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資料が見つからないのって、記録してないだけじゃなくて、そもそも船ごとの形式を付ける考えって、近代での量産前提の考えだから、オーダーメイドで職人に依頼するのがメインの当時としては、そういった統一形式っという考えすらないのが理由の1つかも…
末次船など朱印船はまさにロマンですね。解説されているように良いとこどりの船で外海を縦横にできる性能を持ち、日本も大航海時代に踏み出すことができたかもしれなかったのに…。
面白かったです👍。九州の離島出身で昭和生まれですが、私達の世代の島では、「子供でも1人で櫓で伝馬船を漕げたら一人前」みたいな風潮がありました。子供が親の漁を手伝うのは当然の時代でした😅。
もんど画伯の絵、私は気に入りました。安宅船と関船の違いが分かりやすかったし、櫓?が可愛い💕 小早船は力作ですね。雰囲気が良く伝わってきます。今後も時々描いて頂けると嬉しいです。
同感です。ゆるい中にも特徴を捉えている、良い絵だと思います。
褒められるとまた描く気になります。
ぴょんこぴょんこする饅頭達かわいい。動画、いつも楽しく拝見しております
ありがとうございます!
そういえば、村上水軍の戦法は後の日本海軍の戦術にも大きな影響を与えたと聞いた事があります(安宅船=戦艦、関船=巡洋艦、小早船=駆逐艦といった形で参考にしたのかも)。
戦艦/巡洋艦といった種別は軍艦の装甲化が進んだ19世紀後半にイギリスが分類したものだし、明治期の帝国海軍の運用思想は英国面どっぷり(海軍教育をみれば明らか)でアイデンティティもくそもないのであんま関係ないかとちなみに駆逐艦は「水雷艇を駆逐する艦」として19世紀末にできた艦種なので水雷艇が一番小さかったりする
日本が貿易船をアユタヤに発注していたとか知らないことが知れて面白かったです。国際的な取引が行われていたのは興味深いです。やはり日本史も世界の歴史とつながっていると感じられます。
魔改造船が面白かったですwそのまま貿易船として進化していたらどんなふうになっていたのか…ロマンですねえ
導入がいつになく強引で吹いたそうはならんやろw
地理的条件としては海洋国家なのに海洋民族でない、シーパワーの振舞いを知らないというのが朝鮮併合から満州国建国、WWIIの敗亡に繋がってるのではと妄想してたり
明治日本が大陸国家を標ぼうするようになったのは日露戦争で得た利権を確保するためです。犠牲が多すぎ当初の目的を満たしただけでは見合わなくなったからです。
自分好みに魔改造した船で貿易事業とかカッコよすぎる!デコトラの元祖ですね
0:09冒頭の魔理沙の強引なドリブルにびっくり!🤣
オープニングがんばったね!
わかる?
初めてのコメントです。チャンネル登録しました。過去の動画も全て視聴しています。日本で建造されたガレオン船では、戦国時代の後に建造された、サン・ファン・バウティスタ号が有名ですね。「大航海時代のはじめの方の歴史」の続編の制作も出来れば、お願いします
初コメありがとうございます!
幕府が作った船でしたっけ?
復元されたサン・ファン・バウティスタ号は老朽化のため解体になりました。実物の方は出来が良かったのでフィリピンでスペインが購入して軍艦として使い、海戦で沈没したそうな。
せっかく復元して、震災後も補修したのに結局解体となりましたねSLや飛行機などの野外展示の惨状などをみるに、最初だけお金をかけて経済効果(笑)が無くなったら捨てましょうってのが多くて非常に残念です
うちの先祖は川が活動範囲の河川海賊でしたから、船は今の川船、お碗ボートくらいの大きさだったはず。せいぜい小早、それでも大きいくらいでしたし、下手すれば消耗品みたいに扱ってたようです。直せばいい、代わりがあるからいい、みたいです😓河原衆、下手すればカッパと呼ばれて人扱いさえされてなかったですから。
おおー、なにげに貴重な情報ですね。外国ではふつう船は小舟でも財産扱いになるものですが、それほど船が安価で手に入りやすかったということになりますねえ。
ジャンク船、間違った方だとずっと思ってました。阿片戦争で簡単に撃破出来たので、ジャンクな軍隊のジャンクな船って呼んでたのかと。
海賊は要するに海上領主ですかね。漁業権とかはどんなふうに管理してたんだろう。大きな船は、戦線を移動できる櫓ですよね。あった方が絶対有利。走られたら終わりなので小舟による戦線があって初めて役に立つのかな。中でも鉄甲船は、大量の鉄板を用意できるかどうかの技術力財力勝負に持ち込んだ短期決戦用の船だったんじゃないかなと。抑止力として持っていたかもしれないけど、以降使う当てもなし。火砲と装甲のシーソーゲームで進化していった西洋戦闘艦でのみ、無数の試行錯誤が行われて、最適解として戦列艦が出来上がって行ったんでしょうね。やっぱり西洋人は移動生活が好きなんだろうなあ。
帆走において、風上に対してどの角度まで登れるかは重要な要素。洋式帆装には横帆=ラウンドセイルと、縦帆がある。縦帆は飛行機の翼における揚力と同じ効果を出すような装置。大きな近代帆船には横から見て、三角形の細かい帆が張られる。小型ヨットは縦帆のみ(風下航時のみスピンネーカーというラウンドセイルを使う)。風上航というが、風上に対し、40度?くらいまで登っていける。帆によって生み出された揚力を、横流れで失わないために、船底にはキール(竜骨)があり傾斜を防ぐバラストを積む。風上に登れない船は、風下に吹き寄せられてしまう。純縦帆船で言えばインド洋のダウ、コロンブスが使ったカラベルのニーニャ号。これらの帆はラテンセイルと言う。中国のジャンクの帆をジャンクリグといい、縦帆としても使える優れた帆装。下田で津波によって壊れたプチャーチンの船の代わりに造られた「ヘダ号」が国内初となったスクーナ、これも縦帆のみ。北前船などの江戸期商船は1枚の横帆のみ、新潟以北の冬の日本海だと航行不能。
信長の鉄甲船がどのように解釈されるのか?楽しみです
えっと…ごめんね。
昔から日本はいかにも「海洋国家でござい」って意識だったけど違ったんですね
徳川幕府の規制のおかげで、日本船は海難事故が多いとの風評に哀しき過去……就航する船が多いからその分だけ事故に遭う数も多いのと、長崎に来る外国船を見た日本人が「長距離を航行してきたんだから自分の国の船より優れてると考えられる」という意識があったと考えられる
禁断の考えられる二段打ち
@@汁男優-amuru ふうん そういうことか
確かに、強襲揚陸艦を木材で造ったならば、一本だけの竜骨は邪魔ですね!
今回も本当に面白かったです!本筋とは離れますが、黄砂の話がびっくりしました…聞けてよかったですあと、うp主殿の絵が素晴らしいですおつかれサムゲタンです!
ポルトガル人の日本人は海洋民族ではないという指摘は鋭い。
造船技術は職人の技術だから、外部に情報が漏れるのを防ぐ為にあえて文書として残さなかったのだと思う。
なるほど。その可能性も考えられますね。
和船は西洋船と比べると構造が脆弱なためラム(今回は酒ではなく衝角)が発達しなかったと言う話は本当かな?九鬼水軍が盲船を大坂冬の陣において使用したという記録が有り、全体を木や竹で囲み上から空気を取り込んで水面すれすれを走り大砲や鉄砲の装備を備えていたそうな。南北戦争において実戦投入され、「世界最初に敵船を撃沈した潜水艇」と呼ばれるハンリーみたいな感じだった?。そんな具合だと大砲を発射した衝撃で沈みそうな気もするが…。当時発売された船百科に盲船は名前だけ乗っていて絵が掲載されていないため、軍事機密として絵を掲載できなかったのではと推定されている。薩摩藩がこの技術を持っていたら、薩英戦争時に錦江湾内のイギリスの軍艦に夜陰に紛れて大砲の射程距離内まで接近して攻撃していたかも。それから、実在したかどうか不明だが、村上水軍の資料に海賊流車輪船と言う外輪船らしき船(絵が前から見たか横から見たか判断できない出来のため、スクリュー船説も有った)の絵が有るそうだ。
黄砂がなければ日本の林業や農業は全滅するだろう、っていう知識、地味にめっちゃ重要じゃないですか!?やっぱり主水さんすごい‼️
CIVILIZATIONでも海洋系の技術はあとまわしにされがちだからしょうがないね
幕府の規制のせいで江戸時代に異様な発展を遂げた、合理性に欠けた日本の一本帆柱の船を解説してください。
何だその第三のビールみたいな船
秀逸な例え
@@ぶんちょ-k2s _人人人人人人人人人人人_ > 第三のビールみたいな船<  ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
大航海時代4では鉄甲船にはお世話になりました…
想像図でよく出てくる鉄甲船だと、重心が上に行きすぎて転覆の恐れがかなり高いから、実物はもっと背が低くて喫水線下も大きいはずなんだよな。検索でよく出てくる、城をマンマ載せた様な復元図や絵は、完全にありえないって事だけは言える。遠州灘を出て紀州水道に入る前の外洋で、転覆する可能性が極めて高いからさ。残ってる安宅船の絵に影響されすぎてああなったと思うんだけど、船上に漆喰塗りの小天守なんてありえねえわな。
ジャンク船は、ゲームの関係で、結構良いイメージを持っています。switch版『ネオアトラス1469』では、ジャンク船を造れるようになる中国の船舶技術「東洋造船術」を獲得しないと、香辛料や宝石の交易がまともにできぬので、その時点で事実上ゲームオーバーです。『大航海時代4』でも、中型ジャンク、大型ジャンクは、「コストパフォーマンスの良い万能船」として推奨されています。朱印船の「末次船」は、『大航海時代4』に出てきました。ですが、大型ジャンクのほうが汎用性が高いので、使ったことはないですね。日本の船と言えば、「遣唐使船」も面白そうですね。
昔、NHKの特番で信長の鉄甲船が実現可能なのか検証するのがありましたね。その際、当時の技術で作れる限界の薄さの鉄板だと、焙烙火矢の爆発力には全然耐えられないことが判明。ただ、時代が少し下がりますが、江戸初期に幕府が建造させた安宅丸サイズの安宅船に搭載可能な積載量から算出した鉄板なら、焙烙火矢に十分耐えることが可能という検証結果でしたね。
ディスカバリーみたいな海外のドキュメンタリー番組(イギリスだったかな?)で鉄甲船を実際に作って実験してた時はちゃんと語られる通りの性能だったよ、アレは面白かったし興奮した。何かの意図があるのかも知れないけれど、ちゃちい日本の検証番組と本格的な海外の検証番組で結果が真逆になるのは驚きます😟
@@Seaza_Sr1 同じ文献を参考にして作って、同じ威力の焙烙火矢で攻撃したなら同じ結果になると思うよ。第一、日本でも見れるようになるくらいの規模の海外の番組と日本の番組を比較することがおかしい。生存バイアスの事を全く分かっていないし、そもそも海外の番組が信長の鉄甲船について検証したという事実自体疑わしいと言わざるをえない。
@@ああああ-j2y 日本のテレビと違って実際に作ってやってたんだから、『こうであって欲しい』の個人的な妄想を根拠に必死になって言い掛かりを困るぞ🤣
@@Seaza_Sr1 言いがかりを困ったのは分かったけど、あなたも個人的な思い出を元に話してるよね?その番組でその内容が放映された根拠はあるの?
@@ああああ-j2y 『その番組でその内容が放映された根拠』って何?中学生でも間違え無いぞ?✨日本語に疎いのかな?辞書を引けって🤭
和船待ってました!
昭和40年頃まで瀬戸内の港には、香港のタン民と同じく、船上生活をする家族が見られたものです。観光地尾道市にも、たくさんの船上生活者がいて、荷役や艀、一杯船主として運送を生業にしていました。地方政府の施策で市営住宅の手配を受け減少しました。東北の猟師マタギと同じく、録に記録も無く、殆ど消え去る日本の水上民も記録や調査を見たいものです。
通稱ジャンク船は…南宋~元~明(鄭和)頃の船が泉州などで發掘されてますね。大きさで云えば…17世紀までは、中國船が一番巨艦が存在しましたよね。明が永樂帝の死去で海禁政策に轉換してしまい…鄭和艦隊も消えてしまいますが、5000瓲級は有った模樣
安宅船の安宅とは、素直に考えれば熊野水軍の安宅氏が由来でしょう。三好長慶の弟・冬康が安宅氏を継承し、淡路に拠点を置いた事で、熊野水軍で使われていた伊勢型の和船が瀬戸内海に持ち込まれ、安宅船と呼ばれるようになったのでしょう。和船は丸木舟を横に並べて幅を確保したような構造で、一本の竜骨の代わりに分厚い船底が並ぶので逆に堅牢だったと言われます。また中央の船底材は動画にある丸子船のように、横に流されるのを防ぐ目的で下に突出していたようですね。
青森の「みちのく北方漁船博物館」でジャンク船の復元船を見たとき、1本の頑丈なキールが全通していて、そこから横方向にフレームが伸び、バルクヘッドで浸水を抑えるという現代の大型船と同じ構造になっていることに驚きました。水軍の戦法は、射手船→空母艦載機による攻撃、焙烙船→主力艦による砲撃、武者船→水雷戦隊による魚雷攻撃、という感じで、これも現代的ですね。先人の知恵の偉大さを感じます。
熊野水軍の 鉄甲船 って強かったんですか❓️ 太閤立志伝5 的に…火矢食らっても、燃えないのは、強みっぽく素人目には、見えるけど…
そんなものは存在しない
@@xxjuikl さん、仰る 通り、実在しないようですね返信ありがとうございます
見た目だけならブルース・リーの映画で見たのがジャンク船に似ていたなー
竜骨がない船を作ってた歴史が世界最初の揚陸艦っていう先進極まるフネを日本に作らせたのかも
琵琶湖の竹生島に、朝鮮出兵の際の御座船?の上部構造の遺構と伝えられる構造物が、渡り廊下の様になって残っています。
中国は海のシルクロードのほうでも探検派遣してたからなあ、、、;;日本は海洋民族 とおもってたけど、、、 鎖国の歴史も長いですよね、、、勉強になりましたm(_ _)m
鉄甲船は後世のフィクションじゃなかったっけ?
一応、当時のある僧が残した記録で「鉄の船なり、てつはう(鉄砲)とをらぬ用意(通さないように対策?)事々敷儀なり」というものがあります。「鉄の船」が実際に作られたことは事実のようですが、これがどんな船だったかという詳細はわからないようです。全面を鉄で覆った船と思えばロマンですが、当時の技術とコスパを考えると現実的には戦闘員がいる部分だけ鉄板で装甲した程度ではないか、と見られているとのことで。
江戸時代は戦国時代の武具類とさほど変わっていないでありんす軍船も同じと考えて良いと思うのでありんす、余計な改良は改易のもとでありんすからw。
村上水軍の勢力圏はだいたい山口県の上関から香川県の本島まで、毛利の要請で下関まで出張して大友の船を襲ったりもしている本拠地である愛媛県には当然能島や来島があって海城がいくつもあるし、岡山県の倉敷市(本太城)や笠岡市(笠岡城)にも城を持っていた某野望ゲームだと全然すごさが伝わってこないけど、能島と来島の村上水軍はマジでヤバい大海賊だった。もっと能力値高くしろと言いたいくらいだ毛利が「おーい村上、戦争しようぜ!」とサザエさんの中島君ばりに誘ってくるので、付き合っているうちにそうなったんだけどねこういうのは記録が残っているんだけど、船に関しては村上水軍の主力が関船だったこと以外はよく分からなかったりする
海賊禁止令とかいうほぼほぼ村上水軍限定ともいえるような禁止令…第一条からのっけから村上水軍の賊船行為非難され、瀬戸内海出禁になってしまった(頭領村上武吉親子も死刑判決だが小早川隆景の仲裁で筑前糸島に退去+大量リストラで許された)とも
黄砂が振る所ってかなり限定的じゃなかったか?九州南部辺りだったような
6:19 >竜骨のあるヨーロッパの船は浅瀬だと座礁して横転してしまうからな。いや、帆船時代の欧州の船は設備の整った港ならともかく、それ以外の外洋では船底の海棲生物(カキやフナクイムシ)除去のために定期的に浅瀬に乗り上げなければなりませんでした。「ビーグル号航海記」なんかにも、たしか浅瀬にわざと乗り上げて船底をメンテナンスする場面があったはず。船底をまんべんなく洗うためには、むしろ船底が丸く右や左に転がせる方がずっと都合が良かったんです。小さい船ならともかく、外洋を航行する大型船を持ち上げて船底を洗うようなマネは出来ませんから(´・ω・`)
傾船修理と航行時の座礁はまた別の話です。今回の場合は浅瀬を航行できるかどうかという場合の違いを説明しました。
喫水が深いので浅瀬だと座礁してしまい、船底を洗うためにしろ底が丸いため傾いてしまって使えなくなってしまうということでは?大陸のように大河が少なく、遠浅の海での使用が多い日本では西洋船のように竜骨がある構造は向いていないという話です外洋を航行する大型船自体があまり必要とされなかった日本では、河川や近海を航行するだけなのでこういった船になったという内容なので大型船を整備する際には丸底のほうが都合がよいというのは論点がずれています
@@三毛猫-d9i 底が丸いので傾くのは底を洗うのに都合が良いんですよ。使えなくなってしまうと言う事は無いです。実際に、大航海時代の欧州の帆船は、まともな港湾では海に浮かべたまま船を無理矢理傾けて船底を洗っていますが、新大陸など整った港湾の無い地域では砂浜や中洲などにわざと乗り上げ、傾けて船底を洗っています。「使えなくなってしまう」というのが真なら、大航海時代は発生しません。欧州の船乗りたちは新大陸へ進出出来ないか、出来ても欧州へ帰れなくなってしまっていたでしょう。あと、河川や近海の浅い海域での航行に竜骨が無い方が都合が良いというのは、現実を無視した話です。和船に竜骨が無いのは航行する海域に適合するためにそうなったわけではなく、単に中国から輸入した造船技術が竜骨を必要としない造船方法だったと言うだけにすぎません。江戸時代以降は竜骨を有する和船も多く建造されていますし、第一ヴァイキングが使っていたクナールやロングシップは竜骨がありますが、喫水は非常に浅く河川や浅い海域に適合しています。竜骨が無い方が良いから板張りの船になったというのは、後付けの理屈でしかありませんし、挙げられている話も根拠としては弱いです。
うーん、荒木船の和洋折衷感
お恥ずかしながら、私もジャンク船に先入観と偏見を持ち、侮っておりました。まだまだ学びが足りないと、反省しきりです。
ruclips.net/video/LDNIq6kdScA/видео.htmlのジャンクに、リーボードがある!ちとびっくり!近代ヨットで言えばフィンキールの役目。帆の揚力に対し直進性を保つ装置。近代オランダの浅い海用の、船に使われている。両舷を降ろすのではなく、風下(リー)側を降ろすとのこと。
船の絵がいい。すごくイイ。薬は要りません。
秀吉が沖縄・台湾方面ではなく朝鮮から取ろうとしたのは船に使う木材の質がかかわっていたのでしょうか?
日本産の木材では竜骨の様な一部に負担が一手にかかる構造が造れないのは分かったがなぜ外骨格構造では強い船が造れないのか?
主は帆船模型を始めぬか?
日本は明治時代以前は国土は島国なのに陸軍を重視した大陸国家だったらしいですね。米国は二次大戦以前は国土は大陸なのに海軍を重視した海洋国家だったらしいですね。
今でもアメリカは圧倒的に海軍重視だよ
江戸時代の船は江戸幕府がが鎖国政策を行う為、船の骨組みを弱いものしか製作させなかったのでは。
江戸時代、銀が主要貨幣だった西日本では瀬戸内海の沈没船が唯一の埋蔵金的ロマン
最近ゆっくり解説の収益剥がされる事が多くなってるみたいだからうp主さんも気を付けて下さいね
お心遣いありがとうございます。落石注意の標識と同じで、どう気をつければいいのかわからないのではありますが()
@@old-mond 知っているのかもしませんが、収益化を剥奪されないためには、少し生声を入れる、動画の背景で動きのある映像(ゲームプレイの様子)を垂れ流す、などがあります。
@@うま味-z2b どうもそれらの対策は意味が無いらしい。今まではあったかもしれないが、RUclipsがどうも業者の排除に乗り出しているらしく、それらの対策を施したチャンネルも容赦なく収益剥奪している。
徳川幕府による。規制。外洋船の規制やな。ちゃんと調べとくべきやな。
彼達の云う通りであらばアゲモンな筈なのです。❗😁大和は銀河系軍団なのだから。⁉️😁
いやあ、ロマンっすなー。もし荒木船とかのハイブリッド船がもっと独自の進化をしてたらどうなったか。家光がチキン野郎だったのが惜しまれる。
絵、じょうずだよー
あざざます!
日本の船は素晴らしい船です!後世に造船の技術を残しましょうっ!!
😁
ええ‥資料が自著だと‥。何者なの?
李舜臣の亀甲船の方が安宅船より強いお
亀甲船って、現代では有名な割に当時の史料で言及されているものがほとんどないそうで…一部では実在すら怪しまれているとか。私的には興味があるのできちんと調べたいなーとは思っております。
亀甲船って李舜臣関係の歴史書(というより伝説集みたいな)に登場するだけで日本側資料にも朝鮮正史にも登場しないですしまた「戦う時はこう!」みたいな記述ばかりで実際に戦っている様子の記述がないなのでもしかしたら朝鮮による「ぼくのかんがえたさいきょうのせんかん」だったかあるいは作ったはいいもののあまり実用性はないものだったか・・・李舜臣も「脇坂安治の水軍を撃破して63隻を撃沈し1万2000人を射ち取った」と報告していますけど朱印状によると肥前名護屋城に集結した時の脇坂軍は1500人なので明らかに嘘の戦果を報告しているので亀甲船の活躍とやらも果たしでどこまで本当やらわかりませんね
@@三毛猫-d9i 個人的な考察になってしまいますが、水軍の戦は指揮官の優劣が出やすいですから、「李舜臣が率いた船団」が精強であった(少なくとも他の朝鮮船に比べれば)のは事実であり、日本軍の補給線を脅かすという水軍の最大の長所を生かして戦争に貢献したのは間違いないかと。なので、定義や意味合いにおいては「日本軍を倒した最強の船」が、その後に「亀甲船」と呼ばれたということならば、歴史的事実に反することでもなく、むしろ、正統な誉れかとも思えます。ただ、「李舜臣という優れた指揮官」が率いるから強いのであって、型式だけは同じ「亀甲船」を李氏朝鮮の腐敗官僚が率いれば、最弱の船に早変わりするのはサピエンスのお家芸でしょうか。
@@三毛猫-d9i 現代の技術で「再現」した亀甲船はトップヘビーすぎてまともに航行できる代物ではなかったという話もありますね。榴弾が発明される以前の当時では火砲によって船を撃沈することはまず無理で、船を沈めるとしたらラム・アタックのような戦い方をするしかない。でも文献に登場する亀甲船では数も足らず速度も足らずで、一度の会戦で63隻もの船を撃沈できるはずもない。このことを指摘すると某国の人たちは「朝鮮には榴弾があったんだ」とか根拠のないこと言い出したりして困っちゃうんですが
@@nuruosan4398 よしんば朝鮮軍に榴弾があったとしても、1500人の軍と戦って1万人討ち取るのは不可能ですし、なにより亀甲船が本当に彼らの言う通りすごい船なら王朝の歴史書がそれに触れていないのもおかしな話。李舜臣が日本水軍を撃破して補給路を寸断して撤退に追い込んだという話も、近年の研究ではさほど効果はなかったんではないかという見方も強いようです。九州~朝鮮間の補給路は文禄・慶長の全戦役を通じて維持されており、人も物資も海路での行き来は充分であり、問題は地理に不案内で国内と勝手の違う朝鮮国内の輸送に手間取った結果前線での物資欠乏が起きたと。どちらが本当かはわかりませんが、いずれにせよ亀甲船が「亀のように全体を装甲で覆い、刃で覆われていて知らずに飛び込んだ日本兵は次々に貫かれて死んでいった」ということはないでしょう。豊臣水軍の中心部部分を担っていたのはやがり戦国期から変わらず歴戦の九鬼、熊野、村上の水軍衆たちですし、突っ込んだら危なそうなのは見たら大体わかるはずですし。
資料が見つからないのって、記録してないだけじゃなくて、
そもそも船ごとの形式を付ける考えって、近代での量産前提の考えだから、オーダーメイドで職人に依頼するのがメインの当時としては、そういった統一形式っという考えすらないのが理由の1つかも…
末次船など朱印船はまさにロマンですね。解説されているように良いとこどりの船で外海を縦横にできる性能を持ち、日本も大航海時代に踏み出すことができたかもしれなかったのに…。
面白かったです👍。九州の離島出身で昭和生まれですが、私達の世代の島では、「子供でも1人で櫓で伝馬船を漕げたら一人前」みたいな風潮がありました。子供が親の漁を手伝うのは当然の時代でした😅。
もんど画伯の絵、私は気に入りました。安宅船と関船の違いが分かりやすかったし、櫓?が可愛い💕 小早船は力作ですね。雰囲気が良く伝わってきます。今後も時々描いて頂けると嬉しいです。
同感です。
ゆるい中にも特徴を捉えている、良い絵だと思います。
褒められるとまた描く気になります。
ぴょんこぴょんこする饅頭達かわいい。動画、いつも楽しく拝見しております
ありがとうございます!
そういえば、村上水軍の戦法は後の日本海軍の戦術にも大きな影響を与えたと聞いた事があります(安宅船=戦艦、関船=巡洋艦、小早船=駆逐艦といった形で参考にしたのかも)。
戦艦/巡洋艦といった種別は軍艦の装甲化が進んだ19世紀後半にイギリスが分類したものだし、明治期の帝国海軍の運用思想は英国面どっぷり(海軍教育をみれば明らか)でアイデンティティもくそもないのであんま関係ないかと
ちなみに駆逐艦は「水雷艇を駆逐する艦」として19世紀末にできた艦種なので水雷艇が一番小さかったりする
日本が貿易船をアユタヤに発注していたとか知らないことが知れて面白かったです。国際的な取引が行われていたのは興味深いです。やはり日本史も世界の歴史とつながっていると感じられます。
魔改造船が面白かったですw
そのまま貿易船として進化していたらどんなふうになっていたのか…ロマンですねえ
導入がいつになく強引で吹いた
そうはならんやろw
地理的条件としては海洋国家なのに海洋民族でない、シーパワーの振舞いを知らないというのが朝鮮併合から満州国建国、WWIIの敗亡に繋がってるのではと妄想してたり
明治日本が大陸国家を標ぼうするようになったのは
日露戦争で得た利権を確保するためです。
犠牲が多すぎ当初の目的を満たしただけでは見合わなくなったからです。
自分好みに魔改造した船で貿易事業とかカッコよすぎる!
デコトラの元祖ですね
0:09
冒頭の魔理沙の強引なドリブルにびっくり!🤣
オープニングがんばったね!
わかる?
初めてのコメントです。チャンネル登録しました。過去の動画も全て視聴しています。日本で建造されたガレオン船では、戦国時代の後に建造された、サン・ファン・バウティスタ号が有名ですね。「大航海時代のはじめの方の歴史」の続編の制作も出来れば、お願いします
初コメありがとうございます!
幕府が作った船でしたっけ?
復元されたサン・ファン・バウティスタ号は老朽化のため解体になりました。実物の方は出来が良かったのでフィリピンでスペインが購入して軍艦として使い、海戦で沈没したそうな。
せっかく復元して、震災後も補修したのに結局解体となりましたね
SLや飛行機などの野外展示の惨状などをみるに、最初だけお金をかけて
経済効果(笑)が無くなったら捨てましょうってのが多くて非常に残念です
うちの先祖は川が活動範囲の河川海賊でしたから、船は今の川船、お碗ボートくらいの大きさだったはず。せいぜい小早、それでも大きいくらいでしたし、下手すれば消耗品みたいに扱ってたようです。直せばいい、代わりがあるからいい、みたいです😓河原衆、下手すればカッパと呼ばれて人扱いさえされてなかったですから。
おおー、なにげに貴重な情報ですね。外国ではふつう船は小舟でも財産扱いになるものですが、それほど船が安価で手に入りやすかったということになりますねえ。
ジャンク船、間違った方だとずっと思ってました。
阿片戦争で簡単に撃破出来たので、ジャンクな軍隊のジャンクな船って呼んでたのかと。
ありがとうございます!
海賊は要するに海上領主ですかね。漁業権とかはどんなふうに管理してたんだろう。
大きな船は、戦線を移動できる櫓ですよね。あった方が絶対有利。
走られたら終わりなので小舟による戦線があって初めて役に立つのかな。
中でも鉄甲船は、大量の鉄板を用意できるかどうかの技術力財力勝負に持ち込んだ短期決戦用の船だったんじゃないかなと。
抑止力として持っていたかもしれないけど、以降使う当てもなし。
火砲と装甲のシーソーゲームで進化していった西洋戦闘艦でのみ、無数の試行錯誤が行われて、最適解として戦列艦が出来上がって行ったんでしょうね。
やっぱり西洋人は移動生活が好きなんだろうなあ。
帆走において、風上に対してどの角度まで登れるかは重要な要素。洋式帆装には横帆=ラウンドセイルと、縦帆がある。縦帆は飛行機の翼における揚力と同じ効果を出すような装置。大きな近代帆船には横から見て、三角形の細かい帆が張られる。小型ヨットは縦帆のみ(風下航時のみスピンネーカーというラウンドセイルを使う)。風上航というが、風上に対し、40度?くらいまで登っていける。帆によって生み出された揚力を、横流れで失わないために、船底にはキール(竜骨)があり傾斜を防ぐバラストを積む。風上に登れない船は、風下に吹き寄せられてしまう。純縦帆船で言えばインド洋のダウ、コロンブスが使ったカラベルのニーニャ号。これらの帆はラテンセイルと言う。中国のジャンクの帆をジャンクリグといい、縦帆としても使える優れた帆装。下田で津波によって壊れたプチャーチンの船の代わりに造られた「ヘダ号」が国内初となったスクーナ、これも縦帆のみ。
北前船などの江戸期商船は1枚の横帆のみ、新潟以北の冬の日本海だと航行不能。
信長の鉄甲船がどのように解釈されるのか?楽しみです
えっと…ごめんね。
昔から日本はいかにも「海洋国家でござい」って意識だったけど違ったんですね
徳川幕府の規制のおかげで、日本船は海難事故が多いとの風評に哀しき過去……
就航する船が多いからその分だけ事故に遭う数も多いのと、長崎に来る外国船を見た日本人が「長距離を航行してきたんだから自分の国の船より優れてると考えられる」という意識があったと考えられる
禁断の考えられる二段打ち
@@汁男優-amuru
ふうん そういうことか
確かに、強襲揚陸艦を木材で造ったならば、一本だけの竜骨は邪魔ですね!
今回も本当に面白かったです!
本筋とは離れますが、黄砂の話がびっくりしました…聞けてよかったです
あと、うp主殿の絵が素晴らしいです
おつかれサムゲタンです!
ポルトガル人の日本人は海洋民族ではないという指摘は鋭い。
造船技術は職人の技術だから、外部に情報が漏れるのを防ぐ為にあえて文書として残さなかったのだと思う。
なるほど。その可能性も考えられますね。
和船は西洋船と比べると構造が脆弱なためラム(今回は酒ではなく衝角)が発達しなかったと言う話は本当かな?
九鬼水軍が盲船を大坂冬の陣において使用したという記録が有り、全体を木や竹で囲み上から空気を取り込んで水面すれすれを走り大砲や鉄砲の装備を備えていたそうな。南北戦争において実戦投入され、「世界最初に敵船を撃沈した潜水艇」と呼ばれるハンリーみたいな感じだった?。そんな具合だと大砲を発射した衝撃で沈みそうな気もするが…。当時発売された船百科に盲船は名前だけ乗っていて絵が掲載されていないため、軍事機密として絵を掲載できなかったのではと推定されている。薩摩藩がこの技術を持っていたら、薩英戦争時に錦江湾内のイギリスの軍艦に夜陰に紛れて大砲の射程距離内まで接近して攻撃していたかも。
それから、実在したかどうか不明だが、村上水軍の資料に海賊流車輪船と言う外輪船らしき船(絵が前から見たか横から見たか判断できない出来のため、スクリュー船説も有った)の絵が有るそうだ。
黄砂がなければ日本の林業や農業は全滅するだろう、っていう知識、地味にめっちゃ重要じゃないですか!?
やっぱり主水さんすごい‼️
CIVILIZATIONでも海洋系の技術はあとまわしにされがちだからしょうがないね
幕府の規制のせいで江戸時代に異様な発展を遂げた、合理性に欠けた日本の一本帆柱の船を解説してください。
何だその第三のビールみたいな船
秀逸な例え
@@ぶんちょ-k2s
_人人人人人人人人人人人_
> 第三のビールみたいな船<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
大航海時代4では鉄甲船にはお世話になりました…
想像図でよく出てくる鉄甲船だと、重心が上に行きすぎて転覆の恐れがかなり高いから、実物はもっと背が低くて喫水線下も大きいはずなんだよな。
検索でよく出てくる、城をマンマ載せた様な復元図や絵は、完全にありえないって事だけは言える。
遠州灘を出て紀州水道に入る前の外洋で、転覆する可能性が極めて高いからさ。
残ってる安宅船の絵に影響されすぎてああなったと思うんだけど、船上に漆喰塗りの小天守なんてありえねえわな。
ジャンク船は、ゲームの関係で、結構良いイメージを持っています。switch版『ネオアトラス1469』では、ジャンク船を造れるようになる中国の船舶技術「東洋造船術」を獲得しないと、香辛料や宝石の交易がまともにできぬので、その時点で事実上ゲームオーバーです。
『大航海時代4』でも、中型ジャンク、大型ジャンクは、「コストパフォーマンスの良い万能船」として推奨されています。
朱印船の「末次船」は、『大航海時代4』に出てきました。ですが、大型ジャンクのほうが汎用性が高いので、使ったことはないですね。
日本の船と言えば、「遣唐使船」も面白そうですね。
昔、NHKの特番で信長の鉄甲船が実現可能なのか検証するのがありましたね。
その際、当時の技術で作れる限界の薄さの鉄板だと、焙烙火矢の爆発力には全然耐えられないことが判明。
ただ、時代が少し下がりますが、江戸初期に幕府が建造させた安宅丸サイズの安宅船に搭載可能な積載量から算出した鉄板なら、焙烙火矢に十分耐えることが可能という検証結果でしたね。
ディスカバリーみたいな海外のドキュメンタリー番組(イギリスだったかな?)で鉄甲船を実際に作って実験してた時はちゃんと語られる通りの性能だったよ、アレは面白かったし興奮した。
何かの意図があるのかも知れないけれど、ちゃちい日本の検証番組と本格的な海外の検証番組で結果が真逆になるのは驚きます😟
@@Seaza_Sr1 同じ文献を参考にして作って、同じ威力の焙烙火矢で攻撃したなら同じ結果になると思うよ。
第一、日本でも見れるようになるくらいの規模の海外の番組と日本の番組を比較することがおかしい。生存バイアスの事を全く分かっていないし、そもそも海外の番組が信長の鉄甲船について検証したという事実自体疑わしいと言わざるをえない。
@@ああああ-j2y 日本のテレビと違って実際に作ってやってたんだから、『こうであって欲しい』の個人的な妄想を根拠に必死になって言い掛かりを困るぞ🤣
@@Seaza_Sr1 言いがかりを困ったのは分かったけど、あなたも個人的な思い出を元に話してるよね?その番組でその内容が放映された根拠はあるの?
@@ああああ-j2y 『その番組でその内容が放映された根拠』って何?
中学生でも間違え無いぞ?✨日本語に疎いのかな?
辞書を引けって🤭
和船待ってました!
昭和40年頃まで瀬戸内の港には、香港のタン民と同じく、船上生活をする家族が見られたものです。
観光地尾道市にも、たくさんの船上生活者がいて、荷役や艀、一杯船主として運送を生業にしていました。
地方政府の施策で市営住宅の手配を受け減少しました。
東北の猟師マタギと同じく、録に記録も無く、殆ど消え去る日本の水上民も記録や調査を見たいものです。
通稱ジャンク船は…南宋~元~明(鄭和)頃の船が泉州などで發掘されてますね。大きさで云えば…17世紀までは、中國船が一番巨艦が存在しましたよね。明が永樂帝の死去で海禁政策に轉換してしまい…鄭和艦隊も消えてしまいますが、5000瓲級は有った模樣
安宅船の安宅とは、素直に考えれば熊野水軍の安宅氏が由来でしょう。
三好長慶の弟・冬康が安宅氏を継承し、淡路に拠点を置いた事で、熊野水軍で使われていた伊勢型の和船が瀬戸内海に持ち込まれ、安宅船と呼ばれるようになったのでしょう。
和船は丸木舟を横に並べて幅を確保したような構造で、一本の竜骨の代わりに分厚い船底が並ぶので逆に堅牢だったと言われます。
また中央の船底材は動画にある丸子船のように、横に流されるのを防ぐ目的で下に突出していたようですね。
青森の「みちのく北方漁船博物館」でジャンク船の復元船を見たとき、1本の頑丈なキールが全通していて、そこから横方向にフレームが伸び、バルクヘッドで浸水を抑えるという現代の大型船と同じ構造になっていることに驚きました。
水軍の戦法は、射手船→空母艦載機による攻撃、焙烙船→主力艦による砲撃、武者船→水雷戦隊による魚雷攻撃、という感じで、これも現代的ですね。
先人の知恵の偉大さを感じます。
熊野水軍の 鉄甲船 って強かったんですか❓️ 太閤立志伝5 的に…火矢食らっても、燃えないのは、強みっぽく素人目には、見えるけど…
そんなものは存在しない
@@xxjuikl さん、
仰る 通り、実在しないようですね
返信ありがとうございます
見た目だけなら
ブルース・リーの映画で見たのがジャンク船に似ていたなー
竜骨がない船を作ってた歴史が世界最初の揚陸艦っていう先進極まるフネを日本に作らせたのかも
琵琶湖の竹生島に、朝鮮出兵の際の御座船?の上部構造の遺構と伝えられる構造物が、渡り廊下の様になって残っています。
中国は海のシルクロードのほうでも探検派遣してたからなあ、、、;;
日本は海洋民族 とおもってたけど、、、 鎖国の歴史も長いですよね、、、
勉強になりましたm(_ _)m
鉄甲船は後世のフィクションじゃなかったっけ?
一応、当時のある僧が残した記録で「鉄の船なり、てつはう(鉄砲)とをらぬ用意(通さないように対策?)事々敷儀なり」というものがあります。
「鉄の船」が実際に作られたことは事実のようですが、これがどんな船だったかという詳細はわからないようです。
全面を鉄で覆った船と思えばロマンですが、当時の技術とコスパを考えると現実的には戦闘員がいる部分だけ鉄板で装甲した程度ではないか、と見られているとのことで。
江戸時代は戦国時代の武具類とさほど変わっていないでありんす
軍船も同じと考えて良いと思うのでありんす、余計な改良は
改易のもとでありんすからw。
村上水軍の勢力圏はだいたい山口県の上関から香川県の本島まで、毛利の要請で下関まで出張して大友の船を襲ったりもしている
本拠地である愛媛県には当然能島や来島があって海城がいくつもあるし、岡山県の倉敷市(本太城)や笠岡市(笠岡城)にも城を持っていた
某野望ゲームだと全然すごさが伝わってこないけど、能島と来島の村上水軍はマジでヤバい大海賊だった。もっと能力値高くしろと言いたいくらいだ
毛利が「おーい村上、戦争しようぜ!」とサザエさんの中島君ばりに誘ってくるので、付き合っているうちにそうなったんだけどね
こういうのは記録が残っているんだけど、船に関しては村上水軍の主力が関船だったこと以外はよく分からなかったりする
海賊禁止令とかいうほぼほぼ村上水軍限定ともいえるような禁止令…
第一条からのっけから村上水軍の賊船行為非難され、瀬戸内海出禁になってしまった(頭領村上武吉親子も死刑判決だが小早川隆景の仲裁で筑前糸島に退去+大量リストラで許された)とも
黄砂が振る所ってかなり限定的じゃなかったか?九州南部辺りだったような
6:19 >竜骨のあるヨーロッパの船は浅瀬だと座礁して横転してしまうからな。
いや、帆船時代の欧州の船は設備の整った港ならともかく、それ以外の外洋では船底の海棲生物(カキやフナクイムシ)除去のために定期的に浅瀬に乗り上げなければなりませんでした。
「ビーグル号航海記」なんかにも、たしか浅瀬にわざと乗り上げて船底をメンテナンスする場面があったはず。
船底をまんべんなく洗うためには、むしろ船底が丸く右や左に転がせる方がずっと都合が良かったんです。
小さい船ならともかく、外洋を航行する大型船を持ち上げて船底を洗うようなマネは出来ませんから(´・ω・`)
傾船修理と航行時の座礁はまた別の話です。今回の場合は浅瀬を航行できるかどうかという場合の違いを説明しました。
喫水が深いので浅瀬だと座礁してしまい、船底を洗うためにしろ底が丸いため傾いてしまって使えなくなってしまうということでは?
大陸のように大河が少なく、遠浅の海での使用が多い日本では西洋船のように竜骨がある構造は向いていないという話です
外洋を航行する大型船自体があまり必要とされなかった日本では、河川や近海を航行するだけなのでこういった船になったという内容なので
大型船を整備する際には丸底のほうが都合がよいというのは論点がずれています
@@三毛猫-d9i 底が丸いので傾くのは底を洗うのに都合が良いんですよ。使えなくなってしまうと言う事は無いです。実際に、大航海時代の欧州の帆船は、まともな港湾では海に浮かべたまま船を無理矢理傾けて船底を洗っていますが、新大陸など整った港湾の無い地域では砂浜や中洲などにわざと乗り上げ、傾けて船底を洗っています。「使えなくなってしまう」というのが真なら、大航海時代は発生しません。欧州の船乗りたちは新大陸へ進出出来ないか、出来ても欧州へ帰れなくなってしまっていたでしょう。
あと、河川や近海の浅い海域での航行に竜骨が無い方が都合が良いというのは、現実を無視した話です。
和船に竜骨が無いのは航行する海域に適合するためにそうなったわけではなく、単に中国から輸入した造船技術が竜骨を必要としない造船方法だったと言うだけにすぎません。
江戸時代以降は竜骨を有する和船も多く建造されていますし、第一ヴァイキングが使っていたクナールやロングシップは竜骨がありますが、喫水は非常に浅く河川や浅い海域に適合しています。
竜骨が無い方が良いから板張りの船になったというのは、後付けの理屈でしかありませんし、挙げられている話も根拠としては弱いです。
うーん、荒木船の和洋折衷感
お恥ずかしながら、私もジャンク船に先入観と偏見を持ち、侮っておりました。
まだまだ学びが足りないと、反省しきりです。
ruclips.net/video/LDNIq6kdScA/видео.html
のジャンクに、リーボードがある!ちとびっくり!近代ヨットで言えばフィンキールの役目。帆の揚力に対し直進性を保つ装置。近代オランダの浅い海用の、船に使われている。両舷を降ろすのではなく、風下(リー)側を降ろすとのこと。
船の絵がいい。すごくイイ。薬は要りません。
秀吉が沖縄・台湾方面ではなく朝鮮から取ろうとしたのは船に使う木材の質がかかわっていたのでしょうか?
日本産の木材では竜骨の様な一部に負担が一手にかかる構造が造れないのは分かったが
なぜ外骨格構造では強い船が造れないのか?
主は帆船模型を始めぬか?
日本は明治時代以前は国土は島国なのに陸軍を重視した大陸国家だったらしいですね。
米国は二次大戦以前は国土は大陸なのに海軍を重視した海洋国家だったらしいですね。
今でもアメリカは圧倒的に海軍重視だよ
江戸時代の船は江戸幕府がが鎖国政策を行う為、船の骨組みを弱いものしか製作させなかったのでは。
江戸時代、銀が主要貨幣だった西日本では瀬戸内海の沈没船が唯一の埋蔵金的ロマン
最近ゆっくり解説の収益剥がされる事が多くなってるみたいだからうp主さんも気を付けて下さいね
お心遣いありがとうございます。
落石注意の標識と同じで、どう気をつければいいのかわからないのではありますが()
@@old-mond
知っているのかもしませんが、収益化を剥奪されないためには、少し生声を入れる、動画の背景で動きのある映像(ゲームプレイの様子)を垂れ流す、などがあります。
@@うま味-z2b どうもそれらの対策は意味が無いらしい。
今まではあったかもしれないが、RUclipsがどうも業者の排除に乗り出しているらしく、それらの対策を施したチャンネルも容赦なく収益剥奪している。
徳川幕府による。規制。外洋船の規制やな。ちゃんと調べとくべきやな。
彼達の云う通りであらばアゲモンな筈なのです。❗
😁
大和は銀河系軍団なのだから。⁉️
😁
いやあ、ロマンっすなー。もし荒木船とかのハイブリッド船がもっと独自の進化をしてたらどうなったか。家光がチキン野郎だったのが惜しまれる。
絵、じょうずだよー
あざざます!
日本の船は素晴らしい船です!
後世に造船の技術を残しましょうっ!!
😁
ええ‥資料が自著だと‥。何者なの?
李舜臣の亀甲船の方が安宅船より強いお
亀甲船って、現代では有名な割に当時の史料で言及されているものがほとんどないそうで…一部では実在すら怪しまれているとか。
私的には興味があるのできちんと調べたいなーとは思っております。
亀甲船って李舜臣関係の歴史書(というより伝説集みたいな)に登場するだけで日本側資料にも朝鮮正史にも登場しないですし
また「戦う時はこう!」みたいな記述ばかりで実際に戦っている様子の記述がない
なのでもしかしたら朝鮮による「ぼくのかんがえたさいきょうのせんかん」だったか
あるいは作ったはいいもののあまり実用性はないものだったか・・・
李舜臣も「脇坂安治の水軍を撃破して63隻を撃沈し1万2000人を射ち取った」と報告していますけど
朱印状によると肥前名護屋城に集結した時の脇坂軍は1500人なので明らかに嘘の戦果を報告しているので
亀甲船の活躍とやらも果たしでどこまで本当やらわかりませんね
@@三毛猫-d9i 個人的な考察になってしまいますが、水軍の戦は指揮官の優劣が出やすいですから、「李舜臣が率いた船団」が精強であった(少なくとも他の朝鮮船に比べれば)のは事実であり、日本軍の補給線を脅かすという水軍の最大の長所を生かして戦争に貢献したのは間違いないかと。
なので、定義や意味合いにおいては「日本軍を倒した最強の船」が、その後に「亀甲船」と呼ばれたということならば、歴史的事実に反することでもなく、むしろ、正統な誉れかとも思えます。
ただ、「李舜臣という優れた指揮官」が率いるから強いのであって、型式だけは同じ「亀甲船」を李氏朝鮮の腐敗官僚が率いれば、最弱の船に早変わりするのはサピエンスのお家芸でしょうか。
@@三毛猫-d9i 現代の技術で「再現」した亀甲船はトップヘビーすぎてまともに航行できる代物ではなかったという話もありますね。
榴弾が発明される以前の当時では火砲によって船を撃沈することはまず無理で、船を沈めるとしたらラム・アタックのような戦い方をするしかない。でも文献に登場する亀甲船では数も足らず速度も足らずで、一度の会戦で63隻もの船を撃沈できるはずもない。
このことを指摘すると某国の人たちは「朝鮮には榴弾があったんだ」とか根拠のないこと言い出したりして困っちゃうんですが
@@nuruosan4398
よしんば朝鮮軍に榴弾があったとしても、1500人の軍と戦って1万人討ち取るのは不可能ですし、なにより亀甲船が本当に彼らの言う通りすごい船なら王朝の歴史書がそれに触れていないのもおかしな話。
李舜臣が日本水軍を撃破して補給路を寸断して撤退に追い込んだという話も、近年の研究ではさほど効果はなかったんではないかという見方も強いようです。九州~朝鮮間の補給路は文禄・慶長の全戦役を通じて維持されており、人も物資も海路での行き来は充分であり、問題は地理に不案内で国内と勝手の違う朝鮮国内の輸送に手間取った結果前線での物資欠乏が起きたと。
どちらが本当かはわかりませんが、いずれにせよ亀甲船が「亀のように全体を装甲で覆い、刃で覆われていて知らずに飛び込んだ日本兵は次々に貫かれて死んでいった」ということはないでしょう。豊臣水軍の中心部部分を担っていたのはやがり戦国期から変わらず歴戦の九鬼、熊野、村上の水軍衆たちですし、突っ込んだら危なそうなのは見たら大体わかるはずですし。
ありがとうございます!