激白!今だから話せるミルコ戦…永田裕志は「うつ病」だった?
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- Опубликовано: 19 май 2024
- RUclipsを始める事にしました永田裕志です!
永田裕志 のゼァ!チャンネルを通じて今まで世に出ていない【あの頃の話】を披露していきたいです!
永田裕志のゼァ!チャンネル 毎週月水金 18:00公開です!
チャレンジしていきますので、みなさんぜひよろしくお願いいたします!
永田裕志公式Twitter: / nagata769
#新日本プロレス #永田裕志 #永田裕志のゼァ!チャンネル
さらっとですけど、木村花さんを気遣う言葉が聞けて、嬉しかったです。
本当評価が低すぎる。永田さんはまだ評価されるべき
ミルコ戦、当時、永田さんの大ファンだった私はさいたまスーパーアリーナまで観に行きました。永田さんがミルコに負けたのがショックでプロレス自体を嫌いになった時期もありましたし、K-1好きにバカにされたりとかしか、永田さんを恨んだ事もありました。でも、社会人になると永田さんがされたことが大人としてどれだけ立派だったのか分かりました。リングに立ってミルコ、ヒョードルと対峙しただけでも偉大だと思います。
息子さんに賞賛されたことは何よりも嬉しいですよねー😊
本当にこの世代は大変な思いをして今を創り上げてきましたよね、、すごい
永田さんの闘っている姿を見てると元気もらえます😊
見てましたよ当時。
ミルコ、ヒョードルに負けた事実はあるにせよ新日本プロレスを体を張って守ってくれた永田さんには本当に感謝しかないですし、IWGPベルトの防衛戦を通して新日本プロレスの本来あるべき姿を蘇らせてくれた姿は今でも目に焼き付いてます。
永田さんがやっていなかったら棚橋さんも後に続けなかったと思います。
世界一のミルコに向かっていっただけでも流石新日本の優等生!謙遜してるけどあの時ミルコに向かっていくレスラーはいなかった。向かっていってくれただけでも感謝です。
新日本プロレス、事実上の最後のストロングスタイル。改めて永田さんを大好きになりました。
ありがとうございます。
当時、大好きだったプロレスラー永田選手が総合格闘技にでるとなり、興奮して夜も寝れないくらいになり、当日入場ゲートからせり上がって来たとき、体が震えてたのを今でも昨日のことのように覚えています。結果、本当に残念で悔しくて、悲しかったですが、今も永田選手のファンでいられるのは、あの時のあの勇気が源になっていることを忘れません!いつまでも。いつも、ありがとうございます✨
永田さんが立ち向かっていったからこそ、今の新日本がありますよ!
胸を張ってください!
プロレスラーのRUclipsで1番永田さんが好きです。細かい数字まで覚えているのと、わかりやすいトークでとても見やすいです🎉
とても同感です👍
@@SlowSpirit257 ありがとうございます🙇
永田裕志、やっぱりカッコイイんだよ!!
称賛も批判も堂々と受ける。とてもかっこいいです👍️
息子さんはよき理解者ですね😊
自分は鬱病なって眠れない時に、
深夜に新日本プロレスをたまたま観てて、
何となく毎週観てハマっていったので、永田さんとは、不思議なモノを感じます。
鬱は辛いです。なって体験したから、判る事、気づいた事があります。
もしならなかったら、街で見かける
障害者や、病に苦しんでいる方々を、見下している最低な人間になってたかも知れない…
だからこの病とずっと闘っていきます。
だから、永田さん選手として、闘う姿見せて下さい。
自分も闘い続ける勇気を貰えます!
記憶がしっかりしていて、非常に面白くて聞きやすいです。
最高です!
まあ、誰が何と言おうが当時も今も
永田裕治は俺の中では最強のチャンピオンだ。
以上
ホントに雄弁な方だな。
上司や先輩にいてほしい。
学校の先生に向いてそうです。頭も良いですよね。
ラグビー選手がサッカーに出るようなもんだけど、その不利な状況で出るのが凄い
東金そばの千葉大宮出身、新日ファン歴43年の者です。永田さん、このRUclipsで今更ながら永田さんの大ファンになりました。
格闘技時代、V10時代は厳しい目で見てしまった自分を恥じております。これからも永田さんの正直な当時のお気持ち、伝えてください。
これからのリングとこのチャンネルのご活躍、期待しております。
いつかお会いしたいです。感謝を込めて。
ありがとうございます。
今年も自主興行をしますが、快く受け入れてくださる千葉県の皆様に感謝しています。
永田さん、素敵だと思います🎉
こんなに長く語れる、聴いていられる試合って今のプロレス界にはないです!
ライガーさんじゃないけど本当に胸を張れ〜って言う心境です!
ありがとうございます😊
@@honmonononagatayuji 様
ありがとうございます!ゼア!
当時を思い出しました。
誰も手を挙げない中、永田選手の勇気は本当に凄かったと思います。
当時のミルコの強さは恐ろしいほどで、藤田選手が膝蹴りでこめかみに穴が空いたり、死んでもおかしく無い、本当に心配でした。
ミルコのハイキックも、一般人なら即死です。
ロクな練習もできない中、立ち向かった永田選手を尊敬します👏
永田さんの生き方は,1人のしがないサラリーマンにも、感動を与えてくれてますよ。息子さんの株が上がったのは1番やった意味がありますね。
永田、安田、カシン、みんなかっこいい男だよ。
永田、大晦日出撃の意思あり
痺れました🎉🎉🎉
もう少し準備期間があってテイクダウンが成功していたら、あの時のミルコをパウンド葬に出来ていたと確信しています。
両試合ともTVで観てました
今になって裏事情が聞けて良かったです
ホントに詳細に覚えておられるのが凄い!
永田さんは男だよ~勝ち負けなんか関係ないよ!
永田さん応援してます!
聞き応えあるいい話で、永田さんらしいと思いました。ありがとうございます。
ありがとうございます。
すごい先輩だと思います。試合が迫る中の緊張感や怖さなんて、薬をやらないと収まらないんじゃないかと思うくらい、経験できないことですし、苦難があっても後からこうして経験として話せることがすばらしいのです。
誰が何と言おうと、ミルコ選手やヒョードル選手と向かい合ったのはすごいことです。
プロレスのすごさと、プロレスラーの偉大さを証明したと思います。ゼァ!
後悔とか云々以前に半ば強制だった感じが😢ミルコ戦はえっーてなりましたね、ダメージは無さそうな感じだったのですぐ止められてビックリしました😮
カッコよすぎる!
永田さんが大好きになりました!
頑張ってください!
動画投稿ありがとうございます。当時永田選手が絶対勝ってくれるとTVの前で祈っていた思い出があります。今でも他の格闘家相手なら勝てたのではないかなって思っています。これからも応援しております!
永田の話が面白すぎで毎日見てしまう!
いつも楽しみに拝見させていただいております。
知られざるPRIDE秘話も知ることができましたし、おまけコーナーでの若き時代に学んだ『独断専行』(自分勝手の意味ではない)の気構えも知る事ができ、やはり永田さんや自分等のこの世代の考え方は『こうなんだ』(同じなんだ)と言う事が再確認できた事に感謝です。今回も有意義な時間を過ごすことができました。
次回も楽しみにしております。有難うございました🙇
ありがとうございます!
2001年に永田さんを知りファンになりました。これからも頑張って下さい👍️
ミルコ戦は準備期間がなさすぎましたね。準備期間があれば善戦したような気がしました。永田さんお身体御自愛ください💪
泣いた...永田さん大好きです😢✨
チャンネル登録者、増えてるかなーって1日に何回もRUclips開いてます😅増えてたら、よしよし喜んでます😂😂😂
総合に挑戦しなかった永田さんというのが想像できないですね。
あれがあったからこそ、白目にも重みが乗ってるように感じます👁️
総合格闘技って他ジャンルから参戦しようとすると、才能のある人で専門の練習を最低2年は積んでからやっと勝負論を出せる、くらいの認識がおおむね一般的だと思います。
いきなり総合に参戦してトップコンテンダーに当てられた永田さんの挑戦を私は支持してます😤
永田さんて正義の人であり、とにかく勇気の人だなと思いました。
「勇気」を見せていただいてありがとうございました😭
永田さん、正直でいいですね。時代の狭間で特異な経験をされて、苦しみを乗り越えて今を迎えられてますね。尊敬します。
レスラーの中で永田さんだけでなく高山さんも総合で戦っていたのは頼もしい気持ちで見ていました。
いいです、面白いです。
そうか、、ゼロワン旗揚げ戦と猪木祭りはともに観戦してたけど、同じ年だったんですね。激動すぎる…
今になってこうやって色んな裏話、準備期間の話など聞けるから、なるほどと思ってしまいますが、、、
当日は北与野から東京駅に行ってそこから友人と当てもないまま、猪木祭りの講評をあれこれ言いながら当てもなく、年末年始の霞が関を歩いてましたw でもプロレスファンは永田選手を理解してくれてると思います。
思い出、、、ありがとうございます!
2001年から2002年は永田さんを応援してハラハラドキドキの年でしたよ。新日本プロレスの大きい大会ほとんど永田さんがメインで試合してミルコと格闘技戦するの凄すぎましたね。その挑戦の結果が年間ベストバウト2年連続受賞につながったんだと思ってます。
当時の私はUFCの第一回目からレンタルビデオを借りて見てたので、永田さんが出てこられた時は正直複雑な心境でした。
大人になった今では会社の話や猪木さんの一言で色々大変なことになるのもわかりますが、あの時のプロレスファンの中ではまだまだそういう幻想が強かったのですね。
私もプロレス少年からのプロレス青年でしたが時が経って、今このチャンネルで永田さん御本人からこういう話をお聞きすることが出来るのが何よりものご馳走です。
長く活動していたらこんな風に語れる時が来て有難いです。
当時も思ったけど、あれだけキレイにミルコの左ハイをもらって、試合後にスクッと立ち上がってニヤニヤしてる永田さんを見て、それはそれで戦慄しましたねw
かっこいい!!
そう「勝った負けた」はその時の運だから、あんまりその時の結果だけで人を評価しちゃいけないんだよ。
プロレスはそれを教えてくれる唯一のスポーツだよ。
今だと当たり前にプロレスと総合、違いと言うか棲み分けって部分はある程度見てる人は分かると思うけど、あの当時はごちゃまぜでしたよね。
あの渦中に居た選手達はホントに大変だったと思います。
逆に総合の選手が相手の技を受けながら立ち上がり、相手選手と試合を作るのは難しいと思います。
今は違う競技としてどちらも楽しんでます。
どちらも違ってどちらも素晴らしい。で良いと思います。
今日、登録したよー
永田さん、1968年生まれのおない歳です。チャンネル登録してますよ~、ぐっすり眠ってください(^^)/
永田さん、確かに、動画をUPするペースが速いですね。
私としては、永田さんの話を毎日聞けるので、楽しいです!
これから話すネタも沢山持っているという事だし、スタッフによる再生数UPの動画の企画も沢山あるので、1日も早く登録者数10万人を達成して、タッグの相棒だった中西さんとの対談を楽しみにしています。
ありがとうございます!
プロレスのリングでやる異種格闘技戦とスポーツの格闘技としてルールを制定して行う総合格闘技は全くの別物という今では当たり前の認識を永田さんたちが体を張って見せてくれたこと、本当に大変な役回りでしたがありがとうございます。
ミルコ、ヒョードル両名と試合した日本人はガッツリMMAファイターだった藤田選手とMMAキャリアがその2戦だけの永田さんだけって今考えるとどうかしてますよね。個人的にはあの2戦の結果からもう2度と見れないと思っていた永田さんのMMAスタイルが伝説の新日本アルティメットロワイヤルで再び見れた事に興奮しました。
あの頃のミルコなら、永田さんが1~2年くらいMMAの練習に専念すれば勝てた可能性も十分あると思ってます。
でも永田さんは当時既に新日本のトップだったから、巡業せずにMMAの練習に専念するのも難しかったんだろうなとも感じてます。
これ見てよかった。永田選手の本音や正直な話を聞いて、見方変わりました。当時は結果だけで、言われた通り、プロレスこそ最強と思ってただけに、残念でしたが、それも払拭されました。今は、よくやったと思います。あらためて、ありがとうございました、そして、お疲れ様でした。
永田さんの総合格闘技の経験は誇るべき経験・財産だと思います😊
それと誹謗・中傷に苦しんでる方への励みになるような言葉もっと世に広まれば良いなぁと思います。
ミルコ戦の話も面白かったですがオマケの話もインパクトありました😂
永田さんかっこいい
あの時のミルコは、危険度でいえば間違いなく全盛期。
同世代です
永田さん、第三世代は
ヒーローですよ!
応援してます
最初の朝礼みたいなご挨拶がジワジワくる
昔はプロレス最強神話があったからなぁ
そのプレッシャーの中でよく戦いましたよ
レスラー木村花さんの事は勿論知っていましたが、リアリティショーに出ていたのは知らなかったんです自分。プロレス界の中には永田さんを含め、レスラー仲間もファンも分かってくれる人が大勢いたのに、プロレス界の外側で事件が起こってしまったのが悔やまれますね。
当時、少なからず「あ~あ、永田ぁ…」と思っていたイチ新日本ファンです。永田選手の当時のお気持ちを聞けたのがすごく新鮮でした。ただ、ミルコ選手は永田選手との試合以前はさほど目立った印象はなかったですから、相手を活かす、自身も生きる、永田選手らしい展開だったのかな…と。
当時は現実を知らず、敗戦はともかくなんでリベンジ名乗りあげないんだろう?等と勝手なことを思ってました😅
新日本ではバーネット、村上、TK、高山など格闘系には門番の如く永田さんが立ち向かってくれましたね!
ゼアチャンネルでは気さくで、良い意味で一般人と同じ感覚をお持ちなんだと思いましたね☺
僕としては今でも永田裕志=IWGPってくらい
強い印象があります!
永田選手の防衛ロードは棚橋オカダとはまた違った重みがあります。
当時の永田裕志は勇者だった。他の人間には絶対にできないことをやっていた
そして20年後も現役バリバリ。素晴らしいです
ありがとうございます!
永田選手✕ミルコ選手の試合、テレビで見てましたよ😀
もう20年たつんですね。
可能なら、永田選手が引退する前に、永田✕ミルコの再戦やってほしいです👍
新日本プロレス低迷期に猪木やその周辺の人達に翻弄された第三世代なんだけど、その当時の状況を冷静に語れる永田さんは凄いな
あの時の話をまた聞けるだけでなく、笑顔を交えながら話せるなんて永田選手のメンタルすごいな~。
負けはしたけど、元々畑違いだし、ましてやヒョードル戦なんて、カード決定までのゴタゴタを考えると勝つことなんて
余程のことがない限り無理でしょというのはわかっているはずなんですけどね…。それでもアンチは叩くんですよ。
個人的には2戦ともにもう少し準備期間があれば、勝てなくても善戦はしたのでは?と感じました。
初手で組み付きに行ったところ、首相撲のような体制をされて突き放されましたが、あれはレスラーの永田選手から見ても相当に突き放し力が高かったのですか?
ただ、結果としてヒョードルやミルコが圧倒的な結果を残してくれたからまだ救われた面がありますよね
それで息子さんの評価も上がりましたし
永田さん普通に強かったし良い試合だったと思いますよ〜
ミルコ戦のダウン時とか全然ダメージ無かったですよね、なのに止められちゃって非常に残念でした😢
ヒョードル戦もすごく良い動きしてました👍
鋭いキックも当ててましたし
当時の永田さん応援してたなー。自分の数歳上なんですよね永田さん。で、新日低迷期ずっと支えてたレスラーですよ!私見ですが今の新日あるのは永田さんと棚いたからだと思ってます。
ミルコ、ヒョードル戦じゃなくヒクソン戦だったらどうなっていたか!?
興味ありますねえ~😅
ゴング金沢さんと対談されたら面白いかも?と思っていたら金沢さんの名前が出てきてびっくりしました。
ぜひぜひ、お呼びしましょう!!
学もだしてほしい、、、、
ぶっつけ本番で世界の強豪と戦える勇気を持っているレスラーは永田選手だけです。
私は永田選手こそ真のプロレスラーだと確信しています。
いやぁ、恐縮です。なかなかね、、、
格闘技の敗戦は当時は辛かったとは思いますが、こうしてRUclipsをやる上ではやって良かったと思います!ゼァ!
こうやって語れる事が出来、振り返れるのは無駄な事ではなかったと思いたいですね。
負けた時は新日ファンとしてショックでしたけど今考えると出ただけで男の中の男だなぁって思います
柳澤健さんに『2001年の永田裕志』を書いて欲しい
あと10年永田さんが若ければ・・
幻想じゃないんですよ。当時のレスラーは飛んだりはねたりしない代わりに基本がしっかりしていた。
だから、永田さんや藤田さんが抜擢されたんです。
魅せることに特化した今のレスラーには期待していません。
総合リングにあがったレスラーが誰もプロレスしてない時点で圧倒的不利な条件だとわかるのに、なぜか20年前の世間は気づけなかった😢
新日本プロレスの歴史において、アントニオ猪木からは家父長制度時代のスパルタ的な父親像を感じますが、永田裕志からは身を呈して子や会社を守る誰もが憧れる優しい頼れる父親像を感じています。永田さんは人として美しい。
今回の動画の内容 前に動画アップしてませんでしたっけ
ノートンの技はやっぱりやばいんですね。パワーボムでも今の選手にないインパクトがありますからね。
永田選手に質問ですが、新日本では闘魂三銃士の武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也、全日本では四天王と呼ばれてる三沢光晴、小橋建太、田上明、川田利明とそうそうたる先輩方とシングルで全員と闘ってると思いますが1度も勝てなかったあるいは1度は勝ちたかった選手はいますか?ちなみに以前天山選手と小島選手と3人で夢の対決をするならどんなカードにする?と言う企画をやってましたが、もし闘魂三銃士と四天王のシングルを見るなら誰と誰の闘いを見たかったですか?ちなみに自分は橋本選手が川田選手とシングルをやってたのでそれ以外の三沢選手、小橋選手、田上選手とのそれぞれのシングルに武藤選手VSこれも同じく三沢選手、小橋選手、田上選手とのシングルを見たかったです。永田選手はどんなシングルあるいはタッグで闘魂三銃士VS四天王の対戦カードにしますか?
永田さんの記憶力に脱帽です
年月日まで覚えてるのが凄い
結局ミルコ選手には日本人は誰も勝てませんでした、試合をして怪我もなく終わることができたのだから凄いことです。
MMAというものが確立してからもUFCのヘビー級のベルトを獲ったブロック・レスナー選手とかもいますし、プロレスファンとしてはプロレスラーのMMA挑戦は継続的に観たい気はします。
プロレス・格闘技の戦国時代....というより、幕末から明治維新へ、みたいな時代でしたね。
自分は永田さんの2歳下の根っからのプロレスファンですが、当時は複雑な心境で試合を観てました。
猪木会長とか以前に、テレビ局の視聴率争いに選手が犠牲になっているような。
そもそもジャンルが違いますからね、相撲と柔道位に。
猪木さんが作り上げた幻想と、
新しくできた総合格闘技という現実の間で
新日としてケジメをつけるために当時トップの永田さんが出陣した。
今振り返るとそのような文脈を感じて少し感動しました。
その後プロレスもMMAも別ジャンルとしてしっかり確立したので、
永田さんの出陣は絶対無駄ではなかったと思います。
当時は(というか現在でも)総合格闘技でヘビー級で戦える日本人は少ないです。
他の格闘技出身のヘビー級日本人も何人か参戦しましたが、
彼らと比較してもプロレスラーの戦績は決して劣っておらず、
むしろヘビー級の日本人ではプロレスラーは善戦していたのではないでしょうか。
個人的には、永田さんに1年ぐらいみっちり準備してもらって、
デビュー戦には相応を相手にしてもらって、
3戦目ぐらいでミルコにあたってほしかった!
あと、永田さん達のガチのレスリング技術を見てみたい
というわけで桜庭和志主催のQUINTETに出て欲しい!
団体戦だからアマレス3銃士フルメンバーで出場してほしい!
そりゃまあ永田の言う通り、
当時の流れで必然的にああなった、という事なんだろうが、
けどその上でハッキリ書かせてもらえば、
「永田が負けるわけがなかった」けどなあ。
とにかく、永田のやられたあのパターンばかり見たもの。
コツンと当てて転ばせて、乱れ打ちみたいにして、レフェリーストップ、
そりゃ止めないといけないのは分かるけど、
なんか打撃系の選手に誤魔化されてる感じはあったからなあ。
ただ、そういうパターンが多かっただけに、
あれをやられない対策だけしっかりしてればと思うと悔しいが、
当時は仕方なかったのかなあ。
東京ドームの秋山戦後の涙は、今でも覚えています。
当時も、その試合に負けたことだけではない、色々な感情が入り混じっているんじゃないかと感じていました。
今後も、貴重な話を色々と聞かせて欲しいです!
ありがとうございます!
永田さんは2000年代は新日G1、
総合、ノア、ゼロワンと明らかに
プロレス界全体を支えていた
大スター選手でした。
猪木軍として永田さんが出てきてくれた
ときには鳥肌が立ったぐらい、頼もしく
カッコ良かったです!
ミルコやヒョードルと、
少なくとも逃げて戦いを避けて挑戦しない
よりかは断然カッコ良かったです!
ヒョードル、ミルコと戦ったのも永田さんにとって一生ものの勲章になるのですから、
絶対にやって良かったと思います!
だってそれがプロレスラーじゃないですか!
皆を湧かせて楽しませて魅せる!
挑戦しなかったら歴史も何も生まれませんでしたよ
バランスの良い永田さんならミルコに勝てると思ってたぜ