私も飽きっぽいのですが、出来るわけない、などと言ってくる人が周囲に多かった時は、それを真に受けて無気力に過ごしてしまっていたなと思いました。可能性を摘むようなことを言いそうにない人がいる環境に行き、挑戦する楽しさに気が付けたら、自然となにかしら継続するものに出会えるのかもしれないですね。
飽きっぽいって逆に才能ですよねだって3年も続けられたらそれなりにそのことに関する知識も深まるしそしてまた別のものにハマれるって幅がすごいじゃないですかコロコロ変わる趣味もまた楽しめたらそれでいいと思います。
今は冬と春の中間で、(立春は過ぎたといえども。)動画の内容,名越先生の言葉にも共感できる回でした。寒いところ(冷たいところ)とあたたかいところがあったとき、あたたかい所に誘われていってもいいよねと、気が楽になったというか…当たり前だけどその当たり前に立ち帰ることができないで、苦しい思いをしていたなと、(個人的に)自分の胸の内を知ることができました。今日、ご近所の方から以前のお礼にお手紙をもらったのですが、決して長くはないお手紙でしたが、「もうすぐ春ですね」という始まりに少しはっとしました。厳しい,寒い時期を知っているから春のあたたかさに誘われるわけで、それが悪いわけじゃないと、名越先生に教えられたようでした。
3年も続いてるなら、充分続いてると思うわ。私は多趣味で幾つかの趣味あるけど、2つくらい途中で止まってる‥3つかも。勉強も飛び飛び。続いてるのもあるけど、数日放置して気が向いたりしたらやって…というときもある。続けようって思うと続かないですよ。楽しい
以前はツイッターが好きでよく覗いていたのですが、最近は何歳までにどうとか、こういう人ならこうあるべき、という様な情報ばかり目についてしまい、やる気をそがれる気持ちになってしまいます。それでもまた覗いちゃうので、距離を置くようにしたいと思いました。話は変わりますが、愛からの言葉・助言、という箇所に心がひかれました。大事な友人に対して過干渉っぽくなっているなぁ、と感じる事があるので、自分の言動を振り替える基準にしたいです。
飽きっぽくても、生きてていいんだって思えました。ありがとうございました😭
飽きっぽいです。仕事は半年が限度で、朝起き上がれなくなります。目が覚めて、身体を起こす、という数秒の動きをする気にならないので、トイレの我慢の限界まで横になっています。一瞬の動きをするための勇気も気力も足りません。
私も双極性障害で、趣味のジャンルがころっと変わったり仕事が転々としたりとありルーチンも続かず悩んでるところがあったので先生からお話を聞けて良かったです。動画を上げてくださり、ありがとうございます!これを通さないとできない短いものを入れてみることを参考にしてみます。
わたしも自分自身本当に飽きっぽいなーと思ってるんですけど、これは「つまみ食い」みたいなもんなんだ 人生をビュッフェ形式で味わってるんだと思ったら楽になりました
興味をもったものから、その法則性を考えるのは楽しそうですね
厳しいけど正論だなぁって感じる意見は、なんとか取り入れなきゃ自分を変えなきゃって思ってしまうけど、大抵の場合自分自身のエネルギーは削がれちゃいますよね。正論や耳の痛い意見とも適切な距離感で付き合っていきたいなと思いました。
私も何かしら誇れるくらいに上達したいとは思うのですが、大体のことは中級者程度に上手くなった頃に飽きもあっていつの間にかやめてしまいますそこを我慢してやり続けて壁を破れるということもあるかと思うのですが、やはり頭打ちな気もするし、感覚的には実際飽きてるし…無理にやっても時間の無駄なのかなぁとも思えてどうするべきかよくわからないですね
「複数の分野でそれぞれ50点とる人は1つのスペシャリスト以上の成果を出す事がある」という言葉を聞いた事があります。何かをそこそこ修めた経験は必ず他の分野で活きるのだと。1つに打ち込む事をよく才能と呼びますが、飽き性というのも才能のひとつかもしれないですね。
多分この相談者様は、飽きっぽいことが問題ではなくて(飽きっぽいことの利点やメリットもたくさんあるので)、周りに『お前は飽きっぽいから仕事が続かないんだ』等々責められるのが問題なのではないでしょうか?仕事や社会では継続することが美徳の容易に言われて、そう出ない場合責められるから大変ですよね。ならば、飽きっぽい方でもできる仕事、飽きっぽい人が得意な仕事をすればいいのでは無いでしょうか(営業で日々転々と移動する、デザイナー職で日々依頼が入ってやることが変わる、色々なことを自分でやるフリーランスなど)。ご参考までに
ストライクゾーンが狭いのが悩みです
名越先生の二次創作は夜間飛行に許可を求める必要があるでしょうか・・・(私はやるという意味ではなく)
メガネが浮いている
私も飽きっぽいのですが、出来るわけない、などと言ってくる人が周囲に多かった時は、それを真に受けて無気力に過ごしてしまっていたなと思いました。可能性を摘むようなことを言いそうにない人がいる環境に行き、挑戦する楽しさに気が付けたら、自然となにかしら継続するものに出会えるのかもしれないですね。
飽きっぽいって逆に才能ですよね
だって3年も続けられたらそれなりにそのことに関する知識も深まるし
そしてまた別のものにハマれるって幅がすごいじゃないですか
コロコロ変わる趣味もまた楽しめたらそれでいいと思います。
今は冬と春の中間で、(立春は過ぎたといえども。)
動画の内容,名越先生の言葉にも共感できる回でした。
寒いところ(冷たいところ)とあたたかいところがあったとき、
あたたかい所に誘われていってもいいよねと、気が楽になったというか…
当たり前だけどその当たり前に立ち帰ることができないで、苦しい思いをしていたなと、(個人的に)自分の胸の内を知ることができました。
今日、ご近所の方から以前のお礼にお手紙をもらったのですが、
決して長くはないお手紙でしたが、「もうすぐ春ですね」という始まりに少しはっとしました。
厳しい,寒い時期を知っているから春のあたたかさに誘われるわけで、
それが悪いわけじゃないと、名越先生に教えられたようでした。
3年も続いてるなら、充分続いてると思うわ。
私は多趣味で幾つかの趣味あるけど、2つくらい途中で止まってる‥3つかも。
勉強も飛び飛び。
続いてるのもあるけど、数日放置して気が向いたりしたらやって…というときもある。
続けようって思うと続かないですよ。
楽しい
以前はツイッターが好きでよく覗いていたのですが、最近は何歳までにどうとか、こういう人ならこうあるべき、という様な情報ばかり目についてしまい、やる気をそがれる気持ちになってしまいます。
それでもまた覗いちゃうので、距離を置くようにしたいと思いました。
話は変わりますが、愛からの言葉・助言、という箇所に心がひかれました。
大事な友人に対して過干渉っぽくなっているなぁ、と感じる事があるので、自分の言動を振り替える基準にしたいです。
飽きっぽくても、生きてていいんだって思えました。
ありがとうございました😭
飽きっぽいです。
仕事は半年が限度で、朝起き上がれなくなります。
目が覚めて、身体を起こす、という数秒の動きをする気にならないので、トイレの我慢の限界まで横になっています。
一瞬の動きをするための勇気も気力も足りません。
私も双極性障害で、趣味のジャンルがころっと変わったり仕事が転々としたりとありルーチンも続かず悩んでるところがあったので先生からお話を聞けて良かったです。動画を上げてくださり、ありがとうございます!これを通さないとできない短いものを入れてみることを参考にしてみます。
わたしも自分自身本当に飽きっぽいなーと思ってるんですけど、これは「つまみ食い」みたいなもんなんだ 人生をビュッフェ形式で味わってるんだと思ったら楽になりました
興味をもったものから、その法則性を考えるのは楽しそうですね
厳しいけど正論だなぁって感じる意見は、なんとか取り入れなきゃ自分を変えなきゃって思ってしまうけど、大抵の場合自分自身のエネルギーは削がれちゃいますよね。正論や耳の痛い意見とも適切な距離感で付き合っていきたいなと思いました。
私も何かしら誇れるくらいに上達したいとは思うのですが、大体のことは中級者程度に上手くなった頃に飽きもあっていつの間にかやめてしまいます
そこを我慢してやり続けて壁を破れるということもあるかと思うのですが、やはり頭打ちな気もするし、感覚的には実際飽きてるし…
無理にやっても時間の無駄なのかなぁとも思えてどうするべきかよくわからないですね
「複数の分野でそれぞれ50点とる人は1つのスペシャリスト以上の成果を出す事がある」という言葉を聞いた事があります。何かをそこそこ修めた経験は必ず他の分野で活きるのだと。1つに打ち込む事をよく才能と呼びますが、飽き性というのも才能のひとつかもしれないですね。
多分この相談者様は、飽きっぽいことが問題ではなくて(飽きっぽいことの利点やメリットもたくさんあるので)、周りに『お前は飽きっぽいから仕事が続かないんだ』等々責められるのが問題なのではないでしょうか?
仕事や社会では継続することが美徳の容易に言われて、そう出ない場合責められるから大変ですよね。ならば、飽きっぽい方でもできる仕事、飽きっぽい人が得意な仕事をすればいいのでは無いでしょうか(営業で日々転々と移動する、デザイナー職で日々依頼が入ってやることが変わる、色々なことを自分でやるフリーランスなど)。ご参考までに
ストライクゾーンが狭いのが悩みです
名越先生の二次創作は夜間飛行に許可を求める必要があるでしょうか・・・(私はやるという意味ではなく)
メガネが浮いている