あの力道山絶対の時代に日プロを飛び出し、南米へそして北米に渡った。まずこの行動力が凄い!
猪木とどっちが強い?と言われたら日本では猪木海外ではヒロマツダって言われてるくらい凄い選手
よくヒロ・マツダにスポットを当て約50分間の動画作ったよね素晴らしいこの人は凄いよ
かっこいい。成功者って感じ。
こんなとんでもないお宝映像を何処で見つけて来たの!
この方の男の美学にしびれました😊まさしく燃える闘魂と静かなる闘魂併せ持っ素晴らしい人だと思いました😊貴重な映像ありがとうございます😊
実は武藤やホーガン育てたすごい人抗争を繰り広げたけど、裏では猪木の超ブレインですこの人いたから、IWGPを考えたくらい
この人の下からレックス・ルガーが出てくるのが解せない。
@@正彦谷田貝ソレを言ったら剛竜馬も😂😂😂
偉大な方でしたね。
あのらハルク・ホ―ガンもフロリダでマツダのコ―チを受けている。何しろ、力道山に反発して単身、アメリカに渡り、あの鳥人ダニ―・ホッジを破り、日本人初のNWA世界ジュニア・ヘビ―級王者になったのがすごい!
仕事人ヒロ・マツダさんは苦労されたのでしょうね NWAジュニアヘビー級チャンピオンのダニー・ホッジ、NWAヘビー級チャンピオンのルー・テーズと闘ったこと、八田一朗・吉原功(国際プロレス代表者)・力道山の弟子だったこと、19歳で渡(南)米、を知りませんでした 貴重な動画アップに感謝します
実際マツダがペルーに飛び出したのが60年、22歳の時。だから純粋に真実だけを述べているのではないのだろう。膝の故障を根性で治せ!との根性論に反発したとも伝えられる。そこまで踏み込むとどうしても力道山に対してのネガティブな話をしなくてはならないからね。
@@bushbongovivaなぜペルーだったのでしょうか?ペルーではプロレス修行したのでしょうか?
@@jouta5031 ペルーに親戚だったかがいたそうです。ペルーでどのような修業をしたかまで詳細は知りません。アメリカに渡るまでが興味深いですね。
@@bushbongoviva ありがとうございます ペルーではエルネストコジマ名義でで活動していたようです。22,23歳の頃ですから苦労したでしょうね。ところでヒロ・マツダのヒロの由来は本名の小島泰弘(こじまやすひろ)のヒロからでしょうが、マツダは自動車メーカーからとったのでしょうか。
@@jouta5031 マツダの由来は動画内でちゃんと説明ありますよ。
日本プロレスは馬場、猪木、大木、坂口等の大型レスラーがトップグループを占拠していたのでヒロ・マツダが世界Jrヘビーのチャンピオン当時でもフォーカスされずに気の毒でした! 全日本でも旗揚げ後に参加していましたが馬場、デストロイヤー、鶴田の序列に従いマーク・ルーインやビル・ロビンソンに完敗するなど、活躍の場は少なかったのでは…1975年12月のマイティ井上とのタイトルマッチがせめてもの救いでした! そして新日本に舞台を移しようやくプレ日本選手権で猪木には敗れましたが坂口、藤波、ストロング小林、上田馬之助等を下して彼のプロレスキャリア末期の名場面となりましたね!…結局、国際プロレス創生期でのダニー・ホッジやエディ・グラハムらのフロリダ勢とのマッチメイクがBESTなのかもしれませんが私はその当時の試合を観ていませんのでノーコメントです?
懐かしい。
日本で初めてジャーマンスープレックスやった人で偉大ですよね。二番目はサンダー杉山さんだけど幻の技であまりやらなくなりましたね。猪木さんが必殺技の一つで名勝負にかかせない技になりましたね。
映画化かドラマ化してほしい!
ハルク ホーガンの師匠ですね。
武藤と谷津さんも
もしヘビー級で日本定着していたら確実に一時代を築いていた選手。ダニー・ホッジとNWA世界Jrを長く争い、デューク・ケオムカや猪木と組んでフロリダやテネシーのNWA世界タッグも獲得。日本ではオープン選手権でのマイティ井上とのNWA世界Jr戦やプレ日本選手権では狼軍団を率いて猪木と覇を競った闘いが印象に残る。猪木嫌いの評判もあるが谷津、武藤、西村ら新日系選手をはじめ多くの日本人レスラーの面倒をみてきた良き兄貴分。
インタビューは英語で、アメリカ案内は日本語なのを見るに、おそらくインタビューは別の番組の為に撮ったものを流用して、追加撮影を行なった。もしくはその逆なんでしょうね。ヒロ・マツダといえばハルク・ホーガンの師匠ですね!
ポール・オンドーフの師匠でもある。
馬場・猪木はもとより大木やマンモス鈴木よりも先輩で当時185センチもあったのだから力道山の気まぐれがなかったら堂々とエース格になってたはず。でもマツダさんにとっては単身海外へ出たのがその後の成功につながったんでしょうね。
現在のプロレスを観たら苦笑いして沈黙するだろうなあ
力道山と何か感情的な対立で海外にでたと思っていましたが、実際は力道山もマツダの将来を考えて相撲転向を勧めたように感じました。本当に考え方の違いだったようですね。
あるイミ、猪木より偉大かも。
アメリカじゃ「マツダ≫≫≫BI」
アメリカではね!❤
@@岡洋介-g3g余計
馬場さんと同学年なのは知りませんでした
やはりこの頃はもう英語が日常語なんですね、当たり前か😅つかインタビュアーが米国の方だったのかな?当時の試合は内容含め全くそそらなかったレスラーの一人でした。
ありがとうございました。
ナイス👍映像👍🎉マツダ選手がキッド💣💥対🐯をこの2人今や世界🌏No.1☝🏻決定戦だなと古舘伊知郎インタビュアーから確かに🤔と印象深い💪🔥🤼♂️
若くして亡くなったよね、確か60歳そこそこだった筈🤔若い頃のマツダいい男です、色気漂ってますね。とにかくマツダの凄い所は、猪木がビビって対戦を避けたダニー・ホッジを破りNWA世界Jrヘビー級王者になった事です、その後ケン・マンテルを降して同王座2回目の戴冠も果たします。ヘビー級の方も次期王者候補に挙げられてたとも言われています、米国で最も実績を挙げられた日本人レスラーと言っても良いでしょう、ゴッチから伝授されたジャーマンもここぞと言う時にしか使わず、試合でお目に掛かる事は殆ど無かった様ですね、確かジャーマンの写真がサム・スティムボートに仕掛けた物しか無い筈、素晴らしくバランスの良いジャーマンです😀
体が、もう少し、大きければ、初めての日本人の、NWAヘビーチャンピオンやった❗
主の名もマツダさん由来?
凄いね
レスラーとしてもトレーナービジネスマンとしても超一流。唯一失敗だったのが国際プロレス立ち上げ。経営者としては吉原よりマツダの方が実力があったと思うが、あの当時の状況では非常に難しかっただろう。それとマツダは日本にどっぷりじゃなく、アメリカと半々でファイトしたかっただろうから、純粋な日本団体のエースは基本的に無理だった。
それを知った吉原さんが猪木さんにオファーするも時遅しでした。
この2年後に亡くなってるんですね。
グレイトゃ!
あの力道山絶対の時代に日プロを飛び出し、南米へそして北米に渡った。まずこの行動力が凄い!
猪木とどっちが強い?と言われたら
日本では猪木
海外ではヒロマツダ
って言われてるくらい凄い選手
よくヒロ・マツダにスポットを当て約50分間の動画作ったよね
素晴らしい
この人は凄いよ
かっこいい。成功者って感じ。
こんなとんでもないお宝映像を何処で見つけて来たの!
この方の男の美学にしびれました😊まさしく燃える闘魂と静かなる闘魂併せ持っ素晴らしい人だと思いました😊貴重な映像ありがとうございます😊
実は武藤やホーガン育てたすごい人
抗争を繰り広げたけど、裏では猪木の超ブレインです
この人いたから、IWGPを考えたくらい
この人の下から
レックス・ルガーが出てくるのが解せない。
@@正彦谷田貝
ソレを言ったら剛竜馬も😂😂😂
偉大な方でしたね。
あのらハルク・ホ―ガンもフロリダでマツダのコ―チを受けている。何しろ、力道山に反発して単身、アメリカに渡り、あの鳥人ダニ―・ホッジを破り、日本人初のNWA世界ジュニア・ヘビ―級王者になったのがすごい!
仕事人ヒロ・マツダさんは苦労されたのでしょうね NWAジュニアヘビー級チャンピオンのダニー・ホッジ、NWAヘビー級チャンピオンのルー・テーズと闘ったこと、八田一朗・吉原功(国際プロレス代表者)・力道山の弟子だったこと、19歳で渡(南)米、を知りませんでした 貴重な動画アップに感謝します
実際マツダがペルーに飛び出したのが60年、22歳の時。
だから純粋に真実だけを述べているのではないのだろう。
膝の故障を根性で治せ!との根性論に反発したとも伝えられる。
そこまで踏み込むとどうしても力道山に対してのネガティブな話をしなくてはならないからね。
@@bushbongovivaなぜペルーだったのでしょうか?ペルーではプロレス修行したのでしょうか?
@@jouta5031 ペルーに親戚だったかがいたそうです。
ペルーでどのような修業をしたかまで詳細は知りません。アメリカに渡るまでが興味深いですね。
@@bushbongoviva ありがとうございます ペルーではエルネストコジマ名義でで活動していたようです。22,23歳の頃ですから苦労したでしょうね。ところでヒロ・マツダのヒロの由来は本名の小島泰弘(こじまやすひろ)のヒロからでしょうが、マツダは自動車メーカーからとったのでしょうか。
@@jouta5031 マツダの由来は動画内でちゃんと説明ありますよ。
日本プロレスは馬場、猪木、大木、坂口等の大型レスラーがトップグループを占拠していたのでヒロ・マツダが世界Jrヘビーのチャンピオン当時でもフォーカスされずに気の毒でした! 全日本でも旗揚げ後に参加していましたが馬場、デストロイヤー、鶴田の序列に従いマーク・ルーインやビル・ロビンソンに完敗するなど、活躍の場は少なかったのでは…1975年12月のマイティ井上とのタイトルマッチがせめてもの救いでした! そして新日本に舞台を移しようやくプレ日本選手権で猪木には敗れましたが坂口、藤波、ストロング小林、上田馬之助等を下して彼のプロレスキャリア末期の名場面となりましたね!…結局、国際プロレス創生期でのダニー・ホッジやエディ・グラハムらのフロリダ勢とのマッチメイクがBESTなのかもしれませんが私はその当時の試合を観ていませんのでノーコメントです?
懐かしい。
日本で初めてジャーマンスープレックスやった人で偉大ですよね。二番目はサンダー杉山さんだけど幻の技であまりやらなくなりましたね。猪木さんが必殺技の一つで名勝負にかかせない技になりましたね。
映画化かドラマ化してほしい!
ハルク ホーガンの師匠ですね。
武藤と谷津さんも
もしヘビー級で日本定着していたら確実に一時代を築いていた選手。ダニー・ホッジとNWA世界Jrを長く争い、デューク・ケオムカや猪木と組んでフロリダやテネシーのNWA世界タッグも獲得。日本ではオープン選手権でのマイティ井上とのNWA世界Jr戦やプレ日本選手権では狼軍団を率いて猪木と覇を競った闘いが印象に残る。猪木嫌いの評判もあるが谷津、武藤、西村ら新日系選手をはじめ多くの日本人レスラーの面倒をみてきた良き兄貴分。
インタビューは英語で、アメリカ案内は日本語なのを見るに、おそらくインタビューは別の番組の為に撮ったものを流用して、追加撮影を行なった。もしくはその逆なんでしょうね。
ヒロ・マツダといえばハルク・ホーガンの師匠ですね!
ポール・オンドーフの師匠でもある。
馬場・猪木はもとより大木やマンモス鈴木よりも先輩で当時185センチもあったのだから力道山の気まぐれがなかったら堂々とエース格になってたはず。でもマツダさんにとっては単身海外へ出たのがその後の成功につながったんでしょうね。
現在のプロレスを観たら苦笑いして沈黙するだろうなあ
力道山と何か感情的な対立で海外にでたと思っていましたが、実際は力道山もマツダの将来を考えて相撲転向を勧めたように感じました。本当に考え方の違いだったようですね。
あるイミ、猪木より偉大かも。
アメリカじゃ「マツダ≫≫≫BI」
アメリカではね!❤
@@岡洋介-g3g
余計
馬場さんと同学年なのは知りませんでした
やはりこの頃はもう英語が日常語なんですね、当たり前か😅つかインタビュアーが米国の方だったのかな?
当時の試合は内容含め全くそそらなかったレスラーの一人でした。
ありがとうございました。
ナイス👍映像👍🎉
マツダ選手がキッド💣💥対🐯を
この2人今や世界🌏No.1☝🏻決定戦だな
と古舘伊知郎インタビュアーから
確かに🤔と印象深い💪🔥🤼♂️
若くして亡くなったよね、確か60歳そこそこだった筈🤔
若い頃のマツダいい男です、色気漂ってますね。とにかくマツダの凄い所は、猪木がビビって対戦を避けたダニー・ホッジを破りNWA世界Jrヘビー級王者になった事です、その後ケン・マンテルを降して同王座2回目の戴冠も果たします。ヘビー級の方も次期王者候補に挙げられてたとも言われています、米国で最も実績を挙げられた日本人レスラーと言っても良いでしょう、ゴッチから伝授されたジャーマンもここぞと言う時にしか使わず、試合でお目に掛かる事は殆ど無かった様ですね、確かジャーマンの写真がサム・スティムボートに仕掛けた物しか無い筈、素晴らしくバランスの良いジャーマンです😀
体が、もう少し、大きければ、初めての日本人の、NWAヘビーチャンピオンやった❗
主の名もマツダさん由来?
凄いね
レスラーとしてもトレーナービジネスマンとしても超一流。
唯一失敗だったのが国際プロレス立ち上げ。
経営者としては吉原よりマツダの方が実力があったと思うが、あの当時の状況では非常に難しかっただろう。
それとマツダは日本にどっぷりじゃなく、アメリカと半々でファイトしたかっただろうから、純粋な日本団体のエースは基本的に無理だった。
それを知った吉原さんが猪木さんにオファーするも時遅しでした。
この2年後に亡くなってるんですね。
グレイトゃ!