三浦義村のおかげで将軍になるも、北条氏に追放される 九条頼経の生涯【鎌倉殿の13人】
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- Опубликовано: 29 ноя 2024
- 藤原摂関家に生まれた九条頼経は、幼くして親王将軍の代わりとして鎌倉に下りますが、この裏では、九条家と縁の深い三浦義村が頼経のために暗躍していました。
北条政子、北条義時のもとで育てられた頼経でしたが、成長するに従い、北条氏から独立して三浦氏に近づき、義村は頼経と結びついて北条氏をも凌ぐ勢力を築きます。
義村の死後も、頼経のもとには、三浦氏や北条朝時の名越流をはじめとした反執権勢力が集まり、これを危険視した北条経時、時頼兄弟と対立し、騒動に発展していきます。
今回は、三浦義村と結びつき徐々に力をつけるも、最後にはその力の大きさゆえに北条氏によって追放された九条頼経の生涯について紹介します!
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参考文献
岩田慎平『九条頼経・頼嗣-棟梁にして棟梁にあらざる摂家将軍の蹉跌-』(公武権力の変容と仏教界 (中世の人物 京・鎌倉の時代編 第三巻) )
amzn.to/3gPRYet
鈴木かほる『幻の鎌倉執権三浦氏: 関白九条道家凋落の裏側』
amzn.to/3MlF8Ag
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【画像引用】
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式サイト
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#鎌倉殿の13人 #大河ドラマ #歴史
鎌倉殿もあと1回で、
ロス感を既に感じます。
義村の腹黒さもまだまだ健在で、
変わり身の早さには舌を巻きますね。
九条頼経の時代は、過去の大河ドラマでも今回の大河ドラマでも描かれませんが、鎌倉殿の登場人物を頭に思い描くことで今までより面白く思えるかもしれませんね。
自分もロスがすごくなりそうなので、鎌倉殿の後の話を年内は作り続けようと思います!
てなてややわを@@rekishock
北条得宗家からすると ただのお飾りじゃなくて 自分たちを倒しかねない 危険な存在だったのか
この時代のことはあまり知らなかったのですが
「鎌倉殿の13人」をきっかけに関連書籍も読み、興味を持ちました。
九条頼経の立ち回り方は難しかったのですね。
北条氏と対立するほどの力はなかったのにその立場に担ぎ上げられてしまった
そんな不運さと立場の弱さ、判断力のなさが感じられます。
初めてよく分かりました
義村はいつから九条と繋がったのか謎でしたが、頼家時代だったのですね。
新たな知識ありがたい^^
三浦氏が代々有していた海上交通網を、同じく日宋貿易を掌握していた西園寺、九条家が頼りにしたとする話もありますね。
坂東中心の吾妻鏡からは読み取れず詳細は不明瞭ですが、こういったつながりも権力争いを左右していた点は面白いです。
結局三浦氏は北条氏に対抗していくことになったということかな。
義村の動きを見る限りは、北条に取って代わるわけではなく、北条を表に立てつつ、頼経や九条と結びついて北条を上回る力を手にし、幕府の真の支配者になるのを目指したというところかなと考えられます。
義村死後に、安達氏など反三浦の動きが活発になる中、協調路線を歩もうとする泰村と、強硬派の光村などで歩調が乱れ、宝治合戦に引き込まれてしまいました。
@@rekishock
ありがとうございました。
以前他の動画で知ったかわいそうな九条頼経の生涯ですが、京に追放される時、息子と引き離された上、、晩年は不遇で38歳で亡くなったとは、気の毒ですね。その上、息子の頼嗣も17歳で亡くなるとは、悲劇の連鎖です!勝手に鎌倉に引っ張って来られて、その挙句またも勝手に強制送還される北条側の身勝手さのせいで、振り回される人生!!彼その人には、関わりにないところで動いて行く政治的画策、それがすべての始まりだったんですね。
御家人間で頼経を取り合うならまだしも、外部勢力である父親までもが、頼経を利用して介入してきたのが本当頼経にとっては不幸な結果になってしまいましたね。。
さっさとトップに立ちゃいーものを傀儡を立てちゃ追放し傀儡を立てちゃ追放し
果ては滅ぼされる
北条ってなぁフィクサー止まりの家系だったんかいね
変な家
御家人身分でもトップに立てると自ら示してしまったら、他の御家人に取って代わられるのがオチですからね…
自分がトップに立つより、貴種を傀儡に立て続けるほうがむしろ難しいという世界だったのだと思います。
@@rekishock まぁ結局足利に取って代わられた訳ですが(笑)
@@HiDE_310-3 取って代わったのは後醍醐天皇。足利は、さらにそれを奪い取った形
@@masatokawahara7923 ハイハイ
見たんですねw
最高でした👍三寅の人生😂レキショック最高🎉
またリクエストお待ちしております!
『北条時宗』で前将軍として、宇梶剛士さんが演じるのか…
しかも刺客に・・・
@@イモ侍-u5o さん
『北条時宗』の北条一族はほとんど、暗○…
時輔だけ生きている設定(笑)
@@hironobushi
長時、時頼、時茂、義宗が・・でしたね。
時輔「幕府など滅んでも良いではないか!」とトンデモ発言したり、元軍相手に無双したりと面白かったですw
宇梶剛士さんは大河ドラマでは悲劇的な最期を迎える役が多い感じです。
悪いことは言わへん、若いうちに仏門に入っていなされ。
己も一族も穏やかな人生を送れますぞ。 by西行法師
やはり義村はのさばり過ぎたと思います。戦国時代でいうと伊達政宗といいますが伊達家でしょうか。ただ政宗は後々の事(つまりは忠宗)を考えていたと思います。媚びも売りませんでしたが、のさばりも控えました。義村は後々の事を考えていなかったような気がします。政宗が死んだ後、表には出ない幕府からのいちゃもんは伊達家にあったと推察します。そこを乗り切った忠宗は中々の器量(政治力)の持ち主かと思います。
戦国時代で例えるならば、自分は豊臣政権下の徳川氏と毛利氏の関係に近いかなと思いました。
毛利=三浦として、徳川とは力の差はあるも、だからといって無条件に降参するわけにはいかない、むしろ打倒徳川のチャンスもある、秀頼を抱き込んで大坂城に入るも肝心なところで動けず敗北というところが宝治合戦時の三浦泰村にもつながる気がしました。
@@rekishock 殿
なるほど、そうですね。毛利と徳川の力関係が当てはまると思います。
立花宗茂の進言に従って大坂城に立てこもればまた違っていたと思います。
@@theshowmustgoon5760 宝治合戦に当てはめるなら、非戦派の泰村(輝元)に対し強硬派の光村(宗茂)が一戦促す感じですね。
妄想ばかりになってしまいすみません…
北条家にも泰時や時宗他名君と呼べる人物も輩出するところはあるのだがやはりなにかと陰謀や暗殺で事を決する嫌な一族なイメージが拭えきれない。ちなみに北条早雲ではなく伊勢新九郎はたいした人物だと思うけど北条姓を語りだした二代目からの所謂後北条氏もなんか好きになれない
可哀相ですね!
何を考えて生きていたのか気になります!
何回も通知くるのだが上げ直した?
すみません。一回上げ直しました…
ご迷惑おかけし申し訳ありません。