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今日も朝から田中先生の講義を拝聴させて頂いてます!毎週休みの日には必ず観ています。学説主張が理路整然としておりとても独創性が高く思います。よくTVなどに出演されている学者先生方とは異質なものを感じます。マルクス史観とは隔絶した大和心を感じます。とても参考になります。これからも楽しみにしております。
田中先生の説に、自分の体験から納得します。私の子供の頃は小川原湖の湖畔に行けば子供でも弁当箱くらいのカラス貝がいくらでも取れました。今はシジミ貝養殖のため商品価値が少ないカラス貝は取り捨てられてなくなってますが、縄文期の自然は非常に豊かだったと確信します。多分海辺にいれば人は十分に生きていけたはずです。そういう自然の豊かさに支えられた文明が日本だと思います。
目から鱗の講義でした。日本の古代の歴史は今まで受動的なものでしたが、先生のおかげで自分から掴みに行けるようです!
日本は自然が守ってくれる国。災害があっても食の恵みがあります。同じ島国でも近海の魚の種類はイギリスの倍以上。4つのプレートが押し合う国。多様性のある国土。古代から同じ自然です。歴史はよく見なければいけません。田中先生の視点は我々に大きな恩恵を与えています。
まさに、考え続けていた不思議の一つでした。早速ありがとうございます😊。
🐎🦌という言葉はここから来たのかもしれませんね。今回も田中先生のお話から多くの学びを得てしあわせです。ありがとうございます。
素晴らしい😂❤
失礼な言い方ですが、田中先生の達観にはいつもいつも驚かされます。ありがとうございます。
田中先生のお話をいつか、じかにお聞きしたいなぁ。とても面白い‼️
よく聞いております。教えられることばかり。親鸞聖人も大変に聖徳太子を尊敬されておりそこから特にいろいろ学んでおります。これからも期待しております。お元気で!
素晴らしい講義を手軽に見れて大変ありがたいです。
先生の今回の講演は東北に住む小生の中で久々のヒットでした。何度見てもヒントがいっぱい。蘇我氏と秦氏の仏教感の捕らえ方が異なっていたと。旧約聖書の離散し東に向かって日本に順次帰化人した部族(失われた10部族は順次日本に来ていたのだろう)部族間でも考えが異なり、争いもあったのだが、それが日本のそれぞれの豪族のDNAとなって深層で生きつづけ争いもあったのだろう。理想の?国造りとして背後でそのストーリーを画策していたものと思われる。それが西の天皇にべったりの平家につながって平家にあらずば人にあらずと言われたその否定として東国の武士(関東武士)が立ち上がって新しい国造りをし始めたのであろうと。古代帰化したユダヤ人の多くは、そもそも関東に多く存在したのだから。源氏の源という漢字はそもそもその通りの意味合い持っていた。多くの知られる歴史上の著名な武士の背後には、深層を理解し理想の国造りにしようとネットワークで結束したレビ(旧約聖書での預言者たち、神から与えられた地上の割り当ての地がなかった)がいたのであろう。多くは修験者となり鞍馬山で義経に戦術にの訓練の手ほどきをした天狗などはまさに帰化していたユダヤ人達であったということになる。鎌倉殿の13人、まさに理不尽なことをする上皇さえも戦でもって島流しにしたのであった。
田中先生の歴史の話大好きです過激に見えないご容貌と凄い社会的地位と賢さですが、聞いてるとお茶を噴き出すぐらいびっくりする話をされるところにツボっています。きっと変な洗脳や思い込みや派閥とかを排除した先にいる先生なんだなぁ素晴らしいなぁと思います
浅い知識は持っていましたが、これだけ深いお話をお聞き出来てよかったです。
今回はとくに、たいへん造詣のふかいしかも面白い講義だと思いました。田中英道先生の御見識には頭が下がります。なにぶん我々世代はマルクス史観を植え付けられて育ちましたので。 先生には感謝するばかりです。
秦氏の仏教観と蘇我氏の仏教観、ここに目を付けられたのが大変に興味がありました。親鸞聖人が聖徳太子を和国の教主とあがめておられるのを理解するヒントにしたい。
自分が日本人であることが、どういうことであるか、教えて頂きました。感謝です。
「「日本は自然道である。山に伏す山伏。日本に理想を見たから同化した。血の中にある」感動しました。
1:08:49 秦氏と蘇我氏の仏教の考え方が違っていたうちの両親はどちらも長男長女として生まれたわけではなく、兄弟姉妹の数はとても多かったですが、結果的にはそれぞれ親の面倒をみる濃いい役割になっていきました。私の祖父母が全員亡くなった後、ずっと経ってから、父方と母方の家系の違いというものをいろいろ考えてきて(個人的に内側で統合してみたいので)、田中英道先生の古代史の世界のお話が参考になるんです。田中英道先生の本に出会うよりもずっと前から、象徴的なポイントを拾っていくと、父方は出雲、母方は物部と親和性が高い感じと思えました。しかし、この動画の仏教の話題を加味すると、父方も母方も物部氏とは親和性があって、父方は蘇我氏、母方は秦氏と親和性が高い、という表現で、見えてくるものがあり、参考になりました。
歴史的、考古学的事実を素直に追っていけば、おのずと田中先生の説になる。
日本は不思議な国で、 アフリカに誕生した人類が太陽を求めて東へ東へ移動して たどり着いた東の果ての島国だ。 列島で人類が誕生したわけではないだろうが、 古代の文明が大陸のみならず、中東からも世界の古代文明が列島へ及んでいる。 日本神話には旧約聖書の影響が色濃く残っている。神社にも古代キリスト教の影響が残存している。 大和王朝が民祖ではなく、渡来人先人の出雲王朝を背乗りした新参の渡来王朝だったとしても、縄文以来の日本の文化と同化している。 つまり天皇は日本のみならず、世界の民族の教祖になれる立ち位置にある。 古代史を解明して、天皇が世界平和の象徴になるのが相応しい。 男系皇統は鮮卑族の矮小化された支配欲でしかない。 古代日本は女性が祭祀王とした最高権威者であった。 皇室の男系には鮮卑族の遺伝子しか受け入れていないが、 女性は列島各地の豪族の娘の遺伝子が入っていてまさに民祖を形成している。 今上天皇に男宮がみえないのは天の啓示だ。 愛子天皇こそ、これからの皇室の役割を担うに相応しい方だ。 もしかしらた愛子天皇がハルマゲドンから世界を救う方かもしれない。
今回も田中英道先生のお話は、とても勉強になりました。ありがとうございます。木と岩を信仰する国・・・確かに日本のようですね。
田中英道先生ありがとうございます🙏
埴輪の姿、仏像の顔について、これは大変に気になるところです。面長で鼻が高いという仏像ですが、各人種の容貌、体型、また、民族衣装と並べると、いろいろ見えてくると思います。私は、博物館で、インドの仏像の展示を何度か足を運んでいますが、それとは別に、職場にはインド系の人が多い会社に居ました。土日に大量の仏像を拝見した翌週に、職場の同僚に会うと不思議な感じがしたものです。なお、日本書紀では、蘇我氏は武内宿禰の後裔、つまり、皇別ということなのですね。ところが、新撰姓氏録では、蘇我氏は諸蕃となつているのですね。とても興味深いと思います。
修学旅行のしおり書いた記憶がよみがえる おかしいと思ったよ 美術本は芸術的と褒めたたえてるが 妙な気がしたなぁ 目から鱗
毛沢東を最初に認め、極秘裏に会いに行ったのは、米国のキッシンジャーでしたね。先生のお話で理解出来ました。有難うございました。
ユダヤ人を同化させるとは日本は凄い国です。ユダヤは日本のみならず世界中に広がっていますが、日本のユダヤとは違いますね。同化していて気が付かなかった💦出土品の「形から」解釈するというのも目から鱗です。蘇我氏。。。我蘇り。。。近くに「蘇我」という地名がありますが「我蘇り」という話も伝わっていて、これまたΣ(・□・;)―――いつも素晴らしい御講義をありがとうございます。先生の御話を伺っていると心が温まります🙏❕❕
歴史を解き明かすお話は大変勉強になりました。感謝申し上げます。創造主である神と自然に宿る神は同じです。それを縄文人は知っていた。あれこれ理屈をこねて分からなくなってしまったのが後世の人間。縄文時代の心に戻りたいものです。神様が数えきれない奇跡を与えて下さっていることを知っていた縄文人とイエスキリスト。そこにおそらく気づく人がどんどん増えて愛は神から来ることに目覚めるでしょう。そこに至ってこそようやく平和な時代を迎えられます。
私は古代史フアンです。先生の「日本人の宗教観」「ユダヤ人と日本人の関係」、すごく勉強になります。同感、共感するところが沢山あります。「竹内宿禰」って全体で一つの世襲の官職の名前ではないでしょうか?何代もの天皇に仕えたという問題も解決されるかも。です。
勉強になります
久しぶりにすごい内容の歴史に触れました。聖徳太子暗殺。蘇我氏滅亡、シラギ、ユタヤ。
馬子、入鹿、蝦夷→日本語に鈍感な人。なるほど。面白いですね!「蘇」という食べ物も知りませんでした。食べてみたいです。
この学者 笑 「蘇我氏」のこと 笑 「わかっていない」聖徳太子の命で、「越の国に赴いて、飛鳥の寺に協力者が蝦夷の一族。その、妻を娶ったから、(蘇我蝦夷)と尊敬した名前です。」又「入鹿の鹿。鹿は神の使い。奈良公園を見てこい。」と言いたい。春日大社を見てこい。「これが学者か?」
「日本語」に鈍感な人。「この学者の歴史に鈍感な人」が歴史学者の講演を黙って聴いている老人聴講会場。
@@MIZ-c8w様はじめまして。返信、失礼致します。古代史に興味があります。蝦夷の妻を娶り「蘇我蝦夷」とは勉強になりました。蝦夷は阿久留王やアテルイに関係あるのでしょうか。御見識を教えていただけると嬉しいです😃
@@あまてる美 古代史は、資料がないので、学者でさえ苦労していますね。蝦夷、そういう事です。因みに、乙巳の変は、蘇我入鹿が討たれて「呆気ない?」と思う日本全国民はいないのでしょうか?実は「蘇我氏の部下に大軍事力を持った豪族がいました。蘇我蝦夷も、まさか動かないとは?」よって父、蝦夷も飛鳥の邸に火をかけました。「たくさんの資料も焼けました。」大軍事力の豪族は誰でしょう?「勉強してくださいね。」
難しいです。少ない勉強した知識での考察です。部下とは、動かなかったの「物部氏」?鹿島神宮の鹿が🦌春日大社に入りした様です。藤原氏の祖神にあたる天児屋命(あめのこやねのみこと)と、鹿島神宮の建御雷神(たけみかづち、タケミカヅチノオ)との関係が気になります。同時に武甕雷の出自が知りたいです。「甕」気になります。香取神宮にも神の使いの🦌がいますね。経津主(フツヌシ)神。経津主(フツヌシ)神は剣の神。石上神宮には何度か訪れていまして、関係ある様な気がしてならないのですが、アドバイスいただけると有り難いです。迷路で難しいですが勉強を続けます。ありがとうございます。
竹内宿禰について。鳥取市国府町に「因幡国一の宮 宇倍神社」があり、ご祭神は竹内宿禰です。明治32年に発行された「五圓」紙幣の図柄に竹内宿禰と宇倍神社が印刷されています。また、竹内宿禰は第12代景行天皇より成務、仲哀、応神、仁徳天皇の5朝に仕え、わが国で最初に「大臣」の称を賜っています。
田中英道先生は蘇我氏が✡️ユダヤ系であると主張されて居ますが、公認の武内宿禰第七十三代竹内睦泰氏によると、蘇我氏、葛城氏、平群氏など大和盆地の豪族は孝元天皇から出て居る武内宿禰をルーツとすると主張されて居ます。NY在住の早稲田大学で教鞭を執られて居た、✡️ラビ•マービン•トケイヤー氏によると、天皇家そのものルーツが、家系図とバイブル中の家系図との共通性から北朝イスラエル系(🦄エフライム族:王族)とされて居ますので、蘇我氏や武内宿禰が、✡️ユダヤ系の繋がりが有る事の指摘は否定出来ません。
慧眼。先生の見通す力のことです。
1:11:08 蘇我氏の考えはキリスト。秦氏は自然を大事にする神道。古代史における、蘇我氏と秦氏の仏教観の違いというところから、田中英道先生のお話を伺って思い出したのは、国内でIC工場をやっていた社長さんが工場を閉鎖したら化石海水の温泉が湧出して、結局そこを縄文コンセプトで温泉施設に造り上げたお話です。その方は縄文時代の史跡が豊かな信州の尖石でまた全然違う泉質の温泉を掘り当てて、ユニークな施設を作っていらっしゃいました。私が惹かれたのは、その温泉の最初のお客様はニホンミツバチたちで、温泉のお湯を飲んだ後、45°の角度で翔び去って行ったというエピソードです。その社長さんが、いま大切なのは人間の安全保障で、縄文のリーダーを育てることが必要とお考えでした。しかし、この意見は実際にそこを利用者として訪れて現地の状況をよく観察しないと、その意味合いがよく分からないと思います。
唐では大秦寺と言う名前で景教の寺院がありましたが、蘇我氏と秦氏は景教による日本侵略の尖兵ではないのですかね?こういう勢力の人が藤原氏を貶めていますが、子孫の近衛文麿氏が日本をバイコクしたからと言って、平安400年の安定を作った功績は事実です。俺は蘇我氏と秦氏が北九州勢力と唐の景教勢力と結託して、大和王権を騙して朝鮮半島南部を唐に献上して、唐での景教の布教を635年に認めさせたと思います。
@@1honshitsuka 小学生の頃、よくわからないのに645年当時の中大兄皇子の喜びに注目していたことが、自分でも謎なので、直接関係ありませんが外濠的なメモを残しておきますね。🔷原始キリスト教と景教は全く異質な別物🔷藤原氏=神主
新約聖書(山上の垂訓)「 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」5章1節 イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。 あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
景教とユダヤ経との対比は、日本人から見たら、とれも面白いですね
「尾も腫れます」を「思はれます」二訂正します。失礼しました。。法華響にはじめて接したのは空海が初めで空海はb京の秦氏を訪れ、比叡山系の法然を生み出したのが順序だと思います。親鸞の浄土真宗は明らかにキリスト教に似ています。富山市の新庄のお寺の亀谷先生の「仏教からキリストへ」の著書に詳しく書かれていました。
今先生は、蘇我氏を研究されているんですね、いずれその論文を発表されると思います、楽しみです。
今これが1番日本の問題の神と人間関係に出るわけです。
渡来人っていうけれど、半島南部にはそもそも日本人が住んでいたのでは?
😢
1:16:39
😊
長江文明の人骨が大量に出土し年代測定とDNA縄文人でした。7000年前です。シュメール(すめら)とか?縄文人が葦の大型船に葦の帆で世界中に行き来してたもかです。淡路島の伊弉諾命がユダヤ人を連れてきてます。旧約聖書にも書いてあるそうです。藤森三千雄さんの八咫鏡古代ヘブライ文字を解読されてます。伊弉諾尊のイスラエルから日本に里帰りです。
貴方が正しいです。 私も先祖帰りを提唱してました
確か縄文時代に、九州で火山が大爆発し、噴煙の為、気候変動したはず。そのため、縄文人は食糧を求め世界に散リましたよね!全てでわ無いですが、当然中東、アメリカ大陸、南アメリカ、世界中に散ったはず(カルデラ)爆発物だっか
神道の大祭司の歴代天皇陛下が、広隆寺(秦氏建立、元は弥勒菩薩半跏思惟像が祭神、現在は聖徳太子が祭神)の聖徳太子像に対する「黄蘆染御袍の下賜」というのは、とてもとても重大なことです。田中さんの仏教史はごまかし。小乗仏教と大乗仏教を混同してる。
考えて来たことと近く同感。面白い。しかし、最後、キリスト教の簡単な否定はもっと議論の余地があるところ。大いなる逆接か皮肉というか。キリストの復活という事実がなければ民族かかわらず命までかけて世界に伝道しようとはしなかっただろうし、嘘でもそれが行われてきたことによってこのようにあらゆる宗教抜きでも世界のことが解るように共有化されるようになって来たという歴史的事実はあろうかと思わされます。
イエス・キリストの復活は民族の復活の例えです。本人は実在していません。ファンタジーです。昔の時代なのでやりたい放題です。
とても面白い講義でした 以前に聴いたことですが 朝鮮の民族は高句麗・百済・新羅と現在に繋がる朝鮮民族(ワイ族)とは全く別であった かつての朝鮮人は大変優れた民族であったが 滅びてしまい後に入り込んできたのがワイ族なんだそうです!一つ疑問があります 日本人は受け入れた渡来人とどのように意思疎通をはかっていたのでしょうか もちろん先に渡来した人々が通訳をしたであろうとは思うのですが・・以前にも日本に新羅や百済から来日していたことを知り どのように意思の疎通を図っていたのか不思議で仕方ありませんでした
日本と百済、新羅とは言葉が通じたという。
聖徳太子は幼少期から、中臣御乞子(中臣鎌足の実父、宮中での神祇伯の職だったという説あり)から宗源道(「造化三神」信仰の古神道)を学び、長じて、摂政となってからは秦氏河勝と極めて懇意になりました。「造化三神崇拝」(聖徳太子)と「三位一体神崇拝(秦氏)」では、極めて親和性が高かったと思われます。
日本書紀は藤原氏が自分たちに都合の良いようにしかも百済の文人に書かせたもので、歪曲が多くてあまり信用できません。日本書紀は蘇我氏は大臣だったと書いていますが、蘇我氏は大王家しかできない八佾の舞を行ったことから、大臣でなく大王だったのではないでしょうか。推古天皇が馬子を大王と呼んだという話もあり、馬子は大王だったと思われます。また 馬子の子は蝦夷となっていますが先代旧事本紀には蝦夷は入鹿の事だとありますから、馬子の子は入鹿で入鹿が皇太子だったと思われます。聖徳太子には18歳で国政を執ったと記録にあります。当時使 われていた九州年号に聖徳があり聖徳は629年から634年です。蘇我入鹿は611年頃の生まれなので聖徳元年にはちょうど18歳位で、その頃馬子は亡くなっていますから、そうすると蘇我入鹿は聖徳元年に18歳で大王位についたのではないでしょうか。それで入鹿は後で聖徳太子とか聖徳天皇とか呼ばれたのではないでしょうか。
その通りだと思います。私は崇峻すら架空の大王だと思っています。しかも馬子が大王だったことを隠すためのダミーだったと。
入鹿は斑鳩殿と呼ばれていたのを忌み名にしたのでは?
ユダヤ人の賢さと恐ろしさ、良い面だけ引き出して日本の力になると良い。
面白い!
ユダヤ人の定義は血統が正当ユダヤ人とユダヤ教に改修したユダヤ人、大きく2つにわけられます。血統的には全く別もんですね。ユダヤ人をひとまとめに考えると問題かと思われます。日本は正当ユダヤ人が多くで考え方もまるで違う全くの別人種です。
ユダヤの血は入ってると思いますが、、正統ユダヤの黒い帽子は1200年代に区別のために被るようになっただけで、ハニワの時代?⒲ 関係ないですよ
埴輪の帽子は、騎馬民族の兜っぽい。
前岩屋防衛大臣の顔がユダヤ的ですが求菩提山に伝わる修験道の掛け軸が岩屋氏にそっくりなんです。それに岩屋坊の文字もあります。
なぜ蘇我氏は自らの血を引く天皇や皇子を次々暗殺し、血をひかない天皇を次々擁立(推古天皇は例外)したんでしょうか?そこがどうしても解せないところなんですが
同じように思っていました。その後に国史を編纂させた天武天皇、持統天皇、藤原不比等に都合の良いように書いただけで、全て蘇我氏がした事にするのは説得力が無いです。
延々と長く語り、言いたいことは何か、きちんと「段落」を設けて、結論が明確になる語りであるべき。有料動画サイトでも時間がかかり、専門の古代史でもない「浮世絵」「写楽の実態」などでこじ付けめいたこともあって解約したことがある。
57:30 蘇(そ)の美味しさの件新型コロナのことで小中学校が休みになって給食の牛乳が大量に余っていた時、家で蘇を作ろうというアイデアがインターネット上で盛り上がってました😋
音は同じ『そ』で文字の構成はちょっと違いますが、江戸時代に白隠禅師が禅病対策として伝えたなんその法は、軟酥と書くようですね。軟酥は卵形の黄色っぽいバターのようなイメージだそうで、軟酥の法では、それが頭のてっぺんで柔らかくなって温かいのが溶けて頭のてっぺんから下の方へ流れおちていく感覚を味わうととても良い、と聞いてました。体の表面をバターが温かく流れて浸透していくイメージが禅病対策に良いとされたことが、『そ』繋がりでちょっと面白いと思いました。
日本人の血って何ですか。縄文人の事ですか。先進文明を持った渡来人が列島へやってきて征服した。だから、万世一系でも民祖でもない。最後の新参者が大和王朝で、歴代の古代王朝の功績と背乗りしたのが記紀史観だ。東京裁判史観が戦勝国に権益を守る正史と同様に捏造された歴史でしかない。
@@jim7140様 特に最後の新参者辺りから?なかなか思いつかないご意見、日本人かな?
@@天使-v8l 真の愛国者ですよ。日本は不思議な国で、 アフリカに誕生した人類が太陽を求めて東へ東へ移動して たどり着いた東の果ての島国だ。 列島で人類が誕生したわけではないだろうが、 古代の文明が大陸のみならず、中東からも世界の古代文明が列島へ及んでいる。 日本神話には旧約聖書の影響が色濃く残っている。神社にも古代キリスト教の影響が残存している。 大和王朝が民祖ではなく、渡来人先人の出雲王朝を背乗りした新参の渡来王朝だったとしても、縄文以来の日本の文化と同化している。 つまり天皇は日本のみならず、世界の民族の教祖になれる立ち位置にある。 古代史を解明して、天皇が世界平和の象徴になるのが相応しい。
乙巳の変には唐の留学生が関与している。大陸を統一した唐の影響が我が国に及んで、乙巳の変や白村江の戦いが謀られ蘇我氏による出雲王朝を倒して唐と同じ鮮卑族が権力を握り大和王朝となった。だから唐が滅亡した時に、唐の宝物が同族が支配する日本の正倉院へ移された。
『日本書記』は原本は現存せず、あるのは写本です。ですから、写本を執筆した者のバイアスがかって記述されているた可能性が高い。つまり写本執筆した「道慈(仏教至上主義)」のポジショント-ク歴史の可能性が極めて高い。特に「丁未の乱(神仏宗教内戦)」や「十七条憲法」や、以降の聖徳太子一族、絶滅(山背大兄王一族を根絶やし)の歴史では、蘇我氏(「我よみがえる」という「イエスキリスト」を連想させるように、蘇我氏がキリス教徒であるかのように連想させる記載で)、山背大兄王一族、つまりは聖徳太子一族を根絶やしにしたのはキリスト教徒であるかのように(日本書紀の写本においての「諱」を変造し)、蘇我氏(実際は仏教徒)の凶事を隠す「悪事の仕上」をしてる蓋然性は極めて高い。『先代旧事本紀』での諱は「宗賀」であって「蘇我」ではない。つまり「仏教至上主義」の道慈は、聖徳太子一族があたかもキリスト教徒によって抹殺されたかのように歴史改竄をして、「仏教界による悪事の仕上(聖徳太子一族を根絶やし)」を隠した記述になっている蓋然性は極めて高い。更に言うと、「丁未の乱」時、聖徳太子が玉造稲荷神社に参拝して祈願した内容においても、玉造稲荷神社に現存する社伝と、四天王寺の縁起(これも『日本書紀』での記録で、道慈が執筆していた)は、まるで違った内容である。
17条憲法の「和を以て尊しとなす」の本当意味は当時の氏族間の勢力闘争を基に理解すべきだな。現代向きに拡大解釈するのは控えなければならない。
歴史は勝者が作るということを考えずに、日本書紀をそのまま信じていることに唖然とする。
俺だけの珍説・・・ 誕生した一部人類は、陽昇る太陽神を目指して東へ 々・・・行き着いたとこが、大海原が広がる東の端て・・・そこが陽の神を崇める地として神宮を建てた 国旗に心現る
日本国籍だけのノーベル賞がいないのは不思議に思っていましたがそうでしたか。
疏牙。実家に祀ってるのは大国主命と豊川大神と白龍大社と荒神三宝。今は家紋は、子供の頃に変わって何故か、丸の三つ柏。八咫烏は裏天皇。僕は裏の裏の裏の裏の裏の、、、明治天皇は、何かを知り、違う場所で住んでいました。祭祀王になって
私の母ちゃんも、"小さい時にアブジが日本兵隊にころされ オムニが小作人たちを食べさせてゆくのが精一杯で 女の子のおレラは学校にはいけなかったんだあ"といってたです。成長した男手は日本へ働きに.でした。
在日の方?
釈迦仏教は男性だけの出家です。キリスト教と全く関係ありません。紀元後使途斗升がインド宣教した時に福音書から仏教が法華教として立ち上げたもので小乗仏教と分かれたのが本来の歴史です。
蘇我ユダヤ
天智天皇も「謎の死」を遂げてるが、その後、天武天皇の世になってから蘇我氏は、中央政界で「よみかえった」
タイムマシンはよ作って!!
この学者頭大丈夫か? 「子」を子供と解釈している。「子」は「私」。馬に乗っている武士、貴族、村の長(おさ、豪族)。子曰く つまり孔子曰く とあるように「子供」と解釈した時点や講演したらアウトです。
もう少し簡潔明瞭に講演してもらえるとありがたいです。
馬子で有れ聖徳太子や秦河勝にしても記紀以外の文書、特に藤原氏が隠匿して居る物には古代の人物の本名が載って有ります、鎌足や蘇我氏も皆、物部氏からの氏族から見ても表面の歴史の嘘が多多有ります、秦氏や忌部氏族も此の時代迄隠しに隠した物が有り、今現代鍵が開かれ、これから起こる日本国の大変革が始まります。
訂正:何故、他の「七大寺」と呼ばれる広隆寺や四天王寺等は、「てんで相手にされていない」のか?↓何故、他の「七大寺」と呼ばれる法隆寺や四天王寺等は、「てんで相手にされていない」のか?
実際に切った人は唐人です。二人ではないです。これももっと深ほりして、なぜ、教科書にはあのように書いてあるか検討しなければいけません。
埴輪の時代のユダヤ人がシルクハットかぶってるわけないですよ。
やっぱりノーベル賞はそうでしたか。日本人単独受賞はないにひとしいですからね。
話の流れが話術の無さから訳が分かりにくいです。興味深い貴重な話っぽいのだけど、分かりやすく説明して頂けませんか?
阿波西部山中へ亡命した聖徳太子の直系の御住職様居られらるらしい
ほとんど根拠無く、内容の無い話。ただし、ユダヤ人と日本との関係は興味をそそる。5分か10分で終わる話が、くどい。
トランプは「抑止力」は顕著に見せびらかす。だが、「血を見るのは、とことん大嫌い。」な人。言う事はメチャクチャなとこあるが、いいとこある面白い奴だよ。
仏教を支持しなかったと言われる物部氏はユダヤ人系ではなかったのでしょうか?
仏像の鼻が高いって縄文人はそっち系じゃなかったっけ?(アメリカインディアンとかも鼻高いじゃん)東北で安倍貞任とか東北藤原氏とかが秦氏を名乗らなかったのは?
大乗仏教は紀元後、キリストの弟子トマスがインドに伝道したときに仏教僧が聖書記事を模して法華教を作ったのが始まりだと言晴、チベット経由で長安に伝えられたと言われていますがいかがでしょう。次元が一寸合わないと思います。
相撲を取ったのは野見宿禰です。聖徳太子は前日に妃が死亡しているので、疫病おそらく天然痘による感染でお亡くなりになったと考えられます
言われてみれば、鄧小平とジョージ・ソロスって顔似てる。
神話の"国譲り"も同じように感じます
田中さんの中には人権最優先の言葉は一切出てきません 人権最優先の捉え方が民主主義の基本なのです全体主義と同じですね 日本人の原点でも有るのです日本神話からの歴史を学んでもらいたいです学ぶ事で日本人としての心構えを持てるのです 誇りと勇気与えてくれます 頑固な意思もね頑固な意思の持ち主は日本人神話を読んだ方だと思います
ユダヤ人とおっしゃってるユダヤ人がスファラディーユダヤ人なら納得ですが、紛らわしいのは、カザールユダヤ人との区別です。明確にして説明して欲しいです。
暗殺の達人は仏教界人でしょ。
定説を打ち破る、目を見張りながら聴かせていただきました。ユダヤ人についてお聞きしたいのですが、先生は、ユダヤ人を名乗るカバール人と、ダビデ王の家系であるスファラディユダヤ人とを一緒に語られていますが、区別しなくてよいのでしょうか?
蘇我氏の時代はまだ宮廷仏教だろうと尾も腫れます。
半癬は危ない
聖徳太子が建立した建物はキリスト教の思想背景から出た物だった。聖徳太子がキリスト者だったと私は思う。
当時のキリスト教はまだ新興宗教で、ユダヤ教から派生した宗教なので嫌われていた。
何故、「蘇我」、「宗賀」、「宗我」で読み方が異なるのか?天智天皇(中大兄皇子「大化の改新」をやった人)も、謎の死を遂げている。’その後、「蘇我」氏は権力界で復活した。「蘇」は「黄泉(よみ)帰り」と読む。
ヘブライ語も視野に入れて検討して頂けると、証拠も増え、もっと話題が膨らむと思います。私はユダヤ人はもっと古い時代から日本にいると思っていて、素戔嗚尊がユダヤ人で蘇我氏の祖先であり、大国主命の末裔である、という説がしっくりきます。もともと日本を治めていた大王が蘇我で、別系統の血の正当性を後世書いたのが日本書紀。蘇我系の人ばかり暗殺されて、犯人役まで押し付けられている、と思います。秦氏はこの時代に文明を持って日本に上陸したユダヤ人。
この「RUclips」を見て、ひっくり返りました。「蘇我氏」を全くわかっていない「講演」。それを黙って聴いている老人聴講会場。
馬子、蝦夷、入鹿 これ 馬鹿 じゃないですか?
日本では「福音派」批判が強いが。福音派には、米国建国以前、英国等での宗教裁判から逃れ、ニューファンドランドに移住した人たちが多く所属する。日本で言えば、津田梅子、内村鑑三、新渡戸稲造らのような「清教徒(ピューリタニズム・プロテスタント)のカルバン派」たちだ。彼等(特に英国で「長老派」と呼ばれる、カルバン派)はカトリックの堕落、植民地政策、黒人奴隷貿易、阿片貿易を正当化するイエズス会主導のロ-マカトリックに辟易した連中だった。そのカルバン派(改革派)の流れ)を汲んでるのが共和党支持者に多い。その典型は英国出身ではないがカルバン派の流れを汲むオランダ改革派のトランプらでもある。
聖徳太子がが仏教者値決めつけると矛盾を感じませんでしょうか。
秦河勝が、聖徳太子の薦めで建立したのが京都で最も古い寺社の広隆寺。田中「蘇我氏は、ネストリウス派のキリスト教だったから仏教の聖徳太子一族を皆殺しした。」秦氏は、「(広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像で代表される)三位一体の唯一神を信仰する、東方キリスト教(景教)でした。(景教・ネストリウス派の蓋然性が極めて高い。高野山は「景教」を重視しています。」でした。真言宗は「仏教」ではありません。そして、秦河勝も蘇我氏によって赤穂の地で暗殺されました。蘇我氏が「ネストリウス派(景教)」のクリスチャンなら、何故、同じクリスチャンだった秦河勝を、宗教問題で暗殺したんでしょうか?聖徳太子と極めて懇意だった秦河勝(平安京造営にも多大に貢献した人)は、聖徳太子夫妻が暗殺案されてほどなく、蘇我氏によって同じく暗殺されてます。秦河勝の長男は、諏訪地方に逃れたという言い伝えがあります。秦河勝が創建した「神社」が広隆寺(今は真言宗だが、真言宗を仏教と思っている人が多いが、真言宗は仏教ではありません。)ですが、「秦氏の氏寺」とされています。とにかく、秦氏は「弥勒菩薩半跏思惟像(ハンドサイン)」で証明されるように、明白に「(三位一体の神の唯一神信仰)東方キリスト教徒」でした。秦氏が建立した伏見稲荷大社も教義は「一神教」なのです。弥勒菩薩半跏思惟像(弥勒菩薩:日本仏教用語)梵語:マイトレーヤ巴: (メッテイヤ、メッテッヤ、メシヤ)ギリシャ語:キリストハンドサインwww.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=T8I8QXS3&id=9909F49287A3F2ADAA30BAC97F4F14F0F02BA389&thid=OIP.T8I8QXS3i8xRwBSCNuFnsAAAAA&mediaurl=https%3a%2f%2fth.bing.com%2fth%2fid%2fR.4fc23c4174b78bcc51c0148236e167b0%3frik%3diaMr8PAUT3%252fJug%26riu%3dhttp%253a%252f%252fcho-inoshikacho.cocolog-nifty.com%252fblog%252fimages%252f2019%252f02%252f23%252fchrist_maitreya_handsign.jpg%26ehk%3d8btqX0OgSzcBO74N1QIaxMN9lvvKqHmTgVjFpUVkICc%253d%26risl%3d%26pid%3dImgRaw%26r%3d0&exph=253&expw=450&q=%e3%82%ad%e3%83
安倍総理暗殺にも言えることですね。
聖書に登場する「イエス・キリストも、12使徒たちも、ユダヤ教(改革派)だった。」ことを認識する必要あります。そうでないと、田中さんの詭弁に騙される。田中さんは、蘇我小姉君(神道派の物部氏派、欽明天皇第二妃)は何教だったというんですかね?ちなみに、蘇我馬子の姉が蘇我堅塩姫(欽明天皇第二妃)ですが、蘇我小姉君(欽明天皇第二妃)と実の姉妹関係ですよ!!!
日本書紀では古代の歴史捏造が激しいという論もずっとありますからね。。。
良くない意味で…ユダヤ人って、中国人と似てるような気がします。
蘇我ユダヤ人ですか!だから滅ぼされたんですね。キリスト教系の秦氏とは大違いですね!
ひだ神の国。
飛騨神
今日も朝から田中先生の講義を拝聴させて頂いてます!毎週休みの日には必ず観ています。学説主張が理路整然としておりとても独創性が高く思います。よくTVなどに出演されている学者先生方とは異質なものを感じます。マルクス史観とは隔絶した大和心を感じます。とても参考になります。これからも楽しみにしております。
田中先生の説に、自分の体験から納得します。私の子供の頃は小川原湖の湖畔に行けば子供でも弁当箱くらいのカラス貝がいくらでも取れました。今はシジミ貝養殖のため商品価値が少ないカラス貝は取り捨てられてなくなってますが、縄文期の自然は非常に豊かだったと確信します。多分海辺にいれば人は十分に生きていけたはずです。そういう自然の豊かさに支えられた文明が日本だと思います。
目から鱗の講義でした。日本の古代の歴史は今まで受動的なものでしたが、先生のおかげで自分から掴みに行けるようです!
日本は自然が守ってくれる国。災害があっても食の恵みがあります。同じ島国でも近海の魚の種類はイギリスの倍以上。4つのプレートが押し合う国。多様性のある国土。古代から同じ自然です。歴史はよく見なければいけません。田中先生の視点は我々に大きな恩恵を与えています。
まさに、考え続けていた不思議の一つでした。早速ありがとうございます😊。
🐎🦌という言葉はここから来たのかもしれませんね。
今回も田中先生のお話から多くの学びを得てしあわせです。ありがとうございます。
素晴らしい😂❤
失礼な言い方ですが、田中先生の達観にはいつもいつも驚かされます。ありがとうございます。
田中先生のお話をいつか、じかにお聞きしたいなぁ。
とても面白い‼️
よく聞いております。教えられることばかり。親鸞聖人も大変に聖徳太子を尊敬されておりそこから特にいろいろ学んでおります。これからも期待しております。お元気で!
素晴らしい講義を手軽に見れて大変ありがたいです。
先生の今回の講演は東北に住む小生の中で久々のヒットでした。何度見てもヒントがいっぱい。蘇我氏と秦氏の仏教感の捕らえ方が異なっていたと。旧約聖書の離散し東に向かって日本に順次帰化人した部族(失われた10部族は順次日本に来ていたのだろう)部族間でも考えが異なり、争いもあったのだが、それが日本のそれぞれの豪族のDNAとなって深層で生きつづけ争いもあったのだろう。理想の?国造りとして背後でそのストーリーを画策していたものと思われる。それが西の天皇にべったりの平家につながって平家にあらずば人にあらずと言われたその否定として東国の武士(関東武士)が立ち上がって新しい国造りをし始めたのであろうと。古代帰化したユダヤ人の多くは、そもそも関東に多く存在したのだから。源氏の源という漢字はそもそもその通りの意味合い持っていた。多くの知られる歴史上の著名な武士の背後には、深層を理解し理想の国造りにしようとネットワークで結束したレビ(旧約聖書での預言者たち、神から与えられた地上の割り当ての地がなかった)がいたのであろう。多くは修験者となり鞍馬山で義経に戦術にの訓練の手ほどきをした天狗などはまさに帰化していたユダヤ人達であったということになる。鎌倉殿の13人、まさに理不尽なことをする上皇さえも戦でもって島流しにしたのであった。
田中先生の歴史の話大好きです
過激に見えないご容貌と凄い社会的地位と賢さですが、
聞いてるとお茶を噴き出すぐらいびっくりする話をされるところに
ツボっています。
きっと変な洗脳や思い込みや派閥とかを排除した先にいる先生なんだなぁ素晴らしいなぁと思います
浅い知識は持っていましたが、これだけ深いお話をお聞き出来てよかったです。
今回はとくに、たいへん造詣のふかいしかも面白い講義だと思いました。田中英道先生の御見識には頭が下がります。
なにぶん我々世代はマルクス史観を植え付けられて育ちましたので。 先生には感謝するばかりです。
秦氏の仏教観と蘇我氏の仏教観、ここに目を付けられたのが大変に興味がありました。親鸞聖人が聖徳太子を和国の教主とあがめておられるのを理解するヒントにしたい。
自分が日本人であることが、
どういうことであるか、教えて頂きました。感謝です。
「「日本は自然道である。山に伏す山伏。日本に理想を見たから同化した。血の中にある」
感動しました。
1:08:49 秦氏と蘇我氏の仏教の考え方が違っていた
うちの両親はどちらも長男長女として生まれたわけではなく、兄弟姉妹の数はとても多かったですが、結果的にはそれぞれ親の面倒をみる濃いい役割になっていきました。
私の祖父母が全員亡くなった後、ずっと経ってから、父方と母方の家系の違いというものをいろいろ考えてきて(個人的に内側で統合してみたいので)、田中英道先生の古代史の世界のお話が参考になるんです。
田中英道先生の本に出会うよりもずっと前から、象徴的なポイントを拾っていくと、父方は出雲、母方は物部と親和性が高い感じと思えました。
しかし、この動画の仏教の話題を加味すると、父方も母方も物部氏とは親和性があって、父方は蘇我氏、母方は秦氏と親和性が高い、という表現で、見えてくるものがあり、参考になりました。
歴史的、考古学的事実を素直に追っていけば、おのずと田中先生の説になる。
日本は不思議な国で、 アフリカに誕生した人類が太陽を求めて東へ東へ移動して
たどり着いた東の果ての島国だ。
列島で人類が誕生したわけではないだろうが、 古代の文明が大陸のみならず、
中東からも世界の古代文明が列島へ及んでいる。
日本神話には旧約聖書の影響が色濃く残っている。神社にも古代キリスト教の影響が残存している。
大和王朝が民祖ではなく、渡来人先人の出雲王朝を背乗りした新参の渡来王朝だったとしても、
縄文以来の日本の文化と同化している。
つまり天皇は日本のみならず、世界の民族の教祖になれる立ち位置にある。
古代史を解明して、天皇が世界平和の象徴になるのが相応しい。
男系皇統は鮮卑族の矮小化された支配欲でしかない。
古代日本は女性が祭祀王とした最高権威者であった。
皇室の男系には鮮卑族の遺伝子しか受け入れていないが、
女性は列島各地の豪族の娘の遺伝子が入っていてまさに民祖を形成している。
今上天皇に男宮がみえないのは天の啓示だ。
愛子天皇こそ、これからの皇室の役割を担うに相応しい方だ。
もしかしらた愛子天皇がハルマゲドンから世界を救う方かもしれない。
今回も田中英道先生のお話は、とても勉強になりました。
ありがとうございます。
木と岩を信仰する国・・・確かに日本のようですね。
田中英道先生ありがとうございます🙏
埴輪の姿、仏像の顔について、これは大変に気になるところです。面長で鼻が高いという仏像ですが、各人種の容貌、体型、また、民族衣装と並べると、いろいろ見えてくると思います。私は、博物館で、インドの仏像の展示を何度か足を運んでいますが、それとは別に、職場にはインド系の人が多い会社に居ました。土日に大量の仏像を拝見した翌週に、職場の同僚に会うと不思議な感じがしたものです。
なお、日本書紀では、蘇我氏は武内宿禰の後裔、つまり、皇別ということなのですね。ところが、新撰姓氏録では、蘇我氏は諸蕃となつているのですね。とても興味深いと思います。
修学旅行のしおり書いた記憶がよみがえる おかしいと思ったよ 美術本は芸術的と褒めたたえてるが 妙な気がしたなぁ 目から鱗
毛沢東を最初に認め、極秘裏に会いに行ったのは、米国のキッシンジャーでしたね。先生のお話で理解出来ました。有難うございました。
ユダヤ人を同化させるとは日本は凄い国です。ユダヤは日本のみならず世界中に広がっていますが、日本のユダヤとは違いますね。同化していて気が付かなかった💦出土品の「形から」解釈するというのも目から鱗です。蘇我氏。。。我蘇り。。。近くに「蘇我」という地名がありますが「我蘇り」という話も伝わっていて、これまたΣ(・□・;)―――いつも素晴らしい御講義をありがとうございます。先生の御話を伺っていると心が温まります🙏❕❕
歴史を解き明かすお話は大変勉強になりました。感謝申し上げます。
創造主である神と自然に宿る神は同じです。それを縄文人は知っていた。あれこれ理屈をこねて分からなくなってしまったのが後世の人間。縄文時代の心に戻りたいものです。
神様が数えきれない奇跡を与えて下さっていることを知っていた縄文人とイエスキリスト。そこにおそらく気づく人がどんどん増えて愛は神から来ることに目覚めるでしょう。そこに至ってこそようやく平和な時代を迎えられます。
私は古代史フアンです。先生の「日本人の宗教観」「ユダヤ人と日本人の関係」、すごく勉強になります。
同感、共感するところが沢山あります。
「竹内宿禰」って全体で一つの世襲の官職の名前ではないでしょうか?何代もの天皇に仕えたという問題も解決されるかも。です。
勉強になります
久しぶりにすごい内容の歴史に触れました。聖徳太子暗殺。蘇我氏滅亡、シラギ、ユタヤ。
馬子、入鹿、蝦夷→日本語に鈍感な人。なるほど。面白いですね!
「蘇」という食べ物も知りませんでした。食べてみたいです。
この学者 笑 「蘇我氏」のこと 笑 「わかっていない」聖徳太子の命で、「越の国に赴いて、飛鳥の寺に協力者が蝦夷の一族。その、妻を娶ったから、(蘇我蝦夷)と尊敬した名前です。」又「入鹿の鹿。鹿は神の使い。奈良公園を見てこい。」と言いたい。春日大社を見てこい。「これが学者か?」
「日本語」に鈍感な人。「この学者の歴史に鈍感な人」が歴史学者の講演を黙って聴いている老人聴講会場。
@@MIZ-c8w様
はじめまして。返信、失礼致します。古代史に興味があります。
蝦夷の妻を娶り「蘇我蝦夷」
とは勉強になりました。
蝦夷は阿久留王やアテルイに関係あるのでしょうか。
御見識を教えていただけると嬉しいです😃
@@あまてる美 古代史は、資料がないので、学者でさえ苦労していますね。蝦夷、そういう事です。因みに、乙巳の変は、蘇我入鹿が討たれて「呆気ない?」と思う日本全国民はいないのでしょうか?実は「蘇我氏の部下に大軍事力を持った豪族がいました。蘇我蝦夷も、まさか動かないとは?」よって父、蝦夷も飛鳥の邸に火をかけました。「たくさんの資料も焼けました。」大軍事力の豪族は誰でしょう?「勉強してくださいね。」
難しいです。少ない勉強した知識での考察です。
部下とは、動かなかったの「物部氏」?
鹿島神宮の鹿が🦌春日大社に入りした様です。
藤原氏の祖神にあたる天児屋命(あめのこやねのみこと)と、鹿島神宮の建御雷神(たけみかづち、タケミカヅチノオ)との関係が気になります。
同時に武甕雷の出自が知りたいです。
「甕」気になります。
香取神宮にも神の使いの🦌がいますね。経津主(フツヌシ)神。
経津主(フツヌシ)神は剣の神。
石上神宮には何度か訪れていまして、関係ある様な気がしてならないのですが、アドバイスいただけると有り難いです。
迷路で難しいですが勉強を続けます。
ありがとうございます。
竹内宿禰について。鳥取市国府町に「因幡国一の宮 宇倍神社」があり、ご祭神は竹内宿禰です。明治32年に発行された「五圓
」紙幣の図柄に竹内宿禰と宇倍神社が印刷されています。また、竹内宿禰は第12代景行天皇より成務、仲哀、応神、仁徳天皇の5朝に仕え、わが国で最初に「大臣」の称を賜っています。
田中英道先生は蘇我氏が✡️ユダヤ系であると主張されて居ますが、公認の武内宿禰第七十三代竹内睦泰氏によると、蘇我氏、葛城氏、平群氏など大和盆地の豪族は孝元天皇から出て居る武内宿禰をルーツとすると主張されて居ます。
NY在住の早稲田大学で教鞭を執られて居た、✡️ラビ•マービン•トケイヤー氏によると、天皇家そのものルーツが、家系図とバイブル中の家系図との共通性から北朝イスラエル系(🦄エフライム族:王族)とされて居ますので、蘇我氏や武内宿禰が、✡️ユダヤ系の繋がりが有る事の指摘は否定出来ません。
慧眼。先生の見通す力のことです。
1:11:08 蘇我氏の考えはキリスト。秦氏は自然を大事にする神道。
古代史における、蘇我氏と秦氏の仏教観の違いというところから、田中英道先生のお話を伺って思い出したのは、
国内でIC工場をやっていた社長さんが工場を閉鎖したら化石海水の温泉が湧出して、結局そこを縄文コンセプトで温泉施設に造り上げたお話です。
その方は縄文時代の史跡が豊かな信州の尖石でまた全然違う泉質の温泉を掘り当てて、ユニークな施設を作っていらっしゃいました。私が惹かれたのは、その温泉の最初のお客様はニホンミツバチたちで、温泉のお湯を飲んだ後、45°の角度で翔び去って行ったというエピソードです。
その社長さんが、いま大切なのは人間の安全保障で、縄文のリーダーを育てることが必要とお考えでした。しかし、この意見は実際にそこを利用者として訪れて現地の状況をよく観察しないと、その意味合いがよく分からないと思います。
唐では大秦寺と言う名前で景教の寺院がありましたが、蘇我氏と秦氏は景教による日本侵略の尖兵ではないのですかね?
こういう勢力の人が藤原氏を貶めていますが、子孫の近衛文麿氏が日本をバイコクしたからと言って、平安400年の安定を作った功績は事実です。
俺は蘇我氏と秦氏が北九州勢力と唐の景教勢力と結託して、大和王権を騙して朝鮮半島南部を唐に献上して、唐での景教の布教を635年に認めさせたと思います。
@@1honshitsuka
小学生の頃、よくわからないのに645年当時の中大兄皇子の喜びに注目していたことが、自分でも謎なので、直接関係ありませんが外濠的なメモを残しておきますね。
🔷原始キリスト教と景教は全く異質な別物
🔷藤原氏=神主
新約聖書(山上の垂訓)
「 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」
5章1節 イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。
そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。
こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
景教とユダヤ経との対比は、日本人から見たら、とれも面白いですね
「尾も腫れます」を「思はれます」二訂正します。失礼しました。。法華響にはじめて接したのは空海が初めで空海はb京の秦氏を訪れ、比叡山系の法然を生み出したのが順序だと思います。親鸞の浄土真宗は明らかにキリスト教に似ています。富山市の新庄のお寺の亀谷先生の「仏教からキリストへ」の著書に詳しく書かれていました。
今先生は、蘇我氏を研究されているんですね、いずれその論文を発表されると思います、楽しみです。
今これが1番日本の問題の神と人間関係に出るわけです。
渡来人っていうけれど、半島南部にはそもそも日本人が住んでいたのでは?
😢
1:16:39
😊
長江文明の人骨が大量に出土し年代測定とDNA縄文人でした。7000年前です。シュメール(すめら)とか?縄文人が葦の大型船に葦の帆で世界中に行き来してたもかです。淡路島の伊弉諾命がユダヤ人を連れてきてます。旧約聖書にも書いてあるそうです。藤森三千雄さんの八咫鏡古代ヘブライ文字を解読されてます。伊弉諾尊のイスラエルから日本に里帰りです。
貴方が正しいです。 私も先祖帰りを提唱してました
確か縄文時代に、九州で火山が大爆発し、噴煙の為、気候変動したはず。そのため、縄文人は食糧を求め世界に散リましたよね!全てでわ無いですが、当然中東、アメリカ大陸、南アメリカ、世界中に散ったはず(カルデラ)爆発物だっか
神道の大祭司の歴代天皇陛下が、広隆寺(秦氏建立、元は弥勒菩薩半跏思惟像が祭神、現在は聖徳太子が祭神)の聖徳太子像に対する「黄蘆染御袍の下賜」というのは、とてもとても重大なことです。
田中さんの仏教史はごまかし。小乗仏教と大乗仏教を混同してる。
考えて来たことと近く同感。面白い。しかし、最後、キリスト教の簡単な否定はもっと議論の余地があるところ。大いなる逆接か皮肉というか。キリストの復活という事実がなければ民族かかわらず命までかけて世界に伝道しようとはしなかっただろうし、嘘でもそれが行われてきたことによってこのようにあらゆる宗教抜きでも世界のことが解るように共有化されるようになって来たという歴史的事実はあろうかと思わされます。
イエス・キリストの復活は民族の復活の例えです。本人は実在していません。ファンタジーです。昔の時代なのでやりたい放題です。
とても面白い講義でした 以前に聴いたことですが 朝鮮の民族は高句麗・百済・新羅と現在に繋がる朝鮮民族(ワイ族)とは全く別であった かつての朝鮮人は大変優れた民族であったが 滅びてしまい後に入り込んできたのがワイ族なんだそうです!
一つ疑問があります 日本人は受け入れた渡来人とどのように意思疎通をはかっていたのでしょうか もちろん先に渡来した人々が通訳をしたであろうとは思うのですが・・
以前にも日本に新羅や百済から来日していたことを知り どのように意思の疎通を図っていたのか不思議で仕方ありませんでした
日本と百済、新羅とは言葉が通じたという。
聖徳太子は幼少期から、中臣御乞子(中臣鎌足の実父、宮中での神祇伯の職だったという説あり)から宗源道(「造化三神」信仰の古神道)を学び、長じて、摂政となってからは秦氏河勝と極めて懇意になりました。
「造化三神崇拝」(聖徳太子)と「三位一体神崇拝(秦氏)」では、極めて親和性が高かったと思われます。
日本書紀は藤原氏が自分たちに都合の良いようにしかも百済の文人に書かせたもので、歪曲が多くてあまり信用できません。日本書紀は蘇我氏は大臣だったと書いていますが、蘇我氏は大王家しかできない八佾の舞を行ったことから、大臣でなく大王だったのではないでしょうか。推古天皇が馬子を大王と呼んだという話もあり、馬子は大王だったと思われます。また 馬子の子は蝦夷となっていますが先代旧事本紀には蝦夷は入鹿の事だとありますから、馬子の子は入鹿で入鹿が皇太子だったと思われます。聖徳太子には18歳で国政を執ったと記録にあります。当時使 われていた九州年号に聖徳があり聖徳は629年から634年です。蘇我入鹿は611年頃の生まれなので聖徳元年にはちょうど18歳位で、その頃馬子は亡くなっていますから、そうすると蘇我入鹿は聖徳元年に18歳で大王位についたのではないでしょうか。それで入鹿は後で聖徳太子とか聖徳天皇とか呼ばれたのではないでしょうか。
その通りだと思います。私は崇峻すら架空の大王だと思っています。しかも馬子が大王だったことを隠すためのダミーだったと。
入鹿は斑鳩殿と呼ばれていたのを忌み名にしたのでは?
ユダヤ人の賢さと恐ろしさ、良い面だけ引き出して日本の力になると良い。
面白い!
ユダヤ人の定義は血統が正当ユダヤ人とユダヤ教に改修したユダヤ人、大きく2つにわけられます。血統的には全く別もんですね。
ユダヤ人をひとまとめに考えると問題かと思われます。日本は正当ユダヤ人が多くで考え方もまるで違う全くの別人種です。
ユダヤの血は入ってると思いますが、、正統ユダヤの黒い帽子は1200年代に区別のために
被るようになっただけで、ハニワの時代?⒲ 関係ないですよ
埴輪の帽子は、騎馬民族の兜っぽい。
前岩屋防衛大臣の顔がユダヤ的ですが求菩提山に伝わる修験道の掛け軸が岩屋氏にそっくりなんです。それに岩屋坊の文字もあります。
なぜ蘇我氏は自らの血を引く天皇や皇子を次々暗殺し、血をひかない天皇を次々擁立(推古天皇は例外)したんでしょうか?そこがどうしても解せないところなんですが
同じように思っていました。その後に国史を編纂させた天武天皇、持統天皇、藤原不比等に都合の良いように書いただけで、全て蘇我氏がした事にするのは説得力が無いです。
延々と長く語り、言いたいことは何か、きちんと「段落」を設けて、結論が明確になる語りであるべき。有料動画サイトでも時間がかかり、専門の古代史でもない「浮世絵」「写楽の実態」などでこじ付けめいたこともあって解約したことがある。
57:30 蘇(そ)の美味しさの件
新型コロナのことで小中学校が休みになって給食の牛乳が大量に余っていた時、家で蘇を作ろうというアイデアがインターネット上で盛り上がってました😋
音は同じ『そ』で文字の構成はちょっと違いますが、江戸時代に白隠禅師が禅病対策として伝えたなんその法は、軟酥と書くようですね。軟酥は卵形の黄色っぽいバターのようなイメージだそうで、軟酥の法では、それが頭のてっぺんで柔らかくなって温かいのが溶けて頭のてっぺんから下の方へ流れおちていく感覚を味わうととても良い、と聞いてました。体の表面をバターが温かく流れて浸透していくイメージが禅病対策に良いとされたことが、『そ』繋がりでちょっと面白いと思いました。
日本人の血って何ですか。縄文人の事ですか。
先進文明を持った渡来人が列島へやってきて征服した。
だから、万世一系でも民祖でもない。
最後の新参者が大和王朝で、歴代の古代王朝の功績と背乗りしたのが記紀史観だ。
東京裁判史観が戦勝国に権益を守る正史と同様に捏造された歴史でしかない。
@@jim7140様 特に最後の新参者辺りから?なかなか思いつかないご意見、日本人かな?
@@天使-v8l
真の愛国者ですよ。
日本は不思議な国で、 アフリカに誕生した人類が太陽を求めて東へ東へ移動して
たどり着いた東の果ての島国だ。
列島で人類が誕生したわけではないだろうが、 古代の文明が大陸のみならず、
中東からも世界の古代文明が列島へ及んでいる。
日本神話には旧約聖書の影響が色濃く残っている。神社にも古代キリスト教の影響が残存している。
大和王朝が民祖ではなく、渡来人先人の出雲王朝を背乗りした新参の渡来王朝だったとしても、
縄文以来の日本の文化と同化している。
つまり天皇は日本のみならず、世界の民族の教祖になれる立ち位置にある。
古代史を解明して、天皇が世界平和の象徴になるのが相応しい。
乙巳の変には唐の留学生が関与している。
大陸を統一した唐の影響が我が国に及んで、乙巳の変や白村江の戦いが謀られ
蘇我氏による出雲王朝を倒して唐と同じ鮮卑族が権力を握り大和王朝となった。
だから唐が滅亡した時に、唐の宝物が同族が支配する日本の正倉院へ移された。
『日本書記』は原本は現存せず、あるのは写本です。ですから、写本を執筆した者のバイアスがかって記述されているた可能性が高い。つまり写本執筆した「道慈(仏教至上主義)」のポジショント-ク歴史の可能性が極めて高い。
特に「丁未の乱(神仏宗教内戦)」や「十七条憲法」や、以降の聖徳太子一族、絶滅(山背大兄王一族を根絶やし)の歴史では、蘇我氏(「我よみがえる」という「イエスキリスト」を連想させるように、蘇我氏がキリス教徒であるかのように連想させる記載で)、山背大兄王一族、つまりは聖徳太子一族を根絶やしにしたのはキリスト教徒であるかのように(日本書紀の写本においての「諱」を変造し)、蘇我氏(実際は仏教徒)の凶事を隠す「悪事の仕上」をしてる蓋然性は極めて高い。
『先代旧事本紀』での諱は「宗賀」であって「蘇我」ではない。
つまり「仏教至上主義」の道慈は、聖徳太子一族があたかもキリスト教徒によって抹殺されたかのように歴史改竄をして、「仏教界による悪事の仕上(聖徳太子一族を根絶やし)」を隠した記述になっている蓋然性は極めて高い。更に言うと、「丁未の乱」時、聖徳太子が玉造稲荷神社に参拝して祈願した内容においても、玉造稲荷神社に現存する社伝と、四天王寺の縁起(これも『日本書紀』での記録で、道慈が執筆していた)は、まるで違った内容である。
17条憲法の「和を以て尊しとなす」の本当意味は当時の氏族間の勢力闘争を基に理解すべきだな。
現代向きに拡大解釈するのは控えなければならない。
歴史は勝者が作るということを考えずに、日本書紀をそのまま信じていることに唖然とする。
俺だけの珍説・・・ 誕生した一部人類は、陽昇る太陽神を目指して東へ 々・・・行き着いたとこが、大海原が広がる東の端て・・・そこが陽の神を崇める地として神宮を建てた
国旗に心現る
日本国籍だけのノーベル賞がいないのは不思議に思っていましたがそうでしたか。
疏牙。実家に祀ってるのは大国主命と豊川大神と白龍大社と荒神三宝。今は家紋は、子供の頃に変わって何故か、丸の三つ柏。八咫烏は裏天皇。僕は裏の裏の裏の裏の裏の、、、明治天皇は、何かを知り、違う場所で住んでいました。祭祀王になって
私の母ちゃんも、"小さい時にアブジが日本兵隊にころされ オムニが小作人たちを食べさせてゆくのが精一杯で 女の子のおレラは学校にはいけなかったんだあ"といってたです。成長した男手は日本へ働きに.でした。
在日の方?
釈迦仏教は男性だけの出家です。キリスト教と全く関係ありません。紀元後使途斗升がインド宣教した時に福音書から仏教が法華教として立ち上げたもので小乗仏教と分かれたのが本来の歴史です。
蘇我ユダヤ
天智天皇も「謎の死」を遂げてるが、その後、天武天皇の世になってから蘇我氏は、中央政界で「よみかえった」
タイムマシンはよ作って!!
この学者頭大丈夫か? 「子」を子供と解釈している。「子」は「私」。馬に乗っている武士、貴族、村の長(おさ、豪族)。子曰く つまり孔子曰く とあるように「子供」と解釈した時点や講演したらアウトです。
もう少し簡潔明瞭に講演してもらえるとありがたいです。
馬子で有れ聖徳太子や秦河勝にしても記紀以外の文書、特に藤原氏が隠匿して居る物には古代の人物の本名が載って有ります、鎌足や蘇我氏も皆、物部氏からの氏族から見ても表面の歴史の嘘が多多有ります、秦氏や忌部氏族も此の時代迄隠しに隠した物が有り、今現代鍵が開かれ、これから起こる日本国の大変革が始まります。
訂正:
何故、他の「七大寺」と呼ばれる広隆寺や四天王寺等は、「てんで相手にされていない」のか?
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何故、他の「七大寺」と呼ばれる法隆寺や四天王寺等は、「てんで相手にされていない」のか?
実際に切った人は唐人です。二人ではないです。これももっと深ほりして、なぜ、教科書にはあのように書いてあるか検討しなければいけません。
埴輪の時代のユダヤ人がシルクハットかぶってるわけないですよ。
やっぱりノーベル賞はそうでしたか。日本人単独受賞はないにひとしいですからね。
話の流れが話術の無さから訳が分かりにくいです。興味深い貴重な話っぽいのだけど、分かりやすく説明して頂けませんか?
阿波西部山中へ亡命した聖徳太子の直系の御住職様居られらるらしい
ほとんど根拠無く、内容の無い話。ただし、ユダヤ人と日本との関係は興味をそそる。
5分か10分で終わる話が、くどい。
トランプは「抑止力」は顕著に見せびらかす。だが、「血を見るのは、とことん大嫌い。」な人。
言う事はメチャクチャなとこあるが、いいとこある面白い奴だよ。
仏教を支持しなかったと言われる物部氏はユダヤ人系ではなかったのでしょうか?
仏像の鼻が高いって縄文人はそっち系じゃなかったっけ?(アメリカインディアンとかも鼻高いじゃん)
東北で安倍貞任とか東北藤原氏とかが秦氏を名乗らなかったのは?
大乗仏教は紀元後、キリストの弟子トマスがインドに伝道したときに仏教僧が聖書記事を模して法華教を作ったのが始まりだと言晴、チベット経由で長安に伝えられたと言われていますがいかがでしょう。次元が一寸合わないと思います。
相撲を取ったのは野見宿禰です。聖徳太子は前日に妃が死亡しているので、疫病おそらく天然痘による感染でお亡くなりになったと考えられます
言われてみれば、鄧小平とジョージ・ソロスって顔似てる。
神話の"国譲り"も同じように感じます
田中さんの中には人権最優先の言葉は一切出てきません 人権最優先の捉え方が民主主義の基本なのです
全体主義と同じですね 日本人の原点でも有るのです日本神話からの歴史を学んでもらいたいです
学ぶ事で日本人としての心構えを持てるのです 誇りと勇気与えてくれます 頑固な意思もね
頑固な意思の持ち主は日本人神話を読んだ方だと思います
ユダヤ人とおっしゃってるユダヤ人がスファラディーユダヤ人なら納得ですが、紛らわしいのは、カザールユダヤ人との区別です。明確にして説明して欲しいです。
暗殺の達人は仏教界人でしょ。
定説を打ち破る、目を見張りながら聴かせていただきました。ユダヤ人についてお聞きしたいのですが、先生は、ユダヤ人を名乗るカバール人と、ダビデ王の家系であるスファラディユダヤ人とを一緒に語られていますが、区別しなくてよいのでしょうか?
蘇我氏の時代はまだ宮廷仏教だろうと尾も腫れます。
半癬は危ない
聖徳太子が建立した建物はキリスト教の思想背景から出た物だった。聖徳太子がキリスト者だったと私は思う。
当時のキリスト教はまだ新興宗教で、ユダヤ教から派生した宗教なので嫌われていた。
何故、「蘇我」、「宗賀」、「宗我」で読み方が異なるのか?
天智天皇(中大兄皇子「大化の改新」をやった人)も、謎の死を遂げている。
’その後、「蘇我」氏は権力界で復活した。
「蘇」は「黄泉(よみ)帰り」と読む。
ヘブライ語も視野に入れて検討して頂けると、証拠も増え、もっと話題が膨らむと思います。
私はユダヤ人はもっと古い時代から日本にいると思っていて、素戔嗚尊がユダヤ人で蘇我氏の祖先であり、大国主命の末裔である、という説がしっくりきます。もともと日本を治めていた大王が蘇我で、別系統の血の正当性を後世書いたのが日本書紀。蘇我系の人ばかり暗殺されて、犯人役まで押し付けられている、と思います。
秦氏はこの時代に文明を持って日本に上陸したユダヤ人。
この「RUclips」を見て、ひっくり返りました。「蘇我氏」を全くわかっていない「講演」。それを黙って聴いている老人聴講会場。
馬子、蝦夷、入鹿 これ 馬鹿 じゃないですか?
日本では「福音派」批判が強いが。福音派には、米国建国以前、英国等での宗教裁判から逃れ、ニューファンドランドに移住した人たちが多く所属する。日本で言えば、津田梅子、内村鑑三、新渡戸稲造らのような「清教徒(ピューリタニズム・プロテスタント)のカルバン派」たちだ。彼等(特に英国で「長老派」と呼ばれる、カルバン派)はカトリックの堕落、植民地政策、黒人奴隷貿易、阿片貿易を正当化するイエズス会主導のロ-マカトリックに辟易した連中だった。そのカルバン派(改革派)の流れ)を汲んでるのが共和党支持者に多い。その典型は英国出身ではないがカルバン派の流れを汲むオランダ改革派のトランプらでもある。
聖徳太子がが仏教者値決めつけると矛盾を感じませんでしょうか。
秦河勝が、聖徳太子の薦めで建立したのが京都で最も古い寺社の広隆寺。
田中「蘇我氏は、ネストリウス派のキリスト教だったから仏教の聖徳太子一族を皆殺しした。」
秦氏は、「(広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像で代表される)三位一体の唯一神を信仰する、東方キリスト教(景教)でした。(景教・ネストリウス派の蓋然性が極めて高い。高野山は「景教」を重視しています。」でした。真言宗は「仏教」ではありません。そして、秦河勝も蘇我氏によって赤穂の地で暗殺されました。
蘇我氏が「ネストリウス派(景教)」のクリスチャンなら、何故、同じクリスチャンだった秦河勝を、宗教問題で暗殺したんでしょうか?
聖徳太子と極めて懇意だった秦河勝(平安京造営にも多大に貢献した人)は、聖徳太子夫妻が暗殺案されてほどなく、蘇我氏によって同じく暗殺されてます。秦河勝の長男は、諏訪地方に逃れたという言い伝えがあります。
秦河勝が創建した「神社」が広隆寺(今は真言宗だが、真言宗を仏教と思っている人が多いが、真言宗は仏教ではありません。)ですが、「秦氏の氏寺」とされています。
とにかく、秦氏は「弥勒菩薩半跏思惟像(ハンドサイン)」で証明されるように、明白に「(三位一体の神の唯一神信仰)東方キリスト教徒」でした。秦氏が建立した伏見稲荷大社も教義は「一神教」なのです。
弥勒菩薩半跏思惟像(弥勒菩薩:日本仏教用語)
梵語:マイトレーヤ
巴: (メッテイヤ、メッテッヤ、メシヤ)
ギリシャ語:キリスト
ハンドサイン
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安倍総理暗殺にも言えることですね。
聖書に登場する「イエス・キリストも、12使徒たちも、ユダヤ教(改革派)だった。」ことを認識する必要あります。
そうでないと、田中さんの詭弁に騙される。
田中さんは、蘇我小姉君(神道派の物部氏派、欽明天皇第二妃)は何教だったというんですかね?
ちなみに、蘇我馬子の姉が蘇我堅塩姫(欽明天皇第二妃)ですが、蘇我小姉君(欽明天皇第二妃)と実の姉妹関係ですよ!!!
日本書紀では古代の歴史捏造が激しいという論もずっとありますからね。。。
良くない意味で…ユダヤ人って、中国人と似てるような気がします。
蘇我ユダヤ人ですか!だから滅ぼされたんですね。キリスト教系の秦氏とは大違いですね!
ひだ神の国。
飛騨神