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吉川元春忘れられててかわいそう(76戦64勝12分)
なるほど!コメントありがとうございます。
第4次川中島の戦い、上杉1万2千人に対して武田2万人。もし、上杉が同じ2万人いたら時間切れという事はなく、信玄は間違いなく首を跳ねられていただろう。謙信は、啄木鳥の戦法を見抜いていたし、武田の炊き出しの煙の量がいつもより多い事で武田が攻めるタイミングを読んでいた。つまり、謙信は武田の動きを全て掌握していた。また、武田は弟の信繁、軍司の山本勘助等多くの幹部が討ち取られ(上杉の幹部の戦死者はなし)、戦死者は武田の方が多い。やはり、戦の勝負としては謙信の方が一枚も二枚も上手だったというのが当方の見立て。
なるほど、勉強になります!(^^)!
兵士の数が同じなら…信玄と謙信の優劣を語る上でそのタラレバは意味がありません。兵士の数を揃えるのも武将の重要な能力です。それと戦争の勝敗を測る一番の要素は目的を達成したかどうかなのです。信玄の目的は北信濃を死守する事、謙信の目的は信玄を信濃から追い出す事です。謙信はその目的で進軍し、結果撤退して信玄が死ぬまでその目的を果たすことは出来なかった。結果から考えてそれがすべてです。どちらが優れているかはいろいろ見方が分かれると思いますが信玄と謙信どちらが勝ったかという観点では疑いようもなく信玄の勝利です。
謙信さんは短所も含めて日本軍、日本の会社をどうしても連想します。本当に教育に取り入れたら役に立つかもしれない😅
コメントありがとうございます。
他の戦国武将と同様に、もっと早くに陥落させた城や降った武将は自国の勢力にしたら良かったのに。晩年、他の戦国武将と同様に同じ戦略をやり始めたのが40代後半からだと遅い。それと酒飲み過ぎかも。健康管理に気を付けなかったせいで、48歳前後で夭折してたらダメだろう。でも、そこが逆に纏わるエピソードにおいて、他の戦国武将に無いユニークさになっているのは否めないですが。
現代であれば、40代はこれからって年齢ですが、戦国時代ではもう遅いですね。
それは謙信を(というか上杉家を)買いかぶり過ぎです。周りを敵に囲まれ、内には一向一揆を抱え、財政的にも厳しかった上杉はあれでも精一杯やったのです。自らの領土を拡げなかったのではなく拡げられなかったというのが真実です。局地戦で勝つ能力には長けていても獲った領土を安定させて自国の物にする(または屈服させ続ける)能力は上杉にはありませんでした。それと謙信の戦いは私欲の無い戦いとか義の戦いなどと言う人達も居ますがそれは少し美化し過ぎで謙信も他の戦国大名と何ら変わりなく自家、自国の為に(越後を守る為に)必死に戦ったのです。
関東平定は名目。実際は出兵先の略奪。この頃は越後は米もあまりとれなかった。その為、近隣から出兵を乞われるとチャンスとばかりに戦に出て略奪をしまくった。
なるほど何ごとも表と裏と両面を見ないとですね。
そういう事です。謙信好きな人達が美化し過ぎて真実では無い事が拡がっていますね。特に義の戦いに明け暮れ、義の心で獲った城や領地を自らの物にしなかったという部分がまるで違いますよね。内外に敵を抱え財政的にも兵力的にも余裕が無かったから獲った城も領地も守る事が(確保する事が)出来なかったしすぐに裏切られてどうしようも無かったというのが真実です。
実際に信濃が武田の物になった事から謙信は信玄に負けたと言っていい。戦国最強は武田信玄。
確かに!コメントありがとうございます。
信繁や主要武将が打ち取られたのは痛い。
@@kk6xo7us6c そうだね、上杉との戦いで失われた物は大きいね。歴史にタラレバは無いけど上杉謙信が居なければ(上杉との戦いが無ければ)武田が天下を獲っていたのではないかと思うね。
戦略的に見れば信濃を併合できた信玄の勝利戦術的に見れば武田の主力武将を多く討ち取った謙信の勝利
@@marimokittiri 武田が天下を取れなかったのも、上杉との戦いに時間を取られ過ぎたというか、疲れすぎたからだと思う
吉川元春忘れられててかわいそう(76戦64勝12分)
なるほど!コメントありがとうございます。
第4次川中島の戦い、上杉1万2千人に対して武田2万人。
もし、上杉が同じ2万人いたら時間切れという事はなく、信玄は間違いなく首を跳ねられていただろう。
謙信は、啄木鳥の戦法を見抜いていたし、武田の炊き出しの煙の量がいつもより多い事で武田が攻めるタイミングを読んでいた。つまり、謙信は武田の動きを全て掌握していた。
また、武田は弟の信繁、軍司の山本勘助等多くの幹部が討ち取られ(上杉の幹部の戦死者はなし)、戦死者は武田の方が多い。
やはり、戦の勝負としては謙信の方が一枚も二枚も上手だったというのが当方の見立て。
なるほど、勉強になります!(^^)!
兵士の数が同じなら…信玄と謙信の優劣を語る上でそのタラレバは意味がありません。兵士の数を揃えるのも武将の重要な能力です。
それと戦争の勝敗を測る一番の要素は目的を達成したかどうかなのです。信玄の目的は北信濃を死守する事、謙信の目的は信玄を信濃から追い出す事です。謙信はその目的で進軍し、結果撤退して信玄が死ぬまでその目的を果たすことは出来なかった。結果から考えてそれがすべてです。どちらが優れているかはいろいろ見方が分かれると思いますが信玄と謙信どちらが勝ったかという観点では疑いようもなく信玄の勝利です。
謙信さんは短所も含めて日本軍、日本の会社をどうしても連想します。本当に教育に取り入れたら役に立つかもしれない😅
コメントありがとうございます。
他の戦国武将と同様に、もっと早くに陥落させた城や降った武将は自国の勢力にしたら良かったのに。晩年、他の戦国武将と同様に同じ戦略をやり始めたのが40代後半からだと遅い。
それと酒飲み過ぎかも。健康管理に気を付けなかったせいで、48歳前後で夭折してたらダメだろう。
でも、そこが逆に纏わるエピソードにおいて、他の戦国武将に無いユニークさになっているのは否めないですが。
現代であれば、40代はこれからって年齢ですが、戦国時代ではもう遅いですね。
それは謙信を(というか上杉家を)買いかぶり過ぎです。
周りを敵に囲まれ、内には一向一揆を抱え、財政的にも厳しかった上杉はあれでも精一杯やったのです。自らの領土を拡げなかったのではなく拡げられなかったというのが真実です。局地戦で勝つ能力には長けていても獲った領土を安定させて自国の物にする(または屈服させ続ける)能力は上杉にはありませんでした。
それと謙信の戦いは私欲の無い戦いとか義の戦いなどと言う人達も居ますがそれは少し美化し過ぎで謙信も他の戦国大名と何ら変わりなく自家、自国の為に(越後を守る為に)必死に戦ったのです。
関東平定は名目。実際は出兵先の略奪。この頃は越後は米もあまりとれなかった。その為、近隣から出兵を乞われるとチャンスとばかりに戦に出て略奪をしまくった。
なるほど何ごとも表と裏と両面を見ないとですね。
そういう事です。謙信好きな人達が美化し過ぎて真実では無い事が拡がっていますね。
特に義の戦いに明け暮れ、義の心で獲った城や領地を自らの物にしなかったという部分がまるで違いますよね。内外に敵を抱え財政的にも兵力的にも余裕が無かったから獲った城も領地も守る事が(確保する事が)出来なかったしすぐに裏切られてどうしようも無かったというのが真実です。
実際に信濃が武田の物になった事から謙信は信玄に負けたと言っていい。戦国最強は武田信玄。
確かに!コメントありがとうございます。
信繁や主要武将が打ち取られたのは痛い。
@@kk6xo7us6c そうだね、上杉との戦いで失われた物は大きいね。歴史にタラレバは無いけど上杉謙信が居なければ(上杉との戦いが無ければ)武田が天下を獲っていたのではないかと思うね。
戦略的に見れば信濃を併合できた信玄の勝利
戦術的に見れば武田の主力武将を多く討ち取った謙信の勝利
@@marimokittiri 武田が天下を取れなかったのも、上杉との戦いに時間を取られ過ぎたというか、疲れすぎたからだと思う