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国立大や明治・理科大・芝浦など推薦率が少ない大学は、偏差値どおりの優秀な学生が多く、大学の偏差値をそのまま信じることができるので、偏差値に意味がありますが、上智のような推薦が多くて3人に1人の割合しか一般試験で入学者がいない大学は、偏差値を鵜呑みにすると、大学に入ってから、まわりに偏差値40台のカトリック推薦ばかりで、大学の偏差値に意味が無いことに気づきます。
今更だけど大学受験って学力より過去問の得点力の方が大事だよね
偏差値を一般入試の目安として統計学的な切り口として意味があると思います。大学の優越を偏差値だけで決めるのはダメってことかな。
まず、自分の持ち偏差値が、統計学的な揺れの中にあるってこと理解しましょう。偏差値60の人ボーダー62の大学受けたとして、問題が癖のない平均的な問題を100回受けたとして仮定した時に試験の合うあわないや、得意なもんだが出た、苦手な問題がでた、当日の体調やあがったとか個人の要因で45回?ぐらい通る。程度の意味しかありません。おなじく偏差値64の人ボーダー62の大学受けたとして、55回とおる。競争率3倍(仮)の試験で合格率1/2倍ならいいとみるかダメとみるかは個人の主観ですね。で、これは、持ち偏差値が無限回の模試で確定しているときの計算。持ち偏差値を算出するときの模試の回数も有限界なので持ち偏差値自体が「真の偏差値(などというものが測定できるとして)」からの揺れもありますし。結論は大学のボーダー偏差値が揺れないと仮定しも持ち偏差値も当日偏差値は揺れのある数字だから目安(確率予想)程度にしかならない。個人的には予算が許すなら私学なら合格率10%あるなら受けれ見れば?
偏差値は受験生の人気投票。人気な理由はそれぞれあるけど、自分には当てはまらないことがある。って思ってます。
低偏差値の大学は、新しい価値での序列の並び替えを欲してるから偏差値意味ない論を声高に主張したいのは分かる。
偏差値は大学に入る学生を評価する指標、QSやTHEは学生も含めた大学全体を評価する指標ということになりますかね。日本の大学向けに最適化したQS/THEみたいなのがあるとよいのでしょうけど。THE日本版みたいなのがあったけど、今年は公開が遅れてるんですね。どうなったんでしょうね。まじめにやると国立と私立の差が出過ぎてクレーム来そうな気もしますね。
あなたのアイコンを見て、とても見覚えがあるのですが、千葉さんでしょうか?
小林先生は今回の動画の中で、3つの視点をあげてご自身の考えを話されていますが、1つ目の「偏差値は受験生にとって大学選びの指標として役立っている」という点が特に、私も共感しました。自分の学力で自分が思う大学に合格出来る可能性はどのぐらいあるのか、という命題に答える一定の指標になっているのも偏差値であり、大学群も偏差値が指標となって大学がピックアップされています。偏差値2.5刻みでランク付けした結果が大学・学部の価値だと吹聴する事は全くの無意味ですが、自分の学力に見合う大学・学部選びの候補となる大学は探しやすい、それは間違いないです。
偏差値が意味があるとか無いより、その指標をどう使うかですよね。
もはや有名私立大はAO、推薦ばかり、学力とか今後どんどん不問になって、家の資産や本人のルックスや人脈、スポーツの実績などが選考要素となるのは確実、、もう終わりですよ東京一工などは、なんとか汚染されないでくれ
目指す大学に合格出来るかどうかの大事な指標だよね(〃^ω^〃)😊
貯金(他人を働かせるチケット)>>偏差値(死ぬまで残る)>>年収(急に消えてしまうことがある)
偏差値の問題点というのは 大学の評価を決めるのが受験生の成績ランキングというのが正しいか?ということですよね。本来だったら 研究力、教育力、就活力など 大学で4年間過ごすことによって得られる付加価値で判断されるべきなのに。大学を偏差値という指標でしかみないから 大学合格したとたんに目標を見失ってしまう子が多いのでしょう。東大、特に理Ⅲには そういう子が多い。コバショーさん自身 そういう学生さんの一人だったのでは?
昔々、国立は一期校と二期校があって、二期校がすべり止めみたいになっていて問題化していた。それを解消しようと共通一次試験をもうけて国立大は1校しか受けられない形にした。すると今度はこの共通一次の点数でランキングができてしまって、これにプラスして予備校作成のボーダーラインというのが出来てしまった。学生がコンプレックスを持たないように国が考え出したのだが、かえって輪切り状態が進んでしまい、明確なものになってしまった。偏差値じゃなくてもこういうことになるんですね。「偏差値意味ない論」は推薦とかAOが増えてしまったので偏差値で合否が判定できない時代になったということでしょう。それはそうでしょうな。
模試の結果で出される偏差値や合格可能性で一喜一憂しないで、出来なかった問題を復習し、似たような問題や分野が出たらもう間違えないぞーという前向きな態度でいたほうがいいですね。
この手の話題って、①推薦入学比率が高い大学では、一般入試の偏差値と実際に入学する学生全体の偏差値に乖離がある、という論点と、②そもそも大学入学時の偏差値は、研究や就職後の活躍に必ずしも正の相関があるとは言い切れない、という論点が混在している印象。(個人的には、①はもはやどうでもよくて、②は職種により結論が変わる。営業職では偏差値はそれほど重要ではないが、コンサルや研究職では偏差値が成果に直結する)
行きたい大学へ行けば良いのですが、その時偏差値が合格可能性を測る目安になるので充分意味がありますよ。
恐れ入りますが今後、海外に習って総合型入試が主流になります。
想像してみてください、「偏差値のない世界」
逆に難易度のランキングとして、偏差値の意味が微妙になっている部分もあると思います。受験科目数や利用教科等の母集団が違う集団でも比較できる偏差値とは別の難易度指標がほしいと思っています。
(模試の)偏差値って究極的には、模試受験生中の試験日の順位をあたわす値でしょ?それ以上の意味もないし、それ以下の意味もない。今日の順位でもないし、試験日の順位でもない。だけど、抜かれるのは簡単、抜くのは難しいから、現時点で目標より上か下か(A判定とかの判定)はすこしは意味はあるかな?
同世代の方々の中で優秀だった可能性が高いということでは一般入試組は評価します。また、推薦が多い場合は、高校のランクも見るといっていた人もいました。 二浪になると難関大学を除いてちょっと就職で厳しくなるかも知れませんが、大学での学業成績や資格試験での上積みをしてくれると評価が高まります。
前半は、受験生が合格に必要な試験学力を把握するのに使えるという、ごく普通の正論。しかし後半の、偏差値の大学評価への利用を擁護してる部分は極論と詭弁ですね。序列化を認めるとしても、その指標として偏差値はポンコツです。
偏差値で人間の価値を評価するってナンセンスって、綺麗事のような気がします。東大に行ける子が偏差値50の大学に行くことって意味ないことなのかなぁ?スラムダンクの流川は高校選ぶときに近いからって選んでたよ!でもオールジャパンに選ばれたってあれは漫画か!
🟥🟦勝負します!!
まさに仰る通りと感じています。偏差値という概念が一般化されたのは、私の記憶にでは、40~50年くらい前からだと思います。つまり、私が受験生だったころです。その数値化された大学難易度に私たちはどれだけ助けられたか、もちろん、大学の選択は本人のやりたい事や目指す事に対して選択されるわけで、そういう意味では偏差値は意味がないかもしれません。しかしながら、18歳くらいの言わば子供のような生徒たちがどれほど将来に対する明確な目的を持っているか、相当怪しいと言わざる得ません。まだ将来に対しては漠然とした希望程度しかない若者にとりましては、偏差値は自分が唯一信用できる道しるべと言っても良いのではないでしょうか?偏差値がなくなったとしても、受験生にとってプラスになるとは思えません。
🟦🟥に言ってて草
偏差値50くらいだったのでそこら辺に行きました
偏差値はあまり意味ない派ですね。逆に韓国みたいに受験した学生の内数パーセントの方が理解しやすいかと(相対評価から絶対評価)。その方が仰る【上位1%はこの大学のこの学部に行ってますよ。】としたら同じ方向性になるかと。
人は他人と比べることで、自分の位置を確認して生きているんですよ〜だから、偏差値という基準がある方が、便利なんですよ〜
私は、大学入試合格歴に過ぎない日本の学歴には批判的ですが、とはいえ、一流大学と言われる大学には優秀な同級生も数多くいて刺激を受けるし、それなりの研究や教育もしていることが多いので、出来ることなら一流大学と言われる大学には入った方がいいと思いますよ。簡単に入れる大学に入るよりは、そりゃ、いろいろとプラスになる面が多いでしょう。二浪以上の多浪までする必要はないと思いますけどね。
いや、多浪することは意味あるだろ😡😡😡😡😡
全面同意。
受験マニアにとっては意味無いデスw
東大へ行かないと学べない経済学というのは、どういう経済学なのか、知りたいです🧐
偏差値だけ見れば地底も千葉も神戸も横国も同じ。研究環境は地底の方が良いかもしれないが、多くの高校生は、同じ偏差値なら東京近いところがいいよね、となる。地底が選ばれない大学側に回ってしまう。地方の大学ほど、偏差値が高いというステータスがないとだめだろう
それは文理で大きく差があるんじゃないかな?金がない研究室でもできる文系と、金を掛けないと「できない」研究のある理系の差。金のない研究室は、時間を払って装置を作る。金のある研究室は、金を払って時間を買う。だけど、買ってきた機械の出した数字が信用できるか?買える機械で最先端の研究ができるか?って問題もあるって地底の先生は言ってました。
偏差値は大学学部学科のレベルです。
人間の様々な能力ごとに優劣がつくのは疑いようの無い事実である。しかし、優れた能力を持った人々であれば、その居場所は多彩なものを選り取り見取りにできるのが当然であろう。受験ヒエラルキーのもとに却って狭められてしまうようでは、社会の閉塞が進行するばかりである。
日本人が生み出した学力偏差値という概念は海外では一切使われていない。大学進学のグローバル化がすすめば国内限定の偏差値なんて意味をなさなくなりそう。
試験点数を標準(正規化)化するときに標準偏差を使っててスコアに変換しているかも知れませんよ、、、Wikiの学力偏差値>日本では「平均を50、標準偏差を10」(すなわち、A = 10, B = 50)にした偏差値であるが、SATやGREではA = 100, B = 500であり、SATSではA = 15, B = 100である。
高偏差値層→意味ある低偏差値→意味ないこの2択なんじゃないですかね、、社会で優秀な人ならこんな議論すらしないですよね!
米国もGREでランク付けしているだろう。
国立大や明治・理科大・芝浦など推薦率が少ない大学は、偏差値どおりの優秀な学生が多く、大学の偏差値をそのまま信じることができるので、偏差値に意味がありますが、上智のような推薦が多くて3人に1人の割合しか一般試験で入学者がいない大学は、偏差値を鵜呑みにすると、大学に入ってから、まわりに偏差値40台のカトリック推薦ばかりで、大学の偏差値に意味が無いことに気づきます。
今更だけど大学受験って学力より過去問の得点力の方が大事だよね
偏差値を一般入試の目安として統計学的な切り口として意味があると思います。
大学の優越を偏差値だけで決めるのはダメってことかな。
まず、自分の持ち偏差値が、統計学的な揺れの中にあるってこと理解しましょう。
偏差値60の人ボーダー62の大学受けたとして、問題が癖のない平均的な問題を100回受けたとして仮定した時に
試験の合うあわないや、得意なもんだが出た、苦手な問題がでた、当日の体調やあがった
とか個人の要因で45回?ぐらい通る。
程度の意味しかありません。
おなじく偏差値64の人ボーダー62の大学受けたとして、
55回とおる。
競争率3倍(仮)の試験で合格率1/2倍ならいいとみるかダメとみるかは個人の主観ですね。
で、これは、持ち偏差値が無限回の模試で確定しているときの計算。
持ち偏差値を算出するときの模試の回数も有限界なので
持ち偏差値自体が「真の偏差値(などというものが測定できるとして)」からの揺れもありますし。
結論は大学のボーダー偏差値が揺れないと仮定しも持ち偏差値も当日偏差値は揺れのある数字だから目安(確率予想)程度にしかならない。
個人的には予算が許すなら私学なら合格率10%あるなら受けれ見れば?
偏差値は受験生の人気投票。
人気な理由はそれぞれあるけど、
自分には当てはまらないことがある。
って思ってます。
低偏差値の大学は、新しい価値での序列の並び替えを欲してるから
偏差値意味ない論を声高に主張したいのは分かる。
偏差値は大学に入る学生を評価する指標、QSやTHEは学生も含めた大学全体を評価する指標ということになりますかね。日本の大学向けに最適化したQS/THEみたいなのがあるとよいのでしょうけど。THE日本版みたいなのがあったけど、今年は公開が遅れてるんですね。どうなったんでしょうね。まじめにやると国立と私立の差が出過ぎてクレーム来そうな気もしますね。
あなたのアイコンを見て、とても見覚えがあるのですが、千葉さんでしょうか?
小林先生は今回の動画の中で、3つの視点をあげてご自身の考えを話されていますが、1つ目の「偏差値は受験生にとって大学選びの指標として役立っている」という点が特に、私も共感しました。
自分の学力で自分が思う大学に合格出来る可能性はどのぐらいあるのか、という命題に答える一定の指標になっているのも偏差値であり、大学群も偏差値が指標となって大学がピックアップされています。
偏差値2.5刻みでランク付けした結果が大学・学部の価値だと吹聴する事は全くの無意味ですが、自分の学力に見合う大学・学部選びの候補となる大学は探しやすい、それは間違いないです。
偏差値が意味があるとか無いより、その指標をどう使うかですよね。
もはや有名私立大はAO、推薦ばかり、学力とか今後どんどん不問になって、家の資産や本人のルックスや人脈、スポーツの実績などが選考要素となるのは確実、、もう終わりですよ
東京一工などは、なんとか汚染されないでくれ
目指す大学に合格出来るかどうかの大事な指標だよね(〃^ω^〃)😊
貯金(他人を働かせるチケット)>>偏差値(死ぬまで残る)>>年収(急に消えてしまうことがある)
偏差値の問題点というのは 大学の評価を決めるのが受験生の成績ランキングというのが正しいか?ということですよね。
本来だったら 研究力、教育力、就活力など 大学で4年間過ごすことによって得られる付加価値で判断されるべきなのに。
大学を偏差値という指標でしかみないから 大学合格したとたんに目標を見失ってしまう子が多いのでしょう。東大、特に理Ⅲには そういう子が多い。コバショーさん自身 そういう学生さんの一人だったのでは?
昔々、国立は一期校と二期校があって、二期校がすべり止めみたいになっていて問題化していた。
それを解消しようと共通一次試験をもうけて国立大は1校しか受けられない形にした。
すると今度はこの共通一次の点数でランキングができてしまって、これにプラスして予備校作成のボーダーラインというのが出来てしまった。学生がコンプレックスを持たないように国が考え出したのだが、かえって輪切り状態が進んでしまい、明確なものになってしまった。偏差値じゃなくてもこういうことになるんですね。
「偏差値意味ない論」は推薦とかAOが増えてしまったので偏差値で合否が判定できない時代になったということでしょう。それはそうでしょうな。
模試の結果で出される偏差値や合格可能性で一喜一憂しないで、出来なかった問題を復習し、似たような問題や分野が出たらもう間違えないぞーという前向きな態度でいたほうがいいですね。
この手の話題って、
①推薦入学比率が高い大学では、一般入試の偏差値と実際に入学する学生全体の偏差値に乖離がある、という論点と、
②そもそも大学入学時の偏差値は、研究や就職後の活躍に必ずしも正の相関があるとは言い切れない、という論点が混在している印象。
(個人的には、①はもはやどうでもよくて、②は職種により結論が変わる。営業職では偏差値はそれほど重要ではないが、コンサルや研究職では偏差値が成果に直結する)
行きたい大学へ行けば良いのですが、その時偏差値が合格可能性を測る目安になるので充分意味がありますよ。
恐れ入りますが今後、海外に習って総合型入試が主流になります。
想像してみてください、
「偏差値のない世界」
逆に難易度のランキングとして、偏差値の意味が微妙になっている部分もあると思います。受験科目数や利用教科等の母集団が違う集団でも比較できる偏差値とは別の難易度指標がほしいと思っています。
(模試の)偏差値って究極的には、模試受験生中の試験日の順位をあたわす値でしょ?
それ以上の意味もないし、それ以下の意味もない。
今日の順位でもないし、試験日の順位でもない。
だけど、抜かれるのは簡単、抜くのは難しいから、現時点で目標より上か下か(A判定とかの判定)はすこしは意味はあるかな?
同世代の方々の中で優秀だった可能性が高いということでは一般入試組は評価します。
また、推薦が多い場合は、高校のランクも見るといっていた人もいました。
二浪になると難関大学を除いてちょっと就職で厳しくなるかも知れませんが、大学での学業成績や資格試験での上積みをしてくれると評価が高まります。
前半は、受験生が合格に必要な試験学力を把握するのに使えるという、ごく普通の正論。
しかし後半の、偏差値の大学評価への利用を擁護してる部分は極論と詭弁ですね。序列化を認めるとしても、その指標として偏差値はポンコツです。
偏差値で人間の価値を評価するってナンセンスって、綺麗事のような気がします。
東大に行ける子が
偏差値50の大学に
行くことって
意味ないことなのかなぁ?
スラムダンクの
流川は
高校選ぶときに
近いからって
選んでたよ!
でもオールジャパンに選ばれたって
あれは漫画か!
🟥🟦勝負します!!
まさに仰る通りと感じています。
偏差値という概念が一般化されたのは、私の記憶にでは、40~50年くらい前からだと思います。
つまり、私が受験生だったころです。
その数値化された大学難易度に私たちはどれだけ助けられたか、
もちろん、大学の選択は本人のやりたい事や目指す事に対して選択されるわけで、そういう意味では偏差値は意味がないかもしれません。
しかしながら、18歳くらいの言わば子供のような生徒たちがどれほど将来に対する明確な目的を持っているか、相当怪しいと言わざる得ません。
まだ将来に対しては漠然とした希望程度しかない若者にとりましては、偏差値は自分が唯一信用できる道しるべと言っても良いのではないでしょうか?
偏差値がなくなったとしても、受験生にとってプラスになるとは思えません。
🟦🟥に言ってて草
偏差値50くらいだったのでそこら辺に行きました
偏差値はあまり意味ない派ですね。逆に韓国みたいに受験した学生の内数パーセントの方が理解しやすいかと(相対評価から絶対評価)。
その方が仰る【上位1%はこの大学のこの学部に行ってますよ。】としたら同じ方向性になるかと。
人は他人と比べることで、自分の位置を確認して生きているんですよ〜
だから、偏差値という基準がある方が、便利なんですよ〜
私は、大学入試合格歴に過ぎない日本の学歴には批判的ですが、とはいえ、一流大学と言われる大学には優秀な同級生も数多くいて刺激を受けるし、それなりの研究や教育もしていることが多いので、出来ることなら一流大学と言われる大学には入った方がいいと思いますよ。
簡単に入れる大学に入るよりは、そりゃ、いろいろとプラスになる面が多いでしょう。
二浪以上の多浪までする必要はないと思いますけどね。
いや、多浪することは意味あるだろ😡😡😡😡😡
全面同意。
受験マニアにとっては意味無いデスw
東大へ行かないと学べない経済学というのは、どういう経済学なのか、知りたいです🧐
偏差値だけ見れば地底も千葉も神戸も横国も同じ。研究環境は地底の方が良いかもしれないが、多くの高校生は、同じ偏差値なら東京近いところがいいよね、となる。地底が選ばれない大学側に回ってしまう。地方の大学ほど、偏差値が高いというステータスがないとだめだろう
それは文理で大きく差があるんじゃないかな?
金がない研究室でもできる文系と、金を掛けないと「できない」研究のある理系の差。
金のない研究室は、時間を払って装置を作る。
金のある研究室は、金を払って時間を買う。
だけど、買ってきた機械の出した数字が信用できるか?
買える機械で最先端の研究ができるか?って問題もあるって
地底の先生は言ってました。
偏差値は大学学部学科のレベルです。
人間の様々な能力ごとに優劣がつくのは疑いようの無い事実である。しかし、優れた能力を持った人々であれば、その居場所は多彩なものを選り取り見取りにできるのが当然であろう。受験ヒエラルキーのもとに却って狭められてしまうようでは、社会の閉塞が進行するばかりである。
日本人が生み出した学力偏差値という概念は海外では一切使われていない。
大学進学のグローバル化がすすめば国内限定の偏差値なんて意味をなさなくなりそう。
試験点数を標準(正規化)化するときに標準偏差を使っててスコアに変換しているかも知れませんよ、、、
Wikiの学力偏差値>日本では「平均を50、標準偏差を10」(すなわち、A = 10, B = 50)にした偏差値であるが、SATやGREではA = 100, B = 500であり、SATSではA = 15, B = 100である。
高偏差値層→意味ある
低偏差値→意味ない
この2択なんじゃないですかね、、
社会で優秀な人ならこんな議論すらしないですよね!
米国もGREでランク付けしているだろう。