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横須賀線の横須賀〜久里浜延伸は、軍部の後押しで無理矢理実現できましたから戦争が長引けば、武山線を国有化してからの敷設という手も打たれたかもしれません。
三浦市、鉄道がつくられなかっだからこそ人口減ってる気がする。県内の自治体見てると三浦より都心に遠い茅ヶ崎市は増えてるし、また鉄道がない綾瀬市はあまり増えてない。バスしかないのは都市発展ではハンデなんだろうな
神戸電鉄粟生線の廃止が噂されていますが、もし廃止されれば三木市は神戸に隣接するベッドタウンでありながら鉄道の無い都市になってしまうし、不動産価格も下落しますよね。関西は山が多いのでバブル期に山中に造成された住宅地が多いですが、鉄道の便が無いところはほぼ「限界ニュータウン」になってます。実は直線距離では大阪都心に近いのに・・・。やはり大都市圏では鉄道に対する需要は大きいですね。
三浦市でも人口減少が著しいのが鉄路のない三崎地区だそうです。反対に鉄路のある南下浦地区、初声(はっせ)地区では微減または微増する年もあるそうです。
福岡市はバスで発展したんだけどなぁ
鉄道があっても三浦海岸から品川までラッシュは1時間20分もかかるので敬遠されるのが大きいのでは?三浦市どころか横須賀市や金沢区あたりでも徐々に人口減少は進んでいます。京急はここ30年羽田空港アクセスには力を相当入れてきたものの横須賀や三浦方面は快特を増やす以外はさっぱり。近年は主要駅から座って通勤をアピールしたもののコロナ禍もあって昨年の秋には一部特急への格下げ、エアポート急行の減便も行われました。この10月からの運賃改定ではテコ入れを図るために長距離は大幅に値下げ。集客努力が行われつつあるもののそれが吉と出るか凶と出るか?
@@TSUYOS185鉄道だけで品川まで1時間20分では確かに厳しいですね。
油壷マリンパーク、懐かしい。自分の遠足でも行ったし、息子が小さいころに連れて行ったなぁ。電車利用ではなかったけど。
愛知県小牧市に有った桃花台線(ピーチライナー)も、当初の計画通りに高蔵寺駅に繋げてたら沿線に有る高校や大学に通う学生達が利用して廃線になる事も無く今頃は新型車両が出来てたりとかもしてた可能性大ですね。仕事でたまに朝の7時頃に坂下町を小牧方面に走ると小牧方面から沢山の学生達が自転車で高蔵寺駅方面へと走って行くのを見ますね
技術的に可能かどうかは不明ですが、ピーチライナーをガイドウェイバスに改軌し、とりあえずは、桃花台←→高蔵寺間は一般道路を通り、そのまま、高蔵寺から小幡緑地からゆとりーとラインに乗入れる大曽根につなげると案はどうでしょうか?将来的には高蔵寺まで、専用線を作りさらに小牧から一宮まで延長し愛知環状鉄道につらなる北愛知環状ラインになればと妄想します。そうすれば一宮から尾西線、津島線で弥冨までの西側の環状線があるので、愛知環状線の完成です。
@@Smafo_Mail 既に1/3程高架を取壊してしまってるので手遅れですが、確かに桃花台中央のドンキの辺は地上に近い場所を走ってたので其処から地上に出で普通の道路を走る様に改造しようとすれば可能は可能だったかもですね。
ピーチライナーは名鉄小牧線としか接続せず、その小牧線が上飯田で止まっていたことで使いにくかったことも要因では?瀬戸線が栄町に乗り入れた際に小牧線を森下まで延長してそのまま栄町まで乗り入れるようにすれば名古屋の都心部直結と言うことで様相は一変したものと思いますが、、交通計画は事業者単位ではなく広域的な視点で見ることが必要だと考えた次第です。さらに名古屋圏の場合、首都圏や近畿圏と違い自家用車の分担率が高いところ。バス交通では厳しいのでしょうね。
昭和50年代、京成電鉄の車内・ドア上に掲出されていた路線図に、京成千葉駅(現・千葉中央駅)から小湊鐵道・海士有木駅までと、京急・三浦海岸から油壺までが、点線で表示されていました。
武山地区には思い入れかあります。かつて30年前になりますが、横須賀からバスで武山まで仕事で行ってました。その頃でもバスの頻度は高く、それでもかなり時間がかかっておりました。「鉄道があればなあ」と、当時は思っていたものです。
久里浜線の単線になったり複線になったりの変な状態は未来永劫解消されないということか・・・なんだかなぁ。
ちなみに京急久里浜~京急長沢の単線に関しては、活断層帯の真上を通っていたらしく複線化が取り止められたという話があります。油壺延伸がされたとしても完全複線化は難しかったと思われます。
@@けいすけ950それどころか今後三浦市の人口が減り続ければ最悪の場合三浦海岸から三崎口駅の区間が赤字で採算が取れなくなり廃線になる可能性もあり得ますねそれだけ過疎化が深刻化して来ています
廃線の可能性はあり得えないかなと思います。京急は駅の場所によって利用者に偏りがあります。久里浜以南の駅を利用者が多い順に並べると、YRP野比、三崎口、三浦海岸、京急長沢、津久井浜の順になります。実は三崎口は、横須賀西地区の市街地にバスで繋がっているので利用者が多くなりやすいんです。なので三崎地区の人口が減っている=三崎口も利用者が希薄という訳ではないんですよね。
あのまま高度成長が続いておったら海を跨いで千葉まで接続してたのでは?と思うと胸熱。
油壺線とは別に逗子線を延伸して三崎口付近で合流して三浦市(東岡付近?)さらには三崎港迄の計画と構想がありました。冷蔵庫氏はさらに城ヶ島まで妄想していましたが、さすがにこちらは。久里浜線も当初は浦賀からの延伸でしたが山を抜けるために堀之内からになったそうです。
三崎港への敷線は、油壷から更に延伸する形で、京急にも比較的最近までその意図があったみたいですね。その所為もあって「あーあ、京急も三崎口駅が今の場所ではなく、(国道134号に沿って更にその南にある)現在の三浦消防署(引橋)付近に位置するように線路を敷いておけば、せめて三崎港までは延伸できたものを。なのに油壺に駅を設置したいばっかりに、遠回りになる引橋経由ではなく、今の場所に線路を敷いてしまうだなんて」みたいな声が絶えなかったんだとか。ちなみに京急はマリンパークの閉鎖を「老朽化のため」としていますが、どんなルートにせよ線路さえ敷いてしまえばそれなりに集客も見込めただろうから、多寡が老朽化くらいで閉鎖することにならなかったんじゃないのか、そんな風に考えてしまうこともあります……。
浦賀駅から久里浜方面へも線路があったような。京急逗子から葉山方面の計画も。
武山線、完成した途端、戦時買収され国鉄線になっていたのでは?
京急がせめて三崎口から油壺→三崎港までの延伸が実現していればここまで三浦市横須賀市は過疎化しなかったと思います現在横須賀三浦の両市は人口の減少は著しいです
得意先の担当の方の御身内が亡くなられて、告別式の参列する際、三浦半島の衣笠からさらに奥まった場所へ行くのにタクシーを使い、帰りは路線バスを使おうとしても土地勘も無ければ、バス路線、鉄道の最寄り駅への行き方もわからなかったので、とりあえずバス停から乗車して運転手さんに尋ねて、途中のバス停で乗換えて、何とか横須賀線の駅へ出られた。つまり路線バスが三浦半島内では充実しているから、鉄道の半島末端までの延伸は必要ないのではないかという意見もわかる。城ヶ島へのバスも快適だった。
武山線 、もし出来ていたら西武多摩川線みたいな感じになってそう。
たしかに横須賀駅から中央、衣笠、武山、林、長井経由して三崎口を超えて三崎東岡や三崎港までのバスは途中までや分岐も含めて異様に多いからね、それなりの人は居るのかな。16号の並列トンネルが普通だったから、あそこの並列トンネルも普通だった。
武山線が開業していたとしても、京急的には軌間も違うし本線とも接続しないし、微妙な路線になっていたんじゃ…。
まあ伸ばしてたにしても第2の知多新線と化してたかも。
>県道26号線今の陸上自衛隊武山駐屯地、海自の横須賀教育隊及び横須賀音楽隊がある場所ですね。門は別ですが中は繋がってます。隣に横須賀市民病院もあります。京急の横須賀中央駅付近が繁華街なのでバスで30〜40分かけて行かねばならずある意味しんどかった😅
神戸出身者は、板宿から垂水区中部(JRと地下鉄の間)を通って明石まで抜けるはずだった「神明急行」、山電の高速新線になるはずだった線を思い出しますよ。トンネルまで出来てたのに世界恐慌で頓挫した。あれが開通してれば垂水区や西区、明石市はもっと開発されて、明石以東も独占地域のあった山電は大手私鉄になってましたね( ゚Д゚)
神奈川県に陸軍の鉄道連隊が駐屯していたなら結果は随分違っていたかもしれない。千葉県の場合は県内北部は軍の施設が数多く点在していた事や鉄道連隊の鉄道敷設技量向上の為、鉄道会社が建設資材を自前で全て用意していたから他の地域よりも資金調達で遅れていたにも拘わらず、軍の理解と協力があったからこそ千葉県に鉄道が発展出来ました。
神奈川県は正直言って三浦半島のバックアップを放棄したと言われても仕方ない位なレベルですよね。三浦市は消滅都市になると言われ、京急が自社で何とかやるだろう位にしか考えておらず、油壷延伸ルートに沿った感じで三浦縦貫道路が出来るそうですね。運賃改定で、三浦半島から都心部への定期代等の値下げ、こども料金の一律化、小田急もやりましたけど、表上沿線に若い世代の居住を狙った鉄道会社の策ですが、地元自治体も補助すべきではないかと思います。鉄道会社だけでなく、ちゃんと働き世代、若い世代からの市民県民税が入るわけですから、こういった計画は国や県がしっかりバックアップしないと、横浜界隈や東海道沿線だけ栄えてりゃ良いって考えだと住んでる方々がどんどん減りますよ。
E4531の画像、モロにwikiのブルーリボンのところのだなw
武山線なんてのが出来そうだったんだ。たしかに西側は鉄道ないよね。鉄道は維持するのに金かかるからバスで正解なんじゃないかな。
新奥沢線も、もったいなかった。
延伸予定地を五島慶太が買い占めたから延伸できなくなった、そこへ大井町線を建設しました。
しかもそれ、今の東急池上線を造った会社が、国分寺市方面の路線建設計画の為の支線でしたからね。もし、その蒲田から新奥沢線経由し国分寺方面の鉄道が開通していたら、東京の私鉄の勢力図ももしからしたら変わっていたかも…ですし。
@@長縄卓 目黒蒲田電鉄(現東急)と熾烈な争いをしていた池上電気鉄道には、国分寺への延伸計画や、山手線を飛び越えての都心延伸計画など色々やったけど、ライバルに買収されて東急池上線になっちゃった。池上線五反田駅の高いホームは、その名残り。
関東大震災では東京・横浜を中心に14万人が亡くなりましたねえ。
狭軌で始めた失敗がトラウマで地方鉄道法では標準軌とうのを役人が決めたみたいですが関東の場合は結果的には馬車軌道で良かったのではと思うのは私だけでしょうか?政府も強引に標準軌にするのであれば京王も行政指導で変えさせるべきでした。もっと言うなら都営は全て標準軌にすべきでした。つまり、馬車軌道か、標準軌に都営グループが統一されていれば結果的に、羽田と成田に直通できる範囲がもっと広がったとおもいます。
@@user-ve5rr9bl4i さんへそうなんですよね。京急は馬車軌道だったのですがこの動画の湘南電鉄が標準軌道だったので京急側が標準軌道に改軌した為標準軌道になってしまった。政府の行政指導なく湘南電鉄が初めから馬車軌道か馬車軌道に改軌すれば都営グループは馬車軌道で統一できたかもしれません。
@@user-ve5rr9bl4i さんへ国の方針で標準軌に集約するつもりなら、なぜ新宿線は馬車軌道を許したのでしょうか?腰砕けにならず、最後まで行政はやって欲しいです。結果的には行き当たりばったりに見えます。
標準軌になんのメリットが有ったのでしょうか?銀座線も丸の内線も標準軌ですが、第三軌条、トンネルは小さい、駅は短い、電圧はちがうで乗り入れはできないと思うのですが。
過去の事なので今更真実は解りませんが、都営の担当者が、保守性が良いので標準軌で作り京急、京成を新宿まで乗り入れさせる、その先も単独で作ります。それでも良いですか京王さんと運輸省を味方にして交渉すれば京王も根負けしたとおもうのですがどうだったのでしょうか? 交渉が京王の方が一枚上だったと言う事ですかね。
単なる、当時の役人が何故そう考えたかえを疑問に思って書きました。軌間幅を合わせる最大の目的は乗り入れ可能になる事です。それが目的であれば狭軌が一番の選択肢です。宇都宮ライトレールも将来を考え狭軌を選択しました。それが原因かどうか解りませんが試運転で脱線しました。しかし、1372mm馬車軌道と1435mm標準軌63mmの差が、1067mm狭軌368mmの差と安定性でどのぐらいなのか拡幅でない地下鉄車両車両でどの位の差があるのでしょうか?旧ほくほく線の160km、スカイライナーも160kmで同じです。そう考えると仮に京成が馬車軌道でも160kmはだせたとおもいます。そう考えると関東では銀座線丸の内線を無視すれば狭軌か馬車軌道が乗り入れを考えた選択しと思うのですが狭軌は無くならないけど馬車軌道はなくなると当時の役人は思ったのでしょうか?未来が分かっている現在からの疑問点ですが当時の役人は未来の見えてない無責任な人に見えるのは私だけでしょうか?
横須賀線は三浦半島では主要な交通機関ではないよ
バスで正解
横須賀線の横須賀〜久里浜延伸は、軍部の後押しで無理矢理実現できましたから
戦争が長引けば、武山線を国有化してからの敷設という手も打たれたかもしれません。
三浦市、鉄道がつくられなかっだからこそ人口減ってる気がする。県内の自治体見てると三浦より都心に遠い茅ヶ崎市は増えてるし、また鉄道がない綾瀬市はあまり増えてない。バスしかないのは都市発展ではハンデなんだろうな
神戸電鉄粟生線の廃止が噂されていますが、もし廃止されれば三木市は神戸に隣接するベッドタウンでありながら鉄道の無い都市になってしまうし、不動産価格も下落しますよね。
関西は山が多いのでバブル期に山中に造成された住宅地が多いですが、鉄道の便が無いところはほぼ「限界ニュータウン」になってます。実は直線距離では大阪都心に近いのに・・・。
やはり大都市圏では鉄道に対する需要は大きいですね。
三浦市でも人口減少が著しいのが鉄路のない三崎地区だそうです。
反対に鉄路のある南下浦地区、初声(はっせ)地区では微減または微増する年もあるそうです。
福岡市はバスで発展したんだけどなぁ
鉄道があっても三浦海岸から品川までラッシュは1時間20分もかかるので敬遠されるのが大きいのでは?
三浦市どころか横須賀市や金沢区あたりでも徐々に人口減少は進んでいます。
京急はここ30年羽田空港アクセスには力を相当入れてきたものの横須賀や三浦方面は快特を増やす以外はさっぱり。
近年は主要駅から座って通勤をアピールしたもののコロナ禍もあって昨年の秋には一部特急への格下げ、エアポート急行の減便も行われました。
この10月からの運賃改定ではテコ入れを図るために長距離は大幅に値下げ。集客努力が行われつつあるもののそれが吉と出るか凶と出るか?
@@TSUYOS185
鉄道だけで品川まで1時間20分では確かに厳しいですね。
油壷マリンパーク、懐かしい。自分の遠足でも行ったし、息子が小さいころに連れて行ったなぁ。電車利用ではなかったけど。
愛知県小牧市に有った桃花台線(ピーチライナー)も、当初の計画通りに高蔵寺駅に繋げてたら沿線に有る高校や大学に通う学生達が利用して廃線になる事も無く今頃は新型車両が出来てたりとかもしてた可能性大ですね。
仕事でたまに朝の7時頃に坂下町を小牧方面に走ると小牧方面から沢山の学生達が自転車で高蔵寺駅方面へと走って行くのを見ますね
技術的に可能かどうかは不明ですが、ピーチライナーを
ガイドウェイバスに改軌し、とりあえずは、桃花台←→高蔵寺間は
一般道路を通り、そのまま、高蔵寺から小幡緑地からゆとりーとラインに
乗入れる大曽根につなげると案はどうでしょうか?
将来的には高蔵寺まで、専用線を作りさらに小牧から一宮まで延長し
愛知環状鉄道につらなる北愛知環状ラインになればと妄想します。
そうすれば一宮から尾西線、津島線で弥冨までの西側の環状線があるので、
愛知環状線の完成です。
@@Smafo_Mail
既に1/3程高架を取壊してしまってるので手遅れですが、確かに桃花台中央のドンキの辺は地上に近い場所を走ってたので其処から地上に出で普通の道路を走る様に改造しようとすれば可能は可能だったかもですね。
ピーチライナーは名鉄小牧線としか接続せず、その小牧線が上飯田で止まっていたことで使いにくかったことも要因では?
瀬戸線が栄町に乗り入れた際に小牧線を森下まで延長してそのまま栄町まで乗り入れるようにすれば名古屋の都心部直結と言うことで様相は一変したものと思いますが、、
交通計画は事業者単位ではなく広域的な視点で見ることが必要だと考えた次第です。
さらに名古屋圏の場合、首都圏や近畿圏と違い自家用車の分担率が高いところ。バス交通では厳しいのでしょうね。
昭和50年代、京成電鉄の車内・ドア上に掲出されていた路線図に、京成千葉駅(現・千葉中央駅)から小湊鐵道・海士有木駅までと、京急・三浦海岸から油壺までが、点線で表示されていました。
武山地区には思い入れかあります。かつて30年前になりますが、横須賀からバスで武山まで仕事で行ってました。
その頃でもバスの頻度は高く、それでもかなり時間がかかっておりました。
「鉄道があればなあ」と、当時は思っていたものです。
久里浜線の単線になったり複線になったりの変な状態は未来永劫解消されないということか・・・
なんだかなぁ。
ちなみに京急久里浜~京急長沢の単線に関しては、活断層帯の真上を通っていたらしく複線化が取り止められたという話があります。油壺延伸がされたとしても完全複線化は難しかったと思われます。
@@けいすけ950
それどころか今後三浦市の人口が減り続ければ最悪の場合三浦海岸から三崎口駅の区間が赤字で採算が取れなくなり廃線になる可能性もあり得ますね
それだけ過疎化が深刻化して来ています
廃線の可能性はあり得えないかなと思います。京急は駅の場所によって利用者に偏りがあります。久里浜以南の駅を利用者が多い順に並べると、YRP野比、三崎口、三浦海岸、京急長沢、津久井浜の順になります。実は三崎口は、横須賀西地区の市街地にバスで繋がっているので利用者が多くなりやすいんです。
なので三崎地区の人口が減っている=三崎口も利用者が希薄という訳ではないんですよね。
あのまま高度成長が続いておったら海を跨いで千葉まで接続してたのでは?と思うと胸熱。
油壺線とは別に逗子線を延伸して三崎口付近で合流して三浦市(東岡付近?)さらには三崎港迄の計画と構想がありました。冷蔵庫氏はさらに城ヶ島まで妄想していましたが、さすがにこちらは。
久里浜線も当初は浦賀からの延伸でしたが山を抜けるために堀之内からになったそうです。
三崎港への敷線は、油壷から更に延伸する形で、京急にも比較的最近までその意図があったみたいですね。その所為もあって
「あーあ、京急も三崎口駅が今の場所ではなく、(国道134号に沿って更にその南にある)現在の三浦消防署(引橋)付近に位置するように線路を敷いておけば、せめて三崎港までは延伸できたものを。なのに油壺に駅を設置したいばっかりに、遠回りになる引橋経由ではなく、今の場所に線路を敷いてしまうだなんて」
みたいな声が絶えなかったんだとか。ちなみに京急はマリンパークの閉鎖を「老朽化のため」としていますが、どんなルートにせよ線路さえ敷いてしまえばそれなりに集客も見込めただろうから、多寡が老朽化くらいで閉鎖することにならなかったんじゃないのか、そんな風に考えてしまうこともあります……。
浦賀駅から久里浜方面へも線路があったような。京急逗子から葉山方面の計画も。
武山線、完成した途端、戦時買収され国鉄線になっていたのでは?
京急がせめて三崎口から油壺→三崎港までの延伸が実現していればここまで三浦市横須賀市は過疎化しなかったと思います
現在横須賀三浦の両市は人口の減少は著しいです
得意先の担当の方の御身内が亡くなられて、告別式の参列する際、三浦半島の衣笠からさらに奥まった場所へ行くのにタクシーを使い、帰りは路線バスを使おうとしても土地勘も無ければ、バス路線、鉄道の最寄り駅への行き方もわからなかったので、とりあえずバス停から乗車して運転手さんに尋ねて、途中のバス停で乗換えて、何とか横須賀線の駅へ出られた。つまり路線バスが三浦半島内では充実しているから、鉄道の半島末端までの延伸は必要ないのではないかという意見もわかる。城ヶ島へのバスも快適だった。
武山線 、もし出来ていたら西武多摩川線みたいな感じになってそう。
たしかに横須賀駅から中央、衣笠、武山、林、長井経由して三崎口を超えて三崎東岡や三崎港までのバスは途中までや分岐も含めて異様に多いからね、それなりの人は居るのかな。
16号の並列トンネルが普通だったから、あそこの並列トンネルも普通だった。
武山線が開業していたとしても、京急的には軌間も違うし本線とも接続しないし、微妙な路線になっていたんじゃ…。
まあ伸ばしてたにしても第2の知多新線と化してたかも。
>県道26号線
今の陸上自衛隊武山駐屯地、海自の横須賀教育隊及び横須賀音楽隊がある場所ですね。門は別ですが中は繋がってます。隣に横須賀市民病院もあります。京急の横須賀中央駅付近が繁華街なのでバスで30〜40分かけて行かねばならずある意味しんどかった😅
神戸出身者は、板宿から垂水区中部(JRと地下鉄の間)を通って明石まで抜けるはずだった「神明急行」、山電の高速新線になるはずだった線を思い出しますよ。トンネルまで出来てたのに世界恐慌で頓挫した。
あれが開通してれば垂水区や西区、明石市はもっと開発されて、明石以東も独占地域のあった山電は大手私鉄になってましたね( ゚Д゚)
神奈川県に陸軍の鉄道連隊が駐屯していたなら結果は随分違っていたかもしれない。
千葉県の場合は県内北部は軍の施設が数多く点在していた事や鉄道連隊の鉄道敷設技量向上の為、鉄道会社が建設資材を自前で全て用意していたから他の地域よりも資金調達で遅れていたにも拘わらず、軍の理解と協力があったからこそ千葉県に鉄道が発展出来ました。
神奈川県は正直言って三浦半島のバックアップを放棄したと言われても仕方ない位なレベルですよね。
三浦市は消滅都市になると言われ、京急が自社で何とかやるだろう位にしか考えておらず、
油壷延伸ルートに沿った感じで三浦縦貫道路が出来るそうですね。
運賃改定で、三浦半島から都心部への定期代等の値下げ、こども料金の一律化、小田急もやりましたけど、
表上沿線に若い世代の居住を狙った鉄道会社の策ですが、
地元自治体も補助すべきではないかと思います。
鉄道会社だけでなく、ちゃんと働き世代、若い世代からの市民県民税が入るわけですから、
こういった計画は国や県がしっかりバックアップしないと、横浜界隈や東海道沿線だけ栄えてりゃ良いって考えだと
住んでる方々がどんどん減りますよ。
E4531の画像、モロにwikiのブルーリボンのところのだなw
武山線なんてのが出来そうだったんだ。
たしかに西側は鉄道ないよね。鉄道は維持するのに金かかるからバスで正解なんじゃないかな。
新奥沢線も、もったいなかった。
延伸予定地を五島慶太が買い占めたから延伸できなくなった、そこへ大井町線を建設しました。
しかもそれ、今の東急池上線を造った会社が、国分寺市方面の路線建設計画の為の支線でしたからね。
もし、その蒲田から新奥沢線経由し国分寺方面の鉄道が開通していたら、東京の私鉄の勢力図ももしからしたら変わっていたかも…ですし。
@@長縄卓 目黒蒲田電鉄(現東急)と熾烈な争いをしていた池上電気鉄道には、国分寺への延伸計画や、山手線を飛び越えての都心延伸計画など色々やったけど、ライバルに買収されて東急池上線になっちゃった。池上線五反田駅の高いホームは、その名残り。
関東大震災では東京・横浜を中心に14万人が亡くなりましたねえ。
狭軌で始めた失敗がトラウマで地方鉄道法では標準軌とうのを役人が決めたみたいですが
関東の場合は結果的には馬車軌道で良かったのではと思うのは私だけでしょうか?
政府も強引に標準軌にするのであれば京王も行政指導で変えさせるべきでした。
もっと言うなら都営は全て標準軌にすべきでした。
つまり、馬車軌道か、標準軌に都営グループが統一されていれば
結果的に、羽田と成田に直通できる範囲がもっと広がったとおもいます。
@@user-ve5rr9bl4i さんへ
そうなんですよね。
京急は馬車軌道だったのですがこの動画の湘南電鉄が標準軌道だったので
京急側が標準軌道に改軌した為標準軌道になってしまった。
政府の行政指導なく湘南電鉄が初めから馬車軌道か馬車軌道に改軌すれば
都営グループは馬車軌道で統一できたかもしれません。
@@user-ve5rr9bl4i さんへ
国の方針で標準軌に集約するつもりなら、なぜ新宿線は馬車軌道を許したのでしょうか?
腰砕けにならず、最後まで行政はやって欲しいです。
結果的には行き当たりばったりに見えます。
標準軌になんのメリットが有ったのでしょうか?
銀座線も丸の内線も標準軌ですが、
第三軌条、トンネルは小さい、駅は短い、電圧はちがうで乗り入れはできないと思うのですが。
過去の事なので今更真実は解りませんが、
都営の担当者が、保守性が良いので標準軌で作り京急、京成を新宿まで乗り入れさせる、その先も単独で作ります。
それでも良いですか京王さんと運輸省を味方にして交渉すれば京王も根負けしたとおもうのですが
どうだったのでしょうか? 交渉が京王の方が一枚上だったと言う事ですかね。
単なる、当時の役人が何故そう考えたかえを疑問に思って書きました。
軌間幅を合わせる最大の目的は乗り入れ可能になる事です。
それが目的であれば狭軌が一番の選択肢です。
宇都宮ライトレールも将来を考え狭軌を選択しました。
それが原因かどうか解りませんが試運転で脱線しました。
しかし、1372mm馬車軌道と1435mm標準軌63mmの
差が、1067mm狭軌368mmの差と安定性でどのぐらいなのか
拡幅でない地下鉄車両車両でどの位の差があるのでしょうか?
旧ほくほく線の160km、スカイライナーも160kmで同じです。
そう考えると仮に京成が馬車軌道でも160kmはだせたとおもいます。
そう考えると関東では銀座線丸の内線を無視すれば
狭軌か馬車軌道が乗り入れを考えた選択しと思うのですが
狭軌は無くならないけど馬車軌道はなくなると当時の役人は思ったのでしょうか?
未来が分かっている現在からの疑問点ですが当時の役人は未来の見えてない無責任な人に
見えるのは私だけでしょうか?
横須賀線は三浦半島では主要な交通機関ではないよ
バスで正解