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この本の作者が陥った状況、うつ状態がひどかった時の私にそっくりですね。とにかく何もやる気が起きない。一日中ぼーっとしていて夜は夜で眠れない睡眠障害etc・・そこで行き着いたところが色即是空なんでしょうね。私はまだその境地には至れませんが。それはそれとして「自分」って探すものではなくて作るものの考えております。
東洋哲学が好きなので今回ご解説を頂いた著書を持っていながらも未読です。解説が面白く直ぐに読みたくなりました。此の世はワンネスで全て繋がっていると言うのが私の見解です。
素晴らしい動画をありがとうございます🙏✨本質をつきすぎて 多くの人は拒絶を起こしがちな内容を 柔らかく楽しく伝えていらっしゃって わかりやすくて 本当に素晴らしいと感じました🙏✨これからも楽しみにしています🙏✨
ありがとうございます!
タイムリーに読んだ所です自分っていう突き詰めていくほどに執着が無くなりその先に空があるようなんですよね、良い本です
しんめいpさんが自身で語っている動画以外で一番聞きやすかった。自分なんかいない、ここから始まる「自分物語」は、人生がディズニーだと腹落ちしたものになる。プラセボ現実とはプラセボ、自分の手前に居る「自分」が、思い込んだことが「現実」になる。自分の手前に居る「自分」は、「自分とか、ないから」が腹落ちしている。 腹落ちとは条件反射。判断じゃなく反射。自分とか、ないから。は、確かにディズニー人生が始まるレッスン(笑顔)
リハックで量子力学の権威の野村先生も「人間もイルカも同じ分子や原子の塊でしかない。便宜上に名前を付けて呼びやすい様にしているだけ」と言っていました。人間も様々な物体も、全て仮説なのですね。
スーパーサンクス、めちゃくちゃ嬉しいです☺️ご支援ありがとうございます✨
とりあげて下さりありがとうございます。一ヶ月前に、こちらの本、読みました。東洋哲学、わかりやすい解説面白かったです。自分がない、何かと、つながる。今は、そのことに興味があります。瞑想を深掘りしている本を紹介して頂けたらうれしいです。
なんか腑に落ちないなあ…
皮膚の内側と、皮膚の外側、これを切り分けて考えるから孤独や孤立が生まれる。皮膚の内と外を切り分けて考えるようになった原体験はなんだろうか?社会に対して抵抗する理由がなければ、わざわざ自分と他人、自分と社会を切り分けて考える理由などないのだ。切り分けるから孤独や孤立が生まれる。
私たちは幻想の中で生きている見かけだけの世界だしかし現実は存在する私たちこそが現実だこれが理解できた時自分が無であり無である事はすべてであることがわかるそれだけのことだ
最後に全否定で自分自分言い出すの草
こんにちは、久しぶりに拝見しました。中村元先生の「龍樹」は難しかったけど、以降中観を何より信頼しています。また読書会参加させて頂こうと思います。
コメントありがとうございます✨読書会、またぜひ^^
早速本をKindle で買ってみました。 私の中では子供と嫁を放って出て行ったブッダを、自分が子供を産んでから、実は違う視点で見てしまっていましたがw、素粒子物理学と近い視点で世界を見ることができていたブッダは、やはりすごい人ですね〜 今から本を読みます。(ベニスの空港の待ち時間でこの動画を観てます)
いつもありがとうございます✨ベニスに着いたのですね!成功をお祈りしております☺️
ご発信いただきましてありがとうございます。無我のその先はハイヤーセルフということでしょうか?
幻は秀吉の辞世の歌「夢のまた夢」。つまり天下人秀吉でさえ生前における業はすべて「幻」である。しかし秀吉のなしたことは何かにつけ「つながり」がある。「空」とはそういうものである。しかし、「科学」と「宗教」は完全に同じかわかりません。これは永遠のテーマです。
年金で細々食っていける世代ならいいが…あんまり若いうちから真理ものに傾倒するのはどうかな~?現実は食っていかないと腹が減るからなぁ~
動画楽しく拝見致しました🙇🏻🙏🏻シンプリィライフさんが書かれている通り、「自分なんていない」はスタート地点、私もそう思います。それがわかって初めて知る涅槃寂静の世界を伝えているのが大乗仏教😊 仏教を教学的に勉強すると本当に難しいので(^^;こうしたご本のご存在有難いと思いました😊ご紹介くださりありがとうございました🙇🏻🙏🏻 拝読したいと思います😊
人間は頭で言葉になる前に思考しているので、その頭に浮かんでいる言葉に振り回されなくて良いのです(笑)その思考はエネルギーですし。あと、身体は食べ物で出来ているのではなく、自分が思考したエネルギーの集合体なので実際食べなくとも生きられるし飢餓状態にはならない、というのが経験上でも実感しました。(飢餓はなんらかのストレスによるもので、ストレスがなければ自分が求め了解し合ったエネルギー達が物質体験する身体を構成します)。
西洋は左脳分別の信仰、東洋は右脳無分別の信仰ですね、どちらにも一長一短があり、甲乙つけがたいものです🧐
どーゆー事なのか詳しく聞きたいです。
年代が無駄に近いし、誰かに試されてるような気がするw
確かに脳の使い方の偏りかもしれませんね。甲乙つけがたい。という結論は、今の人間社会もうまく波乗りされているからかと思います。それは素晴らしいことですね。ただ、私は、命の尊厳という人間の営みに軸を置いた場合、とてもアンバランスな人間社会になっていると危惧しています。そのバランスとりのためにも、この著書や、東洋思想、ニーチェの苦しみ、シュタイナーのうれいは、もっともっと公然と人類が共有していいのではないかと思っております。そうすることでよりバランスの取れた人が増え、生きやすい人類になっていくと信じています。貴方のご意見からはっきりと自分の立ち位置を確認できました。ありがとうございます😊
@@usppr9804 自分も現代社会は偏っていると考えていますが、社会のアンバランスさが、むしろバランスの大事さを学ばせてくれるような氣がします🤔中庸が大切ですね👍
ラジオの時報のスジャータがギャルだとは知らなかった。でも、私はコーヒーはブラックで飲む。だがギャルの施しは受けたい。自分がないからどうしたらいいかわかりませんw
後半にある、意思より先に脳が決めると言う研究ですが、その数年後、ベンジャミン・リベット自身が研究で、やはり意思の方が僅かに先だったと言ってますよ。0.2秒だけ、意思で脳からの指令も拒否できるそうです。
こちらの本とモラトリアムて言葉は最近流行ってるのでしょか?「私」とは関係性で成り立ち、関係性の意味により変わる事と、素粒子量子で全てを観た場合全て量子であり形を変え循環の中で私は構成されてるため、私という肉体は存在するが、様々な人との縁起で私 という定義は変化し、心身も循環し続け変化するため、在るようで無い。自我を抜いた視点で捉えれば、空という事でしょうか。縁起の考え方ですね。縁起により今の私は成立っているのだなぁという感謝と視点があれば、今自分が置かれた関係性、縁起を観てみると、今の役割が何か視えてくるかもしれませんね。要約ありがとうございます。
仙道とか興味ないですか?高藤聡一郎の著書とか面白かった。もう昔なので書物は売ってないかな。
半世紀以上前 夏の林間学校で 高野山の宿坊に泊まり 怖い話を聞かされた挙句 暗い墓の道で 肝試し させられたことを 思い出しました。 今では 楽しい 思い出 ですが。
えー!?それは普通に怖い!笑
結婚…。ノンフィクションだと思ってました。
神は確かに居られます ロサンゼルス・ドジャースに御一人
ありのままを、見つめ続ければ、自ずとわかる事です。仏教とか、哲学と、量子力学とか、ただの遠回りです。そして、それらが告げている事は、真理の入り口に過ぎません。もっともっと、深遠で実用的で、確かな理があります。
脊髄反射で痒い所をカク。その景色を見て脳が痒いから掻いていると認識する。
スジャーター( Sujātā सुजाता )
無いんじゃないヨ!あってないんで、あるとないが感じられるところまで行けばあってもない、なくてもあるがわかるよ?❗️
自我は、独立した存在ではなく、身体の反射的要素に過ぎないのではないかという仮説と、良い現実を作る為にすべき一つのこと。初めに、身体外部からの刺激⇒身体の反応⇒自我が生まれ、好き嫌いを判断。以上のような感じがしてます。よく考えると、自分の欲求って「危機」を避けたい時や「幸福」を受けたい時に生まれていることに気が付きました。・死にたくないから、避難する。・幸せになりたいから、出世しお金を稼ぐ。・寂しいから、恋人が欲しい。・2択の内、何か分からないけど、こちらの方が好み。と、このように環境からの情報に晒された身体が反応した結果、自我が生まれ、好き嫌いを評価する統括の役割を担ってる。自我は、身体にとってセンサーの情報統括部でしかないのかもしれない。ここまでが仮説。ここから仮説を元に良い現実を作る為にすべき1つの事は、「自分の本当の声を見定め、よく聞き、実行する事」社会の条件によって言わされてる事ではなく、「自分はどう思うのか」を素直に聞き行動することで、良い現実を実現出来る。
コメントありがとうございます✨私も最近、西田幾多郎さんの「純粋経験」という概念、リベット実験自由意志問題などから、おっしゃるような考えが腑に落ちてきました。自我・思考・意志は後づけに過ぎない。「自分の本当の声を見定め、よく聞き、実行する事」ほんとにおっしゃる通りだと思いました!自分の考えも深まりました。ありがとうございました✨
ドイツ哲学の教授に観念論はインド哲学と似てませんかと言ったら鼻で笑われた。哲学は弁証的に解法されなくては論理証明されたとは言えない。観念を弁証するから哲学であり、考えるな感じろや1+1=∞などという論理破綻を是とするものは宗教に過ぎないという意味らしい。まるで哀れなカルト信者のように見られたと感じました。
ブッタに救われた33歳です
仏教ではよく無我の境地とか言いますが、それって結局せっかく言語の発明によって「自分」「自我」というものを見出した人間の功績を元に戻しているだけなのでは?動物返りしていると言ってもいい。
その自我があるせいで人生は苦しいものになる。その苦しみから解放されたい人が学ぶのが仏教。苦しみたい人はそのままの生き方でいい。
@@5hu.9981 ということは仏教とは動物返りするためのもの、もしくは言語の否定につながるものになりますね。私は言語こそ人間存在の本質だと思っているし、言語を持ったままでも全然幸せになれると思っています。
@@kazuyyas.2263結局それも幻想です。悟りは悟りを開いた人にしか分からない世界です。数学的に無と無限はイコールの関係にあります。なので無我の境地に至ると全の感覚を知り、悟りを開けます。自分は悟りを開いていないので分からないですが、悟りを開いた人は皆、これまでに感じたことのない幸せを感じるといいます。
それはある程度的を射た批判だと思いますしかし人間も動物から生じたと考えると、動物にもある種の自我意識があるのでしょうそれを理解し無我を意識できるのは言語の切り分け力を持った人間だからこそだと思います実際、阿羅漢に達した聖者は欲望に流されず人間として非常に尊敬すべき人物になると言われていますそもそも前提が単純化されていて、仏教の基本は諸行無常、諸法無我、涅槃寂静ですこれらの概念はそれほど難しくないですが、現実と絡めると壮大な教えに発展をしますまた調和を重んじますから、無我はその教えの一部分でしょうね
無我とはすなわち言語を放棄する、という意味ではなく、苦しみを発生させる要因を見いだし超越しようとする向きが至る境地とした方が近いと思う。尚、人間以外の生物は人間の言語を持たないけれども、それにより彼らには自我が無いとすることもできないはず。対外の個体を識別し選り好みを行う行為は、あらゆる種目の社会性を通しても様々に見てとれる。人間以外の生物がストレスレスを目指す(向きがあるならば)そのプロセスはもちろん人間のそれとは異なるわけで、人間はやはり人間なりの努めをしようとするわけだ。それが宗教や哲学という思索の文化と言えるのでは。
内容はとても読みやすかった。けど、ちょこちょこゾワっとした。⚪︎⚪︎やん!とか、エモいよね!とか、するんよね?とか。そうゆう言い回しがない方が良かった
へりくつこねる中学生か 原子や素粒子知らんのかと途中思ったわ境界線が無い、頭で感じられなければ、虫や微生物へ近づいてくって事やろ
もっと人間らしく詭弁を極めようぜ!
この本の作者が陥った状況、うつ状態がひどかった時の私にそっくりですね。とにかく何もやる気が起きない。一日中ぼーっとしていて夜は夜で眠れない睡眠障害etc・・そこで行き着いたところが色即是空なんでしょうね。私はまだその境地には至れませんが。それはそれとして「自分」って探すものではなくて作るものの考えております。
東洋哲学が好きなので今回ご解説を頂いた著書を
持っていながらも未読です。
解説が面白く直ぐに読みたくなりました。
此の世はワンネスで全て繋がっていると言うのが
私の見解です。
素晴らしい動画をありがとうございます🙏✨
本質をつきすぎて 多くの人は
拒絶を起こしがちな内容を 柔らかく楽しく伝えていらっしゃって わかりやすくて 本当に素晴らしいと感じました🙏✨
これからも楽しみにしています🙏✨
ありがとうございます!
タイムリーに読んだ所です
自分っていう突き詰めていくほどに執着が無くなりその先に空があるようなんですよね、良い本です
しんめいpさんが自身で語っている動画以外で一番聞きやすかった。自分なんかいない、ここから始まる「自分物語」は、人生がディズニーだと腹落ちしたものになる。
プラセボ
現実とはプラセボ、自分の手前に居る「自分」が、思い込んだことが「現実」になる。
自分の手前に居る「自分」は、「自分とか、ないから」が腹落ちしている。
腹落ちとは条件反射。判断じゃなく反射。
自分とか、ないから。は、確かにディズニー人生が始まるレッスン(笑顔)
リハックで量子力学の権威の野村先生も「人間もイルカも同じ分子や原子の塊でしかない。便宜上に名前を付けて呼びやすい様にしているだけ」と言っていました。人間も様々な物体も、全て仮説なのですね。
ありがとうございます!
スーパーサンクス、めちゃくちゃ嬉しいです☺️ご支援ありがとうございます✨
とりあげて下さりありがとうございます。
一ヶ月前に、こちらの本、読みました。東洋哲学、わかりやすい解説
面白かったです。
自分がない、何かと、つながる。
今は、そのことに興味があります。
瞑想を深掘りしている本を紹介して
頂けたらうれしいです。
なんか腑に落ちないなあ…
皮膚の内側と、皮膚の外側、これを切り分けて考えるから孤独や孤立が生まれる。
皮膚の内と外を切り分けて考えるようになった原体験はなんだろうか?
社会に対して抵抗する理由がなければ、わざわざ自分と他人、自分と社会を切り分けて考える理由などないのだ。
切り分けるから孤独や孤立が生まれる。
私たちは幻想の中で生きている
見かけだけの世界だ
しかし現実は存在する
私たちこそが現実だ
これが理解できた時
自分が無であり無である事は
すべてであることがわかる
それだけのことだ
最後に全否定で自分自分言い出すの草
こんにちは、久しぶりに拝見しました。
中村元先生の「龍樹」は難しかったけど、以降中観を何より信頼しています。
また読書会参加させて頂こうと思います。
コメントありがとうございます✨
読書会、またぜひ^^
早速本をKindle で買ってみました。 私の中では子供と嫁を放って出て行ったブッダを、自分が子供を産んでから、実は違う視点で見てしまっていましたがw、素粒子物理学と近い視点で世界を見ることができていたブッダは、やはりすごい人ですね〜 今から本を読みます。(ベニスの空港の待ち時間でこの動画を観てます)
いつもありがとうございます✨
ベニスに着いたのですね!成功をお祈りしております☺️
ご発信いただきましてありがとうございます。無我のその先はハイヤーセルフということでしょうか?
幻は秀吉の辞世の歌「夢のまた夢」。つまり天下人秀吉でさえ生前における業はすべて「幻」である。しかし秀吉のなしたことは何かにつけ「つながり」がある。「空」とはそういうものである。
しかし、「科学」と「宗教」は完全に同じかわかりません。これは永遠のテーマです。
年金で細々食っていける世代ならいいが…あんまり若いうちから真理ものに傾倒するのはどうかな~?
現実は食っていかないと腹が減るからなぁ~
動画楽しく拝見致しました🙇🏻🙏🏻シンプリィライフさんが書かれている通り、「自分なんていない」はスタート地点、私もそう思います。それがわかって初めて知る涅槃寂静の世界を伝えているのが大乗仏教😊 仏教を教学的に勉強すると本当に難しいので(^^;こうしたご本のご存在有難いと思いました😊ご紹介くださりありがとうございました🙇🏻🙏🏻 拝読したいと思います😊
人間は頭で言葉になる前に思考しているので、その頭に浮かんでいる言葉に振り回されなくて良いのです(笑)
その思考はエネルギーですし。
あと、身体は食べ物で出来ているのではなく、自分が思考したエネルギーの集合体なので実際食べなくとも生きられるし飢餓状態にはならない、というのが経験上でも実感しました。(飢餓はなんらかのストレスによるもので、ストレスがなければ自分が求め了解し合ったエネルギー達が物質体験する身体を構成します)。
西洋は左脳分別の信仰、東洋は右脳無分別の信仰ですね、どちらにも一長一短があり、甲乙つけがたいものです🧐
どーゆー事なのか詳しく聞きたいです。
年代が無駄に近いし、誰かに試されてるような気がするw
確かに脳の使い方の偏りかもしれませんね。甲乙つけがたい。という結論は、今の人間社会もうまく波乗りされているからかと思います。それは素晴らしいことですね。
ただ、私は、命の尊厳という人間の営みに軸を置いた場合、とてもアンバランスな人間社会になっていると危惧しています。そのバランスとりのためにも、この著書や、東洋思想、ニーチェの苦しみ、シュタイナーのうれいは、もっともっと公然と人類が共有していいのではないかと思っております。そうすることでよりバランスの取れた人が増え、生きやすい人類になっていくと信じています。貴方のご意見からはっきりと自分の立ち位置を確認できました。ありがとうございます😊
@@usppr9804 自分も現代社会は偏っていると考えていますが、社会のアンバランスさが、むしろバランスの大事さを学ばせてくれるような氣がします🤔中庸が大切ですね👍
ラジオの時報のスジャータがギャルだとは知らなかった。でも、私はコーヒーはブラックで飲む。だがギャルの施しは受けたい。自分がないからどうしたらいいかわかりませんw
後半にある、意思より先に脳が決めると言う研究ですが、その数年後、ベンジャミン・リベット自身が研究で、やはり意思の方が僅かに先だったと言ってますよ。0.2秒だけ、意思で脳からの指令も拒否できるそうです。
こちらの本とモラトリアムて言葉は最近流行ってるのでしょか?
「私」とは関係性で成り立ち、関係性の意味により変わる事と、素粒子量子で全てを観た場合全て量子であり形を変え循環の中で私は構成されてるため、私という肉体は存在するが、様々な人との縁起で私 という定義は変化し、心身も循環し続け変化するため、在るようで無い。自我を抜いた視点で捉えれば、空という事でしょうか。
縁起の考え方ですね。縁起により今の私は成立っているのだなぁという感謝と視点があれば、今自分が置かれた関係性、縁起を観てみると、今の役割が何か視えてくるかもしれませんね。要約ありがとうございます。
仙道とか興味ないですか?
高藤聡一郎の著書とか面白かった。もう昔なので書物は売ってないかな。
半世紀以上前 夏の林間学校で 高野山の宿坊に泊まり 怖い話を聞かされた挙句 暗い墓の道で 肝試し させられたことを 思い出しました。 今では 楽しい 思い出 ですが。
えー!?それは普通に怖い!笑
結婚…。ノンフィクションだと思ってました。
神は確かに居られます ロサンゼルス・ドジャースに御一人
ありのままを、見つめ続ければ、自ずとわかる事です。
仏教とか、哲学と、量子力学とか、ただの遠回りです。
そして、それらが告げている事は、真理の入り口に過ぎません。
もっともっと、深遠で実用的で、確かな理があります。
脊髄反射で痒い所をカク。その景色を見て脳が痒いから掻いていると認識する。
スジャーター( Sujātā सुजाता )
無いんじゃないヨ!
あってないんで、あるとないが
感じられるところまで行けば
あってもない、なくてもあるが
わかるよ?❗️
自我は、独立した存在ではなく、身体の反射的要素に過ぎないのではないかという仮説と、良い現実を作る為にすべき一つのこと。
初めに、身体外部からの刺激⇒身体の反応⇒自我が生まれ、好き嫌いを判断。
以上のような感じがしてます。
よく考えると、自分の欲求って「危機」を避けたい時や「幸福」を受けたい時に生まれていることに気が付きました。
・死にたくないから、避難する。
・幸せになりたいから、出世しお金を稼ぐ。
・寂しいから、恋人が欲しい。
・2択の内、何か分からないけど、こちらの方が好み。
と、このように環境からの情報に晒された身体が反応した結果、自我が生まれ、好き嫌いを評価する統括の役割を担ってる。
自我は、身体にとってセンサーの情報統括部でしかないのかもしれない。
ここまでが仮説。
ここから仮説を元に良い現実を作る為にすべき1つの事は、
「自分の本当の声を見定め、よく聞き、実行する事」
社会の条件によって言わされてる事ではなく、「自分はどう思うのか」を素直に聞き行動することで、良い現実を実現出来る。
コメントありがとうございます✨
私も最近、西田幾多郎さんの「純粋経験」という概念、リベット実験自由意志問題などから、おっしゃるような考えが腑に落ちてきました。
自我・思考・意志は後づけに過ぎない。
「自分の本当の声を見定め、よく聞き、実行する事」
ほんとにおっしゃる通りだと思いました!
自分の考えも深まりました。ありがとうございました✨
ドイツ哲学の教授に観念論はインド哲学と似てませんかと言ったら鼻で笑われた。哲学は弁証的に解法されなくては論理証明されたとは言えない。観念を弁証するから哲学であり、考えるな感じろや1+1=∞などという論理破綻を是とするものは宗教に過ぎないという意味らしい。まるで哀れなカルト信者のように見られたと感じました。
ブッタに救われた33歳です
仏教ではよく無我の境地とか言いますが、それって結局せっかく言語の発明によって「自分」「自我」というものを見出した人間の功績を元に戻しているだけなのでは?動物返りしていると言ってもいい。
その自我があるせいで人生は苦しいものになる。その苦しみから解放されたい人が学ぶのが仏教。苦しみたい人はそのままの生き方でいい。
@@5hu.9981 ということは仏教とは動物返りするためのもの、もしくは言語の否定につながるものになりますね。私は言語こそ人間存在の本質だと思っているし、言語を持ったままでも全然幸せになれると思っています。
@@kazuyyas.2263結局それも幻想です。悟りは悟りを開いた人にしか分からない世界です。数学的に無と無限はイコールの関係にあります。なので無我の境地に至ると全の感覚を知り、悟りを開けます。自分は悟りを開いていないので分からないですが、悟りを開いた人は皆、これまでに感じたことのない幸せを感じるといいます。
それはある程度的を射た批判だと思います
しかし人間も動物から生じたと考えると、動物にもある種の自我意識があるのでしょう
それを理解し無我を意識できるのは言語の切り分け力を持った人間だからこそだと思います
実際、阿羅漢に達した聖者は欲望に流されず人間として非常に尊敬すべき人物になると言われています
そもそも前提が単純化されていて、仏教の基本は諸行無常、諸法無我、涅槃寂静です
これらの概念はそれほど難しくないですが、現実と絡めると壮大な教えに発展をします
また調和を重んじますから、無我はその教えの一部分でしょうね
無我とはすなわち言語を放棄する、という意味ではなく、
苦しみを発生させる要因を見いだし超越しようとする向きが至る境地とした方が近いと思う。
尚、人間以外の生物は人間の言語を持たないけれども、それにより彼らには自我が無いとすることもできないはず。対外の個体を識別し選り好みを行う行為は、あらゆる種目の社会性を通しても様々に見てとれる。
人間以外の生物がストレスレスを目指す(向きがあるならば)そのプロセスはもちろん人間のそれとは異なるわけで、人間はやはり人間なりの努めをしようとするわけだ。それが宗教や哲学という思索の文化と言えるのでは。
内容はとても読みやすかった。
けど、ちょこちょこゾワっとした。
⚪︎⚪︎やん!とか、エモいよね!とか、するんよね?とか。
そうゆう言い回しがない方が良かった
へりくつこねる中学生か 原子や素粒子知らんのかと途中思ったわ
境界線が無い、頭で感じられなければ、虫や微生物へ近づいてくって事やろ
もっと人間らしく詭弁を極めようぜ!