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昨年から観てます。最近は古い動画もみたりしますが、武士道さんの話術、史実深掘りともにレベルアップがすごくて、その進化に尊敬です。
たしかに、すでに織田家の当主だった信忠の息子である三法師がいるのだから、家督相続で揉めるのは違和感ありますね。3歳の三法師に実務が取れるわけないので、誰が名代になるかで揉めたというほうが説得力ありそう。しかしまあ、重臣の合議制が上手く行かないのを秀吉は目の当たりにしているのに、後々同じ轍を踏んでますねえ。
秀吉は子宝に恵まれず、後継者になれるのが晩年に授かった数え6歳の秀頼のみだった。更に、一代で成り上がったので父祖の代から仕えた家臣が居ないし生え抜きも長浜時代からの若手(加藤清正、石田三成等)が大半で、下積みを共にしたベテラン家臣(豊臣秀長、竹中半兵衛等)は秀頼誕生時点で殆ど、先立っていた。1590年代後半には関八州の太守となっていた五大老筆頭格家康の増長を止められる人はもういませんでした。
織田から離れて他家を継いだら余程のことがなければ織田を継ぐなんてことにはならないですからね信長からもらった秀勝が早死にせずに秀吉の後継者になっていれば1番丸く収まったと思います
戦国BANASHIさんの説明は、今まで聞いたことのある色々な人の話の中で、なぜ秀吉が天下を取ることになったのかの最も説得力のある説明でした。戦国時代は下剋上の時代とはいえ、秀吉が、信長の死を自分の天下取りのチャンスと捉え、秀吉が最初から天下取りを目指したかのような議論が罷り通っていますが、それは後知恵で、いくつもの偶然が重なって、秀吉が偶々天下を取れたのであって、秀吉自身、恐らく最初は、天下を取ること等全く考えておらず、生き残りを図るのに必死だっただけなのではないかと思っていましたが、戦国BANASHIさんの話を聞いて、まさに我が意を得たりと思いました。秀吉は、清須会議で皆で決めたことを愚直に実施しようとしたからこそ、筋が通っており誰も反対できず、結果として多数を形成することになって最大の実力者になったのだと思います。そして織田信孝の野心が、清須会議で決まった秩序を崩壊させ、結果として織田家の天下人からの転落を招いたというのも極めて説得的でした。
本能寺から関ケ原までの日本史はほとんど知らないので、大変勉強になりました。関ケ原までの賤ヶ岳、九州平定、北条討伐、朝鮮出兵などなど楽しみですし、解説が待ち遠しいです。
今まで描かれてた清洲会議との違いが分かりやすかったです。清洲会議というと、秀吉が三法師抱いて登場&秀吉の根回し力に軍配。のイメージでしたが、実は創作されたものだったとは笑。創作が通説になってることがたくさんありそうですね。清洲で開かれた理由、信長の息子達の話、あと秀吉台頭の様子とか楽しかったです!
豊臣になるまでの秀吉はほんとすげえ。
秀吉は頭がいいですから。
わかりやすい解説でした😊どうする家康では、清洲会議は省略してやりそうだ…清洲会議終えてからの方として描かれそう。
清洲会議を扱ったら二週使っても足りなそうですからね
予告で一応それっぽいシーンがあったけど、かなり簡単に終わらせるだろうね雰囲気的に、次の次あたりから小牧・長久手に入りそうだし
すごく分かり易くて腑に落ちました。信孝の存在が織田家の瓦解のきっかけだったとはビックリでした😮
権力者亡き跡の争いはやっぱ面白い!清須会議の新説も初めて知りました。家康主軸じゃないのでドラマでどこまで描くか楽しみですね!
今までさんざん描かれてい清須会議が、全く違った展開で進んでいたのを知り、勉強になりました。会議前に既に織田家の継承は三法師と決まっていて、誰が彼を支える後見人になるかを決定するために開催されたとは、初耳でした。確かに既に信長は信忠に家督を譲っていたので、当然信忠の嫡男が継承するはずですね。結局合議制で三法師を擁立していくことになったけれど、信孝の専横により家中が2つに分裂してしまった。信孝は実力ある人物として描かれることも多いし、実際明智勢を討伐した武勲もあるので、おそらく自分が一番正当性があると感じていたのでしょう。武士道さんの言われているように、自身の生まれに劣等感があったればこそ、余計野心を持ったのかもしれません。後世の我々から見れば、まず初めは信雄と共に協調して秀吉に対抗し、彼を退けた後、信雄と抗争すればよかったのになあと感じます。それでも、頭脳派の秀吉にはかなわなかったかもしれませんが。途中出てきた織田家臣の勢力図を見ると、領土の多さからも、柴田勝家と秀吉の対立は、いつ起こったとしても不思議ではない均衡具合で、賤ヶ岳の戦い勃発の理由に納得しました。
ホワイトボードの左下の清洲会議の合議制の所3人目が【丹羽】が【丹波】になってますよ!
清洲会が鎌倉殿の13人のように織田家を支えて行く(仮に?)会議とは知りませんでした。信雄が名代となり信孝が追い詰められて行く理由がわかりやすく表現されていて良かったです。最後に信孝の事を強調して下さりありがとう御座いました。
いつも動画公開楽しみにさせて貰ってます!とても勉強になります。■議題は「名代」の決定 のところで柴田・羽柴・ "丹波" ・池田・堀 になってます。丹波→丹羽?
丹波は「たんば」と呼ばれる国の名前ですが、丹羽は「にわ」と読まれる人の名前なのです。
秀吉が "筑前(守)" 、真田昌幸が "安房守" 、家康が "三河守" とドラマでは官職名でよく呼ばれるように、丹羽長秀も "丹波守" と呼ばれた時期があったのかな?と思ったので、一応の確認で😊
@@ゆきみん-j9l丹羽長秀は越前守だし、この中で丹羽だけ官位名にする理由もないので多分ミスだと思いますよ
信孝の動きを軸にした「清須会議」もいつか映画で観たいですね~先に大河ドラマで滝川一益あたりの知名度を上げないとかな…
信孝って有能有能言われてるけど四国政策の件にしても誤報に惑わされて織田信澄ぶっ頃したり、自分の出世のためなら後先考えられない人で信雄と大して武将としての能力は変わらないように思えますねにしても堀秀政は信長の側近が尽く本能寺で死んだおかげで大出世しましたね
武士道さんの言う通り、信勝や信孝を中心とした複数の人間の思惑の混じり合いが非常に面白く、それを描いたら面白いだろうなと思いましたが、どうする家康ではやはり、お市の方や茶々の生き方、信念、家康との関係にフォーカスした内容でしたね…もう少し丁寧に描いて欲しかった部分もありますが、今回のはドラマとして見入ってしまいました、大河らしい、どうする家康らしい描き方でしたね
三法師を当主にするという秀吉のウルトラCみたいなストーリーの時代劇はそろそろやめないかなぁって思ってるけど、ずっとそのままなんですよね。三谷幸喜の映画然り。どう考えても、どの信長の息子かとかもう関係なくて、現当主である信忠の嫡男以外選択肢なんてないのに。
とても面白かったです。名講義ですね。
清須会議の大泉洋いいよねーー
山城の国はなぜ織田家領地にならなかったのか不可解ですね。秀吉にみんないいくるめられたか、織田家がみんな嫌いだったか。本当に織田家を盛り立てる会議にはならなかったのが、清州会議だと想像できますね
信雄は既に伊勢北畠の当主でそこから離れたくなかった。信孝は四国で三好を継いで大身になるのがおじゃんになって浮いていたので織田家の拠点である岐阜城に飛びついた
それより織田本家の領地が近江一郡だけになったのにだれも疑問を挟まない所に、会議出席者の本音が出ている気がする。
長男が継ぐというのは徳川家康から始めたと思いきや、この時代ですでにあったとは……秀吉が野心を全開にして暗躍したから起きたというよりも様々な所で生じた対立が広がった結果だったとは非常に学びが多かった。こういう事は某国のリーダーがもし暗殺されたり亡くなったらどんな事が起きるのかという予想をたてるのに非常に有意義な中身と思った。
大陸の古典では紀元前から定まっている無視して国が傾く話も盛りだくさん
天武天皇「せやな」
@@紳士先輩-f8t天武天皇の頃は天皇位は兄弟継承が当たり前の頃なので…
長男でなく嫡男ね、信長自身長男じゃない。
わかりやすかった
清洲会議の実質的目的は、ともかく織田家の跡目を確認する事と織田家の領土の分割であったと思います。これにより、織田家の跡目が三法師である事、後見に関する事項が決まりましたが、より重要な点としては、所領について各重臣と織田一族に分配され、それらの武将と残りの戦国大名の間で天下取りの戦いが再開されたという事にあると思います。これにより、明智光秀を討った秀吉の所領が大きく認められ、圧倒的に優勢に立つきっかけになった事に意義があったのであり、結局秀吉には大きなきっかけになった会議であったと思います。
8月5日 18時50分時点で、概要欄の参考文献のタイトルが、リンク「清須会議 秀吉天下取りへの調略戦 (シリーズ・実像に迫る17)」側が間違ってますよー両方「清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか? (朝日新書)」になってますよー
清洲会議、歴史習いました。
家臣がそれぞれ国持大名のレベルなので織田家はもはや他の戦国大名とは桁違い。逆に力を持ち過ぎて明智光秀のように謀反のリスクも大となる。
織田信長や豊臣秀吉はカリスマ過ぎたのではないでしょうか?徳川家康はそれらを反面教師の1つとして学んで武家諸法度や禁中並公家諸法度等を制定して15代の徳川慶喜までの江戸幕府繁栄の基礎を築いたのですね。
更に、家康は最晩年に後継者問題に憂慮して将来、将軍宗家が断絶の危機に瀕した場合は分家筋の尾張徳川家及び、駿府(後に紀伊)徳川家から後継者を擁立し、水戸徳川家に決定権を委ねる、後の御三家制度の基礎を作った。
成程、秀吉は天才ではあるけど、流れの中でチャンスを掴んだのであって、自分が流れを作って、将棋の駒のように他の大名を動かしたわけでない。それが現実かもしれない。
鎌倉殿の13人で例えるとわかりやすいですね!北条時政と比企能員の主導権争いみたいに、羽柴秀吉と柴田勝家の主導権争いだったんですね!
森長可、鬼武蔵かっこいいサイコパス,最強
三谷さん好っきやなぁ。
秀吉の領地でかいのは、野心というより毛利に対する抑えじゃないかな
秀吉に人たらしの才、そして織田家兄弟の不和、敵討ち出来なかった柴田勝家や滝川一益。離反させ孤立して柴田を追いやり自害。お市の自害があり浅井三姉妹の特に茶々の今後が気になる。秀吉に向けた笑顔の真意が気になってしょうがない。
いやぁ今回は面白くなったなあ。茶々様恐るべし❤
結果、こういった出来事を自分の出世のチャンスに変えてしまった秀吉のしたたかさですね
信長亡き後の羽柴・柴田・丹羽・池田・堀の宿老による集団指導体制がうまくいかなかったことを秀吉は十分わかっていたのに、自分の死後を家康や前田利家、宇喜田・毛利・上杉に託さざるを得なかった。だからこそ、繰り返し「秀頼を頼む」とはいっても「秀頼を天下人に」とは言えなかったのでしょうね。
ホワイトボードの左下にある「丹羽」の「羽」の字が誤字で「波」になってます。11:56に出て来た字幕表記はあってます。
本能寺の時点で、信長は信忠に家督を相続させていた。ならば後継は「信長の後継」ではなく「信忠の後継」と言うことになる。そうすれば「信忠の後継」は信忠の嫡男である三法師が正着。だからこそ会議は三法師が住む清州城で行われた。・・・という解釈で良いのかな?
織田信忠が生きていればな
信長と信忠を同時に討ち取れる瞬間を狙った明智光秀。なぜ信長の首を手中に出来なかったのか謎です。
やつぱり後継問題をいかに穏便・円滑に進めれるかよなぁ。子供が多ければ最悪揉めても有能な子供が後継者を力で継いだりできるけど、そもそも秀頼一択にしてしまったのがヤバい。
音声が小さいです
いや、普通なのでは。ご高齢の方?
秀吉と対立して没落した信孝と信雄だけど早死したけど身の程をわきまえて秀吉に従い続けた秀信は勝ち組といえる
まだ若年だったし貴族としてもてなされたからね。
秀信も関ケ原でしくじって暗転し、後継ぎにも恵まれず結果、信雄みたいに血筋を後世に残せなかった・・・・・・・
信忠も失ったのも大きいよな
まだ三歳なので、信雄さんと信孝さんが、甥の名代を争ったのね。貴種と貢献、そりゃ揉めるわな、うやむやか、日本人らしさを発揮しちゃったのね。一益君、どさくさに、紛れた、北条君により、失敗に追い込まれ、逃げ込んだのね。どさくさの火事場泥棒は、家康君なのね。木曽三川、これが、兄弟相克の遠因なのね。職権乱用してた、信孝君、実際に京に影響してた、秀吉君、秀吉君に、信長君の葬儀を強行させたりしたのは、信孝君や勝家君にも原因が有ったようだね。信孝君と、秀吉君、秀吉君が、勝っちゃったのね。信雄君、蚊帳の外に追いやらたのが、幸いって感じだよね。結果的にね。
信長に1番似ていたと言われる,津田信澄の解説お願いします。
26:44
筆頭と言われる柴田は弟の裏切りに参加して、一からやり直しで体張らなければならなかったので筆頭ではなく、体張る意外に忠誠を示せなかった。お市さんに関しては脇役ではない 不適格+織田信成+幼少の跡継ぎならば女でも摂政として織田家後継者たる地位になり得る。秀吉には摂政の権利はなくお市にある。秀吉は柴田を討伐するのではなくお市を討伐しなければならなかった。清須会議は柴田にお市をあげたのではなく、お市に柴田をあげたのだ。そして一緒に葬った。お市は小谷城の時のように脱出すればよかったは間違いで、討伐対象の本命がお市だった。よって脱出すれば笑われるだろう。小牧長久手を早く終結させてお市討伐に向かわねばならなかった。家康もまた信長の弟分の池田を討伐できれば良かったのだ。小牧は秀吉ではなく池田を無理にでも討ち取る戦いだった。清州に参加した 藤吉郎 丹羽(余命僅か) 池田 柴田のうち 柴田は秀吉が必然と向かう 丹羽は放置でいい 池田だけがネックなのだ。池田が消えて秀吉は孤立した。 池田は本能寺の顛末を知りうる唯一の重臣だ。池田は秀吉援軍の毛利へ移動中の信長軍を大阪まで率いた。信長は軍を連れては威圧になり素通りすれば失礼だとわずかな人数で京の朝廷に挨拶に立ち寄った。この軍を秀吉と丹羽に分け与えて光秀を討った。中国大返しは秀吉一人だけ船に乗って大阪に来て池田と合流すれば完了だ。秀吉軍はずっと毛利に居た。秀吉軍が戦ったのなら1等賞黒田君、2等賞蜂須賀君になっていたはずだ。賤ケ岳七本槍は登場しなかっただろうし、7人を大名に取り立てねばならなかったのは秀吉軍では無かったからだ。池田は信長に幼い頃から乳兄弟としてずっと一緒にいたのだから何でも知っている。家康にとって池田は本能寺の件などで都合の悪いことを知っていた可能性もある。滝川クリステル一益家は池田家でもある。清州では池田が認めれば滝川は納得させられた。柴田が反乱を起こしたため結果とし滝川は最も長く信長に仕え、乳兄弟池田を提供した織田家筆頭の重臣である。クリステルの資産もその頃から受け継いだものもある。10億だっけ?w? その後、池田に対して家康は秀忠の娘を引きはがし自分の娘として嫁に行かせる。池田はそれほど黙らせなければいけない相手であったのだ。色々縁を結んだ家康だが、池田に対しては血縁者を送る破格の扱いをしている。池田は二か国を幕末まで持ち続けた唯一の家となった。徳川松平池田の石高合計は日本の75%を占めた。池田から見た秀吉時代はこんな感じだ。この時代の歴史に池田の扱いが酷く低いように思う。本能寺の黒幕の一人に池田が浮上してもいいのではないだろうか。
清洲会議の映画面白かった
織田家は一門衆という側近にして織田家の人間が、長島一向一揆や対武田であまりにも戦死率高くて信長死後に機能不全起こした感ある
オマケに本能寺の変で信長や信忠の側近が皆死んでしまった
織田家の自滅をなんだかなって秀吉が治めて行っただけなのね
三谷幸喜の清須会議のストーリーとかなり違う😮
毛利輝元と両川を見習って叔父さん二人が結束して三法師をもり立てていけば良かったのに。
確かに信長の後ろ盾無しに滝川一益が対上杉・対北条での信濃運営は大変だと思います💦
甲斐で河尻秀隆が殺されたのが一番痛かったですね。織田家のホームと通路が封鎖されたわけですから。
秀吉の成り上がりって現代で言うとどれ程の実績なんだろう…日雇いアルバイトから登り詰めてGAFAのCEOになるくらいかな。
生活保護レベルの貧困家庭から日本国内においてヒトラーレベルの権力と推定年収1兆5千億円の財力を持つに至った。
秀吉と家康結果だけを見れば秀吉の方が上手く簒奪したなと思います。信孝は信雄にやらせてますし織田家嫡流は存続させれましたからね。家康は結局主筋だった豊臣を滅ぼす事になってますし下手を打ったなという印象です。
さんぽーしすき
還俗はカンゾクではない。ゲンゾクですよね。
秀吉は相手してたのが毛利ってとこから運が良すぎる
庭には2羽の丹羽長秀がいる
何でノッブの子や孫がいたのに織田家が凋落したのか不思議だったんだがなるほど次男だけじゃなく三男も「俺が俺が」なド阿呆だった為か生まれの低い藤吉郎がバリバリ出世しちゃったんで「俺だって」と勘違いしちゃったんだな
今日はノブオじゃないんですね
信雄が信忠と同母だったので何日か後に生まれたのに兄とされたんですよね信忠を後継者として一門の序列を固定するならそれでよかったんでしょうがまさか信忠も父と同時に死んで信雄信孝の序列が徒になるとは
家康は清州会議に加わってないのか。重臣ではなかった。
ヨソのお家騒動やから全然関係ないよ、旧武田領が空き家になるからそっちが大事。
この時の家康は江戸時代で言う所の外様なんでしょうね、饗応し合ったのもなんだかんだでそこら辺を意識したんでしょう。
家康は織田家臣ではなく、織田の同盟者です。家中の話にしゃしゃり出るはずもないです。
織田株式会社があるとすると、織田信長が社長、信忠が副社長。社長と副社長が亡くなったので、会社の代表を誰にするか取締役の柴田、羽柴、丹羽などで話し合った。と考えれば、徳川はグループ会社的なところなので、しゃしゃり出れない
なるほど。皆さんありがとうございます。
安土城はすでにバーンされてたのでは
織田殿の5人だったわけですね…?
なかよくしなさ~い。。。
みんな。かわいそう。。。
還俗=げんぞく
そう思って調べてみたら辞書によってはカンゾクもありになってたわゲンゾクの方がしっくり来るけどね
両方あるんすね。勉強になります!
秀吉の所業と比較して、秀頼を大阪に15年以上居させてやった徳川が寛大すぎる。豊臣が滅んで徳川が長続きするのは当たり前だったね。。
0:00ミスター武士道って自己紹介をする肥満体。ここがこの動画のピーク。
のぶお。かずみ!
嫡男が死んだ場合を考えていないのが謎、家康の嫡男が切腹、信玄の嫡男も殺害されているわけで嫡男だから絶対に安泰なんてことは絶対ではないのは信長も良くわかっていたはず
信長はすでに当主ではなくて、当主は信忠でした。なので、「嫡男が死んだらどうなるのか」を考える立場は信長ではなくて信忠でした。そういう意味では当主信忠の嫡男は生き残れてますね。
@@caither2413 三法師の秀信が生き残ったのはラッキーだったかな、戦国時代だし生きているだけで儲けもんだもんね、秀吉の直系の秀頼は御陀仏だもんねえ、戦国大名の織田家の全盛期は信長時代だけってあっけないねえ、日本の3分の1くらいは支配してて全国制覇目前で戦国大名の織田家は消滅だもんねえ
動画見れば分かりますけど次の当主は三法師に決まっていたという説が有力です。
先の先まで決めるのは難しいよね。松平信康みたいな例もあるわけで。三法師に至っては幼子で殊更世継ぎですと声高に叫ぶような段階ではないのかと。
光秀のターゲットは信忠ですしね(信忠と信長が同じ京都にいるという奇跡的な瞬間だから「やれると思ったからやった」) そんなこと言ってたら信玄(長男始末+四男出戻り)とか最上義光(長男の義康を自分の手で斬っちゃう)も人の事いえないし秀吉もまた…うん
せ😮
自分は能力が高いと思い込んでるボンボンほどタチが悪いものはないよ。その結果、叩き上げの成り上がり者に天下奪われちゃったんだから。部下は堪ったもんじゃないだろうな。
信長の子達も頼みの長男信忠は同時期に横死、次男信雄は無器量過ぎて求心力ゼロ、三男信孝はプライドが高すぎて自滅へ一直線、四男以下は既に秀吉によって洗脳済。所詮、天才や魔王と畏怖された信長も一代限りに終わった・・・・・
清々しい程のパクリ😂
目元以外日焼けしました??
還俗はかんぞくではなく、げんぞくって読むんですよ
どうする家康は主人公は新解釈が多くそれなりに興味あるが、主人公をはじめ多くの役者があまりにも大根ばかりでしっくりこない。それより昔の大河ドラマの再放送の方が面白い。
脚本が酷すぎて役者を駄目にしてますね。
昨年から観てます。最近は古い動画もみたりしますが、武士道さんの話術、史実深掘りともにレベルアップがすごくて、その進化に尊敬です。
たしかに、すでに織田家の当主だった信忠の息子である三法師がいるのだから、家督相続で揉めるのは違和感ありますね。3歳の三法師に実務が取れるわけないので、誰が名代になるかで揉めたというほうが説得力ありそう。
しかしまあ、重臣の合議制が上手く行かないのを秀吉は目の当たりにしているのに、後々同じ轍を踏んでますねえ。
秀吉は子宝に恵まれず、後継者になれるのが晩年に授かった数え6歳の秀頼のみだった。
更に、一代で成り上がったので父祖の代から仕えた家臣が居ないし生え抜きも長浜時代からの若手(加藤清正、石田三成等)が大半で、下積みを共にしたベテラン家臣(豊臣秀長、竹中半兵衛等)は秀頼誕生時点で殆ど、先立っていた。
1590年代後半には関八州の太守となっていた五大老筆頭格家康の増長を止められる人はもういませんでした。
織田から離れて他家を継いだら余程のことがなければ織田を継ぐなんてことにはならないですからね
信長からもらった秀勝が早死にせずに秀吉の後継者になっていれば1番丸く収まったと思います
戦国BANASHIさんの説明は、今まで聞いたことのある色々な人の話の中で、なぜ秀吉が天下を取ることになったのかの最も説得力のある説明でした。戦国時代は下剋上の時代とはいえ、秀吉が、信長の死を自分の天下取りのチャンスと捉え、秀吉が最初から天下取りを目指したかのような議論が罷り通っていますが、それは後知恵で、いくつもの偶然が重なって、秀吉が偶々天下を取れたのであって、秀吉自身、恐らく最初は、天下を取ること等全く考えておらず、生き残りを図るのに必死だっただけなのではないかと思っていましたが、戦国BANASHIさんの話を聞いて、まさに我が意を得たりと思いました。秀吉は、清須会議で皆で決めたことを愚直に実施しようとしたからこそ、筋が通っており誰も反対できず、結果として多数を形成することになって最大の実力者になったのだと思います。そして織田信孝の野心が、清須会議で決まった秩序を崩壊させ、結果として織田家の天下人からの転落を招いたというのも極めて説得的でした。
本能寺から関ケ原までの日本史はほとんど知らないので、大変勉強になりました。関ケ原までの賤ヶ岳、九州平定、北条討伐、朝鮮出兵などなど楽しみですし、解説が待ち遠しいです。
今まで描かれてた清洲会議との違いが分かりやすかったです。
清洲会議というと、秀吉が三法師抱いて登場&秀吉の根回し力に軍配。のイメージでしたが、実は創作されたものだったとは笑。創作が通説になってることがたくさんありそうですね。
清洲で開かれた理由、信長の息子達の話、あと秀吉台頭の様子とか楽しかったです!
豊臣になるまでの秀吉はほんとすげえ。
秀吉は頭がいいですから。
わかりやすい解説でした😊
どうする家康では、清洲会議は省略してやりそうだ…
清洲会議終えてからの方として描かれそう。
清洲会議を扱ったら二週使っても足りなそうですからね
予告で一応それっぽいシーンがあったけど、かなり簡単に終わらせるだろうね
雰囲気的に、次の次あたりから小牧・長久手に入りそうだし
すごく分かり易くて腑に落ちました。信孝の存在が織田家の瓦解のきっかけだったとはビックリでした😮
権力者亡き跡の争いはやっぱ面白い!清須会議の新説も初めて知りました。家康主軸じゃないのでドラマでどこまで描くか楽しみですね!
今までさんざん描かれてい清須会議が、全く違った展開で進んでいたのを知り、勉強になりました。会議前に既に織田家の継承は三法師と決まっていて、誰が彼を支える後見人になるかを決定するために開催されたとは、初耳でした。確かに既に信長は信忠に家督を譲っていたので、当然信忠の嫡男が継承するはずですね。結局合議制で三法師を擁立していくことになったけれど、信孝の専横により家中が2つに分裂してしまった。信孝は実力ある人物として描かれることも多いし、実際明智勢を討伐した武勲もあるので、おそらく自分が一番正当性があると感じていたのでしょう。武士道さんの言われているように、自身の生まれに劣等感があったればこそ、余計野心を持ったのかもしれません。後世の我々から見れば、まず初めは信雄と共に協調して秀吉に対抗し、彼を退けた後、信雄と抗争すればよかったのになあと感じます。それでも、頭脳派の秀吉にはかなわなかったかもしれませんが。途中出てきた織田家臣の勢力図を見ると、領土の多さからも、柴田勝家と秀吉の対立は、いつ起こったとしても不思議ではない均衡具合で、賤ヶ岳の戦い勃発の理由に納得しました。
ホワイトボードの左下の清洲会議の合議制の所
3人目が【丹羽】が【丹波】になってますよ!
清洲会が鎌倉殿の13人のように織田家を支えて行く(仮に?)会議とは知りませんでした。信雄が名代となり信孝が追い詰められて行く理由がわかりやすく表現されていて良かったです。最後に信孝の事を強調して下さりありがとう御座いました。
いつも動画公開楽しみにさせて貰ってます!
とても勉強になります。
■議題は「名代」の決定 のところで
柴田・羽柴・ "丹波" ・池田・堀 になってます。
丹波→丹羽?
丹波は「たんば」と呼ばれる国の名前ですが、丹羽は「にわ」と読まれる人の名前なのです。
秀吉が "筑前(守)" 、真田昌幸が "安房守" 、家康が "三河守" と
ドラマでは官職名でよく呼ばれるように、
丹羽長秀も "丹波守" と呼ばれた時期があったのかな?と思ったので、一応の確認で😊
@@ゆきみん-j9l丹羽長秀は越前守だし、この中で丹羽だけ官位名にする理由もないので多分ミスだと思いますよ
信孝の動きを軸にした「清須会議」もいつか映画で観たいですね~
先に大河ドラマで滝川一益あたりの知名度を上げないとかな…
信孝って有能有能言われてるけど四国政策の件にしても誤報に惑わされて織田信澄ぶっ頃したり、自分の出世のためなら後先考えられない人で信雄と大して武将としての能力は変わらないように思えますね
にしても堀秀政は信長の側近が尽く本能寺で死んだおかげで大出世しましたね
武士道さんの言う通り、信勝や信孝を中心とした複数の人間の思惑の混じり合いが非常に面白く、それを描いたら面白いだろうなと思いましたが、どうする家康ではやはり、お市の方や茶々の生き方、信念、家康との関係にフォーカスした内容でしたね…
もう少し丁寧に描いて欲しかった部分もありますが、今回のはドラマとして見入ってしまいました、大河らしい、どうする家康らしい描き方でしたね
三法師を当主にするという秀吉のウルトラCみたいなストーリーの時代劇はそろそろやめないかなぁって思ってるけど、ずっとそのままなんですよね。
三谷幸喜の映画然り。
どう考えても、どの信長の息子かとかもう関係なくて、現当主である信忠の嫡男以外選択肢なんてないのに。
とても面白かったです。
名講義ですね。
清須会議の大泉洋いいよねーー
山城の国はなぜ織田家領地にならなかったのか不可解ですね。秀吉にみんないいくるめられたか、織田家がみんな嫌いだったか。本当に織田家を盛り立てる会議にはならなかったのが、清州会議だと想像できますね
信雄は既に伊勢北畠の当主でそこから離れたくなかった。信孝は四国で三好を継いで大身になるのがおじゃんになって浮いていたので織田家の拠点である岐阜城に飛びついた
それより織田本家の領地が近江一郡だけになったのにだれも疑問を挟まない所に、会議出席者の本音が出ている気がする。
長男が継ぐというのは徳川家康から始めたと思いきや、この時代ですでにあったとは……
秀吉が野心を全開にして暗躍したから起きたというよりも様々な所で生じた対立が広がった結果だったとは非常に学びが多かった。
こういう事は某国のリーダーがもし暗殺されたり亡くなったらどんな事が起きるのかという予想をたてるのに非常に有意義な中身と思った。
大陸の古典では紀元前から定まっている
無視して国が傾く話も盛りだくさん
天武天皇「せやな」
@@紳士先輩-f8t天武天皇の頃は天皇位は兄弟継承が当たり前の頃なので…
長男でなく嫡男ね、信長自身長男じゃない。
わかりやすかった
清洲会議の実質的目的は、ともかく織田家の跡目を確認する事と織田家の領土の分割であったと思います。
これにより、織田家の跡目が三法師である事、後見に関する事項が決まりましたが、より重要な点としては、所領について各重臣と織田一族に分配され、それらの武将と残りの戦国大名の間で天下取りの戦いが再開されたという事にあると思います。
これにより、明智光秀を討った秀吉の所領が大きく認められ、圧倒的に優勢に立つきっかけになった事に意義があったのであり、結局秀吉には大きなきっかけになった会議であったと思います。
8月5日 18時50分時点で、概要欄の参考文献のタイトルが、リンク「清須会議 秀吉天下取りへの調略戦 (シリーズ・実像に迫る17)」側が間違ってますよー
両方「清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか? (朝日新書)」になってますよー
清洲会議、歴史習いました。
家臣がそれぞれ国持大名のレベルなので織田家はもはや他の戦国大名とは桁違い。逆に力を持ち過ぎて明智光秀のように謀反のリスクも大となる。
織田信長や豊臣秀吉はカリスマ過ぎたのではないでしょうか?
徳川家康はそれらを反面教師の1つとして学んで武家諸法度や禁中並公家諸法度等を制定して15代の徳川慶喜までの江戸幕府繁栄の基礎を築いたのですね。
更に、家康は最晩年に後継者問題に憂慮して将来、将軍宗家が断絶の危機に瀕した場合は分家筋の尾張徳川家及び、駿府(後に紀伊)徳川家から後継者を擁立し、水戸徳川家に決定権を委ねる、後の御三家制度の基礎を作った。
成程、秀吉は天才ではあるけど、流れの中でチャンスを掴んだのであって、自分が流れを作って、将棋の駒のように他の大名を動かしたわけでない。それが現実かもしれない。
鎌倉殿の13人で例えるとわかりやすいですね!
北条時政と比企能員の主導権争いみたいに、羽柴秀吉と柴田勝家の主導権争いだったんですね!
森長可、鬼武蔵かっこいいサイコパス,最強
三谷さん好っきやなぁ。
秀吉の領地でかいのは、野心というより毛利に対する抑えじゃないかな
秀吉に人たらしの才、そして織田家兄弟の不和、敵討ち出来なかった
柴田勝家や滝川一益。離反させ孤立して柴田を追いやり自害。
お市の自害があり浅井三姉妹の特に茶々の今後が気になる。
秀吉に向けた笑顔の真意が気になってしょうがない。
いやぁ今回は面白くなったなあ。茶々様恐るべし❤
結果、こういった出来事を自分の出世のチャンスに変えてしまった秀吉のしたたかさですね
信長亡き後の羽柴・柴田・丹羽・池田・堀の宿老による集団指導体制がうまくいかなかったことを秀吉は十分わかっていたのに、自分の死後を家康や前田利家、宇喜田・毛利・上杉に託さざるを得なかった。だからこそ、繰り返し「秀頼を頼む」とはいっても「秀頼を天下人に」とは言えなかったのでしょうね。
ホワイトボードの左下にある「丹羽」の「羽」の字が誤字で「波」になってます。
11:56に出て来た字幕表記はあってます。
本能寺の時点で、信長は信忠に家督を相続させていた。ならば後継は「信長の後継」ではなく「信忠の後継」と言うことになる。そうすれば「信忠の後継」は信忠の嫡男である三法師が正着。だからこそ会議は三法師が住む清州城で行われた。・・・という解釈で良いのかな?
織田信忠が生きていればな
信長と信忠を同時に討ち取れる瞬間を狙った明智光秀。なぜ信長の首を手中に出来なかったのか謎です。
やつぱり後継問題をいかに穏便・円滑に進めれるかよなぁ。子供が多ければ最悪揉めても有能な子供が後継者を力で継いだりできるけど、そもそも秀頼一択にしてしまったのがヤバい。
音声が小さいです
いや、普通なのでは。
ご高齢の方?
秀吉と対立して没落した信孝と信雄だけど早死したけど身の程をわきまえて秀吉に従い続けた秀信は勝ち組といえる
まだ若年だったし貴族としてもてなされたからね。
秀信も関ケ原でしくじって暗転し、後継ぎにも恵まれず結果、信雄みたいに血筋を後世に残せなかった・・・・・・・
信忠も失ったのも大きいよな
まだ三歳なので、信雄さんと信孝さんが、甥の名代を争ったのね。貴種と貢献、そりゃ揉めるわな、うやむやか、日本人らしさを発揮しちゃったのね。一益君、どさくさに、紛れた、北条君により、失敗に追い込まれ、逃げ込んだのね。どさくさの火事場泥棒は、家康君なのね。木曽三川、これが、兄弟相克の遠因なのね。職権乱用してた、信孝君、実際に京に影響してた、秀吉君、秀吉君に、信長君の葬儀を強行させたりしたのは、信孝君や勝家君にも原因が有ったようだね。信孝君と、秀吉君、秀吉君が、勝っちゃったのね。信雄君、蚊帳の外に追いやらたのが、幸いって感じだよね。結果的にね。
信長に1番似ていたと言われる,津田信澄の解説お願いします。
26:44
筆頭と言われる柴田は弟の裏切りに参加して、一からやり直しで体張らなければならなかったので筆頭ではなく、体張る意外に忠誠を示せなかった。お市さんに関しては脇役ではない 不適格+織田信成+幼少の跡継ぎならば女でも摂政として織田家後継者たる地位になり得る。秀吉には摂政の権利はなくお市にある。秀吉は柴田を討伐するのではなくお市を討伐しなければならなかった。清須会議は柴田にお市をあげたのではなく、お市に柴田をあげたのだ。そして一緒に葬った。お市は小谷城の時のように脱出すればよかったは間違いで、討伐対象の本命がお市だった。よって脱出すれば笑われるだろう。小牧長久手を早く終結させてお市討伐に向かわねばならなかった。家康もまた信長の弟分の池田を討伐できれば良かったのだ。小牧は秀吉ではなく池田を無理にでも討ち取る戦いだった。清州に参加した 藤吉郎 丹羽(余命僅か) 池田 柴田のうち 柴田は秀吉が必然と向かう 丹羽は放置でいい 池田だけがネックなのだ。池田が消えて秀吉は孤立した。 池田は本能寺の顛末を知りうる唯一の重臣だ。池田は秀吉援軍の毛利へ移動中の信長軍を大阪まで率いた。信長は軍を連れては威圧になり素通りすれば失礼だとわずかな人数で京の朝廷に挨拶に立ち寄った。この軍を秀吉と丹羽に分け与えて光秀を討った。中国大返しは秀吉一人だけ船に乗って大阪に来て池田と合流すれば完了だ。秀吉軍はずっと毛利に居た。秀吉軍が戦ったのなら1等賞黒田君、2等賞蜂須賀君になっていたはずだ。賤ケ岳七本槍は登場しなかっただろうし、7人を大名に取り立てねばならなかったのは秀吉軍では無かったからだ。池田は信長に幼い頃から乳兄弟としてずっと一緒にいたのだから何でも知っている。家康にとって池田は本能寺の件などで都合の悪いことを知っていた可能性もある。滝川クリステル一益家は池田家でもある。清州では池田が認めれば滝川は納得させられた。柴田が反乱を起こしたため結果とし滝川は最も長く信長に仕え、乳兄弟池田を提供した織田家筆頭の重臣である。クリステルの資産もその頃から受け継いだものもある。10億だっけ?w? その後、池田に対して家康は秀忠の娘を引きはがし自分の娘として嫁に行かせる。池田はそれほど黙らせなければいけない相手であったのだ。色々縁を結んだ家康だが、池田に対しては血縁者を送る破格の扱いをしている。池田は二か国を幕末まで持ち続けた唯一の家となった。徳川松平池田の石高合計は日本の75%を占めた。池田から見た秀吉時代はこんな感じだ。この時代の歴史に池田の扱いが酷く低いように思う。本能寺の黒幕の一人に池田が浮上してもいいのではないだろうか。
清洲会議の映画面白かった
織田家は一門衆という側近にして織田家の人間が、長島一向一揆や対武田であまりにも戦死率高くて信長死後に機能不全起こした感ある
オマケに本能寺の変で信長や信忠の側近が皆死んでしまった
織田家の自滅をなんだかなって秀吉が治めて行っただけなのね
三谷幸喜の清須会議のストーリーとかなり違う😮
毛利輝元と両川を見習って叔父さん二人が結束して三法師をもり立てていけば良かったのに。
確かに信長の後ろ盾無しに滝川一益が対上杉・対北条での信濃運営は大変だと思います💦
甲斐で河尻秀隆が殺されたのが一番痛かったですね。織田家のホームと通路が封鎖されたわけですから。
秀吉の成り上がりって現代で言うとどれ程の実績なんだろう…日雇いアルバイトから登り詰めてGAFAのCEOになるくらいかな。
生活保護レベルの貧困家庭から日本国内においてヒトラーレベルの権力と推定年収1兆5千億円の財力を持つに至った。
秀吉と家康結果だけを見れば秀吉の方が上手く簒奪したなと思います。信孝は信雄にやらせてますし織田家嫡流は存続させれましたからね。家康は結局主筋だった豊臣を滅ぼす事になってますし下手を打ったなという印象です。
さんぽーしすき
還俗はカンゾクではない。ゲンゾクですよね。
秀吉は相手してたのが毛利ってとこから運が良すぎる
庭には2羽の丹羽長秀がいる
何でノッブの子や孫がいたのに織田家が凋落したのか不思議だったんだが
なるほど次男だけじゃなく三男も「俺が俺が」なド阿呆だった為か
生まれの低い藤吉郎がバリバリ出世しちゃったんで
「俺だって」と勘違いしちゃったんだな
今日はノブオじゃないんですね
信雄が信忠と同母だったので何日か後に生まれたのに兄とされたんですよね
信忠を後継者として一門の序列を固定するならそれでよかったんでしょうがまさか信忠も父と同時に死んで信雄信孝の序列が徒になるとは
家康は清州会議に加わってないのか。重臣ではなかった。
ヨソのお家騒動やから全然関係ないよ、旧武田領が空き家になるからそっちが大事。
この時の家康は江戸時代で言う所の外様なんでしょうね、饗応し合ったのもなんだかんだでそこら辺を意識したんでしょう。
家康は織田家臣ではなく、織田の同盟者です。
家中の話にしゃしゃり出るはずもないです。
織田株式会社があるとすると、織田信長が社長、信忠が副社長。
社長と副社長が亡くなったので、会社の代表を誰にするか取締役の柴田、羽柴、丹羽などで話し合った。と考えれば、徳川はグループ会社的なところなので、しゃしゃり出れない
なるほど。皆さんありがとうございます。
安土城はすでにバーンされてたのでは
織田殿の5人だったわけですね…?
なかよくしなさ~い。。。
みんな。かわいそう。。。
還俗=げんぞく
そう思って調べてみたら辞書によってはカンゾクもありになってたわ
ゲンゾクの方がしっくり来るけどね
両方あるんすね。勉強になります!
秀吉の所業と比較して、秀頼を大阪に15年以上居させてやった徳川が寛大すぎる。豊臣が滅んで徳川が長続きするのは当たり前だったね。。
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ミスター武士道って自己紹介をする肥満体。ここがこの動画のピーク。
のぶお。かずみ!
嫡男が死んだ場合を考えていないのが謎、家康の嫡男が切腹、信玄の嫡男も殺害されているわけで嫡男だから絶対に安泰なんてことは絶対ではないのは信長も良くわかっていたはず
信長はすでに当主ではなくて、当主は信忠でした。
なので、「嫡男が死んだらどうなるのか」を考える立場は信長ではなくて信忠でした。
そういう意味では当主信忠の嫡男は生き残れてますね。
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三法師の秀信が生き残ったのはラッキーだったかな、戦国時代だし生きているだけで儲けもんだもんね、秀吉の直系の秀頼は御陀仏だもんねえ、戦国大名の織田家の全盛期は信長時代だけってあっけないねえ、日本の3分の1くらいは支配してて全国制覇目前で戦国大名の織田家は消滅だもんねえ
動画見れば分かりますけど次の当主は三法師に決まっていたという説が有力です。
先の先まで決めるのは難しいよね。松平信康みたいな例もあるわけで。三法師に至っては幼子で殊更世継ぎですと声高に叫ぶような段階ではないのかと。
光秀のターゲットは信忠ですしね(信忠と信長が同じ京都にいるという奇跡的な瞬間だから「やれると思ったからやった」) そんなこと言ってたら信玄(長男始末+四男出戻り)とか最上義光(長男の義康を自分の手で斬っちゃう)も人の事いえないし秀吉もまた…うん
せ😮
自分は能力が高いと思い込んでるボンボンほどタチが悪いものはないよ。
その結果、叩き上げの成り上がり者に天下奪われちゃったんだから。
部下は堪ったもんじゃないだろうな。
信長の子達も頼みの長男信忠は同時期に横死、次男信雄は無器量過ぎて求心力ゼロ、三男信孝はプライドが高すぎて自滅へ一直線、四男以下は既に秀吉によって洗脳済。
所詮、天才や魔王と畏怖された信長も一代限りに終わった・・・・・
清々しい程のパクリ😂
目元以外日焼けしました??
還俗はかんぞくではなく、げんぞくって読むんですよ
どうする家康は主人公は新解釈が多くそれなりに興味あるが、主人公をはじめ多くの役者があまりにも大根ばかりでしっくりこない。
それより昔の大河ドラマの再放送の方が面白い。
脚本が酷すぎて役者を駄目にしてますね。