室町末期から残っている最古の民家を見に行った
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- Опубликовано: 15 сен 2024
- 室町末期に建てられてから現在まで残る民家。姫路市安富町皆河に行ってみました。同時期の民家として残るさらに古いものは神戸市にある箱木家ですがダム建設で移築されたものです。この旧古井家は、現地で火災にあわずに現存する民家としては、最も古いそうです。カンナがなく柱や板はチョウナで仕上げられています。竪穴式住居のような雰囲気を感じます。土日祝に内部が公開されています。近くに有料駐車場があります。
政府がもっと援助するべきですね。
そうですよねー。屋根のトタンは、予算がないのでしょうか。
なんとかどうにか残してほしい👀‼
クラファンは❓️
茅が確保準備出来るまでの応急処置じゃね?予約しても1年以上待たされるのもよくある話だし
他の茅の部分や小屋丸太や土壁はそんなに古いものじゃ無いし二十年以内に直してるでしょ
国宝級の古民家があるとは知りませんでした。防火設備を完璧に施して永久に残してもらいたい。掲載有難うございました。
庶民の生活にも歴史がありますよねー。永久に残してほしいです。
残ってるのは奇跡❤国宝ですね。残された御尽力に感謝❣️🎉
この場所に室町時代から残っているのに感動します。移築しないで残っているのは奇跡ですね。神社仏閣以上の価値を感じます。
貴重な動画をありがとうございました。一度も火災にあわず、移転せず。すごいですね!千年の歴史の重みを感じます。
庶民にも歴史がありますよねー。あらためて感じます。
60年ほど前までは実際に住居として利用していたというのだから驚きだ
関連の記事を読むと、1967年ごろは畳を敷いて生活されていたそうです。今は、建築当時の状態に戻したので畳は取り除いてあります。とのことです。
寺社仏閣でない普通の農家の家が残っているのは奇跡に近い。当たり前のものほど記録も物も残らない。庶民の生活が窺えるこの家は思う以上に貴重である。残った経緯が知りたい。
日当たりが良くて風通しがいい。洪水の被害を受けない立地条件の良さが一つに挙げられると思います。家の中に亀石(祀られている)があって火災や災害から守ったといわれています。(下のコメントでも語られています)。それほど条件のいいところに建てられているということだと思います。建築様式から当時の豪農であったと考えられていますので、古井家が先祖の家柄に対するプライドがあって、その象徴である家を残し続けたようにい思います。また、奇跡的に残り続けることに対する畏敬の念(前述の”亀石”の話)が家を存続させたように思います(私見)。
@@kotanichannel文中で触れられている 古井家という名前に全てが象徴されているように思いました。単なる運や立地の良さだけでなく、名家の誇りの象徴として意識して保存維持してきたことが推察できます。この家が残ったことに関しては単なる奇跡ではないようです。
1970年代に一度解体修理してるみたいですね😊
その時に土壁などは全て一旦崩してから作り直してるそうです。
柱は10本ほど、本当に室町時代末期の物が残っているらしいです。
町で、保存会とか有るでしょ
@@user-th4ug3yo7n 地域の誇りだから残ったということですね!
この家は、とても美しいです。それを見せている動画の撮り方、静かな見せ方が、とても落ちついていますね。
ご視聴ありがとうございます。
こういう風情を現代の住宅建築技術と融合させる試みが実現できないものだろうか
今どこを見回してもツーバイのプラモデルみたいな住宅ばかりで寂しくなる
日本の住宅街には日本人ならではの懐かしいデザイン感覚があっていい筈なのに
最近、窓のない(窓が小さい)家が増えてきたような気がします。ツーバイフォーでしょうか。建て替え前提の家でしょうねー。
お〜これはこは大変興味深い🤔
室町末期から大切にされてきた家が現存して居るとは想いもよりませなんだ😆
この様な動画がRUclipsに増える事を願っているのですがね〜…。
いやはや勉強させて頂きありがとうございました😊眼福眼福😊
ありがとうございます。
私の実家は安富町です。皆河は安富北小校区で私は安富南小校区です。
古井家通称「1000年家」ですね。今年のお盆も行ってきました。
正確な年代はわからないそうですが、建築方法から室町時代の建造なので1000年経っていませんが、昔から戦災や災害を逃れた家として知られていたそうです。
室町時代でこの規模なら当時は地主の家でしょうね。日本で最古級の古さで貴重な文化財ですね。
秀吉が兵庫攻めを開始した頃、佐用町辺りまで毛利家の勢力範囲で、秀吉は書写山に陣を敷いたりしているのでよく燃えなかったと思いますね。
因みに、南小校区は昔安志の里と呼ばれていて、北小校区は富栖と呼ばれていました。
何かのサイトで見ましたが、安志の里は黒田官兵衛が領有したことあるそうです。
地元民で全然知らなくてすみませんが、官兵衛が領有した頃の安志の里の境界線がどこまであるのか私はわかっていません。
また調べたいと思います。
隕石ではないかと言われている石が座敷に祭られていました。
何度も戦災を救ったという言い伝えがあるそうです。
詳しく説明していただきありがとうございます。そうですねー、数が多いことを1000と表現しますね。「千本桜」「千本松」など。今ある茅葺屋根の農家は柱が太く田の字型の間取りで、だいこく柱があって外壁がなくて風通しがいい作りになっていますので、柱の太さ(細い)見るからに古い作りのように見えます。先祖の家を残そうとした住む人のプライや家柄などの思いも感じます。民家で火災にあわずに今まで残っているのは貴重ですねー。
この家の案内記事で、姫路城を作るときに災難除けにこの家の部材の一部をつかったという記事を見かけました。威厳のようなものを感じます。
ところで他に、空き家になっている同じような土壁でかやぶき屋根の家を近くで見かけましたが、この村に同じような古い民家がありそうに感じましたが。
@@kotanichannel
私も地元民ながらあまり知らないので申し訳ありませんが、室町時代の茅葺き屋根となると「1000年家」位しか知りません。1950年代に安志村(安富南小校区)と富栖村(安富北小校区)が合併して、安富町となりましたが、北小校区は山持ちが多く、山林で財を成した家もあります。ナマコ壁の大きな家とか、何代も続く家とかありますが、林業が衰退してしまい、家が維持できなくて廃墟になっているところが多いですね。旧安志藩の陣屋(現在安富中学校のある場所)の遺構が町内の寺の門として移築されていますね。私の近所に今念寺と開善寺、法性寺がありますが安志藩小笠原家の氏寺です。残念ながら開善寺は廃寺になり、数年前までは原型がありましたが今は柱が腐って屋根が崩れています。法性寺は昔焼けてしまいコンクリート製のお堂があります。安富に来たら是非「下村酒造」によってください。下村酒造は明治からの酒蔵で「奥播磨」という酒があり、漫画「夏子の酒」で紹介されたそうです。
また、日本で唯一の坑道ラドン温泉「富来の里」とか、最近はキャンパーが増えてきた「グリーンステーション安富」とかあります。
江戸時代の大庄屋なら隣町の林田町の林田大庄屋三木家住宅があります。「燃えよ剣」の沖田総司のクライマックスシーンを蔵で撮映したそうです。
いろいろ注目すべき情報をいただきありがとうございます。見学する視点が見えてきたように思います。安富の方に行くときの参考にいさせていただきます。ありがとうございます。ナマコ壁も調べてみました。
😊@@ファンタ-j2g
立て替えられてるのね。千年とされたのは朝鮮人昭和日王一族だからです。180年前の朝鮮半島の歴史しかない人達だもの。其れにGHQが認めなかったんだろうな。イギリスの歴史を古くするためにね❗️藤原良子
室町末期から残っている最古の民家を見に行った はいいですね。映像が綺麗です。凄いです。ご案内ありがとうございます。
ご視聴ありがとうございます。
奇跡的古民家ですね。ありがとうございます。
ご視聴ありがとうございます。
後の祭りですが昭和30年代まで地方では室町とは言わないまでも江戸時代とそれほど変わらない生活文化や生きる知恵が存在していました,1960年代一気に高度成長なる薄っぺらで均一的(消費)文化が押し寄せ生活の有り様が様変わりしました,それに気付いた時には今度は地方そのものが消滅しかけています
その通りですねー。高度成長期の生活の変化で多くがなくなりましたねー。「気づけば地方の消滅」 後、10年もすれば世の中が一気変わっていきそうです。ちょっと寂しい気がします。
当時の田舎暮らしは大変でした。病院も格差があって、東京で投薬では治るのに田舎は手術するとか。
お風呂も井戸水を汲んで風呂桶を満たして薪を焚いて湯を沸かすとか。
薄っぺらとか、そう言う問題じゃ無いような気がする。便利になることは豊かに暮らす第一歩だと思います。不便さに豊かさや知恵を求めるのは単なるノスタルジアではないでしょうか?家事、介護、子育てをしてそう思います。この素晴らしい動画を見る行為だって文明の冴えたるものじゃあござんせんか。
@@user-vp7rx7nc9u65歳です。子供のころお風呂場の排水設備がなくバケツで汲み出して少し離れた井戸端に流してました。それが私の仕事でした。逆に水張りは室内の水道からホースで引いていたのでラクでした。
ボタン一つでシャワーもお風呂も使い放題の今とは雲泥の差ですねー。
@@user-vp7rx7nc9u 確かに生活の便利さを否定し過去を賛美するのは現代人・都会人の傲慢なんでしょうね。
しかし、原風景が残っているはずの地方の風景にも、都会の景観にも、美しさを感じられないのが残念なのです。
電柱電線は風景を鑑賞する上でノイズだと思うし、家屋の色使いも昔の天然素材と比べたら自然との調和がまったくない。
現代の利便性を肯定するだけでは足りないものがあると感じています。
田舎の人だって都会の人のように便利に生活したいと思うけどなぁ〜
荘園の解説動画を見ていて、こちらの動画に辿り着きました。
古文書の勉強だけでは、なかなか理解できないこともあります。
古いものを残して次代へ繋いでいこうとする日本は素晴らしいですね。
私も見学に行きたくなりました。
歴史に登場する支配者の豪華な建物や遺物は残っていきますが、農民・庶民の生活文化は時代の流れで変化し、消えてしまいます。その意味で貴重だと思います。多く残されている民家は移築して保存していますが、現地で残ることは、立地・生活環境・存続過程や成立過程を考察するうえで重要なことと思います。
ぜひ、見学されるようお勧めします。
私の実家も茅葺屋根でした、
夏は涼しく風があれば快適な時を過ごしていました。
天井からヘビなどが落ちてきたり平然と生活する家族でした。 ゆるやかな時間が懐かしく思い、そちらの農家さん宿泊があれば出掛けてみたいと思います。
普段はあまり姿を見せないヘビですが、家の中で突然見るとギャーと声が出て体が硬直します。夜中にネズミが走る音が聞こえます。思いだしました。
家の守り神なので悪さしてはいけないのです。
これはまさしく奇跡のようなものですね。
奇跡のような民家ですね。この場所で残り続けるのが奇跡です。
ぜひ国宝級に指定してほしいです。見に行きたい!
屋根にトタン。ちょっと心配ですねー。
茅葺きを維持出来ているのはすごいですね。
茅葺屋根は現在は業者が行っているそうです。兵庫県はわかりませんが京都府には「美山」の屋根の業者が5社ほどあると聞きました。今はカヤを刈り取る人がいなくなっているそうです。
茅葺き屋根は、なかったけど、明治代の家が似てたなあツチ藁の壁とか、、米の機械みたいなのは昭和時代のだろうなぁ、、。家にもあった。
このレベルで維持出来ることは職人さんとか居るのだろうからすごい。
田んぼの機械はエンジンの機械が普及するまで使われていた最近?のものでしょうねー。
住んでる気持ちになって見てました。雨風しのげれば幸せ。
ご視聴ありがとうございます。
凄いですね。欧州の方ですと、作りがそもそも石材なので比較にならないのですが、それでも「1000年」は聞いたことが有りません(稀に新石器時代から更新を続けている住居なんかも有るようですが…)建設当時としては相当格式の高い住居だったのだろうと思います。関東地方住まいで、古いといってこっちにはもせいぜい江戸時代の住居しか残っていないのですが、それでも当時の住居建築を見ると色々と感心させられます。(佐倉の武家屋敷三棟とか大好きです)
コメントありがとうございます.
調べてみると鎌倉・室町時代まで農民の住居は竪穴式や掘立柱(地面に柱を突き刺した形式)が主流だったそうです。室町時代になって農民の上層部で礎石の上に柱を立てる建築様式が普及していったようです。この民家は石の上に柱が立っています。ちなみに、柱の間隔は、畳の大きさ(単位)になっていないので畳を前提としていない(畳を使っていない)。大黒柱がなく全体に柱が細いのは柱と外壁で屋根の重量を支えていると思います。いろいろ貴重ですねー。
鉋が無い時代なので、手斧の跡が有りますね。ぼこぼこしてて暖かみがあります😊
手斧(チョウナ)の跡はいいですねー。ハンマーの跡が残る錫器のようないい感じです。
動画アップ、ありがとうございました。感動しました‼️
ご視聴ありがとうございます。
先日、文献資料が残る最古クラスの農家住宅(1658年京都美山 石田家)を訪問してみましたが
現代の住宅は異なり、茅葺の軒が低く重厚で、縁側から見る景色が最高でした。
機会があればこちらも訪れたいと思います。
こちらの民家をぜひ見られたらどうでしょうか。外側は土壁で塗りつぶされて柱が見えていないことと、柱が細く柱の間隔が畳を基準にしていないなど室町時代の特徴を持っているそうです。(畳が普及する前の家)窓は土壁をくりぬいたようなっ構造になっています。江戸時代の民家と違って風通しがよくない構造です。美山の民家と比較して見られたら面白いのではないでしょうか。
京都って建物は古いものが多いけど、家系は元禄に遡れる家系は珍しいらしいですね
@@user-eg7fc9mk9s 京都府下では古い系譜の家は多いですが
京都市内のいわゆる洛中では、400年さかのぼれる家は珍しいですね。
父の実家の家系は秋田で鎌倉時代より前、平安後期まで判るんですが、それを京都で口にするとあからさまにムカつかれます。
良い雰囲気の家ですね。ただ、萱がやせてきているのか、一部トタンでかぶせてあるのが残念です。それにしても阪神淡路大震災で倒壊しなかったのには感心します。冬は寒いけど、夏は昼寝するのには涼しいと思いますよ。
茅葺きの家に住んだことがあります。夏涼しく冬は暖かい家だった記憶があります。
神社仏閣ならこんな状態にはしないと思います。価値観でしょうか。予算でしょうか。だから庶民の生活がなくなるんですねー。神社仏閣と同等の価値があると思うのですが。
スゴイものを家にいながらにして見せていただきありがとうございます。手斧のあと、庭(土間の事をそう言うとは😮)に農機具を据付、大壁のような造り、便所(室町時代からあったのかな?)、竹敷の床等細部まで良く見せていただきました。柱等細かったのですね(日本海側の様な積雪がない地方仕様)。江戸時代の農家とはまた随分違ったのですね。おすすめに出てきて偶然拝見しましたが他のものも見せていただきます。ありがとうございます(登録しました)
ありがとうございます。庶民(農民)の住居についてほとんどわかっていないようです。調べてみたら平安時代の農民は竪穴式住居が主流だったとの記事がありました。また、東北地方では室町時代まで竪穴式住居だったとの記事を見ました。(竪穴式住居は弥生時代の住居と思っていましたが。)それほど庶民の生活の歴史は残っていないということだと思います。そういう意味で、この場所に室町時代の庶民の形跡があるという意味は大きいと思います。
和というよりもアフリカなどに通ずるプリミティブな雰囲気がありますね
これが本当の伝統建築だったわけだ
末永く保存されていればいいですね。
なるほどの感想(感じ方)です。ありがとうございまず。
国宝とかになっていないのだろうか。もしかすると姫路城以上に由緒あるパワースポットだぞ。
姫路城建築の時、災難がないこの古井家にあやかって、家の部材の一部を姫路城に使った(新聞記事)そうです。
懐かしいでのです。何故か。
けっこう最近までこんな雰囲気があったように思いますが、急速になくなりましたねー。滋賀県のマキノ町在原にかやぶき屋根の集落がありましたが、先月行ってみたら1軒しか残っていませんでした。無くなりそうです。
箱木家には行ったことあります。こちらは姫路なのですね。ぜひ行ってみたいです。
いい動画をありがとうございます。
土日見学可になっていたので、箱木家に行きましたが休みでした。次の日曜日に電話したら、やっぱり休みでした。個人の所有のようですね。もう少し涼しくなってから電話を入れてみようと思います。
兵庫県にはこの古井邸宅と神戸市北区にある日本最古の箱木1000年家が残ってますね
土壁で当時の人たちがいかに小さかったかわかる入り口、敷居の低さで驚きます
大切に残していってほしいですね
箱木千年家は長屋門のある庄屋(当時)で摂津名所図会にも出てくる家ですねー。先日見学してきました。
もう日本昔話に出てくるお家そのものですね。すごい。
ご視聴ありがとうございます。
さすがに屋根は何度も葺き替えられているだろうし、
土壁も保たないだろうし、どの材料が室町から残っているのか知りたいところだけれど、
その頃の農家の様式はよくわかりますね、
一度は行って味わってみたいものです
部材は残っているものと取り換えたものがあると思いますが、全体の様式は変わっていないと思います。移設した民家はトイレがなくなってきれいですが、この民家はトイレが残っています。(きれいにしてあります)生活感があって迫力があります。実際に見られたらいいと思います。
すごい
ご視聴ありがとうございます。
多分だけれど貴族の住居なんでしょうね、木組みに土壁、この真っすぐな木材1本準備するだけでもの凄い労力だったでしょうね。
農民でも上層の力を持った農家(豪農)だったと考えられているようです。当時はノコギリやカンナがなかったそうで、手斧(チョウナ)で柱が削られています。板も貴重なので板ではなくて竹を並べて床にしてあります。1967年まで生活されていたそうで、畳が敷いてあったそうですから竹の床は復元だと思います。
@@kotanichannel そうだったんですね!とても興味深くて面白いです!
イギリスで築500年の部分がある家に短期間住んでいましたが屋根は低かったです。そして2階がありましたが、床がかなり傾いていました。とても興味深い映像ありがとうございます。
16:23の継ぎ口初めて見たし貴重な建物だね。後外面に引き違い戸が無いのも面白い。
時代背景でもあるのかな。民家として江戸時代までの変遷が分かりそうで価値はすごいよね。
ちょうなの跡が美術的なのも良い。
みな片引き戸になっているようですねー。
人の住まなくなった家は痛みますね。
囲炉に火が入っていればもう少し屋根なんかももつはずなんですがね。
茅葺き葺き替え時期でしょうが予算が出ないのでしょうか…。
神社仏閣ならこんな状態にはしないでしょうが。神社仏閣と同等の価値があると思うのですが。
茅葺きを葺き替えるのは凄い労力がいりますので、中々難しいでしょう。民家でこの歳月経っているのは凄いですね。一度行ってみたいです
@@まさこ-o9u
吹き替えは金額的には400万〜600万くらいは掛かるようですね。
金額より茅の確保が本当に大変みたいですが…。
蝉が鳴いてる。
あの山を見ただけで私の肺が洗浄された気がする。
ご視聴ありがとうございます。
とても興味深いです。
中に入ると当時の人々の息遣いが、暗がりから感じられそうでドキドキします。
保存の一つの方法として、この家自体を箱に入れて取り囲むようにすれば、藁葺屋根など直接雨風に当たらず、火災からも免れると思います。全部が全部当時のままではないとしても、充分雰囲気は保存できます。
ありがとうございます。なるほど。
横浜市の200年近いお家に上がらせてもらったことがあります。
めちゃくちゃ太い気が使われていて、驚いた記憶があります。それよりもずっと古いんですよね。国に守って欲しいですね。
時代が古いせいか柱が細いですねー。竪穴住居の雰囲気がありますねー。
素晴らしい。建物を一目見て、三内丸山遺跡の建物と共通点を感じた。時代はかなり違うけど、当時それほど劇的な変化はない気がするな
竪穴式住居は弥生時代の住居だと思っていましたが、調べてみたら、平安時代の庶民(農民)の住居は竪穴式住居が主流だったとの記事がありました。ということは、庶民の生活はほとんど変化していなかったということです。この家が竪穴式住居の雰囲気を持っているのは変化がなかったことを意味するような気がします。庶民生活がわかる貴重な資料だと思います。
ここ1967年まで住居として使用していたそうですね😧、とても貴重な民家!
裏の古い農機具...歯車付きのハンドル触ろうとしましたね、復活の虫が(笑)
柱が細くて大黒柱がない。田の字型間取りのかやぶき屋根の農家の原型でしょうか。背丈が低くて竪穴住居に近い感じでした。
半世紀前まで人が生活していたとは驚きです。
不便でさぞ大変だった事でしょう。
貴重な史料としてこれからも残していくのに
管理はなかなか大変な事でしょうね。
いいもの見せていただきました。
ありがとうございました。
1967年(昭和42年)まで畳を敷いて生活していたそうです。驚きです。民家なのに柱も腐らずよく残ったと思います。この場所は高台の見晴らしのいい建築条件のいい場所だと思います。当時としては大きな家だと思うので、それなりの家柄だったのでしょう。住んでいた人も家柄にプライドがあって住み続けたように感じます。
家も凄いと思いますが、石垣も家の入口なんかお城並ですね。自分のところの田舎ではこういう家は一軒家で周りには畑か田圃です。こんなに家があるのはみたことですね。
多分作り直してあると思いますが。 「一軒家で周りには畑か田圃の田舎」 うらやましい環境ですよ。
父の子ども時代は、我が家もまだ茅葺きだったそう。
日本って短い期間に一氣に風景が変わってしまったんですね。
茅葺屋根はトタンをかぶせてしまって見かけなくなりましたねー。
植物と土だけでこんなに立派な家が建てられるんだなぁ。美しい国とかいいながら、右翼はこういうものの保全に興味がないのが残念。
コメントありがとうございます。
む、室町!!?
日本はんぱねぇ。
ご視聴ありがとうございます。
歯車付きの道具は唐箕と言います。穀物を風で選別する人力の効果的な道具です。屋根の茅はもう採取する人がいないのと施工する人がいなくなっているのでしょうね。残念です。
トウミですか。youtubeに動画があがっていたのでみました。送風機でごみを飛ばす道具ですね。ありがとうございます。
その都度修理しながら住み続けて来たのでしょうね。何人の人がこの家で生まれ去って行ったのか、ロマンはつきません。機会があれば、実際に見てみたい👍
この家はトイレもそのままで生活感が残っていて迫力があります。(移築された民家はトイレがなくなっていて生活感が残っていません)
軒が低く外壁が土というのが興味深いです。竪穴住居を持ち上げたような感じですね。
竪穴住居は弥生時代と思っていましたが、調べてみたら平安時代の庶民(農民)は竪穴住居が主流だったとの記事がありました。庶民の生活は変化してないということでしょう。貴族や武士の歴史とは別に庶民の歴史があるように思います。そういう意味で貴重ですねー。
一週間ほど寝袋持参で寝泊まりしてみたい
おもしろい発想。
➡➡ 今度 日本に行く機会があったら・・・ぜひ見てみたいところやな。動画主よ。ホンマに素晴らしい観光先を案内してくれたこと・・・感謝するワイ。😍😍😍😍😍😍😍😍😍😍
ご視聴ありがとうございます。
凄い😳(その言葉しか思いつかない)
知らなかった!!
城でも要塞でもない一般の古民家ってこんなに長く持つものなのか。。。
日本家屋は本当に興味深い。
古民家でひとつくらい国宝にならんものなのですかね?🤔
教科書にも載せるレベル。
これは行政はもちろん国民でもできるだけ保護したいですね。
西日本凄いなぁ
庶民の生活は消えていくので残っているのが不思議です。貴重ですねー。
蔵とかならまだしも、ここまで土壁の民家って見たこと無かった。
自分もたいがい古い家で育ったけど、時代が違いすぎるわ 参りました。 夏には住みたくないな
私も始めてみました。 今からこの家に住むのはちょっと無理ですねー。
日本むかしばなしでありそうな家屋だねぇ
昔ばなしの絵本に出てきそうな雰囲気ですねー。
よくいたずらされないね🎉
そうですよねー。
へぇ、すごいですね💦貴重な動画有難うございます💛さすがに、葺き替えられてはいるでしょうが、
よそは、たいてい戦か空襲で焼けちゃってますよね…味のある素敵な建築ですね。町もいい感じです^^
神社仏閣は残って当然のような気がしますが。庶民の生活は消えてしまうので特に貴重だと思います。ぜひ残してほしいです。
凄いなぁ~大切に守ってるお家ですね。2000年にはならないけど凄いですよ。室町時代の末期なら1600年とか1700年くらいたつのか。武家や天王達が住んでた家か。中が違うと言ってたな。何かの差でわかるそうです。井戸もあるもんな❗️藤原良子
室町時代は足利氏が京都に幕府を開いた時代で1336年~1573年ですから約500年前になります。ところで、「藤原良子」って藤原氏(貴族)の子孫ですか。半分冗談ですけど。
ここ行ってみたかったけど動画あったんだ…!!つい最近も江戸末期の家見に行ったら管理人が亡くなったのか草ぼーぼーの廃墟化してた。国や県でちゃんと管理してほしいなぁ
神社仏閣並みに管理してほしいですよねー。
日本最古の民家は箱木家で、鎌倉時代の建築です
貴族の住居まで入れれば、最古は法隆寺傳法堂で、奈良時代
大変興味深く視させて貰いました✨ こんな家に心底住んでみたいです。 今では茅葺きの技術も貴重な中、葺き替えが高額なのも合わさって、此のような建物には 住めなさそうですが😅 土壁といい、土間といい、囲炉裏の居間、おくどが大変あこがれます🍵素晴らしいです!
屋根の茅は風化してなくて、きれいだから
メンテナンスされてる
感じですね。
壁の崩れもはがれも
ほとんどないし。
屋根も壁もメンテナンスしているでしょうねー。そう思います。ご視聴ありがとうございます。
陰陽礼賛
伝統的な日本家屋は軒が深いのですよ。
姫路の此方、知りませんでした。
藁屋根、土壁の維持補修には多くのお金が必要ですから、一般古民家では難しいでしょうね。
映像、有難う御座います。
応急処置でしょうか、屋根のトタンが気になりますねー。
この古井家も今も断絶せずに続いているのか?
そうですよねー。親族がこの家や生活のことを話してくれると最高だと思いますが。
茅葺き屋根の家や囲炉裏や土間がある家が好きです。人間が人間らしく暮らせる気がします。 今の家はカフェみたいなお洒落な家、窓がとても小さい家だったり防犯など考慮してのデザインなのでしょうが。夏は雨戸を開け蚊帳を吊って月夜の灯りで眠りたいですね。
今でも、煙抜きの有る古民家では土間があり、基本形は変わらないですね。大半が改築されており、残っているのは間取りと太い梁。
ご視聴・コメントありがとうございます。
案外最近まで住んでたっていうのに驚きました。流石に住んでた当時は電気とかは通ってたのかな?
1967年ごろは電気は通っていますよ。それと、畳を敷いて生活しておられたそうです。
本物の迫力は凄いですね。剣の達人が隠遁してそう。
家と周りの村の環境とすごいですねー。
名前が「古い家」なのがかわいいですね。
・・・・(笑)
屋根の葺の中で、独自の生態系が出来ていても驚かない(驚く)
ご視聴ありがとうございます。
国の重文に値する建物だと思います。
数少ない庶民の歴史ですねー。
5:44 「移動式粉末消火設備」って・・・全然読める・・漢字は400年前でもまったく同じなんだね。・・・感動・・・。
同時代の神戸市北区の箱木千年家もそうだが、安富町も冬の雪⛄と寒さが厳しいので残ったんだろうな。
コメントありがとうございます。
多摩市の一本杉公園にある古民家とほぼ同じ間取りですね。
あ、そうですか。一般的には田の字型の間取りが多いと思いますが。この家は畳がない時代のためか間取りがはっきりしないし感じですねー。
貴重な映像をありがとうございます。重要文化財とかに指定して、自治体が守って行かないと、だめですね。
屋根のトタンが気になりますよねー。
日本残るや、やしきが、語る素晴らしい人生の歴史、訪ねし人の、こ心に、語る、あなたは、いかに、このやしき、たましいに、かたりかけてか、たびびとよ、いかに、うけとめん、ぜんせいを、わするな、あなたの、魂に残る思いが、旅路を、くれますね🎵素敵な人生を、ありがとう、ございます今日の出会ったことを、忘れぬな、
ご視聴ありがとうございます。
こういう所に泊まって見たい!さぞかし不便だろうが、だからこそ分かる貴重な体験が出来ると思う。
貴族や武家の歴史とは別の庶民の歴史があるように思います。
素晴らしいですね、大切にしてください。
コメントありがとうございます。
外側の板材や角材は明治以降のものだろうね。昔は槍鉋なので表面がぼこぼこしていたはずから。室内には、槍鉋のものがあるようですね。かなり雰囲気があります。
槍カンナよりも荒っぽいチョウナ(手斧)で削ってあると思います。
@@kotanichannel おっしゃる通りです。
室町末期って事は戦国時代の初期って事よな。500年ぐらいこのままってすごいな。
今の日本は貿易で海外からいろいろ買えるから豊かだけど、いざって時の先人の知恵を活かす為にもこーゆーものは残しとくべき
それにしてもプライバシー無いね。子沢山の家族で子作りしたい時は子供達の目の前でやってたのかな
なんど(納戸)が寝室で、個室になっています。
(ФωФ)…👍
実際に使われてるとか凄いね。
神奈川の小田原市には、学校の片隅に有る銅像で有名な二宮金次郎の生家が残ってるよ。
水ダウが見つけられ無かった逸材
”水ダウ” 何でしょう。
懐かしい。この家の構造や間取り派、第二次世界大戦後の田舎の茅葺きの家と基本的には同じ。トイレは玄関入り口脇、入ると右側は、牛、馬の場所、釜戸や水場、いろりもほぼ同じ配置。竹を縄で編んだ芯の土壁、以外と寒暖に強い。これとかなり同じ配置でできた茅葺き家で、野口英世が生まれ育った家が、福島県の猪苗代湖畔にあり、立ち寄ったが、かなり似通った作りでした。
外観が千年前と同じってだけで茅葺きの内側にポリ板とか入ってるの見ても内部はかなり補強入ってるんだろうな。
でも火事にならずに残ってるだけでも凄いこと。地元の明治時代の木造住宅も4年前に火事で全焼した。
火事にあっていないのが奇跡ですねー。
1970年代に一度解体修理して、土壁などは全て一旦崩してから作り直してるそうですね。
柱は10本ほど、本当の室町時代末期の物が今も残ってるとか。
このままの状態で室町時代末期からそのまま残ってるわけではない。そりゃそうですよね😅
千年家、前から見に行きたいと思ってた。ダムで移築したのも見に行きたい。知らずに通りすがってた時期があるのが今考えても惜しい。すごいよね・・・民家というのが。さりげなくあるのがまた良い。
ぜひ、見られたらいいと思います。周りの環境も含めてみると灌漑深いものがあると思います。移築されると環境が変わるので、この場所にあることに価値があると思います。
そんなに大きな御家ではない、部屋数が少ないから。
まさにテセウスの船
”テセウスの舟”とは、ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、それが過去のものと同一の物か。という意味ですよね。この民家、すべてが当時の物ではないですよね。屋根は数年おきの新しくなっていきます。壁土も新しくなっていると思います。しかし、建築様式・礎石も柱も当時のもので、トイレや馬屋の排尿の溝(尿を外に出す溝)などを見ると移築したり復元したりしたものと違った意義(現実味)を感じます。多くの部分で建築当時を知る手がかりを私たちに与えてくれると思います。
室町時代!
ご視聴ありがとうございます。
なんか真新しいですね
歴史が知りたいですね。過去には
どうゆう人が住んでたとか。
何年が最期だったとか。
古井家の親族がどうされているか気になりますねー。次の機会に調べてみたいと思います。
この時代って建築確認申請的な手続きはあったんだろうか
登記も無く好き勝手に建てて良かったのは何時代までなんだろう
全くの想像ですが、米作りで人が定住し、親族を中心とした集落ができると、知らない人がその集落に勝手に入って家を建てたりできなかったのではないでしょうか。だから、その集落や他の集落の縛りがない山奥に入って家を建ててあたらしい集落ができる。
日本中どんな山奥にも人が住んでるのはそのためではないでしょうか。
米作りで定住がはじまり集落ができると、土地を守るために侵入者を排除する力は相当強かったとと考えられます。
勝手な想像です。
新築の小奇麗な家より、こういう家に住みたい者ですが、最近の気候だとどうなんでしょう。
気密性ゼロだと思うので冬は絶対に寒いですよね。夏はどうなんでしょうか。
虫よけとかクーラーとか文明の力がなかったら住むのは無理と思うのですが。
他の人もいってるけど、国宝にしてもいいんじゃないかと思う。以前ドラマで見た江蘇州の農民の家に結構造りが似ている。軒が低い、土間が広い、炊事場の作り、むしろを使っているところなど。
庶民の生活の足跡は、消さないでほしいですねー。
国宝だろ。よく民家が残ったな。
つまり災害があっても被害がなかった地域ってことだろうか。
多くが補修、改修されていますが、どの部分が当時の資材なのでしょうか?それとも当時の姿を再現しているだけなのでしょうか?
1967年まで生活されていたそうですから。補修しながら維持していたと考えられます。柱も一部は取り換えられているのではと思います(勝手な想像です)。しかし、火事に一度も会ってないそうですから、柱やその他の部分は当時の物が使われていると思います。少なくとも当時の建築様式は引き継がれているはずですから、当時の庶民(農民)の生活文化を示す重要な資料だと思います。
地震大国日本でも比較的揺れが少ない表れですね。
日本家屋が地震を棚に上げても、風雨には強いのだと実感します。
コメントありがとうございます。
ナレーションをつけるならまんが日本昔ばなし風でお願いしますw
・・・・。ありがとうございまず。
匂いはどんな感じでしたか?土の匂いですか?
なるほど。トイレのところから匂いがしそうですが、匂いはしませんでした。きれいに掃除がしてあると思いました。それと、馬屋(厩)は、牛の小便が外に流れるように溝が掘ってあるはずですが、この溝が異常に深い穴になっていました。おそらく、溝の周りの土を取り除いたのではないかと思います。(匂いがしないように処置してあるように思いました。)行った日が天気のいい日だったためか家の中も匂いはしませんでした。高台で湿気が少ない立地のせいでしょうか。