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記事で何気に藤波、ロコを料理、と言うのがありますが初代ブラックタイガーのロコさんですかね?貴重!
北米タッグと言えば、クルト•フォン•ヘス、カール•ショッツのナチの亡霊コンビを思い出す。地味だけど半端なく強かった。
藤波の凱旋帰国とハンセンの台頭がいかに重要だったかを改めて確認する(笑)、北米タッグ特集でした😂坂口&小林、怪力はいいんだけど、せめてハードヒット主体だったらもう少し試合も盛り上がって…とか思ったけど、小林以上に坂口にプロレスセンスが無かったからなぁ…💧(ジェリーモローにも"やたらカタかった"とボヤかれてるし…)北米コンビ(坂口&小林)の後に馬場&鶴田組の試合を観ると、いかにこの2人が"立体的に"試合をしてたのか痛感(同時に馬場のプロレスセンスに感嘆)する事になるな…😅
北米タッグ特集ありがとうございました!私は当時は小学生高学年〜中学生位でしたが、毎回興奮して見てました。今も昭和のプロレスばかり見ています。今のプロレスは確かに凄いのですが、娘が小学生の時にオカダ×オメガを見て「これは演劇なの?」と言っていたように戦いと言うよりも、ああしてこうしてが小学生にも分かってしまうような試合が多いと思います。それに比べ北米タッグを含む昭和のプロレスは私は高校になっても本気の戦いと興奮して見てました。私の北米タッグベスト3は77年1月14日福岡、7月28日福岡の坂口&小林×シン&上田、79年7月4日坂口&長州×小林&木村で80年10月熊本の坂口&長州×シン&上田(3本目は長州が上田をフォール!)、81年3月20日会津の坂口&長州×シン&ドン・ムラコ(3本目は坂口がムラコに逆エビでギブアップ勝ち!)なども印象に残ってます。
いやあ~面白い企画でした。シン、上田と坂口、小林 は熱狂しましたよ。新日版アジアタッグでの抗争も忘れられません。ありがとー❤
北米ヘビーについてもお願いします。1970年代後半の坂口の立ち位置を深掘りしたら全国5万3000のビッグサカマニアが必ずや狂喜乱舞しまっせw
ネックハンギングツリーは日本人ではビック坂しか出来ない背筋の凄い選手の技。派手なプロレスでなければ坂口さんが日本プロレス最強の選手でしょう。骨の太さなどが日本人離れしてる。北米タッグでは、ハリウッドボンバーズが好きだったなぁ。ロスのオーデトリアムで猪木さんが鉄柱に逆さ吊りでやられ、怪我した試合をTVで観て覚えています。
北米タッグ万歳🙌
気持ちが重くなる20分間でした(笑)
仮に坂口が拷問コブラツイストを思いついていたら代名詞になった気がしますwしかし長州って印象と逆でけっこう初期から環境には恵まれてますよね…
皮肉な事に映し出される写真は全部カッコ良い😂
藤波さんが1978年にブレイクし、1982年に長州さん1983年の前田さんが出てくるまではホント、新日本は苦労してたなと思うし、自分もあの頃は勧善懲悪のプロレスをしてて楽しんでいたと思う。
当時、ストロング&健吾の異色コンビは応援したものだ!
「Gスピ」のインタビューで坂口は北米タッグのパートナーについて「猪木さんには何も言えないし小林さんには気を遣う長州は自分の考えで試合を運べたからやりやすかった」と言っておりました
北米タッグ選手権という決して喝采のない闘い…僕はあの時の坂口と長州が今でも1番好きだ(○○編集長のポエム風)
北米タッグ戦を見ていたからこそ、凱旋した藤波のスビーディーな試合が新鮮で衝撃的でした。北米タッグがドラゴンブーム、及びジュニアを定着させた立役者と言えなくもない...かもしれません。
重厚な考察ありがとうございました当時は北米タッグ興味を持ってみていた記憶があります確かに今みるとうーん、、、となりますが😅
クロー攻撃は耐えるしかなかった。ストマッククローは見るだけでやられたくない技だった。
面白いサイトですね。今度、スーパーデストとアイアンシークの北米タッグコメントお願いします。ドンジャーデンのスーパー好きだったんです。
北米タッグはNWAのルールでタイトルマッチが行われていたので反則勝ちではタイトルの移動は認められなかったはずである。猪木&坂口VSシン&上田の試合を裁いたルーテーズの「NWAのルールは変わっていない」というコメントが印象的であった。のだが、坂口&長州VSマツダ&斎藤のタイトルマッチの時は1本目が坂口&長州組の反則勝ちである。私は今回もタイトルの移動はないなと思っていたが、何故かタイトルが移動した。この時もNWAのルールは変わっていなかったはずであるが、解説者もそのことには触れなかった。
これが噂のキーロックで失神だったんですねw 前後編合わせてある意味神回でした!!!とにかく「北米タッグ耐久マラソン」がパワーワードすぎてwww
北を英単語ではノースということを覚えました(笑)
普通反則絡みがあったらタイトルは移動しないのでは?あれは3本目が反則だったら移動しないのか?
北米タッグではありませんでしたが、小林・坂口VSコロフ・グラハムの試合は、パワー対パワーの名勝負で、ボディスラムだけで観客がどよめいていました。個人的には、小林・坂口組のベストバウトだと思っています。北米タッグは地味かもしれませんが、発信者の方が言われるほど、見るのは苦痛ではありませんでしたね。
oh! 怪豪&鉄腕元WWWF王者コンビ! ブルーノの宿敵コンビ!
「3本勝負」でますます気が重くなる坂口&S小林でも1本勝負なら、まだ耐えられました。
ストロングさん、文字通りトラウマを植え付けられた😅😂😂
16:00 当時の新日、猪木が出るメインまではひたすら耐える何かの修行?78年の藤波凱旋やハンセン登場がなければ離脱していたかも…。ベルトマニアからすると北米タッグのベルトの留め具が!当時、パチパチ留めるホック主流も、北米は普通のサラリーマンオジサンベルトのバックル…。如何にも杜撰な作りに、間に合わせ感が否めませんでした。
追記です。あの普通のバックルをチャンピオンベルトに使っているのって60年代の一部やPWF位で意外に少ないのです。PWF はそれでも露骨に使っておらず工夫が感じられますし、よく馬場展で見られるインターも、当初はフック(Jの様な)を採用していました。要は単純にオジサンベルトのバックルを採用するところに思い入れが感じられないのです。細かすぎるこだわりですみません。
北米タッグですと 矢張り坂口小林組のイメージが強いですよね 中でも対スタン・ハンセン ザ・ハングマン組との試合が忘れられません 小林が活躍する最期の試合だったかもしれません 当時高3ぐらいだったかな。
坂口征二と木村健悟と来れば円天事件ですなぁ!
私の人生の、貴重な20分間を返してくださいw
ホゲ~ってやつかな?>小林 シン上田の攻撃で
大爆笑
東スポの見出しの小柳ルミ子直撃が気になる( ・∀・)時期的には大澄賢也の事ではないな( ー`дー´)
記事で何気に藤波、ロコを料理、と言うのがありますが初代ブラックタイガーのロコさんですかね?貴重!
北米タッグと言えば、クルト•フォン•ヘス、カール•ショッツのナチの亡霊コンビを思い出す。地味だけど半端なく強かった。
藤波の凱旋帰国とハンセンの台頭がいかに重要だったかを改めて確認する(笑)、北米タッグ特集でした😂
坂口&小林、怪力はいいんだけど、せめてハードヒット主体だったらもう少し試合も盛り上がって…とか思ったけど、小林以上に坂口にプロレスセンスが無かったからなぁ…💧(ジェリーモローにも"やたらカタかった"とボヤかれてるし…)
北米コンビ(坂口&小林)の後に馬場&鶴田組の試合を観ると、いかにこの2人が"立体的に"試合をしてたのか痛感(同時に馬場のプロレスセンスに感嘆)する事になるな…😅
北米タッグ特集ありがとうございました!私は当時は小学生高学年〜中学生位でしたが、毎回興奮して見てました。今も昭和のプロレスばかり見ています。今のプロレスは確かに凄いのですが、娘が小学生の時にオカダ×オメガを見て「これは演劇なの?」と言っていたように戦いと言うよりも、ああしてこうしてが小学生にも分かってしまうような試合が多いと思います。それに比べ北米タッグを含む昭和のプロレスは私は高校になっても本気の戦いと興奮して見てました。私の北米タッグベスト3は77年1月14日福岡、7月28日福岡の坂口&小林×シン&上田、79年7月4日坂口&長州×小林&木村で80年10月熊本の坂口&長州×シン&上田(3本目は長州が上田をフォール!)、81年3月20日会津の坂口&長州×シン&ドン・ムラコ(3本目は坂口がムラコに逆エビでギブアップ勝ち!)なども印象に残ってます。
いやあ~面白い企画でした。
シン、上田と坂口、小林 は熱狂しましたよ。新日版アジアタッグでの抗争も忘れられません。ありがとー❤
北米ヘビーについてもお願いします。1970年代後半の坂口の立ち位置を深掘りしたら全国5万3000のビッグサカマニアが必ずや狂喜乱舞しまっせw
ネックハンギングツリーは日本人ではビック坂しか出来ない背筋の凄い選手の技。
派手なプロレスでなければ坂口さんが日本プロレス最強の選手でしょう。
骨の太さなどが日本人離れしてる。
北米タッグでは、ハリウッドボンバーズが好きだったなぁ。
ロスのオーデトリアムで猪木さんが鉄柱に逆さ吊りでやられ、怪我した試合をTVで観て覚えています。
北米タッグ万歳🙌
気持ちが重くなる20分間でした(笑)
仮に坂口が拷問コブラツイストを思いついていたら代名詞になった気がしますw
しかし長州って印象と逆でけっこう初期から環境には恵まれてますよね…
皮肉な事に映し出される写真は全部カッコ良い😂
藤波さんが1978年にブレイクし、1982年に長州さん1983年の前田さんが出てくるまではホント、新日本は苦労してたなと思うし、自分もあの頃は勧善懲悪のプロレスをしてて楽しんでいたと思う。
当時、ストロング&健吾の異色コンビは応援したものだ!
「Gスピ」のインタビューで坂口は北米タッグのパートナーについて
「猪木さんには何も言えないし小林さんには気を遣う
長州は自分の考えで試合を運べたからやりやすかった」と言っておりました
北米タッグ選手権という決して喝采のない闘い…僕はあの時の坂口と長州が今でも1番好きだ(○○編集長のポエム風)
北米タッグ戦を見ていたからこそ、凱旋した藤波のスビーディーな試合が新鮮で衝撃的でした。
北米タッグがドラゴンブーム、及びジュニアを定着させた立役者と言えなくもない...かもしれません。
重厚な考察ありがとうございました
当時は北米タッグ興味を持ってみていた
記憶があります
確かに今みるとうーん、、、となりますが😅
クロー攻撃は耐えるしかなかった。ストマッククローは見るだけでやられたくない技だった。
面白いサイトですね。今度、スーパーデストとアイアンシークの北米タッグコメントお願いします。ドンジャーデンのスーパー好きだったんです。
北米タッグはNWAのルールでタイトルマッチが行われていたので反則勝ちではタイトルの移動は認められなかったはずである。猪木&坂口VSシン&上田の試合を裁いたルーテーズの「NWAのルールは変わっていない」というコメントが印象的であった。のだが、坂口&長州VSマツダ&斎藤のタイトルマッチの時は1本目が坂口&長州組の反則勝ちである。私は今回もタイトルの移動はないなと思っていたが、何故かタイトルが移動した。この時もNWAのルールは変わっていなかったはずであるが、解説者もそのことには触れなかった。
これが噂のキーロックで失神だったんですねw 前後編合わせてある意味神回でした!!!
とにかく「北米タッグ耐久マラソン」がパワーワードすぎてwww
北を英単語ではノースということを覚えました(笑)
普通反則絡みがあったらタイトルは移動しないのでは?あれは3本目が反則だったら移動しないのか?
北米タッグではありませんでしたが、小林・坂口VSコロフ・グラハムの試合は、パワー対パワーの名勝負で、ボディスラムだけで観客がどよめいていました。個人的には、小林・坂口組のベストバウトだと思っています。北米タッグは地味かもしれませんが、発信者の方が言われるほど、見るのは苦痛ではありませんでしたね。
oh! 怪豪&鉄腕元WWWF王者コンビ! ブルーノの宿敵コンビ!
「3本勝負」でますます気が重くなる
坂口&S小林でも1本勝負なら、まだ耐えられました。
ストロングさん、文字通りトラウマを植え付けられた😅😂😂
16:00 当時の新日、猪木が出るメインまではひたすら耐える何かの修行?78年の藤波凱旋やハンセン登場がなければ離脱していたかも…。
ベルトマニアからすると北米タッグのベルトの留め具が!当時、パチパチ留めるホック主流も、北米は普通のサラリーマンオジサンベルトのバックル…。
如何にも杜撰な作りに、間に合わせ感が否めませんでした。
追記です。あの普通のバックルをチャンピオンベルトに使っているのって60年代の一部やPWF位で意外に少ないのです。
PWF はそれでも露骨に使っておらず工夫が感じられますし、よく馬場展で見られるインターも、当初はフック(Jの様な)を採用していました。
要は単純にオジサンベルトのバックルを採用するところに思い入れが感じられないのです。
細かすぎるこだわりですみません。
北米タッグですと 矢張り坂口小林組のイメージが強いですよね 中でも対スタン・ハンセン ザ・ハングマン組との試合が忘れられません 小林が活躍する最期の試合だったかもしれません 当時高3ぐらいだったかな。
坂口征二と木村健悟と来れば円天事件ですなぁ!
私の人生の、貴重な20分間を返してくださいw
ホゲ~ってやつかな?>小林 シン上田の攻撃で
大爆笑
東スポの見出しの小柳ルミ子直撃が気になる( ・∀・)
時期的には大澄賢也の事ではないな( ー`дー´)