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「外交使節の命を奪うのはあまりよくない」「 あ ま り よ く な い 」
今と昔の価値観の違いや
今は使節をヤると秒で戦争になるけど、当時は使者=帰ってこないてのが普通だったんじゃないの
まぁ…無礼(ナメ)たこと言ってるからニャ😸
「後々めんどくせぇから」くらいの感覚ですねこれは・・・|Д゜)
モンゴルにワンパンされた人達は誰も文句言わないと思いますよ
騎士道は騎士が卑怯で臆病だから作られ、武士道は武士が残忍で野蛮だから作られたって話すこ
戦いはいつの時代でも、どんな地域でも死のリスクを下げ、殺戮の最大化を求めていたってことなのかな……
@@村川美奈食えない地域は別やろ。トリアージの為に戦士になり死ぬ。数を減らすことが目的やから…島津とか武田とかなんか覚悟が違うやん。スパルタは謎。例外はいるよ。
鎌倉武士が余りにも蛮族すぎた為に出来たのが御成敗式目だからな
@@asq.adh.d 御成敗式目って確か人のものを殺して奪ってはいけませんとかそういう小学校の道徳でもやらんようなことが書かれてたよな
@@aoi-vo5qgそんな今じゃ当たり前なことすらも守れないくらい野蛮なんだから世話ないよね(笑)
室町時代には「理知的で温和で礼儀正しいがぶちギレるときはどんな状況でもぶちギレる。ぶちギレポイントはよくわからない」まで改善したヨシ!
自律式ミサイルが自走地雷に変わった程度の差なんだよなぁ
武士が戦闘狂すぎて御成敗式目の内容が「人を無闇に殺すのはやめましょう」「勝手に物を奪うのをやめましょう」「ルールを大切にしましょう」あまりにもとち狂っててマジで好き
商人の馬車をボーナス扱いするのやめましょうよ……
関東武士ヤベーよ
Q.何でこんな当たり前のことをわざわざ書いてるの?A.当たり前のことが出来ないからです
ずんだもん解説の別動画で縄文時代扱ったやつあるけど「争い良くない、みんな仲良く」な民族からこうまでヒャッハーな民族に変わるもんなんだなぁって…
@@チンパン大地雷天神ゲームでもそこまでしない
元「お前らいっぱい船作れ」高麗・南宋人「あいつ等ムカつくから手抜きしたろ」元「お前らが乗るんやで」高麗・南宋人「グェー沈んだンゴ」この説好き
草
なるほどWWW
だとしたら、不謹慎やけどめっちゃおもろいな笑
元軍「大将首を晒してやれば恐れ慄いて戦意喪失するやろ(高く掲げ)」鎌倉武士「大将首を分かりやすく掲げてくれやがったぞ!!今だ取り返せ!!!(突撃)」どないせーと
元「」
「厳しいが差別はしない」からの「全て平等に価値がない」があまりにも蛮族で狂おしいほど好き
フルメタル・ジャケット
@@wankono_osewa日本人全員がガニー軍曹の鎌倉時代…
これは真の平等主義
究極の平等
ハートマンのセリフだね
ちなみに生麦事件は被害者側であるイギリス人の方も問題が大ありだったようで、当時のオランダの駐在員から「殺されたのは悲しいことだけど、殺されても文句が言えないような行為だったことは否定できない」と言われていました。
事前に中国にも寄っていて、そこで傍若無人な態度を現地人に対して見せていて同行者からも「日本でソレはやめろ」と言われていたって話がありますね。まあ、普通に考えて西洋でも土地の領主の一行の前に下馬もせずに近寄って行って、静止されても無視して進んでいったら下手すれば処刑です。当時の東洋人がいかに舐められていたか?ということなのでしょうね。
結局ブリカスかぁ
殺される側に原因があるぐらいうざかったとしても、殺した側が「結局ブリカスかぁ」とか言ってたらいかんでしょ
@@Chenco-n3w ブリカスって言うことに興奮を感じてそう
ブリカスなのは、その後のイギリス本国の行動の方なんだけどね。まあ、イギリスは勝つには勝ったけど薩摩藩に手痛い一撃を食らったりするし。
馬が使えなくなっても重い鎧を着たまま追いかけてきて夜になったら最低限の装備で船に夜襲してくる鎌倉武士鎌倉武士が使っていた弓は威力が高く弦が強すぎるため現代人では使うことは不可能とのことまじでヤバい戦闘集団の鎌倉武士
ストイックな方々だったのね
時代的に日常茶飯事に殺し合いをしてるから一人一人の技量も高いだろうし今と違って何でもありすぎるから
引くだけでも物凄い力を要し、引いたままで狙いをつけるのは簡単ではない。そんな弓を馬上からポンポン射ってたバケモノたち。
弓の力がやべぇよな…
鏑矢が音を立てて自分達の弓が全く届かない距離から飛んで来て、当たった仲間は凄まじい威力で鎧ごと貫通されて絶命する。無理矢理先鋒にされた高麗兵なんて戦意も低いだろうから逃げ出して当然。だが、逃げれば追ってきて狩られるという。
生麦事件は、島津側も大名行列を遮ったからいきなり無礼斬りしたわけではなく、下馬もせずに近寄ってくる英国人を道脇へ遠ざけようとしたのだけど、言葉が通じずそのまま行列の横を乗馬したまま通り抜けようようとして、ついに籠の近くまで来たので護衛のために斬った。英国側も「これは仕方がない」と一定の配慮を示している
倫理の向こう側逝ってて一周回って面白い。
敵の増援をボーナスゲームくらいにしか考えてない腐れ外道共だからなくっそ狭い島国で一生民族紛争やってた野蛮人共に倫理観なんかあるわけないんだわ
日本が恐れられる理由
太平洋戦争での特攻からして、恐怖されたからな......
普通に「負けてる→せめて1太刀→自爆特攻すればよくね?」ってなるのはやばいと思う
今の日本は牙を抜かれて見る影もない…昔は政治で気に食わなければ直ぐ一揆を起こしてたけど今の政治の中、搾取されてるだけで英霊達も浮かばれない
生まれて間もなく幼児期からもののふとして英才教育を受け、日々を鍛錬に費やし戦場で果てることを是とする生粋のサイヤ人
重装長弓騎兵とかいうロマンと誉れを詰め込んだ鎌倉武士すこなのだ
今風に言えば馬鹿みたいに防弾チョッキ着込んだフッ軽なスナイパーか?
@@ばななごりら-e5iしかもバイクに乗りながら
誉れはありましたか…?(小声)
モビルスーツにすると重装強襲砲撃型と言ったところか、
@@キンケイド-l9r ケンプファーかな?ちょっと違うか。
戦没者のための寺建てたり変な所で慈悲深いのすき
なお地名には血腥い名を残すのが狂戦士クオリティ
「死んだらみんな仏さま」みたいなのをかんじますね(`=ω人)
まあ凶暴だけど、筋は通すタイプだったのかもね。武士相手に戦争した奴らはドイツもコイツも突然しゃしゃり出てきて上から目線で指図してくるタイプばかりだったろうし。現代人でもそんな輩は嫌われるのだから、大名行列とかそんなノリで妨害すれば斬殺されて当たり前だわな。ましてや守るべきは国や主君であって、外から来た無礼な不埒者では無いしね。
賢者タイムでしょ
殺すのはOK,死ぬのは誉!でも祟られるのは嫌なので成仏してほしいなぁ…という、一かけらの人情ってやつですw
3:37神風「は!?!?逃げんな!!!((((オーバーキル)」
生き生きとずんだもん喋らせてくれるのが嬉しい日本史弱いけど興味持ってきた
平たく言って全部嘘だぞ、この動画の内容検索なりで調べれば分かるけど、本当に1つ1つ全てが。日本史を学ぶという意識なら、ネットでも書籍でもきちんとした情報源に頼った方がいいよ
日本の武士は普通に弱いよ、ただ海を越えると言うことはとてつもなく大変なだけ
全部嘘は流石に言い過ぎにしても、日本側の記録と海外の記録だけでも全然違うのは結構面白いよな。
@@かけかけ07 ずっと戦闘していて弱いは草
@@wadswwwwasdw ごめん弱くは無い
鎌倉たけしの語呂のよさよ
実際、「鎌倉」という苗字の人もいるし。
死体を投げ込んでくる、捕虜ごと殺しにくる、敗戦して捕虜奴隷かあと思ってたら奴隷を取らず殲滅戦が始まるってあまりにも蛮族するぎる立ち回り
北センチネル島かと思ってしまう。
全部見たいですあとわかる範囲でいいので出典とか参考文献があれば概要欄にでも記載あると嬉しいです
内臓投げつけてるのはマジでとち狂ってて好き
もう最後の嫌がらせwまじで最後やもん。
内臓って細菌だらけだから生物兵器としてかなり優秀なんだよな西洋でも投石器に内臓入れて城の中に投げ入れてた。
新鮮な内臓はまあまあ綺麗なイメージ
痛みを感じなくなる技でも持ってたのか…やると思っても中々出来ない気がする自分は違うが…こんな民族他におらんやろ。
「腹に一物」「腹の探り合い」などのことわざがあるように、昔の日本人は腹の中に物を考えるところがあると考えた切腹は実際に「実際に切り開いて腹の中を見せる」ことで自分の思うところの全てを見せるという発想から来ている「腹を割って話す」はまさにそれを現した言葉
この乱世だった日本に数百年の平和をもたらした家康は本当にすごいと思う
家康がもたらしたてより、信長、秀吉がイカれ集団を皆殺しにして争いをほぼ無くしたから江戸があれだけ続いた。逆に信長、秀吉の時代に薩長を始末しきれなかったから江戸が潰れたとも言える。
@@Верный1942長州薩摩では?薩長薩摩だと薩摩が二つあることになりますよ
@@汐留薫 薩長だけで長州と薩摩になるぽいので直しときますねついでに秀吉だけ豊臣にしてたからそっちも直しときました
刀狩りで刀剣規制した秀吉はすげえや…
@@Верный1942 あまり知られてないが、徳川も江戸幕府開闢期に大量の無法者(いわゆる傾奇者)狩りをしてるらしい。
切腹させられてるのに逆に大威張りしながら自分の内蔵投げつけるのまじでイってもうてて草
他の国と比べて残虐かどうかはわからんけども、叩いてもいい相手(犯罪者のようなパブリックエネミー)に容赦しない風潮は今もあるんじゃあないかと思うのね
人権的に良いか悪いかは別にして、パブリックエネミーを排除できる種は種の保存という意味では優秀
それは宗教の影響が大きい、儒教思想や仏教思想によって作られた倫理感が染み付いてるから悪には一切の容赦はしない。
順応性の高さがあるとかないんかなPTSDになりにくいとか最適解への手段の選ばなさとか最低限の平等と優秀な個が重視される現代より多数が高水準でいられる環境を作る方が大事だろうな
犯罪者はアウトロー認定されて法の保護下の外(つまりはアウトロー)に出され、ゴミのように扱われるのは欧州では普通だった事です。アウトローはもちろん人間では無いので、餌を与えただけでも罰せられる事すらありました。現代でも海外では少数派に対して命を奪うレベルの物理的攻撃がなされた上でその様子をネットに晒されるのが日常なので、そういう意味では日本より残虐でしょうね。
「勝ってたから神風が吹いたのだ」好き
死体蹴りで草w
最初のは威力偵察やから情報収集して帰る時に台風にやられた。二回目の時は動画でもあるように10万という大軍だがそのほとんどが日本側の抵抗で上陸できずにいたところを台風にやられたw上陸させてない=負けてはいなかった、それどころか海上に停泊させられて夜襲もされるし体力も気力も下がっていただろうし、食料も十分あったかどうか?時間かければかけるだけ結局鎌倉武士は勝ってただろうねw鎌倉の本体も温存されてるし。
他にも停泊している船に夜襲をかけた上、腐乱した牛馬の死体を投げ込みまくったとか。鬼畜エピソードすぎてほんとすこ。
戦闘はなんでもあり
そこらへんはヨーロッパあたりにもあったはず。天然痘で死んだ死体を籠城した都市に投げこんだとか
今の時代があることが奇跡
籠城している城塞都市に、ペストでシンだ家畜を投げ込むのは、元軍の十八番だしなぁ
何も知らない外人の前で切腹ショーは刺激強すぎで草
兵「フンッ!」外人「え?は?キモ…侵略とかまぢ無理…撤退しよ」
私の命でハラキリショー
フランスでは、ギロチンによる処刑が公開されていたけど、一撃で首を落として苦しませずに処刑していたから、苦痛の大きい切腹には耐えられなかったんだろうな😢
ギロチンて一撃で落ちるほうが少ないんじゃなかった?ルイ何世だかは執行人が押し込んだとか
@@ya3706ロチンはスパッと切れるよ。なかなか切れないのはギロチンが開発される前の斧とかを用いる斬首刑。ルイ16世だったかで失敗してたけど
生物兵器まで使うあたりに当時の鎌倉たけしの高すぎる殺意を感じる。
細菌や感染症という概念を経験則として持ってたのが凄い。
文献によると死んだ牛や馬の死骸を敵軍の船に投げ込んだそうなのですが、どうやってやったんでしょうね?鹵獲した投石機を使ったのかな?それとも船の上から何人かでストロングマンコンテストで行われている樽投げの要領で放り込んだんだろうか?だとしたら人間業とは思えない・・・
@@杉山寛-g3p分割して投げ込んだ
@@杉山寛-g3pこれ思いました。投げ込むの無理じゃない?モンゴル軍船は上陸用のバートルを除けば大きな船だろうから、小早船レベルなら牛とか馬とか投げ込めないだろ
まあ、自身の家に通行人の生首をガーデニングするから、何しても驚かない。
オープニングの「通行人などの生首を狩って庭に飾る風習があった」に驚きよ
神風が吹いて勝利という事にしないとダメなぐらい野蛮だった説だよねこれ;;;
むしろ史実をそのまま教科書に載せたら子供達全員ドン引きしてしまいに泣き出しそう
関係ない。単純に公家や寺社による権力誇示や明治後の精神論のために神風説が主張されるようになっただけ。
@@雲霧仁左衛門-k5r違う元寇は防衛戦であり得られたものがほとんどなかったので戦った武士皆にに恩賞を与える事ができなかった鎌倉幕府が「元に勝てたのは神風のおかげでお前らの手柄じゃないから恩賞はナシな」と言ったから神風が吹いて勝ったという事になった。
エグい下ネタばっかのお伽話を子供向けに作り直したみたいな感じだな
@@user-ponkotsukakumei恩賞が与えられないから神風を理由に恩賞を与えないって鎌倉幕府は言ってましたっけ?こんな理由で恩賞を与えられないなら誰も異国警固番役に従事しないんじゃないですかね…
武士の戦の作法(?)で良く聞くし「やーやー我こそは云々」は、お互いがこれを守るなら、お互いの身許と死後の扱いをしっかりやるよってことの確認で、それを守らないやつ(つまり元寇)には、ルール無用の残虐ファイト解禁っていう話には、笑いと恐怖が同時に込み上げた。海外での似た事例は、ジャンヌ・ダルクかな。
「鎌倉武士には通行人を襲って生首にして庭に飾る風習があった」ってもしかして男衾三郎絵詞のエピソードから引用している?あれ完全創作だけど
現代で例えるならカイジの内容切り取って「平成の人間は借金まみれのクズばっかだった」っていうようなもんだよな
フランス「こんな残虐なショーには耐えられないんだメルシー…。」土佐「100年程前まで魔女狩りしてた奴等が何言ってんだ。寝言は寝てから言え(臓物ポイ)」それにつけても鎌倉たけしには草
ひろゆきみたいな論破
本気出せば勇ましく戦えるからこそ、平和な世の中では文化も経済も発展させることができる
@Nihon-ha_mou-owari 祖国を捨てた中国人はウェルカムよ
@Nihon-ha_mou-owari サイレント・インベージョン日本などは民主国家なので合法的に乗っ取りが可能なのね外国人参政権などが出来たら日本もC国の一部なのねC国は「戦わずして勝つ」を実行中なのね
某ゲームの「誉は浜で死にました」って言葉が笑えなくなるくらいには凶戦士すぎてびっくりだわ
ツシマね、あの冒頭だけ、1対1で戦おうとしたのは。それもただの時間稼ぎにしか見えなかったな。あとは卑怯者と言われようが何が何でも相手を倒すことだけを考えて、何でも使ったなぁ、鈴で釣ったり、毒で殺したり、後ろから一撃が基本だけどw誉など言っていたら日本は占領されてただろうな。マジで2回目の元寇やな~人質もろ共射殺すとか何であり。
卑怯とは言いまいな
ゲームだからおもしろくするためにしてるが、本当は元々存在してなくて冥人だらけだったという恐怖
史実だと物語後半の仁くんの方が多数派と言う恐怖
ずんだもん歴史シリーズ大好きもっと作って欲しいしもっとはやって欲しい
2:59 勇猛であった。というかイカれていた。の言い方好き
武士道を滅びの美学と勘違いする人が多いけど真逆なのよ、騎士道とは違うのよ武士では死ぬ瞬間まで平気で生きる、その覚悟が武士道どうせいつかは死ぬんだから死ぬ瞬間まで平気でいろ、死ぬまで生き抜け、が武士道武士道とは死ぬことと見つけたりの本意死ぬ瞬間まで斬りあいできちゃうから強かった
それな、卑怯な騎士道とは違う。
うーんというより、知行地を守り抜くのが武家のあり方なんじゃないですかね。たとえそれが卑怯な手だったとしても。特に、中小の国人はそうしなければ生き残れないでしょうね。
そして、妖怪首おいてけの一丁できあがり
島津藩は鎌倉武士の中で一番温厚だから島津まで流されたって話すき
アイツらが…?
元々は島津は能登辺りに居た一族なので関係ないのでは?行った先の薩摩で隼人文化が島津に流行したんだと思う
鎌倉武士から「アイツら軟弱だから薩摩は大変だなw」とか言われてたらしい。なお九州の端っこのものすご〜いど田舎なので、多少温厚になった後の時代の武士のスタンスが伝播するのが遅く、鎌倉テンションのバーサーカーから抜け出せなかった模様。てこたぁ島津が軟弱なんじゃなくて鎌倉武士どいつもこいつも島津以上のキチガイだったってことじゃねえか‼︎
島津氏はもともと漢系百済人の秦氏の一族の出ですよ
単に島津荘という、今の宮崎県にあった荘園の管理人になっただけだが。
「敵は全員ぶっ殺すけど弔いはちゃんとやるぜ」なあたり命の軽視じゃなくて向き合い方が根本的に違うんやろなぁ
ちょいちょい「かまくらたけし」って音声になるのに笑ってしまう
スポーツやゲームの話で言えば日本人は今もあんまり変わってない気がする戦いが許される場面になると身の丈考えずとりあえず強い相手と手合わせしたがる(良くいえば勇猛で悪く言えば無謀)姑息な性格の人までいかに高みの人を落とすかばかり考えてるもしかしたら日本の治安の良さは民度云々だけじゃなくてそういう部分も影響してるそして謎で怖いのが日本で育ったり長く暮らしてると民族あんまり関係なく何故か外国人もそうなるってとこ
同化力は中華文明の十八番と思っていたが、日本もなかなかできるのかな。そういえば日本の華僑はそれほど目立ってないが。
確かにそう言われると、日本の価値観的に「正々堂々だろうと弱者を蹴落す者は悪役」「どんな卑怯な手だろうと強者が相手であればヒーロー」として創作物でも扱われてる節があるよね
@@CharlotVFighter あぁ、ゴレンジャーね。相手1人を5人で寄って集って・・・も相手が強者(で悪)だから許されるw
でも初めから”反日”的なC国人とかK国人、特にK国人は長年日本に住んでいてもずーーっと反日的な人も多い。なんちゃら法政大学(言っちゃったw)の教授とか。
@@CharlotVFighterやっぱ意志は受け継がれるんか...
さっすが我らがご先祖様や!!美濃・尾張(身の終わり)をやるってやつ最高に武士してて好き
やっぱりお侍様の戦い方じゃないか…
お侍が思ってた十倍凄かったです、、、
どーしよ!どーっしよ!!
戦国時代や幕末も割とやばいけど、鎌倉時代の戦闘民族っぷりはもっとやばい
何を申す…
誉はどうした!誉は!
元寇後、和平の使者を送っても全部斬首されるので和平が出来なかった話、頭おかしくて好き
もう使者おくらんでも良いよねw
そりゃ民間人がエグい被害出てるし和平とか無理無理
0:41これよく言われるけど、男衾三郎絵巻というフィクションの悪役の所業でしてあったかどうかは不明ですが当時の価値観でもアウト扱いなのは確かです
鎌倉武士のクレイジーエピソードほんとすき
とりあえずムカつくから生首にするくだり好き
ムカついても殺してはいけませんとルールが決められるくらいですから
@@僧兵-x3b そして守られてないくらいですから。
@@僧兵-x3b ルールを作った側が権力争いばっかやって生首作りまくってるんだから矛盾しまくりやね
今までのイメージ「悪い大陸の王様が日本を攻めてきた」アップデートしたイメージ「極悪非道、悪鬼羅刹の巣窟たる日本を元がどうにかしようとした(ダメでした)」
ちなみに重武装で馬乗って弓撃ったり槍振り回して遠距離近距離両方戦う武士の戦闘スタイルは日本だけだった
たしか鎌倉時代には戦力のコストカットが試行されて要は効率の良い全部のせクレープみたいになっちゃったらしい
そんな変態スタイルでもちゃんと戦果をあげられるあたりやはり日本武士は変態だった(褒め言葉)
聞くところによると、弓もモンゴルのそれよりも射程が長く。鎧を着た相手を[確実に仕留める]為に、短剣と見紛うような鏃を付けていたとされますね…。
@user-ls6os6ql6q そもそもな話でモンゴルは短弓だしこの動画の中でも矢が通らないって言ってたのでその鎧対策のデカイ鏃は十分考えられるしそれが怪しいって言うなら現在の矢で鎌倉の鎧が貫ける証拠でも出してくれないと、要は出典を気にするまでも無く類推からありえる話だと思うが?しかしそれとは別の話だがそうなると、鎌倉からあったのか分からんけど騎馬用のほろだっけ?あの後ろに背負う弓用の盾てきなやつ、いがいとデカイ鏃は攻撃力の面もあったけどあのほろ対策でもあったのかな少なくとも普通の矢なら結構効果があるんだよねあのほろ
@user-ls6os6ql6q ちょっとまて日本の和弓も複合だが竹で出来てるおもちゃだと思ってるのか?少なくとも短弓は威力と射程は携帯性のために犠牲になっているそのための毒矢なのだから要は当たらなければどうという事は無いって話だろ、そこに和弓が400mの射程でモンゴルが機動力でよける、十分良い勝負だろ、問題はモンゴルは船だったから機動力を生かせず唯の的になったそれだけの話
元の兵士「せや!音と光で馬をびっくりさせたら鎌倉武士も逃げるんちゃうか!?」→てつはう鎌倉武士「馬から落ちた。だから自分の足で突撃した」パワープレイ
まぁでも、馬から落とした時点で半分は成功ではあるんだが、結局殺傷能力無いのがバレれば馬から落ちただけで意味ないもんなぁw
お馬さん「俺らいなくてもよくね?」
日本固有種の馬ってそもそも小柄だからびっくりして落ちても今のサラブレッドのイメージより腰が低いはずなのでいて!あーじゃあ自分で行くかこんちくしょうくらいのダメージだったのかなぁと…
馬は乗り物に過ぎないと。
下駄に乗ってやってくるνガンダム例え下駄から落としたところで、戦況は有利ならないの図w
外交特使の命を奪うのは「あまり」よくないって認識なの終わってる
武士にとって、敵か味方かが重要であり、いきなり属国になれというのは敵認定になるのだ
志村「誉れ無くして武士にあらず(罪なき通行人の首を飾りながら)」
このチャンネル史上最強のずんだもん
今回のずんだもんがいきいきしていて本当によかった(内容から目をそらす)
夜襲はやめろと口酸っぱく言われてるけど早漏気味の武士が手漕ぎボートで最強に臭いうんこ投げにいったのすこ
とんでもないウンコ野郎だなw
残忍で野蛮かもしれないが、敵が恐れて退けばそれだけ早く戦が終わる串刺し公爵と同じで、防衛上の意味合いもあったのでは
元『高句麗のお前ら、今から日本攻めるから軍船作れ』高句麗『(めんどくせぇな、適当に作ったろ(ハナホジ))』高句麗『軍船(泥舟)作りました』元『よし、じゃあその船で日本むかえ』高句麗『えっ』
海底調査で発見した元軍の船を調べたら、通説のような雑な作りではなく、当時の技術水準を勘案すれば十分に頑丈に作られてはいたらしいですよ。まぁ、その中に乗り込んだ兵士が精鋭だったかと言われたら、甚だ疑問ではありますが。
たけし君は大勢を崖から突き落として全員始末してしまう強戦士だから源平合戦の一コマ
昔学校で習った時は「弓は長すぎて連射できないし『やあやあ我こそは』とか言ってる間にあっちの短い弓からドンドン放たれる毒矢とてつはうでボコボコにされた、神風が吹いてなんとか助かった」みたいな話だった気がするなぁ
和弓はバカでかいから席類の裏から打てないんですよね。だから盾みたいのを石塁に置いてそこから少しだけ体を出して撃つのが多かったようです。
むしろこっちが「我こそは」と言わずして攻勢仕掛けまくった挙句脳筋攻撃したのが最高に蛮族
その辺の話は、戦役に何の役にも立たなかったけど報酬だけは欲しがった石清水八幡宮の八幡愚童訓などの寺社仏閣勢力がでっちあげた資料を元にしてますからね。連中からすれば、武士が大苦戦したけど、神仏のお陰で撃退できたというストーリーにしたかっただけという。あと、有名な蒙古襲来絵詞もよく見てみると、武士側が苦戦している描写は後で別人が書き加えたものというのがよく判りますね。こっちは、幕府へ自身の手柄をプレゼンする資料として蒙古襲来絵詞を書かせた竹崎季長が、「これじゃぁ、(苦戦描写がないから)苦労して挙げた手柄と認識してもらえない」と考えて、敢えて苦戦したように見せるために書き加えさせたらしい。
「てつはう」も最新兵器で、馬がびっくりしてしまうので戦いにならなかった…とかね…日本じゃ身分の高い人以外はほとんど歩兵だったんじゃね?という中には鉄片の入った殺傷力のある物も1つだけ発見されているらしいが、ほとんどは殺傷力の低いびっくり玉だったようで…
私が習った時もそういうふうに聞きました。歴史の解釈ってこうも変わるんだなぁ…
うぽつ5:40 少佐殿がいらっしゃった
あまりにも洗練された最強武士軍団にスペイン・ポルトガルの使節が戦慄したというエピソードも好き。牽制は国防の要ということを強く感じるエピソード。
それで「この国を武力制圧するのは無理です、何故だか知らんが勝手に鉄砲まで量産してるし…」と本国に報告、宣教師を送り込んでキリスト教で洗脳する方法に梶を切るも秀吉や家康が勘付いてバテレン追放。やはり三英傑は偉大ですよ。
ワシントンのダレス空港からホワイトハウスに至る来賓用の道路から見える風景はもしこの国と事を構えると我々は殲滅されると自覚させるように壮麗な構造に設計されている。
※ちなみに当時のモンゴル軍もバグダート火の海にしたり対馬の住民を全員奴隷にしたりする蛮族なのでエイリアンVSプレデターくらいの認識でいい
幕末のフランス人相手の切腹ショータイムはすげぇよな、、初めて知った時は固まったよ
昔の学生時代の日本史の授業だと日本側は「やあやあわれこそは」っていう正々堂々な戦しか知らず、元の何でもありな戦い方に対応できず不利な戦況だったが神風と呼ばれる台風によって船が沈み元軍は全滅した、みたいな内容だったな(超ざっくり)ん な わ け あ る かなどと内心ツッコミ入れつつ聞き流してた記憶wだいたい、元側が有利な戦況だったら、何で陸上に陣を構えないでわざわざ全軍で船に戻ってんだよってね根本的に矛盾してるんだよまあ日本の軍が強いと色々イデオロギー的に気に入らない向きが多かったんだろうね今の教え方はどうなってるんだろうか
現在大学生だが、俺が小学生の時もそう教わった。殺し合いなんだからルールなんて無視したもんの勝ちだろと思ってたものの、漠然とそういうものとして覚えてた。だからこの手の動画とかドリフターズとかで武士の所業を見るたびに爆笑してる。
名乗りはする。そうしないと、手柄を立てても誰の手柄か分からず、証人もそれを説明できないので論功行賞で不利になる。文永の役なら、高麗軍が要衝たる赤坂山(現在の福岡城)を占拠してる。だから陸上に陣地を築いたって話も正しい。もっとも、菊池武房の活躍と劉復亨に流れ矢が命中したから撤退した。撤退中に暴風雨に遭遇した旨は高麗史に書いてたはず。日本軍も集団行動をするが、あくまで「家」の棟梁とその家人単位なので、モンゴル・高麗軍のと比較すると少数の集団。囲まれると太刀打ちできない。弘安の役なら海上に陣取るモンゴル軍に台風が直撃した可能性も高い。
アメリカに負けてGHQがやったのが日本人の精神性がヤバすぎるって事で根本の歴史を捻じ曲げたりして変えていこうってしたからその名残じゃないの?禁書になった歴史書とかいっぱいあるみたいだし
今高1だけど俺も小学生の時同じ感じだったわ
一応そのあたりは地形がよくわからなくて夜襲される恐れがあったからって説明された記憶
境井「...誉れなんて無かったやん伯父上...むしろワイ大正解やったやん」
武士総冥人化も流石に伯父上も予想はできまい…
うん、大正解。伯父上「敵船を火矢で夜襲など、誉はないのか・・・」鎌倉武士「将軍様のお墨付きやで~、良く燃えて楽しいで~」
ずんだもんはこういうサイコパスな役が一番あってる
出典を覚えてないんだけどどっかの書で「あの国に我らの意向を示そうとした 〜中略〜 もう行きたくないです………」が好き
当時のジャパニーズソルジャーは、敵の死体だったり馬の死体だったりを船に・⌒ ヾ(*´ー`) ポイしてたし、嫌がらせ大好きな素敵なご先祖様でしたね……
日本人が捻くれてるのは、昔からだったのかwww
人の嫌がることをするのが得意です
そのくらいは日本じゃなくてもやってるでしょ
なんならモンゴルもやってるという
開戦までの経緯とか鎌倉幕府の成立とか幕府内での粛正、族滅、搾取、紛争とか見ると野蛮人にしか思えないんだよな京都の人たちが鎌倉のことを見下していたのもさもありなんとしか
ずんだもんがしばかれない回
コメントで不評でしたので無くしてみました!いかがですか??
@@ずんだ歴史こっちの方が面白いです!しばかれるのも好きだけど笑笑
しばかれない派です🙋
@@ずんだ歴史 前は画面が変わる度にシバかれてて、クドかっただけなので、2、3回くらいなら丁度良いと思いました。
かまくらたけし吹いたwww
こんな血の気の多いタケシたちが今や誰1人生き残っていないとは
犯罪者になって活躍してるじゃん笑
まぁ環境要因だし、今の日本の環境じゃそんな野蛮な人間は少ない。
血の気の多くて勇敢なタケシたちは太平洋戦争で殆ど死んだからな
血の気が多い人のDNAは戦国時代と太平洋戦争でいなくなった説ありますね
平和だからな大規模な戦乱や生命の危機に陥った場合DNAに刻まれたタケシ因子が目覚めるんだぞ現に江戸時代なんか武家が悉く牙を抜かれ、争う利点が無くなり農民は生きる事に精一杯だった故に平和だった
石塀で防備固めたおかげで停泊してるところを夜襲してくる!で程々に戻ってこいよで済ますあたり鎌倉武士を感じる
昼:上陸させない見事な戦い、誉である!夜:火矢で夜襲、誉は海に落としたのだw
神風特攻隊は鎌倉武士から来たのか…。世界から見たら日本に神風を吹かせちゃいけなく見えますね。
ゴーストオブツシマの冥人様はかなり有情だったな
公開切腹ハラワタ投げつけとか意味不明すぎておもろい
切腹にはご存知の通り介錯が着くんだが場面の凄惨さから介錯人に早く首を落とすよう指示が出たのに対し切腹中の武士が腹を立て(?)「(オレは)まだタヒんでないぞ!」と叫び自分のはらわたを投げつけた話... 意味不明なのは変わらんな
脳汁アドレナリンドバドバ出さないと自分で腹なんか切れ無いし、アドレナリン出たら痛みなんか感じないし、死ななきゃいけない原因作った奴はムカつくしせめてもの報いに臓物を相手に投げたり塗り付けたくなったりはするやろなぁ..
相手がバーサーカー過ぎたから、嵐の中を決死の覚悟で逃げ帰ろうとしただけ、ということなのか………?
鎌倉武士(たけし)好きwww
日本の武士って、後世で官僚化しても根本が軍事政権だから、武器の扱いを一通り出来ることを要求されてるもんな
なんだか特攻とかもこの日本人のえげつない戦闘狂気質が表に出てきただけとしか思えない。
戦闘狂気質というか、人質助ける為に人質以上の犠牲が出て、結局人質も殺されるくらいなら人質ごと殺せば被害数が減るという合理性?なんだが、人の命がかかっているのを忘れて”数”しか見えなくなる人命軽視的な考えかな。まぁそれだけ危機的状況だったともいえるけど。真珠湾攻撃の序盤の時から・・・被弾した攻撃機が敵船に体当たりして初日からベテランパイロットを2人も失った。しかもただのパイロットじゃない、エース級の集まりの一航戦の搭乗員が死に急ぐ。人命軽視、だから負けたともいえる。一航戦のエース級パイロットを国が育てるのに何年掛かるのか?ということが抜けていて、「生き恥」とかいう風潮があった。それ、江戸以降の武士だろ?鎌倉武士だったら死ぬまで何が何でも戦うぞ!生きていれば、次の攻撃機に乗ってまた戦えるだろ!お国の為はどーした!って思ったわ、この動画みてw「カミカゼは効果は無い」と言われるがそれは終わった後のはなしで、勝った側が言うはなしであって、色々あるのよ。「B29は無敵の爆撃機だった」というのも最近ではそうでもなかったという話も出て来てるし。歴史は勝者が作るもの。
日本人が自信をもてるくらい日本が強いのがわかる
農耕民族かつ島国という平和ボケ全開の条件が整えられているにも関わらず、国内で複数の国に分かれて延々と合戦三昧。可愛い顔した戦闘民族日本人ですね。
@@サエヒロまさに歴史は繰り返す
室町時代の日本人、庶民レベルで鎌倉武士以上に暴れてる模様
現代日本人にバーサーカーはいないよ😢
@@サエヒロ 永遠の凶作が約束された国だからねちかたないね。
当時のモンゴル軍って海戦とか上陸作戦のノウハウは持っていたのかな、地上戦は無双してたイメージあるけど
日本人云々というより元は海を超えて闘うの初めてで最初から疲弊してた
少なからず人種は異なるがあの大陸人が「10万人遠征して戻ったのは3人だけ」なんて記録を残すあたり、相当辟易したんだろうなあ・・・
鎌倉武士はすぐ庭に首を飾りたがるんやな〜
恐ろしいですよね、、、
日本は日宋貿易以降南宋の情報は知ってたから敢えて元の通達を無視し続けた、じゃないと文永の役での幕府側の動きが早すぎる
そもそも武士だけじゃなくて農民とかもバーサーカーそのものだから…当時の日本人は
元寇は「やあやあ我こそは」と冗長にやって苦戦、神風で辛勝。一方、倭寇が大陸にも猛威を振るっていたここらへんが子供の時に繋がらなくて疑問だったけど「鎌倉武士(プロ戦闘集団)は蛮族だった→一方で倭寇(アマチュア戦闘集団)も猛威を振るった」なら綺麗に状況が統一される昭和もなかなか血の気が多い事件あるし、世界的に治安が良い一方で戦闘狂の子孫ってのが面白いね
鎌倉武士&スパルタ兵による狂気のアベンジャーズが見たいです。
いかにカッコよく逝くかが武士としての誉れ、その逝き様を競おうってんだからそのチャーンス! 全くもうね…(褒め言葉)
確か、鎌倉幕府が手柄立てたら、いっぱい褒美出すぜ!って煽ったからヒャッハーになったと言う話が。でも終わってみたら褒美がしょぼかったから、そのまま倒幕の流れになったとか聞いた事あります。
コメント欄で武士道について言及があるけど、この時代というか古代中世の日本史において武士は今でいう893のように任侠・義理人情の世界だったのではと勝手に思ってる。好戦的な戦闘狂だったが、味方になれば儀に熱いみたいな。
現代戦においても兵站は重要でましてや大昔の戦争かつ海を挟んだ戦ならどんな猛者でも無理無理無理のカタツムリよんな事ができる国はアメリカくらいなもんだ
ホワイト企業「お前失敗したな?まぁワシが何とかするから次は頑張れよ!」ブラック企業「お前失敗したな?給料減らす!」昔の反社「お前失敗したな?ケジメでエンコ詰めろ!小指ブチッ」武士「お前失敗したな?腹を切れ!安心しろ、介錯は付けてやる!」生存の難易度が高すぎる世界…
しかも、お家おとり潰し付き。・・・そりゃ日本人は礼儀正しくなるよなぁ、一歩間違ったら死ぬもん
そもそもお家の中でも家督争いで気が気でないしなんなら身内が毒を盛ったりで家族ってなんやねんって時代だし…
最初から最後まで血の気多すぎて殺意マシましなの好き
夜中の間に元寇の戦艦に馬の死体投げ入れた話好き
8:23唐突なハートマン軍曹で草
海底を調べたら当時錨を卸した痕跡があまりなく、元軍が船での戦いに十分慣れていなかったとか、当時支配していた高句麗などの連合軍の士気が低いなどの元軍内部の事象など外的要素も結構あったという説もある
別に煽ってるとかではなく素朴な疑問として、そんな昔の投錨の痕跡って分かるものなんでしょうか?
そもそも上陸できずに何日も船で待機、しかも夜になると火矢で夜襲されるのだから、そのころ(台風くるころ)には疲れ果てて気力も何もないだろう。
夜襲あるのに錨下ろしたら格好の的になるからおろせなかったんじゃ?
ゴーストオブツシマで少し興味が出て鎧だの太刀だの調べても面白かったけど…この時代の日の本の気性は笑えねぇ。戦闘民族だぜ
「外交使節の命を奪うのはあまりよくない」
「 あ ま り よ く な い 」
今と昔の価値観の違いや
今は使節をヤると秒で戦争になるけど、当時は使者=帰ってこないてのが普通だったんじゃないの
まぁ…
無礼(ナメ)たこと言ってるからニャ😸
「後々めんどくせぇから」くらいの感覚ですねこれは・・・|Д゜)
モンゴルにワンパンされた人達は誰も文句言わないと思いますよ
騎士道は騎士が卑怯で臆病だから作られ、武士道は武士が残忍で野蛮だから作られたって話すこ
戦いはいつの時代でも、どんな地域でも死のリスクを下げ、殺戮の最大化を求めていたってことなのかな……
@@村川美奈食えない地域は別やろ。
トリアージの為に戦士になり死ぬ。数を減らすことが目的やから…島津とか武田とかなんか覚悟が違うやん。
スパルタは謎。例外はいるよ。
鎌倉武士が余りにも蛮族すぎた為に出来たのが御成敗式目だからな
@@asq.adh.d 御成敗式目って確か人のものを殺して奪ってはいけませんとかそういう小学校の道徳でもやらんようなことが書かれてたよな
@@aoi-vo5qgそんな今じゃ当たり前なことすらも守れないくらい野蛮なんだから世話ないよね(笑)
室町時代には「理知的で温和で礼儀正しいがぶちギレるときはどんな状況でもぶちギレる。ぶちギレポイントはよくわからない」まで改善したヨシ!
自律式ミサイルが自走地雷に変わった程度の差なんだよなぁ
武士が戦闘狂すぎて御成敗式目の内容が
「人を無闇に殺すのはやめましょう」
「勝手に物を奪うのをやめましょう」
「ルールを大切にしましょう」
あまりにもとち狂っててマジで好き
商人の馬車をボーナス扱いするのやめましょうよ……
関東武士ヤベーよ
Q.何でこんな当たり前のことをわざわざ書いてるの?
A.当たり前のことが出来ないからです
ずんだもん解説の別動画で縄文時代扱ったやつあるけど「争い良くない、みんな仲良く」な民族からこうまでヒャッハーな民族に変わるもんなんだなぁって…
@@チンパン大地雷天神ゲームでもそこまでしない
元「お前らいっぱい船作れ」
高麗・南宋人「あいつ等ムカつくから手抜きしたろ」
元「お前らが乗るんやで」
高麗・南宋人「グェー沈んだンゴ」
この説好き
草
なるほどWWW
だとしたら、不謹慎やけどめっちゃおもろいな笑
元軍「大将首を晒してやれば恐れ慄いて戦意喪失するやろ(高く掲げ)」
鎌倉武士「大将首を分かりやすく掲げてくれやがったぞ!!今だ取り返せ!!!(突撃)」
どないせーと
元「」
「厳しいが差別はしない」からの「全て平等に価値がない」があまりにも蛮族で狂おしいほど好き
フルメタル・ジャケット
@@wankono_osewa
日本人全員がガニー軍曹の鎌倉時代…
これは真の平等主義
究極の平等
ハートマンのセリフだね
ちなみに生麦事件は被害者側であるイギリス人の方も問題が大ありだったようで、当時のオランダの駐在員から「殺されたのは悲しいことだけど、殺されても文句が言えないような行為だったことは否定できない」と言われていました。
事前に中国にも寄っていて、そこで傍若無人な態度を現地人に対して見せていて同行者からも「日本でソレはやめろ」と言われていたって話がありますね。
まあ、普通に考えて西洋でも土地の領主の一行の前に下馬もせずに近寄って行って、静止されても無視して進んでいったら下手すれば処刑です。
当時の東洋人がいかに舐められていたか?ということなのでしょうね。
結局ブリカスかぁ
殺される側に原因があるぐらいうざかったとしても、殺した側が「結局ブリカスかぁ」とか言ってたらいかんでしょ
@@Chenco-n3w ブリカスって言うことに興奮を感じてそう
ブリカスなのは、その後のイギリス本国の行動の方なんだけどね。まあ、イギリスは勝つには勝ったけど薩摩藩に手痛い一撃を食らったりするし。
馬が使えなくなっても重い鎧を着たまま追いかけてきて夜になったら最低限の装備で船に夜襲してくる鎌倉武士
鎌倉武士が使っていた弓は威力が高く弦が強すぎるため現代人では使うことは不可能とのこと
まじでヤバい戦闘集団の鎌倉武士
ストイックな方々だったのね
時代的に日常茶飯事に殺し合いをしてるから一人一人の技量も高いだろうし今と違って何でもありすぎるから
引くだけでも物凄い力を要し、引いたままで狙いをつけるのは簡単ではない。
そんな弓を馬上からポンポン射ってたバケモノたち。
弓の力がやべぇよな…
鏑矢が音を立てて自分達の弓が全く届かない距離から飛んで来て、当たった仲間は凄まじい威力で鎧ごと貫通されて絶命する。
無理矢理先鋒にされた高麗兵なんて戦意も低いだろうから逃げ出して当然。
だが、逃げれば追ってきて狩られるという。
生麦事件は、島津側も大名行列を遮ったからいきなり無礼斬りしたわけではなく、下馬もせずに近寄ってくる英国人を道脇へ遠ざけようとしたのだけど、言葉が通じずそのまま行列の横を乗馬したまま通り抜けようようとして、ついに籠の近くまで来たので護衛のために斬った。英国側も「これは仕方がない」と一定の配慮を示している
倫理の向こう側逝ってて一周回って面白い。
敵の増援をボーナスゲームくらいにしか考えてない腐れ外道共だからな
くっそ狭い島国で一生民族紛争やってた野蛮人共に倫理観なんかあるわけないんだわ
日本が恐れられる理由
太平洋戦争での特攻からして、恐怖されたからな......
普通に「負けてる→せめて1太刀→自爆特攻すればよくね?」ってなるのはやばいと思う
今の日本は牙を抜かれて見る影もない…
昔は政治で気に食わなければ直ぐ一揆を起こしてたけど今の政治の中、搾取されてるだけで英霊達も浮かばれない
生まれて間もなく幼児期からもののふとして英才教育を受け、日々を鍛錬に費やし戦場で果てることを是とする
生粋のサイヤ人
重装長弓騎兵とかいうロマンと誉れを詰め込んだ鎌倉武士すこなのだ
今風に言えば馬鹿みたいに防弾チョッキ着込んだフッ軽なスナイパーか?
@@ばななごりら-e5iしかもバイクに乗りながら
誉れはありましたか…?(小声)
モビルスーツにすると重装強襲砲撃型と言ったところか、
@@キンケイド-l9r
ケンプファーかな?
ちょっと違うか。
戦没者のための寺建てたり変な所で慈悲深いのすき
なお地名には血腥い名を残すのが狂戦士クオリティ
「死んだらみんな仏さま」みたいなのをかんじますね(`=ω人)
まあ凶暴だけど、筋は通すタイプだったのかもね。
武士相手に戦争した奴らはドイツもコイツも突然しゃしゃり出てきて上から目線で指図してくるタイプばかりだったろうし。
現代人でもそんな輩は嫌われるのだから、大名行列とかそんなノリで妨害すれば斬殺されて当たり前だわな。
ましてや守るべきは国や主君であって、外から来た無礼な不埒者では無いしね。
賢者タイムでしょ
殺すのはOK,死ぬのは誉!でも祟られるのは嫌なので成仏してほしいなぁ…という、一かけらの人情ってやつですw
3:37神風「は!?!?逃げんな!!!((((オーバーキル)」
生き生きとずんだもん喋らせてくれるのが嬉しい
日本史弱いけど興味持ってきた
平たく言って全部嘘だぞ、この動画の内容
検索なりで調べれば分かるけど、本当に1つ1つ全てが。
日本史を学ぶという意識なら、ネットでも書籍でもきちんとした情報源に頼った方がいいよ
日本の武士は普通に弱いよ、ただ海を越えると言うことはとてつもなく大変なだけ
全部嘘は流石に言い過ぎにしても、日本側の記録と海外の記録だけでも全然違うのは結構面白いよな。
@@かけかけ07 ずっと戦闘していて弱いは草
@@wadswwwwasdw ごめん弱くは無い
鎌倉たけしの語呂のよさよ
実際、「鎌倉」という苗字の人もいるし。
死体を投げ込んでくる、捕虜ごと殺しにくる、敗戦して捕虜奴隷かあと思ってたら奴隷を取らず殲滅戦が始まるってあまりにも蛮族するぎる立ち回り
北センチネル島かと思ってしまう。
全部見たいです
あとわかる範囲でいいので出典とか参考文献があれば概要欄にでも記載あると嬉しいです
内臓投げつけてるのはマジでとち狂ってて好き
もう最後の嫌がらせw
まじで最後やもん。
内臓って細菌だらけだから生物兵器としてかなり優秀なんだよな
西洋でも投石器に内臓入れて城の中に投げ入れてた。
新鮮な内臓はまあまあ綺麗なイメージ
痛みを感じなくなる技でも持ってたのか…やると思っても中々出来ない気がする
自分は違うが…こんな民族他におらんやろ。
「腹に一物」「腹の探り合い」などのことわざがあるように、昔の日本人は腹の中に物を考えるところがあると考えた
切腹は実際に「実際に切り開いて腹の中を見せる」ことで自分の思うところの全てを見せるという発想から来ている
「腹を割って話す」はまさにそれを現した言葉
この乱世だった日本に数百年の平和をもたらした家康は本当にすごいと思う
家康がもたらしたてより、信長、秀吉がイカれ集団を皆殺しにして争いをほぼ無くしたから江戸があれだけ続いた。
逆に信長、秀吉の時代に薩長を始末しきれなかったから江戸が潰れたとも言える。
@@Верный1942長州薩摩では?薩長薩摩だと薩摩が二つあることになりますよ
@@汐留薫 薩長だけで長州と薩摩になるぽいので直しときますね
ついでに秀吉だけ豊臣にしてたからそっちも直しときました
刀狩りで刀剣規制した秀吉はすげえや…
@@Верный1942
あまり知られてないが、
徳川も江戸幕府開闢期に
大量の無法者(いわゆる傾奇者)狩りをしてるらしい。
切腹させられてるのに逆に大威張りしながら自分の内蔵投げつけるのまじでイってもうてて草
他の国と比べて残虐かどうかはわからんけども、叩いてもいい相手(犯罪者のようなパブリックエネミー)に容赦しない風潮は今もあるんじゃあないかと思うのね
人権的に良いか悪いかは別にして、パブリックエネミーを排除できる種は
種の保存という意味では優秀
それは宗教の影響が大きい、儒教思想や仏教思想によって作られた倫理感が染み付いてるから悪には一切の容赦はしない。
順応性の高さがあるとかないんかな
PTSDになりにくいとか最適解への手段の選ばなさとか
最低限の平等と優秀な個が重視される現代より多数が高水準でいられる環境を作る方が大事だろうな
犯罪者はアウトロー認定されて法の保護下の外(つまりはアウトロー)に出され、ゴミのように扱われるのは欧州では普通だった事です。
アウトローはもちろん人間では無いので、餌を与えただけでも罰せられる事すらありました。
現代でも海外では少数派に対して命を奪うレベルの物理的攻撃がなされた上でその様子をネットに晒されるのが日常なので、そういう意味では日本より残虐でしょうね。
「勝ってたから神風が吹いたのだ」好き
死体蹴りで草w
最初のは威力偵察やから情報収集して帰る時に台風にやられた。
二回目の時は動画でもあるように10万という大軍だがそのほとんどが日本側の抵抗で上陸できずにいたところを台風にやられたw
上陸させてない=負けてはいなかった、それどころか海上に停泊させられて夜襲もされるし体力も気力も下がっていただろうし、食料も十分あったかどうか?
時間かければかけるだけ結局鎌倉武士は勝ってただろうねw
鎌倉の本体も温存されてるし。
他にも停泊している船に夜襲をかけた上、腐乱した牛馬の死体を投げ込みまくったとか。鬼畜エピソードすぎてほんとすこ。
戦闘はなんでもあり
そこらへんはヨーロッパあたりにもあったはず。天然痘で死んだ死体を籠城した都市に投げこんだとか
今の時代があることが奇跡
籠城している城塞都市に、ペストでシンだ家畜を投げ込むのは、元軍の十八番だしなぁ
何も知らない外人の前で切腹ショーは刺激強すぎで草
兵「フンッ!」
外人「え?は?キモ…侵略とかまぢ無理…撤退しよ」
私の命でハラキリショー
フランスでは、ギロチンによる処刑が公開されていたけど、一撃で首を落として苦しませずに処刑していたから、苦痛の大きい切腹には耐えられなかったんだろうな😢
ギロチンて一撃で落ちるほうが少ないんじゃなかった?
ルイ何世だかは執行人が押し込んだとか
@@ya3706ロチンはスパッと切れるよ。なかなか切れないのはギロチンが開発される前の斧とかを用いる斬首刑。ルイ16世だったかで失敗してたけど
生物兵器まで使うあたりに当時の鎌倉たけしの高すぎる殺意を感じる。
細菌や感染症という概念を経験則として持ってたのが凄い。
文献によると死んだ牛や馬の死骸を敵軍の船に投げ込んだそうなのですが、どうやってやったんでしょうね?
鹵獲した投石機を使ったのかな?それとも船の上から何人かでストロングマンコンテストで行われている樽投げの要領で放り込んだんだろうか?だとしたら人間業とは思えない・・・
@@杉山寛-g3p
分割して投げ込んだ
@@杉山寛-g3pこれ思いました。投げ込むの無理じゃない?
モンゴル軍船は上陸用のバートルを除けば大きな船だろうから、小早船レベルなら牛とか馬とか投げ込めないだろ
まあ、自身の家に通行人の生首をガーデニングするから、何しても驚かない。
オープニングの「通行人などの生首を狩って庭に飾る風習があった」に驚きよ
神風が吹いて勝利という事にしないとダメなぐらい野蛮だった説だよねこれ;;;
むしろ史実をそのまま教科書に載せたら子供達全員ドン引きしてしまいに泣き出しそう
関係ない。単純に公家や寺社による権力誇示や明治後の精神論のために神風説が主張されるようになっただけ。
@@雲霧仁左衛門-k5r
違う
元寇は防衛戦であり
得られたものがほとんどなかった
ので
戦った武士皆にに恩賞を与える
事ができなかった鎌倉幕府が
「元に勝てたのは神風のおかげで
お前らの手柄じゃないから恩賞はナシな」と言ったから
神風が吹いて勝ったという事になった。
エグい下ネタばっかのお伽話を子供向けに作り直したみたいな感じだな
@@user-ponkotsukakumei
恩賞が与えられないから神風を理由に恩賞を与えないって鎌倉幕府は言ってましたっけ?
こんな理由で恩賞を与えられないなら誰も異国警固番役に従事しないんじゃないですかね…
武士の戦の作法(?)で良く聞くし「やーやー我こそは云々」は、お互いがこれを守るなら、お互いの身許と死後の扱いをしっかりやるよってことの確認で、それを守らないやつ(つまり元寇)には、ルール無用の残虐ファイト解禁っていう話には、笑いと恐怖が同時に込み上げた。
海外での似た事例は、ジャンヌ・ダルクかな。
「鎌倉武士には通行人を襲って生首にして庭に飾る風習があった」って
もしかして男衾三郎絵詞のエピソードから引用している?
あれ完全創作だけど
現代で例えるならカイジの内容切り取って「平成の人間は借金まみれのクズばっかだった」っていうようなもんだよな
フランス「こんな残虐なショーには耐えられないんだメルシー…。」
土佐「100年程前まで魔女狩りしてた奴等が何言ってんだ。寝言は寝てから言え(臓物ポイ)」
それにつけても鎌倉たけしには草
ひろゆきみたいな論破
本気出せば勇ましく戦えるからこそ、平和な世の中では文化も経済も発展させることができる
@Nihon-ha_mou-owari 祖国を捨てた中国人はウェルカムよ
@Nihon-ha_mou-owari サイレント・インベージョン
日本などは民主国家なので合法的に乗っ取りが可能なのね
外国人参政権などが出来たら日本もC国の一部なのね
C国は「戦わずして勝つ」を実行中なのね
某ゲームの「誉は浜で死にました」って言葉が笑えなくなるくらいには凶戦士すぎてびっくりだわ
ツシマね、あの冒頭だけ、1対1で戦おうとしたのは。
それもただの時間稼ぎにしか見えなかったな。
あとは卑怯者と言われようが何が何でも相手を倒すことだけを考えて、何でも使ったなぁ、鈴で釣ったり、毒で殺したり、後ろから一撃が基本だけどw
誉など言っていたら日本は占領されてただろうな。
マジで2回目の元寇やな~人質もろ共射殺すとか何であり。
卑怯とは言いまいな
ゲームだからおもしろくするためにしてるが、本当は元々存在してなくて冥人だらけだったという恐怖
史実だと物語後半の仁くんの方が多数派と言う恐怖
ずんだもん歴史シリーズ大好き
もっと作って欲しいしもっとはやって欲しい
2:59 勇猛であった。というかイカれていた。の言い方好き
武士道を滅びの美学と勘違いする人が多いけど真逆なのよ、騎士道とは違うのよ
武士では死ぬ瞬間まで平気で生きる、その覚悟が武士道
どうせいつかは死ぬんだから死ぬ瞬間まで平気でいろ、死ぬまで生き抜け、が武士道
武士道とは死ぬことと見つけたりの本意
死ぬ瞬間まで斬りあいできちゃうから強かった
それな、卑怯な騎士道とは違う。
うーんというより、知行地を守り抜くのが武家のあり方なんじゃないですかね。たとえそれが卑怯な手だったとしても。
特に、中小の国人はそうしなければ生き残れないでしょうね。
そして、妖怪首おいてけの一丁できあがり
島津藩は鎌倉武士の中で一番温厚だから島津まで流されたって話すき
アイツらが…?
元々は島津は能登辺りに居た一族なので関係ないのでは?行った先の薩摩で隼人文化が島津に流行したんだと思う
鎌倉武士から「アイツら軟弱だから薩摩は大変だなw」とか言われてたらしい。
なお九州の端っこのものすご〜いど田舎なので、多少温厚になった後の時代の武士のスタンスが伝播するのが遅く、鎌倉テンションのバーサーカーから抜け出せなかった模様。
てこたぁ島津が軟弱なんじゃなくて鎌倉武士どいつもこいつも島津以上のキチガイだったってことじゃねえか‼︎
島津氏はもともと漢系百済人の秦氏の一族の出ですよ
単に島津荘という、今の宮崎県にあった荘園の管理人になっただけだが。
「敵は全員ぶっ殺すけど弔いはちゃんとやるぜ」なあたり命の軽視じゃなくて向き合い方が根本的に違うんやろなぁ
ちょいちょい「かまくらたけし」って音声になるのに笑ってしまう
スポーツやゲームの話で言えば日本人は今もあんまり変わってない気がする
戦いが許される場面になると身の丈考えずとりあえず強い相手と手合わせしたがる(良くいえば勇猛で悪く言えば無謀)
姑息な性格の人までいかに高みの人を落とすかばかり考えてる
もしかしたら日本の治安の良さは民度云々だけじゃなくてそういう部分も影響してる
そして謎で怖いのが日本で育ったり長く暮らしてると民族あんまり関係なく何故か外国人もそうなるってとこ
同化力は中華文明の十八番と思っていたが、日本もなかなかできるのかな。そういえば日本の華僑はそれほど目立ってないが。
確かにそう言われると、日本の価値観的に「正々堂々だろうと弱者を蹴落す者は悪役」「どんな卑怯な手だろうと強者が相手であればヒーロー」として創作物でも扱われてる節があるよね
@@CharlotVFighter あぁ、ゴレンジャーね。
相手1人を5人で寄って集って・・・も相手が強者(で悪)だから許されるw
でも初めから”反日”的なC国人とかK国人、特にK国人は長年日本に住んでいてもずーーっと反日的な人も多い。
なんちゃら法政大学(言っちゃったw)の教授とか。
@@CharlotVFighterやっぱ意志は受け継がれるんか...
さっすが我らがご先祖様や!!
美濃・尾張(身の終わり)をやるってやつ最高に武士してて好き
やっぱりお侍様の戦い方じゃないか…
お侍が思ってた十倍凄かったです、、、
どーしよ!どーっしよ!!
戦国時代や幕末も割とやばいけど、鎌倉時代の戦闘民族っぷりはもっとやばい
何を申す…
誉はどうした!誉は!
元寇後、和平の使者を送っても全部斬首されるので和平が出来なかった話、頭おかしくて好き
もう使者おくらんでも良いよねw
そりゃ民間人がエグい被害出てるし和平とか無理無理
0:41
これよく言われるけど、男衾三郎絵巻というフィクションの悪役の所業でして
あったかどうかは不明ですが当時の価値観でもアウト扱いなのは確かです
鎌倉武士のクレイジーエピソードほんとすき
とりあえずムカつくから生首にするくだり好き
ムカついても殺してはいけませんとルールが決められるくらいですから
@@僧兵-x3b そして守られてないくらいですから。
@@僧兵-x3b ルールを作った側が権力争いばっかやって生首作りまくってるんだから矛盾しまくりやね
今までのイメージ
「悪い大陸の王様が日本を攻めてきた」
アップデートしたイメージ
「極悪非道、悪鬼羅刹の巣窟たる日本を元がどうにかしようとした(ダメでした)」
ちなみに重武装で馬乗って弓撃ったり槍振り回して遠距離近距離両方戦う武士の戦闘スタイルは日本だけだった
たしか鎌倉時代には戦力のコストカットが試行されて要は効率の良い全部のせクレープみたいになっちゃったらしい
そんな変態スタイルでもちゃんと戦果をあげられるあたりやはり日本武士は変態だった(褒め言葉)
聞くところによると、弓もモンゴルのそれよりも射程が長く。
鎧を着た相手を[確実に仕留める]為に、短剣と見紛うような鏃を付けていたとされますね…。
@user-ls6os6ql6q そもそもな話でモンゴルは短弓だしこの動画の中でも矢が通らないって言ってたのでその鎧対策のデカイ鏃は十分考えられるしそれが怪しいって言うなら現在の矢で鎌倉の鎧が貫ける証拠でも出してくれないと、要は出典を気にするまでも無く類推からありえる話だと思うが?
しかしそれとは別の話だがそうなると、鎌倉からあったのか分からんけど騎馬用のほろだっけ?あの後ろに背負う弓用の盾てきなやつ、いがいとデカイ鏃は攻撃力の面もあったけどあのほろ対策でもあったのかな少なくとも普通の矢なら結構効果があるんだよねあのほろ
@user-ls6os6ql6q ちょっとまて日本の和弓も複合だが竹で出来てるおもちゃだと思ってるのか?少なくとも短弓は威力と射程は携帯性のために犠牲になっているそのための毒矢なのだから要は当たらなければどうという事は無いって話だろ、そこに和弓が400mの射程でモンゴルが機動力でよける、十分良い勝負だろ、問題はモンゴルは船だったから機動力を生かせず唯の的になったそれだけの話
元の兵士「せや!音と光で馬をびっくりさせたら鎌倉武士も逃げるんちゃうか!?」→てつはう
鎌倉武士「馬から落ちた。だから自分の足で突撃した」
パワープレイ
まぁでも、馬から落とした時点で半分は成功ではあるんだが、
結局殺傷能力無いのがバレれば馬から落ちただけで意味ないもんなぁw
お馬さん「俺らいなくてもよくね?」
日本固有種の馬ってそもそも小柄だから
びっくりして落ちても
今のサラブレッドのイメージより
腰が低いはずなので
いて!あーじゃあ自分で行くかこんちくしょう
くらいのダメージだったのかなぁと…
馬は乗り物に過ぎないと。
下駄に乗ってやってくるνガンダム
例え下駄から落としたところで、
戦況は有利ならないの図w
外交特使の命を奪うのは「あまり」よくないって認識なの終わってる
武士にとって、敵か味方かが
重要であり、いきなり属国になれ
というのは敵認定になるのだ
志村「誉れ無くして武士にあらず(罪なき通行人の首を飾りながら)」
このチャンネル史上最強のずんだもん
今回のずんだもんがいきいきしていて本当によかった(内容から目をそらす)
夜襲はやめろと口酸っぱく言われてるけど早漏気味の武士が手漕ぎボートで最強に臭いうんこ投げにいったのすこ
とんでもないウンコ野郎だなw
残忍で野蛮かもしれないが、敵が恐れて退けばそれだけ早く戦が終わる
串刺し公爵と同じで、防衛上の意味合いもあったのでは
元『高句麗のお前ら、今から日本攻めるから軍船作れ』
高句麗『(めんどくせぇな、適当に作ったろ(ハナホジ))』
高句麗『軍船(泥舟)作りました』
元『よし、じゃあその船で日本むかえ』
高句麗『えっ』
海底調査で発見した元軍の船を調べたら、通説のような雑な作りではなく、当時の技術水準を勘案すれば十分に頑丈に作られてはいたらしいですよ。まぁ、その中に乗り込んだ兵士が精鋭だったかと言われたら、甚だ疑問ではありますが。
たけし君は大勢を崖から突き落として
全員始末してしまう強戦士だから
源平合戦の一コマ
昔学校で習った時は「弓は長すぎて連射できないし『やあやあ我こそは』とか言ってる間にあっちの短い弓からドンドン放たれる毒矢とてつはうでボコボコにされた、神風が吹いてなんとか助かった」
みたいな話だった気がするなぁ
和弓はバカでかいから席類の裏から打てないんですよね。
だから盾みたいのを石塁に置いてそこから少しだけ体を出して撃つのが多かったようです。
むしろこっちが「我こそは」と言わずして攻勢仕掛けまくった挙句脳筋攻撃したのが最高に蛮族
その辺の話は、戦役に何の役にも立たなかったけど報酬だけは欲しがった石清水八幡宮の八幡愚童訓などの寺社仏閣勢力がでっちあげた資料を元にしてますからね。連中からすれば、武士が大苦戦したけど、神仏のお陰で撃退できたというストーリーにしたかっただけという。
あと、有名な蒙古襲来絵詞もよく見てみると、武士側が苦戦している描写は後で別人が書き加えたものというのがよく判りますね。こっちは、幕府へ自身の手柄をプレゼンする資料として蒙古襲来絵詞を書かせた竹崎季長が、「これじゃぁ、(苦戦描写がないから)苦労して挙げた手柄と認識してもらえない」と考えて、敢えて苦戦したように見せるために書き加えさせたらしい。
「てつはう」も最新兵器で、馬がびっくりしてしまうので戦いにならなかった…とかね…
日本じゃ身分の高い人以外はほとんど歩兵だったんじゃね?という
中には鉄片の入った殺傷力のある物も1つだけ発見されているらしいが、ほとんどは殺傷力の低いびっくり玉だったようで…
私が習った時もそういうふうに聞きました。歴史の解釈ってこうも変わるんだなぁ…
うぽつ
5:40 少佐殿がいらっしゃった
あまりにも洗練された最強武士軍団にスペイン・ポルトガルの使節が戦慄したというエピソードも好き。牽制は国防の要ということを強く感じるエピソード。
それで「この国を武力制圧するのは無理です、何故だか知らんが勝手に鉄砲まで量産してるし…」と本国に報告、宣教師を送り込んでキリスト教で洗脳する方法に梶を切るも秀吉や家康が勘付いてバテレン追放。やはり三英傑は偉大ですよ。
ワシントンのダレス空港からホワイトハウスに至る来賓用の道路から見える風景はもしこの国と事を構えると我々は殲滅されると自覚させるように壮麗な構造に設計されている。
※ちなみに当時のモンゴル軍もバグダート火の海にしたり対馬の住民を全員奴隷にしたりする蛮族なのでエイリアンVSプレデターくらいの認識でいい
幕末のフランス人相手の切腹ショータイムはすげぇよな、、初めて知った時は固まったよ
昔の学生時代の日本史の授業だと日本側は「やあやあわれこそは」っていう正々堂々な戦しか知らず、元の何でもありな戦い方に対応できず不利な戦況だったが
神風と呼ばれる台風によって船が沈み元軍は全滅した、みたいな内容だったな(超ざっくり)
ん な わ け あ る か
などと内心ツッコミ入れつつ聞き流してた記憶w
だいたい、元側が有利な戦況だったら、何で陸上に陣を構えないでわざわざ全軍で船に戻ってんだよってね
根本的に矛盾してるんだよ
まあ日本の軍が強いと色々イデオロギー的に気に入らない向きが多かったんだろうね
今の教え方はどうなってるんだろうか
現在大学生だが、俺が小学生の時もそう教わった。殺し合いなんだからルールなんて無視したもんの勝ちだろと思ってたものの、漠然とそういうものとして覚えてた。
だからこの手の動画とかドリフターズとかで武士の所業を見るたびに爆笑してる。
名乗りはする。そうしないと、手柄を立てても誰の手柄か分からず、証人もそれを説明できないので論功行賞で不利になる。
文永の役なら、高麗軍が要衝たる赤坂山(現在の福岡城)を占拠してる。だから陸上に陣地を築いたって話も正しい。もっとも、菊池武房の活躍と劉復亨に流れ矢が命中したから撤退した。撤退中に暴風雨に遭遇した旨は高麗史に書いてたはず。
日本軍も集団行動をするが、あくまで「家」の棟梁とその家人単位なので、モンゴル・高麗軍のと比較すると少数の集団。囲まれると太刀打ちできない。
弘安の役なら海上に陣取るモンゴル軍に台風が直撃した可能性も高い。
アメリカに負けてGHQがやったのが日本人の精神性がヤバすぎるって事で根本の歴史を捻じ曲げたりして変えていこうってしたからその名残じゃないの?
禁書になった歴史書とかいっぱいあるみたいだし
今高1だけど俺も小学生の時同じ感じだったわ
一応そのあたりは地形がよくわからなくて夜襲される恐れがあったからって説明された記憶
境井「...誉れなんて無かったやん伯父上...むしろワイ大正解やったやん」
武士総冥人化も流石に伯父上も予想はできまい…
うん、大正解。
伯父上「敵船を火矢で夜襲など、誉はないのか・・・」
鎌倉武士「将軍様のお墨付きやで~、良く燃えて楽しいで~」
ずんだもんはこういうサイコパスな役が一番あってる
出典を覚えてないんだけどどっかの書で「あの国に我らの意向を示そうとした 〜中略〜 もう行きたくないです………」が好き
当時のジャパニーズソルジャーは、敵の死体だったり馬の死体だったりを船に・⌒ ヾ(*´ー`) ポイしてたし、嫌がらせ大好きな素敵なご先祖様でしたね……
日本人が捻くれてるのは、昔からだったのかwww
人の嫌がることをするのが得意です
そのくらいは日本じゃなくてもやってるでしょ
なんならモンゴルもやってるという
開戦までの経緯とか鎌倉幕府の成立とか幕府内での粛正、族滅、搾取、紛争とか見ると野蛮人にしか思えないんだよな
京都の人たちが鎌倉のことを見下していたのもさもありなんとしか
ずんだもんがしばかれない回
コメントで不評でしたので無くしてみました!いかがですか??
@@ずんだ歴史こっちの方が面白いです!
しばかれるのも好きだけど笑笑
しばかれない派です🙋
@@ずんだ歴史
前は画面が変わる度にシバかれてて、クドかっただけなので、2、3回くらいなら丁度良いと思いました。
かまくらたけし吹いたwww
こんな血の気の多いタケシたちが今や誰1人生き残っていないとは
犯罪者になって活躍してるじゃん笑
まぁ環境要因だし、今の日本の環境じゃそんな野蛮な人間は少ない。
血の気の多くて勇敢なタケシたちは太平洋戦争で殆ど死んだからな
血の気が多い人のDNAは戦国時代と太平洋戦争でいなくなった説ありますね
平和だからな
大規模な戦乱や生命の危機に陥った場合DNAに刻まれたタケシ因子が目覚めるんだぞ
現に江戸時代なんか武家が悉く牙を抜かれ、争う利点が無くなり農民は生きる事に精一杯だった故に平和だった
石塀で防備固めたおかげで停泊してるところを夜襲してくる!で程々に戻ってこいよで済ますあたり鎌倉武士を感じる
昼:上陸させない見事な戦い、誉である!
夜:火矢で夜襲、誉は海に落としたのだw
神風特攻隊は鎌倉武士から来たのか…。
世界から見たら日本に神風を吹かせちゃいけなく見えますね。
ゴーストオブツシマの冥人様はかなり有情だったな
公開切腹ハラワタ投げつけとか意味不明すぎておもろい
切腹にはご存知の通り介錯が着くんだが場面の凄惨さから
介錯人に早く首を落とすよう指示が出たのに対し切腹中の武士が腹を立て(?)
「(オレは)まだタヒんでないぞ!」と叫び自分のはらわたを投げつけた話
... 意味不明なのは変わらんな
脳汁アドレナリンドバドバ出さないと自分で腹なんか切れ無いし、アドレナリン出たら痛みなんか感じないし、死ななきゃいけない原因作った奴はムカつくしせめてもの報いに臓物を相手に投げたり塗り付けたくなったりはするやろなぁ..
相手がバーサーカー過ぎたから、嵐の中を決死の覚悟で逃げ帰ろうとしただけ、ということなのか………?
鎌倉武士(たけし)好きwww
日本の武士って、後世で官僚化しても根本が軍事政権だから、
武器の扱いを一通り出来ることを要求されてるもんな
なんだか特攻とかもこの日本人のえげつない戦闘狂気質が表に出てきただけとしか思えない。
戦闘狂気質というか、人質助ける為に人質以上の犠牲が出て、結局人質も殺されるくらいなら人質ごと殺せば被害数が減るという合理性?なんだが、人の命がかかっているのを忘れて”数”しか見えなくなる人命軽視的な考えかな。
まぁそれだけ危機的状況だったともいえるけど。
真珠湾攻撃の序盤の時から・・・被弾した攻撃機が敵船に体当たりして初日からベテランパイロットを2人も失った。
しかもただのパイロットじゃない、エース級の集まりの一航戦の搭乗員が死に急ぐ。
人命軽視、だから負けたともいえる。
一航戦のエース級パイロットを国が育てるのに何年掛かるのか?ということが抜けていて、「生き恥」とかいう風潮があった。
それ、江戸以降の武士だろ?鎌倉武士だったら死ぬまで何が何でも戦うぞ!
生きていれば、次の攻撃機に乗ってまた戦えるだろ!お国の為はどーした!
って思ったわ、この動画みてw
「カミカゼは効果は無い」と言われるがそれは終わった後のはなしで、勝った側が言うはなしであって、色々あるのよ。
「B29は無敵の爆撃機だった」というのも最近ではそうでもなかったという話も出て来てるし。
歴史は勝者が作るもの。
日本人が自信をもてるくらい日本が強いのがわかる
農耕民族かつ島国という平和ボケ全開の条件が整えられているにも関わらず、国内で複数の国に分かれて延々と合戦三昧。
可愛い顔した戦闘民族日本人ですね。
@@サエヒロまさに歴史は繰り返す
室町時代の日本人、庶民レベルで鎌倉武士以上に暴れてる模様
現代日本人にバーサーカーはいないよ😢
@@サエヒロ 永遠の凶作が約束された国だからねちかたないね。
当時のモンゴル軍って海戦とか上陸作戦のノウハウは持っていたのかな、地上戦は無双してたイメージあるけど
日本人云々というより元は海を超えて闘うの初めてで最初から疲弊してた
少なからず人種は異なるがあの大陸人が「10万人遠征して戻ったのは3人だけ」なんて記録を残すあたり、相当辟易したんだろうなあ・・・
鎌倉武士はすぐ庭に首を飾りたがるんやな〜
恐ろしいですよね、、、
日本は日宋貿易以降南宋の情報は知ってたから敢えて元の通達を無視し続けた、じゃないと文永の役での幕府側の動きが早すぎる
そもそも武士だけじゃなくて農民とかもバーサーカーそのものだから…当時の日本人は
元寇は「やあやあ我こそは」と冗長にやって苦戦、神風で辛勝。一方、倭寇が大陸にも猛威を振るっていた
ここらへんが子供の時に繋がらなくて疑問だったけど「鎌倉武士(プロ戦闘集団)は蛮族だった→一方で倭寇(アマチュア戦闘集団)も猛威を振るった」なら綺麗に状況が統一される
昭和もなかなか血の気が多い事件あるし、世界的に治安が良い一方で戦闘狂の子孫ってのが面白いね
鎌倉武士&スパルタ兵による狂気のアベンジャーズが見たいです。
いかにカッコよく逝くかが武士としての誉れ、
その逝き様を競おうってんだからそのチャーンス!
全くもうね…(褒め言葉)
確か、鎌倉幕府が手柄立てたら、いっぱい褒美出すぜ!って煽ったからヒャッハーになったと言う話が。でも終わってみたら褒美がしょぼかったから、そのまま倒幕の流れになったとか聞いた事あります。
コメント欄で武士道について言及があるけど、
この時代というか古代中世の日本史において武士は今でいう893のように
任侠・義理人情の世界だったのではと勝手に思ってる。
好戦的な戦闘狂だったが、味方になれば儀に熱いみたいな。
現代戦においても兵站は重要でましてや大昔の戦争かつ海を挟んだ戦ならどんな猛者でも無理無理無理のカタツムリよ
んな事ができる国はアメリカくらいなもんだ
ホワイト企業「お前失敗したな?まぁワシが何とかするから次は頑張れよ!」
ブラック企業「お前失敗したな?給料減らす!」
昔の反社「お前失敗したな?ケジメでエンコ詰めろ!小指ブチッ」
武士「お前失敗したな?腹を切れ!安心しろ、介錯は付けてやる!」
生存の難易度が高すぎる世界…
しかも、お家おとり潰し付き。
・・・そりゃ日本人は礼儀正しくなるよなぁ、一歩間違ったら死ぬもん
そもそもお家の中でも
家督争いで気が気でないし
なんなら身内が毒を盛ったりで
家族ってなんやねん
って時代だし…
最初から最後まで血の気多すぎて殺意マシましなの好き
夜中の間に元寇の戦艦に馬の死体投げ入れた話好き
8:23
唐突なハートマン軍曹で草
海底を調べたら当時錨を卸した痕跡があまりなく、元軍が船での戦いに十分慣れていなかったとか、当時支配していた高句麗などの連合軍の士気が低いなどの元軍内部の事象など外的要素も結構あったという説もある
別に煽ってるとかではなく素朴な疑問として、そんな昔の投錨の痕跡って分かるものなんでしょうか?
そもそも上陸できずに何日も船で待機、しかも夜になると火矢で夜襲されるのだから、そのころ(台風くるころ)には疲れ果てて気力も何もないだろう。
夜襲あるのに錨下ろしたら格好の的になるからおろせなかったんじゃ?
ゴーストオブツシマで少し興味が出て鎧だの太刀だの調べても面白かったけど…この時代の日の本の気性は笑えねぇ。戦闘民族だぜ