【ブッダの瞑想】ヴィパッサナー瞑想に向き不向きはあるのか?/「嫌いな人々」の願いごとが叶うのはヤバくない?|スマナサーラ長老の初期仏教Q&A(初期仏教のマインドフルネス、気づきの実践)

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  • Опубликовано: 2 дек 2024

Комментарии • 2

  • @國見功
    @國見功 Год назад +1

    6:56スマナサーラ長老のいうことは理解できる。しかし自分の嫌いな人で個人に意地悪をするくらいの話ではなく、「願い」そのものが悪であったらやだなあとか考えてしまうのは考えすぎなのだろうか?テロリストも確かに平和で満たされていればテロなど起こさないというのはわかる。しかし性善説(善悪は人間が決めるものではないそうですが)ですべてうまくいかないこともあるのでは?と思ってしまう私はまだまだ仏教の理解が足りないのかな?瞑想を続けて理解できるようになりたいですね。

    • @harahachi3333
      @harahachi3333 Год назад

      大方同意ですが仏教は性善説に依っているのではないだろうと思います
      仰る通り仏教は善悪の見解を持ちませんし、長老が言われる無常や偏見の否定という教えに反します
      改めて悪が害をもたらすものだと考えると、完全な悪を望むという事は自分をも破壊する愚かな思考であり、生きるものは(自分の意思を含んだ)完全な自己破壊は望まないだろうと考えられます
      しかし愚かな事に、本当は望んだ結果にならない事を考え実行していますから、私は本当に望むべき事が叶いますように、と解釈して祈ります
      これは無執着を意識しつつも、やや果報を重視した行為ではないかと思います