なるほど日本 第58話 | 出雲の伝承が示す神武東征 中編:第一次物部東征
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- Опубликовано: 12 сен 2024
- 日本建国の重要なキーワード「神武東征」。
3話に渡ってご紹介する2話目は、ヒコナギサタケウカヤフキアエズの子孫 五瀬命が九州を旅立ち、大和にたどり着くまでの経緯を出雲の伝承に基づきご紹介していきます。
※動画内の訂正注釈ーーーーーーーーーーーーーー
五十猛は八千矛王の孫娘である大屋姫(おおやひめ)と結婚しており、蹈鞴五十鈴姫の夫ではありませんでした。
この場を借りて訂正させて頂きます。
五十猛はこの時、出雲の人々と共に丹波に移住しており、その地で大屋姫を妃に迎えていました。
名前も香語山(かごやま)と改めて丹波国を治めています。
・第57話 | 出雲の伝承が示す神武東征①:饒速日命の正体と古代氏族『物部氏』
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#出雲#神武東征#物部氏#八咫烏#富家#ウカヤフキアエズ#長髄彦#大和#五十猛#天照#五瀬命#アマベ王朝#アタカタス#八千矛王#大彦#出雲族#竈山神社#太田タネヒコ#宇摩志麻遅命#出雲族
素晴らしい、綺麗な画質と心地よい解説の肉声。
早速チャネル登録しました。
これから本チャネルの全部の動画を視聴します!
ありがとうございます😊
ぜひよろしくお願い致します🙇♂️
物部氏に興味が出てきたところでしたので、丁度いいタイミングの動画でした❤ ありがとうございました✨
すばらしい動画です。出雲口伝に興味がわいてきました。藤原不比等編者の日本書記より、よほど信憑性が感じられます。物部・蘇我は「台頭してきた有力豪族」という概念は捨てた方が良いという感想です。
いつも美しい映像とともに
分かりやすい説明を
ありがとうございます♪
今回、ちょっと、アレっと
思う箇所があります。
タタラ五十鈴姫が
ヤマトに移住した五十猛と
結婚したと説明されていますが、
タタラ五十鈴姫の婿は
村雲です。
動画でもその前に、
そう仰っていますよね。
丹波からヤマトへ入ったのは、
五十猛の子の村雲であり、
タタラ五十鈴姫の婿になって、
大王として迎えられたと思います。
物部が東征して来たのは、
第7代孝霊天皇の時代であり、
五十鈴依姫の子の時代より
ずっと後のことです。
調べてみてください。
後、ちょっと細かいですが、
彦渚武は五瀬の祖先ですが、
ウガヤフキアエズは
第二次東征時の
豊玉姫の子・豊彦
豊来入彦のことだと思います。
正史で2つの東征が、
ひとつにまとめられたので、
正史では一緒につなげて
書かれていますが、
違う二人を暗示していると
思われます。
ご指摘ありがとうございます。
もう一度確認をさせて頂きました。
五十猛は八千矛王の孫娘である大屋姫(おおやひめ)と結婚しており、蹈鞴五十鈴姫の夫ではありませんでした。
訂正の注釈を入れさせて頂きます。
五十猛はこの時、出雲の人々と共に丹波に移住しており、その地で大屋姫を妃に迎えていました。
名前も香語山(かごやま)と改めて丹波国を治めています。
後の神武東征の第三章でも動画にする予定なのですが、物部勢が大和に到達した際の大王は長髄彦の腹違いの弟であるフトニであったと伝えられていますね。
孝霊天皇はフトニが王となった際の名であったので、時代としては一致していると思います。
孝霊天皇は大和を同じく去り、播磨や吉備方面に移住をしたと出雲の伝承では伝えられています。
@@qpjvision さま
お手数、ありがとうございました♪
また、素敵な動画を
楽しみにしています。❣️
四国の川、現在の物部川を遡った先に出雲族が居たとありますが、その当時は出雲族が四国を統治していたという事ですか?
7:00あたりに表示される絵の名称はお分かりになりますか?
薩摩半島にてツブロ式蒸留器を用いた焼酎作りが行われたのは少なくとも15世紀頃であり、徐福が渡来したと言われているのは紀元前219年頃とされている為、矛盾しまくり荒唐無稽もいいところです。聞いたことをそのまんま完全に信じる人達は論外ですが、古代ロマン小説として割りきって聞く分には楽しいですね。