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今に成っての謎が解明された感じで改めてジャンボ尾崎の凄さとゴルフとメンタルの繋がりの奥深さが良く分かりました😂
ほんと内弁慶だったからな。歯痒かった。「なんで世界に出ると勝てないんだよ!」といつも思ってた。
ジャンボは飛距離ばかりが言われがちですが、グリーン回りのふわっとあげるアプローチが絶妙でした。
J尾崎氏は、繊細な感性と戦後の日本を鑑みて、日本一を目指しました。一方、青木氏は、言葉は悪いですが、ノー天気な性格。だから、地球’(世界)で成功した。お互いに、目指すものが違っていました。(言葉の壁、飲食***これってとても大切ですから)それで、良いと思います。尾崎氏も生活の拠点をアメリカに移して試合していればメジャーは取れたはず。
尾崎将司ことジャンボ尾崎w逆じゃね?w
ジャンボさんがゴルフの大衆化に貢献したのは間違いない事実ですが、個人的には高精度のアイアンでピンに絡めてくる職人技の青木功に子供ながらゴルフの本質を感じていました。
力道山、長嶋、猪木、沢村忠、そしてジャンボ。実力とともに強烈なカリスマ性を持ってドラマでみんなを熱狂させてくれた人。
ジャンボの実力のみで考えればアメリカツアー優勝も夢ではなかったでしょう。しかし他の方も書かれてますが彼自身海外生活に馴染めない、英語が理解できずストレスと感じる等その環境に順応することが出来なかったのが全てです。青木功は「しゃんめー」だし丸ちゃんは底抜けに明るいし松山くんは、ああ見えて図太いし。やはり勝つ人は環境に順応出来るスキルを持っているということです。
ジャンボはイメージと裏腹に繊細だったから。中島も米ツアーは移動が長くてコンディション作りが大変と言っていた。
ゴルフあんまり知らないけどジャンボ尾崎がすごいということは知ってた。海外メジャーで優勝経験なかったのは知らなかった。スーファミソフトはけっこうおもしろかった。
充分通用したと思いますよ。全米オープンも最終日12番ホールまでトップだったし、優勝争いもしている。腰を据えてアメリカに行ってればと思います。ジャンボはアメリカでも人気でしたよ。
腰を据えて、って言うけど本人が大の海外嫌いだったろ。90年代半ばなんか青木中島が衰えてまだ丸山伊沢が育ってくる前で国内ではやることない状態で独り勝ちしてたのに、ついぞ国内から出ようとしなかった人。
違うな😕👎😡🤬😠樋口久子さんも、言っていたが、海外に、言っても、他の国の、人と、コミュニケーション、取ろうと、しないから、帯同キャディーと、いつも、一緒だから、勝てなかったから、らしいな😠🤬😡👎後、彼の、ゴルフウェアファッションは、海外の、選手から、笑われて、いたらしいよ😝😝バンコクの、ビックリマンションみたいだって😁😁😁😁
青木さんは全く英語できんけどボディランゲージでどんどん話しかけて、人見知りっちゅうか人付き合いせえへんグレッグノーマンと大親友になったし、ニクラウスにヘイ!ジャック!って声をかけられる数少ない日本人やろなジャンボはスゴい人やけどそういう事ができんかったから海外であかんかったんとちゃう?いつもあの2人見てたらF1にも乗った中嶋悟とほとんど日本でしか走らんかった星野一義と重なって見えるわ
ワトソンが全英オープン負けて、青木さんマジ泣きして、新帝王が、イサオ泣くなよ、と声をかける仲ですからね。新帝王と青木さんは、言葉の壁を越える友情ありますね
でも、中嶋悟 マシンは優勝絡むスペックの時代は少しありましたが、表彰台ないのは残念、トラブルばかりの大荒れで、マシンがボロくて、ラックもありましたが、3位入った鈴木アグリすごい
池永さんのピッチングを見て野球をあきらめたジャンボと、池永さんがいなくなったために西鉄のエースになった東尾。同じ西鉄のドラ1でずいぶん違う人生だな。
ドラフトで入団したのは東尾だけ。 2024.09.01 19:17
思い出し胸踊りました。😂ありがとうございます。
ジャンボが西鉄ライオンズに入団した年に,平和台球場でジャンボや池永さんと一緒に記念写真撮り、今も記念に持ってます。私は小学生でしたがやっぱりジャンボには光り輝くオーラが有りました。全米オープンの最終日バックナインは今も記憶に鮮明に残っています。
ジャンボさんの試合をテレビで見てましたが、アプローチが抜群に上手かったです。相当の練習量で培った技術だと思いました。動画でも有るように女性のトッププロを輩出してるジャンボ道場ですが、手取り足取りではなくほぼ座って全体を見回し、気になった事があればちょろっと一言アドバイスがあるそう。その一言が相当重要な一言で実践してみると解るそうです。因みにアメリカではダボダボズボンと後髪伸ばしたスタイル、メジャートーナメントと言えどもタバコがんがんに吸いまくるから、ジョン・デーリーが好きそうなアメリカ人の一部からは熱狂的な人気あったそうです。
1ヤード刻みでアプローチ練習したらしい
身内にツアープロがいるので二十数年前に聞いてみたんですが「クラブの溝をスピンし易いように規定外に改造してるらしい。国内の関係者はみんな知っているが指摘し止めさせることができない。海外では必ずチェックされるので改造クラブは使用できないからだと言われてる」とのことでした。真偽はわかりませんが、試合中にフェアウエイで堂々と歩きタバコしてるのを見てそういうのもあるのかもと感じました。「若手は一緒にまわると本人よりキャディに威圧される」「息子は親と違って謙虚でプロの中では評判いいんだけどな」とも言ってました。
趣味でゴルフをやるなら必要ないけどプロの世界でやるならフィジカルの重要さを示した先駆者だと思う
11:57 いいコメントやっぱ先駆者はどの分野でもすごい存在だね かっこいい米欄見ると、グル不を宅からは相当な言われようだ 日本のコースってお遊びレベルなんだ
ジャンボ尾崎は、職人芸を主流としていたゴルフ界にプロ野球で培った集団でのトレーニングを取り入れた先駆者でもある。
96年の全米オープンの3日目に観戦しました。ジャンボは10位タイでJohn Dalyとラウンドしたと記憶しています。最初は良かったのですが途中から崩れ始めて、どうしちゃったのと心配しながら観戦しました。キャディの方が時折り日本人らしき人のところに来て何かを聞いていたのを記憶しています。タバコを切らしたのかな?
根拠ないけど、うわさだけど、ジャンボのドライバーが違反クラブ ウエッジも違反 ジャンボのウエッジ打てば誰でも止まると噂が海外にそのクラブ使えないからダメと噂 しかし、仮に止まるウエッジでも日本ツアーでのウエッジのアプローチの距離感は素晴らしかった。
やっぱジャンボと言ったら尾崎だよね😆。
いや鶴田だろ
@@闘神ブリザード 確かに😊b!。
仲根
工藤。 2024.09.01 19:20
確か期待され全英オープンに出場したものの結果が出ず尾崎さんはこうコメントした「風が強く寒さと深いラフに悩まされた」と。この発言を聴いた現地記者は「風があって寒さがあってラフがあるのは当たり前だろう、それがゴルフだ。日本では違うのか?」と。
「マル(丸山茂樹)が全英オープンで好成績を残せるのは身体が柔らかいから。俺はあの寒さじゃ身体が動かん。」なんて言ってましたよね。
ジャンボは全英初出場の1978年14位、1979年10位、長期スランプの後に6年ぶりに出場した1987年11位と実はそんなに苦手はしていませんでした。40代後半になってから1日に四季がおとずれるという全英オープンの天候の変化を嫌がるようになりました。もともと寒さに弱いジャンボでしたが30代までは対応できたが40代後半からは対応できなくなったようです。
こんな ウラ話があったのか 東名カントリーで18ホールギャラリーでついてまわたがドライバーのスイングの音が凄かったな でもタバコをスパスパだったな あとは ゴルフウェアーがジャンボマーク憧れたな 50年前の思い出 か ジャンボ学校で生徒が 世界に羽ばたく 出てくるの楽しみだ!
ジャンボ尾崎さんは、甲子園優勝投手からゴルファーの第1人者になる、凄いゴルファー。ジャンボ軍団で丸山選手や、たくさんの弟子のゴルファーが勝ってしまうよき指導者でもあります。今は、女子ゴルファーの弟子が何回も優勝してジャンボさんに挨拶してる動画を見ると✨ジャンボ尾崎さんの懐の大きさがわかります。ジャンボさんは、日本の優勝回数が飛び抜けている素晴らしいゴルファー。日本の食事が合ってアメリカの食事が合わないから日本での活躍で良かったと思います。
子供の頃に親と一緒に見に行きましたジャンボ尾崎がパットを決めるとギャラリーが同伴競技者のプレーを見ないで次のコースに大移動をはじめてしまうのでギャラリーに向かって怒っていました
全米オープンで最終日最終組で優勝争いし中盤で2打差トップにも立ったがカーチス・ストレンジに優勝をさらわれた。でも当時の世界でも実力は認められていたよ
日本ゴルフ界の品格を落としたのはジャンボではないか?と個人的には好きな選手ではありませんでしたが、日本ゴルフ界に貢献した1人であるのは間違いないなぁ と動画を見て感じました。やや乱暴な振る舞い(ジャンボ軍団を含む)は、逆に繊細な性格が起因していたのかも知れないですね。
環境、選手層の厚さ、メンタル、コースの難易度、あと何だっけ?
十分にジャンボさんは活躍しましたよ。
この動画の1989年全米オープンの説明は間違っています。13番まで首位だったのはその通りですが首位に立ったのは10番から13番までの4ホールです。14番はパットの問題ではなく、一打目を2番アイアンで右林に入れたトラブル、2打目は上手く打ったがグリーンオーバー、3打目もトラブルショットを上手く打ったがピン右横を通り過ぎロングパットを残しました。ロングパットはあわやカップインまで寄せましたがボギー。動画のパットを外すシーンは14番ではなく16番です。16番も一打目を右林に入れトラブル。2打目を出し、3打目は距離は残しましたがナイスショットでワンパット圏内に。それを外してボギーにしたシーンです。ガムを噛んだり、1988年日本オープンのイップスが再発したのは1989年全米オープンではなく、1995年全米オープンです。1995年6月全米オープンでの優勝争い中の3日目のラウンドではっきりと出た。首位に2打差の2位で最終日最終組でスタートして、7番までショットが好調でバーディチャンスにつけるがパットが入らずパー。首位との差は2打差で変わらず、8番ドライバーでナイスショット。第二打はフェアウェイからでピンまで110メートル、しかし、ピンまで12メートルの下り斜面で寄らなかった。同じ最終組のグレッグ・ノーマンのキャディは以下のように言った。「あの時のジャンボは自分のパットにプレッシャーをかけすぎていたね。」「大きな大会でああなると泥沼に入りやすいんだよ。」12メートルの下り斜面のフックラインのファーストパットは全く寄らずショートした。完璧と思って打ったのに2メートルもショート。頭に描いた感じと結果が違っていた。2メートルのセカンドパットも外してボギー。この後、パットの調子がおかしくなり、優勝戦線から脱落した。
天下の松山英樹はやはりレベルが違うね。
史上最低レベルのマスターズ勝利がなんだって?
@@goriatera1 ?もっとレベルの低いマスターズ勝者はたくさんいるが(笑)
@@goriatera1 どこが史上最低なんだ?
自分が聞いた黒い噂では、当時ジャンボ軍団といっていた仲間内で勝利を得るために他のゴルファーがパットや第1打目を打つ緊張の場面で且つギャラリーが増える場所で、ギャラリーに混じって仲間が音や声で対戦相手の集中力を削がせる妨害行為をしていたって聞きいた。そんな事国内では許されても海外では通用しないだから、国内戦績と海外実績にかなりの開きがあり、国内でメジャータイトルを16勝に対して海外での勝利はない
当時、強すぎたジャンボ軍団に対するやっかみですね。海外勝利は1972年ニュージーランドPGA選手家があります、メジャーではマスターズ、全英オープン、全米オープンでトップ10に入っています。
原ちゃんと笹生ちゃんは軍団だけど、アカデミー出身じゃないんだよなぁ。西郷どんはアカデミー出身の出世頭よ
笹生プロはプロテスト合格後から通うようになりましたが、原プロはアカデミーが出来る前の高校1年の終わりから通っていました。原プロの活躍でジャンボアカデミーに入校するジュニアが多くなりました。
言葉です青木さんは多少の会話が出来たので・・・ジャンボは外人選手やそのキャディーやメディア何を言われても高圧的で無表情で無反応でしたお分かりですね
ゴルフライターのコヤマさんが言ってたんだけど人に出来ないことをするのが、スーパースターなんだから。確かに海外で優勝出来なかったかもしれないけど、海外で優勝した人間が、日本でジャンボと同じことを出来るかって言ったら、ほぼ出来ないと思うよ。
それこそ成績でいうと可能性があるのは松山くらいだけど、スターとしての形(時代背景やスタイル)が全然違うので比べるのは野暮ってものですね。どちらも偉大。
@@sabamasamasamasaそうね。どちらも常人には真似出来んw
風の大地に尾崎さん出てましたね。
まさにジャンボでゴルフを始め、j‘sのドライバーやチタンマッスルも買いました。ジャンボが何故海外で活躍出来なかったのか。単純に英語が苦手で他の選手とコミュニケーションが取れなく、井の中の蛙だったからです。彼は本当に海外が嫌いなのです。日本にいれば持て囃されトップに君臨出来る。だからメジャーにもあまり興味がない。ジャンボを成績で語るのは難しすぎますね。
世界4代メジャーの中でも自然環境を配した全英オープンで日本人優勝は未無に等しい(諦めずに・・・💪)世界4代メジャー優勝で偉業を達成したジャックニクラウスタイガーウッズが神と崇められることは当然のこと
ジャンボは大のご飯党なんだよだから、海外のようなパン食が全然受け付けれなくて、海外では思うような結果が出せなかったんだと本人も回顧してたようなちなみに同じ時期女子テニスで海外で活躍してた伊達公子もジャンボと同じくご飯党だったけど、わざわざ海外にお米と炊飯器を持ち込んでたらしい。それくらい食生活ってスポーツの世界では大事ってことですね
米を食わないと力が出ない。だったら行くなよ。
松山英樹は専属スタッフを用意して米ツアーに参加。だから醤油も地元の四国の醤油です。あの醤油は甘いから、私は苦手です。
米、パンなんかで体力変わらんだろって。
@@田中けんた-q7o ジャンボが大のご飯党ってのは結構有名な話ですよこれ、本人も雑誌やテレビの特集とかでも言ってましたけど、海外で思うようにできなかったのは食事のせいだと
@@田中けんた-q7o グルテン不耐症の可能性も考慮すれば大きく変わる可能性もあるね
ジャンボ尾崎選手の全盛期、自分もキャディのアルバイトをしていましたが、自営業風のゴルファーのほとんどが尾崎さんのクラブ(J'z)、ウェア(派手なシャツにダボダボのズボン)、髪型(後ろ髪を伸ばしたスポーツ刈り風)をしていましたね。自分も憧れて尾崎モデルのドライバー(J'zワールドステージチタン)を買ったけど全く打てなかった。一本10万円位したと思う。尾崎選手はブリヂストンを離れて自分のブランド(ワールド・ワン)を起ち上げた頃から成績が落ちて行った印象があります。
若い時ならともかく、マナーの悪くなった全盛時に海外行っても無理。あの当時輩系が増えたのも、ハッキリ言ってジャンボのせいだもの。
物心ついた時のスポーツニュース男子 ジャンボ尾崎女子 岡本綾子が毎週優勝してたイメージあります。
ジャンボ尾崎は実力は天下一品だったけど、英語が喋れない。国内の試合なら、ここぞというところでほかのプレーヤーに言葉で威圧をかけることが出来、相手を委縮させたり、ミスに結び付けることが出来たけど、海外ではそれが出来なかったから活躍できなかってんでしょう。
その通りです。年功序列の世界でした。安田春雄が新人中島常幸を小馬鹿にした台詞を言ったら言い返されて喧嘩になり犬猿の仲でした。中島は言い返したから安田を超えた日本プロゴルフAON時代が来た。
60年代までは中卒キャディ上がりだからね。職人気質の年功序列の世界。
松山選手も英語が得意ではないのであんまり関係ないと思います。話せればそれに越したことはないと思いますが。それよりも常駐したかどうかでしょう。ただ、ジャンボの20代はスポンサーの関係で海外遠征が自由にできなかった時代、30代はスランプ、40代に復活しましたが海外常駐するには年をとりすぎていました。国内の試合でもスランプ時代はなめられてました、良い成績を続ければまわりが勝手にこけるだけです。
@@東銀座203 プロのゴルフをピュアな目で見すぎかと思います。プロのトーナメントゴルファーとはいやな言い方をすれば「賞金稼ぎ」です。「このパットが入れば優勝、入らなければプレーオフ、もし負ければ2位になって、賞金が1000万円も少なくなる・・・」そんな気持ちでプレーをしているとき、対戦相手にプレッシャーをうまくかけられるかどうかということは実力伯仲の時にはとても有効なのです。ひどい人になると、マーカー飛ばしうぇしたり、わざとボール確認をさせず誤球によるペナルティーを与えさせたり、アテストで意図的に失格させたり、いろいろです。
@@user-sg4gx8qk3v だからこそ自己申告のモラルを求めるれますね。まぁ、今は完全にスポーツですから。特に女子はフェアです(と思います)。
日本国内世界最強だったね、ジャンボは。
日本では、弟子に変なところに球が飛んだらフェアウェイにボールを置かしていた話しは、有名でコースを廻るのも歩きタバコをして最悪のプロと杉原が言っていた。
ジャンボと杉原プロはお互い認め合って良い関係でしたよ
日本のコースは左右が斜面でぶつけてFwに戻したり、2グリーンでセカンドの許容範囲が広かったり、グリーンが圧倒的に易しく、距離も短い。例えジャンボでもスポットでのメジャー参戦では勝てない。
あの頃、アメリカと日本のゴルフ場には決定的な違いが3つあった。1、各コースの距離/特にロング2、グリーンの転がり/速さ3、芝の種類/高麗&ベント彼の場合、日本のゴルフ場であまりに勝ちすぎたせいで、大雑把な日本のゴルフ場に慣れきってしまっていた。それだけに短期間ではアメリカのシビアな調整を施したゴルフ場には対応しきれなかったのだ。しかし彼が勝てなかった原因は他にある。メンタルだ。彼の負けん気の強さが逆にプレッシャーとして悪く作用した。新聞各紙は今度こそと期待する。本人も『日本を背負って故郷に錦を飾るの意気込み』青木功のように『今日 敗けたとしてもしょうがない/明日があるさ』の楽天的/前向きな思考に、彼はなれなかったのである。
モチベーションやメンタルヘルスなどの充実次第では海外メジャーも取れたと感じました。松山も嬉しいが、ジャンボが先に取って欲しかったとも思う。あと、日本では無くて常に海外でプレーしてれば取れた可能性は上がると思う。まぁジャンボの時代は日本は金があったから海外へ行くメリットもあまり無いのも、足を引っ張ったかもしれない。
昔はゴルフ番組は良く観たのですが、どうしてもタバコを直ぐに吸うので好きに成れませんでした。
本当かどうか定かではないが 米国の試合でクラブハウスにも入らず 車から直接コースに行きそのまま帰った話があるそんなに米国嫌いならなぜ参戦したのか 理解に苦しむ。
①接待ゴルフ場で-15で優勝出来るコースセッティングでトーナメント②スポットでしか参戦させないプロゴルフ協会の度量の無さ(トーナメント参加の試合数を義務化して事実上海外に行けないように選手を縛る)。海外ツアーに行く気があったかどうか分からないが尾崎、中島、青木なら一年間参戦したらアメリカのツアーで勝てたかもよ。(青木のハワイは別にして)。
女子もそうですけど、言葉理解できないとね!難しそう。それはどんな競技でも一緒ですかね?
ピッチャーというポジションはいつもドキドキしている心配性の人が多いというが尾崎氏もそうとは・・・
それってキャッチャーの人じゃね?ピッチャーはお山の大将的な人が多い気がする
いや、歴史的大投手はほぼ神経質で繊細よ。だから尊大を装ったりする(金田、別所、鈴木、山田など)また、細かいとこに気がつくくらいのほうがピッチャー的な危機回避能力に向いてるし
俺は元々プロ野球選手だお前らとは身体能力が違うと言う感じで他の選手を舐めてかかっている時のジャンボは本当に強かった。だが海外のゴルファーはプロ野球選手と変わらないフィジカルだからそうした心理的戦法が通用しなかった。
ジャンボの前にも後にもジャンボなし。あれだけ国民を魅了したゴルファーはいないし、今後も出てこないだろう。
米の裏組織から過大な評価をされスカウトされた杉原輝雄氏。かなりの年棒で誘われましたが断った。 あの体格、あのスイングみたら、大金を掛け挑んでくる挑戦者が来ますし、相当稼げたでしょう。ミラーバーバーも所属してた裏世界。レベルは相当高かったと思います。
0:31 😮😢🎉😂❤
要は腰を据えられなかった事。向こうの選手もその実力は認めてた。ただ、彼をしてUSPGAで研鑽しなければどうにもならないって事。日本で同じ土俵で研鑽し合った青木氏がニクラスとデッドヒートできたように、それと同じだけの実力はあったと思う。ただ、求めた事が高すぎだよね。少しブランクがあるとタイガーですらメジャーでないトーナメントで予選落ちする世界でぽっと出で優勝を求めたんだよという事。あと、日本人独特のムラ意識が邪魔をしたのもあると思う。常に外様で戦わなければならなかった事だよ。
食事の違い。コースの違い。いろいろと言われていますが。何よりも頑固な性格。芝の違いを理解していても、それに対応するクラブを使用しようとしなかった。ジャンボブランドのアイアンは全て、グースネックです。日本の野芝での性能は良いが、洋芝では対応しづらい。そして、頑固な性格からコミニュケーションが不足していたことも、海外ツアーに長期参戦できなかった。青木さんが、出鱈目な英語でも身振り手振りでコミニュケーションしていたら、トップ選手と友人になれた。
青木功プロは英語ができる奥様のおかげが大きいです。ラウンドする前日に選手とその奥様と青木功との夕食会を開いたりして打ち解ける雰囲気作りをしてくれた。また、青木功は遅咲だったせいか、青木功黄金時代から日本のスポンサーが海外挑戦を理解を示すようになった時でもあったのがラッキーだった。ジャンボの第一次黄金時代はスポンサーとの関係で海外挑戦はできなかった。
1972年ニュージーランドPGA選手権に優勝しています
古いパーシモンのグラブで打つとジャンボ尾崎の凄さよくわかったwベテランにその話したら当たり前だろ!と逆ギレだよ
ジャンボは「モグラの穴」と称して度々ボールをリプレースしていた!!それを助けたTV放送とゴルフ協会!!!だからアメリカのゲームには行かなかった!!!
それはデマですね。 そんな事は本当であれば殿堂選手や外国人記者が主に投票する世界ゴルフ殿堂に選ばれるわけがない。
@@東銀座203 「世界ゴルフ殿堂」?その施設は何処にありますか?それと「尾崎のモグラの穴」は年配のゴルフ好きなら、多くの人が聞いたことのある話ですよ!!あと、尾崎が活躍していた時代55年以上前には、外人記者はほとんど来日していないし、日本ではテレビ中継もビッグタイトル以外はされていない時代でしたよ!!!
@@敏國澤-p4j さん、モグラの穴については1960年代~1970年代初期の日本のプロゴルフではよくあった話です。それと勘違いしていませんか?根拠があるなら根拠を示しください。そのような評判があれば世界殿堂投票ではすぐ伝わると言う事でです。日本人記者が選ぶ名誉ならジャンボはすぐに選ばれるものです、それが選ばれるまで時間がかかったのは投票権が主に外国人記者によるものだったからです。しかし、ジャンボは結局選ばれました。ジャンボは外国人記者に評価されてていないかったからこそ、数字的には資格を持ちながら選ばれるまで時間がかかったと思います。しかし、1970年代初めから1990年代終わりまでに来日して日本で戦った多くの欧米トップ選手達はジャンボの事を高く評価していました。結局、欧米では日本より活躍が少ないジャンボだったが最後は認められました。世界ゴルフ殿堂表彰式でのジャンボの紹介者はそうそうたる顔ぶれです。トムワトソン(メジャー8勝、米PGAツアー39勝)、ジェリーペイト(1976年全米オープン優勝、米PGAツアー8勝)、ベンクレンショー(マスターズ2勝(1984/1995)、米PGAツアー19勝)、ヘールアーウィン(全米オープン3勝(1974/1979/1990)、米PGAツアー20勝)、ニックプライス(全米プロ2勝、全英オープン1勝、米PGAツアー18勝、世界ランク1位)★トム・ワトソンのジャンボの紹介「アーノルド・パーマーはゴルフを大衆化した、同じことを日本でジャンボはとことんやった!!」パーマーが米国ゴルフ界でキングと呼ばれているのは米国でゴルフをメジャーにしたからです。決してベンホーガンや二クラスや他のプレーヤーがゴルフを一般大衆化させたわけではありません。日本でのジャンボもまさにそうだとトムワトソンは語りました。ジャンボ自身はニクラスのゴルフを尊敬していたかもしれませんがジャンボのスイングというより行動力、影響力はパーマーのようでした。★ジェリーペイトのジャンボの紹介「ジャンボのプレイを見るのはエキサイティングだった。私が今まで見た誰よりも高い3インチ(7.5センチ)にティーアップされた球を大きなバックスイングから強くスイングした。人々は彼をただ体格が大きいからではなく、ビッグヒッターだから、ジャンボと呼びました。」★ベンクレンショー「彼はボールをいかようにも遠くに途方もなくアスレチックに飛ばせるパワーゴルファーの早期の例だった。」★ヘールアーウィン「おそらく、世界のどこかでこれまでに見た国の中でこの国(日本)からでは最も群を抜いて高くそびえた人物」★ニックプライス「ジャンボはアジアで誰よりもより多くトーナメントに勝ちました。私は彼の世界ゴルフ殿堂入りを本当に嬉しく思います。」
@@東銀座203 根拠を示せ と言われても50年以上前の話です。身近に年配のゴルファーがいれば聞いてみては?
@@敏國澤-p4j さんが根拠を示せない事を理解しました。私はジャンボが甲子園出場の時から知っていますし、ジャンボ以前に活躍した和製ビッグスリー時代も知っています。
ANA openの練習場で観ました。登場しただけで、他のプロを圧倒するオーラが出ていました。
海外でもそうあって欲しかったw
笹生はフィリピンにいる時から英雄ジャンボは関係ない
ジャンボは海外での活躍がないと言う意見が多いがそれは国内に比べというだけ。歴代日本人選手でジャンボのメジャー3つでトップ10入り、メジャーで予選通過率と匹敵、それ以上なのは松山選手、青木功選手、中島常幸選手しかいない。(丸山茂樹選手や片山晋呉選手はメジャー2つのトップ10、メジャー予選通過率はジャンボより劣ります)また、ジャンボがデビューした時の時代は日本人が4大メジャーに挑戦はしていなかった時代、マスターズしか挑戦していなかった時代。今のように4大メジャーに当たり前のように挑戦できる時代ではなかった。また、当時(ジャンボの第一次)は今と違って、大会スポンサーとの関係もあって日本ツアー開催時に海外には行けなかった。1973年マスターズ8位はアジア人初、マスターズが日本でテレビ中継された初めての年、これもジャンボの活躍があったからこそ。1979年全英オープン10位。メジャー2つでトップ10は日本人で初の快挙。1980年代長期スランプになって復活したが復活したのが遅すぎた。40歳代での復活は海外常駐するには遅すぎた。遅咲の青木功ですら30代後半からの海外挑戦だった。1989年全米オープン最終日バックナインで首位にたった。これは日本人で初だった。13番まで首位。結果は6位だったが全く優勝争いしないで最終日だけの好成績で上位になった過去の日本人選手より価値があります。現在でもこれを上回る成績に日本人は松山選手のみです。ただ、1989年はジャンボが42歳のとき。日本では1998年51歳まで賞金王でしたが海外で活躍するには42歳が限界の年齢でした。米PGAツアーをホームツアーにしている選手でも40歳以上での活躍はまれ。活躍してもコンスタントに活躍はほとんどいません。40歳以上の賞金王はビジェイシンだけ。タイガーも40代で勝利数は激減しました。45歳以上だと皆無に近いです。ミケルソンは別格ですが。30代に絶好調だったら、また、20代の時に今と違ってスポンサーに気兼ねなく、海外挑戦ができていたら違っていたかもしれません。1973年にジャンボ人気で日本ツアーが制定されましたが目玉のジャンボが海外に行くわけにはいかなかった。ただ、20代の時はスポンサーのとの関係もありましたが弟二人をひとり立ちさせたいという想いもあり、それも海外挑戦しなかった理由でもあるでしょう。二人の弟がプロとして活躍できるようになったころには自分がスランプ。やっとスランプから復活したのは40歳代でした。
ジャンボ世代なので、ありがたいコメントデス。👌ここまでゴルフ人口が増えたのも、ジャンボが日本ツアーを引っ張ってきたお陰が多大にあります。ショットもそうですが、多くのギャラリーを引き連れてのあの集中力、佇まい、全てにおいて憧れでした。
ジャンボが昔練習場でウェッジを打ち出した時、カツーン、カツーンという音から、最初トップしてるのかと思ったが、ジャンボは平然としている。しばらくしてそれはトップしているのではなく、ジャストミートしている音なのだと分かった。いかに普段自分がダフリ気味にボールを打っているのかがよくわかった。
たしかジャンボがデビューした年にニュージーランドのプロ試合で1回か2回ほど優勝していると思う。そんなに有名な大会ではなかったが。
ニュージーランドPGA選手権はそれなりに大きい試合で全英オープン優勝者など強豪も出場していました。
井戸の中が好きなんじゃない?
ゴルフマンガに出てくるジャンボモチーフのキャラは大抵やな奴という(笑)
全盛期の時にマスターズで勝てると雑誌に豪語していて結果は予選落ちでした。 試合後にスイングの完成度が高いから勝てると思ったと言ってました。 ジャンボですらこうなのですから、石川や中嶋が終わりのない迷路を彷徨っても無理はないのかも知れません
逆に松山選手の凄さがわかりますね。
彼の場合 青木功と違い、日本とアメリカの両天秤で試合していましたからね。アメリカのコースに馴れるには中途半端だったのかも知れません。
なにより名前がいいジ ャ ン ボ 尾 崎
威圧することで周りの人が萎縮してる国内ならいいですが、海外では言葉が通じないので通用口しなかった。ジャンボくらいの態度は沢山いたと思われ、大して萎縮してくれなかった。
岡本綾子に聞けば良く分かるんじゃないかな同時代の選手ですしとは言えマスターズで8位になってる
一度観たが、練習場は隅っこで小さくなっている、食べ物は日本食だけ、英語は全く駄目、まさにお山の大将、青木の図々しさと太々しさが少しでも有れば。
技術的にはパッティングのストロークが小さくパチンと弾く感じなのでメジャーの早いグリーンには合わなかった
ショットも小技も日本のコース、芝に対する最適解で固められてて、海外の難コース攻略向きではなかったですよね。丸山などはある程度最初から海外から逆算したスタイルを模索してから渡米しましたが。
正確には、 「海外で通用しなかった」ではなく、「海外で優勝しなかった」ですよね。 見かけによらず繊細なハートだったようで、 渋野さんのようなプレースタイルを米国で見せたりすることや、 英語や米国の食事でもへっちゃらという適応性(ゴルフ以外の部分)が 『あと、もう一振り』だったのではないでしょうか。
日本ツアーを休んでPGAに専念していたらメジャーはともかく勝ち星は得られたと思う。でも周りの状況が許さなかった。松山だって日本ツアーメインだったら勝てなかったでしょう。
黄金のラフ(漫画)を見ればよく分かる
米国のラフではあのウェッジでの寄せは通用しなかった 松山も米国のラフを克服して米国で10勝も出来た さらにはグリーンたまに行って勝てるほどPGAは甘くなかった
茨木回ったけど、長くて、そこそこ、広いよ、戦略的な面もあるけど
日本で充分に稼げたからね。無理をしてまで、人種差別の視線を浴びてまで、アメリカでプレーをする必要は無かった。
本人も時差ボケがメジャーを阻んだって言うようにアウェィではジャンボは力を発揮できない
尾崎将司が現役時代普通優勝スコアは-アンダーで決まるが+オーバーパーで決まることもあったある選手のあいだからコースが難しすぎるという批判の声が上がったプロにとって+アンダーパーではプライドが許さないからだ当時この案件がゴルフファンや巷では話題に上がったそもそも日本のコースは海外のコースと比べるとやさしと言われやさしいコースで試合をしている選手が海外で優勝できるものではない特にメジャー優勝者は(世界4代メジャー)マスターズ優勝の松山英樹選手一人だけ(ここでは男子のみ)プロがコースが難しいとは・・・(日本のコースで・・・)世界4代メジャー優勝などとうてい無理
丸山、3勝だろ。
海外での活躍?コースのマネージメントだと思う
ジャンボの経済効果よりもタイガーの経済効果は低いのか…
まあ、バブルの時期は日本のほうが賞金も高かったってこの動画で言ってるしわざわざアメリカツアーに参戦して緊張しながらプレーする必要もなかったんでしょうでも国内で無敵のジャンボが海外じゃスモールになるのはガッカリだったね
内弁慶は否めんな 結果が全てな世界もうそろそろシニアツアーに参戦して盛り上げてや永久シードは登録するだけで若手の出場機会を邪魔しとるんやで
2020年から試合に出場していませんよ。2019年は7試合に出場しただけ。青木功の方が最年長記録出場(初日ハーフで棄権)を持っていますし、杉原は亡くなるまで出場しました。また、自分で出場権を勝ち取らず、譲ってもらって出場できたとしても大成する選手はいません。チャンスは自分でつかむものです。
角刈り襟足伸ばしやからよ
海外いくと、外人のトップと回ると、セカンドオーナーが多く、飛距離で圧倒するとまではなかった。ワトソン、ニクラウス、ランガーみたいに、アイアンがキレキレでもないし、ニックファルドなんて、ジャンボぐらい飛んで、曲がらないのに固く刻む、ゲーム展開がうまい、世界はレベル高かった。しかし、アメリカメジャー制覇1番にやってらどうだろう、マイズ、ジェフスルーマン とかメジャー一勝の選手いる、2人とも飛ぶのタイプじゃないけどマイズは日本来たらダンロップフェニックス強かった。マスターズ、ノーマンと、プレーオフ ノーマンについてくくらい飛んでた、ジェフ マイズはショートゲームは、ジャンボよりうまい やはり難しいが結論 余談だけど、昔のジャンボの家の犬名前は、ランガー
彼ヘビースモーカーでしたよね。コース外で喫煙しているのをカメラで撮られた写真を見ました。そういうのは海外で通用しませんよ。
試合中にタバコを吸っていいスポーツなんだ。野球選手もベンチ裏で吸ってると聞きますが。(ゴルフやらないので)一般の方はコース回っている時タバコ吸ってキャディさんに怒られたりしないんですか?
1970年代〜1980年代はプロ野球選手達がロッカーでブカブカ煙草を吸ってたので、アメリカきら来た助っ人外国人選手が皆「お前らアスリートなのに何で皆煙草吸ってるんだ?」と驚いた話がありますね
ジャンボが煙草を始めたのは38歳から。タバコと言えばジャンボ以前の選手はみんな吸っていました。欧米ではベンホーガン、アーノルドパーマーはヘビースモーカーで有名。ベンホーガンのくわえ煙草スイングの動画も残っています。日本では何と言っても青木功や安田春雄が有名。ジャンボは38歳から吸い始めたので20代の第一次黄金時代は吸っていませんでしたが青木功プロは試合中のグリーン周りでも吸っていました。タバコをくわえながらアプローチを寄せてショートパットをした事があります(1975年関東プロ、動画も残っています)青木功の喫煙は米ツアーでも有名。1980年ジャックニクラスと優勝争いしたときはフェアウエイ上で煙草の煙で風向きチェックをしていました。青木功はヘビースモーカー時代に1980年全米オープン2位、1983年ハワイアンオープン優勝を記録しました。
ニックファルド?だったかが言ってたのは、ロング、ミドルアイアンの飛距離と精度が低いという評価でした。
ジャンボのスイング理論は飛ばしの最高。ロングティーアップはシャフトのしなりが複合的であることを認識できるようになる。加えてワンスイングにすべきとトミー中島にも教えたことは有名です。縦・縦振り理論を覚えるのに5年ほど要したけど、パターまで届かなかった。クロスハンドパターで納得できたけどタイムオーバー。体力と金力が消滅。残念だった。
ジャンボはパン🍞が大嫌いなのとヘビースモーカーだったのが海外に行かなかったとも言われてます(海外ツアーではタバコ吸いながらのプレーは事実上の御法度)ちなみに丸山茂樹も愛煙家でしたがタイガー・ウッズに禁煙を勧められ後に海外で3勝しました。
勝手にライを直したり出来ないルールがちゃんと世界には存在しますから。ジィちゃんバァちゃんのゴルフとは違うのよ?
あし天のひきたのモデルだからでしょ
確かに全盛期の頃は国内では無敵で今週もまたジャンボかよってぐらい勝ちまくっていた印象はあるね。だが、お山の大将でちやほやされないと気が済まないチンピラのような感じだったから実力本位の海外では全く通用しなかったのでしょう。今でも出て来ては途中棄権を繰り返してる。コースに出れば実績と知名度でちやほやしてもらえるから、スポットライトをあびる快感が忘れられないのでしょう。青木さんは世界のアオキと賞賛されてたけど、世界のオザキとは言われなかったのが全てでしょう。原さんを始めいい弟子は出てるから指導者として専念すれば晩節を汚さないでずんだのにね。
『今でも出て来ては途中棄権を繰り返してる。コースに出れば実績と知名度でちやほやしてもらえるから、スポットライトをあびる快感が忘れられないのでしょう。』↑73歳の2020年から試合に全く出場していませんのでこの意見はあてはまりません。また、72歳の2019年は7試合出場していますが試合出場していないとスポンサーがつかないなど苦しい台所事情もあるのでしょう。坐骨神経痛や個人民事再生法がなければもっときれいな引き際があったかもしれませんが解説者など楽な方を選ばないでボロボロになってまでやる方を選んだ。ツアー最年長出場記録を青木功は2016年中日クラウンズで達成しましたが9ホールで棄権しています。73歳241日の最年長出場記録を達成。青木功は翌年の2017年中日クラウンズでは初日85を叩き予選落ちしましたが自身が持つツアー史上最年長記録(73歳7か月28日)を更新し、74歳7か月27日とした。他には杉原輝雄プロは亡くなる直前まで試合出場していました。1937年06月14日生れの杉原輝雄プロは2010年の73歳まで試合出場。最後の年の平均ストロークは81.350でした。
杉原氏は、自分の事を僕と称して決してワシとは言わなかったよ。
日本では威張ってたけどね。
今に成っての謎が解明された感じで改めてジャンボ尾崎の凄さとゴルフとメンタルの繋がりの奥深さが良く分かりました😂
ほんと内弁慶だったからな。歯痒かった。「なんで世界に出ると勝てないんだよ!」といつも思ってた。
ジャンボは飛距離ばかりが言われがちですが、グリーン回りのふわっとあげるアプローチが絶妙でした。
J尾崎氏は、繊細な感性と戦後の日本を鑑みて、日本一を目指しました。
一方、青木氏は、言葉は悪いですが、ノー天気な性格。だから、地球’(世界)で成功した。お互いに、目指すものが違っていました。(言葉の壁、飲食***これってとても大切ですから)それで、良いと思います。
尾崎氏も生活の拠点をアメリカに移して試合していればメジャーは取れたはず。
尾崎将司ことジャンボ尾崎w逆じゃね?w
ジャンボさんがゴルフの大衆化に貢献したのは間違いない事実ですが、個人的には高精度のアイアンでピンに絡めてくる職人技の青木功に子供ながらゴルフの本質を感じていました。
力道山、長嶋、猪木、沢村忠、そしてジャンボ。実力とともに強烈なカリスマ性を持ってドラマでみんなを熱狂させてくれた人。
ジャンボの実力のみで考えればアメリカツアー優勝も夢ではなかったでしょう。しかし他の方も書かれてますが彼自身海外生活に馴染めない、英語が理解できずストレスと感じる等その環境に順応することが出来なかったのが全てです。青木功は「しゃんめー」だし丸ちゃんは底抜けに明るいし松山くんは、ああ見えて図太いし。やはり勝つ人は環境に順応出来るスキルを持っているということです。
ジャンボはイメージと裏腹に繊細だったから。
中島も米ツアーは移動が長くてコンディション作りが大変と言っていた。
ゴルフあんまり知らないけどジャンボ尾崎がすごいということは知ってた。海外メジャーで優勝経験なかったのは知らなかった。スーファミソフトはけっこうおもしろかった。
充分通用したと思いますよ。全米オープンも最終日12番ホールまでトップだったし、優勝争いもしている。腰を据えてアメリカに行ってればと思います。ジャンボはアメリカでも人気でしたよ。
腰を据えて、って言うけど本人が大の海外嫌いだったろ。90年代半ばなんか青木中島が衰えてまだ丸山伊沢が育ってくる前で国内ではやることない状態で独り勝ちしてたのに、ついぞ国内から出ようとしなかった人。
違うな😕👎😡🤬😠樋口久子さんも、言っていたが、海外に、言っても、他の国の、人と、コミュニケーション、取ろうと、しないから、帯同キャディーと、いつも、一緒だから、勝てなかったから、らしいな😠🤬😡👎後、彼の、ゴルフウェアファッションは、海外の、選手から、笑われて、いたらしいよ😝😝バンコクの、ビックリマンションみたいだって😁😁😁😁
青木さんは全く英語できんけど
ボディランゲージでどんどん話しかけて、人見知りっちゅうか人付き合いせえへんグレッグノーマンと
大親友になったし、ニクラウスにヘイ!ジャック!って声をかけられる数少ない日本人やろな
ジャンボはスゴい人やけどそういう事ができんかったから海外であかんかったんとちゃう?
いつもあの2人見てたらF1にも乗った中嶋悟とほとんど日本でしか走らんかった星野一義と重なって見えるわ
ワトソンが全英オープン負けて、青木さんマジ泣きして、新帝王が、イサオ泣くなよ、と声をかける仲ですからね。新帝王と青木さんは、言葉の壁を越える友情ありますね
でも、中嶋悟 マシンは優勝絡むスペックの時代は少しありましたが、表彰台ないのは残念、トラブルばかりの大荒れで、マシンがボロくて、ラックもありましたが、3位入った鈴木アグリすごい
池永さんのピッチングを見て野球をあきらめたジャンボと、池永さんがいなくなったために西鉄のエースになった東尾。同じ西鉄のドラ1でずいぶん違う人生だな。
ドラフトで入団したのは東尾だけ。 2024.09.01 19:17
思い出し胸踊りました。😂
ありがとうございます。
ジャンボが西鉄ライオンズに入団した年に,平和台球場でジャンボや池永さんと一緒に記念写真撮り、今も記念に持ってます。私は小学生でしたがやっぱりジャンボには光り輝くオーラが有りました。全米オープンの最終日バックナインは今も記憶に鮮明に残っています。
ジャンボさんの試合をテレビで見てましたが、アプローチが抜群に上手かったです。
相当の練習量で培った技術だと思いました。
動画でも有るように女性のトッププロを輩出してるジャンボ道場ですが、手取り足取りではなくほぼ座って全体を見回し、気になった事があればちょろっと一言アドバイスがあるそう。その一言が相当重要な一言で実践してみると解るそうです。
因みにアメリカではダボダボズボンと後髪伸ばしたスタイル、メジャートーナメントと言えどもタバコがんがんに吸いまくるから、ジョン・デーリーが好きそうなアメリカ人の一部からは熱狂的な人気あったそうです。
1ヤード刻みでアプローチ練習したらしい
身内にツアープロがいるので二十数年前に聞いてみたんですが「クラブの溝をスピンし易いように規定外に改造してるらしい。国内の関係者はみんな知っているが指摘し止めさせることができない。海外では必ずチェックされるので改造クラブは使用できないからだと言われてる」とのことでした。真偽はわかりませんが、試合中にフェアウエイで堂々と歩きタバコしてるのを見てそういうのもあるのかもと感じました。「若手は一緒にまわると本人よりキャディに威圧される」「息子は親と違って謙虚でプロの中では評判いいんだけどな」とも言ってました。
趣味でゴルフをやるなら必要ないけどプロの世界でやるならフィジカルの重要さを示した先駆者だと思う
11:57 いいコメント
やっぱ先駆者はどの分野でもすごい存在だね かっこいい
米欄見ると、グル不を宅からは相当な言われようだ 日本のコースってお遊びレベルなんだ
ジャンボ尾崎は、職人芸を主流としていたゴルフ界にプロ野球で培った集団でのトレーニングを取り入れた先駆者
でもある。
96年の全米オープンの3日目に観戦しました。ジャンボは10位タイでJohn Dalyとラウンドしたと記憶しています。最初は良かったのですが途中から崩れ始めて、どうしちゃったのと心配しながら観戦しました。キャディの方が時折り日本人らしき人のところに来て何かを聞いていたのを記憶しています。タバコを切らしたのかな?
根拠ないけど、うわさだけど、ジャンボのドライバーが違反クラブ ウエッジも違反 ジャンボのウエッジ打てば誰でも止まると噂が
海外にそのクラブ使えないからダメと噂 しかし、仮に止まるウエッジでも日本ツアーでのウエッジのアプローチの距離感は素晴らしかった。
やっぱジャンボと言ったら尾崎だよね😆。
いや鶴田だろ
@@闘神ブリザード
確かに😊b!。
仲根
工藤。 2024.09.01 19:20
確か期待され全英オープンに出場したものの結果が出ず尾崎さんはこうコメントした「風が強く寒さと深いラフに悩まされた」と。この発言を聴いた現地記者は「風があって寒さがあってラフがあるのは当たり前だろう、それがゴルフだ。日本では違うのか?」と。
「マル(丸山茂樹)が全英オープンで好成績を残せるのは身体が柔らかいから。俺はあの寒さじゃ身体が動かん。」なんて言ってましたよね。
ジャンボは全英初出場の1978年14位、1979年10位、長期スランプの後に6年ぶりに出場した1987年11位と実はそんなに苦手はしていませんでした。40代後半になってから1日に四季がおとずれるという全英オープンの天候の変化を嫌がるようになりました。もともと寒さに弱いジャンボでしたが30代までは対応できたが40代後半からは対応できなくなったようです。
こんな ウラ話があったのか 東名カントリーで18ホールギャラリーでついてまわたがドライバーのスイングの音が凄かったな でもタバコを
スパスパだったな あとは ゴルフウェアーがジャンボマーク憧れたな 50年前の思い出 か ジャンボ学校で生徒が 世界に羽ばたく 出てくるの
楽しみだ!
ジャンボ尾崎さんは、甲子園優勝投手からゴルファーの第1人者になる、凄いゴルファー。ジャンボ軍団で丸山選手や、たくさんの弟子のゴルファーが勝ってしまうよき指導者でもあります。今は、女子ゴルファーの弟子が何回も優勝してジャンボさんに挨拶してる動画を見ると✨ジャンボ尾崎さんの懐の大きさがわかります。ジャンボさんは、日本の優勝回数が飛び抜けている素晴らしいゴルファー。日本の食事が合ってアメリカの食事が合わないから日本での活躍で良かったと思います。
子供の頃に親と一緒に見に行きました
ジャンボ尾崎がパットを決めるとギャラリーが同伴競技者のプレーを見ないで次のコースに大移動をはじめてしまうのでギャラリーに向かって怒っていました
全米オープンで最終日最終組で優勝争いし中盤で2打差トップにも立ったがカーチス・ストレンジに優勝をさらわれた。でも当時の世界でも実力は認められていたよ
日本ゴルフ界の品格を落としたのはジャンボではないか?と個人的には好きな選手ではありませんでしたが、日本ゴルフ界に貢献した1人であるのは間違いないなぁ と動画を見て感じました。
やや乱暴な振る舞い(ジャンボ軍団を含む)は、逆に繊細な性格が起因していたのかも知れないですね。
環境、選手層の厚さ、メンタル、コースの難易度、あと何だっけ?
十分にジャンボさんは活躍しましたよ。
この動画の1989年全米オープンの説明は間違っています。13番まで首位だったのはその通りですが首位に立ったのは10番から13番までの4ホールです。14番はパットの問題ではなく、一打目を2番アイアンで右林に入れたトラブル、2打目は上手く打ったがグリーンオーバー、3打目もトラブルショットを上手く打ったがピン右横を通り過ぎロングパットを残しました。ロングパットはあわやカップインまで寄せましたがボギー。動画のパットを外すシーンは14番ではなく16番です。16番も一打目を右林に入れトラブル。2打目を出し、3打目は距離は残しましたがナイスショットでワンパット圏内に。それを外してボギーにしたシーンです。
ガムを噛んだり、1988年日本オープンのイップスが再発したのは1989年全米オープンではなく、1995年全米オープンです。
1995年6月全米オープンでの優勝争い中の3日目のラウンドではっきりと出た。
首位に2打差の2位で最終日最終組でスタートして、
7番までショットが好調でバーディチャンスにつけるがパットが入らずパー。
首位との差は2打差で変わらず、8番ドライバーでナイスショット。
第二打はフェアウェイからでピンまで110メートル、
しかし、ピンまで12メートルの下り斜面で寄らなかった。
同じ最終組のグレッグ・ノーマンのキャディは以下のように言った。
「あの時のジャンボは自分のパットにプレッシャーをかけすぎていたね。」
「大きな大会でああなると泥沼に入りやすいんだよ。」
12メートルの下り斜面のフックラインのファーストパットは全く寄らずショートした。
完璧と思って打ったのに2メートルもショート。
頭に描いた感じと結果が違っていた。
2メートルのセカンドパットも外してボギー。
この後、パットの調子がおかしくなり、優勝戦線から脱落した。
天下の松山英樹はやはりレベルが違うね。
史上最低レベルのマスターズ勝利がなんだって?
@@goriatera1
?もっとレベルの低いマスターズ勝者はたくさんいるが(笑)
@@goriatera1
どこが史上最低なんだ?
自分が聞いた黒い噂では、当時ジャンボ軍団といっていた仲間内で勝利を得るために
他のゴルファーがパットや第1打目を打つ緊張の場面で且つギャラリーが増える場所で、ギャラリーに混じって
仲間が音や声で対戦相手の集中力を削がせる妨害行為をしていたって聞きいた。そんな事国内では許されても海外では通用しない
だから、国内戦績と海外実績にかなりの開きがあり、国内でメジャータイトルを16勝に対して海外での勝利はない
当時、強すぎたジャンボ軍団に対するやっかみですね。
海外勝利は1972年ニュージーランドPGA選手家があります、メジャーではマスターズ、全英オープン、全米オープンでトップ10に入っています。
原ちゃんと笹生ちゃんは軍団だけど、アカデミー出身じゃないんだよなぁ。
西郷どんはアカデミー出身の出世頭よ
笹生プロはプロテスト合格後から通うようになりましたが、
原プロはアカデミーが出来る前の高校1年の終わりから通っていました。
原プロの活躍でジャンボアカデミーに入校するジュニアが多くなりました。
言葉です
青木さんは多少の会話が出来たので・・・
ジャンボは外人選手やそのキャディーやメディア
何を言われても高圧的で無表情で無反応でした
お分かりですね
ゴルフライターのコヤマさんが言ってたんだけど
人に出来ないことをするのが、スーパースターなんだから。
確かに海外で優勝出来なかったかもしれないけど、海外で優勝した人間が、日本でジャンボと同じことを出来るかって言ったら、ほぼ出来ないと思うよ。
それこそ成績でいうと可能性があるのは松山くらいだけど、スターとしての形(時代背景やスタイル)が全然違うので比べるのは野暮ってものですね。どちらも偉大。
@@sabamasamasamasa
そうね。どちらも常人には真似出来んw
風の大地に尾崎さん出てましたね。
まさにジャンボでゴルフを始め、j‘sのドライバーやチタンマッスルも買いました。
ジャンボが何故海外で活躍出来なかったのか。
単純に英語が苦手で他の選手とコミュニケーションが取れなく、井の中の蛙だったからです。
彼は本当に海外が嫌いなのです。
日本にいれば持て囃されトップに君臨出来る。
だからメジャーにもあまり興味がない。
ジャンボを成績で語るのは難しすぎますね。
世界4代メジャーの中でも
自然環境を配した
全英オープンで日本人優勝は未無に等しい
(諦めずに・・・💪)
世界4代メジャー優勝で
偉業を達成した
ジャックニクラウス
タイガーウッズが神と崇められることは当然のこと
ジャンボは大のご飯党なんだよ
だから、海外のようなパン食が全然受け付けれなくて、海外では思うような結果が出せなかったんだと本人も回顧してたような
ちなみに同じ時期女子テニスで海外で活躍してた伊達公子もジャンボと同じくご飯党だったけど、わざわざ海外にお米と炊飯器を持ち込んでたらしい。それくらい食生活ってスポーツの世界では大事ってことですね
米を食わないと力が出ない。だったら行くなよ。
松山英樹は専属スタッフを用意して米ツアーに参加。だから醤油も地元の四国の醤油です。
あの醤油は甘いから、私は苦手です。
米、パンなんかで体力変わらんだろって。
@@田中けんた-q7o
ジャンボが大のご飯党ってのは結構有名な話ですよ
これ、本人も雑誌やテレビの特集とかでも言ってましたけど、海外で思うようにできなかったのは食事のせいだと
@@田中けんた-q7o グルテン不耐症の可能性も考慮すれば大きく変わる可能性もあるね
ジャンボ尾崎選手の全盛期、自分もキャディのアルバイトをしていましたが、自営業風のゴルファーのほとんどが尾崎さんのクラブ(J'z)、ウェア(派手なシャツにダボダボのズボン)、髪型(後ろ髪を伸ばしたスポーツ刈り風)をしていましたね。自分も憧れて尾崎モデルのドライバー(J'zワールドステージチタン)を買ったけど全く打てなかった。一本10万円位したと思う。尾崎選手はブリヂストンを離れて自分のブランド(ワールド・ワン)を起ち上げた頃から成績が落ちて行った印象があります。
若い時ならともかく、マナーの悪くなった全盛時に海外行っても無理。
あの当時輩系が増えたのも、ハッキリ言ってジャンボのせいだもの。
物心ついた時のスポーツニュース
男子 ジャンボ尾崎
女子 岡本綾子
が毎週優勝してたイメージあります。
ジャンボ尾崎は実力は天下一品だったけど、英語が喋れない。国内の試合なら、ここぞというところでほかのプレーヤーに言葉で威圧をかけることが出来、相手を委縮させたり、ミスに結び付けることが出来たけど、海外ではそれが出来なかったから活躍できなかってんでしょう。
その通りです。年功序列の世界でした。安田春雄が新人中島常幸を小馬鹿にした台詞を言ったら言い返されて喧嘩になり犬猿の仲でした。中島は言い返したから安田を超えた日本プロゴルフAON時代が来た。
60年代までは中卒キャディ上がりだからね。職人気質の年功序列の世界。
松山選手も英語が得意ではないのであんまり関係ないと思います。話せればそれに越したことはないと思いますが。それよりも常駐したかどうかでしょう。ただ、ジャンボの20代はスポンサーの関係で海外遠征が自由にできなかった時代、30代はスランプ、40代に復活しましたが海外常駐するには年をとりすぎていました。
国内の試合でもスランプ時代はなめられてました、良い成績を続ければまわりが勝手にこけるだけです。
@@東銀座203 プロのゴルフをピュアな目で見すぎかと思います。プロのトーナメントゴルファーとはいやな言い方をすれば「賞金稼ぎ」です。「このパットが入れば優勝、入らなければプレーオフ、もし負ければ2位になって、賞金が1000万円も少なくなる・・・」そんな気持ちでプレーをしているとき、対戦相手にプレッシャーをうまくかけられるかどうかということは実力伯仲の時にはとても有効なのです。ひどい人になると、マーカー飛ばしうぇしたり、わざとボール確認をさせず誤球によるペナルティーを与えさせたり、アテストで意図的に失格させたり、いろいろです。
@@user-sg4gx8qk3v だからこそ自己申告のモラルを求めるれますね。まぁ、今は完全にスポーツですから。特に女子はフェアです(と思います)。
日本国内世界最強だったね、ジャンボは。
日本では、弟子に変なところに球が飛んだらフェアウェイにボールを置かしていた話しは、有名でコースを廻るのも歩きタバコをして最悪のプロと杉原が言っていた。
ジャンボと杉原プロはお互い認め合って良い関係でしたよ
日本のコースは左右が斜面でぶつけてFwに戻したり、2グリーンでセカンドの許容範囲が広かったり、グリーンが圧倒的に易しく、距離も短い。例えジャンボでもスポットでのメジャー参戦では勝てない。
あの頃、アメリカと日本のゴルフ場には決定的な違いが3つあった。
1、各コースの距離/特にロング
2、グリーンの転がり/速さ
3、芝の種類/高麗&ベント
彼の場合、日本のゴルフ場であまりに勝ちすぎたせいで、大雑把な日本のゴルフ場に慣れきってしまっていた。それだけに短期間ではアメリカのシビアな調整を施したゴルフ場には対応しきれなかったのだ。
しかし彼が勝てなかった原因は他にある。
メンタルだ。
彼の負けん気の強さが逆にプレッシャーとして悪く作用した。新聞各紙は今度こそと期待する。本人も『日本を背負って故郷に錦を飾るの意気込み』
青木功のように『今日 敗けたとしてもしょうがない/明日があるさ』の楽天的/前向きな思考に、彼はなれなかったのである。
モチベーションやメンタルヘルスなどの充実次第では海外メジャーも取れたと感じました。
松山も嬉しいが、ジャンボが先に取って欲しかったとも思う。
あと、日本では無くて常に海外でプレーしてれば取れた可能性は上がると思う。
まぁジャンボの時代は日本は金があったから海外へ行くメリットもあまり無いのも、
足を引っ張ったかもしれない。
昔はゴルフ番組は良く観たのですが、どうしてもタバコを直ぐに吸うので好きに成れませんでした。
本当かどうか定かではないが 米国の試合でクラブハウスにも入らず 車から直接コースに行きそのまま帰った話がある
そんなに米国嫌いならなぜ参戦したのか 理解に苦しむ。
①接待ゴルフ場で-15で優勝出来るコースセッティングでトーナメント②スポットでしか参戦させないプロゴルフ協会の度量の無さ(トーナメント参加の試合数を義務化して事実上海外に行けないように選手を縛る)。海外ツアーに行く気があったかどうか分からないが尾崎、中島、青木なら一年間参戦したらアメリカのツアーで勝てたかもよ。(青木のハワイは別にして)。
女子もそうですけど、言葉理解できないとね!難しそう。それはどんな競技でも一緒ですかね?
ピッチャーというポジションはいつもドキドキしている心配性の人が多いというが
尾崎氏もそうとは・・・
それってキャッチャーの人じゃね?
ピッチャーはお山の大将的な人が多い気がする
いや、歴史的大投手はほぼ神経質で繊細よ。だから尊大を装ったりする(金田、別所、鈴木、山田など)
また、細かいとこに気がつくくらいのほうがピッチャー的な危機回避能力に向いてるし
俺は元々プロ野球選手だお前らとは身体能力が違うと言う感じで他の選手を舐めてかかっている時のジャンボは本当に強かった。だが海外のゴルファーはプロ野球選手と変わらないフィジカルだからそうした心理的戦法が通用しなかった。
ジャンボの前にも後にもジャンボなし。
あれだけ国民を魅了したゴルファーはいないし、今後も出てこないだろう。
米の裏組織から過大な評価をされスカウトされた杉原輝雄氏。かなりの年棒で誘われましたが断った。 あの体格、あのスイングみたら、大金を掛け挑んでくる挑戦者が来ますし、相当稼げたでしょう。ミラーバーバーも所属してた裏世界。レベルは相当高かったと思います。
0:31 😮😢🎉😂❤
要は腰を据えられなかった事。向こうの選手もその実力は認めてた。ただ、彼をしてUSPGAで研鑽しなければどうにもならないって事。
日本で同じ土俵で研鑽し合った青木氏がニクラスとデッドヒートできたように、それと同じだけの実力はあったと思う。
ただ、求めた事が高すぎだよね。少しブランクがあるとタイガーですらメジャーでないトーナメントで予選落ちする世界でぽっと出で優勝を求めたんだよという事。
あと、日本人独特のムラ意識が邪魔をしたのもあると思う。常に外様で戦わなければならなかった事だよ。
食事の違い。コースの違い。いろいろと言われていますが。
何よりも頑固な性格。芝の違いを理解していても、それに対応するクラブを使用しようとしなかった。
ジャンボブランドのアイアンは全て、グースネックです。日本の野芝での性能は良いが、洋芝では対応しづらい。
そして、頑固な性格からコミニュケーションが不足していたことも、海外ツアーに長期参戦できなかった。
青木さんが、出鱈目な英語でも身振り手振りでコミニュケーションしていたら、トップ選手と友人になれた。
青木功プロは英語ができる奥様のおかげが大きいです。ラウンドする前日に選手とその奥様と青木功との夕食会を開いたりして打ち解ける雰囲気作りをしてくれた。
また、青木功は遅咲だったせいか、青木功黄金時代から日本のスポンサーが海外挑戦を理解を示すようになった時でもあったのがラッキーだった。ジャンボの第一次黄金時代はスポンサーとの関係で海外挑戦はできなかった。
1972年ニュージーランドPGA選手権に優勝しています
古いパーシモンのグラブで打つとジャンボ尾崎の凄さよくわかったw
ベテランにその話したら当たり前だろ!と逆ギレだよ
ジャンボは「モグラの穴」と称して度々ボールをリプレースしていた!!それを助けたTV放送とゴルフ協会!!!だからアメリカのゲームには行かなかった!!!
それはデマですね。 そんな事は本当であれば殿堂選手や外国人記者が主に投票する世界ゴルフ殿堂に選ばれるわけがない。
@@東銀座203 「世界ゴルフ殿堂」?その施設は何処にありますか?それと「尾崎のモグラの穴」は年配のゴルフ好きなら、多くの人が聞いたことのある話ですよ!!あと、尾崎が活躍していた時代55年以上前には、外人記者はほとんど来日していないし、日本ではテレビ中継もビッグタイトル以外はされていない時代でしたよ!!!
@@敏國澤-p4j さん、モグラの穴については1960年代~1970年代初期の日本のプロゴルフではよくあった話です。それと勘違いしていませんか?
根拠があるなら根拠を示しください。
そのような評判があれば世界殿堂投票ではすぐ伝わると言う事でです。
日本人記者が選ぶ名誉ならジャンボはすぐに選ばれるものです、それが選ばれるまで時間がかかったのは投票権が主に外国人記者によるものだったからです。
しかし、ジャンボは結局選ばれました。
ジャンボは外国人記者に評価されてていないかったからこそ、数字的には資格を持ちながら選ばれるまで時間がかかったと思います。しかし、1970年代初めから1990年代終わりまでに来日して日本で戦った多くの欧米トップ選手達はジャンボの事を高く評価していました。結局、欧米では日本より活躍が少ないジャンボだったが最後は認められました。
世界ゴルフ殿堂表彰式でのジャンボの紹介者はそうそうたる顔ぶれです。
トムワトソン(メジャー8勝、米PGAツアー39勝)、
ジェリーペイト(1976年全米オープン優勝、米PGAツアー8勝)、
ベンクレンショー(マスターズ2勝(1984/1995)、米PGAツアー19勝)、
ヘールアーウィン(全米オープン3勝(1974/1979/1990)、米PGAツアー20勝)、
ニックプライス(全米プロ2勝、全英オープン1勝、米PGAツアー18勝、世界ランク1位)
★トム・ワトソンのジャンボの紹介
「アーノルド・パーマーはゴルフを大衆化した、同じことを日本でジャンボはとことんやった!!」
パーマーが米国ゴルフ界でキングと呼ばれているのは米国でゴルフをメジャーにしたからです。
決してベンホーガンや二クラスや他のプレーヤーがゴルフを一般大衆化させたわけではありません。
日本でのジャンボもまさにそうだとトムワトソンは語りました。
ジャンボ自身はニクラスのゴルフを尊敬していたかもしれませんが
ジャンボのスイングというより行動力、影響力はパーマーのようでした。
★ジェリーペイトのジャンボの紹介
「ジャンボのプレイを見るのはエキサイティングだった。
私が今まで見た誰よりも高い3インチ(7.5センチ)にティーアップされた球を大きなバックスイングから強くスイングした。
人々は彼をただ体格が大きいからではなく、ビッグヒッターだから、ジャンボと呼びました。」
★ベンクレンショー
「彼はボールをいかようにも遠くに途方もなくアスレチックに飛ばせるパワーゴルファーの早期の例だった。」
★ヘールアーウィン
「おそらく、世界のどこかでこれまでに見た国の中でこの国(日本)からでは最も群を抜いて高くそびえた人物」
★ニックプライス
「ジャンボはアジアで誰よりもより多くトーナメントに勝ちました。私は彼の世界ゴルフ殿堂入りを本当に嬉しく思います。」
@@東銀座203 根拠を示せ と言われても50年以上前の話です。身近に年配のゴルファーがいれば聞いてみては?
@@敏國澤-p4j さんが根拠を示せない事を理解しました。私はジャンボが甲子園出場の時から知っていますし、ジャンボ以前に活躍した和製ビッグスリー時代も知っています。
ANA openの練習場で観ました。登場しただけで、他のプロを圧倒するオーラが出ていました。
海外でもそうあって欲しかったw
笹生はフィリピンにいる時から英雄
ジャンボは関係ない
ジャンボは海外での活躍がないと言う意見が多いがそれは国内に比べというだけ。
歴代日本人選手でジャンボのメジャー3つでトップ10入り、メジャーで予選通過率と匹敵、それ以上なのは松山選手、青木功選手、中島常幸選手しかいない。(丸山茂樹選手や片山晋呉選手はメジャー2つのトップ10、メジャー予選通過率はジャンボより劣ります)
また、ジャンボがデビューした時の時代は日本人が4大メジャーに挑戦はしていなかった時代、マスターズしか挑戦していなかった時代。今のように4大メジャーに当たり前のように挑戦できる時代ではなかった。また、当時(ジャンボの第一次)は今と違って、大会スポンサーとの関係もあって日本ツアー開催時に海外には行けなかった。
1973年マスターズ8位はアジア人初、マスターズが日本でテレビ中継された初めての年、これもジャンボの活躍があったからこそ。
1979年全英オープン10位。メジャー2つでトップ10は日本人で初の快挙。
1980年代長期スランプになって復活したが復活したのが遅すぎた。40歳代での復活は海外常駐するには遅すぎた。遅咲の青木功ですら30代後半からの海外挑戦だった。
1989年全米オープン最終日バックナインで首位にたった。これは日本人で初だった。13番まで首位。結果は6位だったが全く優勝争いしないで最終日だけの好成績で上位になった過去の日本人選手より価値があります。現在でもこれを上回る成績に日本人は松山選手のみです。
ただ、1989年はジャンボが42歳のとき。
日本では1998年51歳まで賞金王でしたが海外で活躍するには42歳が限界の年齢でした。
米PGAツアーをホームツアーにしている選手でも40歳以上での活躍はまれ。
活躍してもコンスタントに活躍はほとんどいません。
40歳以上の賞金王はビジェイシンだけ。タイガーも40代で勝利数は激減しました。
45歳以上だと皆無に近いです。ミケルソンは別格ですが。
30代に絶好調だったら、
また、20代の時に今と違ってスポンサーに気兼ねなく、海外挑戦ができていたら違っていたかもしれません。
1973年にジャンボ人気で日本ツアーが制定されましたが
目玉のジャンボが海外に行くわけにはいかなかった。
ただ、20代の時はスポンサーのとの関係もありましたが弟二人をひとり立ちさせたいという想いもあり、
それも海外挑戦しなかった理由でもあるでしょう。
二人の弟がプロとして活躍できるようになったころには自分がスランプ。
やっとスランプから復活したのは40歳代でした。
ジャンボ世代なので、ありがたいコメントデス。👌
ここまでゴルフ人口が増えたのも、ジャンボが日本ツアーを引っ張ってきたお陰が多大にあります。
ショットもそうですが、多くのギャラリーを引き連れてのあの集中力、佇まい、全てにおいて憧れでした。
ジャンボが昔練習場でウェッジを打ち出した時、カツーン、カツーンという音から、最初トップしてるのかと思ったが、ジャンボは平然としている。しばらくしてそれはトップしているのではなく、ジャストミートしている音なのだと分かった。いかに普段自分がダフリ気味にボールを打っているのかがよくわかった。
たしかジャンボがデビューした年にニュージーランドのプロ試合で1回か2回ほど優勝していると思う。そんなに有名な大会ではなかったが。
ニュージーランドPGA選手権はそれなりに大きい試合で全英オープン優勝者など強豪も出場していました。
井戸の中が好きなんじゃない?
ゴルフマンガに出てくるジャンボモチーフのキャラは大抵やな奴という(笑)
全盛期の時にマスターズで勝てると雑誌に豪語していて結果は予選落ちでした。 試合後にスイングの完成度が高いから勝てると思ったと言ってました。 ジャンボですらこうなのですから、石川や中嶋が終わりのない迷路を彷徨っても無理はないのかも知れません
逆に松山選手の凄さがわかりますね。
彼の場合 青木功と違い、日本とアメリカの両天秤で試合していましたからね。アメリカのコースに馴れるには中途半端だったのかも知れません。
なにより名前がいい
ジ ャ ン ボ 尾 崎
威圧することで
周りの人が萎縮してる国内ならいいですが、海外では言葉が通じないので通用口しなかった。
ジャンボくらいの態度は沢山いたと思われ、大して萎縮してくれなかった。
岡本綾子に聞けば良く分かるんじゃないかな
同時代の選手ですし
とは言えマスターズで8位になってる
一度観たが、練習場は隅っこで小さくなっている、食べ物は日本食だけ、英語は全く駄目、まさにお山の大将、青木の図々しさと太々しさが少しでも有れば。
技術的にはパッティングのストロークが小さくパチンと弾く感じなのでメジャーの早いグリーンには合わなかった
ショットも小技も日本のコース、芝に対する最適解で固められてて、海外の難コース攻略向きではなかったですよね。丸山などはある程度最初から海外から逆算したスタイルを模索してから渡米しましたが。
正確には、
「海外で通用しなかった」ではなく、「海外で優勝しなかった」ですよね。
見かけによらず繊細なハートだったようで、
渋野さんのようなプレースタイルを米国で見せたりすることや、
英語や米国の食事でもへっちゃらという適応性(ゴルフ以外の部分)が
『あと、もう一振り』だったのではないでしょうか。
日本ツアーを休んでPGAに専念していたらメジャーはともかく勝ち星は得られたと思う。でも周りの状況が許さなかった。松山だって日本ツアーメインだったら勝てなかったでしょう。
黄金のラフ(漫画)を見ればよく分かる
米国のラフではあのウェッジでの寄せは通用しなかった
松山も米国のラフを克服して米国で10勝も出来た
さらにはグリーン
たまに行って勝てるほどPGAは甘くなかった
茨木回ったけど、
長くて、そこそこ、広いよ、戦略的な面もあるけど
日本で充分に稼げたからね。
無理をしてまで、人種差別の視線を浴びてまで、アメリカでプレーをする必要は無かった。
本人も時差ボケがメジャーを阻んだって言うようにアウェィではジャンボは力を発揮できない
尾崎将司が現役時代
普通優勝スコアは-アンダーで決まるが
+オーバーパーで決まることもあった
ある選手のあいだから
コースが難しすぎるという批判の声が上がった
プロにとって+アンダーパーではプライドが許さないからだ
当時この案件がゴルフファンや巷では話題に上がった
そもそも日本のコースは
海外のコースと比べると
やさしと言われ
やさしいコースで試合を
している選手が海外で
優勝できるものではない
特にメジャー優勝者は
(世界4代メジャー)
マスターズ優勝の松山英樹選手一人だけ
(ここでは男子のみ)
プロがコースが難しいとは・・・(日本のコースで・・・)
世界4代メジャー優勝など
とうてい無理
丸山、3勝だろ。
海外での活躍?
コースのマネージメントだと思う
ジャンボの経済効果よりもタイガーの経済効果は低いのか…
まあ、バブルの時期は日本のほうが賞金も高かったってこの動画で言ってるし
わざわざアメリカツアーに参戦して緊張しながらプレーする必要もなかったんでしょう
でも国内で無敵のジャンボが海外じゃスモールになるのはガッカリだったね
内弁慶は否めんな 結果が全てな世界
もうそろそろシニアツアーに参戦して盛り上げてや
永久シードは登録するだけで若手の出場機会を邪魔しとるんやで
2020年から試合に出場していませんよ。
2019年は7試合に出場しただけ。
青木功の方が最年長記録出場(初日ハーフで棄権)を持っていますし、杉原は亡くなるまで出場しました。
また、自分で出場権を勝ち取らず、譲ってもらって出場できたとしても大成する選手はいません。
チャンスは自分でつかむものです。
角刈り襟足伸ばしやからよ
海外いくと、外人のトップと回ると、セカンドオーナーが多く、飛距離で圧倒するとまではなかった。ワトソン、ニクラウス、ランガーみたいに、アイアンがキレキレでもないし、ニックファルドなんて、ジャンボぐらい飛んで、曲がらないのに固く刻む、ゲーム展開がうまい、世界はレベル高かった。しかし、アメリカメジャー制覇1番にやってらどうだろう、マイズ、ジェフスルーマン とかメジャー一勝の選手いる、2人とも飛ぶのタイプじゃないけどマイズは日本来たらダンロップフェニックス強かった。マスターズ、ノーマンと、プレーオフ ノーマンについてくくらい飛んでた、ジェフ マイズはショートゲームは、ジャンボよりうまい やはり難しいが結論 余談だけど、昔のジャンボの家の犬名前は、ランガー
彼ヘビースモーカーでしたよね。コース外で喫煙しているのをカメラで撮られた写真を見ました。そういうのは海外で通用しませんよ。
試合中にタバコを吸っていいスポーツなんだ。
野球選手もベンチ裏で吸ってると聞きますが。
(ゴルフやらないので)一般の方はコース回っている時タバコ吸ってキャディさんに怒られたりしないんですか?
1970年代〜1980年代はプロ野球選手達がロッカーでブカブカ煙草を吸ってたので、アメリカきら来た助っ人外国人選手が皆「お前らアスリートなのに何で皆煙草吸ってるんだ?」と驚いた話がありますね
ジャンボが煙草を始めたのは38歳から。
タバコと言えばジャンボ以前の選手はみんな吸っていました。
欧米ではベンホーガン、アーノルドパーマーはヘビースモーカーで有名。ベンホーガンのくわえ煙草スイングの動画も残っています。
日本では何と言っても青木功や安田春雄が有名。ジャンボは38歳から吸い始めたので20代の第一次黄金時代は吸っていませんでしたが青木功プロは試合中のグリーン周りでも吸っていました。タバコをくわえながらアプローチを寄せてショートパットをした事があります(1975年関東プロ、動画も残っています)
青木功の喫煙は米ツアーでも有名。1980年ジャックニクラスと優勝争いしたときはフェアウエイ上で煙草の煙で風向きチェックをしていました。
青木功はヘビースモーカー時代に1980年全米オープン2位、1983年ハワイアンオープン優勝を記録しました。
ニックファルド?だったかが言ってたのは、ロング、ミドルアイアンの飛距離と精度が低いという評価でした。
ジャンボのスイング理論は飛ばしの最高。
ロングティーアップはシャフトのしなりが複合的であることを認識できるようになる。加えてワンスイングにすべきとトミー中島にも教えたことは有名です。縦・縦振り理論を覚えるのに5年ほど要したけど、パターまで届かなかった。クロスハンドパターで納得できたけどタイムオーバー。体力と金力が消滅。残念だった。
ジャンボはパン🍞が大嫌いなのとヘビースモーカーだったのが海外に行かなかったとも言われてます(海外ツアーではタバコ吸いながらのプレーは事実上の御法度)
ちなみに丸山茂樹も愛煙家でしたがタイガー・ウッズに禁煙を勧められ後に海外で3勝しました。
勝手にライを直したり出来ないルールがちゃんと世界には存在しますから。
ジィちゃんバァちゃんのゴルフとは違うのよ?
あし天のひきたのモデルだからでしょ
確かに全盛期の頃は国内では無敵で今週もまたジャンボかよってぐらい勝ちまくっていた印象はあるね。
だが、お山の大将でちやほやされないと気が済まないチンピラのような感じだったから実力本位の海外では全く通用しなかったのでしょう。今でも出て来ては途中棄権を繰り返してる。コースに出れば実績と知名度でちやほやしてもらえるから、スポットライトをあびる快感が忘れられないのでしょう。青木さんは世界のアオキと賞賛されてたけど、世界のオザキとは言われなかったのが全てでしょう。原さんを始めいい弟子は
出てるから指導者として専念すれば晩節を汚さないでずんだのにね。
『今でも出て来ては途中棄権を繰り返してる。コースに出れば実績と知名度でちやほやしてもらえるから、スポットライトをあびる快感が忘れられないのでしょう。』
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73歳の2020年から試合に全く出場していませんのでこの意見はあてはまりません。
また、72歳の2019年は7試合出場していますが試合出場していないとスポンサーがつかないなど苦しい台所事情もあるのでしょう。坐骨神経痛や個人民事再生法がなければもっときれいな引き際があったかもしれませんが解説者など楽な方を選ばないでボロボロになってまでやる方を選んだ。
ツアー最年長出場記録を青木功は2016年中日クラウンズで達成しましたが9ホールで棄権しています。73歳241日の最年長出場記録を達成。青木功は翌年の2017年中日クラウンズでは初日85を叩き予選落ちしましたが自身が持つツアー史上最年長記録(73歳7か月28日)を更新し、74歳7か月27日とした。
他には杉原輝雄プロは亡くなる直前まで試合出場していました。1937年06月14日生れの杉原輝雄プロは2010年の73歳まで試合出場。最後の年の平均ストロークは81.350でした。
杉原氏は、自分の事を僕と称して決してワシとは言わなかったよ。
日本では威張ってたけどね。