教会学校聖書の学び2024年12月15日

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  • Опубликовано: 23 дек 2024

Комментарии • 1

  • @doromamire
    @doromamire 11 дней назад

    12月だが麿は旧約聖書を原典で読まんと欲してヘブライ語の修練を続けてをるところだ。麿は古典ギリシア語の学習歴が以前からある程度あつたから新約聖書原典を読むためのコイネーギリシア語の学習は正直なところさう困難がなかつたのであるがヘブライ語にはかういふ基礎が全くないので労苦が些か多い。また旧約の他に手軽に読める原文がないのも辛い。旧約聖書一本だ。それはさうと旧約原典を先行して購入しておいたのが蓋し幸運であつた。買つた以上は後に退けない。最近気づいたところだが原典だけのテキストが必ずいる。以前麿は独文がページ単位で対訳してあるヘブライ語聖書を用ゐてをつたのだがこれはいけない。対訳を使ふと原文解釈をしてゐるつもりでも必ず訳文に頼つてゐる。麿の場合独訳で読んでゐた状態に陥つてゐたのである。これではヘブライ語の実力が全然付かないのだ。テキストに取り組むうへでもヘブライ語そのものの基礎固めが相当できてゐないとかへつてマイナスになるであらう。かうした問題はコイネーギリシア語聖書でも七十人訳聖書でも全く感じられなかつたので学習歴がなかなか蓄積できない聖書ヘブライ語を新たに学ばんと欲する場合に特に顕在化するといへるであらう。まあ希少言語なら何であつてもおほかたそんなものであらう。麿はコイネーギリシア語を学んだときは専ら独語の文法書を用ゐたのであるがヘブライ語の場合このやうな欧米の文法書はどうも親しみにくい。馴染めないとでもいふべきか。日本語のヘブライ文法は全然読んでゐないのであるが和書がどの程度信頼できるか分からない。存外かういふところもヘブライ語の学習を困難にしてゐる一因であらうと推測せられる。ヘブライ語の辞典は英独仏露語のどれにも優秀な辞典があり大変使いやすく麿自身重宝してゐるのだが文法書との差はかなり大きいやうだ。