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私も同じ病気を4年前から患っていてボトックス注射での治療を繰り返してきました。副反応が通常の方よりも長く生活に支障があったので昨日同じ手術を受けました。まだ入院中で発声禁止ですが術中の自分の声を聞いた時涙が出ました。担当の先生方も「あなたのこんな声初めて聞いたよ」と褒めていただきすごく嬉しい気持ちになりました。まだ少しかかりますが動画の方のように退院後の発声が楽しみです。
手術お疲れ様でした。きっと怖かったですよね。これから声が安定して生きやすくなりますように😌
痙攣性発声障害、かかりました。2年も完治にかかりました。手術は他に病気があるのでできませんでした。2年、ずっと発声の練習で苦しみました。販売の仕事をしていたので、転勤しました。
テレビで見て初めてこの症状を知りました。自分も緊張しやすく他人事のようには思えませんでした。ナレーションのお声が優しく、内容も分かりやすくて良かったです。
私も7年前、大学一年生の頃から痙攣性発声障害が始まりました。だんだんと声がでなくなり、周りが無音でないと全く声が出ず、会話の返答、人を呼び止める、おはようのおの字すらでないような、まともな人間として社会で生活できないような状態のまま新社会人になりました。面接の時は静かな部屋だったからなんとか話せました。その後も病院に行って治療等受けたりしませんでしたが、入社後2年かかってだいぶ症状が消えてきました。ネットで長い歳月同じ症状で苦しんでいる方を見ると、治った私は本当に幸運だった、いや奇跡だったのかもしれません。普通に話せて挨拶ができるだけで本当に幸せだと思っています。奇跡とはいっても、治る可能性はあると言うことを伝えたいのと、私自身も辛かった経験を共有したい、経緯をまとめたいと思ってコメントすることにしました。↓以下に経緯など書きますがさらに長くなります🙇♀️
症状が出始めたのは大学一年の中頃でした。私は体操競技部に入っていて、本格的に選手として競技活動をしていました。部活では常に大きな声でお互い応援します。元々人よりも声が小さいのですが、応援は力になるので頑張って声を張り上げていました。きっかけは覚えていませんが1年生の秋ぐらいから人の名前を大声で応援するとき、名前の「あ」や「な」など頭文字が発声出来ない感じがあったのを覚えています。毎回特定の頭文字の時に大声が出ず、いい易い頭文字や言葉に続けてなら声がでました。冬になるにつれてエスカレートしていき、声を出せる言葉の範囲がだんだん少なくなっていきました。応援したい気持ちを声に出したいのに、出ない。だいぶ辛くなってきていました。他の人の後に続いて声を出すようにしたり、声が出る名前の人の時だけ応援したり、なんとかごまかしてました。試合の応援では1人で掛け声をしなければいけず、声出なかったらどうしようと恐怖でいっぱいでしたが、そういった追い詰められた状況では声は出てくれました。冬から2年になるまでに、応援でほとんど大きな声が出なくなってしまいました。せめて小さな声なら、と思って小さく言おうとしても、声が出ず。もはや諦めてしまいました。応援をしてないよねと先輩や同期に怒られたりもしていました。同期には声が出ないと恐る恐る言いましたが、普通に普段声だして喋ってるやろ💢と誰1人聞く耳をもたず、周りに迷惑かけてやっぱり私に問題があるんだと自分を攻めました。掛け声ができずに泣き崩れてしまい、大事な試合のチャンスをダメにしてしまったりもしました。その当時は気持ちの問題で、一度声がでないと思い込んでしまったから、思い込みのせいで声がでないのだと思っていました。だから声は出ると一度思い出せば大丈夫だと思って、カラオケにいって叫べいいと考えました。しかし、カラオケでも声は出ませんでした。解決策はないかと、ネットで調べた結果、痙攣性発声障害の事を知りました。しかし手術も一時的な解決策でしかなく、今は確実な治療法がないなら診て貰っても治らないだろうと考えて病院には行きませんでした。親や先生にも相談せず、大学4年までやり過ごしていました。応援は全くできず、周りからは白い目で見られる日々でした。相手が数メートル離れると、声が出なくなり気づかせることもできなかったので、こちらを向くのを待って身振り手振りで気づいて貰ったりしてました。4年生になると、日常生活の中でも声が出なくなってきました。周りが騒がしくて少しでも声を大きくしなければいけないときに、声帯が閉じてしまうようになりました。寮でシャワー浴びながら話したり、外食で周りががやがやしてる場所で話すのが、困難になりました。1人の友人には声が出ずらいと話して、スマホで会話してみたりもしましたがあまり理解してもらえませんでした。そんな中、教員免許をとるために教育実習に行くことになりました。保健•体育科目の免許で、教室で生徒の前に立って授業もするし、体育館や校庭で声を張り上げながら授業をしなければいけませんでした。一言で言ったら地獄でした。声帯が開かず詰まった声で、それでも授業をしなければいけなかったので変な声の先生だと思われながら無理やり声を出していました。生徒の視線がとても痛かった。でも無理やり声を出してる内に、急に声が出る様になる場面がありました。ドタバタしてて感情が高まったとき、咄嗟に声が出たのです。その後はだんだんと声帯が開くのを思い出したのか、授業でもなんとか普通の声を出せるようになり無事教育実習を終えました。教育実習後、声が出るようになったことがとても嬉しくて泣いたのを覚えています。やっと声の出し方を思いだした、もう苦労しなくていいんだと。しかし、部活では何年も応援していなかったので、応援で声をだすタイミングが分からずにいました。急に声を出すようになったと思われるのが恥ずかしくて怖かったんです。今思えば、そのとき頑張って声を出していれば、少しずつ治っていたのだと思います。数週間後には結局元の状態に戻り、声を張ると声帯が締まり変な声しかでなったので、極力声を出さなくなってしまいました。そのまま卒業後は体操教室で就職することに決めました。今まで13年間やってきた体操を活かしたくて。就職後、それはもう悲惨でした。騒がしい店内で何人もの子供に指示をださなければいけず、仕事なので無理やり声をだしていました。先生風邪引いてるの?とか言われたりしてましたが、どうしようもなかったので周りの冷たい視線を覚悟して無理やり声を出し続けました。子供に対して、教えたいのに声を出せない場面が多くてほんとに申し訳なく思いながら仕事していました。声が出せればもっと教えられるのにと。その内に、教育実習の時のように声が出る場面が出てきました。感情が昂ったときや、咄嗟に出た声などは出るようでした。「はい」は言い易いのがわかっていたので、なるべく「はい」を挟んでから話し始めたり、工夫しながら出来る範囲で声を出すようになりました。だんだんと遠くの子達に声を掛けることもできるようになり、治ってきてるのを実感していました。しかし、波があるのも実感していました。そのうちその波は月経の周期で上下してることに気づきました。月経前後は声の調子が悪くなり、半月経つにつれて調子が良く声が出やすくなるのです。それがわかると、調子が把握しやすくなったので少し気持ちが楽になりました。職場が異動になり、前の職場より人数が少なく周りの騒がしさがマシな環境になりました。そこでは、だいぶ普通に声が出るようになりました。でもまだ声帯が閉まってしまうことは無くなったわけではなく、不便さはありました。その内、交際相手と出会いました。お出掛けにも沢山いき、大学までできなかったこともできて充実していました。しかし、まだ騒がしい場所では声が出なくなってしまうこともあったので、彼には事情を話してました。2年経つと、ほぼ声が出ない場面は無くなっていました。プライベートでの彼との付き合いが精神的に支えもなっていましたりこの障害とは一生付き合っていくものだと思っていましたが、だいぶ良くなったことが嬉しく、ホッとしました。声が出せることの幸せを身をもってわかったので、元々引っ込み治安な性格でしたが少し積極的に仕事で声を出すようになりました。今では声が出ない場面はほとんどありません。前職を辞めて、大きな声を出すことはなくなりましたが、それでも再発することなく過ごせています。これまでの経験で分かったのは、周りからのプレッシャーによる責任を感じる場面や、感情が昂ぶる場面や、咄嗟に声がでるような場面のときは声帯が開くようでした。でも自分の意思では開かない。周りの「状況」によって刺激された結果、声帯が開くのだと思います。私の場合は、仕事場がそういう「状況」となっていたので、リハビリになったのかもしれません。でも周りには白い目で見られるので辛さも味わいながらでした。もう二度と同じ思いはしたくありません。よく私仕事辞めなかった、諦めなかったなと思います。長くなりましたが、これが、私の経験談です。原因や治療法がはっきりしていない障害ですが、治ることもあるのだと知ってもらいたいと思います。本当に辛い障害ですよね。社会で生きていく、成長したり友情や愛を育むためにも声を出すことは最も有効な手段なのに、それを奪われてしまう。周りにも理解されない。同じ障害で苦しむ人はきっと、私と同じようにもともと心が傷ついているのだと思います。無理するのは本当に辛いので、自分の好きなことに目を向けたり楽しい経験をして、少しでも心を潤わせてあげてほしいと思います。好きな歌手のライブで周りと一緒に叫んだり、誰かと一緒に歌ったりすると、声がでるのかなーと私は思います。少しでも楽しい方法でリハビリしてみてほしいです。早く治療法が確立することを心から願っています。
こんにちは、初めまして!全く同じ経験をしてきたので思わず感謝の念を伝えたくコメントします🙇私も中学二年の頃から声の出づらくなりかれこれ8年痙攣性発声障害です。おかむーさんと同じく最初はいつもの部活動の声出しが急に出なくなったのがきっかけでした。それから中学高校と自分の思い通りに声が出せない日々が続き、人と話すのもやっと、遠くにいる人は呼べない、騒がしい場所では話せない、となんでこんななの?と自分を責める毎日でした。本当は人と話すのが大好きなのに声が出ないせいで喋るのも億劫になり周りから静かな子、話したくないんだと思われることも多々ありました。大学に入ってからは声が出ないながらも人が大好きだったので4年間接客業をしました。大学3年になってボトックス治療と出会うまで、息は苦しく、レジでも声が出ない、お客さんに声大丈夫?と毎日聞かれるそんな散々なバイト生活でした。ボトックス治療を始めてからはバイトが本当に楽しくなり、6年振りに接客の楽しさを実感することが出来ました。それでもボトックスは一時的なもので、また詰まる日々が始まり天国と地獄のエンドレスループのようなものでした。生理前後の声の出づらさもすごく共感できます。それまで喉の調子が良かったのに生理前後は喉が浮腫んだように圧迫され調子がおかしいですよね😢しかしおかむーさんと同じように、生理が終わったら少し良くなったり、レジが混んだ時やちょっと慌てている時、楽しい!いそがしい!という感情が高まっている時などは詰まらずに発声することが出来ます!しかし来年からは就職を控え、手術せずに仕事を始めることに不安があります😥やってみないと分からないですけど…でもおかむーーさんのコメントを読んで、声を出し続けることがリハビリになること、声が出せないという苦しさに向き合ってこそ障害を克服できることを学び、凄く力になりました!!まだ彼氏はいたことがないので、彼氏が出来たら更に詰まりも無くなるといいな〜と彼氏作りへの希望も持てました(笑)おかむーさん、自身の経験を話して下さりありがとうございます。コメントに高評価を押している方、この動画を見つけた方のパワーになると思います。現に私も今克服への道のりが見えてきたような気がして凄く嬉しいです🥲バイトの度に、働く人にまた声変な人と思われないかな?とかお客さんにまた見られたなとか思っちゃうけど、リハビリだと思って自信を持って声を出していきます!!明日からの活力になりました!ありがとうございました😭長々とコメント失礼しましたm(*_ _)m
10月8日から声が出なくなり,10月11日に病院に行ったところこの病名を診断されました。「まだ,19歳なのに」と悔やんでも始まらないので個性として向き合っていこうと思います。拙い自分語り失礼しました。
私も同じような症状で数年間苦しんでいます。接客業なのに人と喋りたく無くなってしまったり、声大丈夫ですか?と言われるたびに辛くてもういなくなってしまいたいと思うこともあります。この動画で、少し救われました。
女性は特に人との会話が好きだしその大切さを経験で知っています。発症して診断された時はショックだと思います。自分でも意識しない緊張が引き起こすこともあるのでしょうか。若い方の手術の決断、症状と向き合う決断、現在 頑張っていらっしゃる姿に自分も勇気づけられます。
俺はこれの男版だった。詰まりとか震えはないけど、ただただ声がかすれて全然大きい声が出ないし、何より発声中の喉の苦しさがヤバい。無意識にどこかを締め付けてるような感じだった。騒がしい場所だとほんとにキツくて、人と話すことも好きだったのに億劫になって、苦しむぐらいならと友達が話しかけてきても無視するようになって。いっそみんなに嫌われてしまいたかった、そうしたら話しかけられなくなるから。でも心のなかでは話したいし、何よりこんなどうしようもない対応をしてる俺にまだ話しかけてくれる友達に、色んな意味でものすごく心苦しかった。学校が終わると家に帰って、スマホで夜通し声に関する治療法を漁って寝る。病院のサイトのみならず大学の研究ファイルとかもほとんど見たし、海外のサイトも翻訳して調べたりした。それでも、そもそも自分の症状はほとんどネットに載っていなかった。この動画の痙攣性発声障害や、過緊張性発声障害、心因性発声障害はメジャーだけど、どれも俺の症状とは微妙に違っていた。病院にはセカンドオピニオン、サードオピニオン、と10軒以上巡ったが、ほとんどの所では「異常なし」と言われた。声がかすれて弱々しいのに声帯はしっかり閉じているらしかった。でもここまで困っている以上異常なしなんてことは多分なくて、異常を病院が発見できていないだけなんだろうと思ったが、それは結局今の技術では何も分からないっていうただの残酷な真実だった。病院巡りに疲れた俺は高校3年生の最後の方はもう死んだように生きていた。当然未来に希望が持てないのに受験勉強なんて身が入るわけもなく、当然のように落ちた。でも、宅浪すればあと1年は他人とほとんど話さなくていいと気付いて、そこで絶対に直してしまおうと決意した。結局、紆余曲折あって今は大分治りつつある。(書くのがめんどくさくなった)色々調べて考えて気づいたのは、変な発声法が固定化していることと、心因的問題が大きく関係していること。思春期の時に、親と話したくない時期があってなるべく声を絞って話していたのがキッカケなんだと思う。またその状態で無理に声を出そうとしたから、変な力ませた発声法が身についてしまったんだと思った。
5年前くらいから仕事のストレスで私もなりました。今は大分良くはなってきたがまだまだ声が詰まったりする。それが頭によぎるから仕事も半分くらいの力しか出せない。ストレスを受けない環境にいることが大事。
自分も同じ障害を持ってるので辛さがよくわかります。発声してるときの感覚でわかるんですよね、震えてる感じが。止めたくても止められないし。。。同じ症状で悩んでる人がいるって安心しましたわたしは一人じゃない。この症状とうまく付き合えるようにがんばります。
私も痙攣生発声障害です。渡嘉敷先生に10年お世話になっています。私の場合はボイトレではどうにもなりませんでした。今はボトックスあとの副作用で声がスカスカです。
本当に無理、、学校の1人で話すのはほんとに無理
私も15年位前から痙攣性発声障害です。当時接客業でしたが、声が出なさすぎてクビになりました。耳鼻咽喉科では、原因不明と言われ精神科に行くよう案内され、精神科の先生も最後はお手上げ状態でした。毎日が辛くて毎日泣いていました。たまたま見たネットに病気の事を知り専門の先生に診てもらい痙攣性発声障害と告げられました。今も完治せずです。飲み会は、喉が苦しくて辛いしカラオケは咳込む、コンサートは叫んでも自分の声が聞こえず咳込むだけ。とにかく声が出たり出なかったりです。もしも震災で大声を上げないといけない時がきたら恐ろしいです。それでも自分の病気を受け入れてなんとか生活してます。
私も4年ほど前から痙攣性発声障害です。喋り方を工夫しても震えたり詰まったりするし、会話聞いて話す内容も考えてだからすごく疲れることも多いです😅
自分も完全にこれだけど、自分の場合は明らかに心因性。緊張からくるものだろうから抗うつ薬が効くと思う。自分の場合、まだ合う薬に出会えていないけど、海外のサイト含め薬を飲んだ人のレビューを相当な数読んでいるけど効きさえすれば、このような症状はおさまると確信している。
すごい!手術でこんなに変わるんだ
今年になって嗄声症状があり悩みまくって新宿ボイスクリニックのHPを見た事もあります。ボツリヌストキシン注射治療をされていた女性はなぜに保険適用なのでしょうか…保険適用だとしても高額ですが…
わたしも同じ症状です。この動画を見て、わたしもこの病気だ!治るかも知れない!と思い大学病院に行きましたが、あなたは痙攣性発声障害ではありませんと言われてしまいました。田舎なので諦めるしかないんですかね
過緊張性発声障害かもしれませんね。両者はとても症状が似ているのですが過緊張性と真性の痙攣性では原因が全然違うので治療法も変わってきます
7000って少なくない?その10倍はいてもおかしくないと思うけど
歌手の酸欠少女さユりさんがこの症状だったのかな。
自分と全くおなじ症状だ
中途半端な症状が出るってことは、手術しても完全に治らないケースもあるってことですか?
歌は歌えるが通常の会話が出来ない時がある
私も同じ病気を4年前から患っていてボトックス注射での治療を繰り返してきました。副反応が通常の方よりも長く生活に支障があったので昨日同じ手術を受けました。
まだ入院中で発声禁止ですが術中の自分の声を聞いた時涙が出ました。
担当の先生方も
「あなたのこんな声初めて聞いたよ」と褒めていただきすごく嬉しい気持ちになりました。まだ少しかかりますが動画の方のように退院後の発声が楽しみです。
手術お疲れ様でした。
きっと怖かったですよね。
これから声が安定して生きやすくなりますように😌
痙攣性発声障害、かかりました。
2年も完治にかかりました。
手術は他に病気があるのでできませんでした。
2年、ずっと発声の練習で苦しみました。販売の仕事をしていたので、転勤しました。
テレビで見て初めてこの症状を知りました。
自分も緊張しやすく他人事のようには思えませんでした。
ナレーションのお声が優しく、内容も分かりやすくて良かったです。
私も7年前、大学一年生の頃から痙攣性発声障害が始まりました。
だんだんと声がでなくなり、周りが無音でないと全く声が出ず、会話の返答、人を呼び止める、おはようのおの字すらでないような、まともな人間として社会で生活できないような状態のまま新社会人になりました。面接の時は静かな部屋だったからなんとか話せました。その後も病院に行って治療等受けたりしませんでしたが、入社後2年かかってだいぶ症状が消えてきました。
ネットで長い歳月同じ症状で苦しんでいる方を見ると、治った私は本当に幸運だった、いや奇跡だったのかもしれません。普通に話せて挨拶ができるだけで本当に幸せだと思っています。
奇跡とはいっても、治る可能性はあると言うことを伝えたいのと、私自身も辛かった経験を共有したい、経緯をまとめたいと思ってコメントすることにしました。
↓以下に経緯など書きますがさらに長くなります🙇♀️
症状が出始めたのは大学一年の中頃でした。
私は体操競技部に入っていて、本格的に選手として競技活動をしていました。
部活では常に大きな声でお互い応援します。
元々人よりも声が小さいのですが、応援は力になるので頑張って声を張り上げていました。
きっかけは覚えていませんが1年生の秋ぐらいから人の名前を大声で応援するとき、名前の「あ」や「な」など頭文字が発声出来ない感じがあったのを覚えています。毎回特定の頭文字の時に大声が出ず、いい易い頭文字や言葉に続けてなら声がでました。
冬になるにつれてエスカレートしていき、声を出せる言葉の範囲がだんだん少なくなっていきました。応援したい気持ちを声に出したいのに、出ない。だいぶ辛くなってきていました。他の人の後に続いて声を出すようにしたり、声が出る名前の人の時だけ応援したり、なんとかごまかしてました。
試合の応援では1人で掛け声をしなければいけず、声出なかったらどうしようと恐怖でいっぱいでしたが、そういった追い詰められた状況では声は出てくれました。
冬から2年になるまでに、応援でほとんど大きな声が出なくなってしまいました。せめて小さな声なら、と思って小さく言おうとしても、声が出ず。もはや諦めてしまいました。
応援をしてないよねと先輩や同期に怒られたりもしていました。同期には声が出ないと恐る恐る言いましたが、普通に普段声だして喋ってるやろ💢と誰1人聞く耳をもたず、周りに迷惑かけてやっぱり私に問題があるんだと自分を攻めました。
掛け声ができずに泣き崩れてしまい、大事な試合のチャンスをダメにしてしまったりもしました。
その当時は気持ちの問題で、一度声がでないと思い込んでしまったから、思い込みのせいで声がでないのだと思っていました。
だから声は出ると一度思い出せば大丈夫だと思って、カラオケにいって叫べいいと考えました。しかし、カラオケでも声は出ませんでした。
解決策はないかと、ネットで調べた結果、痙攣性発声障害の事を知りました。しかし手術も一時的な解決策でしかなく、今は確実な治療法がないなら診て貰っても治らないだろうと考えて病院には行きませんでした。親や先生にも相談せず、大学4年までやり過ごしていました。応援は全くできず、周りからは白い目で見られる日々でした。
相手が数メートル離れると、声が出なくなり気づかせることもできなかったので、こちらを向くのを待って身振り手振りで気づいて貰ったりしてました。
4年生になると、日常生活の中でも声が出なくなってきました。
周りが騒がしくて少しでも声を大きくしなければいけないときに、声帯が閉じてしまうようになりました。寮でシャワー浴びながら話したり、外食で周りががやがやしてる場所で話すのが、困難になりました。
1人の友人には声が出ずらいと話して、スマホで会話してみたりもしましたがあまり理解してもらえませんでした。
そんな中、教員免許をとるために教育実習に行くことになりました。
保健•体育科目の免許で、教室で生徒の前に立って授業もするし、体育館や校庭で声を張り上げながら授業をしなければいけませんでした。
一言で言ったら地獄でした。声帯が開かず詰まった声で、それでも授業をしなければいけなかったので変な声の先生だと思われながら無理やり声を出していました。生徒の視線がとても痛かった。
でも無理やり声を出してる内に、急に声が出る様になる場面がありました。ドタバタしてて感情が高まったとき、咄嗟に声が出たのです。
その後はだんだんと声帯が開くのを思い出したのか、授業でもなんとか普通の声を出せるようになり無事教育実習を終えました。
教育実習後、声が出るようになったことがとても嬉しくて泣いたのを覚えています。やっと声の出し方を思いだした、もう苦労しなくていいんだと。
しかし、部活では何年も応援していなかったので、応援で声をだすタイミングが分からずにいました。急に声を出すようになったと思われるのが恥ずかしくて怖かったんです。
今思えば、そのとき頑張って声を出していれば、少しずつ治っていたのだと思います。
数週間後には結局元の状態に戻り、声を張ると声帯が締まり変な声しかでなったので、極力声を出さなくなってしまいました。
そのまま卒業後は体操教室で就職することに決めました。今まで13年間やってきた体操を活かしたくて。
就職後、それはもう悲惨でした。騒がしい店内で何人もの子供に指示をださなければいけず、仕事なので無理やり声をだしていました。先生風邪引いてるの?とか言われたりしてましたが、どうしようもなかったので周りの冷たい視線を覚悟して無理やり声を出し続けました。子供に対して、教えたいのに声を出せない場面が多くてほんとに申し訳なく思いながら仕事していました。声が出せればもっと教えられるのにと。
その内に、教育実習の時のように声が出る場面が出てきました。感情が昂ったときや、咄嗟に出た声などは出るようでした。「はい」は言い易いのがわかっていたので、なるべく「はい」を挟んでから話し始めたり、工夫しながら出来る範囲で声を出すようになりました。
だんだんと遠くの子達に声を掛けることもできるようになり、治ってきてるのを実感していました。しかし、波があるのも実感していました。そのうちその波は月経の周期で上下してることに気づきました。月経前後は声の調子が悪くなり、半月経つにつれて調子が良く声が出やすくなるのです。
それがわかると、調子が把握しやすくなったので少し気持ちが楽になりました。
職場が異動になり、前の職場より人数が少なく周りの騒がしさがマシな環境になりました。そこでは、だいぶ普通に声が出るようになりました。でもまだ声帯が閉まってしまうことは無くなったわけではなく、不便さはありました。
その内、交際相手と出会いました。
お出掛けにも沢山いき、大学までできなかったこともできて充実していました。しかし、まだ騒がしい場所では声が出なくなってしまうこともあったので、彼には事情を話してました。
2年経つと、ほぼ声が出ない場面は無くなっていました。プライベートでの彼との付き合いが精神的に支えもなっていましたり
この障害とは一生付き合っていくものだと思っていましたが、だいぶ良くなったことが嬉しく、ホッとしました。
声が出せることの幸せを身をもってわかったので、元々引っ込み治安な性格でしたが少し積極的に仕事で声を出すようになりました。
今では声が出ない場面はほとんどありません。前職を辞めて、大きな声を出すことはなくなりましたが、それでも再発することなく過ごせています。
これまでの経験で分かったのは、周りからのプレッシャーによる責任を感じる場面や、感情が昂ぶる場面や、咄嗟に声がでるような場面のときは声帯が開くようでした。でも自分の意思では開かない。
周りの「状況」によって刺激された結果、声帯が開くのだと思います。
私の場合は、仕事場がそういう「状況」となっていたので、リハビリになったのかもしれません。
でも周りには白い目で見られるので辛さも味わいながらでした。もう二度と同じ思いはしたくありません。よく私仕事辞めなかった、諦めなかったなと思います。
長くなりましたが、これが、私の経験談です。
原因や治療法がはっきりしていない障害ですが、治ることもあるのだと知ってもらいたいと思います。
本当に辛い障害ですよね。社会で生きていく、成長したり友情や愛を育むためにも声を出すことは最も有効な手段なのに、それを奪われてしまう。周りにも理解されない。
同じ障害で苦しむ人はきっと、私と同じようにもともと心が傷ついているのだと思います。無理するのは本当に辛いので、自分の好きなことに目を向けたり楽しい経験をして、少しでも心を潤わせてあげてほしいと思います。好きな歌手のライブで周りと一緒に叫んだり、誰かと一緒に歌ったりすると、声がでるのかなーと私は思います。少しでも楽しい方法でリハビリしてみてほしいです。
早く治療法が確立することを心から願っています。
こんにちは、初めまして!全く同じ経験をしてきたので思わず感謝の念を伝えたくコメントします🙇
私も中学二年の頃から声の出づらくなりかれこれ8年痙攣性発声障害です。
おかむーさんと同じく最初はいつもの部活動の声出しが急に出なくなったのがきっかけでした。
それから中学高校と自分の思い通りに声が出せない日々が続き、人と話すのもやっと、遠くにいる人は呼べない、騒がしい場所では話せない、となんでこんななの?と自分を責める毎日でした。本当は人と話すのが大好きなのに声が出ないせいで喋るのも億劫になり周りから静かな子、話したくないんだと思われることも多々ありました。
大学に入ってからは声が出ないながらも人が大好きだったので4年間接客業をしました。大学3年になってボトックス治療と出会うまで、息は苦しく、レジでも声が出ない、お客さんに声大丈夫?と毎日聞かれるそんな散々なバイト生活でした。ボトックス治療を始めてからはバイトが本当に楽しくなり、6年振りに接客の楽しさを実感することが出来ました。それでもボトックスは一時的なもので、また詰まる日々が始まり天国と地獄のエンドレスループのようなものでした。
生理前後の声の出づらさもすごく共感できます。それまで喉の調子が良かったのに生理前後は喉が浮腫んだように圧迫され調子がおかしいですよね😢
しかしおかむーさんと同じように、生理が終わったら少し良くなったり、レジが混んだ時やちょっと慌てている時、楽しい!いそがしい!という感情が高まっている時などは詰まらずに発声することが出来ます!
しかし来年からは就職を控え、手術せずに仕事を始めることに不安があります😥やってみないと分からないですけど…
でもおかむーーさんのコメントを読んで、声を出し続けることがリハビリになること、声が出せないという苦しさに向き合ってこそ障害を克服できることを学び、凄く力になりました!!
まだ彼氏はいたことがないので、彼氏が出来たら更に詰まりも無くなるといいな〜と彼氏作りへの希望も持てました(笑)
おかむーさん、自身の経験を話して下さりありがとうございます。コメントに高評価を押している方、この動画を見つけた方のパワーになると思います。現に私も今克服への道のりが見えてきたような気がして凄く嬉しいです🥲
バイトの度に、働く人にまた声変な人と思われないかな?とかお客さんにまた見られたなとか思っちゃうけど、リハビリだと思って自信を持って声を出していきます!!
明日からの活力になりました!ありがとうございました😭
長々とコメント失礼しましたm(*_ _)m
10月8日から声が出なくなり,10月11日に病院に行ったところこの病名を診断されました。
「まだ,19歳なのに」と悔やんでも始まらないので個性として向き合っていこうと思います。
拙い自分語り失礼しました。
私も同じような症状で数年間苦しんでいます。
接客業なのに人と喋りたく無くなってしまったり、声大丈夫ですか?と言われるたびに辛くてもういなくなってしまいたいと思うこともあります。
この動画で、少し救われました。
女性は特に人との会話が好きだしその大切さを経験で知っています。
発症して診断された時はショックだと思います。自分でも意識しない緊張が引き起こすこともあるのでしょうか。
若い方の手術の決断、
症状と向き合う決断、
現在 頑張っていらっしゃる姿に自分も勇気づけられます。
俺はこれの男版だった。
詰まりとか震えはないけど、ただただ声がかすれて全然大きい声が出ないし、何より発声中の喉の苦しさがヤバい。
無意識にどこかを締め付けてるような感じだった。
騒がしい場所だとほんとにキツくて、人と話すことも好きだったのに億劫になって、苦しむぐらいならと友達が話しかけてきても無視するようになって。
いっそみんなに嫌われてしまいたかった、そうしたら話しかけられなくなるから。
でも心のなかでは話したいし、何よりこんなどうしようもない対応をしてる俺にまだ話しかけてくれる友達に、色んな意味でものすごく心苦しかった。
学校が終わると家に帰って、スマホで夜通し声に関する治療法を漁って寝る。
病院のサイトのみならず大学の研究ファイルとかもほとんど見たし、海外のサイトも翻訳して調べたりした。
それでも、そもそも自分の症状はほとんどネットに載っていなかった。
この動画の痙攣性発声障害や、過緊張性発声障害、心因性発声障害はメジャーだけど、どれも俺の症状とは微妙に違っていた。
病院にはセカンドオピニオン、サードオピニオン、と10軒以上巡ったが、ほとんどの所では「異常なし」と言われた。
声がかすれて弱々しいのに声帯はしっかり閉じているらしかった。
でもここまで困っている以上異常なしなんてことは多分なくて、異常を病院が発見できていないだけなんだろうと思ったが、それは結局今の技術では何も分からないっていうただの残酷な真実だった。
病院巡りに疲れた俺は高校3年生の最後の方はもう死んだように生きていた。
当然未来に希望が持てないのに受験勉強なんて身が入るわけもなく、当然のように落ちた。
でも、宅浪すればあと1年は他人とほとんど話さなくていいと気付いて、そこで絶対に直してしまおうと決意した。
結局、紆余曲折あって今は大分治りつつある。(書くのがめんどくさくなった)
色々調べて考えて気づいたのは、変な発声法が固定化していることと、心因的問題が大きく関係していること。
思春期の時に、親と話したくない時期があってなるべく声を絞って話していたのがキッカケなんだと思う。
またその状態で無理に声を出そうとしたから、変な力ませた発声法が身についてしまったんだと思った。
5年前くらいから仕事のストレスで私もなりました。
今は大分良くはなってきたがまだまだ声が詰まったりする。それが頭によぎるから仕事も半分くらいの力しか出せない。ストレスを受けない環境にいることが大事。
自分も同じ障害を持ってるので辛さがよくわかります。発声してるときの感覚でわかるんですよね、震えてる感じが。止めたくても止められないし。。。同じ症状で悩んでる人がいるって安心しましたわたしは一人じゃない。この症状とうまく付き合えるようにがんばります。
私も痙攣生発声障害です。
渡嘉敷先生に10年お世話になっています。私の場合はボイトレではどうにもなりませんでした。
今はボトックスあとの副作用で声がスカスカです。
本当に無理、、
学校の1人で話すのはほんとに無理
私も15年位前から痙攣性発声障害です。
当時接客業でしたが、声が出なさすぎてクビになりました。
耳鼻咽喉科では、原因不明と言われ精神科に行くよう案内され、精神科の先生も最後はお手上げ状態でした。
毎日が辛くて毎日泣いていました。
たまたま見たネットに病気の事を知り専門の先生に診てもらい痙攣性発声障害と告げられました。
今も完治せずです。
飲み会は、喉が苦しくて辛いしカラオケは咳込む、コンサートは叫んでも自分の声が聞こえず咳込むだけ。とにかく声が出たり出なかったりです。
もしも震災で大声を上げないといけない時がきたら恐ろしいです。
それでも自分の病気を受け入れてなんとか生活してます。
私も4年ほど前から痙攣性発声障害です。喋り方を工夫しても震えたり詰まったりするし、会話聞いて話す内容も考えてだからすごく疲れることも多いです😅
自分も完全にこれだけど、自分の場合は明らかに心因性。
緊張からくるものだろうから抗うつ薬が効くと思う。
自分の場合、まだ合う薬に出会えていないけど、海外のサイト含め薬を飲んだ人のレビューを相当な数読んでいるけど
効きさえすれば、このような症状はおさまると確信している。
すごい!手術でこんなに変わるんだ
今年になって嗄声症状があり悩みまくって新宿ボイスクリニックのHPを見た事もあります。
ボツリヌストキシン注射治療をされていた女性はなぜに保険適用なのでしょうか…
保険適用だとしても高額ですが…
わたしも同じ症状です。この動画を見て、わたしもこの病気だ!治るかも知れない!と思い大学病院に行きましたが、あなたは痙攣性発声障害ではありませんと言われてしまいました。
田舎なので諦めるしかないんですかね
過緊張性発声障害かもしれませんね。
両者はとても症状が似ているのですが過緊張性と真性の痙攣性では原因が全然違うので治療法も変わってきます
7000って少なくない?
その10倍はいてもおかしくないと思うけど
歌手の酸欠少女さユりさんがこの症状だったのかな。
自分と全くおなじ症状だ
中途半端な症状が出るってことは、手術しても完全に治らないケースもあるってことですか?
歌は歌えるが通常の会話が出来ない時がある