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高科様いつもありがとうございます。今回も「お前はどうじゃ」のサーブを頂きました。地獄にするのも極楽にするのも私の気持ち次第なんですね。相田みつをさんの「奪い合えば足らぬ、分け合えば余る。」の自利利他の言葉も沁みます。それでも私みたいな凡夫は「相手へ向ける箸の回数と私に向ける箸の回数が違う」とか、「あなたには大きい方をあげたのに、私にくれるのは小さい」とか言いそうです。そんないろんな事を考えれば、地獄一定間違いありません。せめて私がここに居ることができるのは、ご縁のある皆さんのお陰だと心に言い聞かせ、「彌陀をたのむ」しかありません。ありがとうございました。南無阿弥陀仏合掌
しろくま様ご視聴、コメントありがとうございます。『「相手へ向ける箸の回数と私に向ける箸の回数が違う」とか「あなたには大きい方をあげたのに、私にくれるのは小さい」とか言いそうです』との、しろくま様のお言葉。それでも…互いの口に食べ物は運ばれます。それでも…飢える人は出てきません。それでも…そこは地獄ではありません。それこそ、それが『人の世』です。『「相手へ向ける箸の回数と私に向ける箸の回数が違う」とか「あなたには大きい方をあげたのに、私にくれるのは小さい」とか言いそうです』…それこそ親鸞聖人が『愚禿釋親鸞』と名告らなければならなかった理由です。それこそ!何処までいっても『「相手へ向ける箸の回数と私に向ける箸の回数が違う」とか「あなたには大きい方をあげたのに、私にくれるのは小さい」とか言いそうです』な『私』なのですから!だからこそ「彌陀をたのむ」しかないのです。『たのむ』とは古語で『主人とする』との意味です。主人とするとは、その主人を中心とするということです。中心とするということは、その中心を、それこそ『主』として生きて行くということです。『彌陀をたのむ』とは、南無気づけ阿弥陀仏気づきましたの南無阿弥陀仏で生きて行くことを指します。『「相手へ向ける箸の回数と私に向ける箸の回数が違う」とか「あなたには大きい方をあげたのに、私にくれるのは小さい」とか言いそうです』と、自覚しながら、それ故に…そのことを反省し、その反省を我が身の血と肉にしていく生き方です。それも、その都度その都度……『彌陀をたのむ』とは、とことん、自分自身を見つめて行く生きていく生き方です。南無阿弥陀仏合掌高科修
何時もありがとうございます🙏南無阿弥陀仏
朝香様ご視聴、コメントありがとうございます。南無阿弥陀仏合掌高科修
いつもありがとうございます。南無阿弥陀仏
小島雄三様ご視聴、コメント、SuperThanks(懇志=お布施として)小島雄三様のお気持ち、確かに受け取らせて頂きました。ありがとうございます。南無阿弥陀仏合掌高科修
お話ありがとうございます。モノの見かた・・・、同じものでも、同じ事でも、全く違う結果を導いてしまうのですね。過去(起こした事)は変えられない(どうしようもない)では、今どういうモノの見かたをすれば良いのか?それで未来は変わってゆくのですから、「心構え(性根)」を正しく持つ事が重要なのだと思いました。ありがとうございました。
A・シキミ様ご視聴、コメントありがとうございます。動画の…法話の…その主旨を、深く汲み取って頂き、ありがとうございます。南無阿弥陀仏合掌高科修
@@buddhism_japan 返信ありがとうございました。
本質とは、何なのか此れからも、深く探しながら、日々大切にしていきてゆきたいと思います。ありがとうございます。
1アンパイア様ご視聴、コメントありがとうございます。『……深く探しながら、日々大切にしていきてゆきたいと思います』との1アンパイア様のお言葉。深く探し続ける生き方。その生き方が、ある意味、人生を一生懸命に『生きる』ということです。探し続けること…そうやって生きること…ある意味それが、人生を大切にしていくということです。何があろうと、自分の『その時』が来るまで、探し続け、もがき続け、生きる。気づき続け生きる。浄土真宗の宗であります。南無阿弥陀仏合掌高科修
高科様子供達に救けられた物の捉え方とても驚くと同時に深く感じ入りました。お話の主人公に同情して何とツライことかと涙が出ましたけれど高科様の物の捉え方の話を聞き、これからまた子供達の為の貯金をしていつか渡すそこに希望を見ました主人公の方は嘆きばかりでしたでしょうがこの話を聞かれたらこれからも希望を持って生きて行かれると思います先日、母の月命日でお寺に参りました。ご住職のお母様が貴方が来るのを楽しみにしていたと御茶をいれてお菓子も添えてくださいました。いつもそうして迎えてくださいます話の中でゴールデンウイークは休み?と尋ねられカレンダー通りの職場ではなく平日に交代で休むシフト制だけどゴールデンウイークは人が多いし旅行代金も高いので自分はカレンダー通りの休みじゃなくて良かったと思うと言うとお母様は物の捉え方の話をされ、貴方の捉え方は浄土真宗ですよと仰いました自分では全然、浄土真宗を意識してないけども他にも幾つか質問をされ答えた内容が全て浄土真宗の物の捉え方だとお母様に言われハッとしました両親がそのように育ててくれたのだと。1メートルの箸を持つなら向いの人に食べさせる自分でありたいです。
Angelo Angela様ご視聴、コメントありがとうございます。「1メートルの箸を持つなら向いの人に食べさせる自分でありたいです」とのAngelo Angela様のお言葉。まさしく自分自身に問うたお言葉です。ただし…同時に…「1メートルの箸を持つなら向いの人に食べさせる自分でありたいです」とならない自分自身も、私の中に『居る』のだという自覚が重要です。「1メートルの箸を持つなら向いの人に食べさせる自分でありたいです」にならない私も居るからこそ!1メートルの箸を持つなら向いの人に食べさせる自分でありたいです!となるのが、浄土真宗です。Angelo Angela様。「…お母様に言われハッとしました両親がそのように育ててくれたのだと」との気づき。それが、浄土真宗の『大きな深い願い=他力本願=大悲=仏の願い』の中で私が生きているという教えです。それが、『大きな深い願い』の中で、私が生きているとの実感です。南無阿弥陀仏合掌高科修
いつもありがたいお話(聞法)ありがとうございます。先代の真宗大谷派の住職さんがおっしゃったことと同じで懐かしく思い出します。ある年忌法要の日「浄土はどういう所ですか?花が沢山咲き乱れ咲いて美しい音楽が流れて楽しく踊っていますか?」。そうだよと言うと思いきや「いやいや、それは堕落というもので浄土とこの世は然程変わらない。この世は如来さまに感謝、浄土も如来さまの元で感謝。ただ浄土は試練が無いんだよ」と。子供の私には理解が難しかったです。
stuyermou561様ご視聴、コメントありがとうございます。先代の真宗大谷派の住職様のおっしゃったことを懐かしく思い出していただく、きっかけになれたことを、嬉しく思っておりますstuyermou561様…せっかく思いだされたのですから、「いやいや、それは堕落というもので浄土とこの世は然程変わらない。この世は如来さまに感謝、浄土も如来さまの元で感謝。ただ浄土は試練が無いんだよ」との、先代の真宗大谷派の住職様のお言葉を熟考していただければと、切に願っております。南無阿弥陀仏合掌高科修
@@buddhism_japan ご返事ありがとうございます。正直今も理解出来たかは覚束ないです。それだけ大きいそして深い意味があるのでしょう。書いた後に思い出しました。「浄土に行けたら障害者はどうなるの?」と聞いたら住職さまは「この世は物質で出来ていて私というのは体という物質の中に乗っかっている。病気や障害は物質が壊れて故障状態で死は物質が成り立たなくなった事で私そのものには関係無い。だから浄土は見えない聞こえない歩けないと言うことは無い。つまり障害病気も無いんだね。見えない聴けない歩けないなどの障害は物資の故障だから。これが浄土には試練が無いにつながるんだよ。」。これを聞いて気持ちが軽くなりました。当時私は小学5年生くらいで子供にも分かるようにおっしゃられたのは相当苦労されたと思います。自ら仏に帰依したてまつる 自ら法に帰依したてまつる 自ら僧に帰依したてまつる 至心に三宝に帰依したてまつる南無阿弥陀仏 合掌
この世は地獄と、最近より感じています。戸締まりはしっかりして、闇バイトに侵入されるまで時間を稼ぎ、逃げる等の対策を取りましょう。
H様ご視聴、コメントありがとうございます。H様の感じておられる地獄…H様のコメントの内容ですと、それは地獄ではなく、犯罪です。また、闇バイトと言う、マスコミが作り上げた誤った「言葉」を使われるのも、如何なものかと存じます。マスコミ用語の闇バイト!それはバイトではありません。闇の言葉も必要ありません。闇バイトは、犯罪斡旋・脅迫して犯罪を働かせる、れっきとした犯罪行為であります。昨今のマスコミ用語は、そのネーミングにより、物事の本質を分かりにくく、また、本質から欠片なれた物事にすり替えて報道しております。故に…私たちは、自分自身で、本質に気づく目を持たなくてはなりませ。自分自身が自分自身の人生を、キチンと生ききるために!南無阿彌陀仏合掌高科修
一つ質問させてください。地獄に堕ちる人、極楽に向く人、二通りの人種しかいない。という話ではないですよね。
秋元一良様ご視聴、コメントありがとうございます。そういう、お話しではございません。南無阿弥陀仏合掌高科修
坊主丸儲けですね。正に天国、檀家は地獄かな🤩
ani work様ご視聴、コメントありがとうございます。この法話(動画)をご視聴頂いた後のani work様のお言葉が…「坊主丸儲けですね。正に天国、檀家は地獄かな」なのですね。他人の語るお話しに、全く耳を傾けようとしないani work様のお人柄をお知らせ下さいまして、ありがとうございます。そうお礼を申し上げた上で……ani work様が何を信じ、どの宗教を選び、どのように生きるのかは、ani work様の自由でございます。しかしながら、浄土真宗真宗大谷派では、『天国』とは申しません。『檀家』とも申しません。ご認知いただければと思います。南無阿弥陀仏合掌高科修
高科様
いつもありがとうございます。
今回も「お前はどうじゃ」のサーブを頂きました。
地獄にするのも極楽にするのも私の気持ち次第なんですね。
相田みつをさんの「奪い合えば足らぬ、分け合えば余る。」の自利利他の言葉も沁みます。
それでも私みたいな凡夫は「相手へ向ける箸の回数と私に向ける箸の回数が違う」とか、
「あなたには大きい方をあげたのに、私にくれるのは小さい」とか言いそうです。
そんないろんな事を考えれば、地獄一定間違いありません。
せめて私がここに居ることができるのは、ご縁のある皆さんのお陰だと心に言い聞かせ、
「彌陀をたのむ」しかありません。
ありがとうございました。
南無阿弥陀仏
合掌
しろくま様
ご視聴、コメントありがとうございます。
『「相手へ向ける箸の回数と私に向ける箸の回数が違う」とか「あなたには大きい方をあげたのに、私にくれるのは小さい」とか言いそうです』
との、しろくま様のお言葉。
それでも…互いの口に食べ物は運ばれます。
それでも…飢える人は出てきません。
それでも…そこは地獄ではありません。
それこそ、それが『人の世』です。
『「相手へ向ける箸の回数と私に向ける箸の回数が違う」とか「あなたには大きい方をあげたのに、私にくれるのは小さい」とか言いそうです』
…それこそ親鸞聖人が『愚禿釋親鸞』と名告らなければならなかった理由です。
それこそ!何処までいっても『「相手へ向ける箸の回数と私に向ける箸の回数が違う」とか「あなたには大きい方をあげたのに、私にくれるのは小さい」とか言いそうです』な『私』なのですから!
だからこそ
「彌陀をたのむ」しかないのです。
『たのむ』とは古語で『主人とする』との意味です。
主人とするとは、その主人を中心とするということです。
中心とするということは、その中心を、それこそ『主』として生きて行くということです。
『彌陀をたのむ』とは、
南無気づけ阿弥陀仏気づきましたの南無阿弥陀仏で生きて行くことを指します。
『「相手へ向ける箸の回数と私に向ける箸の回数が違う」とか「あなたには大きい方をあげたのに、私にくれるのは小さい」とか言いそうです』
と、自覚しながら、それ故に…そのことを反省し、その反省を我が身の血と肉にしていく生き方です。
それも、その都度その都度……
『彌陀をたのむ』とは、とことん、自分自身を見つめて行く生きていく生き方です。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
何時もありがとうございます🙏南無阿弥陀仏
朝香様
ご視聴、コメントありがとうございます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
いつもありがとうございます。
南無阿弥陀仏
小島雄三様
ご視聴、コメント、SuperThanks(懇志=お布施として)小島雄三様のお気持ち、確かに受け取らせて頂きました。
ありがとうございます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
お話ありがとうございます。モノの見かた・・・、同じものでも、同じ事でも、全く違う結果を導いてしまうのですね。
過去(起こした事)は変えられない(どうしようもない)では、今どういうモノの見かたをすれば良いのか?それで未来は変わってゆくのですから、「心構え(性根)」を正しく持つ事が重要なのだと思いました。
ありがとうございました。
A・シキミ様
ご視聴、コメントありがとうございます。
動画の…
法話の…
その主旨を、深く汲み取って頂き、ありがとうございます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
@@buddhism_japan 返信ありがとうございました。
本質とは、何なのか
此れからも、深く探しながら、日々大切にしていきてゆきたいと思います。ありがとうございます。
1アンパイア様
ご視聴、コメントありがとうございます。
『……深く探しながら、日々大切にしていきてゆきたいと思います』
との1アンパイア様のお言葉。
深く探し続ける生き方。
その生き方が、ある意味、人生を一生懸命に『生きる』ということです。
探し続けること…
そうやって生きること…
ある意味それが、人生を大切にしていくということです。
何があろうと、自分の『その時』が来るまで、探し続け、もがき続け、生きる。
気づき続け生きる。
浄土真宗の宗であります。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
高科様
子供達に救けられた
物の捉え方
とても驚くと同時に深く感じ入りました。
お話の主人公に同情して
何とツライことか
と涙が出ました
けれど
高科様の物の捉え方の話を聞き、これからまた子供達の為の貯金をして
いつか渡す
そこに希望を見ました
主人公の方は嘆きばかりでしたでしょうが
この話を聞かれたら
これからも希望を持って生きて行かれると思います
先日、母の月命日でお寺に参りました。ご住職のお母様が貴方が来るのを楽しみにしていたと御茶をいれてお菓子も添えてくださいました。いつもそうして迎えてくださいます
話の中でゴールデンウイークは休み?と尋ねられカレンダー通りの職場ではなく平日に交代で休むシフト制だけど
ゴールデンウイークは人が多いし旅行代金も高いので自分はカレンダー通りの休みじゃなくて良かったと思うと言うと
お母様は物の捉え方の話をされ、貴方の捉え方は浄土真宗ですよと仰いました
自分では全然、浄土真宗を意識してないけども
他にも幾つか質問をされ
答えた内容が全て浄土真宗の物の捉え方だと
お母様に言われ
ハッとしました
両親がそのように育ててくれたのだと。
1メートルの箸を持つなら向いの人に食べさせる自分でありたいです。
Angelo Angela様
ご視聴、コメントありがとうございます。
「1メートルの箸を持つなら向いの人に食べさせる自分でありたいです」
とのAngelo Angela様のお言葉。
まさしく自分自身に問うたお言葉です。
ただし…
同時に…
「1メートルの箸を持つなら向いの人に食べさせる自分でありたいです」
とならない自分自身も、私の中に『居る』のだという自覚が重要です。
「1メートルの箸を持つなら向いの人に食べさせる自分でありたいです」
にならない私も居るからこそ!
1メートルの箸を持つなら向いの人に食べさせる自分でありたいです!となるのが、浄土真宗です。
Angelo Angela様。
「…お母様に言われ
ハッとしました
両親がそのように育ててくれたのだと」
との気づき。
それが、浄土真宗の『大きな深い願い=他力本願=大悲=仏の願い』の中で私が生きているという教えです。
それが、『大きな深い願い』の中で、私が生きているとの実感です。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
いつもありがたいお話(聞法)ありがとうございます。先代の真宗大谷派の住職さんがおっしゃったことと同じで懐かしく思い出します。ある年忌法要の日「浄土はどういう所ですか?花が沢山咲き乱れ咲いて美しい音楽が流れて楽しく踊っていますか?」。そうだよと言うと思いきや「いやいや、それは堕落というもので浄土とこの世は然程変わらない。この世は如来さまに感謝、浄土も如来さまの元で感謝。ただ浄土は試練が無いんだよ」と。子供の私には理解が難しかったです。
stuyermou561様
ご視聴、コメントありがとうございます。
先代の真宗大谷派の住職
様のおっしゃったことを懐かしく思い出していただく、きっかけになれたことを、嬉しく思っております
stuyermou561様…
せっかく思いだされたのですから、
「いやいや、それは堕落というもので浄土とこの世は然程変わらない。この世は如来さまに感謝、浄土も如来さまの元で感謝。ただ浄土は試練が無いんだよ」との、先代の真宗大谷派の住職様のお言葉を熟考していただければと、切に願っております。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
@@buddhism_japan ご返事ありがとうございます。正直今も理解出来たかは覚束ないです。それだけ大きいそして深い意味があるのでしょう。書いた後に思い出しました。「浄土に行けたら障害者はどうなるの?」と聞いたら住職さまは「この世は物質で出来ていて私というのは体という物質の中に乗っかっている。病気や障害は物質が壊れて故障状態で死は物質が成り立たなくなった事で私そのものには関係無い。だから浄土は見えない聞こえない歩けないと言うことは無い。つまり障害病気も無いんだね。見えない聴けない歩けないなどの障害は物資の故障だから。これが浄土には試練が無いにつながるんだよ。」。これを聞いて気持ちが軽くなりました。当時私は小学5年生くらいで子供にも分かるようにおっしゃられたのは相当苦労されたと思います。
自ら仏に帰依したてまつる
自ら法に帰依したてまつる
自ら僧に帰依したてまつる
至心に三宝に帰依したてまつる
南無阿弥陀仏 合掌
この世は地獄と、最近より感じています。戸締まりはしっかりして、闇バイトに侵入されるまで時間を稼ぎ、逃げる等の対策を取りましょう。
H様
ご視聴、コメントありがとうございます。
H様の感じておられる地獄…H様のコメントの内容ですと、それは地獄ではなく、犯罪です。
また、闇バイトと言う、マスコミが作り上げた誤った「言葉」を使われるのも、如何なものかと存じます。
マスコミ用語の闇バイト!
それはバイトではありません。
闇の言葉も必要ありません。
闇バイトは、犯罪斡旋・脅迫して犯罪を働かせる、れっきとした犯罪行為であります。
昨今のマスコミ用語は、そのネーミングにより、物事の本質を分かりにくく、また、本質から欠片なれた物事にすり替えて報道しております。
故に…
私たちは、自分自身で、本質に気づく目を持たなくてはなりませ。
自分自身が自分自身の人生を、キチンと生ききるために!
南無阿彌陀仏
合掌
高科修
一つ質問させてください。地獄に堕ちる人、極楽に向く人、二通りの人種しかいない。という話ではないですよね。
秋元一良様
ご視聴、コメントありがとうございます。
そういう、お話しではございません。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
坊主丸儲けですね。
正に天国、檀家は地獄かな🤩
ani work様
ご視聴、コメントありがとうございます。
この法話(動画)をご視聴頂いた後のani work様のお言葉が…
「坊主丸儲けですね。
正に天国、檀家は地獄かな」
なのですね。
他人の語るお話しに、全く耳を傾けようとしないani work様のお人柄をお知らせ下さいまして、ありがとうございます。
そうお礼を申し上げた上で……
ani work様が何を信じ、どの宗教を選び、どのように生きるのかは、ani work様の自由でございます。
しかしながら、浄土真宗真宗大谷派では、
『天国』とは申しません。
『檀家』とも申しません。
ご認知いただければと思います。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修