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正しい教育正しい言葉正しい姿勢正しい日本語もうできない呆れた現代にはありがとうございます。
正しいとは?時代は良くも悪くも常に変化しているのです。境目なんてない。流動的だからこそ研ぎ澄ませておかなければね。
古き良き時代の東京を、想像しますね。となり、近所に住む👤🙅人々の営みをも思い浮かびます。藤山一郎さんの、柔らかな歌声🎤🎼🎶🎵💿が心に沁みるイイ歌声です。聞く🙅👱人を仄かにさせますね。❤😍🤩🥳💿🎤🎼🎶🎵大好きです。❤🎉😊🥳😍🤩
何故、亡き父が藤山先生の曲をハーモニカで吹き唄ったか、良くわかりました。還暦を過ぎて昭和の激動期の名曲をしみじみ聴いてます。飾らず真っ直ぐ通る美声。戦後にどれだけの人がこの歌声に励まされたかがわかります。国民栄誉賞取るのは当然でしょう。昭和の偉人として藤山先生の生涯を学校で教えてもお かしくないなと。とにかく素晴らしい歌声に圧倒され涙ぐんでます。
今も残るその美しい歌声、綺麗に透き通る伸びやかな歌声、藤山一郎さんは日本を代表する歌手です。
藤山一郎さん。柔らかい声で、いつもニコニコしていて大好きでした。修学旅行で長崎の原爆記念館見たあとに長崎の鐘聴いたときは涙が止まらなかったのを思い出しました
私も修学旅行で長崎原爆資料館を訪れました。そのあとの文化祭で長崎の鐘を歌うことを提案し、却下されると思っていましたが、みんな賛成してくれ私が指揮して合唱しました。懐かしい想い出です。
私は新潟県の山奥の村の出身です。年の離れた兄と姉が中学校を卒業後、東京の親戚の紹介で上京しました。お盆と正月に兄と姉が帰って来ました。自分もいつの日か東京へ行こうと強い憧れを抱きました。そして、高校を卒業後、東京で就職しました。しかし、一年で挫折して故郷の村へ帰り、土方をしていました。このまま一生を終わるのかと思っていました。大学へ行っていた友達と会った時に‘頑張って勉強して大学へ行け‘と励まされました。再度東京へ行きました。なんとか大学を卒業することができました。今は、千葉県に住んでいます。今も憧れの東京へ行くのが楽しみです。
ド方で働いている人も一生懸命です。すみません。
去りし当時の流行歌を聞けば、歌詞・場所・想い出があり、そして自分の若き日があった。
何だかこんないい曲を聴くと、涙が出てくるね。
この混沌とした時代でも、清潔感が伝わる当時の写真、日本に生まれ、日本人で良かったと思わせてくれる。
この歌は何回か聞いたけど、こうした歌は今はテレビでは聴く機会はなかなかない。
織井茂子さんの声に迫力が有りいつまでも君の名はとか懐かしく聴いてます!
底抜けのユートピア「花の東京」が哀愁を含んだ「淡き夢の街東京」になって、それでも夢や希望を見失うまいと皆が頑張っていた時代…どちらの曲も大好きです。
昭和は良かった。藤山一郎さん最高。素晴らしい人はもう出ない。
綺麗で立派な日本語の歌。
私が、未だ現役で或る会社に居たときのことです。我が社のコーラス・グループを指導されて居られた藤山先生と廊下ですれ違いました。その時、会釈されたのを今でも鮮明に覚えております。私は呆然として後姿をじーと見つめて居ました。我が青春時代の宝です。先生、有難う御座いました。
私63歳藤山先生の素晴らしい歌唱🎉また前奏間奏詩どれをとっても卒のない素晴らしい唄🎙大好きな唄の一曲です❤昔の唄い手さん皆さん唄が上手い大好き❤です🎙
東京都歌にしたい未だ色褪せない名曲。
銀座のサラリーマン時代、会社の食堂でそそくさと昼飯を済ませ、聖路加までよく散歩した。往復45分位だったか。この歌を聴くと当時を思い出します。
此の当時の歌はその時代の風景を表しています心に胸を打つものが有ります。
8月は藤山一郎さんのうたが特にしみます こんな人もう二度と出ないのかも 聞いていると涙がでます
藤山一郎は歌を素直に歌うところが好きです。
これこそ、美しい日本語。鼻濁音が正確に発音されています。
この歌を主題歌とする映画を思い出します。海軍から生還してきた頃の自分は沁々とした気分になります。
『夢淡き東京』大好きです 浅草を拠点にする髙島四兄弟 東京大衆歌謡楽団 でこの歌を知りました
戦争で多くを失い 皆が生きるのに 精一杯な時代であっても、明日に確かな希望が持てる平和の訪れ。戦後75年が経ち 閉塞感が漂う現代が失ってしまった 明るさと解放感をこの『夢淡き東京』は持ち合わせています。
この世の中いろんな事が目まぐるしくさわいでる。この歌を聴くと希望や季節の移り変わりに思いを馳せます。古いこういう歌は良いねぇ。
流行とかを越えて、どの世代の心にも響くオシャレな歌だとおもいます。
かなり古いが、なんというロマン多き歌、曲調。現代では求めても、無い夢か。
なんと、いい時代でしょう。
懐かしい歌です❗夢の街東京、大きくなり過ぎましたね❗小生又そこに戻る予定、東京の田舎ですが熱海より生活は便利かな~
名曲はいつまでも色褪せないなんて嘘じゃないか。こんなにも素敵で美しい曲があるのに僕と同年代の人はあまり知る人はいない。
これも古関裕而作曲による名曲。戦後の復興しゆく東京を歌ったロマン溢れる代表作だろう!
今の時代に、蘇るとは、誰も、想像すらしませんでした。スマホは偉大ですね。📶🆙
この音源は1973年にコロムビア・レコードから発売されたステレオLP「懐かしの歌声デラックス~丘を越えて・藤山一郎」全14曲中B面の1曲めで、私も高校時代の1976年に購入して愛聴していました(現在自分は60代前半)。私の敬愛する藤山一郎さんの歌の中でも特に好きな曲の1つです。音域がかなり広いので自分で歌おうとするとちょっと難しいですが、気分の沈んだ時にも勇気を呼び覚ましてくれます。しかもこの曲を平成生まれの若い世代の中にも好きな方がいらっしゃるのは嬉しい限り。都心の夜明けにピッタリな歌です。
昔から好きで、よく聴きました。素晴らしい曲ですね。
戦後の日本、藤山一郎さんの歌、みんなが夢を抱いていた頃が懐かしいです。
藤山一郎さん。ならぶ人なき大歌手です。同時代に生き、その唄を聴くことができて幸せでした。天国から日本の歌の世界を見守ってください。
変だと思われる事を承知で言うけど、この頃の映像を見ながら曲を聴くと何故だか暑い日にひとっ風呂浴びて清々しい気持ちになるのと似た様な感覚になる。
懐メロがすき、藤山一郎が好き、というと、何てベタなんだと思われそうだけど、でも、やっぱり、いいわ。
何故だろう、見たことがないはずなのにどこか懐かしい景色に見える
生まれる前の歌🎵ですが何故か元気になります。カラオケ🎤😆🎵のレパートリーになってます🎵
藤山一郎の歌声が、今、こうして聴けるなんて、ありがたいです。
東京大衆歌謡楽団の演奏会で聞いてきました。素晴らしい歌唱力でした。蘇りましたよ、名曲が!
声楽を勉強したのがひしひしと伝わる爽やかに歌い上げてますよね🎵美しい日本語も大切にしたいですね。
こんないい歌が有るのになんで家のお父さんやお母さんは聴かないんだろう、
NHKの朝ドラ、エールを観てから古関裕而さんのファンになり、昭和初期の歌謡曲が好きになりました。
正確な歌詞とても言葉がありません素晴らしい
現代の日本にはない懐かしさが感じられます
映像のなかに、④番のヘッドナンバーをつけた路面電車(都電)が映っています。国鉄(現JR) 目黒駅~都心の永代橋までの間を走っていました。これに乗って私は中・高校へ通いました。昭和30年代の懐かしい東京の映像です。
東京ラプソディと並んで大学時代最も聴いた曲です今は東京を離れてしまいましたが、聴くたびに華の帝都を思い出して涙が止まりません。
素敵なお声ですね。年末乃紅白歌合戦には、必ずで☝️見えたと思います。素敵なお声、お姿、素敵ですね。貴重な映像ありがとう御座います。
理解できます!
東京の都心で生まれ育った私、この映像は懐かしさで胸がいっぱいになります!東京タワーの基礎工事さえ始まっていないこ
ころですね!
いたずらに懐古趣味でなく時代の流れ均一に人達は生きている喜びが一つになっている
もっと早く生まれていたら、藤山一郎さんの若い頃の素晴らしい声が聞けたでしょう。
昭和22年だとまだまだ焼け跡だらけで戦争の痕が生々しく残っていた時期だし占領下でもあったから、「淡き夢」というのも意味深に思えてしまう
どん底の心を奮い立たせてくれる曲です。なにがあってもへこたれない、なにがあっても、やったろか!という覇気が起きます!
藤山いちろうわ日本の宝だ❤
この夢淡き東京の歌は戦後直ぐに出たと思います。映画もまだそんなに無い時に「緑の丘の赤い屋根♪の映画を見に行った時に最後にこのメロデイが流れました。昭和22年か、そのくらいの時期でした。メロデイだけは覚えていましたので、最近その曲がこの歌だった事を知り懐かしさで一杯になりました。
道路が広い広い!戦前のパルピンみたい。空気も澄み切っている。
師匠・藤山一郎先生の歌唱を懐かしく拝聴させて戴きました。ありがとうございました。チヤンネル登録させて戴きました。
岬 英二 さん藤山一郎さんのお弟子さんなんですか?
エールを見て、藤山一郎さんを知り、とても好きになりました。聞いていて気持ちがいい歌声で大好きです。
エール毎日三回みてました!自分の知らない歌も聴けて最高デシタ,!
今のバリバリのEDMの曲よりもこっちの方が好きです。 by平成11年生まれ
分かります。by平成19年生まれ(2007 13です笑)
同じく by平成8年生まれ(同じ平成なのに私だけ年いってて草)
@@あみ-r5b9g 草
わいも平成17年生まれや!
平成元年、中学生だった俺は爺さんの部屋のレコードでこれ聞いてハマってしまった。
藤山さんの唄は流石、聞いてて心が落ち着きます。また、ボンネットバス、今はないトロリーバス、都電(愛称は一球さん)どれを見ても懐かしい景色で唄と合っているところがスバラシイです。
昔は家にも電蓄があり青い背広でとか聞いていましたそして高校生になった頃普通のプレーヤーで聞ける藤山一郎のレコード買って聴いていました、紅白も最後に出てくる東海林太郎とかいわゆる懐メロが目当てで見ていた割に変わった子供でした(笑)特に藤山一郎さんは大好きですのでUP有り難うございます
ありがとうございます。 素晴らしい曲・素晴らしい写真の数々ですが…… 少し残念なことに、これは昭和22年のオリジナルではなくてその後の再録音ですね。何年の録音か書いてほしいです。僕は何年の録音か分かりませんので……。 「昭和の写真」ということですが、昭和6年の写真も昭和42年くらいの写真も出てきますね。幅が広すぎますね。 大変残念なことに、2:51の浅草松屋の写真は白黒写真ではありますが、平成14年にできた『みずほ銀行 』の看板が写ってますね。
サトウハチロー 古関裕而、最高のコンビです。トウキョウが江戸とつながっていたころ。
この曲いい曲ですよね!カラオケでよく歌う中に入ってます。
古関先生は本当の天才だと思いますね。オリンピックも古関先生作曲の行進曲で良いと思う。
私はモーツァルトに通ずるところがあると思います。
柳青める日 ツバメが銀座に飛ぶ日 誰を待つ心 (いきなり)淡き夢のまち東京この歌を私は子供のころから知っていた。今、83歳の父が口ずさんでいた。どのような時だったかわからないが、父はいくつかの歌を教えてくれた。散歩に行ったときだっただろうか。家の中で歌っていたような記憶はない。道や公園で聞いたような気がする。夏が来れば思い出す、とか、卯の花の匂う垣根にほととぎすはやもなきにて、とか。小学校の3年生か4年生か。そのころ聞いても夏が来れば思い出す、よりも卯の花の匂う垣根に、のほうが文語体(という言葉はその頃知らなかったが)でかっこいいな、などと感じたことを思い出す。冒頭の歌は今調べると昭和22年の歌のようだ。父は中国からの引き揚げ組で、今話を聞くと信じられないような貧しい暮らしだったようだ。ラジオもあったかどうだかわからない。しかし、当時の流行歌を覚えているのである。不思議な気がする。私はこの歌の詩を長い間、つばめがギンラリ飛ぶ日、と間違って覚えていた。歌の調子からなんとなく終戦前後の歌だ、とは思っていたので映像で見おぼえた戦闘機、爆撃機のようにつばめが白い腹を見せて旋回する、その腹が銀色に見えるのだろうか、などとも想像していた。それはそれでよい誤解だと思う。間違って覚えたわたしだけが持っている詩情なのだ。
昔の歌はいい歌が多いですね🎤
名曲ですね・・今J-POOPということで、日本の古い大衆歌謡が外国人に受けています。
素晴らしい高音の響き有り難うございます
良いですね僕も よくカラオケ喫茶で歌います。おじいちゃん おばあちゃんくらいの年代のほかのお客さんたちにも受けがいいです。
「夢淡き東京」、藤山一郎が歌うために、ある曲です。
やっぱり藤山一郎さんには古関裕而さんが合っていますね。確かご本人も言っていたと思います。
戦後の暗い時代に、この歌で、心が癒されました。70年ぶりに聴けるなんて?
とても素敵な名曲ですね。
オレが生まれた頃の日本人が一生懸命背伸びをしてる歌だよね?藤山一郎さんも天国でこの歌を唄い続けているのかな?
青い山脈で新子が歌っていた歌がやっとわかった!ありがとう!
この歌のせいで?この前、東京にいったとき、聖路加病院の前までいきました。いったい、わたしは、何をしてるんでしょう。
わかる わかる 私も行った
思い出作りと話のネタ作りに良かったと思います❣️このコメントを見て私も行きたくなりました。
写真で地下鉄の出口が写っていますが、これは昔は尾張町、今の銀座四丁目駅ですね。よく使っていた駅です。
お笑い コメント で吹きました❗❗✨wwwww 😂確かに、“ ハロー効果 ” ってそういうもんですよ。森 進一 が 襟裳岬 を 歌ったら襟裳岬 に 行きたく成るし、小柳 ルミ子 が 瀬戸の花嫁 を歌ったら、瀬戸に行きたく成るし。
私も行きました! この歌の感じではもうなかったですが。。。。(笑)
昔の歌手は、とても爽やかに唄っていましたね。今は、変な、こぶしなんか付けて唄っている方がいるけど………
父の時代の歌ですが懐かしい。そうそうたるメンバーが作った歌です。
子供のころよく聴いたメロディーです。懐かしさでいっぱいです。
♪誰を待つ心・♪ と歌う所が特に好きです
とてもさわやかな気持ちになりました!
作詞:サトウハチロー、作曲:古関裕而、唄:藤山一郎1 柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日 誰を待つ心 可愛いガラス窓 かすむは春の青空か あの屋根は かがやく聖路加(せいろか)か はるかに朝の虹も出た 誰を待つ心 淡き夢の町 東京2 橋にもたれつつ 二人は何を語る 川の流れにも 嘆きをすてたまえ なつかし岸に聞こえ来る あの音は むかしの三味(しゃみ)の音か 遠くに踊る影ひとつ 川の流れさえ 淡き夢の町 東京3 君は浅草か あの娘(こ)は神田の育ち 風に通わすか 願うは同じ夢 ほのかに胸に浮かぶのは あの姿 夕日に染めた顔 茜の雲を見つめてた 風に通わすか 淡き夢の街 東京4 悩み忘れんと 貧しき人は唄い せまい露路裏に 夜風はすすり泣く 小雨が道にそぼ降れば あの灯り うるみてなやましく あわれはいつか雨にとけ せまい露路裏も 淡き夢の町 東京
Makoto S
特に4番が好きです。
やはり、良いなあ❤️かなりの数唄っていますが、自分の十八番は此の曲です❗️カラオケにて、披露し続けています🙇丘は花盛りや懐かしのボレロも好きです💖あと、名曲の長崎の鐘も良くリクエストされて歌唱しています🎵只、満足に唄えません🙇皆さんは良いとおっしゃるけど、今一合点がいかない‼️唄いこんではいるが、非常に高難度です❗️点数は余り気にしないで、心の満足を追及して、前進して行きます🎵宜しくお願い致します🙇長々と失礼致しました💦
シーガル単なる自慢話ですね?こう言うヒトの歌は、間違いなく下手くそ。自分一人上手いと勘違いしているアホが大多数!
@@NK-li1no 罵倒は恥晒しですよ。人間性が疑われますよ💦皆さん楽しいコメント頂いていますよ~✌️
ありがとうございます😊頑張ります❤
いいですね!この景色を実際に見てみたかったです。この曲今日知ったばかりなのですが最後の♪淡き夢の街東京~♪のところなんとなく好きです。
大変な難曲で、途中の転調で分からなくなって転調しきれないこともある。当然キーは相当高い。
浅草六区古写真より。2:31 劇場幟に片岡千恵蔵主演「快侠金忠輔」(前後編・昭和6年5~6月封切)、ゲイリー・クーパー主演「戦場よさらば」(昭和7年?封切)から、おそらく1932年夏の風景。5.15事件の前後か。3:08 松竹座幟に田中絹代・上原謙共演「我が母の書」(昭和11年12月封切)が見えるので、おそらく同年暮れの雑踏風景。
作詞のサトウハチロー氏は父の紅緑が舞台女優と同棲の後に離婚したことで反発し、放蕩かつハチャメチャな生活でしたが叙情的な作詞は素晴らしく童謡の詩作はメルヘンな世界で、一方「長崎の鐘」という永遠の名曲を作詞した方ですが「夢淡き東京」の歌詞にある「輝く聖路加」で昭和48年に聖路加国際病院で亡くなったというのも何かの因縁でしょうか?
この歌声、この風景を軍国主義時代の徒花と言う人もいるけれど、確かにそういう側面はある一方で、この時代の人々は今よりも純朴でひたむきで他人に優しい気持ちを抱いて日常生活を送っていたのではないだろうか。澄んだ歌声を聴きながらこの時代を生きた人々のしたたかなバランス感覚を信じたいと思う。
この曲は戦後。東京復興2年目の曲ですよ。
2:51 東武浅草駅前の写真は最近ですね。😄みずほ銀行、信号機のデザイン。。。
このビルは東京の何処なのかと思っていましたが、浅草の吾妻橋近くでしたか。ありがとうございました。
夢みるって幸せ!ルックフォースター⭐️
柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日誰を待つ心 可愛いガラス窓かすむは春の青空か あの屋根はかがやく 聖路加かはるかに 朝の虹も出た誰を待つ心 淡き夢の町 東京橋にもたれつつ 二人は何を語る川の流れにも 嘆きをすてたまえなつかし岸に 聞こえ来る あの音はむかしの 三味の音か 遠くに踊る 影ひとつ川の流れさえ 淡き夢の町 東京君は浅草か あの子は神田のそだち風に通わすか ねごうはおなじ夢ほのかに胸に うかぶのは あの姿夕日に 染めた顔 あかねの雲を みつめてた風に通わすか 淡き夢の町 東京悩み忘れんと 貧しき人は唄いせまい露地裏に 夜風はすすり泣く小雨が道にそぼ降れば あの灯りうるみて なやましく あわれはいつか 雨にとけせまい露地裏も 淡き夢の町 東京
映画「青い山脈」の冒頭、町へ卵を売りに来た女学生寺沢新子が歌う曲ですね。
名曲、SP盤では3番の歌詞を省略して約3分にしてたんですね。SP盤のアップテンポぶりもそのせいだったのかなー???あのリズミックな古関節けっこう好きなんです。
「長崎の鐘」と同じ作詞サトウハチロウ、作曲戸関裕而によるもの。歌も素晴らしいが、銀座、浅草の風景が何とも懐かしい!
サトウハチロー、古関裕而です。
知り合いとカラオケ行きこの曲歌い年齢詐称を疑われました
この歌は二鶴の想いでメロディで初めて聴いたな 藤山一郎さんすげー これで六十前後の声かよ
これは昭和22年(1947年)のオリジナルではなくてその後のリメイクだと思いますが、何年のものかは私には分かりません。 『六十前後の声』ということは、昭和46年(1971年)前後の録音なのですね?(^_^)
この音源のLPレコードは1976年に買い求めたコロムビア・レコードで初めて聞きました。1973年発売と記されていたので当時御年62歳のレコーディングではなかろうかと思います。因みに平成年間に買った同じステレオ音源のCDは今も保有しております。この頃藤山一郎さんはまだ1年に複数回,主に懐メロのTV番組にも出演されていまして,はつらつたる歌声はまだ健在でした。
サトウハチロー・古関裕而・藤山一郎……
いっぺーにふぇーでーびる🙏
正しい教育
正しい言葉
正しい姿勢
正しい日本語
もうできない
呆れた現代には
ありがとうございます。
正しいとは?
時代は良くも悪くも常に変化しているのです。境目なんてない。流動的だからこそ研ぎ澄ませておかなければね。
古き良き時代の東京を、想像しますね。
となり、近所に住む👤🙅人々の営みをも思い浮かびます。
藤山一郎さんの、柔らかな歌声🎤🎼🎶🎵💿が心に沁みるイイ歌声です。
聞く🙅👱人を仄かにさせますね。❤😍🤩🥳💿🎤🎼🎶🎵
大好きです。❤🎉😊🥳😍🤩
何故、亡き父が藤山先生の曲をハーモニカで吹き唄ったか、良くわかりました。還暦を過ぎて昭和の激動期の名曲をしみじみ聴いてます。飾らず真っ直ぐ通る美声。戦後にどれだけの人がこの歌声に励まされたかがわかります。国民栄誉賞取るのは当然でしょう。昭和の偉人として藤山先生の生涯を学校で教えてもお かしくないなと。とにかく素晴らしい歌声に圧倒され涙ぐんでます。
今も残るその美しい歌声、綺麗に透き通る伸びやかな歌声、藤山一郎さんは日本を代表する歌手です。
藤山一郎さん。
柔らかい声で、いつもニコニコしていて
大好きでした。
修学旅行で長崎の原爆記念館見たあとに
長崎の鐘聴いたときは
涙が止まらなかったのを思い出しました
私も修学旅行で長崎原爆資料館を訪れました。そのあとの文化祭で長崎の鐘を歌うことを提案し、却下されると思っていましたが、みんな賛成してくれ私が指揮して合唱しました。懐かしい想い出です。
私は新潟県の山奥の村の出身です。年の離れた兄と姉が中学校を卒業後、東京の親戚の紹介で上京しました。お盆と正月に兄と姉が帰って来ました。自分もいつの日か東京へ行こうと強い憧れを抱きました。そして、高校を卒業後、東京で就職しました。しかし、一年で挫折して故郷の村へ帰り、土方をしていました。このまま一生を終わるのかと思っていました。大学へ行っていた友達と会った時に‘頑張って勉強して大学へ行け‘と励まされました。再度東京へ行きました。なんとか大学を卒業することができました。今は、千葉県に住んでいます。今も憧れの東京へ行くのが楽しみです。
ド方で働いている人も一生懸命です。すみません。
去りし当時の流行歌を聞けば、歌詞・場所・想い出があり、そして自分の若き日があった。
何だかこんないい曲を聴くと、涙が出てくるね。
この混沌とした時代でも、
清潔感が伝わる当時の写真、
日本に生まれ、日本人で良かったと思わせてくれる。
この歌は何回か聞いたけど、こうした歌は今はテレビでは聴く機会はなかなかない。
織井茂子さんの声に迫力が有りいつまでも君の名はとか懐かしく聴いてます!
底抜けのユートピア「花の東京」が哀愁を含んだ「淡き夢の街東京」になって、それでも夢や希望を見失うまいと皆が頑張っていた時代…どちらの曲も大好きです。
昭和は良かった。藤山一郎さん最高。素晴らしい人はもう出ない。
綺麗で立派な日本語の歌。
私が、未だ現役で或る会社に居たときのことです。
我が社のコーラス・グループを指導されて居られた藤山先生と廊下ですれ違いました。
その時、会釈されたのを今でも鮮明に覚えております。
私は呆然として後姿をじーと見つめて居ました。
我が青春時代の宝です。
先生、有難う御座いました。
私63歳藤山先生の素晴らしい歌唱🎉また前奏間奏詩どれをとっても卒のない素晴らしい唄🎙大好きな唄の一曲です❤昔の唄い手さん皆さん唄が上手い大好き❤です🎙
東京都歌にしたい未だ色褪せない名曲。
銀座のサラリーマン時代、会社の食堂でそそくさと昼飯を済ませ、聖路加までよく散歩した。往復45分位だったか。この歌を聴くと当時を思い出します。
此の当時の歌はその時代の風景を表しています心に胸を打つものが有ります。
8月は藤山一郎さんのうたが特にしみます こんな人もう二度と出ないのかも 聞いていると涙がでます
藤山一郎は歌を素直に歌うところが好きです。
これこそ、美しい日本語。鼻濁音が正確に発音されています。
この歌を主題歌とする映画を思い出します。海軍から生還してきた頃の自分は沁々とした気分になります。
『夢淡き東京』大好きです 浅草を拠点にする髙島四兄弟 東京大衆歌謡楽団 でこの歌を知りました
戦争で多くを失い 皆が生きるのに 精一杯な時代であっても、明日に確かな希望が持てる平和の訪れ。
戦後75年が経ち 閉塞感が漂う現代が失ってしまった 明るさと解放感をこの『夢淡き東京』は持ち合わせています。
この世の中いろんな事が目まぐるしくさわいでる。この歌を聴くと希望や季節の移り変わりに思いを馳せます。古いこういう歌は良いねぇ。
流行とかを越えて、どの世代の心にも響くオシャレな歌だとおもいます。
かなり古いが、なんというロマン多き歌、曲調。現代では求めても、無い夢か。
なんと、いい時代でしょう。
懐かしい歌です❗夢の街東京、大きくなり過ぎましたね❗小生又そこに戻る予定、東京の田舎ですが熱海より生活は便利かな~
名曲はいつまでも色褪せないなんて嘘じゃないか。こんなにも素敵で美しい曲があるのに僕と同年代の人はあまり知る人はいない。
これも古関裕而作曲による名曲。戦後の復興しゆく東京を歌ったロマン溢れる代表作だろう!
今の時代に、蘇るとは、誰も、想像すらしませんでした。スマホは偉大ですね。📶🆙
この音源は1973年にコロムビア・レコードから発売されたステレオLP「懐かしの歌声デラックス~丘を越えて・藤山一郎」全14曲中B面の1曲めで、私も高校時代の1976年に購入して愛聴していました(現在自分は60代前半)。私の敬愛する藤山一郎さんの歌の中でも特に好きな曲の1つです。
音域がかなり広いので自分で歌おうとするとちょっと難しいですが、気分の沈んだ時にも勇気を呼び覚ましてくれます。しかもこの曲を平成生まれの若い世代の中にも好きな方がいらっしゃるのは嬉しい限り。都心の夜明けにピッタリな歌です。
昔から好きで、よく聴きました。
素晴らしい曲ですね。
戦後の日本、藤山一郎さんの歌、みんなが夢を抱いていた頃が懐かしいです。
藤山一郎さん。ならぶ人なき大歌手です。同時代に生き、その唄を聴くことができて幸せでした。天国から日本の歌の世界を見守ってください。
変だと思われる事を承知で言うけど、この頃の映像を見ながら曲を聴くと何故だか暑い日にひとっ風呂浴びて清々しい気持ちになるのと似た様な感覚になる。
懐メロがすき、藤山一郎が好き、というと、何てベタなんだと思われそうだけど、でも、やっぱり、いいわ。
何故だろう、見たことがないはずなのにどこか懐かしい景色に見える
生まれる前の歌🎵ですが何故か元気になります。
カラオケ🎤😆🎵のレパートリーになってます🎵
藤山一郎の歌声が、今、こうして聴けるなんて、ありがたいです。
東京大衆歌謡楽団の演奏会で聞いてきました。素晴らしい歌唱力でした。蘇りましたよ、名曲が!
声楽を勉強したのがひしひしと伝わる爽やかに歌い上げてますよね🎵
美しい日本語も大切にしたいですね。
こんないい歌が有るのになんで家のお父さんやお母さんは聴かないんだろう、
NHKの朝ドラ、エールを観てから古関裕而さんのファンになり、昭和初期の歌謡曲が好きになりました。
正確な歌詞とても
言葉がありません
素晴らしい
現代の日本にはない懐かしさが感じられます
映像のなかに、④番のヘッドナンバーをつけた路面電車(都電)が映っています。国鉄(現JR) 目黒駅~都心の永代橋までの間を走っていました。これに乗って私は中・高校へ通いました。昭和30年代の懐かしい東京の映像です。
東京ラプソディと並んで大学時代最も聴いた曲です
今は東京を離れてしまいましたが、聴くたびに華の帝都を思い出して涙が止まりません。
素敵なお声ですね。年末乃紅白歌合戦には、必ずで☝️見えたと思います。素敵なお声、お姿、素敵ですね。貴重な映像ありがとう御座います。
理解できます!
東京の都心で生まれ育った私、この映像は懐かしさで胸がいっぱいになります!東京タワーの基礎工事さえ始まっていないこ
ころですね!
いたずらに
懐古趣味でなく
時代の流れ
均一に人達は生きている喜びが一つになっている
もっと早く生まれていたら、藤山一郎さんの若い頃の素晴らしい声が聞けたでしょう。
昭和22年だとまだまだ焼け跡だらけで戦争の痕が生々しく残っていた時期だし占領下でもあったから、「淡き夢」というのも意味深に思えてしまう
どん底の心を奮い立たせてくれる曲です。なにがあってもへこたれない、なにがあっても、やったろか!という覇気が起きます!
藤山いちろうわ日本の宝だ❤
この夢淡き東京の歌は戦後直ぐに出たと思います。映画もまだそんなに無い時に「緑の丘の赤い屋根♪の映画を見に行った時に最後にこのメロデイが流れました。昭和22年か、そのくらいの時期でした。メロデイだけは覚えていましたので、最近その曲がこの歌だった事を知り懐かしさで一杯になりました。
道路が広い広い!戦前のパルピンみたい。空気も澄み切っている。
師匠・藤山一郎先生の歌唱を懐かしく拝聴させて戴きました。ありがとうございました。チヤンネル登録させて戴きました。
岬 英二 さん
藤山一郎さんのお弟子さんなんですか?
エールを見て、藤山一郎さんを知り、とても好きになりました。聞いていて気持ちがいい歌声で大好きです。
エール毎日三回みてました!自分の知らない歌も聴けて最高デシタ,!
今のバリバリのEDMの曲よりもこっちの方が好きです。 by平成11年生まれ
分かります。by平成19年生まれ(2007 13です笑)
同じく by平成8年生まれ
(同じ平成なのに私だけ年いってて草)
@@あみ-r5b9g 草
わいも平成17年生まれや!
平成元年、中学生だった俺は爺さんの部屋のレコードでこれ聞いてハマってしまった。
藤山さんの唄は流石、聞いてて心が落ち着きます。また、ボンネットバス、今はないトロリーバス、都電(愛称は一球さん)どれを見ても懐かしい景色で唄と合っているところがスバラシイです。
昔は家にも電蓄があり青い背広でとか聞いていましたそして高校生になった頃普通のプレーヤーで聞ける藤山一郎のレコード買って聴いていました、紅白も最後に出てくる東海林太郎とかいわゆる懐メロが目当てで見ていた割に変わった子供でした(笑)特に藤山一郎さんは大好きですのでUP有り難うございます
ありがとうございます。
素晴らしい曲・素晴らしい写真の数々ですが……
少し残念なことに、これは昭和22年のオリジナルではなくてその後の再録音ですね。何年の録音か書いてほしいです。僕は何年の録音か分かりませんので……。
「昭和の写真」ということですが、昭和6年の写真も昭和42年くらいの写真も出てきますね。幅が広すぎますね。
大変残念なことに、2:51の浅草松屋の写真は白黒写真ではありますが、平成14年にできた『みずほ銀行 』の看板が写ってますね。
サトウハチロー 古関裕而、最高のコンビです。トウキョウが江戸とつながっていたころ。
この曲いい曲ですよね!カラオケでよく歌う中に入ってます。
古関先生は本当の天才だと思いますね。オリンピックも古関先生作曲の行進曲で良いと思う。
私はモーツァルトに通ずるところがあると思います。
柳青める日 ツバメが銀座に飛ぶ日 誰を待つ心 (いきなり)淡き夢のまち東京
この歌を私は子供のころから知っていた。
今、83歳の父が口ずさんでいた。
どのような時だったかわからないが、父はいくつかの歌を教えてくれた。散歩に行ったときだっただろうか。家の中で歌っていたような記憶はない。道や公園で聞いたような気がする。
夏が来れば思い出す、とか、卯の花の匂う垣根にほととぎすはやもなきにて、とか。
小学校の3年生か4年生か。そのころ聞いても夏が来れば思い出す、よりも卯の花の匂う垣根に、のほうが文語体(という言葉はその頃知らなかったが)でかっこいいな、などと感じたことを思い出す。
冒頭の歌は今調べると昭和22年の歌のようだ。
父は中国からの引き揚げ組で、今話を聞くと信じられないような貧しい暮らしだったようだ。ラジオもあったかどうだかわからない。
しかし、当時の流行歌を覚えているのである。不思議な気がする。
私はこの歌の詩を長い間、つばめがギンラリ飛ぶ日、と間違って覚えていた。
歌の調子からなんとなく終戦前後の歌だ、とは思っていたので映像で見おぼえた戦闘機、爆撃機のようにつばめが白い腹を見せて旋回する、その腹が銀色に見えるのだろうか、などとも想像していた。
それはそれでよい誤解だと思う。間違って覚えたわたしだけが持っている詩情なのだ。
昔の歌はいい歌が多いですね🎤
名曲ですね・・今J-POOPということで、日本の古い大衆歌謡が外国人に受けています。
素晴らしい高音の響き有り難うございます
良いですね僕も よくカラオケ喫茶で歌います。おじいちゃん おばあちゃんくらいの年代のほかのお客さんたちにも受けがいいです。
「夢淡き東京」、藤山一郎が歌うために、ある曲です。
やっぱり藤山一郎さんには古関裕而さんが合っていますね。確かご本人も言っていたと思います。
戦後の暗い時代に、この歌で、心が癒されました。70年ぶりに聴けるなんて?
とても素敵な名曲ですね。
オレが生まれた頃の日本人が一生懸命背伸びをしてる歌だよね?藤山一郎さんも天国でこの歌を唄い続けているのかな?
青い山脈で新子が歌っていた歌がやっとわかった!
ありがとう!
この歌のせいで?この前、東京にいったとき、聖路加病院の前までいきました。いったい、わたしは、何をしてるんでしょう。
わかる わかる 私も行った
思い出作りと話のネタ作りに良かったと思います❣️このコメントを見て私も行きたくなりました。
写真で地下鉄の出口が写っていますが、これは昔は尾張町、今の銀座四丁目駅ですね。よく使っていた駅です。
お笑い コメント で
吹きました❗❗✨wwwww 😂
確かに、“ ハロー効果 ” って
そういうもんですよ。
森 進一 が 襟裳岬 を 歌ったら
襟裳岬 に 行きたく成るし、
小柳 ルミ子 が 瀬戸の花嫁 を
歌ったら、瀬戸に行きたく
成るし。
私も行きました! この歌の感じではもうなかったですが。。。。(笑)
昔の歌手は、とても爽やかに唄っていましたね。今は、変な、こぶしなんか付けて唄っている方がいるけど………
父の時代の歌ですが懐かしい。そうそうたるメンバーが作った歌です。
子供のころよく聴いたメロディーです。懐かしさでいっぱいです。
♪誰を待つ心・♪ と歌う所が特に好きです
とてもさわやかな気持ちになりました!
作詞:サトウハチロー、作曲:古関裕而、唄:藤山一郎
1 柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日
誰を待つ心 可愛いガラス窓
かすむは春の青空か あの屋根は
かがやく聖路加(せいろか)か
はるかに朝の虹も出た
誰を待つ心 淡き夢の町 東京
2 橋にもたれつつ 二人は何を語る
川の流れにも 嘆きをすてたまえ
なつかし岸に聞こえ来る あの音は
むかしの三味(しゃみ)の音か
遠くに踊る影ひとつ
川の流れさえ 淡き夢の町 東京
3 君は浅草か あの娘(こ)は神田の育ち
風に通わすか 願うは同じ夢
ほのかに胸に浮かぶのは あの姿
夕日に染めた顔
茜の雲を見つめてた
風に通わすか 淡き夢の街 東京
4 悩み忘れんと 貧しき人は唄い
せまい露路裏に 夜風はすすり泣く
小雨が道にそぼ降れば あの灯り
うるみてなやましく
あわれはいつか雨にとけ
せまい露路裏も 淡き夢の町 東京
Makoto S
特に4番が好きです。
やはり、良いなあ❤️かなりの数唄っていますが、自分の十八番は此の曲です❗️
カラオケにて、披露し続けています🙇丘は花盛りや懐かしのボレロも好きです💖
あと、名曲の長崎の鐘も良くリクエストされて歌唱しています🎵
只、満足に唄えません🙇皆さんは良いとおっしゃるけど、今一合点がいかない‼️
唄いこんではいるが、非常に高難度です❗️点数は余り気にしないで、心の満足を追及して、前進して行きます🎵宜しくお願い致します🙇
長々と失礼致しました💦
シーガル
単なる自慢話ですね?
こう言うヒトの歌は、間違いなく下手くそ。
自分一人上手いと勘違いしているアホが大多数!
@@NK-li1no
罵倒は恥晒しですよ。人間性が疑われますよ💦皆さん楽しいコメント頂いていますよ~✌️
ありがとうございます😊
頑張ります❤
いいですね!この景色を実際に見てみたかったです。
この曲今日知ったばかりなのですが最後の♪淡き夢の街東京~♪のところなんとなく好きです。
大変な難曲で、途中の転調で分からなくなって転調しきれないこともある。当然キーは相当高い。
浅草六区古写真より。2:31 劇場幟に片岡千恵蔵主演「快侠金忠輔」(前後編・昭和6年5~6月封切)、ゲイリー・クーパー主演「戦場よさらば」(昭和7年?封切)から、おそらく1932年夏の風景。5.15事件の前後か。3:08 松竹座幟に田中絹代・上原謙共演「我が母の書」(昭和11年12月封切)が見えるので、おそらく同年暮れの雑踏風景。
作詞のサトウハチロー氏は父の紅緑が舞台女優と同棲の後に離婚したことで反発し、放蕩かつハチャメチャな生活でしたが叙情的な作詞は素晴らしく童謡の詩作はメルヘンな世界で、一方「長崎の鐘」という永遠の名曲を作詞した方ですが「夢淡き東京」の歌詞にある「輝く聖路加」で昭和48年に聖路加国際病院で亡くなったというのも何かの因縁でしょうか?
この歌声、この風景を軍国主義時代の徒花と言う人もいるけれど、確かにそういう側面はある一方で、この時代の人々は今よりも純朴でひたむきで他人に優しい気持ちを抱いて日常生活を送っていたのではないだろうか。澄んだ歌声を聴きながらこの時代を生きた人々のしたたかなバランス感覚を信じたいと思う。
この曲は戦後。東京復興2年目の曲ですよ。
2:51 東武浅草駅前の写真は最近ですね。😄
みずほ銀行、信号機のデザイン。。。
このビルは東京の何処なのかと思っていましたが、浅草の吾妻橋近くでしたか。ありがとうございました。
夢みるって幸せ!ルックフォースター⭐️
柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日
誰を待つ心 可愛いガラス窓
かすむは春の青空か あの屋根は
かがやく 聖路加か
はるかに 朝の虹も出た
誰を待つ心 淡き夢の町 東京
橋にもたれつつ 二人は何を語る
川の流れにも 嘆きをすてたまえ
なつかし岸に 聞こえ来る あの音は
むかしの 三味の音か 遠くに踊る 影ひとつ
川の流れさえ 淡き夢の町 東京
君は浅草か あの子は神田のそだち
風に通わすか ねごうはおなじ夢
ほのかに胸に うかぶのは あの姿
夕日に 染めた顔 あかねの雲を みつめてた
風に通わすか 淡き夢の町 東京
悩み忘れんと 貧しき人は唄い
せまい露地裏に 夜風はすすり泣く
小雨が道にそぼ降れば あの灯り
うるみて なやましく あわれはいつか 雨にとけ
せまい露地裏も 淡き夢の町 東京
映画「青い山脈」の冒頭、町へ卵を売りに来た女学生寺沢新子が歌う曲ですね。
名曲、SP盤では3番の歌詞を省略して約3分にしてたんですね。
SP盤のアップテンポぶりもそのせいだったのかなー???
あのリズミックな古関節けっこう好きなんです。
「長崎の鐘」と同じ作詞サトウハチロウ、作曲戸関裕而によるもの。歌も素晴らしいが、銀座、浅草の風景が何とも懐かしい!
サトウハチロー、古関裕而です。
知り合いとカラオケ行きこの曲歌い年齢詐称を疑われました
この歌は二鶴の想いでメロディで初めて聴いたな 藤山一郎さんすげー これで六十前後の声かよ
これは昭和22年(1947年)のオリジナルではなくてその後のリメイクだと思いますが、何年のものかは私には分かりません。
『六十前後の声』ということは、昭和46年(1971年)前後の録音なのですね?(^_^)
この音源のLPレコードは1976年に買い求めたコロムビア・レコードで初めて聞きました。1973年発売と記されていたので当時御年62歳のレコーディングではなかろうかと思います。因みに平成年間に買った同じステレオ音源のCDは今も保有しております。
この頃藤山一郎さんはまだ1年に複数回,主に懐メロのTV番組にも出演されていまして,はつらつたる歌声はまだ健在でした。
サトウハチロー・古関裕而・藤山一郎……
いっぺーにふぇーでーびる🙏