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今週も感動、ハラハラしながらドラマを見ていました。そのあと先生のお話も伺えるなんて、本当に今年度の大河は贅沢で楽しいですね!光秀が本当に魅力的で、この人がもっと長く生きていてくれていたら、と残念でしかたありません。今の世が忘れかけた人の道、正直に美しく生きる、ということを改めて教えられます。美しく生きすぎたからこそ、はかない煌きだったのだと感じます。
実際の光秀は比叡山で女こどもも斬りまくってその手柄に坂本城主に召し上げられていますけどね。
今回は素晴らしい回でした。えらくなりたい、登りたいと思う者、かつては皆大いなる志のもとに立ち上がったはずだった、、、今にも通じる教訓であり、歴史に学べない人間の悲哀でもありました。
秀吉や家康は登っちゃいましたけどね。
小和田先生の授業、大好きです
なるほど…日々勉強になり誠に有難う御座いまする😃
明智光秀嫡流だ。2023年11月30日、2回目に見ました。またいつか、明智光秀の大河ドラマをつくりたいと想います。
いつもありがとうございます。本日の徳政令のお話は,昨日の大学入学共通テストで出題されていました。この動画が1週早く配信されていれば...
奥深い、興味深いです✨
今週も有難うございます。十兵衛は徳政令なるものを既に取り入れていたんですね!信長の野心が遂に十兵衛の心にも火を点け、いよいよ本当に「月にのぼるべき者」の正体が明らかになるんですかね?
ドラマの中で言えば家康でしょう。秀吉も月にのぼったと言えますけどね。
小和田先生ありがとうございます。織田信長の心の内は同時代の者にも、われわれ現代人にも謎ですね。人間味あふれる光秀像はドラマで良く描かれていますが、それでも信長がどう生きて、どのような世・時代を築くのかを見てみたかった。
朝鮮を攻め、明を攻め、インドを攻め、東アジアの盟主になろうとしていたのでしょう。フロイスの手記によれば。
本日もありがとうございました。信長の考えというのは、行動を追えば追うほど知りたくなりますね。丹波、播磨を攻略し、その先九州に乗り込む際には、譜代の家臣たちの使いようをどうしたのか。中途入社たちを重用していたようで…なんてことも起きたのか。また光秀の考えも三英傑を超えるものだったのか。謎も魅力も深まります!
信長さんは、武田家征伐総仕上げに当たる信濃甲斐攻めでも嫡男の信忠さんを総大将として「箔を付けようとしていた」と聞いた事がありますので、官位に関しても「自らを下げて息子さんを高める事で家中の意識を息子さんへ移そうとしていた」と考える事も出来そうですよね。本能寺の際に信忠さんが「あっさり自害してしまった」のも「温室育ち」がもたらした悲劇なのかなと感じたりします。光秀さんが「事前に」敵方へ「恩赦」のようなものを与えたのは「心を攻めた」訳ですよね。村重さんの「扱われ方」にも、小和田先生もおっしゃられておられるように「心の扱われ方」が介在しているように感じます。また、信忠さんの「弱さ」にも「心の育て方」が介在しているように思われます。「心」と言う物は、物質としては「存在せず」「見えず」感覚的な領域で「感じ取るしか無い」が故に「ともすると存在を忘れがち」ですが、軽んずるには「大き過ぎる存在」なのでしょうね。そして「曖昧」が故に「史料として残るべくも無く」我々「後世の人間」としては「汲み取るしか無い」と言う、これもまた「歴史」の一側面なのであろうなと感じました。今回も、楽しいひと時を、有難う御座いました。
失礼します。信長は官位を下げたというより左大臣や三職をあえて受けなかったと取るべきでしょう。理由は正親町天皇の引退(譲位)との取り引き材料と、天皇制からの脱却でしょうね。ちなみに信長の位階は正二位のままでしたよ。
小和田先生の講義を無料で視聴出来て感謝しています😊途中で広告が入ってしまうのが残念😞
お疲れ様でございます。
「信長はどうか」益々名シーンに思えます。そして、光秀の眉間がピクリと動く。
正親町天皇に引退(譲位)を迫り、誠仁を天皇して二条城に住まわせコントロールしようとする信長を討てということですね。
今回、信長と朝廷がこじれていく原因として、信長が正親町天皇の譲位を強要したと三条西実澄が語っています。しかし、この説は現在では否定され、むしろ義輝・義昭将軍期には資金不足で実施できなかった譲位をさせて欲しいと正親町天皇側から天正元年以降要請を受けようやく実現したと解釈が変更されています。どのような経緯で譲位強要説が採用されたのか小和田先生の見解をぜひお伺いしたいです。
失礼します。それなら天正元年以降、信長のいた頃には資金があったのですから正親町天皇は譲位を受け入れているはずですよ。しかし結局、信長の生存中に譲位は果されていません。
@@ラッキー純-h2x信長の生存中に譲位が実現しなかったのは正親町天皇側信長側双方に事情がありました。天正元年7月に信長は譲位の費用を献上することを正親町天皇へ申し入れ、12月に自筆の返書を送られてます。しかしその後本願寺や武田氏との争い、一向一揆など信長の置かれた状況が変化したため一度棚上げにされています。状況の落ち着いた天正9年に改めて譲位が取り沙汰されますが、今度は朝廷側から天正9年が「六金神」と縁起の悪い年であったために翌年以降に延期され、再度の調整が行われる前に本能寺の変が起こってしまったというわけなのです。ちなみに正親町天皇はその後も譲位のチャンスを天正地震、誠仁親王の死と二度逃しています。
@@さとまる-v2c その経緯に間違いはありませんが、個人的な意見で言えば天正元年、信長は正親町天皇に譲位を迫り、誠仁親王を即位させ、建設した二条城を与え、それを下御所とし、天皇家をコントロールしようとしていた。正親町天皇にも【いずれは譲位】という意思はあれど今ではない。今譲位すると信長に天皇家をコントロールされてしまうとノラリクラリと避けていたというのが本当のところでしょう。信長は譲位をしない正親町天皇に対して【馬揃え】で軍事的に威嚇し、それに対して正親町天皇は左大臣推任のアメで逃げようとしたが、信長はこれを断ったという学説がありますね。六金神も【方違え】などによる回避方法があったという学者もいます。正親町天皇は信長に左大臣や三職推任など【臣下の役職】を与えて、信長を天皇家に従う立場にしてから譲位しようとしていた。一方、信長は正親町天皇を引退させて誠仁をコントロール下に置いてから官職を受けようとしていた。単純な権力争いの構図ですよ。
丹波亀山って内藤如庵の城だったんですか・・・・。そうですよね。義昭に単身付き添って鞆の御所で側近やってますしね・・・・。信長公記はかなり推敲はいってますからね・・・初版にあった話が写筆版ではなくなっていたりとか・・・色んな政治的意図が垣間見えるのも歴史の醍醐味といいましょうか・・・・
安土の城は信長そのものであったのに、それは光秀にとってはあまり意味のあるものではなく、光秀にとって久秀から渡された平蜘蛛は天下の覚悟とも思えるものだったのに、信長は軽口じみてはいてもそれを売ろうとする…双方の価値観が決定的にズレた場面が印象的でした。十兵衛は信長の元に下ることを拒んでいたのに、月の(帝の)誘いには拒否の言葉を言い出せない。孤独が人を苛んでいく事が一層明らかになった話でもありますね…
小和田先生の声好きなんだよなぁ。。
玉と忠興の絡みを見たかったですね。 何か「父上を見守るため、結婚はしない」 とか言ってたのに、最後の十秒くらいでさらっと結婚してますし。
ご解説ありがとうございます右大将というのは朝廷の故事に精通した者なら武士を束ねる役職との認識でしょうが実際に織田信長が任ぜられた時代に一般にどれだけの権威があったのかには疑問を感じます信長も期待したほど全国の戦国大名に通用しないので不要と辞したのでは?
信長の染谷さん、秀吉の蔵之介さんがイってしまう芝居になってきてるよ。前話の秀吉と勝家の一悶着で秀吉が放棄してしまう入込みカットは後の本能寺後の激突に繋がるキーですね。今作は戦国物なのに合戦シーンが少ない(たぶん新型コロナで避けた?)代わりに各武将の駆引心理のサスペンスに振ってると見た。そこにかかるJohn・Graham氏の曲が何倍も増幅していますね。John・Graham氏に2度3度とオファーしてもらいたいです。赤穂事件のを聴いて見てみたいです。更に気づいたのが朝廷と帝の出番がいつもより多いのも新鮮で好印象です。
今話の推しシーンは1️⃣光秀と秀吉2️⃣平蜘蛛の釜の換金3️⃣正親町天皇と光秀の三つです。
菊丸のアクションシーンも入れてくだされ。身体能力の高い岡村隆史ならではの(^^
正直、今まで割と丁寧に最新の研究に基づいた描写をしてきたのに結局は「第六天魔王信長」「天皇譲位を強制した」「朝廷黒幕説」、ついでに急に信長が気がふれたような通説通りの描写をして光秀が正義みたいに描いたのはちょっと個人的に安直かなと思いました。せっかくなら信長も光秀も譲れないものがあった!みたいに描いて欲しかったです。
最新の研究なら帰蝶と光秀は幼馴染ではないし平蜘蛛のエピソードも創作。たしかに信長暴走は安直だが光秀正義は安直ではあるが大河としては挑戦的で悪くはない。第六天魔王→譲位強要→天皇黒幕説も個人的には悪くはない。正親町天皇がえらく聖人に描かれているのが笑っちゃうけど(^^
香木で、帝と朝廷とはすっかりこじれてしまったのですか?
これ、たんなるドラマ🤣蘭奢待の切り取りは史実ですけどね。信じないで、自分でいろいろ調べてみてね。
いよいよ本能寺ですね
左大臣ばかりか三職を断り、それよりさっさと引退しろと正親町天皇に迫った信長が爆殺される本能寺です。
『麒麟がくる』では太刀を手に持つ場合にこれまでの時代劇で踏襲されていたように刃の側を上にして持つのではなく、嶺の側を上に持つのがほとんどになっています。今回の『麒麟がくる』でこれまでの時代劇で踏襲された持ち方を変更された背景が知りたいです。素人目線ですが、刃を下に持つというのは物理的にもバランスが悪くて不自然に見えるので…。
光秀は伏見に居て本能寺に居なかった
秀吉が書かせた【惟任(=光秀)退治記】にも、光秀は途中に控えたという記述が出てくるそうです。秀吉側と光秀側の記述が一致しており光秀が本能寺で指揮を取った史料は無いわけですから光秀が本能寺に向かわなかったことはほぼ確実でしょう。
何を考えて右大将を辞任したのか知りたいですね。
次の左大臣や三職の就任を、正親町天皇の引退への取り引き材料にしたのでしょう。あと外交政策で【天皇の臣下(日本の王の家来)】ではなく信長自身が日本の王であることを示すためだと思われます。
小和田先生に質問すべきことではないと重々承知しておりますが、脚本に矛盾があり困惑しております。 今回(第41回)には、「信長が正親町天皇に譲位を要求した」との言説がありましたしかし、第38回「丹波攻略命令」では、誠仁親王の蹴鞠シーンの後で、織田信長、関白二条晴良、三条西実澄の三者で密談があり、「譲位は正親町天皇の意志であり」「信長もそれを認めており」「ただ戦つづきのため儀式の費用の捻出は難しいのでは?」 といった内容の会話がなされていたはずなのです!(記憶が曖昧ですがw)「信長が正親町天皇に譲位を要求した」👈 こちらは旧説である、「正親町天皇が信長に譲位を要求した」👈 こちらが新説である、と理解しています。 なぜ、このようなストーリー上の矛盾がまかり通ってしまったのか?(関係者は誰も何も言わなかったのか?)と…、不思議でなりません!!!
なるべく合理的に考えるのならば、「譲位は正親町天皇の意志である」が天皇の本心からなのかどうかは置いておいて、朝廷内に「譲位推進派」(二条晴良)vs 「譲位反対派」(三条西実澄)という争いがあって、光秀は「譲位反対派」(三条西実澄)の一方的な意見を聞かされたのであろうか??? とか、・・・かなり苦しいですが、そういう設定なら擁護もできるかと思いますがwww
ホント、それ!この先生、意図して皇室も、信長も貶めてる気がしますよ。あの、反日NHKの意に沿わなきゃ、大河ドラマに関わることなどできないですよね。光秀にとって、最悪な黒井城攻めが、綺麗に欠落したのにはビックリでした。🤣多分、皇室黒幕説で、本能寺の変を描くこと確定。違う気がするけどな。。前半は面白かったんだが、、。つまらんドラマになったな。
@@rt-fk6to さん ご返事ありがとうございます。 ですが、私のコメントに込めた思いとは、まったく関係の無い内容で、こちらとしては困惑しておりますwww>あの、反日NHKの意に沿わなきゃ、大河ドラマに関わることなどできないですよね。<↑ >反日NHKの意に沿わなきゃ< あはははh! まぁ、確かにNHKの意に沿うコメントを小和田先生はされているかもしれませんがね。「反日NHK」と発言されるあたりに、あなた様の「思想的な偏り(つまり偏見)」が見事に表現されているのですねよwww 「ヤバい人からコメントもらっちゃたなorz」というのが、正直な感想です(笑)
@@rt-fk6to さん ああ! ひょっとして、あなた様は本作において「初採用」された「女性が立膝で座っている」という演出について、顔真っ赤にして怒り狂ってたネトウヨさんたちのお仲間なのでしょうか??? まぁ、嫌いなのは仕方がないと思いますが。「反日NHK」とかの、そういった発言は、どうかなにとぞ、ネトウヨさんが集うところでお願いしたい!!! と、心よりお願い申し上げる次第ですm( _ _ )m
譲位を信長が強要というのは【信長・朝廷対立説】の学者の意見。譲位が正親町天皇の意思というのは【信長・朝廷非対立説】の学者の意見。その根拠となるエピソードをドラマでそれぞれ入れたのでしょう。実際、天正元年12月に正親町天皇は譲位を勧める信長に【申し出をうれしく思う】と返信している。この言葉の解釈をどう取るかという話です。京言葉は裏腹ですからね。
天皇の家来か?所詮下っ端?🐲🐉の印鑑を作っていた信長『天下布武』
信長の悪行は祟られる。鬼退治したの光秀が。
v
小和田先生って前からかなり信長に批判的で光秀贔屓ですよね!小和田先生が時代考証してるからあんな光秀正義みたいなドラマになったんでしょうか?
時代考証される方はストーリー内容に干渉はしませんよ。小和田先生も嘗て動画でおっしゃってましたけどwストーリーに一々干渉する歴史学研究者は時代考証に向きませんし、下手すれば脚本家から苦情が来ますよねwというか、小和田先生が時代考証されている大河ドラマをほかにご覧になった事がないんですか?全部光秀贔屓でした?それから、「光秀正義みたい」とうのに引っかかるんですが、大河ドラマの主役がある程度美化されるのは毎度のことですよね。光秀が主役の光秀目線の大河で「悪人光秀」のドラマを描くべきであり信長贔屓じゃない大河ドラマは変だということですか?
@@yi5038 あなたのお考えは解りました。ただ私にとっては!私個人的にはですよ!!つまらない大河ドラマ…正確には不快な大河ドラマだなぁと思ってる次第です。あくまで個人的な意見ですのであしからず!
@@カープ男子K 個人の好みになりますが、私は27歳まで光秀が平定した福知山で育ちました。貴方の中では光秀=悪臣でしょうが、福知山では光秀は氾濫する由良川の治水工事をしたり城下町を整備するなど名君として慕われており、民謡福知山音頭の歌詞にも「🎼〜明智光秀丹波を広め、広め丹波の福知山〜🎶」と歌われていたり、城下には光秀を祀る「御陵神社」があり、市民は誇りにしています。歴史は勝者の都合良いように書き換えられ、長い間悪臣の汚名を着せられていたのが、今回の麒麟が来るでやっと光秀視点の取り上げ方をしてくれたと思っています。他の例では「刃傷松の廊下」の吉良上野介も実際は芝居のような底意地の悪い極悪人ではなかったと言う例もあります。人間は善人対悪人の構図を作り上げ片方の味方をする判官びいきで史実が歪められる事が多くあります。どうか一面からだけ見ずにいろんな角度から歴史を見てくださるのを期待します。
@ゆりあちゃん推しカープ男子 個人の意見は様々ですから貴方の意見は宜しいのかと思います。ただ、つまらないなら見なければいい話だと思います。小和田先生は歴史学的観点から資料を見せて解説してくださってるだけなのに、ドラマのストーリーや人物設定が気にくわないからとわざわざ先生の動画まで来て文句を言うのはちょっと違うのではと思っただけです。
@@yi5038 時代考証を受け持つなら多少なりともストーリーに影響は与えるだろう(^^
今週も感動、ハラハラしながらドラマを見ていました。そのあと先生のお話も伺えるなんて、本当に今年度の大河は贅沢で楽しいですね!
光秀が本当に魅力的で、この人がもっと長く生きていてくれていたら、と残念でしかたありません。
今の世が忘れかけた人の道、正直に美しく生きる、ということを改めて教えられます。美しく生きすぎたからこそ、はかない煌きだったのだと感じます。
実際の光秀は比叡山で女こどもも斬りまくってその手柄に坂本城主に召し上げられていますけどね。
今回は素晴らしい回でした。
えらくなりたい、登りたいと思う者、かつては皆大いなる志のもとに立ち上がったはずだった、、、今にも通じる教訓であり、歴史に学べない人間の悲哀でもありました。
秀吉や家康は登っちゃいましたけどね。
小和田先生の授業、大好きです
なるほど…日々勉強になり誠に有難う御座いまする😃
明智光秀嫡流だ。2023年11月30日、2回目に見ました。またいつか、明智光秀の大河ドラマをつくりたいと想います。
いつもありがとうございます。本日の徳政令のお話は,昨日の大学入学共通テストで出題されていました。この動画が1週早く配信されていれば...
奥深い、興味深いです✨
今週も有難うございます。
十兵衛は徳政令なるものを既に取り入れていたんですね!
信長の野心が遂に十兵衛の心にも火を点け、いよいよ本当に「月にのぼるべき者」の正体が明らかになるんですかね?
ドラマの中で言えば家康でしょう。
秀吉も月にのぼったと言えますけどね。
小和田先生ありがとうございます。織田信長の心の内は同時代の者にも、われわれ現代人にも謎ですね。人間味あふれる光秀像はドラマで良く描かれていますが、それでも信長がどう生きて、どのような世・時代を築くのかを見てみたかった。
朝鮮を攻め、明を攻め、インドを攻め、東アジアの盟主になろうとしていたのでしょう。
フロイスの手記によれば。
本日もありがとうございました。
信長の考えというのは、行動を追えば追うほど知りたくなりますね。
丹波、播磨を攻略し、その先九州に乗り込む際には、譜代の家臣たちの使いようをどうしたのか。中途入社たちを重用していたようで…なんてことも起きたのか。
また光秀の考えも三英傑を超えるものだったのか。謎も魅力も深まります!
信長さんは、武田家征伐総仕上げに当たる信濃甲斐攻めでも嫡男の信忠さんを総大将として「箔を付けようとしていた」と聞いた事がありますので、官位に関しても「自らを下げて息子さんを高める事で家中の意識を息子さんへ移そうとしていた」と考える事も出来そうですよね。本能寺の際に信忠さんが「あっさり自害してしまった」のも「温室育ち」がもたらした悲劇なのかなと感じたりします。光秀さんが「事前に」敵方へ「恩赦」のようなものを与えたのは「心を攻めた」訳ですよね。村重さんの「扱われ方」にも、小和田先生もおっしゃられておられるように「心の扱われ方」が介在しているように感じます。また、信忠さんの「弱さ」にも「心の育て方」が介在しているように思われます。「心」と言う物は、物質としては「存在せず」「見えず」感覚的な領域で「感じ取るしか無い」が故に「ともすると存在を忘れがち」ですが、軽んずるには「大き過ぎる存在」なのでしょうね。そして「曖昧」が故に「史料として残るべくも無く」我々「後世の人間」としては「汲み取るしか無い」と言う、これもまた「歴史」の一側面なのであろうなと感じました。今回も、楽しいひと時を、有難う御座いました。
失礼します。
信長は官位を下げたというより左大臣や三職をあえて受けなかったと取るべきでしょう。
理由は正親町天皇の引退(譲位)との取り引き材料と、天皇制からの脱却でしょうね。
ちなみに信長の位階は正二位のままでしたよ。
小和田先生の講義を無料で視聴出来て感謝しています😊途中で広告が入ってしまうのが残念😞
お疲れ様でございます。
「信長はどうか」
益々名シーンに思えます。
そして、光秀の眉間がピクリと動く。
正親町天皇に引退(譲位)を迫り、誠仁を天皇して二条城に住まわせコントロールしようとする信長を討てということですね。
今回、信長と朝廷がこじれていく原因として、信長が正親町天皇の譲位を強要したと三条西実澄が語っています。
しかし、この説は現在では否定され、むしろ義輝・義昭将軍期には資金不足で実施できなかった譲位をさせて欲しいと正親町天皇側から天正元年以降要請を受けようやく実現したと解釈が変更されています。
どのような経緯で譲位強要説が採用されたのか小和田先生の見解をぜひお伺いしたいです。
失礼します。
それなら天正元年以降、信長のいた頃には資金があったのですから正親町天皇は譲位を受け入れているはずですよ。
しかし結局、信長の生存中に譲位は果されていません。
@@ラッキー純-h2x信長の生存中に譲位が実現しなかったのは正親町天皇側信長側双方に事情がありました。
天正元年7月に信長は譲位の費用を献上することを正親町天皇へ申し入れ、12月に自筆の返書を送られてます。
しかしその後本願寺や武田氏との争い、一向一揆など信長の置かれた状況が変化したため一度棚上げにされています。
状況の落ち着いた天正9年に改めて譲位が取り沙汰されますが、今度は朝廷側から天正9年が「六金神」と縁起の悪い年であったために翌年以降に延期され、再度の調整が行われる前に本能寺の変が起こってしまったというわけなのです。
ちなみに正親町天皇はその後も譲位のチャンスを天正地震、誠仁親王の死と二度逃しています。
@@さとまる-v2c
その経緯に間違いはありませんが、
個人的な意見で言えば天正元年、信長は正親町天皇に譲位を迫り、誠仁親王を即位させ、建設した二条城を与え、それを下御所とし、天皇家をコントロールしようとしていた。
正親町天皇にも【いずれは譲位】という意思はあれど今ではない。今譲位すると信長に天皇家をコントロールされてしまうとノラリクラリと避けていたというのが本当のところでしょう。
信長は譲位をしない正親町天皇に対して【馬揃え】で軍事的に威嚇し、それに対して正親町天皇は左大臣推任のアメで逃げようとしたが、信長はこれを断ったという学説がありますね。
六金神も【方違え】などによる回避方法があったという学者もいます。
正親町天皇は信長に左大臣や三職推任など【臣下の役職】を与えて、信長を天皇家に従う立場にしてから譲位しようとしていた。
一方、信長は正親町天皇を引退させて誠仁をコントロール下に置いてから官職を受けようとしていた。
単純な権力争いの構図ですよ。
丹波亀山って内藤如庵の城だったんですか・・・・。そうですよね。義昭に単身付き添って鞆の御所で側近やってますしね・・・・。信長公記はかなり推敲はいってますからね・・・初版にあった話が写筆版ではなくなっていたりとか・・・色んな政治的意図が垣間見えるのも歴史の醍醐味といいましょうか・・・・
安土の城は信長そのものであったのに、それは光秀にとってはあまり意味のあるものではなく、光秀にとって久秀から渡された平蜘蛛は天下の覚悟とも思えるものだったのに、信長は軽口じみてはいてもそれを売ろうとする…双方の価値観が決定的にズレた場面が印象的でした。十兵衛は信長の元に下ることを拒んでいたのに、月の(帝の)誘いには拒否の言葉を言い出せない。孤独が人を苛んでいく事が一層明らかになった話でもありますね…
小和田先生の声好きなんだよなぁ。。
玉と忠興の絡みを見たかったですね。
何か
「父上を見守るため、結婚はしない」
とか言ってたのに、最後の十秒くらいでさらっと結婚してますし。
ご解説ありがとうございます
右大将というのは朝廷の故事に精通した者なら武士を束ねる役職との認識でしょうが
実際に織田信長が任ぜられた時代に一般にどれだけの権威があったのかには疑問を感じます
信長も期待したほど全国の戦国大名に通用しないので不要と辞したのでは?
信長の染谷さん、秀吉の蔵之介さんがイってしまう芝居になってきてるよ。
前話の秀吉と勝家の一悶着で秀吉が放棄してしまう入込みカットは後の本能寺後の激突に繋がるキーですね。
今作は戦国物なのに合戦シーンが少ない(たぶん新型コロナで避けた?)代わりに各武将の駆引心理のサスペンスに振ってると見た。そこにかかるJohn・Graham氏の曲が何倍も増幅していますね。
John・Graham氏に2度3度とオファーしてもらいたいです。
赤穂事件のを聴いて見てみたいです。
更に気づいたのが朝廷と帝の出番がいつもより多いのも新鮮で好印象です。
今話の推しシーンは1️⃣光秀と秀吉2️⃣平蜘蛛の釜の換金3️⃣正親町天皇と光秀の三つです。
菊丸のアクションシーンも入れてくだされ。
身体能力の高い岡村隆史ならではの(^^
正直、今まで割と丁寧に最新の研究に基づいた描写をしてきたのに
結局は「第六天魔王信長」「天皇譲位を強制した」「朝廷黒幕説」、ついでに急に信長が気がふれたような通説通りの描写をして
光秀が正義みたいに描いたのはちょっと個人的に安直かなと思いました。
せっかくなら信長も光秀も譲れないものがあった!みたいに描いて欲しかったです。
最新の研究なら帰蝶と光秀は幼馴染ではないし平蜘蛛のエピソードも創作。
たしかに信長暴走は安直だが光秀正義は安直ではあるが大河としては挑戦的で悪くはない。
第六天魔王→譲位強要→天皇黒幕説も個人的には悪くはない。
正親町天皇がえらく聖人に描かれているのが笑っちゃうけど(^^
香木で、帝と朝廷とはすっかりこじれてしまったのですか?
これ、たんなるドラマ🤣
蘭奢待の切り取りは史実ですけどね。
信じないで、自分でいろいろ調べてみてね。
いよいよ本能寺ですね
左大臣ばかりか三職を断り、それよりさっさと引退しろと正親町天皇に迫った信長が爆殺される本能寺です。
『麒麟がくる』では太刀を手に持つ場合にこれまでの時代劇で踏襲されていたように刃の側を上にして持つのではなく、嶺の側を上に持つのがほとんどになっています。
今回の『麒麟がくる』でこれまでの時代劇で踏襲された持ち方を変更された背景が知りたいです。
素人目線ですが、刃を下に持つというのは物理的にもバランスが悪くて不自然に見えるので…。
光秀は伏見に居て本能寺に居なかった
秀吉が書かせた【惟任(=光秀)退治記】にも、光秀は途中に控えたという記述が出てくるそうです。
秀吉側と光秀側の記述が一致しており光秀が本能寺で指揮を取った史料は無いわけですから光秀が本能寺に向かわなかったことはほぼ確実でしょう。
何を考えて右大将を辞任したのか知りたいですね。
次の左大臣や三職の就任を、正親町天皇の引退への取り引き材料にしたのでしょう。
あと外交政策で【天皇の臣下(日本の王の家来)】ではなく信長自身が日本の王であることを示すためだと思われます。
小和田先生に質問すべきことではないと重々承知しておりますが、脚本に矛盾があり困惑しております。
今回(第41回)には、「信長が正親町天皇に譲位を要求した」との言説がありました
しかし、第38回「丹波攻略命令」では、誠仁親王の蹴鞠シーンの後で、織田信長、関白二条晴良、三条西実澄の三者で密談があり、「譲位は正親町天皇の意志であり」「信長もそれを認めており」「ただ戦つづきのため儀式の費用の捻出は難しいのでは?」 といった内容の会話がなされていたはずなのです!(記憶が曖昧ですがw)
「信長が正親町天皇に譲位を要求した」👈 こちらは旧説である、
「正親町天皇が信長に譲位を要求した」👈 こちらが新説である、と理解しています。
なぜ、このようなストーリー上の矛盾がまかり通ってしまったのか?(関係者は誰も何も言わなかったのか?)と…、
不思議でなりません!!!
なるべく合理的に考えるのならば、「譲位は正親町天皇の意志である」が天皇の本心からなのかどうかは置いておいて、
朝廷内に「譲位推進派」(二条晴良)vs 「譲位反対派」(三条西実澄)という争いがあって、光秀は「譲位反対派」(三条西実澄)の一方的な意見を聞かされたのであろうか??? とか、・・・かなり苦しいですが、そういう設定なら擁護もできるかと思いますがwww
ホント、それ!
この先生、意図して皇室も、信長も貶めてる気がしますよ。
あの、反日NHKの意に沿わなきゃ、大河ドラマに関わることなどできないですよね。
光秀にとって、最悪な黒井城攻めが、綺麗に欠落したのにはビックリでした。
🤣
多分、皇室黒幕説で、本能寺の変を描くこと確定。
違う気がするけどな。。
前半は面白かったんだが、、。
つまらんドラマになったな。
@@rt-fk6to さん ご返事ありがとうございます。 ですが、私のコメントに込めた思いとは、まったく関係の無い内容で、こちらとしては困惑しておりますwww
>あの、反日NHKの意に沿わなきゃ、大河ドラマに関わることなどできないですよね。<
↑ >反日NHKの意に沿わなきゃ<
あはははh! まぁ、確かにNHKの意に沿うコメントを小和田先生はされているかもしれませんがね。
「反日NHK」と発言されるあたりに、あなた様の「思想的な偏り(つまり偏見)」が見事に表現されているのですねよwww
「ヤバい人からコメントもらっちゃたなorz」というのが、正直な感想です(笑)
@@rt-fk6to さん ああ! ひょっとして、あなた様は本作において「初採用」された「女性が立膝で座っている」という演出について、顔真っ赤にして怒り狂ってたネトウヨさんたちのお仲間なのでしょうか???
まぁ、嫌いなのは仕方がないと思いますが。
「反日NHK」とかの、そういった発言は、どうかなにとぞ、ネトウヨさんが集うところでお願いしたい!!! と、心よりお願い申し上げる次第ですm( _ _ )m
譲位を信長が強要というのは【信長・朝廷対立説】の学者の意見。
譲位が正親町天皇の意思というのは【信長・朝廷非対立説】の学者の意見。
その根拠となるエピソードをドラマでそれぞれ入れたのでしょう。
実際、天正元年12月に正親町天皇は譲位を勧める信長に【申し出をうれしく思う】と返信している。
この言葉の解釈をどう取るかという話です。
京言葉は裏腹ですからね。
天皇の家来か?所詮下っ端?🐲🐉の印鑑を作っていた信長『天下布武』
信長の悪行は祟られる。
鬼退治したの
光秀が。
v
小和田先生って前からかなり信長に批判的で光秀贔屓ですよね!小和田先生が時代考証してるからあんな光秀正義みたいなドラマになったんでしょうか?
時代考証される方はストーリー内容に干渉はしませんよ。小和田先生も嘗て動画でおっしゃってましたけどw
ストーリーに一々干渉する歴史学研究者は時代考証に向きませんし、下手すれば脚本家から苦情が来ますよねw
というか、小和田先生が時代考証されている大河ドラマをほかにご覧になった事がないんですか?全部光秀贔屓でした?
それから、「光秀正義みたい」とうのに引っかかるんですが、大河ドラマの主役がある程度美化されるのは毎度のことですよね。光秀が主役の光秀目線の大河で「悪人光秀」のドラマを描くべきであり信長贔屓じゃない大河ドラマは変だということですか?
@@yi5038 あなたのお考えは解りました。ただ私にとっては!私個人的にはですよ!!つまらない大河ドラマ…正確には不快な大河ドラマだなぁと思ってる次第です。あくまで個人的な意見ですのであしからず!
@@カープ男子K
個人の好みになりますが、私は27歳まで光秀が平定した福知山で育ちました。貴方の中では光秀=悪臣でしょうが、福知山では光秀は氾濫する由良川の治水工事をしたり城下町を整備するなど名君として慕われており、民謡福知山音頭の歌詞にも「🎼〜明智光秀丹波を広め、広め丹波の福知山〜🎶」と歌われていたり、城下には光秀を祀る「御陵神社」があり、市民は誇りにしています。歴史は勝者の都合良いように書き換えられ、長い間悪臣の汚名を着せられていたのが、今回の麒麟が来るでやっと光秀視点の取り上げ方をしてくれたと思っています。
他の例では「刃傷松の廊下」の吉良上野介も実際は芝居のような底意地の悪い極悪人ではなかったと言う例もあります。
人間は善人対悪人の構図を作り上げ片方の味方をする判官びいきで史実が歪められる事が多くあります。
どうか一面からだけ見ずにいろんな角度から歴史を見てくださるのを期待します。
@ゆりあちゃん推しカープ男子 個人の意見は様々ですから貴方の意見は宜しいのかと思います。
ただ、つまらないなら見なければいい話だと思います。小和田先生は歴史学的観点から資料を見せて解説してくださってるだけなのに、ドラマのストーリーや人物設定が気にくわないからとわざわざ先生の動画まで来て文句を言うのはちょっと違うのではと思っただけです。
@@yi5038
時代考証を受け持つなら多少なりともストーリーに影響は与えるだろう(^^