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昔、始めて春の奥穂高岳に行った時、慣れない重登山靴と初めての本格的な雪山で疲労困憊になり、本当にゆっくりしか歩けなかった時に、見ず知らずのたまたま通りかかったおじさんが一緒に歩いて下山してくれたのを思い出しました。遭難したおじいさんも、人に迷惑を掛けたくなかったから笑顔だったのかもしれません…。登山は自己責任とよく言われますが、持ちつ持たれつの部分もあって手を差し伸べてくれる人がいるのなら、自分に正直になってお言葉に甘えるのも重要かもと思ってしまいます。
締めくくりの「山が好きだからこそ山で死ぬべきではない」って言葉、とても胸にしみました。
プロレスラーのリング喎にも通じますね。プロレスが好きだからこそリングで死ぬべきではないってのと。
登場人物が全員優しい……、満面の笑みを浮かべた山好きのお爺さんを助けたいと思った人達がいたことが切なすぎる……。登山好きな友人が『山で出会う人は皆仲間だと思って声を掛ける』と話していたので、輝夜さんやこーりんさんの気持ちを考えるとやるせない……。
いつも高齢者どもはワガママ、ほっとけ自業自得だ。
私の父は秩父の山々が大好きで、私が20歳になるまでは毎年家族で両神山に登っていました。私が家を出て母がリウマチになった後も父は一人で両神山に登り続けていましたが、ある年の12月に山道から滑落し一晩を凌いで翌日ヘリコプターで救助されました。警察からの電話で父の遭難→救助を知らされた時、咄嗟に父は山で亡くなったものと思い絶望しましたが、実際は頸椎損傷で下半身不随となり今はリハビリの末車イスを乗り回しています。命まで取られなかったことに感謝しつつ、山に魅入られてしまう人の気持ちにも思いを馳せています。山にて眠りに就いた男性に合掌。
一緒に降りましょうと無償の善意で言える輝夜は立派だし、たかはしの心境を思いやれる素敵な方だったんだなあと… 責任感が強くていらっしゃるから「あの時強引にでも」と思われるのでしょうが、あまりご自身を責めず幸せに暮らしていただきたいものですね
いっそ完全に歩行困難な状態で座り込んでいてくれたら、割り切って救助要請も出せるし、腹を括って救助が来るまで付き添ってビバークしてもいいんだけど、中途半端に余力が残ってる状態だと対応に困る。「残り時間を考えたら明るいうちに下山すんのは100%無理だよね」って時点で既に遭難してる状態だと見做すべきなのかもしれないけど。
山で行き交う人同士で交わす挨拶。そこには相手を客観的にみて「頑張って」「お気をつけて」「一緒に一息つきませんか(疲れてそうですよ)」「一緒に引き返しませんか」「実は○○で力を貸してくれませんか」と互いに伝えあう機会になっている素晴らしい文化だと思う。山を敬愛する同好の方々を広義に仲間とするならば、見ず知らずのその仲間同士で掛け合う挨拶や言葉には親しすぎるが故に判断を曇らせる要素を廃して客観的に見た「今のあなたはパッとみてそう見えてますよ」と伝えあう事にも繋がっているようにも思います。山で行き交う同士で声を掛け合う事の大切さを知り実践する自分がそこにいた輝夜さんには自責の念にとらわれず、その事は忘れないでいて欲しいと感じました。山を敬愛する全ての人達に挨拶の文化が末永く尊ばれ続けられますように。
@@影森治 私も同感。声かけして「大丈夫」と言われると難しいですね。お書きのように明らかに「へたり込む」や行動困難で何らか意思表示があれば色々できますよね。声掛けした上で手助けを拒否したなら仕方ないです。
聞く耳もたない心の狭いたかはしが悪い。気にするな。きっとあの世で閻魔様に叱責されているさ。
20年ほど昔だが、低山ではあるが山頂で「どのルートから登られましたか?」「下山ルートはどのルートが楽ですか?」と聞かれたことがあった。日没が近いのでリスクを承知で一緒に下山しましたが時間的にはギリギリで駐車場に到着。辺りは真っ暗に。自転車で山まで来たとのことだったので、車に自転車を乗せて自宅付近まで送ったことがあります。その人曰くテレビ見てたらその山が紹介されており、なんとなく登ってみようと思ったとのこと。親の歳に近い感じの方だったが、結構強めに説教したのは良い思い出。
いくら大好きな場所にいたとしても、一人の時に常にニコニコしている人は滅多にいないと思うから、このお爺さんは他人に迷惑や心配をかけないように気を使ってニコニコしていた気がする。登場人物全員優しい・・・悲しいなあ。
ここのチャンネルは下手に登場人物を茶化したり強い言葉を使ったりしないので聞きやすいです。ありがとうございます。
輝夜の優しさに泣きそう。
泣いてから
普通に泣いた
昔、登山が趣味でした。仕事で疲れた状態でしたが久しぶりに登山に行ったら途中で疲れが出てきて目的の山頂まで半分の距離ですぐ下山してしまいました。ペースが遅い時や疲れた時は無理しちゃだめ。
輝夜が良い人過ぎて…そしてたかはしさん何度も助かるチャンスあったんだなと
手足が動くうちに少しでもたくさん登りたかったのかな、ご冥福を。
輝夜さんの優しいさに涙しました。こんな風に人を思える人間でありたい。でも責任を感じて必要以上に辛くなってしまわないでほしいです。一緒に下山しませんか?と声をかけただけで十分凄い
途中で声をかけてくれた人とのふれあいも家で待ってくれてる奥さんとの会話も心を暖めてくれたはずできっと今も天国でニコニコしてるんじゃないかなご冥福をお祈りします
輝夜の気遣いが人として尊敬する。そして年を取ると物事を客観的に見られなくなる上、他人の話やアドバイスを素直に受け入れられなくなるんだな、と思った。お年寄りは頑固だと言われるのはそういう所なんだろう。自分の体調や限界を理解して無理だと判断する勇気を持ちたいと思う。出来ない事は恥じゃないんだから。
好きじゃなきゃ登山は出来ない。好きだけで登山はしちゃいけない。過去の事例と犠牲者の学び教訓を肝に銘じます。無理しない。無茶しない。無謀な事をしない。身の程を知るを心がけます。
みんないい人ばかりなだけに、やるせない気持ちになるね。「今日はどちらまで行かれたんですか?」とか会話まで相手を気遣って上手だし、、。
衰えは個人差とはいえ 登山も運転と同じで高齢になって的確な状況判断ができなくなると難しいんだろうし、たまたまそこにいた人や親切な人を心配させたり事故に巻き込んだりするかもしれないことを考えると、分相応な活動を心がけるべきなのかもしれないだけど、本当に好きな事を、『周りの為に』と諦めるのは辛いだろうな・・・ 情熱が悲劇を引き寄せることもある。
爺さんも登山好きだから他の登山者に迷惑かけたくないと思ったのかも知れないし輝夜もやっぱり放っておけない気持ちもわかるしなんか切ない話だな
目標は多々ありますが一つの目標として両神山に登りたいから登山を始めた者です。入念な計画と強靭な足腰を作り上げて挑みたいと気が引き締まりました。たかはし氏のご冥福をお祈りします。
ご家族初め合う人ごとに気に掛ける様子があっても、縁が結ばないという事もあるのだなって思います。不安や後悔もあっただろうけどそれを踏まえても、冒険家魂をもっていたのかな?って思いました。
ご安全で、楽しい登山になりますように!
出てきた人は皆良い人だし山を心から愛していた。なのにこんな結末が待っているだなんて凄くやるせないですしかしそれだけ山は日常とは遠い世界なのだと再確認した動画でした…
いつも高齢者どもはワガママ、自業自得だ。
山が好きだからこそ山で死ぬべきでは無い めっちゃわかります。自分はバイク好きですが絶対にバイクでは死にたくないと思ってます。自分の好きなもんで死んだらアカン
かぐや、優しい😭 自分のせいではないとわかっていても、いつまでも心に引っかかってしまいますよね。こーりんも心配してくれていて、二人とも思いやりにあふれた方々だった。たかはしは残念だったけど、家族が止めても好きを止められなかったから、仮に今回は大丈夫だったとしても、結局、結末は同じだったかもしれないなぁ、と思いました。笑顔が素敵なおじいちゃん……ご冥福をお祈りいたします。
これから遡ること10年くらい前に、私が当時勤めていた社食の厨房職員の年配者が両神山で滑落して亡くなる事故があり、両神さんと聞くとまずそれを思い出します。私は登山はしませんがオフロードバイクで山の林道を走るのが好きですが自分の実力では行けない所には行かないようにしてます。このご老人も声かけてくれた人達のいうことを素直に聞いて引き返せたならこんな悲劇は起こらなかったと思います。ご冥福をお祈りします。
私もみなさんと同じで涙がでてきました。たかはしさんは、この山行の前にすでにどこかの登山にて自分の足腰の弱体化を自覚していたはず。まずは、自分の老いと衰えを受け入れることが大事ですね。誰もが通る道です。それは恥ずかしいことではありません。
結果は残念ですが、この方を気にかけ、親切に手を差し伸べた方々が居た事自体には救われる思いです。
かずあるゆっくり動画の中でも構成がしっかりしていてわかりやすくて、とても大好きなサイトです。
祖母は昔は高山にも登るほどの登山好きだったけど、年を召してからはガイドを付けた低山のハイキング(?)を楽しんでるみたい。自信の体の衰え(と言っても凄く元気だけど)ときちんと向き合って、今出来る楽しみ方で山を楽しんでて、凄く素敵だなと思う😄好きな人に年だから諦めてと言うのは酷だろうけど、命あってこそ楽しめるものだし💦
自動再生で流し聞きしていたのですが、まさかゆっくりで涙が出るとは、、、高橋さんの今際の際が安らかであったことを、また関係された方々の自責の念が(日本人である限り無理とは思いますが)出来る限り軽くなることを祈ります。
登山未経験者です。ソロ登山の高齢者と言うと偏屈で頑固な方のイメージでしたが満面の笑顔で受け答えしてくれる方も多いのですね。労災用語で「1メートルは一命取る!」という言葉があるのですが被害者の方も打ち所が悪かったのでしょうね、、元気に帰宅して欲しかったです(泣
家族と安全に健やかに長生きする事よりも己のやりたい事を貫く方が重要な生き方だったのだから本人は山で逝った事を後悔はしていないだろうと思うだけど人として生まれ家族を持ち生きてきたのなら人生最後の瞬間には勝手をして家族を悲しませた事だけは後悔したと思いたいです
2020年 両神山遭難事故の詳細、アップして頂きありがとうございます。当時ヤマレコ等でも話題になっており、詳しい事が知りたいと思っておりました。私も老人で、両神山に登りますが、登るたびに思うことがあります。①薄川の渡渉場所が暗くなるとわかりずらい。会所から2回か3回目の渡渉場所は付近にピンクリボンすらない。200ルーメンクラスのヘッドランプでは反対側の踏み跡すらわからない。②清滝小屋のメンテナンスを!。本来ならば避難小屋の機能を果たすべき清滝小屋ですが、埃まみれダニまみれで、荒んでおります。水も飲んではいけないと言われている。行政が何もしないなら、有志を募って何とかしたいところです。「タカハシ」さんが亡くなったのは、鈴が坂辺りの岩場から滑落したのかと思っておりましたが、登山道から2メートル下の沢との事で、八海山から会所までの渡渉の最中ではなかったのかと考え、つい長文になってしまいました。ごめんなさいです。改めて「タカハシ」さんのご冥福をお祈りいたします。
まとめ方上手いなぁ。輝夜の文章の引用を読んでいたら胸がぎゅってなった…。
自己責任や自力下山が基本だけれど…もしリタイヤされて悠々自適された方なら「山は逃げない」と考えてもらいたいし、様子が心配な単独登山者を見かけたら「また今度再挑戦する」気持ちになってもらえる説得のしかたを身につけたい健康上の理由で無理をなさっていたのかな山で死んではいけないご冥福をお祈りします
私も昨年、両神山に登り滑落しました。しかし怪我もなくなんとか這い上って登山道に戻れました。両神山はハイキング気分で登る人が多いと思いますが道が細い所が多くウッカリ滑って落ちそうな所が多々あります。常に慎重に歩く必要がある山という認識が必要だと思います。
会話した人がその後亡くなったって知ったらショックだろうし、自身を責めちゃうけど、輝夜は出来るだけのことはしたと思う。登山は基本的には自己責任だろうし、どんな山でも装備を準備し、計画を立てて、下山するべきときに下山できるようにしないと事故につながるんだなと感じました。
高齢でなくても体力を自分ではかるのは難しいよね。。初心者向けと聞いたそれこそ往復5時間ほどの山に誘われて行ったけど、運動不足の私は足があがらず行きで4時間かかってしまった。帰りは私は快調だったけど、今度はひざが強くない友人が下りに時間がかかり結局往復で8時間かかった。2人とも30代前半だったけど、山慣れしてるらしき通りすがりの中高年の方々にずいぶん心配されたのを覚えてる。それ以来、自然はもっぱら動画で楽しんでおります。
輝夜さん、優しい方ですね。どうかご自分を責められませんように・・・。ど素人から見ても最善を尽くされたと思います。
いつも通りのクオリティ助かります。
途中まで一緒に歩いて様子見ながら同じように行動して、付かず離れずの距離で見守るしかないんでしょうかね。初めての登山で行き止まりの崖の方に歩いた私を心配そうな顔して前を歩いてた方が振り向いて私が登山道に戻るまで見守ってくれた事を思い出します。
「山登りが好き」と「山登りが得意」は全く別物ですからねこのおじいさんは残念ながら自分の力量を分かっていなかったんでしょう
この前同じコースを登ってきましたけど、地質が脆いしガレ場や土石流跡も多くてイメージより危険な山でした。山頂の景色は最高でしたが、1人で行くのはオススメできない感じですね。
大好きな山で自然に抱かれて人生の最期を迎えるのもまた生き物としての人間らしいものかもしれない。
ベテランの高齢者であるが故の悲劇だ。川で足を濡らした時の笑顔は楽しんでいる訳ではなくプライドがさせる照れ隠しにしか見えない。喘ぎながら歩いているのに笑顔だったというのも「こんな筈はない」という自分自身への咎めと誤魔化しだろう。高齢者に多く「俺はまだまだいける 若い時はこんなもんじゃ無かった」と確認するように無理をする人が多い。自分だけの問題じゃなく、家族や出会った人達、救助隊など周囲にも多大な影響を及ぼすということを肝に銘じて行動していただきたいものだ。頑固はやめて素直に人を受け入れて欲しい。何だかとても切なく残念な悲劇・・・ご冥福をお祈りいたします。
13:45「今日はどこまで行かれたんですか?」←とっさにこういう気遣いのある聞き方ができるってすごい
高橋は本当に登山を楽しんでいたんですね、出てくる人がみんな良い人だけにこの結末はやるせないです‥
動画の穏やかな解説助かります。予定の1.5倍を見てハイキングしてますが、それを超えたら容赦なく引き返そうと思います。
チャレンジしてみたけど思ったより難易度が高く感じたのかな?山頂までは無理だと理解していたでもいけるところまでは行ってみたい家族の反対を押し切ってしまうくらい山が好きで好きでそんな山を登って降りてる人がいるから嬉しくて嬉しくて若い人が登っているから俺も頑張ろうと自分を鼓舞しながら進んでいったのでしょうねわたしも初老の階段を一歩踏み込みましただからかもしれないけどたかはしさんの気持ちが理解できる気がします
好きな物を辞めろと言われても辞めたくないのもわかるけど登山においてはあくまで山が主体という事を忘れてはいけないね。「自分が登りたいから登る」ではなく「山に登らせて貰う」と考えていないとあらゆるサインを見誤る。
高齢者のこういう話を見聞きするたび、頑固爺にはならないように強く強く心がけ続けねばと思う中年の私。
輝夜の立場だとしても、そんな事言えない‥余計な負担は避けたいし、連れて帰るなら駅とかタクシーまで一緒に行動しないと無責任だし‥みんな山好きの素敵な方々なのに、こんな事になってしまい残念です‥
両神山は、百名山の中で、個人的にダントツでもう2度と登りたくない山です(ごめんなさい)土の道が狭く滑りやすく、よろけた時に捕まる木も、滑落を止めてくれる木もなくて、下の沢まで落ちることになる。ちょっとでも足を滑らせたらそのまま死ぬか複雑骨折確実となる箇所が多い。つまり、アルプスみたいに危険な場所なので死ぬかもしれない、ではなくて、普通の細道なのに死ぬ、なのです。落ち葉や雨でちょっと滑ったり、ちょっとよろけたら死にます。(行ったのは日向大谷口からのルートでした)
アラサーですが、2年前の5月に八丁尾根からピストンで両神山を登りました。落合登山口で直近で亡くなられた人の日付が記載されてる看板が立っており、気になってました。2020年10月24日に亡くなられた方が、このご高齢の方だと知りなんともいえない気持ちになりました。とても山好きな方だったのですね、自分は今アラサーですが、いくつまで登れるのか考えさせられる内容の動画でした。短期投稿大変だと思いますが、引き続き頑張ってください!
山が好きで山菜取りも好きな私。日本で遭難すると捜索されます。捜索隊を始め迷惑をかけます。山岳保険に入り装備を整え自身の体調を維持し実力に合った山を無理せず登りたい。自身に自覚が無くても周りから見れば 危なっかしい年寄り に見えているかも。山をお墓にしてはいけません。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
こういう話があると、大体9割の確率で死体撃ちをするように叩く人がいるのがなんとも言えません。。。私の父も海が趣味で、海で死ねたら本望と言っているような人ですが、家族からしたら「迷惑になる死に方はやめろ」と言っています。高齢になってくると、昔は「はいはいwww」と言えてたものが、「シャレにならない」となってくるんですよね。。。車の運転もですし、一歩間違えば死ぬこともあるような趣味だと、家族や周囲の心配は大きくなってきます。ただ、本人が「どうしてもやる」とやっている以上、あの手この手でも止められないんですよ。ですので、輝夜さんのような「一言」があると、家族は救われます、きっと。。。。というのも、私自身、親友を事故で亡くしていますが、その時に、親御さんに「親友はこういうところがあった」と事実を述べたのですが、それが全くフォローになっていなかったと後悔したことがあるんですよね。「今なら、もっといい所を言えてたな。。。」と思うことがあります。当時はまだ高校生だったので、そこまで気を回せなかったんです。なので、こういう話の場合は、いくら本人に落ち度がありそうでも、それが結果に結びついたと、私には断言出来ないので、批判している人を見ると、嫌な気持ちになります。。。願わくば、輝夜さんのようなコメントを出せるような人でありたいと思っています。
これ輝夜たちは一緒に下山しようと声かけてるからあれだけど、こーりん達がずーっとあの時確認しとけば良かった・・・って心に残りそう。山好きなのは良いけれど、人間など自然の前では塵のような存在なんだから、自分の実力を鑑みて行動しなければこうなるという事だと思う。
渡渉に失敗した「たかはし」の靴は完全に水没したのでしょう。登山靴は簡単に乾かない。ソックスを絞ったり、乾いた物に履き替えても、あまり効果は望めない。結果、足の皮が白くふやけ、歩いている内に、普通の靴擦れよりも酷く足のあちこちの皮が剥けてしまい、痛くて歩くのが苦痛。年齢も相まって歩行ペースも落ち、足元もおぼつかない状態だったのでしょう。
とても考えさせられる遭難事案でした。サーフィンでは地の海を熟知したサーファーが危ない状況のビギナーやビジターに遠慮なく注意指示するそうです。年齢云々は関係ないそうですよ。同様に死がすぐそばにある登山も同じではないでしょうか。登山仲間だ年上だとか相手の心中は命より重くはないですよね。
とても考えさせられるお話でした。疲労の中で判断を誤っていると他人の助言にも従いにくくなってしまうのかと思いました。助言をする方はどこまで、自らが不愉快な思いをする可能性を押してまで相手を説得できるか…自分が誰かから説得されて登りたくても諦められるか…この教訓を山では思い出す必要があると思いました。。
輝夜さんやそのほか道中で関わって何も出来なかったと後悔している方々は、せめてお亡くなりになった方の事例をご本人や山仲間での教訓にして、これからもその方の分まで長く安全に登山を楽しんでもたいたいものですね…
登山者同士の声かけの重要性を痛感します。 もしこの遭難者の方が素直に周りの方の言う事をしたがっていたら助かっていたと思います。私が遭難者の立場であったら素直に周りの方の言う事に従いたいと思いました。登山する場合その山が自分の登山レベルにあっているかどうか事前に確認する事がとても大事ですね。もし登山計画より時間がかかりすぎる場合昼前に下山をする事真剣に考えないとまずいですね。動画を制作してくださりありがとうございます。
昨年同じコースをピストンしましたが、日中の明るい時間でも片側が切れ落ちた狭いコースが多く怖い思いをしました。まして暗くなってからの下山は命取りだと感じます。単独でなければ結果は違ったでしょう。
速く登れない理由があったかもしれません、その理由から登山仲間にも遠慮し、単独を選んだのかもしれません。それでも登る理由は、ただただ山が好きだったから。その笑顔を見たら何か出来る事はないかと思う事も、きっと自然な流れだったと感じます。それだけに、本当にただただ悲しい
11:19 輝夜さん優しいですな|ω=´) 出来得るかぎりの事をした輝夜さんは立派だった。結果は残念だったけど、仕方のないことですね・・・。
ご家族が同行して衰えに気付かせる…という優しさも時には必要だと思います。好きな事が出来なくなる辛さも分かりますが……(((^_^;)
生還のチャンスが沢山あっただけに残念に思います。一つ思ったのは、大きなアクシデントがないのに、コースタイムの倍以上の時間がかかっていて、他の登山者の目に留まるほどの歩様の不安定さから、たまたまこの時だけ時間がかかったのではなく、日頃からこれくらいのペースだったのでは?と推察します。そうならば、日帰りは困難だった筈で、計画段階からすでに破綻していたとも言えます。せめて、日没前に腹を括り、ビバーク地点を探して朝まで耐えて欲しかったと思いました。ご冥福をお祈りします。
うろ覚えですが、植村直己氏も著書で「山好きが山で〇ぬことは本望と言われるけど、冗談じゃない、まっびらごめんだ」みたいなこと言ってました。
70代の身内が一人で登山に行くって言ったら、そりゃあ止めといて欲しいよね。事故ってからじゃ遅いっていう、運転免許返納問題と似てる気がする。捜索費用だって百万単位になるんだし。
前回のレンといい、今回の輝夜といい、なんと心優しい方々でしょうか。自己責任とはいえ、無念のご最期… ご冥福をお祈りいたします。
たかはしさん、山が好きだったんだなあ。でも、山登りは(遠足じゃないが)無事に家まで帰って来て完了だと思う。亡くなってしまったから分からないが、山中で見せていた笑顔は「楽しいから見せる」笑顔だったのか?笑顔は「仮面」で、本当は辛かったんじゃないか?輝夜だけじゃなくて、家族も「止めさせておけばよかった」と思っているだろうな...。
声をかけられた方々が、心に重荷を負わぬように、と声をかけてあげたい…
輝夜の人間性に感動しました。年を取ると中々人の話を素直に聞けなくなるみたいですが やはり人の話はキチンと聞く事が大事ですね。アドバイスには耳を傾けたいものです。それと自分の限界を見極めて判断するのも大切ですね。車の免許が良い例です。
遠足も、家に帰るまでが遠足です。登山も無事に家に帰るまでが登山だと思います。ご冥福を祈ります。
奥さんは、体力判断力的に厳しいって気付いていたのかも、その奥さんが引き止められなかった時点で他の人にはどうにもならなかったかと、無事に帰ることが出来ててたら自分の限界に気づけたかもしれないのに残念です。
アドバイスを受けても素直に従えない人なら、もう無理ですよね。「強引にでも」とは言っても、本当に強引に下山を勧めたりして、もしかしたら険悪なムードで数時間一緒に歩く事とか最悪の事態を想像すると、流石にちょっと現実的ではない…。
私の母は百名山を制覇していて、ここに紹介される山はほとんど知っている。母が所属していたハイキングクラブで山行記録を提出するのだがパソコンが苦手な母の代わりに私が山行記録を作っていたからなのだが、百名山を踏破するには長い時間がかかり、その間には山の麓まで行ったものの、体調が悪くなり山に登らず帰ってきた事も何度かあったよう。急がば回れではないが、登山においては無理しない事が他人に迷惑をかけず、目標を達成する近道なのではと思う。
2022年7月に両神山登りましたけど、今までで一番きつい登山でした清滝小屋で一泊してから山頂→八丁尾根コースで下山しましたが、若い部類の私でもかなりきつい鎖場でしたねー登山している方の年齢層がかなり違う山ですね
年老いていたり、疲れが留まっていたり、本人ではなかなか気づかないものです。何事も無理は禁物だし、引きかえす勇気は大切ですね。年老いても本当の山に登ることができなくなっても追体験できるようなVR技術とかあれば、なくなることはなかったかも。それでも本物の良さ山にはかないませんが。
初期の認知症だったんじゃないかなあ、、、水に濡れても笑ってたり、小鹿のような歩き方でもなお歩を進めてるところを見ると、普通の判断が出来てない気がする。
輝夜さん、本当に優しい。良かれと思って言った言葉で面倒が起こる事もあるので、避けることが多いのに、心配して気にかけて、温かい人ですね。残念な結果になり、つらいです。関わった方々が皆、声をかけて何かしら生きるチャンスがあったのに、、と思うと残念です。
以前山で体調悪そうにしゃがみこんでた人がいたけど声かけるだけで一緒に下山しようまでは言えなかったな。逆に自分が人に気遣われるような状態だったらいい意味で甘えようと思う。
ちゃんと甘えた方が人の重荷にならない時は甘えた方がいい
山を本当に好きだったのにこんな最期は悲しいよ
年取ると頑固になって周囲が止めても言う事聞かないからねぇ
このコースではなく八丁尾根ルートをピストンしましたがかなり体力削られる山で、事故件数もかなり高めです。山は何歳になっても行きたいものですが、ご年配の方はご自身の体力を過信せず、出来れば複数人、出来ないのであれば早めに引き返す勇気が必要です。ありきたりの言葉かもしれんが、山は逃げません。コンディションが良い日に再チャレンジする余裕といざと言う時の備え(ヘッドライト等)が重要だと思います。
正直、高齢ドライバーの事故とも重なりましたが、生活に必要なタスクや趣味を止めて家でじっとするとなったら、精神的に病みますし、認知症も発症すると聞いたことがあります。登山に変わる娯楽があれば一番いいでしょうけど、それより輝夜さんはこの出来事を引きずらなければいいですね。
優しさとは別の視点で。2時間の道程に5時間かかってるご老人が、下山を勧めても登ってたら、警察や山小屋、山岳管理者に報告します。会社のプロジェクトで何かの違和感や遅延を知ったら必ず報告します。そうしないと報告しなかった人に責任が発生するから。エスカレーションって自分の為にやるんです。
自分も「小屋に泊まる予定か?」聞いてハッキリ「泊まる!」と返事なかったら警察に予備的に通報しておく。
輝夜さんは思いやりのあるとても優しい方ですね。私は亡くなった方と同年代の70代後半で両親を亡くしましたが、この方は幸せな最期を迎えられたと思いますよ。病気で長患いするでもなく、家族に迷惑をかける事でご自身が心苦しい思いをされるでもなく、笑顔で山を登り、大好きな自然に抱かれながら、一晩のうちに人生を全うできたんですから。
登山をする時は、リフトかロープウェーがある山か、低山にしている。高尾山とかでも十分楽しい。
両神山は私も獣道に迷い込んでいつの間にか断崖絶壁に追い込まれた事が有るから他人事では無い。小鹿野から上がればなんてことは無いが、二子山方面から登ると大分道が荒れててかなり危ない
運動能力が標準コースタイムでの登山に耐えられないレベルまで低下してるのは明らかで、無難な計画を立てたり自分が置かれた状況を的確に見極める判断力の衰えも疑われる。たとえ本人が大好きな山で死ねて本望だったとしても、救助要請を受けて助けに赴く隊員たちの苦労を考えると(遺体発見時=10月の19時前なら辺りは真っ暗だろう)、弁えて欲しいところではある。心身共に未熟な子供が無茶なことをしようとすれば大人は叱りつけて止めるし、叱られれば大抵の子供は大人しく従う。熟練の域を過ぎて老衰した高齢者はどうか?正しい言いつけを守る素直さが子供の未来を守り、限界を見極めて身を引く潔さが老人の晩節を守る。
家族に心配されても車の運転を辞められず事故を起こす高齢者と同じだ。ひょっとしたら認知症だったかもしれない。
私も認知症だったと思います。初期の徘徊、物忘れ、まだらボケ時期は、そこそこ元気ですから見た目ではわかりませんよね。
己を知り敵を知れば百戦危うからず、と言いますが登山にも当てはまりますね。現地で登り始めて厳しいなと感じたら、進む勇気以上に退く勇気も大事
老人の介護している身としては、ご老体の頭の硬さはどうしようもない。自分の身内ですらそう思うから、他人がどうこうとか無理だと思う
人によるとは思いますが、少なくともこの犠牲者はそのあたり頑固だったと言われても仕方ない。
本人や家族などからの要請がない限り救助は行えず、かといって登山が本来自己責任である以上、他人が強制的に下山させるわけにもいかないので、どうしようもなかってのではないでしょうか。
ぅp主さんへそうなんとは違いますけれど、親から罰として山中に置き去りにされ、生存は絶望的と思われる中まさかの自衛隊基地まで地力でたどり着いて生き残った男の子の話をまとめて頂けたら嬉しいです。
亡くなられた事は、残念です。私も同じ経験があります。膝を悪くしてゆっくり降りて行く二人。私も下山中でしたので、あの速度なら間違いなく夜になると思いました。回りの人はさっさと降りて行く。私は最初二人の後をゆっくりと、ついていきました。山の夜は早い。回りは真っ暗になっていきました。私はヘッドライトを付け、二人に声をかけました。すると、「下りで膝をやられました」と。私は肩をかし、ゆっくりと降りましたが、念のため救助要請をしましたが、あいにくヘリでの救助は無理、下から登って行くとのことでした。幸い、夏で標高も1000mに満たない山でしたので、凍える心配はありません。天候も晴れそれでも、救助隊と合流したのは夜中の2時でした。登りはキツいが、下りは若い人なら走って降りれます。でも、夜は別です。ライトが無いと、必ずケガをします。最後に、目の前に頂上が見えていても、下りで時間がかかると分かっていたら迷わず私は下山します。標高の高い山なら、なおのことこの決断が必要になります。山は登って、無事、家に帰るのがあたりまえです。どんな山にも危険はあるのを、承知で。。。
ぶっちゃけ認知症だったんじゃないかな会話した人にベテランだと感じさせるところと素人登山者のような行動と拘りがチグハグに感じる
山で逝くなら本望、か。だが遠足は家に帰るまでが遠足丘陵でも絶壁でも生きて帰るのが本筋
もう体力がないのに山登りするお年寄りは、ロクな装備を持たずに雪山を登る初心者と同レベルだと思う。山を舐めているとしか言いようがない。ここで助けてもどこか別の山でしんでいたはず。助けられなくても気に病むことはない。
助かってほしかったな😢
昔、始めて春の奥穂高岳に行った時、慣れない重登山靴と初めての本格的な雪山で疲労困憊になり、本当にゆっくりしか歩けなかった時に、見ず知らずのたまたま通りかかったおじさんが一緒に歩いて下山してくれたのを思い出しました。
遭難したおじいさんも、人に迷惑を掛けたくなかったから笑顔だったのかもしれません…。
登山は自己責任とよく言われますが、持ちつ持たれつの部分もあって手を差し伸べてくれる人がいるのなら、自分に正直になってお言葉に甘えるのも重要かもと思ってしまいます。
締めくくりの「山が好きだからこそ山で死ぬべきではない」って言葉、とても胸にしみました。
プロレスラーのリング喎にも通じますね。プロレスが好きだからこそリングで死ぬべきではないってのと。
登場人物が全員優しい……、満面の笑みを浮かべた山好きのお爺さんを助けたいと思った人達がいたことが切なすぎる……。登山好きな友人が『山で出会う人は皆仲間だと思って声を掛ける』と話していたので、輝夜さんやこーりんさんの気持ちを考えるとやるせない……。
いつも高齢者どもはワガママ、ほっとけ自業自得だ。
私の父は秩父の山々が大好きで、私が20歳になるまでは毎年家族で両神山に登っていました。
私が家を出て母がリウマチになった後も父は一人で両神山に登り続けていましたが、ある年の12月に山道から滑落し一晩を凌いで翌日ヘリコプターで救助されました。
警察からの電話で父の遭難→救助を知らされた時、咄嗟に父は山で亡くなったものと思い絶望しましたが、実際は頸椎損傷で下半身不随となり今はリハビリの末車イスを乗り回しています。
命まで取られなかったことに感謝しつつ、山に魅入られてしまう人の気持ちにも思いを馳せています。
山にて眠りに就いた男性に合掌。
一緒に降りましょうと無償の善意で言える輝夜は立派だし、たかはしの心境を思いやれる素敵な方だったんだなあと… 責任感が強くていらっしゃるから「あの時強引にでも」と思われるのでしょうが、あまりご自身を責めず幸せに暮らしていただきたいものですね
いっそ完全に歩行困難な状態で座り込んでいてくれたら、割り切って救助要請も出せるし、腹を括って救助が来るまで付き添ってビバークしてもいいんだけど、中途半端に余力が残ってる状態だと対応に困る。
「残り時間を考えたら明るいうちに下山すんのは100%無理だよね」って時点で既に遭難してる状態だと見做すべきなのかもしれないけど。
いつも高齢者どもはワガママ、ほっとけ自業自得だ。
山で行き交う人同士で交わす挨拶。そこには相手を客観的にみて
「頑張って」「お気をつけて」「一緒に一息つきませんか(疲れてそうですよ)」
「一緒に引き返しませんか」「実は○○で力を貸してくれませんか」
と互いに伝えあう機会になっている素晴らしい文化だと思う。
山を敬愛する同好の方々を広義に仲間とするならば、見ず知らずのその仲間同士で掛け合う挨拶や言葉には
親しすぎるが故に判断を曇らせる要素を廃して客観的に見た
「今のあなたはパッとみてそう見えてますよ」
と伝えあう事にも繋がっているようにも思います。
山で行き交う同士で声を掛け合う事の大切さを知り実践する自分がそこにいた
輝夜さんには自責の念にとらわれず、その事は忘れないでいて欲しいと感じました。
山を敬愛する全ての人達に挨拶の文化が末永く尊ばれ続けられますように。
@@影森治
私も同感。
声かけして「大丈夫」と言われると難しいですね。
お書きのように明らかに「へたり込む」や行動困難で何らか意思表示があれば色々できますよね。
声掛けした上で手助けを拒否したなら仕方ないです。
聞く耳もたない心の狭いたかはしが悪い。気にするな。きっとあの世で閻魔様に叱責されているさ。
20年ほど昔だが、低山ではあるが山頂で「どのルートから登られましたか?」「下山ルートはどのルートが楽ですか?」と聞かれたことがあった。
日没が近いのでリスクを承知で一緒に下山しましたが時間的にはギリギリで駐車場に到着。
辺りは真っ暗に。
自転車で山まで来たとのことだったので、車に自転車を乗せて自宅付近まで送ったことがあります。
その人曰くテレビ見てたらその山が紹介されており、なんとなく登ってみようと思ったとのこと。
親の歳に近い感じの方だったが、結構強めに説教したのは良い思い出。
いくら大好きな場所にいたとしても、一人の時に常にニコニコしている人は滅多にいないと思うから、このお爺さんは他人に迷惑や心配をかけないように気を使ってニコニコしていた気がする。
登場人物全員優しい・・・悲しいなあ。
ここのチャンネルは下手に登場人物を茶化したり強い言葉を使ったりしないので聞きやすいです。ありがとうございます。
輝夜の優しさに泣きそう。
泣いてから
普通に泣いた
昔、登山が趣味でした。
仕事で疲れた状態でしたが久しぶりに登山に行ったら途中で疲れが出てきて目的の山頂まで半分の距離ですぐ下山してしまいました。
ペースが遅い時や疲れた時は無理しちゃだめ。
輝夜が良い人過ぎて…そしてたかはしさん何度も助かるチャンスあったんだなと
手足が動くうちに少しでもたくさん登りたかったのかな、ご冥福を。
輝夜さんの優しいさに涙しました。こんな風に人を思える人間でありたい。でも責任を感じて必要以上に辛くなってしまわないでほしいです。一緒に下山しませんか?と声をかけただけで十分凄い
途中で声をかけてくれた人とのふれあいも家で待ってくれてる奥さんとの会話も心を暖めてくれたはずで
きっと今も天国でニコニコしてるんじゃないかな
ご冥福をお祈りします
輝夜の気遣いが人として尊敬する。
そして年を取ると物事を客観的に見られなくなる上、他人の話やアドバイスを素直に受け入れられなくなるんだな、と思った。
お年寄りは頑固だと言われるのはそういう所なんだろう。
自分の体調や限界を理解して無理だと判断する勇気を持ちたいと思う。
出来ない事は恥じゃないんだから。
好きじゃなきゃ登山は出来ない。好きだけで登山はしちゃいけない。過去の事例と犠牲者の学び教訓を肝に銘じます。無理しない。無茶しない。無謀な事をしない。身の程を知るを心がけます。
みんないい人ばかりなだけに、やるせない気持ちになるね。
「今日はどちらまで行かれたんですか?」とか会話まで相手を気遣って上手だし、、。
衰えは個人差とはいえ 登山も運転と同じで高齢になって的確な状況判断ができなくなると難しいんだろうし、
たまたまそこにいた人や親切な人を心配させたり事故に巻き込んだりするかもしれないことを考えると、分相応な活動を心がけるべきなのかもしれない
だけど、本当に好きな事を、『周りの為に』と諦めるのは辛いだろうな・・・ 情熱が悲劇を引き寄せることもある。
爺さんも登山好きだから他の登山者に迷惑かけたくないと思ったのかも知れないし
輝夜もやっぱり放っておけない気持ちもわかるしなんか切ない話だな
目標は多々ありますが一つの目標として両神山に登りたいから登山を始めた者です。
入念な計画と強靭な足腰を作り上げて挑みたいと気が引き締まりました。
たかはし氏のご冥福をお祈りします。
ご家族初め合う人ごとに気に掛ける様子があっても、縁が結ばないという事もあるのだなって思います。不安や後悔もあっただろうけどそれを踏まえても、冒険家魂をもっていたのかな?って思いました。
ご安全で、楽しい登山になりますように!
出てきた人は皆良い人だし山を心から愛していた。なのにこんな結末が待っているだなんて凄くやるせないです
しかしそれだけ山は日常とは遠い世界なのだと再確認した動画でした…
いつも高齢者どもはワガママ、自業自得だ。
山が好きだからこそ山で死ぬべきでは無い めっちゃわかります。
自分はバイク好きですが絶対にバイクでは死にたくないと思ってます。自分の好きなもんで死んだらアカン
かぐや、優しい😭 自分のせいではないとわかっていても、いつまでも心に引っかかってしまいますよね。
こーりんも心配してくれていて、二人とも思いやりにあふれた方々だった。
たかはしは残念だったけど、家族が止めても好きを止められなかったから、仮に今回は大丈夫だったとしても、結局、結末は同じだったかもしれないなぁ、と思いました。
笑顔が素敵なおじいちゃん……ご冥福をお祈りいたします。
これから遡ること10年くらい前に、私が当時勤めていた社食の厨房職員の年配者が両神山で滑落して亡くなる事故があり、両神さんと聞くとまずそれを思い出します。
私は登山はしませんがオフロードバイクで山の林道を走るのが好きですが自分の実力では行けない所には行かないようにしてます。
このご老人も声かけてくれた人達のいうことを素直に聞いて引き返せたならこんな悲劇は起こらなかったと思います。ご冥福をお祈りします。
私もみなさんと同じで涙がでてきました。
たかはしさんは、この山行の前にすでにどこかの登山にて自分の足腰の弱体化を自覚していたはず。まずは、自分の老いと衰えを受け入れることが大事ですね。誰もが通る道です。それは恥ずかしいことではありません。
結果は残念ですが、この方を気にかけ、親切に手を差し伸べた方々が居た事自体には救われる思いです。
かずあるゆっくり動画の中でも構成がしっかりしていてわかりやすくて、とても大好きなサイトです。
祖母は昔は高山にも登るほどの登山好きだったけど、年を召してからはガイドを付けた低山のハイキング(?)を楽しんでるみたい。
自信の体の衰え(と言っても凄く元気だけど)ときちんと向き合って、今出来る楽しみ方で山を楽しんでて、凄く素敵だなと思う😄
好きな人に年だから諦めてと言うのは酷だろうけど、命あってこそ楽しめるものだし💦
自動再生で流し聞きしていたのですが、まさかゆっくりで涙が出るとは、、、高橋さんの今際の際が安らかであったことを、また関係された方々の自責の念が(日本人である限り無理とは思いますが)出来る限り軽くなることを祈ります。
登山未経験者です。ソロ登山の高齢者と言うと偏屈で頑固な方のイメージでしたが
満面の笑顔で受け答えしてくれる方も多いのですね。
労災用語で「1メートルは一命取る!」という言葉があるのですが
被害者の方も打ち所が悪かったのでしょうね、、元気に帰宅して欲しかったです(泣
家族と安全に健やかに長生きする事よりも己のやりたい事を貫く方が重要な生き方だったのだから
本人は山で逝った事を後悔はしていないだろうと思う
だけど人として生まれ家族を持ち生きてきたのなら
人生最後の瞬間には勝手をして家族を悲しませた事だけは後悔したと思いたいです
2020年 両神山遭難事故の詳細、アップして頂きありがとうございます。
当時ヤマレコ等でも話題になっており、詳しい事が知りたいと思っておりました。
私も老人で、両神山に登りますが、登るたびに思うことがあります。
①薄川の渡渉場所が暗くなるとわかりずらい。会所から2回か3回目の渡渉場所は付近にピンクリボンすらない。
200ルーメンクラスのヘッドランプでは反対側の踏み跡すらわからない。
②清滝小屋のメンテナンスを!。本来ならば避難小屋の機能を果たすべき清滝小屋ですが、埃まみれダニまみれで、
荒んでおります。水も飲んではいけないと言われている。行政が何もしないなら、有志を募って何とかしたいところです。
「タカハシ」さんが亡くなったのは、鈴が坂辺りの岩場から滑落したのかと思っておりましたが、登山道から2メートル下の沢との事で、
八海山から会所までの渡渉の最中ではなかったのかと考え、つい長文になってしまいました。ごめんなさいです。
改めて「タカハシ」さんのご冥福をお祈りいたします。
まとめ方上手いなぁ。輝夜の文章の引用を読んでいたら胸がぎゅってなった…。
自己責任や自力下山が基本だけれど…もしリタイヤされて悠々自適された方なら「山は逃げない」と考えてもらいたいし、様子が心配な単独登山者を見かけたら「また今度再挑戦する」気持ちになってもらえる説得のしかたを身につけたい
健康上の理由で無理をなさっていたのかな
山で死んではいけない
ご冥福をお祈りします
私も昨年、両神山に登り滑落しました。
しかし怪我もなくなんとか這い上って登山道に戻れました。
両神山はハイキング気分で登る人が多いと思いますが道が細い所が多くウッカリ滑って落ちそうな所が多々あります。
常に慎重に歩く必要がある山という認識が必要だと思います。
会話した人がその後亡くなったって知ったらショックだろうし、自身を責めちゃうけど、輝夜は出来るだけのことはしたと思う。
登山は基本的には自己責任だろうし、どんな山でも装備を準備し、計画を立てて、下山するべきときに下山できるようにしないと事故につながるんだなと感じました。
高齢でなくても体力を自分ではかるのは難しいよね。。初心者向けと聞いたそれこそ往復5時間ほどの山に誘われて行ったけど、運動不足の私は足があがらず行きで4時間かかってしまった。帰りは私は快調だったけど、今度はひざが強くない友人が下りに時間がかかり結局往復で8時間かかった。2人とも30代前半だったけど、山慣れしてるらしき通りすがりの中高年の方々にずいぶん心配されたのを覚えてる。
それ以来、自然はもっぱら動画で楽しんでおります。
輝夜さん、優しい方ですね。
どうかご自分を責められませんように・・・。
ど素人から見ても最善を尽くされたと思います。
いつも通りのクオリティ助かります。
途中まで一緒に歩いて様子見ながら同じように行動して、付かず離れずの距離で見守るしかないんでしょうかね。初めての登山で行き止まりの崖の方に歩いた私を心配そうな顔して前を歩いてた方が振り向いて私が登山道に戻るまで見守ってくれた事を思い出します。
「山登りが好き」と「山登りが得意」は全く別物ですからね
このおじいさんは残念ながら自分の力量を分かっていなかったんでしょう
この前同じコースを登ってきましたけど、地質が脆いしガレ場や土石流跡も多くてイメージより危険な山でした。
山頂の景色は最高でしたが、1人で行くのはオススメできない感じですね。
大好きな山で自然に抱かれて人生の最期を迎えるのもまた生き物としての人間らしいものかもしれない。
ベテランの高齢者であるが故の悲劇だ。川で足を濡らした時の笑顔は楽しんでいる訳ではなく
プライドがさせる照れ隠しにしか見えない。喘ぎながら歩いているのに笑顔だったというのも
「こんな筈はない」という自分自身への咎めと誤魔化しだろう。高齢者に多く
「俺はまだまだいける 若い時はこんなもんじゃ無かった」と確認するように無理をする人が多い。
自分だけの問題じゃなく、家族や出会った人達、救助隊など周囲にも多大な影響を及ぼすという
ことを肝に銘じて行動していただきたいものだ。頑固はやめて素直に人を受け入れて欲しい。
何だかとても切なく残念な悲劇・・・ご冥福をお祈りいたします。
13:45「今日はどこまで行かれたんですか?」←とっさにこういう気遣いのある聞き方ができるってすごい
高橋は本当に登山を楽しんでいたんですね、出てくる人がみんな良い人だけにこの結末はやるせないです‥
動画の穏やかな解説助かります。
予定の1.5倍を見てハイキングしてますが、それを超えたら容赦なく引き返そうと思います。
チャレンジしてみたけど
思ったより難易度が高く感じたのかな?
山頂までは無理だと理解していた
でもいけるところまでは行ってみたい
家族の反対を押し切ってしまうくらい山が好きで好きで
そんな山を登って降りてる人がいるから嬉しくて嬉しくて
若い人が登っているから俺も頑張ろうと自分を鼓舞しながら進んでいったのでしょうね
わたしも初老の階段を一歩踏み込みました
だからかもしれないけど
たかはしさんの気持ちが理解できる気がします
好きな物を辞めろと言われても辞めたくないのもわかるけど
登山においてはあくまで山が主体という事を忘れてはいけないね。
「自分が登りたいから登る」ではなく「山に登らせて貰う」と考えていないとあらゆるサインを見誤る。
高齢者のこういう話を見聞きするたび、頑固爺にはならないように強く強く心がけ続けねばと思う中年の私。
輝夜の立場だとしても、そんな事言えない‥余計な負担は避けたいし、連れて帰るなら駅とかタクシーまで一緒に行動しないと無責任だし‥
みんな山好きの素敵な方々なのに、こんな事になってしまい残念です‥
両神山は、百名山の中で、個人的にダントツでもう2度と登りたくない山です(ごめんなさい)
土の道が狭く滑りやすく、よろけた時に捕まる木も、滑落を止めてくれる木もなくて、下の沢まで落ちることになる。ちょっとでも足を滑らせたらそのまま死ぬか複雑骨折確実となる箇所が多い。
つまり、アルプスみたいに危険な場所なので死ぬかもしれない、ではなくて、普通の細道なのに死ぬ、なのです。落ち葉や雨でちょっと滑ったり、ちょっとよろけたら死にます。
(行ったのは日向大谷口からのルートでした)
アラサーですが、2年前の5月に八丁尾根からピストンで両神山を登りました。
落合登山口で直近で亡くなられた人の日付が記載されてる看板が立っており、気になってました。
2020年10月24日に亡くなられた方が、このご高齢の方だと知りなんともいえない気持ちになりました。
とても山好きな方だったのですね、自分は今アラサーですが、いくつまで登れるのか考えさせられる内容の動画でした。
短期投稿大変だと思いますが、引き続き頑張ってください!
山が好きで山菜取りも好きな私。
日本で遭難すると捜索されます。
捜索隊を始め迷惑をかけます。
山岳保険に入り装備を整え自身の体調を維持し実力に合った山を無理せず登りたい。
自身に自覚が無くても周りから見れば 危なっかしい年寄り に見えているかも。
山をお墓にしてはいけません。
亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
こういう話があると、大体9割の確率で死体撃ちをするように叩く人がいるのがなんとも言えません。。。
私の父も海が趣味で、海で死ねたら本望と言っているような人ですが、家族からしたら「迷惑になる死に方はやめろ」と言っています。
高齢になってくると、昔は「はいはいwww」と言えてたものが、「シャレにならない」となってくるんですよね。。。
車の運転もですし、一歩間違えば死ぬこともあるような趣味だと、家族や周囲の心配は大きくなってきます。
ただ、本人が「どうしてもやる」とやっている以上、あの手この手でも止められないんですよ。
ですので、輝夜さんのような「一言」があると、家族は救われます、きっと。
。。。というのも、私自身、親友を事故で亡くしていますが、その時に、親御さんに「親友はこういうところがあった」と事実を述べたのですが、それが全くフォローになっていなかったと後悔したことがあるんですよね。
「今なら、もっといい所を言えてたな。。。」と思うことがあります。当時はまだ高校生だったので、そこまで気を回せなかったんです。
なので、こういう話の場合は、いくら本人に落ち度がありそうでも、それが結果に結びついたと、私には断言出来ないので、批判している人を見ると、嫌な気持ちになります。。。
願わくば、輝夜さんのようなコメントを出せるような人でありたいと思っています。
これ輝夜たちは一緒に下山しようと声かけてるからあれだけど、こーりん達がずーっとあの時確認しとけば良かった・・・って心に残りそう。山好きなのは良いけれど、人間など自然の前では塵のような存在なんだから、自分の実力を鑑みて行動しなければこうなるという事だと思う。
渡渉に失敗した「たかはし」の靴は完全に水没したのでしょう。登山靴は簡単に乾かない。ソックスを絞ったり、乾いた物に履き替えても、あまり効果は望めない。
結果、足の皮が白くふやけ、歩いている内に、普通の靴擦れよりも酷く足のあちこちの皮が剥けてしまい、痛くて歩くのが苦痛。年齢も相まって歩行ペースも落ち、足元もおぼつかない状態だったのでしょう。
とても考えさせられる遭難事案でした。
サーフィンでは地の海を熟知したサーファーが危ない状況のビギナーやビジターに遠慮なく注意指示するそうです。年齢云々は関係ないそうですよ。
同様に死がすぐそばにある登山も同じではないでしょうか。
登山仲間だ年上だとか相手の心中は命より重くはないですよね。
とても考えさせられるお話でした。
疲労の中で判断を誤っていると他人の助言にも従いにくくなってしまうのかと思いました。
助言をする方はどこまで、自らが不愉快な思いをする可能性を押してまで相手を説得できるか…
自分が誰かから説得されて登りたくても諦められるか…
この教訓を山では思い出す必要があると思いました。。
輝夜さんやそのほか道中で関わって何も出来なかったと後悔している方々は、せめてお亡くなりになった方の事例をご本人や山仲間での教訓にして、これからもその方の分まで長く安全に登山を楽しんでもたいたいものですね…
登山者同士の声かけの重要性
を痛感します。
もし
この遭難者の方が素直に
周りの方の言う事をしたがっていたら助かっていたと思います。
私が
遭難者の立場であったら
素直に周りの方の言う事に
従いたいと思いました。
登山する場合
その山が自分の登山レベルに
あっているかどうか
事前に
確認する事がとても大事ですね。
もし登山計画より
時間がかかりすぎる場合
昼前に
下山をする事
真剣に考えないとまずいですね。
動画を制作してくださり
ありがとうございます。
昨年同じコースをピストンしましたが、日中の明るい時間でも片側が切れ落ちた狭いコースが多く怖い思いをしました。まして暗くなってからの下山は命取りだと感じます。単独でなければ結果は違ったでしょう。
速く登れない理由があったかもしれません、その理由から登山仲間にも遠慮し、単独を選んだのかもしれません。それでも登る理由は、ただただ山が好きだったから。
その笑顔を見たら何か出来る事はないかと思う事も、きっと自然な流れだったと感じます。それだけに、本当にただただ悲しい
11:19 輝夜さん優しいですな|ω=´) 出来得るかぎりの事をした輝夜さんは立派だった。結果は残念だったけど、仕方のないことですね・・・。
ご家族が同行して衰えに気付かせる…という優しさも時には必要だと思います。
好きな事が出来なくなる辛さも分かりますが……(((^_^;)
生還のチャンスが沢山あっただけに残念に思います。
一つ思ったのは、大きなアクシデントがないのに、コースタイムの倍以上の時間がかかっていて、他の登山者の目に留まるほどの歩様の不安定さから、たまたまこの時だけ時間がかかったのではなく、日頃からこれくらいのペースだったのでは?と推察します。
そうならば、日帰りは困難だった筈で、計画段階からすでに破綻していたとも言えます。
せめて、日没前に腹を括り、ビバーク地点を探して朝まで耐えて欲しかったと思いました。
ご冥福をお祈りします。
うろ覚えですが、植村直己氏も著書で「山好きが山で〇ぬことは本望と言われるけど、冗談じゃない、まっびらごめんだ」みたいなこと言ってました。
70代の身内が一人で登山に行くって言ったら、そりゃあ止めといて欲しいよね。
事故ってからじゃ遅いっていう、運転免許返納問題と似てる気がする。
捜索費用だって百万単位になるんだし。
前回のレンといい、今回の輝夜といい、なんと心優しい方々でしょうか。
自己責任とはいえ、無念のご最期… ご冥福をお祈りいたします。
たかはしさん、山が好きだったんだなあ。でも、山登りは(遠足じゃないが)無事に家まで帰って来て完了だと思う。亡くなってしまったから分からないが、山中で見せていた笑顔は「楽しいから見せる」笑顔だったのか?笑顔は「仮面」で、本当は辛かったんじゃないか?輝夜だけじゃなくて、家族も「止めさせておけばよかった」と思っているだろうな...。
声をかけられた方々が、心に重荷を負わぬように、と声をかけてあげたい…
輝夜の人間性に感動しました。
年を取ると中々人の話を素直に聞けなくなるみたいですが やはり人の話はキチンと聞く事が大事ですね。アドバイスには耳を傾けたいものです。
それと自分の限界を見極めて判断するのも大切ですね。
車の免許が良い例です。
遠足も、家に帰るまでが遠足です。
登山も無事に家に帰るまでが登山だと思います。
ご冥福を祈ります。
奥さんは、体力判断力的に厳しいって気付いていたのかも、その奥さんが引き止められなかった時点で他の人にはどうにもならなかったかと、無事に帰ることが出来ててたら自分の限界に気づけたかもしれないのに残念です。
アドバイスを受けても素直に従えない人なら、もう無理ですよね。「強引にでも」とは言っても、本当に強引に下山を勧めたりして、もしかしたら険悪なムードで数時間一緒に歩く事とか最悪の事態を想像すると、流石にちょっと現実的ではない…。
私の母は百名山を制覇していて、ここに紹介される山はほとんど知っている。母が所属していたハイキングクラブで山行記録を提出するのだがパソコンが苦手な母の代わりに私が山行記録を作っていたからなのだが、百名山を踏破するには長い時間がかかり、その間には山の麓まで行ったものの、体調が悪くなり山に登らず帰ってきた事も何度かあったよう。急がば回れではないが、登山においては無理しない事が他人に迷惑をかけず、目標を達成する近道なのではと思う。
2022年7月に両神山登りましたけど、今までで一番きつい登山でした
清滝小屋で一泊してから山頂→八丁尾根コースで下山しましたが、若い部類の私でもかなりきつい鎖場でしたねー
登山している方の年齢層がかなり違う山ですね
年老いていたり、疲れが留まっていたり、本人ではなかなか気づかないものです。
何事も無理は禁物だし、引きかえす勇気は大切ですね。
年老いても本当の山に登ることができなくなっても追体験できるようなVR技術とかあれば、なくなることはなかったかも。それでも本物の良さ山にはかないませんが。
初期の認知症だったんじゃないかなあ、、、
水に濡れても笑ってたり、小鹿のような歩き方でもなお歩を進めてるところを見ると、普通の判断が出来てない気がする。
輝夜さん、本当に優しい。
良かれと思って言った言葉で面倒が起こる事もあるので、避けることが多いのに、心配して気にかけて、温かい人ですね。
残念な結果になり、つらいです。
関わった方々が皆、声をかけて何かしら生きるチャンスがあったのに、、と思うと残念です。
以前山で体調悪そうにしゃがみこんでた人がいたけど
声かけるだけで一緒に下山しようまでは言えなかったな。
逆に自分が人に気遣われるような状態だったらいい意味で甘えようと思う。
ちゃんと甘えた方が人の重荷にならない時は甘えた方がいい
山を本当に好きだったのに
こんな最期は悲しいよ
年取ると頑固になって周囲が止めても言う事聞かないからねぇ
このコースではなく八丁尾根ルートをピストンしましたがかなり体力削られる山で、事故件数もかなり高めです。山は何歳になっても行きたいものですが、ご年配の方はご自身の体力を過信せず、出来れば複数人、出来ないのであれば早めに引き返す勇気が必要です。ありきたりの言葉かもしれんが、山は逃げません。コンディションが良い日に再チャレンジする余裕といざと言う時の備え(ヘッドライト等)が重要だと思います。
正直、高齢ドライバーの事故とも重なりましたが、生活に必要なタスクや趣味を止めて家でじっとするとなったら、精神的に病みますし、認知症も発症すると聞いたことがあります。
登山に変わる娯楽があれば一番いいでしょうけど、それより輝夜さんはこの出来事を引きずらなければいいですね。
優しさとは別の視点で。
2時間の道程に5時間かかってるご老人が、下山を勧めても登ってたら、警察や山小屋、山岳管理者に報告します。
会社のプロジェクトで何かの違和感や遅延を知ったら必ず報告します。そうしないと報告しなかった人に責任が発生するから。エスカレーションって自分の為にやるんです。
自分も「小屋に泊まる予定か?」聞いてハッキリ「泊まる!」と返事なかったら警察に予備的に通報しておく。
輝夜さんは思いやりのあるとても優しい方ですね。私は亡くなった方と同年代の70代後半で両親を亡くしましたが、この方は幸せな最期を迎えられたと思いますよ。病気で長患いするでもなく、家族に迷惑をかける事でご自身が心苦しい思いをされるでもなく、笑顔で山を登り、大好きな自然に抱かれながら、一晩のうちに人生を全うできたんですから。
登山をする時は、リフトかロープウェーがある山か、低山にしている。
高尾山とかでも十分楽しい。
両神山は私も獣道に迷い込んでいつの間にか断崖絶壁に追い込まれた事が有るから他人事では無い。
小鹿野から上がればなんてことは無いが、二子山方面から登ると大分道が荒れててかなり危ない
運動能力が標準コースタイムでの登山に耐えられないレベルまで低下してるのは明らかで、無難な計画を立てたり自分が置かれた状況を的確に見極める判断力の衰えも疑われる。
たとえ本人が大好きな山で死ねて本望だったとしても、救助要請を受けて助けに赴く隊員たちの苦労を考えると(遺体発見時=10月の19時前なら辺りは真っ暗だろう)、弁えて欲しいところではある。
心身共に未熟な子供が無茶なことをしようとすれば大人は叱りつけて止めるし、叱られれば大抵の子供は大人しく従う。
熟練の域を過ぎて老衰した高齢者はどうか?
正しい言いつけを守る素直さが子供の未来を守り、限界を見極めて身を引く潔さが老人の晩節を守る。
家族に心配されても車の運転を辞められず事故を起こす高齢者と同じだ。ひょっとしたら認知症だったかもしれない。
私も認知症だったと思います。初期の徘徊、物忘れ、まだらボケ時期は、そこそこ元気ですから見た目ではわかりませんよね。
己を知り敵を知れば百戦危うからず、と言いますが登山にも当てはまりますね。現地で登り始めて厳しいなと感じたら、進む勇気以上に退く勇気も大事
老人の介護している身としては、ご老体の頭の硬さはどうしようもない。自分の身内ですらそう思うから、他人がどうこうとか無理だと思う
人によるとは思いますが、少なくともこの犠牲者はそのあたり頑固だったと言われても仕方ない。
本人や家族などからの要請がない限り救助は行えず、かといって登山が本来自己責任である以上、他人が強制的に下山させるわけにもいかないので、どうしようもなかってのではないでしょうか。
ぅp主さんへ
そうなんとは違いますけれど、親から罰として山中に置き去りにされ、生存は絶望的と思われる中まさかの自衛隊基地まで地力でたどり着いて生き残った男の子の話をまとめて頂けたら嬉しいです。
亡くなられた事は、残念です。私も同じ経験があります。膝を悪くしてゆっくり降りて行く二人。私も下山中でしたので、あの速度なら間違いなく夜になると思いました。回りの人はさっさと降りて行く。私は最初二人の後をゆっくりと、ついていきました。山の夜は早い。回りは真っ暗になっていきました。私はヘッドライトを付け、二人に声をかけました。すると、「下りで膝をやられました」と。私は肩をかし、ゆっくりと降りましたが、念のため救助要請をしましたが、あいにくヘリでの救助は無理、下から登って行くとのことでした。幸い、夏で標高も1000mに満たない山でしたので、凍える心配はありません。天候も晴れそれでも、救助隊と合流したのは夜中の2時でした。
登りはキツいが、下りは若い人なら走って降りれます。でも、夜は別です。ライトが無いと、必ずケガをします。
最後に、目の前に頂上が見えていても、下りで時間がかかると分かっていたら迷わず私は下山します。標高の高い山なら、なおのことこの決断が必要になります。山は登って、無事、家に帰るのがあたりまえです。どんな山にも危険はあるのを、承知で。。。
ぶっちゃけ認知症だったんじゃないかな
会話した人にベテランだと感じさせるところと素人登山者のような行動と拘りがチグハグに感じる
山で逝くなら本望、か。
だが遠足は家に帰るまでが遠足
丘陵でも絶壁でも生きて帰るのが本筋
もう体力がないのに山登りするお年寄りは、ロクな装備を持たずに雪山を登る初心者と同レベルだと思う。山を舐めているとしか言いようがない。
ここで助けてもどこか別の山でしんでいたはず。助けられなくても気に病むことはない。
助かってほしかったな😢