくれるのはうれしい
人生で初めてサインをもらったのは鶴田選手でした、熊本の田舎のスーパーに来てくれました。AWAのベルトをとってくれたのは嬉しかったですね、ここから鶴田時代が始まったのかなあと思います。
私もです!😉奥さんも来られてました😏
私もです。寿屋の駐車場でサインをもらった思い出がよみがえりました。
@@ぽてち-k6d
寿屋懐かしい
リアルで観ましたが、当時の全日ファンのこの辺の機微を絶妙に語ってくれる有ペイとは何かが通じます😂
今思うに当時はAWAも興行的なテコ入れとニック自身の希望もあり、チャンピオンの交代時期だったんでしょうね。しかしニック→リックの直接の政権移譲はネームバリューや実力的にも無理があるということで、ガニアから馬場に相談、鶴田に白羽の矢が立ったということなのではないかと思います。
それにしてもテリーの悶絶ギミックからの3カウント、大阪でのリマッチ防衛の筋書きはファン心理の裏を突いたマッチメーカー馬場の見事な演出だったと思います😂
自分の中学時代ですね。ニックはこのタイトル失った後の鶴田さんとの試合の時の強さが印象的でした。ねちっこいグラウンドレスリングに鶴田さんほとんど抵抗できませんでしたもんね。「ニックのバックドロップ、完全に余裕で3カウント入ってたよな」ってみんなで言ってました。カールゴッチもニックのことは認めていたような発言されてますから、実力者ですよね。
昨日23回忌興行行きました。このニック戦は鶴田さん売り出しの布告でしたよね。新日はリアリティでしたが猪木藤波はカラダ小さくて、スケール違ったんですよね、ジャンボとは。ニック戦の頃はユルさがあったのは有田さんの仰るとおり。しかし素晴らしい選手でした。
生まれる前の話ですが、とても興味深く聞けました!ホント有田さんの話はすごい☆
あのバックドロップホールドは名シーン!!
生まれて初めての生観戦が大阪の防衛戦でした😄
テリーいなくていいんじゃね⁉️と小5 は感じてました😅
内容忘れましたがこの大会のセミで、マイティ井上がチャボゲレロから、NWAインターJrを獲ったのが嬉しかったです😄
ニックボックウィンクルが40分オーバーでも楽々試合してるのが凄い、この時50歳だし
この当時のフレアーやニックは、各地をサーキットして、毎試合地元のチャンピオン相手に時間切れ引き分けやってるだけあって怪物
これリアルタイムで見ましたわ。
毎週AWA王者の鶴田と挑戦者の名前、勝敗の結果がテロップで流れて、子供心に過酷な防衛ロードを歩んでるなと思って見てました。
鶴田の防衛戦は反則負けでの防衛が多くてガッカリしたのを覚えています。
今なら、政治的にそうなるのは理解できるけどね。
確かに日程みたら「あぁ・・・馬場さんのNWAパターンね」と思ってはいましたw
この試合の実況が徳光和夫さんと思ってる方が多いようですが、倉持隆夫さんだったはずです。徳光さんは、リングサイドのレポーター件インタビュアーのような立ち回りだったかと。
場外からリング内に戻る鶴田に、「がんばれ!ジャンボがんばれ!」とマイクを向ける徳光さんの姿を見て、んなもん答えてくれるはずねえだろと思ってましたw
当時小6。真剣に鶴田を応援して、タイトルを獲った時は純粋に喜んでた。でも、さすがにテリーには子どもとはいえ、違和感を感じてた。
テリーファンクが場外フェンスに引っかかって足バタバタさせてるシーンは忘れられない
あの手の大仰というか大味な動きは、好き嫌いはっきり分かれるでしょうね
ロープでも引っかかって足バタバタしてたし
あの芸は何だったのかね
テリーマンのモデルだった正統派ハンサムレスラーの引退後の醜態は微妙な気持ちになったw
結局、引退後も現役選手より目立ちたい体質なのは猪木さんと一緒
私の大好きなレフェリーはジョー樋口殿テリー・ファンクです。
忘れろ忘れろw
もうすぐ鶴田さんの二十三回忌追善興行行われますね。大会の成功を願うばかりです。
リックフレアの老獪さ
ハーリーレイス地味ながらの強さ
全日本懐かしい
やっぱり全日系とU系の話は特に面白い!
懐かしい。私も熊本で有田さんと近所になりますがジャンボ鶴田サイン会に近くのスーパーセイコーに行ったのを思いだします😊
確かに、ニックからベルト借りて三日天下だと思ってたので、
リマッチに知らぬ間に勝ち、アメリカ横断防衛ロードまでやったのは新鮮だった。
試合内容には新鮮味のカケラも感じなかったけど。
他の方が書いてたら
ごめんなさい。
鶴田がアメリカ遠征の最後で負けて
チャンピオンで日本に帰って来れなかったというのは2度目の遠征の話しで、
1度目のアメリカ遠征からは
無事王者のまま帰国して、
日本でもニック、ブランゼル、グレッグ・ガニアと防衛戦をしてますね。
全日の三冠の成り立ちを有田節で噺てほしい
鶴田さんは東京駅総武線地下コンコースの売店でお見かけしたことがあります
時期はもう鶴田さんがセミリタイアしてた頃かな?
お亡くなりになる少し前だったかもしれません
身長180cm弱の自分が見上げるくらい大きくて驚きました
紙テープぐるぐるのテリーファンク大好きです笑
是非ファンクス一家、ディックスレーターとか…特集してください!
有田さん。当時の衝撃を再現していただいて有難いですが、細部が違っています。①AWA奪取、大阪で防衛した鶴田は、その後のアメリカ遠征で3回防衛を果たして、無事に日本に帰国しているのですw 帰国後のシリーズで、再び来日したニック相手に防衛成功し、さらに2回防衛した後で、再び渡米して、9回防衛した後に、帰国直前にマーテルに敗れて、王座陥落でした。
ですから○鶴田がAWAを取った○鶴田が大阪で防衛した○鶴田が王座を防衛したまま帰国した○ニックとの2度目のリマッチでも防衛した、という4重サプライズだったのですw
しかも鶴田のニックとの2度目のリマッチは、「鶴田の反則負け防衛」という、今までの裏っ返しパターンだったのですよw
②鶴田のAWA奪取試合、テリーが倒れた時点でサブレフリーのジョー樋口が入り、最後は樋口とテリーのダブルカウントというフィナーレでしたw
にしても、これらの試合で見せたニックの底力は恐ろしかった。ショルダースルーで鶴田から3カウントを奪えそうな、俊敏さでした。
再渡米サーキットは全日勢も日テレもいない単独渡米だったのでマサさんがセコンドを務めてました。
有田さんと同い年なので、リアルタイムでした😅
‼️「プロレスを楽しむコツは…とにかく見続ける事」最近プロレスを好きになった周りの人達に言う言葉です😊
入場テーマ曲のJが鳴り響く中、徳光さんがインタビューをなかなか終わらせなかったのが懐かしいです。
徳光さんが場外へ転落した鶴田に対して、試合中にもかかわらず「鶴田ガンバレ!」と言いながらマイクを向けていたのにも笑ってしまいました😁
リアルタイムで世代です。
ニック、フレアー、あとレイスもだけどタイトルない時のが「やっぱりこの人強えーわ…」って思わせてくれましたね。
チャンピオンの仕事って
①お客様を呼ぶ事。
②どんな形であれベルトを守る事
を思い知らさましたね。
当時のアメリカの大きな団体の王者は「地元のチャンピオンに劣勢になって、ギリギリ勝つ」という地元団体の興行がその後も盛り上がるような「プロレス」ができることも大事でしたね
団体内だけで試合をする日本は違いますし、アメリカもWWF、WCW時代になって変わりましたが
リック フレアーがダラスでケリーV エリックに負けた時も盛り上げの為に1度巻かせてやったみたいな感じでしたね(笑)
そのルーツがバディ・ロジャース。
第二回有プロ飲み会後だとより楽しめる話でした
プロレス会場で入待ちしてたら、ジャンボ鶴田さんが笑顔で歩いてきました。でも、あまりの威圧感で近寄ることができませんでした…少年時代の思い出です💦
有田含め、多くの方が思い浮かべてるテリーの紙テープぐるぐるシーンはおそらくハンセン・ブロディ対ファンクスの方でしょうねw
当時、ケリーフォンエリックがNWA王者になり、鶴田さんとのダブルタイトルマッチも御膳立てされていた❗️と記憶しております。日本初のダブルタイトルマッチは見たかったですね❗️
鶴田さんにはNWAも巻いて欲しかったのですね。不器用な鶴田さんでは.、チャレンジャーを引き立てるファイトは、難しかったでしょうか?
毎回、有田さんのプロレスLOVEには脱帽です‼️
確か幻のポスターがあったはずですよ。
蔵前国技館で生で観戦しました。当日中学生で興奮したなぁ〜
この日、東京はかなりの大雪だったような記憶があります。
自分も当日いました。あのバックドロップホールドのカウントの大合唱は凄まじかった記憶があります。あの一戦が凄すぎて他の試合の記憶がまったくありません!
鶴田さんが、リックマーテル相手に防衛していたら、日本でNWA世界チャンピオンと世界統一戦だったので、リックマーテルに負けた時は残念でした。
鶴田のAWA戴冠は嬉しかったけれど、ヒールの仕事人系王者であるニックの長期政権を終わらせてハンサムでベビーのマーテル時代に変えるための繋ぎ役としてガニアに利用されたのが非北米人の鶴田だったことは今振り返れば明らか(後のWWFにおける「バックランド→アイアン・シーク→ホーガン」の王座移動劇と構図は同じ)ですよね。興行に箔が欲しい馬場と鶴田は、この仕掛けに乗った。
渡米した鶴田がランザ、ロビンソン、ラシク、マリガン、ニックらAWAベテラン勢を相手に防衛ロードを続けている最中、東スポの「ザ・プロレス」に「最終戦・セントポールでのマーテル戦で王座陥落か」という奇妙な先読み記事が出たのを憶えています。つまり、全ての手続きは初めから決まっていた訳ですが、子供だった私にはそんなことは分からなかったから、この記事は衝撃的でした。そして実際にそうなった……。
あれはAWAか日テレの誰かが東スポにブックをリークしていたのか、新日サイドの妨害工作だったのか。倉持氏、新間氏辺りは知っているでしょうが、話してはくれないのでしょうね。
プロレスの興行ですからね、勝負というより、全て段取りが決まっていた演出でしょう。
@@MahiruMaki その通りですね。
鶴田にNWAを取らせなかったのは多分馬場の意向かな?と思いますね
お金さえ払えば日本でのシリーズ中のタイトル移動は可能だったと思いますので・・・・・。
まあ、ベルトを巻いてたら日本に帰れないしね。と言って返上もできないし。
負けて返すしかなかった。
今回も面白かったです😄
特別レフェリー・テリーファンク…紙テープまきまきもあったかもですが、場外フェンスジタバタもあり、衣装もなんちゅう格好してるのというのもあり、
子供心に「テリー頼むよ😰」と思い、有田さんが言ってた「いつものアレ」で終わると思いました😅
斜陽になっていたAWAでしたが、鶴田は米国サーキットしたのは特筆すべき点だと思いました😌
相変わらずトークがうまい、、、上田さんゲストで呼んでください。
上田馬之助!?
思い違いがありました。
鶴田選手がマーテル選手にAWAのベルトを取られたのはアメリカだったんですね。
自分の中ではアメリカから戻って、日本で取られたと記憶してました。
脱力タイムスでめっちゃ宣伝してましたねw
全力!脱力タイムズ観てきたw
教えてくれてありがとう。
ここ、教育系だったんだな。
んん
吉川美代子「 有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】」っていうのが見てみたいですねぇ
次回、とっても楽しみです!!
AWA 確か人材居ましたよね優秀な、ジェリーローラー、ジムブランゼル、リックマーテル、懐かしい
鶴田のAWAチャンプ時代の米国遠征で、ルーテーズプレス飛びすぎてフライングネックシザーズドロップになってフィニッシュしたシーン覚えてます。たぶん意図的じゃなかったんだろうけど、この形で使い続ければいいのに、と思った。
「観続けなさい」…か鶴田vsニック戦から、まさかイービルに話が繋げるとは思わなかった。
プロレスは点では無く線で観続ける事でサプライズを体感出来るという事か
馬場さんがNWA王座を奪取しても1週間そこらでブリスコやレイスに再び奪われていたのを3度も見ていればそう思うのは自然だと思います。
レフェリーのテリーふざけてたよなぁw
確かこの2連戦は特別ルールで反則やリングアウトでも王座が移動する(それと場外カウント10→20)特別ルールだったと思います。それでニック詰んだと思ったら実はめちゃめちゃ強かったという印象でした。特に派手なワザが無いのに鶴田さんを追い込むところは今見ても全く色褪せません。それとこの頃のAWAはマンネリ&経営難だったので日テレ側の鶴田さんプッシュもウエルカムだったのではと推測します。あと国内でベルト貸し借りするのは馬場さんがNWAで3回やったし猪木さんのWWFもそうだったのでみんなお約束を受け入れる感じで見ていたと思います。
意外な強さを見せたニックボックウィンテルとの2戦目をベストバウトにあげる上げる人もいましたね
グランドで鶴田を追い込んだニックの隠された実力にアメリカンプロレスの奥深さを垣間見せたという点で
梶原一騎の作品ではニックはサンマルチノ同様、酷い扱いでしたね。
次回楽しみだな
すっかり年を取ったビル・ロビンソンとの防衛戦は、なんだか感慨深いものがありましたね。
ビル・ロビンソンもニック・ボックウィンクルもいつの間にか亡くなっていましたね。バーン・ガニアは阿修羅・原が亡くなった時の東スポに載っていたので知っていましたが。
さらっと会話の中でプロリスナー氏が言ったダイレクトリマッチはプロレスの世界ではあまりない事に気づかされた
テリーが紙テープまみれになってたのはハンセン初登場時の最強タッグですね。
AWA戦レフリーの時のテリーは場外フェンスで脚バタバタやってて「テリーは完全に脚がもつれてます」とリポートされてました(笑)
そのバタバタを、当時入門3年目だった三沢が、横で冷ややかに見ていたシーンが印象深いです。
そうなんですよね。有田師匠、ちょいちょい記憶違いがあるんですよね。
まあ、愛があるので許せますけど。
ハンセン初登場と言うというか、
ブロディと組んで
最強タッグに初参加した1982年の
最終戦ですね。
2.26の大阪大会は、最初は鶴田vsニックの2連戦と発表されたけど
直前に2.23蔵前で鶴田がAWA奪取失敗した時に限り大阪大会は天龍が挑戦という形に変更されたんだよね。
次回、楽しみすぎる!!
のちにテリーが大仁田とデスマッチしたりIWAジャパンに参戦して血だらけになってるのをみて何とも言えない気持ちになった
貴重な話を聞く事が出来ました感謝。まさかジャンボが、そんな空気の読めない天然な不思議キャラだったとは… のちスタンハンセン達と激闘を繰り広げた黒パンツのエース鶴田は、文字どおり絶対王者の風格でした。日本人で勝てる奴おらんやろと思うホドに。
正直この試合はテリーが紙テープやフェンスで一人絡まるようにじたばたして悪ふざけしてる記憶しかないですww
見続けなさいって いっ てん のッ(´▽`*)
リングサイド担当が徳さん(徳光アナ)、というのも“タイトル移動、あるかも?”の現実味に寄与していましたよね🎤
鶴田のアメリカ防衛ロードの試合は、どの試合を見ても鶴田が負けるような相手はいなかった。やっぱそれだとダメよね。次はやったら勝てる!と思わせるチャンプじゃないと。
来週も楽しみなテーマだわ
当時、プロレス雑誌の記事では有田さんが仰っている様な政治的な話が割と普通に記事になることがあった気がします。(特に海外マットに関して)
「NWA役員達がレイスを下ろしてチャンピオンをフレアーに変えようとしているという噂がある」の様な感じで。
当時、そういう記事を読むと子ども心に少しだけ複雑な気持ちになりました笑
確かにこの試合はテリー紙テープグルグルしか記憶にありませんw
ファンクスについてもっと取り上げて欲しいw
テリーとドリーは感動する🥺
鶴田の試合のNo.1はニックボックウィンクル戦だろうね。
演出、レフェリー含め全てが揃っていた。
私はいい試合だと思います。
ニックさんはプロレスの達人ですよ。あの時代の世界チャンピオンは負けそうで負けないそれでいて
確かな実力が無いと務まりません
ニックさんはこの時50歳だったと思います。全盛期の鶴田さんより動いていました。
その前の馬場vsハーリーレイスのNWA2連戦はそう思いましたね。ただ理由はチャンピオン防衛になると米国での連戦を強いられ日本での興業がババ抜きシリーズになって収益的に問題が出ると思っていました。当時私は中学生。(笑)
中学生の貴方の考えが正解。鶴田ならアメリカサーキットも出来るが、プロモーターの馬場御大には流石にそんな事出来ないもんなあw
客と一体感あったね。試合の合間に鶴田が、オォ~と叫んで客の反応を伺う間に…1つの技を掛けられるだろ…思う鶴田らしい…ファンサービスだったんだろうね。
有田さん、違うよ!
ジャンボは最初のアメリカ遠征では全戦防衛してちゃんと日本にベルトを持ち帰って来たんだよ。
その後日本で通常のシリーズをこなして、直後の2回目のアメリカ遠征の最後にマーテルに獲られたんです。
最初の防衛ツアーではベルトを守り抜いて帰ってきたというところ、もっと評価してあげて欲しかったなー。
でも久々の全日本の話題、ありがとうございました。
これからも毎回楽しみに視聴させていただきます。
かすかに記憶に残ってる
試合後.鶴田のコメントが「いやーニックは強いですね」だったかな?
鶴田らしいと思ってみてた
確かこの試合で初めてバックドロップホールドなる技を見たような気がします。
あれは咄嗟に出た技なのかなあ
確かPWFルールで行われたと記憶しています。サブレフェリーはジョー樋口だったと思います。フィニッシュのワンカウントはジョー樋口、2カウント目からテリーが駆け込みで行ったのではなかったかと…
今回も面白かったけど、次回の北斗神取楽しみ過ぎる!!!
リアルで見てました。
この後のリックマーテルも確かハンセンに取られたんですよね。
逆エビ固めをコーナーポストを使いながらのハンセンらしからぬ試合が印象的でした。
バーンガニアからのawaもこの頃は衰退の時期だった様な…
いま思うと良く練られた運営だったと感じます。
AWAとしては世代交代に迫られていた。
悪者チャンピオンのニックが、
全米を回って地元のアイドルと絡む路線も成り立ってたけど、新しい刺激も、、、。そんな時に日本から「鶴田に華を持たせてはくれないか?」の商談。
ここで変に白人のプライドひけらかさず、冷静に考えて大金を馬場さんから貰いつつ(功労者、ニックを説得して)鶴田のアメリカツアーを条件としてベルトを巻かせ「あのニックを破った鶴田は化け物だ!アメリカ人の脅威だ」と知らしめておいて、秘蔵っ子のマーテルに破らせる。ま、マーテルがそのチャンスを物に出来る器が無かったのが残念だっけどね。アルティメットウォリアー的な?
ハンセンが取ったのを見て喜んだ思い出がありますね~
テリーが最後3カウント叩いたあと、ニックの肩とマットの間に手を挟めていたジョー樋口さんが肩が着いてないとテリーにアピールして試合を続行させようとしてましたね。テリーがリングに戻らなかった時は結末が違ってたのかもしれないですね。
私も動画で見るたびに思ってました。
次回面白そう
北斗対神取〜東京ドームまでの1年半もいずれやって欲しい
Championの時は弱く見えるダーティーChampionのニックやフレアーがチャレンジャーになったらめちゃめちゃ強くて怖いfightするんよね(笑)
使い分けがスゴい
彼らは何だかんだ言っても実力があるからね、かつてのNWAチャンピオンの
バディ・ロジャースもそうだった。
有田さんの言ってるのめちゃくちゃわかるな
おれは小学生のころWWE見始めて、中学生になるころには、だんだんと「あーこれどうせ乱入でうやむやになるやつだ」、「またマネージャーが邪魔するパターンね」って思うようになった
でもたまにこっちの予想を裏切る展開があって、そうなるとめちゃくちゃ興奮すんだよね
まあ、いま思うと、実はそれすらレッスルマニアまでのストーリーの一部だったんだけどさ
テリーの服装が爆笑ものだったのはよく覚えてるなぁ。蝶ネクタイにフレアって云うのかなあのシャツ。タキシードの上着だけ脱いできましたって恰好だったなぁ
テリーのもがき思い出しました。笑いました爆笑😂
AWAのタイトルマッチ、日テレの土曜ドップスペシャルで放送で、自分は、現地(蔵前)やテレビでも観ました。土曜ドップスペシャルの枠、今の有田さん出演の世界一受けたい授業、何らかの縁てすね!当時、三沢と越中のメキシコ遠征のセレモニーでのリングの挨拶だったと思う?
1984年2月23日にジャンボ鶴田さんが世界で2番に権威があったAWA世界ヘビー級チャンピオンに成った時は嬉しかったです。
有田さん語って頂いて有難うございます。
でも世界で1番権威があったNWA世界ヘビー級チャンピオンに一度も成れなかった事だけは残念でした。
鶴田さんがNWAに18回挑戦した中でも1982年6月8日のリックフレアー戦で結果は崩れジャーマンでダブルフォール引き分けでしたが、ジョー樋口レフリーが見逃しただけで実際はカウントスリー直前に鶴田さんのブリッジが一瞬完成されて肩が上がってました。
その試合の話を有田さんがして「あの時に鶴田さんの肩は上がってた」と語ってほしいです。
AWAはリングで寝首をかかれるのを防ぐため、ガチンコが強いレスラーしかチャンピオンにしなかったとか。それがホーガンが王座をついに取れなかった理由と聞いたことがあります。鶴田はそこで認められたってことですよね。
リック・マーテルは強くないでしょ。
来日前のオットーワンズが一時、奪取したと聞き、未知の強豪としてIWGPに参加した時はどんな選手か楽しみにしてました。
しかし、来てみると、とんだデクの棒でした。
全日のアメリカ遠征はワクワクしましたね。
最後は「マーテルなんかに負けるなよ!」
という思いでした。
当時は結果を早く知りたくて、音声で結果を教えてくれる電話サービスを利用してた気がする
ウケる! 週刊ビックレスラーの電話試合結果速報だ!
みんなそうだったよね。当時のプロレスマニアは
試合以外の見せ所はレフェリー テリーファンクだけじゃない!
徳光和夫(当時は既に売れっ子アナウンサー)さんがリングサイドレポート!
スリーカウント取った瞬間、画面にはリングの向こうで両手挙げ飛んで喜ぶ徳光さんの姿(笑)
そのあとリックマーテルにタイトル取られちゃったからリックマーテルって結構強いと思っていたけど東京ドームでのレスリングサミットで鶴田と対戦したときちっこいし、全然強くなくがっかりした記憶がある
日米レスリングサミット、懐かしいですね。本来の鶴田のパートナーは、五輪コンビの奴(やつ)だったと記憶していますが、直前でアバラ骨を負傷した影響で(のち眼鏡会社に転職しますが)、キング・ハク(プリンス・トンガ)とのタッグに変更されて、リック・マーテル(非常~にいい男 by 福澤ジャストミート朗)とカート・ヘニング(息子です! by 竹内宏介)と相対した経緯があったようですね。考えてみれば、鶴田・マーテル・ヘニングと、過去にAWAのベルトを巻いた選手が3人同じ試合に出ていたことになりますね。
@@FAMICOMROCKY さん
テレビで鶴田からタイトル奪取した試合みて、ゴツくはないけどいい動きするし、ひょっとしてレスリング上手いのかな?と錯覚していただけにレスリングサミットのときに軽々バックドロップで投げられた時がっかりした記憶があります。
そういえばあの時も徳光さんいたな〜
見返してみました。テリーが目立ちたがって、フェンスでバタバタしてましたけど、フィニッシュシーンでまたひょっこりカウントしてましたねw
ルールも、リングアウト反則でも王座移動アリ&両リンなしの完全決着ルールじゃなかったっけ?
それでこれは奪るんじゃないか?って思った少年時代。
これが噂の教育系RUclipsrか
この蔵前と大阪の試合が PWFルールだったので ニックが断然不利 蔵前では 鶴田が取らなければいけない試合でした 大阪で両者リングアウトで鶴田が防衛でしたが AWA側からしても ニックの長期政権では観客も飽きてきたので新しいチャンピオンが欲しかったのかもですね
鶴田がアメリカのサーキットで防衛戦をしていましたが AWAとしては 鶴田をヒールにしたかったと思いますが できなかったんでしょうね なので リックマーテルに AWAを取られたんでしょうね
テリーのレフリーは印象深いです。あ〜思い出します、有田さん福田さんスタッフさん、ありがとう〜!(肩を入れて)
鶴田がAWA獲った時は特別にPWFルールで行われて「反則、リングアウトでも王座移動」だったから、
「どうせ獲れないだろう」って感じじゃなく「これで獲れなかったらダメだろう」って感じだったからな。
でも、ニック相手の防衛戦はAWAルールで行われて、鶴田が反則負けで防衛なんてこともあった。
3日後の大阪で再戦した時のニックは本当に強かった。
ワタシが鶴田最強論否定派なのは、あの試合のインパクトが強過ぎたからこそ。
徳光さん試合中のジャンボにマイク向けて、ジャンボ頑張れとか言ってたな笑
アメリカでの防衛サーキットの挑戦者の顔触れを見て、「AWAはもう終わりだな」と当時思った。
その後、ウォリアーズやレオンホワイト(ベイダー)を輩出したり、ハンセンを王座につけたりしたけど、結局崩壊したね!
ガニアのセンスが、時代遅れだったのかもしれませんね。
NWAは連合体で、プロモーターの多数決で次期王者決めてたから、ある程度フレキシブルだったけど、AWAはガニアの独占物になってしまった。もし、ホーガンを王者にしていたら、歴史は変わったかもしれませんね。
有田が全日の事もここまで詳しいとは思わんかったわ
テリーが賑やかでしたね笑
試合中にリングサイドで鶴田にインタビューする徳光さん笑
うん、あれだけ煽っていたから鶴田とるって穿った見方していたし、ニックが大阪のリターンマッチで取り返すと思った(笑)