宮崎の戦争記録継承(語り部12:ソ連国境守備隊) 15/16
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- Опубликовано: 11 фев 2025
- 宮崎県では、戦争の悲惨さや平和の尊さを受け継いでいくために、先の大戦を実際に体験した世代が「語り部」としてその経験を語る映像として記録することにより、戦争体験の風化を防ぐとともに、戦没者遺族等の精神的慰藉を図ることを目的として、「戦争体験『語り部』映像記録事業」を平成18年度に実施し、作成した映像記録はDVD3本に収録して県内の小・中・高校・大学及び公立図書館や関係団体等に広く配布しました。
この映像は、DVDに収録されている映像のうち、満州の東寧のソ連国境守備隊に配属されておられた早瀬三樹雄さん(収録時84歳)のお話をまとめたものです。
なお、宮崎の戦争記録継承のための専用サイトを以下のとおり設けてありますので、是非ともご覧ください(この映像もご覧になれます)。
宮崎の戦争記録継承館
miyazaki-sensok...
また、以下の関連サイトもご覧ください。
ホームページ「宮崎の戦争記録継承館」のご案内
www.pref.miyaza...
平和祈念資料展示室のご案内
www.pref.miyaza...
戦争体験者の「語り」を収録したDVDを作成しました
www.pref.miyaza...
美談ではなく、自慢話でもなく、そこで体験された方達だけが話すことができる大変重みと悲しみのあるお話だと思います。
ソ連軍との戦いはノモンハンとかが有名だけど国境の小競り合いは日常的にあったのでしょうね。
戦争が有るか無いかでは天地の差だけれど、今も昔もこういう根性論みたいな教育にすぐ向かおうとするの日本人らしいなあ、、、
野菜でも凍っちまうと、もはやベツモノ。。。
お手々が、凍る直前?ソンナコトを試験しなくてよいけど、凍傷ってボロリと落ちるらしいからね。赤黒いと言うか濃い赤茶色の黒っぽい色になるみたいだよね、画像とかで見たことは在る。
2回も3回も?。。。。
辛かったろうなぁ。
墓場までいかないと、辛くて仕方ないだろうな。
自分の曽祖父は満州に開拓団として綾から行ったけど
満州を守らないといけない日本軍が何の予兆もなく撤退したあと民間人を集めた
兵隊にされてソ連に捕虜として捕まり
捕虜としてなくなりました
自分の祖父は幼くて父親をまともに見たことがない
そういう民間人がいたことも忘れないでほしい
開拓村・団に、少中火器・トラック❔を配備・支給して常時定期的訓練しておくべき、てかなぜしておかなかったのか?埋設した毒ガス砲弾は、有り余っていたらしいんだが。在庫管理していなかったんだと思います。 しかし、情けない軍隊だなあ。
大和魂のツカイカタ間違えると、って、ほかの何に例えても、テキショテキザイ、間違えると、大違いのベツモノ。。。
ソンナ悲劇が平然となされていた大日本帝国憲法下
ガソリン車って、高級車だね。劣悪ガソリンだとしても。
声聞縁覚でも良いので中学生から近代史とし話を聞かせるべきです。下を見たらキリが無いということを考えさせるべき。