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ずっとシュスターを扱って欲しいと願ってたのでありがたいです。74年大会からの海外ファンですが、今に至るまでいや永遠の推しがシュスターです。80年ヨーロッパ選手権での壮絶、圧巻なプレーの虜になりました。特にオランダ戦、一人で一瞬で流れを変えてしまうとはこういうことか、と痺れました。クロースとの話は初めて知りましたが、銀河系に囲まれ、国際舞台でも活躍できたクロースと違い、マラドーナ移籍後キャプテンとして当時平凡だったスペイン人たちを率いてバルサをチャンピオンズカップ決勝まで進めた王様シュスターでは、背負ってるものが違う。オーラが全然違います。あえていうなら、カミさんがよくなかったな。。
「そこまで言い切れる奥寺さんがすごいのですが」とか、マラドーナが「性格は自分と同じでクレイジーだが」とか、挿入コメントがフリーク好みで秀逸ですね!
この人こそ天才でしょうね。
サッカーマガジンの見出しに「シュスターを呼べ!」というのがあったのが記憶にあります。苦境にあった当時の西ドイツ代表に対するベッケンバウアーの言葉でした。その意味がようやくわかりました。ありがとうございます!!
ベッケンバウワーの誘いを断るとは本当に頑固だったんだな😂
シュスターが86年ワールドカップに出場していたら結果が違ったと当時言われてました奥さんの悪口をよく言われていて二度と代表に呼ばれても復帰しなかったです。
4:59 マラドンのシャイングウィザード
キャプテン翼のドイツ代表シェスターのモデルとなった選手ですね!
アジカンさんは、自分が生まれてない頃の名選手紹介してくれるから本当に勉強になる!
ありがとうございます。やっぱシュスターかっけー!レヴァークーゼンの頃はリベロ。あの位置からのロングパスの精度がヤバかった。そのプレイを観てなかったら自分のプレイスタイルも違うものになってたでしょう。
こうゆう名選手によくある「周りと合わなくて代表を辞退した」や、「チームを退団した」という話があるけど、そうゆう気難しさや、自由奔放さがあるからこそ、創造的なサッカーを体現できるのかなぁ⁉️と思います🤔
めちゃくちゃ大好きな選手でした!特にバルサ時代。世代でしたので。奥寺さんすげーなやっぱ。ジェフのジュニアユースで奥寺さんの目にとまらなかったです😂
ドイツでは非常に珍しいファンタジスタですよね!代表引退も早かったし、個人的に天才肌なのかな?と思います!
世界選抜軍の一員としてバルセロナと対戦したことのあるミシェル・プラティニが、「彼は私がその才能に恐れを抱いた唯一の選手です。」と語っていたインタビュー記事が印象的でした。
だいぶ昔ではありますが、学生時代にサッカーをしていました。そういう時代に憧れだった選手たちを紹介していただいて大変懐かしく拝見しましたので感謝します。
シュスターすげえ 惚れた
シュスターもゴイコチェアのタックルの被害を受けていたのは知りませんでした。24歳で代表から離れていたとは。ワールドカップで見たかった…。
ドイツ好きなのでビアホフもやってもらいたいです!チェコのヤンコラーももしお願いできれば。
シュスターが何でワールドカップに出てなかったのか、やっと理由がわかりました。ありがとうございます。そのシュスターマラドーナとメッシ、どっちが上だと聞かれて"僕はマラドーナだと思う、僕等の時代は今のカーペットピッチではなくぐちゃぐちゃまた、ファールは悪質でマラドーナに対するファールは気分が悪くなるほど酷いものだったよ、そんな中でもマラドーナは別格だったよ今はレフリーが守ってくれるからね"
幼少期めちゃくちゃ大好きな選手でした!奥寺さんすげーなやっぱ。ジェフのジュニアユースで奥寺さんの目にとまらなかったです😂
懐かしい!!見た目もプレースタイルも華のある選手でしたがW杯には縁がなかったですね😢
80〜90年代、2000年代初頭の選手が面白いスネ。
アジカンさんこのチャンネルは素晴らしいこのチャンネル大好きす
中学生の頃のサッカー雑誌に、アディダスのスパイクでベルントシュスターってあったな。こんな伝説だったんですね。勉強になりました。
守備やらサイドハーフやら便利屋になりつつあったラウールをストライカーとして復活させてくれた偉大な監督
シュスター時代のマドリーはけっこう面白かったけどねちょうどグティがチャンスメーカーとして円熟味を増し、ラウールとのホットラインも最高だった
クラブでは輝いてるのに代表にはあまり縁がなかったり入っても輝けずに終わる選手って稀にいますよね。ファンタジスタ系が特にそうなのかな。
シュスターさん生き様ロックン・ロール過ぎるぜ!😮
日本代表監督がアギーレからハリルホジッチに替わる時、ラウドルップと並んでシュスターも候補としてメディアに名前が出てきましたね。ああJFAにも往年の海外サッカーファンがいるんだなあ、とwラウドルップは実際にJFAから接触があったことを認めてましたね。
この時代のドイツ代表とは合わなかったのが残念ですねぇ~ドイツ人ぽくないファンタジスタで好きです✨
シュスターとんでもない能力があるのにとんでもなクレイジーな男だなww
4:17 マジで肉屋で草。
ベルントシュスターまだ欧州サッカーの映像が乏しい時代シュスターの記事を読んですぐに俺のアイドルになった。反逆の異端児にしてトラブルをすべてそのプレーとゴールで解決した金髪の天使ってどんだけ心をワクワクさせる言葉を並び立てる男なんだって
86年大会で、シュスターをネッツァーと重ね、ネッツァータイプのシュスターよりマテウスだ。彼はオベラーツタイプだと話す年配のサッカーファンがおられました。後年、海外サッカーが容易に見れる環境になりました。マテウスがオベラーツみたいだとは思えませんでしたが、ネッツァーみたいだと形容され、強く憧れていたシュスターがレバークーゼンで、リベロとして最悪のプレーをしてるのを見て、深く深く落胆しました。全盛期のプレーをもっと見たかった選手です。
見た目が王子様なのに、性格がヤンキー兄ちゃんなのが面白すぎるw
キャプテン翼の西ドイツ10番のシェスターて、モデルこの人!?と言うより、間違いないだろうな(笑)
確かに上手い!でも全盛期にワールドカップ断っちゃたのは本当にもったいないですね…動画面白かったです!
アトレティコは当時そうでも無かったとはいえバルサ、ヤオリー、アトレティコの三クラブでプレーした選手は珍しいね
いつも楽しく視聴してます😊今回のシュスター選手の知らなかったことも知れました。個人的に、ベルバトフの特集して頂けたら嬉しいです。
シュスターという選手は知らなかったです。実力ある選手なのは間違いなし、W杯に出ていれば存在感は半端ない!
バルサ マドリード アトレティコでプレイしたし、マドリードの監督もしたレジェンドだけど
シュスター、W杯でのプレー観たかったわ皇帝から要請あって当時サッカーファンから代表復帰の期待値高まってたんだよねショルやダイスラーといいドイツでは珍しい天才肌の選手がW杯で縁がなかったというのは残念
歯痛が酷いで退団は笑った。
なんたって、シュスターの息子はお父さんにそっくりでした。写真を見て笑ったくらい。
天才肌故に頑固な性格、それと怪我さえなければと思います。
アジアンさん、こんばんはあのリトル・シュスター(グティ)の師匠、本家シュスターの特集、ありがとうございます😀名前はグティの動画で初めて知った程度なので、どれくらいすごいのかは知らなかったのですが、本家もすごいですそれにしても、行く先々で人間関係のトラブルが絶えなかったんですね😅よく言えば「自分をしっかり持っている。相手に媚びず自分の意見を言える」と言えば聞けはいいですが、一言謝ったり、もっと聞く耳あればとも思います。とはいえ、ピッチの上に立てば、まさに規格外、まさに将軍ですね😊しかし事情があったとはいえ、4度もワールドカップに出なかったというのもある意味すごいですね😅
レアル監督時代に売り物にしようとしてたロビーニョを頑なに「売るな」と言ってたのがシュスターでした。ここの判断は間違えてなかったと思っています。
シュナイダーの相棒、シェスターか。
性格て大事やな😮
以前サッカー雑誌で、マラドーナがボールの本当の真芯を蹴れるのは世界に3人いて本人とプラティニそしてシュスターだと話していたそうです。納得です。
ベルント・シュスター!!!エレガントでテクニカルでスタイリッシュなビューティフルプレイヤーでした!おいこら!老害ブライトナー!その席シュスターに譲れや、と今更ながら1982西ドイツ代表にもの申したくなりますな
シュスターは知ってます凄いゲームメイカーだと、wccfで自引きした時は嬉しくてどうしようもなかったです。もちろん使いました、トップ下で80年代を代表するプレイヤーです
ヘスラー、リードレ辺りもお願いしやす🙇
私からもヘスラー特集お願いしやす~🙏💦大好きでした💕
1978年頃ケルンに預けられていた西野朗さん、金田さんらはシュスターより巧いと言われたらしいね。もし、あの時に代表監督が替わらず、ドイツ路線が、すすんでいたら80年代のサッカーレベル変わっていたかもな。尾崎さん、風間さんらだけではなく、日本サッカーからヨーロッパにもっとすんなりいけたかもしれないし、変わらなかったかもしれない。
マラドーナの膝蹴りが凄すぎるwそれとボスマンを引き合いに出すのは断じて違う彼は弁護士らに利用されたのでありシュスターのそれとは違う
次回の特集はオランダのにーすけんすどうですか?
1980年、EUROで国際大会デビューし、見事優勝を果たした。しかし、1982年ワールドカップにはケガでメンバー入りできず...。1986年ワールドカップは代理人である元妻が金銭で納得いかず、メンバー入りしなかった。1980年代は不在が惜しまれることに...。2007-2008シーズンは監督として見事レアルをラ・リーガ優勝へ導いた。
マラドーナにしましても天才ともてはやされますと何かと問題を抱えそうです。それは天才ゆえの苦悩もあるでしょうが。
一時期は🇯🇵日本代表監督の候補にもなってましたよね。
キャプツバの影響で、シェスターだと思ってたw
ウイイレでめちゃくちゃ使ってたなあ
メラーやヘスラー、エッフェンベルグあげてください!
もしシュスターがW杯に出場していたらドイツ代表のユニフォームの星の数はもっと多くブラジルと同じか、それ以上だったかもしれません。
少なくとも82年と86年は西ドイツが優勝していて、今では星は6つになっていたと思いたいですね。
Schuster(靴屋)Schumacher(靴屋)が同じチームにいたというw
そういや、シュスターはJリーグの噂もあったね。まあ、日本には来てくれなかっただろうが、Jリーグで観てみたかったなぁ。
ダイヤモンドサッカーやNHK BSのサッカーの録画中継で見た程度なので若い頃や全盛期の頃のような派手さや華やかさは、もう無かったけどそれでも柔らかなボールタッチやパスセンスを見て、頼むから92ユーロや94W杯に出場してくれ~って当時は思ったもんです当時はきっと監督のベッケンバウアーやマテウス、フェラー、クリンスマン辺りと反りが合わないからなんだろうな~って当時は想像してましたが奥さん絡みが真相だったんですね
エッフェンベルクも悪いとこ似てるんだよなぁ
私はこれ(中指)で、代表辞めましたbyエッフェンベルク
ビッグクラブのフロントは猛獣使いでなくてはなりません。サポーターは品行方正な態度よりプレーで結果で示してくれる選手を見たかったはず。クラブで活躍できでも代表では力を発揮できなかった選手はいたりしますね。監督の技量にもよるでしょう。
小学生の頃、何でシュスターは西ドイツ代表に居ないんだろうと思ってたなあ🤔
W杯でシュスターの代わりに選ばれたのが凡庸なマガトだったんじゃなかったっけ?
すごい選手なのは知ってたけど性格が大分アレだったのか・・・
キャプテン翼でシェスターっていましたがこの方がモデルっぽいですね(^-^)
シュスターは、ハンジ・ミュラーの誕生パーティに出席した中で、他に出席した選手たちに奥様の前歴についていろいろ言われたことが決裂を決定的にしたと当時の雑誌に書いてあった記憶があります。彼も、ベッケンバウアーやマテウス、オラフ・トーンとともに中盤の選手が後年リベロに下がった例になりましたね。懐かしい!
対ブラジル戦の後でしたね。その試合はシュツットガルトの本拠地のネッカースタジアムで行われて、試合後ハンジ・ミュラーの自宅でバーベキューをしたと記憶しています。前年のコパ・デ・オロにシュスターが参加していたらハンジ・ミュラーの負担が少なくなってドイツがグループリーグで退敗することはなかったと思っています。
天才とはレールから外れるもんなんだよ。マラドーナだってクライフやプラティ二もそうだったように!
ゴイコチェア懐かしいね、スペイン代表にいたような気がする。86年のW杯拒否したのはもったいなさすぎる、ちょうどゲームメーカーがいなかったからね、出場してたらドイツ優勝もあった
ゴイコエチェアね、マリノスにも来た。ゴイコチェアはアルゼンチンのキーパーで別人。
日本代表の監督になって下さい。
キャプ翼のシェスター?🇩🇪。
奥さんが年上なのも代表から嫌われたとか書いてるのを本で見ましたが遠因ではないみたいですね。改めて70年ネッツァー·80年シュスターとヘスラーとメラー·90年ヘスラーとメラー…美しい系譜ですねまたテリー・ヴェナブルズがバルサ監督していたのはびっくりしました。ところでバルサとヴェナブルズは合っていたんでしょうかね
その時、バルサの9番はかのリネカーでした。レアルマドリーに対してハットトリックをブチかましてました。
バルセロナがボビーロブソンにオファー。ボビーロブソンが断り、ヴェナブルズを紹介という流れです。
@@masanorisukegawa804 バスク地方とイングランドサッカーは関わりが深いみたいですから監督もイングランド人みたいなその流れでの招聘でしょうかね。後年バルサをロブソンが率いたのは二度目のオファーに応えた形なんですね。勉強になりました。
何が、とは言わないがジョアン・フェリックスには期待したい。まだまだ若いしね(笑)
いやーでも当時のヨーロッパサッカーのスターとしてはこれくらいの破天荒ぶりが調度良い気するな笑😂こういう孤高の天才、トラブルメーカーみたいなスターに憧れる男も多い
暴力的ではないし、アルコールにも女遊びにもふけるわけでもなさそう。ただ、真面目なゆえに頑固で気難しい変人的なところがあって、それでトラブル続きだったんだろうな。芸術家とかに多い性格だよな。
同じ10番タイプでも、ガスコインなんてもっとハチャメチャでしたからねぇ
キャプテン翼ではシェスター。
ダイヤモンドサッカーでは良く見たけど、W杯では見れなかった・・・欧州選手権優勝後、彼の妻は元✕✕✕だったと書き立てた西ドイツの週刊誌、頭にきたシュスターは「もう二度と代表チームではプレーしないとマジ切れ」、古今東西週刊誌って碌なもんじゃない、当時そんなことが本当にあるのか思いました、たぶんサッカー誌の記事だったと思いますアジアカップ中に伊東の記事が出たとき、シュスターのことを思い出しました
シュスターといいエッフェンベルクといいドイツのコンダクターは協調性のない個人主義者だな。シュスターがいたら82か86のW杯決勝がどうなっていたかは知らんけど。
ギュンター・ネッツァーと被りすぎ(笑)
まあ、1980年のユーロで貢献したみたいだし代表に全く無縁だったワケでもないかな?でも、マテウスと一緒にプレーするトコロを見たかった…
トニ・クロースに近いならファンタジスタではないような、、、
エッフェンベルクにしてもクロースにしてもシュスターにしても、ドイツの金髪ゲームメーカーはみんな何考えてんだかよくわからん人ですね。代表に対してもどこか素っ気ないところなんかも。
天才にありがちなことでしょうかね。それでも上層部の懐が狭いようで残念。薬は元々が毒、使いようで薬になるんだと思う。
スタンハンセンに似てる
ウィー‼️
スタハンセン⁉️誰だよ。(笑)スタン・ハンセンと言うプロレスラーはいたけど。
確かに若い頃のハンセンに似てる
@@陽人鈴木 スタハンセンから編集してスタンハンセンになっているわ。(笑)
@@陽人鈴木 髪質は似ているが、顔は似てねえよ。(笑)
ギュンターネッツアーよりも天才だったのかなあ 映像を見る限りそうなのかもしれないそうかあブライトナーとそりが合わなかったんか 残念やなあブライトナーにベッケンバウアーがいたように シュスターにも誰かいればなあ ルンメニゲなんとかしたれよw結局奥さんと離婚しとんかいなw なにしとんねんw どこにいっても揉めるねえ
当然好き々々はあるが、私の中では世界のサッカー史上クライフに次ぐ2番目の選手。ペレでもジーコでもマラドーナでもなく、シュスター。ただ、当時の話ではシュスター以上に奥さんがやばかったと聞きました。代表拒否も奥さんの指示だったとか。どうでもいいがこのup主はサッカーを知らないのだろう。アウクスブルクだしベナブルズ。サッカーを知っていたら間違うはずのないところを間違えている。
殷の妲己と同じ悪女を嫁にして失敗した.男は女で身を滅ぼすと言う典型かも知れない.女を遊びと捉える事は出来ないほど真面目だったのかも知れない
シュスターさんは私よりも世代が上で減液バリバリのプレーは見ていませんが映像で見て「なんだこの俳優みたいな金髪大スターは😮」思いましたよ。奥寺さんはハッキリ言う人。だからケルン時代はそんなに上手くなかったってのは驚きですがそうなのでしょう。ま、奥寺さんの上手い!の基準がレベチですけれどね笑マラドーナだけではなくシュスターさんもゴイコエチェアにヤラれたのか。。不運でしかないなぁ。
クロースと比べるならネッツァーでしょ。
ドイツのサッカー選手の中では、最高のファンタジスタ。93~94シーズンのレバークーゼンでは、確かリベロやってたような。ドイツってトップ下の選手をリベロにコンバートするのが好きなのね。ベッケンバウアーしかり、マテウスしかり
奥寺さんはシュスターは周りとコミュニケーションをあまりとらない内向的な人物でリッティーは対照的に明るく付き合いやすい選手だったと以前雑誌で読んだ記憶があります。ある人が自分が変わらなければ周りも変わらないと話してました。そこに早く気がつけばもっと才能を開花させたのではと思います。サッカーはチームスポーツなんでチーム内で活かせない個性は排除されますよね。それはオーナーも監督もスタッフも同様で反りが合わない人は必ずいるはずでそれでもベタベタする必要はないので関係性は良好に保つくらいはしないと大人としては失格ですよ。どこかで相手に気を遣わないと人間としても選手としても生きていけないと思います。相手チームに対してもそうではないでしょうか?
ギュンターネッツアーとシュスターが何故か似たもの同士⁇同一人物に見えた。エライ勘違いをしてました。
金髪、マドリー、パスが正確、W杯ではあまり…な点とかそっくりですよね。
誤る→謝る
かも、ではなくクロースより上です
クロースとはプレースタイル全然ちがうでしょ
ずっとシュスターを扱って欲しいと願ってたのでありがたいです。
74年大会からの海外ファンですが、今に至るまでいや永遠の推しがシュスターです。80年ヨーロッパ選手権での壮絶、圧巻なプレーの虜になりました。特にオランダ戦、一人で一瞬で流れを変えてしまうとはこういうことか、と痺れました。
クロースとの話は初めて知りましたが、銀河系に囲まれ、国際舞台でも活躍できたクロースと違い、マラドーナ移籍後キャプテンとして当時平凡だったスペイン人たちを率いてバルサをチャンピオンズカップ決勝まで進めた王様シュスターでは、背負ってるものが違う。オーラが全然違います。
あえていうなら、カミさんがよくなかったな。。
「そこまで言い切れる奥寺さんがすごいのですが」とか、マラドーナが「性格は自分と同じでクレイジーだが」とか、挿入コメントがフリーク好みで秀逸ですね!
この人こそ天才でしょうね。
サッカーマガジンの見出しに「シュスターを呼べ!」というのがあったのが記憶にあります。苦境にあった当時の西ドイツ代表に対するベッケンバウアーの言葉でした。その意味がようやくわかりました。ありがとうございます!!
ベッケンバウワーの誘いを断るとは本当に頑固だったんだな😂
シュスターが86年ワールドカップに出場していたら結果が違ったと当時言われてました
奥さんの悪口をよく言われていて二度と代表に呼ばれても復帰しなかったです。
4:59 マラドンのシャイングウィザード
キャプテン翼のドイツ代表シェスターのモデルとなった選手ですね!
アジカンさんは、自分が生まれてない頃の名選手紹介してくれるから本当に勉強になる!
ありがとうございます。やっぱシュスターかっけー!レヴァークーゼンの頃はリベロ。あの位置からのロングパスの精度がヤバかった。そのプレイを観てなかったら自分のプレイスタイルも違うものになってたでしょう。
こうゆう名選手によくある
「周りと合わなくて代表を辞退した」や、「チームを退団した」という話があるけど、そうゆう気難しさや、自由奔放さがあるからこそ、創造的なサッカーを体現できるのかなぁ⁉️と思います🤔
めちゃくちゃ大好きな選手でした!
特にバルサ時代。
世代でしたので。
奥寺さんすげーなやっぱ。
ジェフのジュニアユースで奥寺さんの目にとまらなかったです😂
ドイツでは非常に珍しいファンタジスタですよね!代表引退も早かったし、個人的に天才肌なのかな?と思います!
世界選抜軍の一員としてバルセロナと対戦したことのあるミシェル・プラティニが、「彼は私がその才能に恐れを抱いた唯一の選手です。」と語っていたインタビュー記事が印象的でした。
だいぶ昔ではありますが、学生時代にサッカーをしていました。
そういう時代に憧れだった選手たちを紹介していただいて大変懐かしく拝見しましたので感謝します。
シュスターすげえ 惚れた
シュスターもゴイコチェアのタックルの被害を受けていたのは知りませんでした。24歳で代表から離れていたとは。ワールドカップで見たかった…。
ドイツ好きなのでビアホフもやってもらいたいです!
チェコのヤンコラーももしお願いできれば。
シュスターが何でワールドカップに出てなかったのか、やっと理由がわかりました。
ありがとうございます。
そのシュスター
マラドーナとメッシ、どっちが上だと聞かれて
"僕はマラドーナだと思う、僕等の時代は今のカーペットピッチではなくぐちゃぐちゃ
また、ファールは悪質でマラドーナに対するファールは気分が悪くなるほど酷いものだったよ、そんな中でもマラドーナは別格だったよ
今はレフリーが守ってくれるからね"
幼少期めちゃくちゃ大好きな選手でした!
奥寺さんすげーなやっぱ。
ジェフのジュニアユースで奥寺さんの目にとまらなかったです😂
懐かしい!!見た目もプレースタイルも華のある選手でしたがW杯には縁がなかったですね😢
80〜90年代、2000年代初頭の選手が面白いスネ。
アジカンさんこのチャンネルは素晴らしいこのチャンネル大好きす
中学生の頃のサッカー雑誌に、アディダスのスパイクでベルントシュスターってあったな。こんな伝説だったんですね。勉強になりました。
守備やらサイドハーフやら便利屋になりつつあったラウールをストライカーとして復活させてくれた偉大な監督
シュスター時代のマドリーはけっこう面白かったけどね
ちょうどグティがチャンスメーカーとして円熟味を増し、ラウールとのホットラインも最高だった
クラブでは輝いてるのに代表にはあまり縁がなかったり入っても輝けずに終わる選手って稀にいますよね。
ファンタジスタ系が特にそうなのかな。
シュスターさん生き様ロックン・ロール過ぎるぜ!😮
日本代表監督がアギーレからハリルホジッチに替わる時、ラウドルップと並んでシュスターも候補としてメディアに名前が出てきましたね。
ああJFAにも往年の海外サッカーファンがいるんだなあ、とw
ラウドルップは実際にJFAから接触があったことを認めてましたね。
この時代のドイツ代表とは合わなかったのが残念ですねぇ~ドイツ人ぽくないファンタジスタで好きです✨
シュスター
とんでもない能力があるのに
とんでもなクレイジーな男だなww
4:17 マジで肉屋で草。
ベルントシュスター
まだ欧州サッカーの映像が乏しい時代
シュスターの記事を読んですぐに俺のアイドルになった。反逆の異端児にしてトラブルをすべてそのプレーとゴールで解決した金髪の天使ってどんだけ心をワクワクさせる言葉を並び立てる男なんだって
86年大会で、シュスターをネッツァーと重ね、ネッツァータイプのシュスターよりマテウスだ。彼はオベラーツタイプだと話す年配のサッカーファンがおられました。
後年、海外サッカーが容易に見れる環境になりました。
マテウスがオベラーツみたいだとは思えませんでしたが、ネッツァーみたいだと形容され、強く憧れていたシュスターがレバークーゼンで、リベロとして最悪のプレーをしてるのを見て、深く深く落胆しました。
全盛期のプレーをもっと見たかった選手です。
見た目が王子様なのに、性格がヤンキー兄ちゃんなのが面白すぎるw
キャプテン翼の西ドイツ10番のシェスターて、モデルこの人!?
と言うより、間違いないだろうな(笑)
確かに上手い!でも全盛期にワールドカップ断っちゃたのは本当にもったいないですね…
動画面白かったです!
アトレティコは当時そうでも無かったとはいえバルサ、ヤオリー、アトレティコの三クラブでプレーした選手は珍しいね
いつも楽しく視聴してます😊
今回のシュスター選手の知らなかったことも知れました。
個人的に、ベルバトフの特集して頂けたら嬉しいです。
シュスターという選手は知らなかったです。実力ある選手なのは間違いなし、W杯に出ていれば存在感は半端ない!
バルサ マドリード アトレティコでプレイしたし、マドリードの監督もしたレジェンドだけど
シュスター、W杯でのプレー観たかったわ
皇帝から要請あって当時サッカーファンから代表復帰の期待値高まってたんだよね
ショルやダイスラーといいドイツでは珍しい天才肌の選手がW杯で縁がなかったというのは残念
歯痛が酷いで退団は笑った。
なんたって、シュスターの息子はお父さんにそっくりでした。写真を見て笑ったくらい。
天才肌故に頑固な性格、それと怪我さえなければと思います。
アジアンさん、こんばんは
あのリトル・シュスター(グティ)の師匠、本家シュスターの特集、ありがとうございます😀
名前はグティの動画で初めて知った程度なので、どれくらいすごいのかは知らなかったのですが、本家もすごいです
それにしても、行く先々で人間関係のトラブルが絶えなかったんですね😅
よく言えば「自分をしっかり持っている。相手に媚びず自分の意見を言える」と言えば聞けはいいですが、一言謝ったり、もっと聞く耳あればとも思います。
とはいえ、ピッチの上に立てば、まさに規格外、まさに将軍ですね😊
しかし事情があったとはいえ、4度もワールドカップに出なかったというのもある意味すごいですね😅
レアル監督時代に売り物にしようとしてたロビーニョを頑なに「売るな」と言ってたのがシュスターでした。ここの判断は間違えてなかったと思っています。
シュナイダーの相棒、シェスターか。
性格て大事やな😮
以前サッカー雑誌で、マラドーナが
ボールの本当の真芯を蹴れるのは
世界に3人いて
本人とプラティニそしてシュスター
だと話していたそうです。納得です。
ベルント・シュスター!!!エレガントでテクニカルでスタイリッシュなビューティフルプレイヤーでした!おいこら!老害ブライトナー!その席シュスターに譲れや、と今更ながら1982西ドイツ代表にもの申したくなりますな
シュスターは知ってます凄いゲームメイカーだと、wccfで自引きした時は嬉しくてどうしようもなかったです。もちろん使いました、トップ下で80年代を代表するプレイヤーです
ヘスラー、リードレ辺りもお願いしやす🙇
私からもヘスラー特集お願いしやす~🙏💦
大好きでした💕
1978年頃ケルンに預けられていた西野朗さん、金田さんらはシュスターより巧いと言われたらしいね。もし、あの時に代表監督が替わらず、ドイツ路線が、すすんでいたら80年代のサッカーレベル変わっていたかもな。尾崎さん、風間さんらだけではなく、日本サッカーからヨーロッパにもっとすんなりいけたかもしれないし、変わらなかったかもしれない。
マラドーナの膝蹴りが凄すぎるw
それとボスマンを引き合いに出すのは断じて違う
彼は弁護士らに利用されたのでありシュスターのそれとは違う
次回の特集はオランダのにーすけんすどうですか?
1980年、EUROで国際大会デビューし、見事優勝を果たした。しかし、1982年ワールドカップにはケガでメンバー入りできず...。1986年ワールドカップは代理人である元妻が金銭で納得いかず、メンバー入りしなかった。1980年代は不在が惜しまれることに...。
2007-2008シーズンは監督として見事レアルをラ・リーガ優勝へ導いた。
マラドーナにしましても天才ともてはやされますと何かと問題を抱えそうです。
それは天才ゆえの苦悩もあるでしょうが。
一時期は🇯🇵日本代表監督の候補にもなってましたよね。
キャプツバの影響で、
シェスターだと思ってたw
ウイイレでめちゃくちゃ使ってたなあ
メラーやヘスラー、エッフェンベルグあげてください!
もしシュスターがW杯に出場していたらドイツ代表のユニフォームの星の数はもっと多くブラジルと同じか、それ以上だったかもしれません。
少なくとも82年と86年は西ドイツが優勝していて、今では星は6つになっていたと思いたいですね。
Schuster(靴屋)Schumacher(靴屋)が同じチームにいたというw
そういや、シュスターはJリーグの噂もあったね。まあ、日本には来てくれなかっただろうが、Jリーグで観てみたかったなぁ。
ダイヤモンドサッカーやNHK BSのサッカーの録画中継で見た程度なので若い頃や全盛期の頃のような派手さや華やかさは、もう無かったけど
それでも柔らかなボールタッチやパスセンスを見て、頼むから92ユーロや94W杯に出場してくれ~って当時は思ったもんです
当時はきっと監督のベッケンバウアーやマテウス、フェラー、クリンスマン辺りと反りが合わないからなんだろうな~
って当時は想像してましたが奥さん絡みが真相だったんですね
エッフェンベルクも悪いとこ似てるんだよなぁ
私はこれ(中指)で、代表辞めましたbyエッフェンベルク
ビッグクラブのフロントは猛獣使いでなくてはなりません。サポーターは品行方正な態度よりプレーで結果で示してくれる選手を見たかったはず。クラブで活躍できでも代表では力を発揮できなかった選手はいたりしますね。監督の技量にもよるでしょう。
小学生の頃、何でシュスターは西ドイツ代表に居ないんだろうと思ってたなあ🤔
W杯でシュスターの代わりに選ばれたのが凡庸なマガトだったんじゃなかったっけ?
すごい選手なのは知ってたけど性格が大分アレだったのか・・・
キャプテン翼でシェスターっていましたがこの方がモデルっぽいですね
(^-^)
シュスターは、ハンジ・ミュラーの誕生パーティに出席した中で、他に出席した選手たちに奥様の前歴についていろいろ言われたことが決裂を決定的にしたと当時の雑誌に書いてあった記憶があります。
彼も、ベッケンバウアーやマテウス、オラフ・トーンとともに中盤の選手が後年リベロに下がった例になりましたね。懐かしい!
対ブラジル戦の後でしたね。その試合はシュツットガルトの本拠地のネッカースタジアムで行われて、試合後ハンジ・ミュラーの自宅でバーベキューをしたと記憶しています。前年のコパ・デ・オロにシュスターが参加していたらハンジ・ミュラーの負担が少なくなってドイツがグループリーグで退敗することはなかったと思っています。
天才とはレールから外れるもんなんだよ。
マラドーナだってクライフやプラティ二もそうだったように!
ゴイコチェア懐かしいね、スペイン代表にいたような気がする。86年のW杯拒否したのはもったいなさすぎる、ちょうどゲームメーカーがいなかったからね、出場してたらドイツ優勝もあった
ゴイコエチェアね、マリノスにも来た。ゴイコチェアはアルゼンチンのキーパーで別人。
日本代表の監督になって下さい。
キャプ翼のシェスター?🇩🇪。
奥さんが年上なのも代表から嫌われたとか書いてるのを本で見ましたが遠因ではないみたいですね。改めて70年ネッツァー·80年シュスターとヘスラーとメラー·90年ヘスラーとメラー…美しい系譜ですね
またテリー・ヴェナブルズがバルサ監督していたのはびっくりしました。
ところでバルサとヴェナブルズは
合っていたんでしょうかね
その時、バルサの9番はかのリネカーでした。レアルマドリーに対してハットトリックをブチかましてました。
バルセロナがボビーロブソンにオファー。ボビーロブソンが断り、ヴェナブルズを紹介という流れです。
@@masanorisukegawa804 バスク地方と
イングランドサッカーは関わりが深いみたいですから監督もイングランド人みたいなその流れでの招聘でしょうかね。
後年バルサをロブソンが率いたのは二度目のオファーに応えた形なんですね。
勉強になりました。
何が、とは言わないがジョアン・フェリックスには期待したい。まだまだ若いしね(笑)
いやーでも当時のヨーロッパサッカーのスターとしてはこれくらいの破天荒ぶりが調度良い気するな笑😂
こういう孤高の天才、トラブルメーカーみたいなスターに憧れる男も多い
暴力的ではないし、アルコール
にも女遊びにもふける
わけでもなさそう。
ただ、真面目なゆえに
頑固で気難しい変人的な
ところがあって、
それでトラブル続きだったん
だろうな。
芸術家とかに多い性格だよな。
同じ10番タイプでも、ガスコインなんてもっとハチャメチャでしたからねぇ
キャプテン翼ではシェスター。
ダイヤモンドサッカーでは良く見たけど、W杯では見れなかった・・・
欧州選手権優勝後、彼の妻は元✕✕✕だったと書き立てた西ドイツの週刊誌、頭にきたシュスターは「もう二度と代表チームではプレーしないとマジ切れ」、古今東西週刊誌って碌なもんじゃない、当時そんなことが本当にあるのか思いました、たぶんサッカー誌の記事だったと思います
アジアカップ中に伊東の記事が出たとき、シュスターのことを思い出しました
シュスターといいエッフェンベルクといいドイツのコンダクターは協調性のない個人主義者だな。
シュスターがいたら82か86のW杯決勝がどうなっていたかは知らんけど。
ギュンター・ネッツァーと被りすぎ(笑)
まあ、1980年のユーロで貢献したみたいだし
代表に全く無縁だったワケでもないかな?
でも、マテウスと一緒にプレーするトコロを見たかった…
トニ・クロースに近いならファンタジスタではないような、、、
エッフェンベルクにしてもクロースにしてもシュスターにしても、ドイツの金髪ゲームメーカーはみんな何考えてんだかよくわからん人ですね。
代表に対してもどこか素っ気ないところなんかも。
天才にありがちなことでしょうかね。それでも上層部の懐が狭いようで残念。薬は元々が毒、使いようで薬になるんだと思う。
スタンハンセンに似てる
ウィー‼️
スタハンセン⁉️誰だよ。(笑)
スタン・ハンセンと言うプロレスラーはいたけど。
確かに若い頃のハンセンに似てる
@@陽人鈴木
スタハンセンから編集してスタンハンセンになっているわ。(笑)
@@陽人鈴木
髪質は似ているが、顔は似てねえよ。(笑)
ギュンターネッツアーよりも天才だったのかなあ 映像を見る限りそうなのかもしれない
そうかあブライトナーとそりが合わなかったんか 残念やなあ
ブライトナーにベッケンバウアーがいたように シュスターにも誰かいればなあ ルンメニゲなんとかしたれよw
結局奥さんと離婚しとんかいなw なにしとんねんw どこにいっても揉めるねえ
当然好き々々はあるが、私の中では世界のサッカー史上クライフに次ぐ2番目の選手。ペレでもジーコでもマラドーナでもなく、シュスター。ただ、当時の話ではシュスター以上に奥さんがやばかったと聞きました。代表拒否も奥さんの指示だったとか。どうでもいいがこのup主はサッカーを知らないのだろう。アウクスブルクだしベナブルズ。サッカーを知っていたら間違うはずのないところを間違えている。
殷の妲己と同じ悪女を嫁にして失敗した.
男は女で身を滅ぼすと言う典型かも知れない.
女を遊びと捉える事は出来ないほど真面目だったのかも知れない
シュスターさんは私よりも世代が上で減液バリバリのプレーは見ていませんが映像で見て「なんだこの俳優みたいな金髪大スターは😮」思いましたよ。奥寺さんはハッキリ言う人。だからケルン時代はそんなに上手くなかったってのは驚きですがそうなのでしょう。ま、奥寺さんの上手い!の基準がレベチですけれどね笑
マラドーナだけではなくシュスターさんもゴイコエチェアにヤラれたのか。。不運でしかないなぁ。
クロースと比べるならネッツァーでしょ。
ドイツのサッカー選手の中では、最高のファンタジスタ。93~94シーズンのレバークーゼンでは、確かリベロやってたような。
ドイツってトップ下の選手をリベロにコンバートするのが好きなのね。ベッケンバウアーしかり、マテウスしかり
奥寺さんはシュスターは周りとコミュニケーションをあまりとらない内向的な人物でリッティーは対照的に明るく付き合いやすい選手だったと以前雑誌で読んだ記憶があります。ある人が自分が変わらなければ周りも変わらないと話してました。そこに早く気がつけばもっと才能を開花させたのではと思います。サッカーはチームスポーツなんでチーム内で活かせない個性は排除されますよね。それはオーナーも監督もスタッフも同様で反りが合わない人は必ずいるはずでそれでもベタベタする必要はないので関係性は良好に保つくらいはしないと大人としては失格ですよ。どこかで相手に気を遣わないと人間としても選手としても生きていけないと思います。相手チームに対してもそうではないでしょうか?
ギュンターネッツアーとシュスターが何故か似たもの同士⁇同一人物に見えた。エライ勘違いをしてました。
金髪、マドリー、パスが正確、W杯ではあまり…な点とかそっくりですよね。
誤る→謝る
かも、ではなくクロースより上です
クロースとはプレースタイル全然ちがうでしょ