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上手な説明なんで、よく分かりました
愛知県在住ですが、松平や岡崎は、よく通ります。歴史的な深い意味は知らないので、斬新な講義ありがたいです。
ねずさんは現代を代表する講談師、好男子ですね。事柄の背景を学ぶ、元々の漢字に託された意味を考えることの大切さ、それが我が国のぶんかの基本ですね。これからもねずさんの啓蒙活動えお応援して行きます。
このチャンネル歴史好きにはたまりません!
6:27 小名木先生のお話を聞いて、日本の歴史でいう『人質』という意味を知ることが出来ました。今日使われる言葉の意味でもって解釈しようとすると、見方や捉え方がだいぶ違ってしまいますね(その点がまた興味深いです)。エリザベス一世の生い立ちなどの話しを聞いたとき人質ではないですが、彼女がロンドン塔に収監された所などが徳川家康の背景と似ているかなと感じたんですが、全然違いました💦 😊
一人の武将の名前の変遷を解説するだけで、歴史が有り有りと見えてくる。お見事です!徳の字の解説もなるほどよくわかりました。
すごいですね。名前に理由・必然があるんですね。過去の歴史が織り込められていますね。大変面白い。!! 愛知県の地元にすんでいたのですがつゆ知らずです。
勉強になりました!
小名木先生のお話しにはいつも感動させていただいてます小名木先生のお話しを聞いていればきっとしあわせな人生が歩めると思いますこれからも是非聞かせてください
テーマは違いますが、君が代の君の解釈をテレビで貴方の世の中が永く続きますようにと説明されていましたが、小名木先生の説明と違っていました。テレビのだと異常な長生きですが世代交代しない世の中になります!やはりキ男性、ミ女性の世の中が永く続きますようにとするのが(健全な心と身体の男女)適当と思います!
子々孫々、君は一人の方を表してるのではないのだろうな〜、、、と、おもっています。、、、勉強します😌
いつも参考になる講義ありがとうございます。遙か昔ですが記憶を競う様な義務教育時代にこのような講義であってほしかったと思います。
一族のご説明を頂き有り難うございます!
浜松の周辺の出身です、浜松では徳川になってからなので松平の話は無く、徳川へ変えた理由と文字については始めて聞きました、面白かったです。遠州では家康は強かった話より信玄から逃げ廻った話が多いです、家康を匿って葵の紋を許された小さな寺とかもありました。
小名木先生流石に武士の出身の先生良く説明が分かります。
実家に仲良くしてる90 歳を超えたおじいさんは戦争の時、松平一郎氏と一緒に捕虜収容所にいたことがあるそうです。一郎氏の奥様は徳川で、ご次男、そのご子息、一郎氏のお孫さんが、今徳川美術館を担当されてるとおもいます。
物事の捉え方が広がります🤩なぜなんだろう❓思いを巡らせるって、楽しいですね🎶ありがとうございますっっ🍀🙏
世良田氏は自分の住んでいる群馬県の旧尾島町に世良田地区でした。そこには徳川氏が作った東照宮があります。
この前松江城に行ったが、歴代藩主は堀尾→京極→松平直政。徳川家康の孫にあたる松平直政が出雲国拝領と書いてあった。
人質ってそういう側面もあったのですね。面白かったです!
大河ドラマでやってるだけに興味深いお話ありがとうございました。番組ではまだ松平なので徳川に代わるだろう理由がわかって予習ができました。
秀吉の妹の朝日姫は徳川家康に正室(継室)として輿入れしています。やはり紹介しておいた方が良いと思いました。💡
常に人質と言う言葉で習ってきましたが、当時も同じ言葉だったのでしょうか。古い漢字だと意味がよく分かりますね。
初見ですが非常に面白い内容でした!特に「人質」の持つ意味合いについては興味深かったです自分ももともとは、現代でイメージされるいわゆる「人質」という立場だったのだと思っていましたが、わかりやすい内容でしたし、その後に元服して元信と名乗る流れはなるほどなぁという感じでした色々とご教示いただきありがとうございましたチャンネル登録して他の動画でも勉強させていただきます
ねずさんが私の学校の歴史のせんせいだったら…。私…歴史が好きになっていたでしょうね…♡また見に来ます♡
自分用(ネタバレ注意です)❤弾正…歪んだ世の中を真っ直ぐにすること❤人質…今で言う酷い扱いをするんじゃなくて、最上級の良い教育を受けさせること
この世に生まれて改名をすることことは大変重要です。
日本は、歴史を積み重ねて作られてきた国で、歴史を無視して改革をされなかった。そのことが日本にいいものを残してきた理由なんだなぁ~・・・・歴史を大切にしなけれは!!!
やっぱ藤原の一族でもあったんですって後出ししても、ならいいよって認めてくれる朝廷、割と融通利かせてくれるのね。
小名木先生の講義は内容に加えて声のトーンに話し方、それプラスアルファで聞きやすく楽しみやすいです。車を運転しながらでも聞けます。滑舌が悪かったり声の小さな配信者様達はゴニョゴニョしゃべりで内容が良くても車を運転しなからだと何をしゃべっているのか聞き取れませんからね。
徳川家康の従五位下三河守の叙任辞令は日光東照宮所蔵文書では源家康名義で叙任されているが三代将軍徳川家光の時代に、家康の叙任文書が散逸していたため朝廷に再発行の手続きをした際、藤原家康から源家康に変更されたと思われる。なお、叙任の過程で豊臣家康名義も可能性がある。豊臣秀吉の傘下に入り秀吉から豊臣の氏を家康が賜るという可能性である。因みに、家康の息子、秀忠は豊臣の氏を賜っている文書が現存する。
そうだったのですね!
大変申し訳ないのですが、「岡崎」の発音の「おか↑ざき」と「か」の音が上がる発音をしています。その発音は、京都の岡崎を表す発音です。大河ドラマの松潤が発声している様に、愛知県岡崎市の岡崎は、全て音は同じ音。是非「か」の音を上げずにお願いします。
群馬県太田市世良田町(旧新田郡世良田村)に「世良田東照宮」と言う神社があります。この神社では「当地が徳川家発祥の地である」と言っていますが、真相はどうでしょうか?🤔
新田氏の祖である新田義重の子の世良田(得川)義季という人物が、世良田郷、徳川郷といった地域を所領していて、その義季が鎌倉時代に開基した長楽寺の隣に、江戸時代の徳川将軍家によって日光東照宮の改築前の社殿を移築して作られたのが、今の世良田東照宮です。ですから、一応世良田を含めた義季の所領していた地域が徳川ゆかりの地であるのだと思いますよ。
腹などを切っている場合ではない。名言ですな。。。
家康は栃木の世良田の出身だという話がありますが
織田信長も徳川家康も男色…でも日本では平安後期からそんなの全然珍しくも何ともなかったみたいだから、差別にもならなかっただろう。
徳川家康。立派な字だなあ~
この流れだと「家康」の代わりに「家信」も候補にあったんじゃないかと思ったり。信は信長の信でもあるし、清康の康は織田家に勝てる云々ということだったし。
徳川史観に埋もれてしまってますが豊臣羽柴家康と名乗ったこともあるとかないとかってどうなんでしょう家康が羽柴家康と書かれた文書は徹底的に焼き尽くしてしまってるんでしょうけど
信長とは日本という意味合いもあるようですね。
姓は源氏名は松平 源を皆の友 ミナノトモ みんなのとも 得川を 徳とする、清和源氏。姓は源氏名は松平。
人質と言う言葉がいけない。人預けに変えてみては。
森山崩れ 守山
徳川家康の時代に名を姓を変えた 徳井 徳田 徳永 徳富等。栃木県古河。
扇子をパンパンするのは授業には不要かと思います、先生…
今のだんじょうの血筋は残っているですか?
林先生がロスチャイルドをきちんと把握することの大事さをおっしゃるように、歴史ってホントは人の事を知る事なんでしょうね。高校の歴史の教師は変な人で、年号や人の名前を覚える事ではなくて社会の流れをつかむことが大事だと言ってましたが、違うよね。いつどこで誰が何をしたかは知らなきゃだめだよね。人が伝える中に嘘がたくさんあるにしても、どれかが事実との検証に役立つだろうし、受け取る側の知りたいことのヒントは事実っぽい所から見つけられるのかもしれないから。社会の流れが大事って、それはエビデンスのいらない共産党のストーリーさえ覚えればいいと言う馬鹿製造機なんだろうね。
名字が家系で歴史でお墓や慰霊も有りますよね(^_^)
ご先祖の 流れをくみし 益荒男が徳の川辺に 船を立たしむ名前には家康公の人柄や生き方やみていたものが映っているんだなと思いましたd(>ω<。)
織田氏は、平家今川氏は、源氏松平氏は、平家と源氏源氏には、平という漢字を使用しません。また明治になり松平氏は、平松に苗字を改名。在原家と得川家(時宗)が結ばれて松平と名乗りました。在原家の墓は松平郷に存在します。松平は、賀茂氏なので葵を使用阿保親王と藤原氏城は古墳で城主は、墓守で神主である書物やインターネット情報は、勿論のこと実際の山、城、神社、墓、各神社仏閣に行き調べた事実に基づいた話安祥松平より
ヨーロッパも王家は繋がってますよね?
清和源氏を祖とする『松平』の正式な呼び名に関しては、「マツダイラ」の呼び方ではなく、「マツタイラ」と呼ばれてい説があるようです!!!。『徳川』の将軍家代々の呼び名に関しても「トクガワ」の呼び方ではなく「トクカワ」と呼ばれいた説があるようです!!!。将軍家以外の「トクガワ」の場合に関しては、将軍家代々の「トクカワ」を見極める為に呼び方を使い分けていた説になるでしょう!!!。群馬県太田市に『徳川町』と云う地名があり、『徳川氏』に所縁のある清和源氏を祖とする『新田氏』に関係があるらしく、『新田氏』の一族の中から『世良田氏』を名乗る氏族が表れ、『世良田氏』の中から『徳川氏(得川氏)』になった!と云う説もあるようです!!!。『世良田氏』の『世良田』の呼び名に関しても、恐ら多分として、「セラダ」の呼び方ではなく、「セラタ」と呼ばれていたかも知れないでしょうね!!!。清和源氏である『新田氏』の中から『世良田氏』が表れ、その『世良田氏』の一族の中から『徳川氏』の前身とする『得川』の元々の呼び名に関しては、「トクガワ」ではなく、「エガワ?」と呼ばれていた説があるようです!!!。『新田氏』と同じ『源氏』を祖とする『足利氏』の方が、先に『征夷大将軍』になって仕舞い、その後に『新田氏』を祖である『世良田氏』の中から『徳川氏(得川氏)』が『征夷大将軍』を同じ源氏の一族として受け継いだ説かも知れないでしょうね!!!。『松平氏』も『新田氏』も、それに『足利氏』も、それから、『徳川家康』の母である『於大の方』の『水野氏』も源氏を祖とされているので、『征夷大将軍』は『源頼朝』の『鎌倉幕府』の時代より、足利氏による『室町幕府』や徳川氏による『江戸幕府』も源氏を祖とされている一族が『征夷大将軍』が受け継いでいるのかも知れないでしょうね!!!。
尚として、『松平氏』の場合に関しては、様々な諸説があるらしく、『源氏』を祖とする他に『藤原氏』を祖する説や何処かの寺院の僧侶の家柄とする説などがあり、恐らく多分としてですが、その寺院が『源氏』に所縁のある寺院により『松平氏』を『源氏』の一族に加えた説もあるようです!!!。また、松平氏と徳川氏の家紋である『三つ葉葵』は、確か京都の『上賀茂神社』の神紋である『二つ葉葵』と関係があるらしく、『上賀茂神社』の神官である『賀茂氏』にも『松平氏』と『徳川氏』は、関係があるのかも知れないでしょうね!!!。大阪府堺市内に『南宗寺』と呼ばれている寺院の中には、何故か?『徳川家康』の墓があるようです!!!。『徳川家康』の存在に関しては、複数の影武者がいたらしく、その中の影武者の誰かが『南宗寺』に恐らく多分ですが、『徳川家康』として埋葬されているのかも知れないでしょうね!!!。
解釈はどう語ろうと勝手だが、断定的な、発言は宜しくありません。証拠がないことなので、想像で語るのはまあいいとして、あなたのような方は非常に危険ですね。過去のことは誰も実証できないのですよ。
日本性善説である所以
康・・・って織田家・・・あれ?
どうでもいいし、なにか重要なことがあるのか。
めでたし。めでたし。 (*^-^*)
肝入りだったんですね。家康の人格が見えて透けてくるようですね。
この爺さん何も分かっていないこの時代は人質に出すのでは無く婿養子に入れて貰い同盟関係を結び親戚兄弟になると言うことです今川家に幼い頃から入り、今川家の若殿とまるで兄弟の様に大事に育てられ、今川の姫をいいなずけに貰い、いずれは松平家に戻されるがそれまで仲よう暮らしてくれよ!と言う意味合いであった何も家康だけが人質で入っているみたいに言われているが、この時代は殆どの大名家が同じ事をしていた家康と秀吉は義理の兄弟だし、2代将軍秀忠は秀吉の所に幼い頃から入り婿養子同然に育ち 秀 の字を貰っているし、信玄も父親を今川に出している。信長の妹 お市の方も家康と結婚している事実がフロイスがスペインのイエズス会 総長あてに4回も書簡を出している事から周辺大名は全部親戚関係にあった時代や歴史認識を歪曲して子供を教育するのは辞めてください
何も、家康だけが人質とは言ってないでしょ。こなき〇〇○じゃないのだから、爺さん呼ばわりは、やめてください。
たとえ話が多くて話がくどいという感想です。
説明が矛盾している感じがする。三河の国は今川義元がそうであったように鎌倉時代以降足利氏→今川氏という武家による国司任官が前例のはずでは?藤原氏に任官の前例がないとは言いませんが少なくとも代々藤原氏の任国であり武家領ではないというのは合点がいきませんね。
講談師じゃないんだから、ポンポン扇子を叩くのは止めた方がいい。折角の良い話も気が散って魅力半減です。
「講釈師、見てきたような嘘をつき」ですから。察してください。
前に上杉鷹山読みました!堺屋太一さんだと思います。
上手な説明なんで、よく分かりました
愛知県在住ですが、松平や岡崎は、よく通ります。歴史的な深い意味は知らないので、斬新な講義ありがたいです。
ねずさんは現代を代表する講談師、好男子ですね。事柄の背景を学ぶ、元々の漢字に託された意味を考えることの大切さ、それが我が国のぶんかの基本ですね。これからもねずさんの啓蒙活動えお応援して行きます。
このチャンネル歴史好きにはたまりません!
6:27 小名木先生のお話を聞いて、日本の歴史でいう『人質』という意味を知ることが出来ました。今日使われる言葉の意味でもって解釈しようとすると、見方や捉え方がだいぶ違ってしまいますね(その点がまた興味深いです)。エリザベス一世の生い立ちなどの話しを聞いたとき人質ではないですが、彼女がロンドン塔に収監された所などが徳川家康の背景と似ているかなと感じたんですが、全然違いました💦 😊
一人の武将の名前の変遷を解説するだけで、歴史が有り有りと見えてくる。お見事です!
徳の字の解説もなるほどよくわかりました。
すごいですね。名前に理由・必然があるんですね。過去の歴史が織り込められていますね。大変面白い。!! 愛知県の地元にすんでいたのですがつゆ知らずです。
勉強になりました!
小名木先生のお話しにはいつも感動させていただいてます
小名木先生のお話しを聞いていればきっとしあわせな人生が歩めると思います
これからも是非聞かせてください
テーマは違いますが、君が代の君の解釈をテレビで貴方の世の中が永く続きますようにと説明されていましたが、小名木先生の説明と違っていました。テレビのだと異常な長生きですが世代交代しない世の中になります!やはりキ男性、ミ女性の世の中が永く続きますようにとするのが(健全な心と身体の男女)適当と思います!
子々孫々、君は一人の方を表してるのではないのだろうな〜、、、と、おもっています。
、、、勉強します😌
いつも参考になる講義ありがとうございます。
遙か昔ですが記憶を競う様な義務教育時代に
このような講義であってほしかったと思います。
一族のご説明を頂き有り難うございます!
浜松の周辺の出身です、浜松では徳川になってからなので松平の話は無く、徳川へ変えた理由と文字については始めて聞きました、面白かったです。
遠州では家康は強かった話より信玄から逃げ廻った話が多いです、家康を匿って葵の紋を許された小さな寺とかもありました。
小名木先生流石に武士の出身の先生良く説明が分かります。
実家に仲良くしてる90 歳を超えたおじいさんは戦争の時、松平一郎氏と一緒に捕虜収容所にいたことがあるそうです。一郎氏の奥様は徳川で、ご次男、そのご子息、一郎氏のお孫さんが、今徳川美術館を担当されてるとおもいます。
物事の捉え方が広がります🤩
なぜなんだろう❓
思いを巡らせるって、楽しいですね🎶ありがとうございますっっ🍀🙏
世良田氏は自分の住んでいる群馬県の旧尾島町に世良田地区でした。そこには徳川氏が作った東照宮があります。
この前松江城に行ったが、歴代藩主は堀尾→京極→松平直政。
徳川家康の孫にあたる松平直政が出雲国拝領と書いてあった。
人質ってそういう側面もあったのですね。面白かったです!
大河ドラマでやってるだけに興味深いお話ありがとうございました。番組ではまだ松平なので徳川に代わるだろう理由がわかって予習ができました。
秀吉の妹の朝日姫は徳川家康に正室(継室)として輿入れしています。
やはり紹介しておいた方が良いと思いました。💡
常に人質と言う言葉で習ってきましたが、当時も同じ言葉だったのでしょうか。古い漢字だと意味がよく分かりますね。
初見ですが非常に面白い内容でした!
特に「人質」の持つ意味合いについては興味深かったです
自分ももともとは、現代でイメージされるいわゆる「人質」という立場だったのだと思っていましたが、わかりやすい内容でしたし、その後に元服して元信と名乗る流れはなるほどなぁという感じでした
色々とご教示いただきありがとうございました
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私…歴史が好きになっていたでしょうね…♡
また見に来ます♡
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❤弾正…歪んだ世の中を真っ直ぐにすること
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この世に生まれて改名をすることことは大変重要です。
日本は、歴史を積み重ねて作られてきた国で、歴史を無視して改革をされなかった。
そのことが日本にいいものを残してきた理由なんだなぁ~・・・・歴史を大切にしなけれは!!!
やっぱ藤原の一族でもあったんですって後出ししても、ならいいよって認めてくれる朝廷、割と融通利かせてくれるのね。
小名木先生の講義は内容に加えて声のトーンに話し方、それプラスアルファで聞きやすく楽しみやすいです。
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徳川家康の従五位下三河守の叙任辞令は
日光東照宮所蔵文書では源家康名義で叙任されているが
三代将軍徳川家光の時代に、家康の叙任文書が散逸していたため
朝廷に再発行の手続きをした際、藤原家康から源家康に
変更されたと思われる。
なお、叙任の過程で豊臣家康名義も可能性がある。
豊臣秀吉の傘下に入り秀吉から豊臣の氏を家康が賜るという可能性である。
因みに、家康の息子、秀忠は豊臣の氏を賜っている文書が現存する。
そうだったのですね!
大変申し訳ないのですが、「岡崎」の発音の「おか↑ざき」と「か」の音が上がる発音をしています。その発音は、京都の岡崎を表す発音です。大河ドラマの松潤が発声している様に、愛知県岡崎市の岡崎は、全て音は同じ音。是非「か」の音を上げずにお願いします。
群馬県太田市世良田町(旧新田郡世良田村)に「世良田東照宮」と言う神社があります。この神社では「当地が徳川家発祥の地である」と言っていますが、真相はどうでしょうか?🤔
新田氏の祖である新田義重の子の世良田(得川)義季という人物が、世良田郷、徳川郷といった地域を所領していて、その義季が鎌倉時代に開基した長楽寺の隣に、江戸時代の徳川将軍家によって日光東照宮の改築前の社殿を移築して作られたのが、今の世良田東照宮です。ですから、一応世良田を含めた義季の所領していた地域が徳川ゆかりの地であるのだと思いますよ。
腹などを切っている場合ではない。
名言ですな。。。
家康は栃木の世良田の出身だという話がありますが
織田信長も徳川家康も男色…
でも日本では平安後期からそんなの全然珍しくも何ともなかったみたいだから、差別にもならなかっただろう。
徳川家康。
立派な字だなあ~
この流れだと「家康」の代わりに「家信」も候補にあったんじゃないかと思ったり。信は信長の信でもあるし、清康の康は織田家に勝てる云々ということだったし。
徳川史観に埋もれてしまってますが
豊臣羽柴家康と名乗ったこともあるとかないとかってどうなんでしょう
家康が羽柴家康と書かれた文書は徹底的に焼き尽くしてしまってるんでしょうけど
信長とは日本という意味合いもあるようですね。
姓は源氏名は松平 源を皆の友 ミナノトモ みんなのとも 得川を 徳とする、清和源氏。姓は源氏名は松平。
人質と言う言葉がいけない。
人預けに変えてみては。
森山崩れ 守山
徳川家康の時代に名を姓を変えた 徳井 徳田 徳永 徳富等。栃木県古河。
扇子をパンパンするのは
授業には不要かと思います、先生…
今のだんじょうの血筋は残っているですか?
林先生がロスチャイルドをきちんと把握することの大事さをおっしゃるように、歴史ってホントは人の事を知る事なんでしょうね。高校の歴史の教師は変な人で、年号や人の名前を覚える事ではなくて社会の流れをつかむことが大事だと言ってましたが、違うよね。いつどこで誰が何をしたかは知らなきゃだめだよね。人が伝える中に嘘がたくさんあるにしても、どれかが事実との検証に役立つだろうし、受け取る側の知りたいことのヒントは事実っぽい所から見つけられるのかもしれないから。社会の流れが大事って、それはエビデンスのいらない共産党のストーリーさえ覚えればいいと言う馬鹿製造機なんだろうね。
名字が家系で歴史でお墓や慰霊も有りますよね(^_^)
ご先祖の 流れをくみし 益荒男が
徳の川辺に 船を立たしむ
名前には家康公の人柄や生き方やみていたものが映っているんだなと思いましたd(>ω<。)
織田氏は、平家
今川氏は、源氏
松平氏は、平家と源氏
源氏には、平という漢字を使用しません。また明治になり松平氏は、平松に苗字を改名。
在原家と得川家(時宗)が結ばれて松平と名乗りました。在原家の墓は松平郷に存在します。
松平は、賀茂氏なので葵を使用
阿保親王と藤原氏
城は古墳で城主は、墓守で神主である
書物やインターネット情報は、勿論のこと実際の山、城、神社、墓、各神社仏閣に行き調べた事実に基づいた話
安祥松平より
ヨーロッパも王家は繋がってますよね?
清和源氏を祖とする『松平』の正式な呼び名に関しては、「マツダイラ」の呼び方ではなく、「マツタイラ」と呼ばれてい説があるようです!!!。
『徳川』の将軍家代々の呼び名に関しても「トクガワ」の呼び方ではなく「トクカワ」と呼ばれいた説があるようです!!!。
将軍家以外の「トクガワ」の場合に関しては、将軍家代々の「トクカワ」を見極める為に呼び方を使い分けていた説になるでしょう!!!。
群馬県太田市に『徳川町』と云う地名があり、『徳川氏』に所縁のある清和源氏を祖とする『新田氏』に関係があるらしく、『新田氏』の一族の中から『世良田氏』を名乗る氏族が表れ、『世良田氏』の中から『徳川氏(得川氏)』になった!と云う説もあるようです!!!。
『世良田氏』の『世良田』の呼び名に関しても、恐ら多分として、「セラダ」の呼び方ではなく、「セラタ」と呼ばれていたかも知れないでしょうね!!!。
清和源氏である『新田氏』の中から『世良田氏』が表れ、その『世良田氏』の一族の中から『徳川氏』の前身とする『得川』の元々の呼び名に関しては、「トクガワ」ではなく、「エガワ?」と呼ばれていた説があるようです!!!。
『新田氏』と同じ『源氏』を祖とする『足利氏』の方が、先に『征夷大将軍』になって仕舞い、その後に『新田氏』を祖である『世良田氏』の中から『徳川氏(得川氏)』が
『征夷大将軍』を同じ源氏の一族として受け継いだ説かも知れないでしょうね!!!。
『松平氏』も『新田氏』も、それに『足利氏』も、それから、『徳川家康』の母である『於大の方』の『水野氏』も源氏を祖とされているので、『征夷大将軍』は『源頼朝』の『鎌倉幕府』の時代より、足利氏による『室町幕府』や徳川氏による『江戸幕府』も源氏を祖とされている一族が『征夷大将軍』が受け継いでいるのかも知れないでしょうね!!!。
尚として、『松平氏』の場合に関しては、様々な諸説があるらしく、『源氏』を祖とする他に『藤原氏』を祖する説や何処かの寺院の僧侶の家柄とする説などがあり、恐らく多分としてですが、その寺院が『源氏』に所縁のある寺院により『松平氏』を『源氏』の一族に加えた説もあるようです!!!。
また、松平氏と徳川氏の家紋である『三つ葉葵』は、確か京都の『上賀茂神社』の神紋である『二つ葉葵』と関係があるらしく、『上賀茂神社』の神官である『賀茂氏』にも『松平氏』と『徳川氏』は、関係があるのかも知れないでしょうね!!!。
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『徳川家康』の存在に関しては、複数の影武者がいたらしく、その中の影武者の誰かが『南宗寺』に恐らく多分ですが、『徳川家康』として埋葬されているのかも知れないでしょうね!!!。
解釈はどう語ろうと勝手だが、断定的な、発言は宜しくありません。証拠がないことなので、想像で語るのはまあいいとして、あなたのような方は非常に危険ですね。過去のことは誰も実証できないのですよ。
日本性善説である所以
康・・・って織田家・・・あれ?
どうでもいいし、なにか重要なことがあるのか。
めでたし。めでたし。 (*^-^*)
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この爺さん
何も分かっていない
この時代は人質に出すのでは無く婿養子に入れて貰い同盟関係を結び親戚兄弟になると言うことです
今川家に幼い頃から入り、今川家の若殿とまるで兄弟の様に大事に育てられ、今川の姫をいいなずけに貰い、いずれは松平家に戻されるがそれまで仲よう暮らしてくれよ!
と言う意味合いであった
何も家康だけが人質で入っているみたいに言われているが、この時代は殆どの大名家が同じ事をしていた
家康と秀吉は義理の兄弟だし、2代将軍秀忠は秀吉の所に幼い頃から入り婿養子同然に育ち 秀 の字を貰っているし、信玄も父親を今川に出している。信長の妹 お市の方も家康と結婚している事実がフロイスがスペインのイエズス会 総長あてに4回も書簡を出している事から周辺大名は全部親戚関係にあった
時代や歴史認識を歪曲して子供を教育するのは辞めてください
何も、家康だけが人質とは言ってないでしょ。こなき〇〇○じゃないのだから、爺さん呼ばわりは、やめてください。
たとえ話が多くて話がくどいという感想です。
説明が矛盾している感じがする。三河の国は今川義元がそうであったように鎌倉時代以降足利氏→今川氏という武家による国司任官が前例のはずでは?藤原氏に任官の前例がないとは言いませんが少なくとも代々藤原氏の任国であり武家領ではないというのは合点がいきませんね。
講談師じゃないんだから、ポンポン扇子を叩くのは止めた方がいい。折角の良い話も気が散って魅力半減です。
「講釈師、見てきたような嘘をつき」ですから。察してください。
前に上杉鷹山読みました!堺屋太一さんだと思います。