「史記」より古い!中国最古の歴史書「○○」「中国史」の歴史(前編)

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  • Опубликовано: 7 янв 2025

Комментарии • 17

  • @jacktanaka2828
    @jacktanaka2828 3 года назад +4

    素晴らしい独創性の動画です。

  • @イルカッパ星人
    @イルカッパ星人 3 года назад

    是非24史すべて解説お願いします。

  • @0721-b9f
    @0721-b9f 3 года назад +5

    春秋左氏伝に載っている崔杼弑君の話では斉国に太史(歴史記録官)が既に定着していたことが推測できる。

  • @インストゥルメンタル
    @インストゥルメンタル 3 года назад +1

    素晴らしい動画をありがとうございます😄春秋、史記、漢書と挙げて、その比較から、特に史記の構成から全体のイメージに至る解説は真にお見事です。また、春秋は道徳、史記は哲学としての歴史書、とのご指摘は卓越したものを強く感じました、史記を貫く主題「天道是か非か」

  • @風魔忍者ぶきみ丸
    @風魔忍者ぶきみ丸 3 года назад +2

    司馬遷は、武帝の怒りの可能性を考え、皇帝崩御まで史記の公表を控えるように遺言した。

  • @風魔忍者ぶきみ丸
    @風魔忍者ぶきみ丸 3 года назад +4

    劉邦は、項羽に敗れて逃げる時、爆走する馬車から子供を投げ捨てた。

  • @後藤正嗣-h7u
    @後藤正嗣-h7u 3 года назад +2

    秦の始皇帝に
    始皇帝が気に入らない史書は焼かれた?
    のでは?

  • @gtofuji
    @gtofuji 3 года назад +8

    「孔子」は、基本的に「文章」とか「書籍」というものを信じていなかった。
    これは、同時代の「ソクラテス」も同じで、
    ソクラテスは本の中の文字を「死んだ言葉」とさえ言っている。
    そのため、二人とも直接著作を残さなかった。
    これは、この二人が文章に疎かったからではなく、
    むしろ究極まで文章を読み、書いた結果たどり着いた「境地、諦観」だと私は思っている。
    それでは、何が「生きた言葉」なのかというと、それは「議論」だ。
    議論をするには、師や友、同僚(チーム)が必要で、
    すなわち「独学は無理(無意味)」ということになる。
    それを孔子は「吾嘗終日不食 終夜不寝 以思 無益 不如学也」と言っている。
    「本」に書かれているのは、所詮「著者の主観」であり、
    素直な読者はそれを「理解した」と錯覚する。
    しかし、議論をすれば必ず意見が割れ、
    「自分はまだ十分に理解していない(相手を理解できない、させられない)」という実感が残る。
    議論を経ても、「客観」や「真実」にたどり着けるわけではないが、
    「錯覚しないだけマシ」だということ。
    これを孔子は「不知為不知 是知也」と言い、
    ソクラテスは「無知の知」と言っている。
    また、議論は「多数の主観」をぶつけ合うものなので、
    統計的に一人の主観よりは客観に近いことが期待できる。
    また、書を読むというのは「個人の経験」であり、直接チームの力にならないのに対して、
    議論は「チームの経験」であり、直ぐにチームの力になる。
    ---
    それでも、孔子やソクラテスの思想が現代に残ったのは、
    弟子がその言葉を文字として記録したおかげで、皮肉なことだ。
    そして、その後の「努力」により、文章は格段に正確、強力、有用になった。
    その努力というのは、一言でいえば「(言語や文字、度量衡の)標準化と教育」である。
    孔子やソクラテスの時代は、「識字率」以前に使われている言語や文字、
    概念自体がゴチャゴチャだったんだから、「文字は無意味」と言われても仕方がない。
    現在のインターネット上の掲示板やWikipedia等は、
    「書籍」のような体裁を取っている場合もあるが、実態としては「議論」の機能も持っている。
    つい最近のことだが、現在のインターネットを見れば、
    孔子やソクラテスも文章を書く気になっただろう。
    ---
    歴史書としての「春秋」を編纂したのが孔子かどうかは不明だし、
    少なくとも(前の時代の)多くの人間が関与しているはずだ。
    しかし、上記のような考え方に基づけば、
    孔子が意図したのは「孔子の主観を押し付けること」ではなく、
    後世の人間が歴史を議論するための「お題やネタを提供すること」だったと思われる。
    孔子は、そもそも「正確な歴史」なんてものを信じていないし、
    正確な歴史を知ったところで「何の役にも立たない」と考えている。
    唯一意味があるのは「(チームの)議論」であり、それだけが物事(チーム)を正しい方向に導く、
    ということ。
    もし孤独な天才が、独学で正しい歴史認識を得て、正しい方向(見識)を見出したとしても、
    一人では何もできない。
    結局物事を為すにはチームを説得する必要があり、それはつまり「議論」そのものだ。
    また、もし議論を嫌って物事を為さないのなら、その歴史認識や見識には何の価値もない。

  • @cinukarkur
    @cinukarkur 3 года назад +3

    勉強になります(^^)/ ちょっと聞き取りにくいです。BGMがうるさい感じ。

  • @圭田村
    @圭田村 3 года назад +8

    始皇帝の焚書によって史記以前の史書はほとんど失われた。

  • @yukizokin
    @yukizokin 3 года назад

    史記を『反儒教的な内容を多く含むとして批判』(16:00)興味深い文化。史記の散逸した部分は反儒教的だったから雑に扱われたとかかもな。だとしたら凄くもったいない。

  • @後藤正嗣-h7u
    @後藤正嗣-h7u 3 года назад +1

    始皇帝やチンギスハーン
    旧日本軍
    に焼かれたと思った

  • @shinzaemongolf6753
    @shinzaemongolf6753 Год назад

    日本 亀卜 文字

  • @大城よろ
    @大城よろ 3 года назад +1

    ( ゚∀゚)o彡゜めーりんめーりん!
    私好みの文字速度、毎秒の投稿を勅しますぞ!

  • @digiponta
    @digiponta 3 года назад

    あれ、名前を忘れてけど、中国辺りの地域では、甲骨文字は最古ではなかったと記憶してます。何だったけかな? 40年前に、本まで買って読んだのに、、、、

  • @SINZAEMON1000
    @SINZAEMON1000 3 года назад +1

    周は難民で太陽信仰の下っ端信徒になったので王朝与えた。
    殷王朝は絶対負けたことが無い潰されたことが無い。
    中華倭国殷王朝は日本だよ。

  • @中野岳春
    @中野岳春 3 года назад

    すいません、とても興味深いのですがかせんちゃんがとても聞き取りにくい。。。