【東京大空襲】第二次世界大戦の実体験を語る【疎開】
HTML-код
- Опубликовано: 11 авг 2022
- ★チャンネル登録はこちらから★
/ @tetsuko_tv
こんにちは、黒柳徹子です。
終戦から77年が経ちます。
当時、私は子どもでしたが、あの夜に見た空の色は、今でも覚えています。
どんなことがあっても戦争には、反対しなくてはいけません。
戦争で私が体験したことをお話したいと思います。
どうぞ、ご覧ください。
#黒柳徹子 #戦争 #終戦 #田川啓二 #TOTTO
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
【公式Instagram】
/ tetsukokuroyanagi
【公式ホームページ】
totto-chan.jp
【公式オンラインショップ】
totto-chan.shop - Развлечения
98歳まで生きた祖父が兵隊として海外に行った話を生前聞きました。
病気が流行り仲間が倒れていったり、手術も麻酔などなく自分達で体を開いて手術したとか…
話を聞いて1番辛かったのは、祖父がたまたま怪我をし、荷物を運ぶ裏方に回った時のこと。
そのおかげで命が助かり戻ってきましたが、、
部隊は上官の命令で湖を潜りながら出陣し、祖父は後ろの山に隠れ見ていた所、敵に火をつけられ、出陣した仲間全員が目の前で焼け死んだと言っていました。
祖父が90代前半の頃、私が療養の為、2人で半年暮らしましたが、
夜中には戦争の時の夢を見たとよくうなされたり泣いていたり、叫んで飛び起きたりしていました。
家族の前では、明るく頼もしい祖父でしたが、辛いトラウマはずっと残り続けていました。
戦争から帰っても、家族は亡くなっていたり、戻る場所はなかったといいます。祖母と出会うまで、生きる為1人で家を作り、がむしゃらに働き、辛かったと言っていました。
絶対、戦争を繰り返してはいけない。
こんな思いは誰にもして欲しくないと言っていました。
一日も早く、戦争のない平和な日々になってほしいです。
おじい様は多分PTSDだったのでしょうね。そんなに怖い思いしてらしたのでしたから。
勇ましい話とか、闘う覚悟が出来てるって方に聞いてもらいたいです。勇ましい言葉の裏で、実際戦った方の長年の苦しみを。。
シベリア抑留から生還した私の祖父もいつもうなされていました。沢山の仲間も勿論亡くなりましたが、沢山の人達に手を掛けたことも悔やんでいました。自分は鬼だったという手紙を見た時は涙が止まらなかったです。
母から 「父ちゃんも40歳近いのに兵隊に取られて台湾ヘ出征した。」と後になって聞きました。年齢のせいで隊長になってしまいましたが、決して部下には「天皇陛下の為に潔く散れ!」と言わないで「死ぬな!」と命令していたと聞きました。そのせいか、祖父がいた部隊はあまり死ぬ人がいなかったと聞きました。
祖父は、私が物心付く頃から脳溢血で寝たきりで、中2の頃に亡くなり、この世を去って30年くらいになりますが、精神的に追い詰められる戦場で部下に「死ぬな!」と命令した祖父はすごいと思いました。
19歳で終戦を迎えた祖母が
8月19日夕刻、永眠しました。
昨日お通夜、今日告別式です。
青春時代とすぐ上の兄と3人の妹を
戦争に奪われ、辛い過去にトラウマで
戦争の話を聞いてもなかなか答えてはくれませんでしたが、3月9日前後とお盆になると兄弟や身内が集まった時に、ポロポロと皆で話し始め、小さい頃から少しづつ聞き貯めてた話が
歳を追うごとにパズルのピースが合わさるかの如く、話が繋がっていくのですがまだまだ、聞き足りない話もあるけれど、祖母が亡くなりもう話を繋げる作業、聞く事は叶いません…
昨朝祖母の体を浄める時に両足を
拭く際、足の甲の外側を見て、この火傷痕は話に聞いた、東京大空襲の時に電柱から溶け出した、コールタールを踏んだり触って出来た火傷が、未だに残っていたんだと知りました。
右足の小指と薬指は皮膚同士くっついて繋がった状態なのを、今の今まで全く気付きませんでした…
思い返せばいつも靴下履いてて
素足を見た事なかったんです。
あの苦境と我慢とを時代に生きた人達が、日々の生活と命を守り必死に生き抜き、後世の安寧を願って惜しみない努力して、今の平和がある事にただただ感謝です。
徹子さん貴重なお話、私にとって絶妙なタイミングで触れられた事、感謝します✨
祖母が戦争では何も解決しない。
戦争は憎しみと不幸と悲しみしか
もたらさないのだから絶対に戦争と
人を殺める事だけは人間として
してはならない行為だという言葉
今一度、全世界が真剣に考えて
行動する時ではないでしょうか…
@user-vo7ih9fu9p 貴重なお話をありがとうございました。
@@himatstosh6236
長文読んで頂き恐縮ですm(_ _)m
今日は丁度祖母の一周忌。
先日お盆中に一周忌法要を早めに
行いお墓に行って参りました。
改めて平和の一助を担える様
子供達と一緒に約束して来ました。
早くウクライナとロシアの争いが
収束する事を願ってやみません。
戦争当時の貴重なお話を聴かせて頂きありがとうございます。
私の現在97歳の祖母は終戦当時20歳でした。数年前の終戦の日に、おばあちゃんは終戦の日何してた?と、何気なく聞いたら、防空壕掘ってたと言われました。
今日終戦を迎えるなんて思いもせず、身を守るための防空壕を掘っていた20歳。
自分が20歳の時、成人式の衣装選びとか友達と遊ぶ事、飲みに行くこと、そんなことばかり考えていました。
祖母の話を聞いて衝撃的でした。
今の暮らしは本当に当たり前ではないのですね。
戦争なんて絶対にしたくない
本当にお願いします世界から戦争がなくなりますように
戦いがなくなりますように
本当にお願いします
泣いてしまいました。2020年12月22日に86歳で亡くなった母を思い出しました。母は1歳で父親を結核で、11歳で母親と祖母を空襲で失いました。戦争の話はよく泣きながら話していました。父母も母の友達も皆、亡くなってしまい、あまり普段聞かなくなりました…
あなたが語り継いで下さいm(_ _)m
泣いたんだね
悲しいね… 皆んな苦労したんだね (。ŏ﹏ŏ) 駄目だよね、戦争なんかしたら
長野県の母の実家のおじさんが、恐ろしいことを言っていました。「戦争の記憶の無い人たちが増えたら、また戦争が起きる」当たってるような気がします。
今の政治家は戦争を知らない世代、そして金儲けが出来ればいいと思ってる節が…
お母様、とてもご苦労されたのですね😢
86年の長い間、一生懸命生き抜かれて、優秀な成績で卒業されましたね👍
優しい娘さんは神様からのプレゼントですね❣️
小学生の頃に亡くなった私のおじいちゃんは戦争に行き帰ってきた1人でした。私が当時の話を聞いても、戦争の話はきかせてくれることはなく頭を撫でてニコニコしながら、この時代に産まれてくれてよかったと言われた事は覚えてます。
きっと小さな子供に聞かせられるような話ではなかったんだなと今は思います。
東京大空襲、焼夷弾、防空壕。お父様の出征、愛犬ロッキーの行方不明、知らない土地への疎開。辛く悲しい戦争のお話だけど、こんなことが本当にあったってことを、体験してない世代がちゃんと聞いて、戦争は恐ろしい、二度とあってはならないって思うのは、本当に大事なことですね。ありがとうございました。
母親も戦争中に疎開をし、いじめられたりと辛い経験をしたようです。自分からは話してはくれないし、私も思い出させては可哀想だと思い聞けずにいます。
徹子さんの貴重なお話しありがとうございます。一人でも多くの人が戦争反対の気持ちをもって争いが無くなる世界になってほしいです。
何で大変な時にいじめとかやるんだろね?
僕は深川の空襲の生き残りです。強制疎開で学校の全員新潟県に上野から送られて行きましたが,僕の家は,それに参加せず千葉県の柏に遠縁を当てに疎開しました。そのおかげで東京の空が3日ぐらい明るくなっているのを見ています。米軍はアリゾナかどこかに深川の木場をモデルにした街を作り,焼夷弾投下の訓練をしたそうです。東京の季節風,大規模な火災による酸欠状態など研究しB29は毎日のようにサイパンからやってきました。深川に残った父親が数日後、すすで真っ黒になって柏にたどり着きました。父母は関東大震災の経験者だったので意外に冷静でした。疎開前に僕の国民学校は1500人ぐらいの生徒でしたが,戦後、昭和21年には100人ぐらいの生徒がもどってきましたが、廃校になりました。同じ敗戦国でも,ドイツでは最期の頃でも一人500カロリーの配給があったそうですが日本では300カロリーがギリギリでそれも実現しませんでした。千葉からの電車が動き始めたので焼け跡を見る為に父に連れいってもらい,錦糸町の駅に降りた時に,駅前の映画館が
憲兵隊司令部になり,あちこちに銃装備の憲兵がいるのに驚きました。まだ街のあちこちに放置されている焼死体の処理が終わっていませんでした。大学に入り国際法を学び,米国の国際法違反の数々を知り,米軍の占領を経験したので現在の戦争論には複雑な思いです。
心に残った言葉が
"真夜中なのに本が読めるくらい空が明るかった"という例えがわかりやすかったです。
私も戦争反対です。紛争も。内戦も。何も得しない。誰も幸せにならない。言い出しっぺの人だけいい思いするんです。
戦争は意味ないもん。
妹さんが白米見てこれなぁに?ってお話を聞いて鳥肌がたちました…
白米を知らない小さな子がたくさんいたなんて考えもしませんでした…
昔は麦飯のが主流でしたね
おばあが(93)が学級のほとんどが、色んな物が混じった弁当を持ってきてたと言います。白米は修学旅行の時とかちょっとした特別な日の贅沢だったようです。
悲しいけど避けてはいけない戦争のお話を徹子さんから聞くことができた貴重な時間でした。
私は子供の頃祖母から戦争の話を聞いて育ちました。祖父は父が2歳の時戦争に行きフィリピンで亡くなりました。祖母は祖父が戦地から送ってきた手紙を大事に箪笥にしまっており、祖母が亡くなってから遺品整理でその手紙が出てきて、家族で全て読み、みんな大きな悲しみと恐ろしさに包まれ、祖母のその当時の暮らし、祖父がいなくなってからのことなどを考え涙が止まらなかったことを思い出します。
改めて平和であることのありがたみ、私たち人類が守っていくべきことを再確認しました。ありがとうございました。
戦前で自動車持っててシェパード飼っててお手伝いさんもいたって相当な金持ちの家だったんだろうなぁ。
どうりで上品な話し方するわけだ。
しかしそんな上流家庭でも常に腹減ってたというんだから日本全体が本当に飢えていたんだなと思う。
久しぶりにこの動画を観ました。
徹子さんよりも五歳くらい年上の両親は生前、戦時中の話はしてくれませんでした。
貧しい農村で空襲はないところで、父は小学校を出たあと軍馬で働き、母はガラス工場へ勤労奉仕をしたことと、母が毎朝薙刀の訓練をしてから働きに行ってたことだけは知っています。
母方の伯父が24歳で海軍で戦死しました。伯父の写真がとてもハンサムでした。彼は結婚してから出征。未亡人になった奥さんは伯父の弟と再婚しました。再婚する時、随分悩んだけど実家には帰れないから申し込みを受け入れたと最後に会った時、話してくれました。
徹子さんみたいに都会での体験談はとても貴重です。昔の話をもっともっと教えてください。
余談ですが亡き母はいつもキャンディを持ち歩いていました。
理由は「さらわれた時のため。お腹がすいたら困るから」だそうです(笑)
おばあちゃんの母がさらわれるはずがないのにと思ってたら『徹子の部屋』のゲストの方に同じことを仰った方が何人もいて、母だけじゃなかったんだと思いました。
徹子さんのキャンディも同じ理由からですか?😅
私の亡くなった祖母は兵庫県の赤穂に住んでましたが、戦争のせいで祖母以外の家族や親戚全て亡くなって、若くにして一人で生きていかないといけなくなったと、聞いたことがあります。
戦争なんてしてもいいことなんて一つもないので、戦争しないでほしいし、戦争早く終わってほしいですね。
1人のわがままで戦争しないでほしいですね…
母方の祖父が東京大空襲を経験した。普段はニコニコして話し始めると何時間でも話す人だったが、戦争の話は一切しないまま亡くなった。こうして恐怖体験を話してくれる方々に感謝。
辛く貴重なお話をありがとうございました。
戦争を経験した親族は亡くなるまで話すことがなかったのは、辛くて語ることができなかったのだと思います。今、生きていること、平和に暮らせていることに感謝です。
徹子さん 貴重なお話しありがとうございました。もっともっと若い方々にも戦時中のお話を聞いて欲しいですね。世界にも日本にも平和を願っています。
祖父母が、徹子さんと同年代です。幼い頃、祖父の足に戦地で鉄砲で撃たれた跡を見せてもらった事をふと思い出しました。
たくさんの方の犠牲があって、今私は平和に暮らせている事を忘れてはいけないと思いました。辛い体験をお話し頂いて本当にありがとうございます。
私の祖母は、去年89歳で亡くなりましたが戦争の悲惨さを生前語ってくれました。東京に住んでいましたが、疎開で宮城の方に途中から避難してました。
疎開先でまだ小さかった祖母は、機銃掃射で敵機に撃たれそうになった事があり、祖母がそこで撃たれていたら今の自分は居なかったのだと思うと…懸命に生き抜いてくれて有難うの気持ちでいっぱいになりました。
徹子さんの貴重なお話を聞けて、祖母から聞いた事を思い出し、戦争は絶対にしてはいけないと改めて思いました。
徹子さん、これからもお元気で長生きして下さいね*°
本内容ですが、ぜひ英語化して世界中に発信頂きたいです。
黒柳さんのような世界的な著名人の方が第二次世界大戦の悲惨な体験を改めて世界に語られることは、効果的で影響力があるのではないかと思いました。
戦争が恐ろしいです。
戦争を経験した人々がいなくなった時が一番危ないと言われていたのを思い出しました。
人間は同じ過ちを繰り返す愚かな生きモノだとつくづく感じます。
黒柳さんには、貴重な体験談を語って頂きありがとうございました。
貴重なお話をありがとうございました。
戦争体験者がどんどんいなくなっている今、ぜひこれからも語り継いでください。
語り継ぐ人がいなくなったとき同じことが繰り返されるのではないかと恐怖を感じます。
こうやって聞いたことをまた私達が語り継いでいくことがとても大切なことなんだと感じています。
戦争を知らない私たちにとって子供の頃に戦争を経験した徹子さんの言葉はとても重く深く心に残りました。この動画は今の若い人たちや戦争を知らない人たちに見てほしい貴重な動画だと思います。思い出すのも辛い経験だったと思いますがこうやってお話してくださってありがとうございます。
涙が出ました。祖父が長崎で祖母が広島出身だったのでよく戦争の話をしてくれていたのを思い出します。小さな兄弟を抱えて空襲から逃げていた話や、食べ物がなかった時代もあるから食べ物の大切さを教えてくれたこと、食べ物がある幸せについてよく話してくれていました。私には美味しいものを食べさせたいと祖父母の家に行くといつもチョコレートくれていたことを思い出しました😢
戦争体験者の生の声も減ってきています。貴重なお話をありがとうございます。
あと、徹子さんが途中歌われていた隣組。私は20代ですが、認知症の病院で働いていた時によく80代のお婆様と歌っていました。日常のことを思い出せない方も音楽は覚えていらっしゃって感動したのを覚えています。
とんとん とんからりと 隣組
格子を開ければ 顔なじみ
廻して頂戴 回覧板
知らせられたり 知らせたり
当時の生活は貧しかったかもしれないですが、人と人とが助け合って暮らされていた
繋がりの濃い
昔の日本の風景が目に浮かびます。
私はこの曲が大好きです。
戦争を経験してきた方々の体験談を聞けるうちに、世の中が平和になることを願っています。人間が勝手に始めた事に生き物全てが巻き込まれてしまう…戦争は想像以上に愚かで悲しく辛い事だと思います。そして窓際のトットちゃんの最後のページをいつも思い出します。
小学生の頃、祖父母の戦争体験の話を聞いていたけど、この動画を見て、断片的にしか思い出せない事に気付きました。
祖父母に話してもらえるうちに、もう一度しっかりと聴いて後世に伝えられるようにしなくてはいけないな。と思いました。
お二人から、貴重なお話を伺う事が出来て、改めて、平和の尊さを実感しました。
戦争に、『正義』というものも、ありえない!どんな理由があろうとも、
戦争を起こしてはいけないし、させないように出来るのも人間なんだと思います。
私は正しい。争いの根はここにある。
という格言があります。
「隣の国が責めてくる」「戦争を防ぐため」というのが一番多い口実になる。
今、ゲストを呼んで戦争の話しをしてもらう番組は徹子の部屋だけですね。この前の特集も見ました。
淡谷のり子さん、長谷川一夫さんの話し涙が出ました🥲
徹子さんの思いがとても伝わります。
私も今、ユニセフの推奨している"戦争から生きのびて"と言う本を読んでいますが、
いい人もいい人でいられなくなる
とても辛いことです。
ご自分と家族を守るためにそうしなければいけなかったことが
とても辛いです。
私は若くはありませんが
戦争知らない世代です。
こう言う機会を持ってみんなに伝えていこうとする徹子さんの行動は本当に素晴らしいとおもいます。
シェパードもかわいそうでしたね😔
戦争を実際に体験した方々が少なくなってきた中、本当に貴重な体験談をありがとうございました。私の祖父母は戦争についてあまり語ろうとはしませんでした。それは、あまりに辛い経験だったからなのだと理解しています。徹子さんのように真剣に戦争を語り伝えてくださる方がいらっしゃるのは大事なことだと思います。徹子の部屋での毒蝮さんとのお話もそうでしたが、私の想像を絶する体験談で、戦争の痛みを忘れてはいけないと思いました。いつもの気まぐれTVの徹子さんとはご様子が違っていたところからも、戦争反対についての強い思いを感じました。今日は平和を祈って寝ようと思います。ありがとうございました。
体験された黒柳さん、しっかり話を継いでる田川さん。お二人の話が実にさっきのことのように感じました。大豆も15粒だけで1日を越えなければいけないのが何日も続くのは想像がつきません…
この映像はとても価値があり、次世代にも視聴してもらいたいですね。
ありがとうございます。
両親は戦争体験者です。
樺太で小さかったのですが、色々な事をまだ覚えているのですね・・。
良く、戦争中の体験を私に話してくれてました。
絶対に戦争だけは逃れたいです。こんな不幸なことはありませんから。
子供の頃に「窓際のトットちゃん」を読みました。もうほとんど忘れているけど、すごく印象に残っていて記憶しているのがトモエ学園が空襲で焼け落ちる光景を見ながら小林先生が「おい、今度はどんな学校を作ろうか?」って息子さんに語ったというシーンです。
お話ありがとうございます。亡き母は大正15年産まれ。おしゃべりで陽気な母ですが、戦争時の体験だけは話そうとはしませんでした。思い出したくもない出来事があったのかもしれません。私も聞かないようにしてました。ただ、いつも言ってたのは自由って素晴らしいのよという言葉。平和って素晴らしいんだよと・・・この言葉だけはずっと耳に残っています。
来年101歳になる祖父からも戦時中のいろんな話を小さい頃に聞きました。いろいろ辛い思いをしながらも強く生きていた祖父、祖母をほんとに誇りに思っています。祖父、祖母の体験を自分の子供、孫へと話して絶対にしてはならない戦争への思いを繋いでいきたいです。
徹子さんの戦争体験はトットちゃんとソウくんの戦争という本で知りました。田原聡一朗さんと徹子さんの子ども時代の戦争体験を細やかに書かれていて忘れられない思い出なんだと思いました。本当に正しい戦争なんてないんだとお二人の意見が同じで心に残りました。
感情や概念を一切入れず、事実と実体験のみを語る戦争の話しは貴重ですね。ニュアンスなども伝わりやすく翻訳した流暢な英語の字幕を付けたバージョンも作成してみてはいかがでしょうか。多くの人々に聴いてほしい、伝えていきたい事実です。
凄く貴重なお話をありがとうございました。今年の3月16日に亡くなった私の曾お祖父さんも戦争を経験されていたけれど、あまり戦争の話はしてくれませんでした。私の記憶にある中で1度だけ戦争の話を聞かせてくれた事がありました。その時自分は6歳とかでまだ全然戦争なんてのはわからなかったけれど、いつもは無表情で無口な曾お祖父さんが悲しそうな苦しそうな顔をしながら話をしてくれた事を思い出しました。あまり思い出したくない記憶だと思うのにお話してくださって本当にありがたいです。戦争を経験私たちはお話でしか知ることが出来れないけれどお話を聞いているだけでも恐ろしいなと思ってしまいました。本当に戦争というものはしてはいけないんだと改めて感じることが出来ました。
24歳です。徹子さんの貴重なお話を聞けて光栄でした。
うちの祖母から聞いたような話もあってロッキー君の話は特に胸が苦しくなりました。
この日本の平和というのがこれからも続くように、そして世界で今現在行われている争いが無くなるといいなって、自分に出来ることは微力でも願うことしかできなくても平和に生きていたいなって強く思いました。
徹子さん、貴重なお話をありがとうございます。このお話が今の若い世代の子達に届いてほしい限りです。かく言う私もまだ10代です。
毎日ご飯が食べられて、青い空を見て、普通に眠れるということは奇跡に近いものだと最近特に肌で感じます。
ここ最近の世界情勢、国の防衛へ向けた変化。素人でも分かるくらい緊迫しているのが伝わり、不安な日々を過ごしております。
うちの97歳の祖母も戦争経験者です。
2月24日から始まってしまった戦争を心底悲しそうにしておりました。
「どうしてこうなっちゃったんだろうね」と言っておりました。話した文は少ないのにとても悲しそうで。
祖母から戦争の話を一度も聞いたことがありません。話したがらないだろうし、きっと悲しい思いをさせてしまうので聞こうにも聞けません。
こうしてRUclipsでお話しして下さると戦争の知識もつきますし、戦争が与えた人々への傷を少しでも感じることができると思います。
私の知らない日本を教えて下さってありがとうございます。
戦争反対です。争いは何も生みません。
お話の内容は言うまでもなく、お二方の傾聴の姿勢に深く感銘を受けました。
自己アピールばかりで、他者の表情も見なければ気持ちも汲まない今の日本人が学ぶべきところですよね。
勉強になりますm(_ _)m
徹子さんが、大好きです♪この動画を見ることができて本当によかった。
戦争のことが、子供の気持ちの徹子さんの言葉が、胸に突き刺さりました。
戦争🪖は、絶対嫌だと思います。しかし、今のコロナ騒動で、コロナで亡くなるのでなく、ワクチンでなっている現実に、空恐ろしさを感じております。
ウチの両親も戦争を経験したのは小学生の時でした。小さい頃、この時期になると夕食時、父はお酒を飲んで酔うと戦争の話をしてくれました。
当時は「また始まった」「その話何回も聞いた」と思っていましたが、今になっては貴重な話でしたね。
黒柳さんで忘れられないのは淡谷のり子さんとの対談ですね。二人が芸能について話していた時に話がふと戦争時代の話になり、「それでねこんな事があったのよ」と淡谷さんが語った内容は次の通り。
戦争末期、淡谷さんが27か8の頃、日本中の基地に行って歌を歌っていたらしい。兵士は18歳から25歳くらいで少し大きい教室のような場所で淡谷さんは敵国の歌もお構いなしに歌うのだけれど、横で立ってる上官はだいたい聞いてないふりをしてくれてたそうだ。すると、若い兵が5人、スッと立ち上がって笑顔で敬礼すると部屋を出て行った。いつまで経っても帰ってこないので「トイレに行ったあの子達帰って来ないわね」と言うと、あれは特攻隊員であり命令が出ていて時間が来たので行った と聞かされる。泣くわけにもいかず歌は歌い続けたが涙は止まらなかった。自分は毎日のように歌ってるがあの子たちにとって生涯で最後に聞いた歌は自分の歌であった、と言う話。
俺がテレビで知っている淡谷のり子は、歌はそうじゃないの と言って生放送でもダメだしするオッカねえ婆さんというイメージだったが、一回一回の歌を大事にしろというあの厳しさは、生まれた年代もあるのだろうがこの時の経験もあるのかなと。
もう30年くらい前の対談番組なんだけど、忘れられないですね、よく覚えています。
お話をお聞きし感動しました。
私自身まだ学生ですが、戦争を語り継ぐこと、風化させることがあってはないよう、自分に出来ることを精一杯つとめ、後世に平和が継承できるようにしていきたいと感じました。
戦後生まれの私達は、戦争経験者の苦しみや悲しみ、想いを想像し、生きる必要がある。
徹子さんの話は子供の頃の「つい、この間の話」。油断すれば、同じことはまた起きる。8月9日は徹子さんの誕生日。平和構築のために生まれてきた因縁を感じます。もっともっと長生きしてください。
戦時中の貴重なお話し有難うございました。私の母も東京で空襲を体験していました。私も母が生きてる内にもっと沢山戦争体験の話しを聞いておけばよかったと思う歳になり、徹子さんのお話しが聞けて本当によかったです。
貴重な体験を聞かせて頂きありがとうございました。祖母が水を被ったお布団で母を覆っておぶって防空壕に逃げたという話が記憶に残っています。徹子さんの小学生時代、そしてロッキーのお話がとても可哀想で涙が出ました。本当に、その時代生きていらした多くの人間もそうですが、動物も沢山犠牲になってしまった事を思い返し心が痛みます。秋山ちえこさんの「かわいそうなぞう」の朗読を家族で泣きながら聴いていました。賢いが故に毒入りの餌を食べず、皮が厚く硬い為に、馬用の注射針も刺さらず、残酷な飢えで命を奪われました。 本当に戦争は絶対起こしていけないことですし、今こうして生活できている事にも感謝しなければいけないと改めて思いました。
祖母が亡くなってから、こういう話を聞く機会がほとんどなくなっていたことにきづきました。徹子さんは経験者として語れる最後の世代の方です。8月に限らず、またこういうお話をぜひ聞かせて下さい。よろしくお願いします。
貴重な話をありがとうございました。私は小学生の頃、戦争体験の話を祖父母から聞くという課題があって、電話越しで祖母から戦争の話を聞いたことがあります。祖母は当時、熊本の天草に住んでいて、まず真っ先に炭鉱が狙われました。モンペを緑に染めて山に逃げたという話、そして1番印象に残っているのは「天草から長崎の原爆の雲が見えた」と言っていました。。今、平和に生きていることに感謝しかないです。
お母様は、御主人様のことを愛してらっしゃったのが私にも伝わりましたよ。不安もおありだったことでしょう。温かなハートの素晴らしい女性だと思います。
愛あふれる徹子さんが、そこに存在されているのが、何よりの証でしょう、
これからは、世界がひとつになって助け合わないと、とんでもない結末に、なってしまいそう。
自然界も年々パワーをまして被害も大きくなるばかりホント恐怖を感じています難しいことは、わからないけれど。
ドンパチと戦争なんかしてる場合じゃないと思うのですが········
大好きな徹子さん、貴重な戦争のお話をありがとうございます。
貴重な戦争の話をしてくれる世代も減ってる中、ウクライナ侵攻が起きたりしていて、怖いような不安のような気持ちになります。
当時の戦争経験者は、僕が思う以上に怖いような不安のような気持ちだったんだろうなと思うと、今の日本で戦争が起きていないことに感謝だなと思います。
また、戦争反対派の人が増えて、戦争が起きない世の中になっていったらと思います。
平和と現在起きてる戦争が終わるように願います🙏
祖母が戦争体験者で毎回「戦争はダメだ」と涙ながらに語ってくれます。
わたしも子供ができたらそれを語り継いでいけたらなと思います
戦争絶対大反対。このような貴重なお話を伺うと、託された責任のようなものを感じます。
貴重なお話ありがとうございます。
最近、徹子さんの『黄色い花束』を授業で取り扱い、この動画に出会いました。
課題で戦争についてのレポートを書かなければいけなくて、でも先生からもらった動画が辛くて、気持ち悪くなってしまって見れなかったのでとても助かりました。
今は、ロシアとウクライナの戦争でもちっきりですが、いつ日本も巻き込まれるかわからないけど、今後の未来、もう一生ないことを祈ります。
私はまだ中学生ですが、先日国語の授業で戦争について触れる機会があり、少し興味が湧いたのでこちらの動画を見てみました。
本や教科書、写真で勉強した戦争と実際に体験された方の声で勉強する戦争は同じものでもまた違う悲惨さを感じました。
大家族の中で育ったので子供の頃から戦争の話、歴史(家庭に纏わる)など聞かされ育ちました。
子供の頃は何となくでも頭の中には
聞かされた事が想像できました。
戦争は本当にダメですね。
人間の性格までも変えるし、
何もできなくなりますね
貴重な話をありがとうございました。
父が徹子さんと同じ歳です。松山に住んでいたのですが、空襲の話を毎日してくれます。同じ内容ですが、話したいんだと思い、初めて聞いたかの様に私はリアクションしていますが想像を絶する内容です。例えば、敵の若いアメリカ兵が戦闘機が落ち死んでいたそうです。飛行機が落ちる時に洋服は脱げてしまったみたいで靴だけだったのを見た。敵だけど本当にかわいそうだったとか…敵も味方も同じ人間。本当に戦争は誰も幸せにならない事ですよね。亡くなった母も当時京都に住んでいて、滋賀県の田舎に行くと真っ白なご飯が出てきてそれが眩しくて、眩しくて…普段はネバネバしていたみ始めたご飯も水で洗って食べたりしたって話していたのを思い出しました。
98歳で先日亡くなった祖母も同じような話をしてました。
ここ数年のことは忘れてしまうし、私(孫)なのか母(娘)なのかの区別もできなくなってしまった祖母も、空襲の話や戦時中の話は細かなところまで覚えてました。
どれだけ恐ろしいおぞましい出来事だったのだろう…。
コロナ禍になり、施設に会いに行くこともできなくなったまま、最後はそのままのお別れとなってしまいました。
この話を直接聞いて覚えた人たちが、受け継いでいくことが大切なんですよね。
子供の頃、両親からよく戦争の話を聞きました。父の家にいた2匹のシェパードは、軍用犬にするために連れて行かれたそうです。その話は今も思い出しては涙が出ます。空襲の体験や、食べ物がなかった事など、色々聞きました。だから、子供の頃からずっと戦争だけはさせてはいけないと強く思っています。
戦争の恐怖、本当に身にしみるお話でした。
私は、40代後半の人間で当時戦時中の経験者では有りませんが、小学時代の歴史には当然の様に戦争の恐ろしさを常に教わりました。
8月中夏期休暇には体育館で日本を舞台にした戦争映画も放映され毎年観てましたし、修学旅行では広島へ行き原爆ドーム、記念館も目にして本当に、背筋が寒い思いをしました。
今日ウクライナの戦時下で有りますが、どうしてこの様な愚かな事を引き起こすのか、私には想像が尽きません。
私欲の為に、民間人を犠牲にしてでも構わないという非常に冷酷で強情な考え方が。
本当に、全世界の人に言い聞かせてやりたい!
軍力で力を示し戦争を引き起こす様な愚人は、何一つ得られる事無く必ず報いを受け、全ての人間に軽蔑され己の身を滅ぼし虚無的な人生送るのみで有る。
とても貴重な体験談、ありがとうございました。
私の祖母が遠くを見ながら話していた事を思い出します。
子供心に生々しい話に恐怖しました、でもそれが私の心に深く根付いています。どんな大義も戦争する理由にはならない、
世界が平和になります様に。
祖父が戦争の話をすると母が嫌がって止めてたけど、もっと積極的に聞けば良かったと反省してます。
だから黒柳徹子さんと田川さんのお話を心に刻んで想像します。
そうして困ってる方や動物などに自分でも出来る事をしようと思います。
貴重な体験をうかがえて、戦争の悲惨さを感じました。徹子さんの愛犬の話で思い出すのは、私の亡き父が、陸軍のトラックの運転をしていた時に軍用犬のシェパードを可愛がっていたけれど、島を離れる時に飼っていたシェパードを置いてきた話を聞いたら、とても悲しい気持ちになりました。戦争は、絶対起こしてはなりません。ウクライナとロシアの平和を毎日祈っています。
とても貴重な話を徹子さんから聞けるなんて❤徹子さんも大変苦労なさったんですね。徹子さん長生きしてください、大好きです❤
「窓際のトットちゃん」は面白い物語になってるし、「チョッちゃんだってやるわよ」も明るいお転婆物語になってましたけど、本当は壮絶な事実があったのですね。徹子さん、ありがとうございます。
40年前上京した大学時代、山手線の車窓を見て”昔はここは焼け野原だった”とため息をつかれる法事帰りのグループを度々お見かけしました。月日が経ち、いつの間にかそのつぶやきも聞かれなくなってしまいました。子供の頃、戦争に行って、足がご不自由になったご近所の方もいらっしゃいました。今、徹子さんがお話ししてくださることをお聞きできることは、悲しいことですが、本当に貴重で忘れてはいけないお話。田川さんのご家族のお話も、、、。平和でなくちゃいけないんです。徹子さん、田川さん、ありがとうございます。
大変貴重なお話を聞かせてくださって、ありがとうございます。
わんちゃんのお話、涙がとまりません。
戦争は絶対にいけない。これを心にしっかり刻んで、毎日を生きていかないといけませんね。
貴重なお話をありがとうございます。
私も、幼い頃に曽祖母や祖父母から戦争体験の話を聞いていました。
資料等も大切ですが、実際に体験した方のお話を聞いて、もう戦争を起こさないように若い世代が色々な問題を考えて平和になるように頑張らないといけないと強く思いました。
窓辺のトットちゃんが大好きで、「君は本当はいい子なんだよ」という言葉に何度も助けられています。今回RUclipsを通してお話を聞けてとても嬉しいです。今回のロシア侵攻で私の元同僚も、ウクライナからチェコへ避難生活を余儀なくされています。少し前まで日本で暮らしていた彼女が全てを奪われて慣れない場所で生活をしているのに戦争の怖さを感じます。声をあげて行くことが大切だと感じます。
知っておくべき歴史。
実体験をされた方で影響力の大きい徹子さんに
こうやってこの場で話してくれるのがすごく、有難かったです。
怖くも悲しいお話、貴重なお話をして下さりありがとうございます。
豆の一粒一粒までもがが命を繋げるための
本当に貴重な食料なんだなぁって、思いました。
今じゃもう、本当に考えられない。一つ一つのお話、言葉に重みを感じました。
徹子さんは、本当に尊敬している方なので、徹子さんご本人からこういう話を
聞くことが出来て、良かったなって、思ってしまいました。
ロッキーのお話、ほんとに涙が出ました。ペットも大切な家族ですものね。ウクライナとロシアの戦争も早く終わってほしいと切に願います。今年、私にも息子が産まれました。妊娠中テレビで妊婦さんや赤ちゃん、子供たちが大変な目にあってる情報を目にしてとても辛かったです。平和な日本で無事にこの子を出産できた事にとても感謝しています。この子と世界中の子供たちがずーっと平和な世界で一生を終えてほしいと願っています。戦争なんてどんな理由があったとしてもやってはいけません。早く世界に平和が訪れますように。
テツコさん、貴重なお話をありがとうございました。40代ですが、祖父母共に早く亡くなった事もあり、実体験を聞いた事がありませんでした。この機会に聞けて、また映像にもしてくれて本当によかったです。
こういった戦争の話を聞いていますと、如何に我々が恵まれた中で育ってきたかを実感いたします。本当に貴重なお話をありがとうございます。次世代の若い人達に伝えて参ります。
窓ぎわのトットちゃん、子供の頃から大人の今まで繰り返し読んでいますが、ロッキーがいなくなる話しは、いつも涙が出ます。
子供の頃は、どうしていなくなったのかわからなかったのですが、大人になって戦争中は飼い犬は供出しなければならなかったと向田邦子さんの東京大空襲のエッセイで知りました。
貴重なお話ありがとうございます。平和の大切さを改めて感じさせてくれる動画です。年齢など関係なくたくさんの人に見てほしいです
今日86歳になった母から戦争の話はほとんど聞いた事がありません。おそらく山奥に住んでいたからなのでしょうね…徹子さんとは全然違うようです。
改めて平和に暮らせていることに感謝致します🙏
このお話をたくさんの方に聞いて頂きたいです😢
貴重な体験をお話しありがとうございます…
大変貴重なお話をありがとうございました。
いつまでもこの話を覚えておきたいです。
戦争を実際に体験した方からのお話は本当に胸にくるものがあります。。。
辛いお話を現代や後世の人のためにして下さりありがとうございます。
もっと多くの方からのお話を映像に残していってほしいです。
教科書に書かれた文字とは違い脳裏に刻み込まれる感じがします。
どこの国であろうと二度と戦争などしてはいけない、そんな気持ちを一人一人が持ち続ける事が未来の平和に繋がると思います。
徹子さん、まだまだお元気でご活躍を楽しみにしております。ありがとうございました。
戦争無くなってくれ。
お願いだ。
貴重な、大事な話を残してくださってどうもありがとうございます。
徹子さんだーいすきです。 生の戦争体験のお話はとても貴重で、どんどんお話してくれる人、それを聞かせる機会をもっと作ることが必要ですよね。 ありがとう😊!
思い出したり、お話したりするのは、きっととても心が痛むと思います。お話して下さって、ありがとうございます。
昭和10年生まれの母は、戦争のトラウマで、境界性人格障害である事が晩年わかり、寝たきりになるまで15年間会うことはありませんでした。徹子さんが仰るように「自分だけ生き残ったら」という不安が大きく影響しているそうです。
高校野球の試合開始のサイレンも空襲警報に聞こえて怖いとも言っておりました。
30代の祖母は幼い三人の娘と、胃癌末期の夫と火の中を逃げ惑ったそうです。
毎年夏になると戦争を取り上げる番組がありますが、母は「臭いや人の声まで蘇ってくるから嫌だ」と観ませんでした。
大人も信用出来なかったと言っていました。
戦争の爪痕は心を蝕み、死ぬまで苦しむんですね。
地球上の戦争がなくなりますように。
徹子さんのこういったお話とても有難いです。
戦争という辛く苦しかった時の貴重なお話、ありがとうございます。
上手く言えませんが、、、
東京大空襲や広島、長崎等々、毎年戦後何年だと、その日その時を祈りに捧げますが、その何年前の今は、「その日その時」だけではなく、数週間経った後も、数年経った後も、戦後の悲劇は続いていた。戦争を知らない、平和にゲームやスマホと便利な時代を過ごしてきた今の私たちには、それだけの長い年月を堪えれる事が出来るのか。生き延びることが出来るのか。いつも考えさせられます。戦争は今の追悼の祈りを捧げる一時だけでは済まない、長く辛く悲惨な日々の始まりなんだと、忘れてはいけないと感じております。
有り難う御座います。
冷静かつ心情みの語り口調
後世に届けたい
黒柳徹子さんの思想が強く
感じられました。
ありがとうございます。
話を聞いてると自然とその時の風景が映し出されてきました。戦争は2度としてはいけないという言葉の意味を改めて考えることのできる時間になりました。
貴重なお話をありがとうございます。
貴重なお話どうもありがとうございました。
今もなくならない戦争、本当に悲しいです
トットちゃんも読ませていただきました。すごく勉強になりました。
徹子さんの戦争体験お聞きして、切なくて涙がでてきました。平和な世の中になるように私達若者も平和について学習が必要と感じます。焼夷弾の怖さは、お話を聞いて初めて知りました。
貴重なお話し有難うございました。
徹子さんありがとうございます。
もう戦争中の話をしてくれる人もそんなにいなくなっているから、こういう風に残る形で貴重なお話を聞かせてくださってありがとうございます。どんな理由があっても戦争はもうしないでほしいです。
徹子さん✨戦争のお辛いお話を聴かせて頂いて、本当にありがとうございます✨徹子さんの大切なお話を自分の中でしっかり覚えておいて、自分より若い方々に伝える機会を作りたいと思います✨
徹子さん、田川さん貴重なお話をしてくださり、ありがとうございました。
涙が出ました。
14:32隣組の歌は戦後「ド、ド、ドリフの大爆笑」に変わったんだって大人になってから知って、平和な時代に生んでくれてありがたいなって思った。
志村加入前のドリフは、軍人ネタも多かったみたいだね。今だと不謹慎に思われちゃうかもしれないけど、放送当時は戦争の記憶がある大人が現役だったから、辛い記憶を笑い飛ばせるいいネタだったのかも…
徹子さん貴重なお話ありがとうございます。孫にこの動画見せようと思います。今現在もこんな思いをしている人たちがいると思うと苦しい気持ちになりますね。
どのお話にも心を動かされましたがロッキーのお話のとき涙が溢れました。
徹子さん貴重なお話ありがとうございました!