沖縄県・那覇市古波蔵のお散歩【4K】okinawa walk

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  • Опубликовано: 16 янв 2025

Комментарии • 8

  • @niko3263
    @niko3263 16 дней назад +2

    古波蔵は22歳から33歳まで住んでた。今から30年近く前だな。若干お店とか変わっちゃったけど、当時と同じく交通量は多かったな。
    卒業するまで楚辺に住んでたけど、撮影されたまさに古波蔵の通りを毎日歩いて中学校・高校に通ったぞ。当時の中学生・高校生は片道30分ぐらい平気で歩いて通学してた。

    • @okchannel-okinawa
      @okchannel-okinawa  16 дней назад +2

      ご視聴とコメント有難うございます!
      楚辺から古蔵中までは余裕で30分ありますね。
      昔は、今では想像できないくらいの小さな商店やスーパー、駄菓子屋さんがたくさんあり賑やかでした。
      本当に懐かしいですね。

  • @黒木正彦-u1q
    @黒木正彦-u1q 17 дней назад +3

    おはようございます。
    こうしたガイドブックに載ってない沖縄を紹介してください。
    あと美味しい朝御飯のお店を教えてください。

    • @okchannel-okinawa
      @okchannel-okinawa  17 дней назад +4

      あけましておめでとうございます!
      2025年もどうぞよろしくお願い致します!
      朝ごはん限定なんですね~✨
      了解です!探してみます!👍

  • @kyaianntomaーbiー
    @kyaianntomaーbiー 17 дней назад +3

    那覇市古波蔵には古蔵小学校と古蔵中学校がありますが、なぜ古波蔵小学校や古波蔵中学校という校名にならなかったのか、その理由を知っている人はほとんどいません。
    もちろん今の那覇市教育委員会の職員も知りません。

    • @okchannel-okinawa
      @okchannel-okinawa  17 дней назад +3

      コメント有難うございます!
      大変興味深いお話ですね。

    • @kyaianntomaーbiー
      @kyaianntomaーbiー 16 дней назад +2

      @
      コメントをいただいたので那覇市古波蔵にある古蔵小学校と古蔵中学校の校名について説明いたします。
      古蔵中学校の設立年は1963年で、当時の沖縄は米国施政権下にあり1960年代後半にかけて本土復帰運動が盛んになっていく時代でした。
      1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効して日本は主権を回復して独立しましたが、沖縄は引き続き米国施政権下に置かれることになったので経済や教育面などさまざまな分野で本土との格差が生まれました。
      教育界においても「本土に追いつけ追い越せ」を合言葉に本土並みの教育が徹底された時代でした。
      方言撲滅運動がその象徴で、沖縄的なものはすべて排除して標準語励行運動が徹底され、学校の校名も「沖縄的なものではなく本土風にするべし」という意見が地域住民などから上がり、教育委員会もこれに同調して「古波蔵」の「波」を取って「古蔵」にしたそうです。
      古蔵小学校は1976年設立ですが、校名は古蔵中学校に倣ったと聞きました。
      ちなみに那覇市古波蔵の近くに那覇市立神原小学校と神原中学校がありますが、那覇市には「神里原(かんざとばる)」という地域はあるものの「神原」という地名はありません。
      これも古波蔵→古蔵と同じように沖縄風の校名ではなく本土風の校名にしたいという当時の人々の思いから神原原小学校や神里原中学校ではなく神原小学校や神原中学校になったといわれています。

    • @okchannel-okinawa
      @okchannel-okinawa  16 дней назад +2

      ご回答有難うございます!
      沖縄を感じないような、内地風にしたかったのではないかと言うことはきいたことがありますが、実際本当だったとは驚きです。
      まさか神里原→神原までとは知らず本当に勉強になりました。
      またご教授くださいね!