18:39数年前のドキュメンタリー映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」これは観てないけど、コッポラの1985年作品「ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ」Mishima: A Life In Four Chapters 最期のシーンも含め内容映像シーンは覚えてないのですが、海外公開後にたまたまレンタルビデオ店にあったので観ました。結局国内上映は名画座でも上映されず、現在も国内市販されてないのも驚きです。国内では完全なる封印作品ですが、市販上映がないのは右派からというより、作品著作権と遺族側との関係か、衆道に関しての表現や議論なのか、真相は闇の中ですね。アメリカアマゾンでは買えるみたいで、美輪(丸山)明宏氏大島渚氏のコメントがあるようで観たくなってます。
この人はいろいろと頭が良すぎたのかねぇ・・・・・
私としてはあの人なりの「己が理想とする日本の姿、日本のありよう」を作品で表現して、あるいはし続けて欲しかった、という思いが未だに消えませんね。
今の腐った日本を正すには共感でなく
自分が動かなくてはいけないという事を教えてくれたと思います。
高校2年の時でした。昼食時、寮に帰ってテレビのニュースを見た同級生が教室に帰ってくるなり
「おい、三島由紀夫が死んだぞ、自衛隊で切腹した」と大きな声で言った。
クラスのみんなが唖然とし、よく分からないこともあって「ええっ!」と言った後絶句するしかなかった。
その日の学活時、担任はちょうど国語の教師だったが、「下らない小説しか書かなかった男だ」
と口を極めて貶していた。次の日の朝刊、事件後の官邸内の写真が載っていた。
生々しい切腹の様子の文と共に、首のない遺体、首が写っていた。
しかし、当時の写真は解像度が悪く、ほとんど何も分からなかった。
とにかくセンセーショナルだったことだけは記憶に深く刻み込まれた。
何しろ当時の三島といえば今の誰に当たるか例えようがない。世界的な文豪であると同時に時の人、
ヌードのようなボディビルの体を大きな写真グラフに載せたり、話題の中心のような人だったから。
あの〜、「官邸」て官設の邸宅のことですよ
三島由紀夫の名言
「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」
貧乏になってきてんぞこれw
中国のことじゃないの?
このとき、クーデターが成功していたら、今ごろどんな日本だっただろうか。少なくとも今のような空虚なアホな社会ではなかったと思う。
別に三島以外に高度経済成長に沸く日本を冷笑的に見ていた人間はいたからなぁ
@@AAa-z2p4sそう笑 物質的な豊かさすら無くなってきてるw
三島由紀夫、この人こそ天才。もっと長生きしてほしかったです。
紫の履歴書に書いてあったが、晩年の三島は老いに対して絶望していて「歳を取ってもすばらしい作品を生み出す作家は多いわ」と美輪が励ますんだけど「君は元から美しいから解らないんだ」と返されたそうで。短編の美神にその苦悩が表れていると感じる。
その美輪さんの言葉を前向きに受け止められなかったのが三島の限界だったと個人的には思う
45歳というのは三島由紀夫が自ら造り上げた肉体を保つ限界でしたね。
「戦争の時には自分はタヒを許されるほどの肉体を持っていなかった」と語っていた方ですし。
市ヶ谷の事件は誠に残念だったけど特攻隊の遺書を見て涙を流した三島由紀夫が今の茶番劇だらけの日本を見たら発狂すると思います。
三島も茶番だけど
@@yasuyasu101薄っぺらいまぜっ返しで何か言ってやった気分になれる人間が跋扈する今の日本を見たら当時の人はみんな嘆息するだろうなぁ
宣誓、知らなかったのか?
赤紙一枚で命を奪われた人を哀れに思っても美化する必要はない。
今の日本の方がよっぽどましだよ。
@@st-ul6fp
そんなん、昔の人も今の人も一緒やで
ここまでストイックで熱い真っ直ぐな男は居ないと誰しも思う。
「誰しも」?
直情的なバカでしょ
創作の世界にいると現実とのギャップに苦悩する
フランス語喋ってる動画観たけどペラペラで凄かった。彼はあまりにも天才すぎたのだろう…
英語はかなり流暢だった(尤も weapon =「ウェポン」の発音を間違えて「ウィーポン」と言ってしまうのはご愛敬)。ところがフランス語については喋ろうとしても語彙が足りなくてゲラゲラ笑って済ませてる動画なら視たぞ。
美輪明宏のショートで観た。三島「君にはひとつだけ欠点がある」美輪(当時は丸山)「あら、なあに?」三島「それは僕を好きにならない事だ」片想いしてたのかぁと納得。もし恋が叶っていたら自決まではしなかったのかな?それとも思想の為にやはり決行したのかな?と、今更考えさせられた動画だった。
最期、薔薇の花束持って美輪の楽屋に行った時「最近まで金銭的に苦労していたそうじゃないか。相談してくれれば貸してあげたのに」と言ったら「三島さんとはずっと対等で居たかったから。お金を借りたら対等ではなくなるでしょ」と美輪が返答したの泣ける。
三島さんをオヤジと慕っていた方から伺った話です。
三島さんは三輪さんとお付き合いしたく、ずっとアプローチしてたそうです。三輪さんは対等でいたいからお付き合いされなかったのだと。
そのお話を聞かせてくださった方は三島さんの想いを引き継ぎ頑張って生きてきたが何も変わらなかったと涙してました。三輪さん、川端康成さんにも三島さんとの縁でお会いしたそうです。
美輪さんの話は話半分で聞いたほうがいいよ。河口湖にある三島由紀夫の記念館に◯山さんがおカネを無心する電話かけて来て迷惑してる話の作文?が展示してあるみたい。
故人の思い出話は美輪さんが美化して作ってた話がかなりあると思う。
三島由紀夫は当時のマスコミや映画評論家達がゲテモノ扱いした初代ゴジラを名画として評価した数少ない同時代の人物である。
唯一三島先生を色眼鏡なしで評価したのは川端康成先生なんだよな
@@星桃次郎-j4vさま
ノーベル文学賞を受賞した時「まだ三島くんが若いから」とコメントしたし、
「眠れる美女」を代筆してもらった恩もありますからね。
@@竜涎香-g9o 川端先生も自死されましたなぁ…。
三島由紀夫のじいさんは、樺太の長官を務めたが、その時期は、『ゴールデンカムイ』の舞台に相当する。
高評価でも低評価でもいいから、もっと皆に知って欲しい人物。
あるアンケートで三島由紀夫の知名度10%って見て衝撃だった…。
それに引き換え太宰は60%。
なんであんなのが評価されるのかホント分からん
春の雪を読もうとしたけれど、独特の文体がどうしても目が滑って挫折しました。太宰治は三島由紀夫より読み易いのよ。
三島は太宰とのたった一度の邂逅の席でかなり不得要領な、ニヤニヤしながらの口調で「僕は太宰さんの文學はきらいなんです。」と言った。その瞬間、(太宰)氏はふっと私(三島=当時は平岡青年)の顔を見つめ、軽く身を引き、虚をつかれたような表情をした。「そんなことを言ったって、こうして來てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ。」(三島由紀夫『太陽と鉄』の中の「私の遍歴時代」)
三島由紀夫の失敗は拡声器を使わなかった事やで。ほとんどの自衛隊の方は聞こえてなかったそうじゃ無いですか。😭💦
いやナルシストのボンボンが労働者の貴重な昼休みを邪魔するような真似をしたからだろ
結局ただの思想の押し付け、公開オナニーで自衛官のことなんて何も考えてなかったのが実態
いやナルシストのボンボンが労働者の貴重な昼休みを邪魔するような真似したからだろ
所詮思想の押し付けで自衛官のことなんてたいして考えてなかったのが実態
聴こえていた。証言者がいる。
@@デュークジョーダン まぁ聴こえていた人もいた程度ですね。
演説を聞こえにくくするように大声を出すなどの命令が自衛隊員に命令が出されていたそうです(昔読んだ本参照です)
自分は過去に右翼団体に居た事がありました。
自分の居た所はクソすぎて直ぐに辞めてしまいましたけどw
だからか真の愛国者というものに余計に興味が湧いてしまってそこでなんとなく興味のあった三島由紀夫について簡単ではありすが調べてみました。
じぶんのお婆ちゃんやお爺ちゃんから教わったことに通じる物がある気がしました。
この人は正しいと今も少しも疑いなく言える。
今も生きていたら?
ってもしもをかんがえてしまいます。
三島の洞察レベルにすらいない人たちがする右翼活動ほど、見ていて虫唾が走るものはないです。
刀は一度抜いたら、人を斬るまで鞘に収めてはならない。
事物の存在理由は、暴力は、行動の本質はそれほど重い。
三島由紀夫氏を取り上げていただきありがとうございます❤
三島由紀夫とマルクスは今日本人に必要な思想を抱いていると思っています☺️
お亡くなりになった経緯がただ悔やまれる偉人だと感じています😭
若い頃、読みまくってた。
感じたのは、文章に無駄がないということ。
無駄を削ぎ落して文章が書かれている感じがして、恐ろしく頭のいい人間なんだろうなと感じた。
切腹とは、凄い覚悟、、
、、総監は優しい人ですね、しかし、目の前で切腹、斬首を目撃するのは、彼の自衛隊生活の中でも衝撃的だったでしょうね。
益田総監は帝國陸軍の若き軍人だったが、敗戦時8月15日に仲間たちが割腹するのを見ていたので三島と森田の自決にも毅然としていた。だから泣いている楯の会の生き残りに思い切り泣くよう促した。
高校時代三島が好きで読み漁りました。
彼の作品の主人公は愚かではあるがバカではないんですよね。完璧なる主人公の内面の移り変わりを丁寧に表現し分かっていながら愚かな行動をしてしまうのが面白かった。
完璧で綺麗な文章は読んでいるだけで国語の点数がアップしていき自分も驚いた。国語力アップには綺麗な文章を読むことだと人に勧めています。
今のマスゴミに教えてあげなくちゃ!
「このまま行ったら日本はなくなって、
その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るので
あろう」
平岡公威先生(三島由紀夫)
官僚・作家・自衛官・楯の会代表.
富裕でもなくなった
こんな日本見たくなかったろうな
益田東部方面総監の現場で儀礼の指揮を執ったこと初めて知りました!ありがとうございます。
天が三島を見放しちゃったのがな。。。
けど、三島由紀夫は希死念慮がずっとあった人だったし、『日本人らしさ』の追求としても、あの最期が三島自身にはとても幸福な結末だったとは思う。
武士にとってもっとも幸せな死に方は『討ち死に』だからねー。
だから『おめでとうございます!〇〇様戦死なされました!』っ報告のされ方してた。
彼の同性愛も日本古来の『衆道』と言う恋愛思想から来てる。
本来、日本では男女の恋愛はハシタイけど、同性愛は純愛として好まれたのよ。
そして、結婚と恋愛は別物だった。
もちろん、結婚したら嫁さんや子供は守る対象だし、愛情もある。
けど恋愛対象では無いのよ。
そもそも恋愛と言う言葉は明治以降の新語であり、恋と愛はまた別物なのよ。
しかし19世紀20世紀中頃までは、西洋思想でこれらの思想が野蛮とされて非難されてたので、否定されてた。
それが今じゃ西洋思想が逆転してきてると言う因果だねー。。。
古代ギリシャのスパルタはまさにそれだったみたいだけどね
@@星桃次郎-j4v スパルタとはまた違うよ。スパルタのは国家戦略としてやってた。
この人の作品を読むと、心情描写の細やかさに本当に驚く。
男性が書いたものというより、女性的な視点も感じる。
おそらくだけど、三島由紀夫はその繊細さゆえ、その繊細さを「自分の中にある女性性」と勘違いしていたのではないか。それは当時の日本の世相からは「なよなよした男」となる。そう考えると、三島がボディビルに励んだり自衛隊に入ったりしたのが納得いく。
そして作品は「経験したことを土台として作られる」ことも分かっていて、ある意味、芥川龍之介と似たような思考に陥ってしまい、自らの命を絶ってしまったのか…なあと。
戦中戦後の窮乏を知る世代の人達は高度成長期の拝金に浮かれる戦後世代には深く憂慮していたといいますね。そんな人達によって、浮かれていて良いのかとゴジラや日本沈没といった世間に冷や水を浴びせるがごとき作品が次々生まれたとか。三島の強烈な憂慮も純粋な創作活動に向かえば良かったんですが…。
三島由紀夫氏の割腹事件は小学校の頃リアルタイムでTV観てビックリしたっ〜😱
男子共が教壇で演説してマネしてた〜😅
この時代に切腹なんてと
それだけが衝撃的でしたね
この時 私は、小学生だった 三島由紀夫と言う人は、全然知らなかった。その後 中高生になって図書館で、この人の小説を読んだが、難解過ぎて理解出来なかった。
「不道徳教育講座」は面白いですよ!
まあ、天才ですよね。おもしろい人でもあったし。
ただ、それだけに最後が残念だった。
理想しか見ることができなかったのが三島由紀夫という人物の限界だったのかもしれない。
初めて読んだ三島作品は「夏子の冒険」、一番好きで何度も読み返しているのは「豊穣の海」、「美しい星」と言うSF作品も残している三島由紀夫の文章を現代の若い世代にも読みついでいって欲しいです😇
私と全く同じです!
夏子の冒険は他と少し違って、読みやすいですね。
私は断然太宰治派だが、私が最も好きな女優ケイト・ブランシェットが好きな作家として三島由紀夫を挙げていた。なんかわかる気がする。
あの時、軍服着て現れた三島由紀夫を見てみんなビックリした。
高度成長で浮かれてた時代に軍服、、、💧
そりゃあ小説は素晴らしかったかもしれないけど、あまりにも時代おくれて痛い人にしかうつらなかった、、、。
あの時を知らない人はやけに美談のようにとりあげるけど、あの時代を見てた人たちはアホやなかろか?くらいにしか見てなかったのよ。
漸く戦後の暗い雰囲気から脱して皆んなが新しい時代に向けて進み出した矢先にあんな時代錯誤な格好で出て来られたらそう思うわな。
作家って職業柄いちばん時代の流れに敏感じゃなきゃいけないだろうに…
あの軍服もどき、それこそ石ノ森(当時は石森)章太郎の『サイボーグ009』のパクリみたいなおもちゃで、西武百貨店(例の「おいしい生活」は三島自決の12年程後だが)の特注なんよね。「巨人軍は日本国で唯一の軍隊で~す」なんて言われた時代に軍隊ごっこはないよな。
へえ知らなかった。なるほど、芸術家は見てるぶんには面白いけど関わりたくはないな。どなたかインテリおかまのヒステリーって書いてた。
@@xapaga1
>「巨人軍は日本国で唯一の軍隊で〜す」なんて聞いたことないな
お前のまわりだけやろ
正月に髑髏を翳して都を駆けていった一休さんの話を思い出す。
ちょっと手元にある「金閣寺」、ちゃんと読んでみます。
ボディビルダーの三島さん、少人数の楯の会でJ隊を奮起とは難しかったのではないでしょうかね。昼飯を潰されてイライラさせられた隊員も居たのではないかな?三島は元々切腹願望があったそうですが、実際のハラキリはまぁ痛過ぎたそうでとっさの介錯も上手くいかなかったようですね。
岸田よりは何10倍も国を思う立派な人だと思う。政治家として生きていて欲しかった。
私は、徴兵検査の時に結核と誤診され、もう死なないですむと走って家に帰った人が、どうして..かういふ思想をもつに至ったのかが今ひとつわかりません
また、若い人を道連れにした事にも納得がいきません
うちの祖父は、醤油を飲んで検査を免れた人間ですので、
三島由紀夫氏からはもっと理解できない人種なのでしょうね。
三島は戦争に行って死にたかったのだ。本当に望んでいた、それが理想の人生だった。その理想を捨てられなかったというだけの話よ…
この人の場合
「自衛隊の決起に失敗して非業の割腹自決」では無く
「非業の自決を迎える為に自衛隊で決起を促した」が正しい気がする
本気でクーデターする気ならもうちょっと事前に根回ししただろうし
実は「根回しに失敗した」ようです(´・ω・`)
なので「(仕方なく)●ぬ為に向かった」のでしょうね(´・ω・`)
三島ほどの知能があれば成功しないことぐらい薄々気づいていたでしょうね
三島の先祖は水戸藩分家の宍戸藩主。だから徳川家康の子孫だけど解説に無かった。
貴族趣味のナルシスト
うちの死んだ婆ちゃんは、「日本で一番大切なものは三種の神器」と言ったり、ヘンテコな軍服を着て気勢を上げたりする三島を見て笑っていました。婆ちゃんにとって三島は単なる気チガイでしかなかったようです。
一時期完全に三島にはまった時もあったのですが、一番好きなのは歌舞伎戯曲の鰯売恋曳網です。本当に可愛い、純粋で素敵な恋物語です。三島由紀夫は純粋で真っ直ぐな人だったろうと思うし、バイだとかゲイだとかいうよりもっと幼い(?)未分化のものかもしれない。とかも思います。馬鹿にしながら鰯売は書いたかも知れませんがどこかで主人公達がお互いを恋している素直な様子に憧れるような心持ちがあったろうと思いたいです。
日本より海外で評価高い。コッポラとルーカスが三島の映画作ってる。これが非常に良く出来てる
18:39数年前のドキュメンタリー映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」これは観てないけど、コッポラの1985年作品「ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ」Mishima: A Life In Four Chapters 最期のシーンも含め内容映像シーンは覚えてないのですが、海外公開後にたまたまレンタルビデオ店にあったので観ました。結局国内上映は名画座でも上映されず、現在も国内市販されてないのも驚きです。国内では完全なる封印作品ですが、市販上映がないのは右派からというより、作品著作権と遺族側との関係か、衆道に関しての表現や議論なのか、真相は闇の中ですね。アメリカアマゾンでは買えるみたいで、美輪(丸山)明宏氏大島渚氏のコメントがあるようで観たくなってます。
三島未亡人遥子がナカソーネ大勲位などとコネがあったので、日本での上映を阻止した。未亡人の亡きあとはユーチューブなんかで無料公開してたので、そこで初めて視た。フィリップ・グラスのサントラが特に好きだ。
自分は仕事先の五箇山で、テレビに釘付けだった!
夏子の冒険は傑作でした。
リアル、駐屯地での三島氏の割腹をニュースで知りました。
今の日本を三島さんは、想定してたのかな? 今でもこの方の書籍、一冊だけ持っています。
豊饒の海・第一部の「春の雪」が特に好き。
写真集の薔薇刑も大切な一冊。
美輪明宏さんもですが、ご家庭を守っておられたご夫人も素敵な方で、三島氏が逝かれたのちも気丈に振舞ってらしたと伺っています。
生き急いでしまわれた方。
現代の日本には石原慎太郎さんと三島由紀夫先生にいてくれたらと思います。
そして共感だけでなく自分で動かないと国が終わると教えてくれた人と思います。
命懸けで自衛隊に訴えたいという気持ちは分かるけど、方法が荒っぽい
長生きして違う方法で若者達に色んな事を教えて欲しかったです
決起の一週間前、ある幹部は自宅に拳銃を持ち帰っていた。ところが、なぜか決起は予定より一時間はやく、駐屯地は警察が封鎖、クーデターは失敗した、と聞いたことがある。拳銃を持ち帰った元幹部は、いま、噴火湾沿いの老人ホームで余生を送っているという。
三島由紀夫や牟田口廉也が心酔した『葉隠』という本は人によっては読まない方がいい
『葉隠』を読むと変なスイッチが入って武士道ナルシスト基地外の様になり狂ってしまう
もし彼が徴兵検査に合格して新兵いじめに員数主義が蔓延る軍のはらわたを見てしまっていたら、その後にどんな作品を残しただろうか?
それをやったのが水木しげる
野間宏(のま ひろし, 1915-91)『真空地帯』(1952年)だね。
@@xapaga1
我國の軍隊は世々天皇の統率し賜う
処にぞ在る。古は…
三島の小説は人工的だとか言われることがあるが、彼の文学的なテーマは一言で言うと「愛とは何か」です。漱石も当時の白樺派や現在に到るまで小説ではないと批判されることがあるが文学は決してドラマではなくても良いのではないでしょうか。感動してなんぼです。
自衛官が飯に飢えてる昼時に
演説が1番まずかった
と言ってもその頃しかタイミングが無いが
サムライならね、そのくらい我慢してほしいですがね
三島はコスモポリタンではなかったですね。日本だけの狭い美意識にこだわっていた。三島の文章は整然として美しくて素晴らしい日本語だと思ったけど、ナショナリスティックな政治論ばかり発出するようになって、文学に傾注すればいいのにと思っていた。私はと言えば、三島の小説の行間から滲み出す「私は貴族だ」という意識が感じられてどうにも好きにはなれなかった。でも三島が天才だったか、それともただの嫌味な貴族趣味の男だったかはともかく、言いたいことがあれば割腹自殺などしないで、ともかく生き続けて自分の思想を主張すべきだったと思う。私のような凡才には、こんなことしか思いつきません。
おっしゃる通りです
市ヶ谷連隊で最後の4年を過ごしました、色々聞きましたが当時の陸士、私がいた時は既に上級下士官、に限っては正に暗愚で、
「 何言ってんのか分かんなかった 」
と言ってました。
無駄死にですよ。
当時の自衛隊の人材不足も勘定に入れるべきでした。
いつの時代もコンプレックスをこじらせた男はどこか突出するものだ。
生き残った右派より、戦後左巻きの方が余程危ない事をしてますよね。日本人を巻き込んだ立て籠りやハイジャックや爆破💣️
何の意味があっての事でしょうか。
三島由紀夫氏の鍛えぬかれた肉体も凶器✨💪✨
因みに、ブルースリーが亡くなったのは、1973年
気持ちはわかるんですが。。。時代の流れについていけなかったのか。。。。流れ早かったから。。。
美智子上皇后とお見合いしたよね
そして「つまらない女」と断ったとか?
@@白山羊A犬やばすぎだろ
国家反逆じゃん
家畜人ヤプーの作者は複数の作家の合同ペンネームで、その中に三島由紀夫もいたらしいというのを何かで見たけど
それが本当ならヤプー=日本人をみじめに描く事で日本人を奮起させたいという思想が込められていたのかもと思える
今はエロとグロの方でしか興味を持たれないので三島もあの世で無念に思っているかなぁ
何と言うか、「産まれる時代を間違えた」の典型例みたいな男よな。
作家の性か、自分の思い描く世界と現実とのギャップに耐えられなかったのかもしれん。
三島をモデルにした創作のキャラって結構居るけど、大体は国を憂いての行動っぽく思わせて結局はただの自己満足って感じ
三島はニーチェの言う「反時代的(ウンツァイトゲメーシッヒ)」という言葉に魅せられた男だったから、あと十年も早く生まれてたら左翼活動に身を投じて治安維持法で検挙されてたと思うね。
ユッキーなぁ、極端やねん。無茶やねん。こんなクーデターうまく行くわけないやんか。
解説されてる通り、根は良い奴なんよ。マジ勿体無い。ゆうてくれたら話聞いたのに。
投稿者様、よくまとまってました。お疲れ様!
その思想を胸にしまって、作家ではなく政治家になって欲しかったね!!!
筒井康隆著「ダンヌンツィオに夢中」を見るとまた、新しい視点が得られますよ。
しちしょうほうこくです😊
三島由紀夫が残したメッセージをそのまま受け取るならば、この国の将来を憂い、この国の為に身を捧げた大変名誉ある行いであったということになるのであろうが、しかしどうしても彼の決断を受け入れられない心境にさせられてしまうものがあって、それは何であるのか考えるに、彼のあまりにも強い自己愛が行き着いた結果という側面があるのではないかと勘ぐってしまうところにあるのだと思う。
彼の行動によりその類い希なる能力も失われてしまったということから考えると、その部分に関してはあまりにも愚かな決断であったと思わされてしまう。
三島由紀夫は劣等感と同時に自己愛拗らせてた痛いやつって印象。
作家としては天才だったかもしれないけど。
どう死ぬか
そういうことを考えていたのかもしれないと思う。
「今日にかけて、かねて誓いし、わが胸の、思いを知るは野分のみかは」この森田必勝青年の辞世は百年後も在来種全日本人の胸を打つことだろう。そして三島事件も、近未来、日本に真の国家存亡の危機が訪れた時に、判断のよりどころとなると信じてやまない。
全くそんなことはない
@@スティービー1 なんだ、外来種日本人かな。
芸術家が作品による主張をやめて行動に向かってしまった悲劇。具体的な政策ではなく、精神にのみ固執した革命演説…三島先生は切腹し、果て幸せだったのでしょうね。
最後は文学的です。芸術的。やはり三島先生は芸術家なんですね
自分の人生を小説や演劇のラストの様に劇的に締めくくりたかったんだろうか?。
それに付き合わされた周りの人間は好い迷惑だったろうけど…
@@sr629 文学はやはり想像ですよね。三島先生はどんどん思想の実践、行動に向かいます。文学や口上は絵空事、現実にはまるで力をもたないじゃないかと痛感していたのでしょう。先生の座右の書「葉隠」について語っていた話が印象深いです。葉隠の精神は素晴らしい。しかし、作者自身は畳の上でのうのうと死んだ。俺はそれは嫌だ。精神と肉体の一致という先生の美意識ゆえの死に様ではないでしょうか。
自分の抱えてきたものが一応解消されたところで他人は同じ方向は見てくれないものな
太宰よりは大分マシだが基本太宰も三島も精神が幼く我慢できない金持ち坊ちゃんなんよな。名作を生み出してくれたことには感謝しかないが大多数の人間は衣食住足りていてやっと次に初めて他の文化を開けるんだということを知ってただろうが我慢できなかったんやろうなと思う。余裕のある層と時間をかけて交流していればいずれ道は開けたかもしれんのに勿体ないです。
やなせたかしと水木しげるより年下
石原慎太郎の才能をデビューから認めてた。(他作家からは通俗小説家と蔑まれてた)
究極の厨二病
生きたところで、病んでたかな?廃人か。
生きることが耐えられなかったと思う。
でも、人を巻き込んだらいかんわ。
三島由紀夫は敗戦時に防衛省内で同僚の介錯を知っていたのかなぁ。
三島由紀夫はじぶんでいのちおたつのでなくながいきしてほしかつたいまおみてどうおもうかどう三島由紀夫今見てどうおもうかききたい😮😮
三島氏の自決は、今でも忘れられませんね。しかし、案外知られていないのは、石原慎太郎氏との関わりですか。その二年前、参院全国区で史上最高の三百万票で石原氏が当選しました。これに激しく反応したとの事。本来なら三島氏の役割だったのですか。石原氏との会話は、すべて政治の話しであったとの事。王道で政治の世界に入っていたら、石原氏以上であったかも知れませんね。残念な出来事でした。三島由紀夫の文章は、浅学の私なども引き込まれましたね。
なんでこの人がこんなに評価されてるのか分からん。作品は素晴らしいのかもしれないけど。やったことはただの気狂い。
素晴らしい心ぶんしょうの持ち主❤❤😊
根本的に騙し討ちをした時点で支持できない
しちしょうほうこく、と読むのでは?
その通りですが、それを読めない日本人が増えましたね。情けないことです。
@@離人彷辺音声の読み上げに何を期待してんだ?
ポンコツAI
こんにちは、やはり地方武士団(郷士隊)を再結成した方がいいかもしれない!?
令嬢の絵がこれは西洋なイメージ(笑)
当時ツイッターが有ったらリプ欄地獄になってそうな人の1人
頭がイカレた人としか思えない
三島由紀夫さんの著書も読み、後に肉声をより聞きやすくした録音されたものも聞きました。
やり方(拉致や占拠や武装抵抗などね)には問題があったかも知れないが主義や主張は自己利益ではなく「日本の未来の為」だったと思う。
そして個人的には「生まれるのが早過ぎた人」だったんだなと。今の時代(これだけネットや手段のある時代)だったらこれだけ才能があり聡明な人だったら凄かったのでは無いかな?と思わずにはいられない。
三島にリアルタイムで影響受けた人は知らんけど
若い自分には高度経済成長に対して逆張りした人という印象しかないな
この人の随筆(不道徳教育講座)を読んだけど「昔の2ちゃんねらーみたいなこと言ってんなー」という感想しか抱かなかった
少なくとも今の若者が三島に学ぶことはそんなに多くないと思う
三島さんは 思想は異なるが 漢前だと思う (T_T)
諸官らは武士だろう...
武士なんか誰もいない
三島由紀夫は漢の中の漢
バスケのロッドマンでさえ婦女暴行や飲酒運転で100回逮捕されても図々しく生きてるし、北朝鮮でアメリカの政治批判してるし、それでも桜木花道のモデルとはしゃぐ日本のファンさえ居るんだから、本気で日本を建て直す気ならもっと図々しく生きるべきだったんじゃないの?
今の日本を見てあの世でそら見たことかと笑ってるよ。
三島由紀夫を阻んだのは後藤田正治さんかなぁ?
ズバリ、ナルシストじゃ無いかな。キャ恥ずかしい。
三島由紀夫氏は現在の我が国に必要なお方ではないかと思えます。
来年生誕100年🎉
1番と言ってもいいほどまともな国家主義者が自殺するとはどういうことか。後は、頼んだという意味なのか、それとも国は終わったということなのか