国鉄EF60形電気機関車
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- Опубликовано: 11 сен 2024
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EF60形電気機関車(EF60がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1960年に開発した平坦路線向け直流用電気機関車である。
1958年、国鉄初の新形直流電気機関車としてED60形・ED61形が登場したが、この両形式で採用された1基390kWのMT49形直流直巻電動機を使用してF形(動輪6軸)機関車にすると出力は390kW×6=2,340kWとなり、それまで東海道本線・山陽本線で高速貨物列車用として使用されていた出力2,530kWのEH10形に比べてさほど劣らぬ出力を持ちつつ小型軽量の機関車にすることが可能であることから開発されたのが本形式である。
構造は新形電気機関車の特徴とするデッキなしの箱形車体である。
ED60形とは異なり重連運用は想定していないため総括制御機能はなく、前面は非貫通形2枚窓とした。
貨物列車への使用を前提とするため列車暖房用設備は非装備である。
製造当初の車体塗装は0番台がぶどう色2号(茶色)の一色で、500番台が前面上部・下部および側面を青15号(濃青色)、前面窓周り・中央部と側面帯をクリーム1号とした塗装であったが、塗装規定の変更により1965年(昭和40年)から側面全体と前面上半部・下部を青15号、前面中央部をクリーム1号とした配色に全機が変更された。
この塗装は新形直流電気機関車の標準色とされた。
1960年から1964年にかけて、貨物用の0番台129両と寝台特急列車(ブルートレイン)牽引用の500番台14両の計143両が製造されたが、製造時期により構造の差異がある。
1960年に製造された先行試作車の1・2は、比較のため以下に示す点で仕様が異なる。
吹田第二機関区に配置されて比較試験が行われ、軌道に対する横圧の小さい1が量産車のベースとなった。
後のEF65形増備により余剰となり、1はEF61 201へ改造されたが、特異な台車を採用した2は保守の問題で1982年に廃車・解体された。
先行試作機の使用結果を踏まえ、1960年7月から9月にかけて3 - 14号機が製造された。
姫路 - 岡山間電化開業用を名目としている。
外観での相違は、WP35形ワイパーが窓上から支持する方式に変更された程度である。
バーニア制御器は空転検出の制度向上および直列・直並列の渡りをスムーズにするために継電器を追加したCS13Aに変更された。
駆動方式は試作車と同様のクイル方式である。
クイル式は車輪の大歯車に設けられた継手部分に塵埃の混入による異常摩耗に起因するかみ合いの悪化により、大きなトルクがかかると異常振動と騒音が発生することが明らかになった。
本グループを含むクイル式駆動車両は、後にすべてリンク式駆動装置に改修されたが、この駆動装置の問題により試作機を含めた14両は本形式他車と運用が分けられ、一時的に甲府機関区や稲沢第二機関区に転属して中央本線で客車牽引運用に充当された。
その後、岡山機関区に集中配置され、山陽本線東部のローカル貨物列車運用に限定使用された。
試作機を含む14両は、老朽化した瀬野八用補助機関車EF59形の代替用としてEF61形200番台に改造されることになり、1977年から1979年にかけて8両が改造されたが、重連運用時の不具合によりそれ以上の改造は打ち切られ、残りの6両も1980年頃には運用から外れ、休車となって岡山機関区に留置された。
休車となった車両のうち5両は1982年(昭和57年)に廃車されたが、12号機のみ教習用車両として中央鉄道学園に移送され、1984年(昭和59年)に廃車されてからも、1987年(昭和62年)の閉鎖まで活用され、その後解体された。
1962年5月から8月にかけて15 - 46号機が製造された。
東海道・山陽本線増発用を名目としている。
前述のとおり、1次量産車までで採用されていたクイル式駆動方式はトラブルが続出したため、吊り掛け駆動方式に設計変更した。
主電動機は1時間定格出力425kWのMT52形に変更し、それに合わせて台車もDT115A形・DT116A形(軸距を2,800 mmまで延長)に変更された。
MT52はMT49と比べて定格回転数が低いことから、高速性能改善のために歯車比は4.44に変更された。
定格出力が2,5...