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今の職場に勤めて15年経ちますが、入社した当時から年上の女の人のグループに悪口や嫌がらせされてます。周りの人達は誰も私の事を助けてくれません。皆んな知らん顔です。泣きながら耐えてます。黙々と仕事をしている事が面白くないみたいです。誰も自分が大事なんです。でも負けて辞めたくありません。この相談者さんは、私より随分若い方ですが素晴らしい方です。
私は辞めることが負けだとは思いません。
15年も良く耐えられてますね。私は、あなたを尊敬します。心身共に極度に不調をきたしてないことを願っています。
逆に15年間もの長い間、特定の人に対して悪口を言っている女共なんぞクソほどロクでも無いと考えれば少しは気持ちは楽になりますかな。その女共の脳みその程度が知れてます。
いつも、ドンピシャタイミングで、疑問に思っていた事への答えをupして下さいます。ほんとうに 心から感謝いたします🙏
めまて
大愚和尚さま。いつも心暖まるお言葉に感謝して拝見させて頂いております。初めてコメントさせて頂きます。主人が高校生の頃に「パシリ」をさせられているA君がいました。パシリをさせているB君はいつも財布に「万札」を入れていて、お金で人を使うような人でした。やはり周りは見て見ぬふり。たまたま主人がB君に「お前そんな事やめろよー」と、何気に言ったそうです。それからA君にパシリは無くなりました。大人になってからA君に「あの時の事は一生忘れない。一生感謝している。」と、言われました。還暦を過ぎた今でも、A君と主人は良い仲間です。
73才の おばあさんですが 素直に 何かしらうれしい感覚でお聞きしました いつも ありがとうございます
そうですね。慈悲心を持って目の前の問題に取り組んで行きたいと思わされました。ありがとうございます😌
正義感があって素敵だと思いますよ!何を言われても堂々としてて下さい😊類は友をよびますから。同じ考えの友達が集まってきますよ👍️貴方みたいな素敵な友達が🙆✨楽しい学生生活を送って下さいね‼️
いつも大きな学びをありがとうございます。いじめている子を助けたら逆にいじめの対象になった経験がありました。苦しかったです。見ていられない状況下にあっても私のような弱い人間が立ち向かってはいけなかったのか。何十年経った今でも疑問に思っています。人間は個々に違った性格をもち、価値観も異なります。そんな中で発する言葉が大きな意味をもつ恐怖を感じながら生きてます。人間関係においてこの地球で生き抜く事はある意味修業のようです。この度、動画を拝見させて頂き自身を振り返るきっかけとなりました。
毎朝大愚和尚の動画を見ながらというか聴きながら車で職場に向かってます。今日のこの動画も明日朝車の中で拝聴させていただきます。いつもありがとうございます。
ありがとうございます🙏自分にもすごく日常の判断に役立ちます。我慢に耐えかねての行動と慈悲からの行動は 確かに違いますね。相談者さんも素敵な相談ありがとうございます🙏
言い方よりもどういう気持ちで発言しているかが大事なんですね。(勘違いされるような酷い言い方はダメですけど)愛情をもって叱る人も世の中にはいるので、言い方だけでとらえるのではなく何を伝えてるのか見極めたいと思いました。今日の悩み相談の方は結構人として好感もてます。
一生エゴとは対峙して生きていきますよね。状況は分かりませんが、まずは嫌な思いしてる友人を守ったとしたら相談者様に大きなハグしたい位の気持ちです。同じ歳頃の子ども達が居りますので、言葉選びはまだまだ勉強中で当たり前ですよね。勇気と素直さはなかなか身に付けたくても身につけられません。そこを大事に自信もって大人に向かってください。私も大きい心で、子ども達を見守ってサポートしていきたいと改めて思いました。ありがとうございます。
似た経験があります。変な『正義感』に自惚れていました。しかしお釈迦様の教えを知り先ずは『自分の足元』を照らせるよう努力したいです😊
言うべきことを言えば良いと思います。100%のコミニケーションなんて求めなくて大丈夫です。ケアのケアまで考えたら誰一人救われません。でも何かあったら周りの大人にちゃんと助けを求めてくださいね。思い通りにならない事もあると思いますが一人っきりにはならないでください。バランス感覚については私も住職の仰る通りだと思います。相談者さんみたいな奴がいるクラスだったら私はちょっと嬉しいですね。君は思いやりのある素敵な大人になるでしょう。人生への健闘を祈ります。
まだ拝見する前に、タイトルを見て、私の彼に対する思いやりは、思いあがりなのかな、、とフトよぎりました。就寝前にゆっくりと拝見します。楽しみです。
見て見ぬふりする人といじめや嫌がらせしてる人は同罪ですね、嫌われても怖がられても人を助ける人間を私は尊敬します👍👍👍🤗その勇気は尊い心だと思います🤗
いつもありがとうございます。
和尚様の言う通りだと感じます。動物は皆合う、合わないは必ずあるとは思います、人も動物ですから。その中で心を正常に保ちぬく事だと感じています。難しい場面もあります。ですが、自身も様々な人間関係での経験をしてきて、心が一番、次に自分だと感じました。心は正直です。
つい、我が強くなってしまっている自分に気づかされました。
思いやりが思い上がりになってはだめですよね?でも行動するときに、迷ったら動けなくなり、困ってる人を助けることはすぐしないと迷ってたら時を逸しますよね?まず動き、行動してから考えたら若い時はいいと思ってます。先に考えたら動けなくなり自分がそうでした🍀頭でっかちでいつも考えてばかり〜で何をしてたんだ❗と、今は良い❗と思ったらすぐ動く✨それを反対に実践するようにしてます。
その気持ち、すごくすごくわかります。私は「そんなことするなよ」と言わず、その相手を徹底的に拒否しました。自分だけが嫌だから拒否してるだけならいいだろうと思っていたけれど、そのたった一人のわたしの拒否は女子集団においてよくない方向へ向かいました。わたしはリーダー格だとは思っていなかったけど、あの時わたしは影響力をもっていたからこそ、その後さまざまな嫌なことが起こり、心から信頼できる友達に巡り合うのも時間がかかりました。物事の善悪は良い悪いではなく巧みか巧みでないかであり、わたしの判断で悪いと判断したことに効果的ではない方法で行動を起こしてしまった。和尚さんの動画をいくつもいくつも見て実感しました。それでも、まだまだ怒りの炎は急に発生します。引き続き、消化活動を早めにできるようになりたいものです。。。心を清らかに保ちたいものですね🙏🏻✨
見返りを求めない、社会ができたならなー。素敵になれるはずなんですが、想像を絶する環境で育った人もいるんですよね。。方丈記また読み返します。。
正直な言葉を、聴きたい
物事の本質を理解しようとするなら、表に現れた事象のみでなく、その事象が現れた原因を考察すべきでしょう。なぜなら、同じような行為でも正反対の動機によりそれが現れることもありますから。被害にあっている人を見て、なんとかしてあげたいと思い、加害者を非難する。 そのような動機で加害者を責める言動が出ることもあるでしょう。一方で、それとは別の動機で加害者を責める言動が出ることがあるのも事実です。『態度の大きな人や上から目線の人を見るとイライラする。』なぜイライラするのか? 短い相談文のみでは断定することはできませんが、一般的に多い事例で言えば、「自分がしたくても、しないで我慢しているのに、他の誰かがしていることが我慢ならない」という感情によるものなのでしょう。 そしておそらく、相談者さんはそのような動機で「声を荒げることを抑えることができない」でいるのでしょう。当事者の視点と、第三者の視点は大きく異なります。当事者はどうしても主観の影響を強く受けてしまいますが、第三者はピュアに判断すると言うか、ある意味「他人事」として客観的に傍観することになります。その「傍観者」が「あいつヤベーよ」とか「怖い」と言うのであれば、それはすなわち、「相談者さんが攻撃している」という印象を強く与えていると考えるのが妥当でしょう。不正をしたい人に限って、不正する人を強く非難するものです。自分だけが得をしたいと思っている人に限って、自分だけが得をしている人を強く非難するものです。「自分はそうありたいけど、そうはなっていない。 でも、あの人はそうなっている。 ズルい。 あいつだけが得するなんて気にくわん。」社会的に好ましくないと思われている事柄に対し、密かにそれを望んでいる人々は、時としてそれを実現している人たちに強い攻撃性を示していることが確認できるでしょう。「なぜそれをするのか?」その動機が変われば、同じ様な行為であっても、その行為の意味はまったく異なったものとなります。そして、その動機が正しいものであれば、すなわち、他者の幸せを願い、他者の苦しみを憂い、他者の喜びを共に喜び、自らの執着から離れたものであれば、その行為が第三者視点の人達からあからさまに悪く受け取られることはないでしょう。逆に、その動機が自らの隠れた欲望を基にしたものであり、その欲望を実現している者への嫉妬によるものであるならば、その行為を第三者視点の人達は否定的に受け取ることでしょう。『我慢もできません。 どうすればいいでしょうか?』事象に対する対策はあまり効果は出ないでしょう。問題解決のセオリーとしては、やはり「根本原因」に対して対策を立てることとなります。そうであるなら、「自分は何故イライラするのか?」をよくよく省みるよう努めるしかないと思います。「本当は、自分も大きな態度が取りたいのではないか? 自分も上から目線でものを言い、優越感を感じたいのではないか?」そのようなことを自ら考えることは、大人にとっても難しいものですので、中学生に求めるのは少々酷な気もしますが、少しずつでも、頭の片隅に引っ掛けるだけでも、そのような考え方が出来るようになっていかないと、この問題はおそらく解決しないと思います。原因が変わらなければ結果も変わりません。現状、居心地の悪い状況になることが多いのであれば、その原因が変わらない限り、今後も(下手をしたら一生)同じような状況に頻繁に陥ることになるでしょう。自分自身を客観視する訓練は非常に重要なことだと思いますので、少しずつでも、自分を客観的に評価する訓練を積んで頂ければと願います。
今の職場に勤めて15年経ちますが、入社した当時から年上の女の人のグループに悪口や嫌がらせされてます。周りの人達は誰も私の事を助けてくれません。皆んな知らん顔です。泣きながら耐えてます。黙々と仕事をしている事が面白くないみたいです。誰も自分が大事なんです。でも負けて辞めたくありません。この相談者さんは、私より随分若い方ですが素晴らしい方です。
私は辞めることが負けだとは思いません。
15年も良く耐えられてますね。
私は、あなたを尊敬します。
心身共に極度に不調をきたしてないことを願っています。
逆に15年間もの長い間、特定の人に対して悪口を言っている女共なんぞクソほどロクでも無いと考えれば少しは気持ちは楽になりますかな。
その女共の脳みその程度が知れてます。
いつも、ドンピシャタイミングで、疑問に思っていた事への答えをupして下さいます。ほんとうに 心から感謝いたします🙏
めまて
大愚和尚さま。いつも心暖まるお言葉に感謝して拝見させて頂いております。初めてコメントさせて頂きます。主人が高校生の頃に「パシリ」をさせられているA君がいました。パシリをさせているB君はいつも財布に「万札」を入れていて、お金で人を使うような人でした。やはり周りは見て見ぬふり。たまたま主人がB君に「お前そんな事やめろよー」と、何気に言ったそうです。それからA君にパシリは無くなりました。大人になってからA君に「あの時の事は一生忘れない。一生感謝している。」と、言われました。還暦を過ぎた今でも、A君と主人は良い仲間です。
73才の おばあさんですが 素直に 何かしらうれしい感覚でお聞きしました いつも ありがとうございます
そうですね。慈悲心を持って目の前の問題に取り組んで行きたいと思わされました。ありがとうございます😌
正義感があって素敵だと思いますよ!何を言われても堂々としてて下さい😊類は友をよびますから。同じ考えの友達が集まってきますよ👍️貴方みたいな素敵な友達が🙆✨楽しい学生生活を送って下さいね‼️
いつも大きな学びをありがとうございます。
いじめている子を助けたら逆にいじめの対象になった経験がありました。苦しかったです。見ていられない状況下にあっても私のような弱い人間が立ち向かってはいけなかったのか。何十年経った今でも疑問に思っています。人間は個々に違った性格をもち、価値観も異なります。そんな中で発する言葉が大きな意味をもつ恐怖を感じながら生きてます。人間関係においてこの地球で生き抜く事はある意味修業のようです。この度、動画を拝見させて頂き自身を振り返るきっかけとなりました。
毎朝大愚和尚の動画を見ながらというか聴きながら車で職場に向かってます。
今日のこの動画も明日朝車の中で拝聴させていただきます。
いつもありがとうございます。
ありがとうございます🙏自分にもすごく日常の判断に役立ちます。我慢に耐えかねての行動と慈悲からの行動は 確かに違いますね。相談者さんも素敵な相談ありがとうございます🙏
言い方よりもどういう気持ちで発言しているかが大事なんですね。(勘違いされるような酷い言い方はダメですけど)
愛情をもって叱る人も世の中にはいるので、言い方だけでとらえるのではなく何を伝えてるのか見極めたいと思いました。
今日の悩み相談の方は結構人として好感もてます。
一生エゴとは対峙して生きていきますよね。
状況は分かりませんが、まずは嫌な思いしてる友人を守ったとしたら相談者様に大きなハグしたい位の気持ちです。同じ歳頃の子ども達が居りますので、言葉選びはまだまだ勉強中で当たり前ですよね。
勇気と素直さはなかなか身に付けたくても身につけられません。
そこを大事に自信もって大人に向かってください。
私も大きい心で、子ども達を見守ってサポートしていきたいと改めて思いました。ありがとうございます。
似た経験があります。
変な『正義感』に自惚れていました。しかしお釈迦様の教えを知り先ずは『自分の足元』を照らせるよう努力したいです😊
言うべきことを言えば良いと思います。100%のコミニケーションなんて求めなくて大丈夫です。
ケアのケアまで考えたら誰一人救われません。でも何かあったら周りの大人にちゃんと助けを求めてくださいね。
思い通りにならない事もあると思いますが一人っきりにはならないでください。バランス感覚については私も住職の仰る通りだと思います。相談者さんみたいな奴がいるクラスだったら私はちょっと嬉しいですね。君は思いやりのある素敵な大人になるでしょう。人生への健闘を祈ります。
まだ拝見する前に、タイトルを見て、私の彼に対する思いやりは、思いあがりなのかな、、とフトよぎりました。就寝前にゆっくりと拝見します。
楽しみです。
見て見ぬふりする人といじめや嫌がらせしてる人は同罪ですね、嫌われても怖がられても人を助ける人間を私は尊敬します👍👍👍🤗その勇気は尊い心だと思います🤗
いつもありがとうございます。
和尚様の言う通りだと感じます。動物は皆合う、合わないは必ずあるとは思います、人も動物ですから。その中で心を正常に保ちぬく事だと感じています。難しい場面もあります。ですが、自身も様々な人間関係での経験をしてきて、心が一番、次に自分だと感じました。心は正直です。
つい、我が強くなってしまっている自分に気づかされました。
思いやりが思い上がりになってはだめですよね?
でも行動するときに、迷ったら動けなくなり、困ってる人を助けることはすぐしないと迷ってたら時を逸しますよね?
まず動き、行動してから考えたら若い時はいいと思ってます。先に考えたら動けなくなり自分がそうでした🍀頭でっかちでいつも考えてばかり〜で何をしてたんだ❗と、今は良い❗と思ったらすぐ動く✨それを反対に実践するようにしてます。
その気持ち、すごくすごくわかります。
私は「そんなことするなよ」と言わず、その相手を徹底的に拒否しました。自分だけが嫌だから拒否してるだけならいいだろうと思っていたけれど、そのたった一人のわたしの拒否は女子集団においてよくない方向へ向かいました。
わたしはリーダー格だとは思っていなかったけど、あの時わたしは影響力をもっていたからこそ、その後さまざまな嫌なことが起こり、心から信頼できる友達に巡り合うのも時間がかかりました。
物事の善悪は良い悪いではなく巧みか巧みでないかであり、わたしの判断で悪いと判断したことに効果的ではない方法で行動を起こしてしまった。和尚さんの動画をいくつもいくつも見て実感しました。
それでも、まだまだ怒りの炎は急に発生します。引き続き、消化活動を早めにできるようになりたいものです。。。
心を清らかに保ちたいものですね🙏🏻✨
見返りを求めない、社会ができたならなー。素敵になれるはずなんですが、想像を絶する環境で育った人もいるんですよね。。方丈記また読み返します。。
正直な言葉を、聴きたい
物事の本質を理解しようとするなら、表に現れた事象のみでなく、その事象が現れた原因を考察すべきでしょう。
なぜなら、同じような行為でも正反対の動機によりそれが現れることもありますから。
被害にあっている人を見て、なんとかしてあげたいと思い、加害者を非難する。 そのような動機で加害者を責める言動が出ることもあるでしょう。
一方で、それとは別の動機で加害者を責める言動が出ることがあるのも事実です。
『態度の大きな人や上から目線の人を見るとイライラする。』
なぜイライラするのか? 短い相談文のみでは断定することはできませんが、一般的に多い事例で言えば、「自分がしたくても、しないで我慢しているのに、他の誰かがしていることが我慢ならない」という感情によるものなのでしょう。 そしておそらく、相談者さんはそのような動機で「声を荒げることを抑えることができない」でいるのでしょう。
当事者の視点と、第三者の視点は大きく異なります。
当事者はどうしても主観の影響を強く受けてしまいますが、第三者はピュアに判断すると言うか、ある意味「他人事」として客観的に傍観することになります。
その「傍観者」が「あいつヤベーよ」とか「怖い」と言うのであれば、それはすなわち、「相談者さんが攻撃している」という印象を強く与えていると考えるのが妥当でしょう。
不正をしたい人に限って、不正する人を強く非難するものです。
自分だけが得をしたいと思っている人に限って、自分だけが得をしている人を強く非難するものです。
「自分はそうありたいけど、そうはなっていない。 でも、あの人はそうなっている。 ズルい。 あいつだけが得するなんて気にくわん。」
社会的に好ましくないと思われている事柄に対し、密かにそれを望んでいる人々は、時としてそれを実現している人たちに強い攻撃性を示していることが確認できるでしょう。
「なぜそれをするのか?」
その動機が変われば、同じ様な行為であっても、その行為の意味はまったく異なったものとなります。
そして、その動機が正しいものであれば、すなわち、他者の幸せを願い、他者の苦しみを憂い、他者の喜びを共に喜び、自らの執着から離れたものであれば、その行為が第三者視点の人達からあからさまに悪く受け取られることはないでしょう。
逆に、その動機が自らの隠れた欲望を基にしたものであり、その欲望を実現している者への嫉妬によるものであるならば、その行為を第三者視点の人達は否定的に受け取ることでしょう。
『我慢もできません。 どうすればいいでしょうか?』
事象に対する対策はあまり効果は出ないでしょう。
問題解決のセオリーとしては、やはり「根本原因」に対して対策を立てることとなります。
そうであるなら、「自分は何故イライラするのか?」をよくよく省みるよう努めるしかないと思います。
「本当は、自分も大きな態度が取りたいのではないか? 自分も上から目線でものを言い、優越感を感じたいのではないか?」
そのようなことを自ら考えることは、大人にとっても難しいものですので、中学生に求めるのは少々酷な気もしますが、少しずつでも、頭の片隅に引っ掛けるだけでも、そのような考え方が出来るようになっていかないと、この問題はおそらく解決しないと思います。
原因が変わらなければ結果も変わりません。
現状、居心地の悪い状況になることが多いのであれば、その原因が変わらない限り、今後も(下手をしたら一生)同じような状況に頻繁に陥ることになるでしょう。
自分自身を客観視する訓練は非常に重要なことだと思いますので、少しずつでも、自分を客観的に評価する訓練を積んで頂ければと願います。