Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
沖縄県民はここまで細かい歴史は残念ながら学校教育では学ばないので非常に助かります。今嘉数公園目の前のそば屋で食べながらこの動画を見ています。この後動画を参考に歩いてみようと思います。現地の写真つきでわかりやすくまとめてくださり大変勉強になりました。ありがとうございます。
半斜面陣地は嘉数、浦添西原、安里と準備はしてたけど、空と海を押さえられたなかで自軍戦力の損耗を押さえて、どうやって相手に打撃をあたえるか?に着目した戦い方だよ。利にかなってるけど、守備側はかなりキツイ籠城戦で、米軍からの評価は空海を押さえられた状態でもここまで損耗を強いられる戦いなのか。って恐れられたんだよ。もしもの話だけど5月の反転攻勢が無ければもう少し耐えたかもしれないけど、今の時代では起きて欲しくはないよ。
私の父親は、当時首里城地下の司令部壕にいて日本側の通信や米軍の通信傍受をしていました。役目上牛島司令官や長参謀長にも会っていたそうです。最近父が亡くなり生前から言っていた通り摩文仁と首里城地下壕に散骨しましたが、首里地下壕の説明書きに変な事が書いてあり驚きました。それは、従軍慰安婦が壕の中に一緒にいたと書いてあり、これは軍事を知らない人が適当に書いたのだと理解しました。つまり作戦綱領や作戦地図や命令文や通信文など軍事機密のある司令部に部外者が入れるわけがないからです。父の話ではそういうものは街中の店にいたとは聞いてました。有りもしない事を適当にでっち上げて何か当時の日本軍を貶めようとする意図を感じました。私達は嘘を並べて父や祖父達を貶める事はしてはなりません。
慰安婦も一緒に戦った でいいじゃないか、何を目くじら立ててるんだ。ビルマ戦線 ミートキーナに飛んだ戦闘機から「こんな処にまで慰安婦を連れてきてるのか」と日の丸機に走り寄る女性がいたと報告があった。人にはいろんな事情があったんだよ、きれいごとじゃない 生 の人生が。
従軍慰安婦が首里司令部壕にいたことは,当時鉄血勤皇隊として司令部壕にいた元県知事の大田昌秀氏も証言しておられますし,米軍の報告書などにも記載がありますので,壕内にいたことはほぼ確実です。
実際に慰安婦というか芸者が司令部壕に居たのは事実ですね。牛島中将は反対しましたが幹部の一人でしたから嫌々黙認したと、吉村昭さんが司令部で床屋をしていた人物の話として紹介してますね
失敗を認めて謝罪し、最後は自決した牛島将軍は牟田口より10000倍マシ。
部下を散々特攻させて自らは間際に敵前逃亡、戦後も昭和30年代まで生き抜いた富永卑怯次よりも更に10100倍はマシ。
07:05 陸軍種にいた身としては、圧倒的に不利でゴリゴリに消耗する戦場の中で乾坤一擲の逆襲・攻勢転移する誘惑に駆られない自信がないです。
それね「持久って言うけれどいつまで?」ってのもあると思うしまして避難してきた沖縄県民を抱え物資は目減りする一方後知恵だから八原氏が正しいってのは解るけれど当時の陸軍将兵も責められんよ
@@呑龍ハルカ 軍中央が沖縄で設定した戦略目標が破綻してるから正直どうしようもない。真面目に目標を達成しようとすると北アフリカ戦線みたいに一か八かの攻勢による敵戦力一掃に賭けるしかなくなる。八原大佐の戦術は時間稼ぎとして大いに有効だけど、味方の増援がなく敵は補充され強化され続ける状況だと負けを先延ばしにはできるけど絶対に勝てない。歴史上、追い詰められた軍人は前者に賭けがち。ここら辺のデメリットは絶対に本人も理解してただろうから冷静に戦力分析を行い、苦渋の最適解を叩きだしていた八原氏の優秀さが際立つ。
しかし、攻勢なんてしたら艦載機からの爆撃と艦隊からの砲撃を一斉に食らうからなあ米軍を舐めてたとしか思えない子供と大人ぐらいの力の差と考えて攻撃したんだろうが実際は人間が素手でティラノサウルスと戦うくらい無謀だった
@@ヤマアラシ-r1z あれ?それイケそうじゃね?(ティラノスカベンジ説)こうなったのもターニングポイントで悉く舐めプした海軍が悪い
こんなに防戦に適した恐ろしい戦法は聞いててゾクゾクする攻撃の為の策も面白いが守る側の策は無駄を省いた策だから、とても興味深い
第9師団と富山丸の兵員、兵器、物資が沖縄に配置され、八原参謀の作戦を徹底していれば、終戦まで沖縄戦は持ちこたえたかもしれませんね。
現地の映像を最後に入れて下さった点が嬉しかったです。初めての人でも、具体的な映像を目の当たりにすれば行ってみようかという気持ちが高まりますし、地図でも見てみようという気持ちも高まります。丘の上からの南北の見晴らしの映像は、行くときのヒントになりますし、現地の公園の映像は、間違いなく目的地に着いたかどうかの判別になります。
コメントありがとうございました🐶♪挿絵は運営してるブログの絵を流用したんですが、分かりやすかったなら良かったです✨動画を通して、少しでも行ったような気分になれたなら嬉しいです!
@@poti-taro ^^v
現地で見ると、本当にこの地形めだたないんですよね。こんなところに陣地を構築しているとは・・・という米海兵隊の気持ちもわかる気がする。
とてもわかりやすかったです。ありがとうございます。
相互支援が可能な洞窟陣地での持久戦という、それまでの水際撃滅とは全く異なる戦法で戦った同じくアメリカへの滞在経験があり、圧倒的な兵力差&補給や増援の見込み無しの状況で戦う事になった硫黄島の栗林中将と同じような考え方になっているのは興味深いです。アメリカを知った軍人が多ければ史実とは全く違った戦いになったと言うか、戦争自体に陸海軍が反対したかもしれません。敵を知る大切さだと思います。
攻撃側は防御側の10倍以上の戦力がないと勝てないとよく言われるけど、そう言わしめさせた出来事。でも最初特攻して失敗してるけど最初から防戦に徹底しておけばよかったのに...他にも戦艦が鹵獲されるって言って、俺が助けに行ってくるって言ったもののそのまま主力戦艦2隻のうち1隻沈めてきた奴も居るし、上層部がゴミすぎる。
Americaにボロクソにやられて今の日本海軍は日本近海の海流とかをちゃんと計算して戦うようになったから、最初からアメリカに勝てないから戦略で勝とうと周辺の海流とかを計算して最初からちゃんと戦っておけば日本がワンチャン勝てた説。そもそも最初にアメリカに勝てないから主力戦艦を破壊するために奇襲(真珠湾攻撃)したのに、その時点でアメリカに勝てないて分かってる筈なのになぜ特攻するのか。攻撃を受ける面積を減らして、アメリカ軍の戦力をできるだけ多く削るように戦えばよかったのに。まぁ一応日本軍にもそうやって動いた人間も少なからずいるんだけど。
野戦の陣地構築をする際に、敵がこっちからこのように攻めてくるしかないという地形を選んで構築するのだと思うけど、長篠の戦いや関ケ原の時代とは兵器技術も異なって、空母機動部隊と海兵隊の機械化部隊でも、敵の攻め方が予想できるのが素朴に不思議。菊水作戦で戦艦大和と集中した空中特攻も終わっているので、上陸地点を読みあって、いきなり九州や千葉に来る事も対策してたのかな?ともかく、多くの優秀な兵士は既に南で亡くなってもいるだろうから、大勢負け戦の中でひたすら敵の損害を増やすための玉砕戦を完遂しえたというのは、現代多くの日本人には想像もできない。指揮官が恨まれていれば、あらぬ所から弾も来るだろう。 指揮官が居なくなれば、降伏も楽だろう。
@@kazumasaotu6016 九州や千葉に来ることは無かったよ。今でもそうだけど沖縄とか尖閣諸島とか、日本にはたくさん島があるけど、そこから飛行機が飛び立てるようにすることで、『不沈』空母となる。つまり永遠と航空機が飛んでくるからそこを落とさないといけない。当時の航続距離でも沖縄から千葉まで行けただろうし、沖縄に空軍基地があった。よってアメリカはそこを取らない限り多分九州とか千葉に艦隊を送っても、後ろから攻撃される。多分その程度のものだと思う。だからアメリカも沖縄に上陸してすぐ空軍基地を抑えてるし。
@@kazumasaotu6016 逆に虚をつくというのは自分たちの損害も馬鹿にならないような奇策じゃないとできない。代わりにこの場面で言うなら沖縄に兵力を集めてるから、いきなり千葉とかに来られたら、多分今と同じ航路を通るなら北海道から東京に来て、乗り換え待ちまたはこれから東京に着く兵士と、東京周辺の隊しかすぐには集められなかっただろうから、電撃のごとく速攻で決めればもうちょっと早く終わってたかもね...
八原高級参謀が米国ではなくほかの国に留学していたらこの手の作戦になっていたかどうか。寝技戦法、一番有名なのは猪木アリ状態ですかね。あれもアリのパンチ封じて猪木の得意なフィールドに誘い込もうとしたとか。
第9師団が引き抜かれるまでは八原大佐も「航空戦力も併用して水際で食い止める」作戦を支持していたので、アメリカに行っていなかったら作戦を変更せずに進んでたかも…ですかね?頭がキレるでしょうからそうはならないかな🐶💦
違いますよ。試合前に猪木の戦い方見たアリ側がスタンディング・ポジションでの蹴りの禁止、頭突き、タックルの禁止、ヘッドロック、バックドロップの禁止を条件に試合を受けたからあのような戦い方になったんですよ。そもそもプロレスラーが寝技で勝負しようなんてしませんし。結果的には猪木のあの戦法は今でも使われるくらいつよいですが…
八原さんと長さんの参謀内での意見衝突は相当凄かったみたいだよね。
徹底した軍事合理主義者と陸軍の横紙破りと言われた人物とは水と油でしょうから。然し参謀職よりも野戦指揮官向きの長将軍を沖縄軍参謀長に任命した陸軍中央部の人物ミスに問題ありとも思えますがね。
@@nkvd2967 八原参謀は沖縄防衛戦に向いてましたが、確かに長閣下は不向きでしたね。推測ですが、長閣下を沖縄防衛戦に就かせたのは主力だった第9師団がおりゲリラ戦では無く正面切って戦うつもりで赴任させたのかも知れませんね。ただ、防衛戦開始前に第9師団が転任し野戦ではなく硫黄島、ペリリューを参考にしゲリラ戦に作戦移行してからは長閣下の良さが活かされなかったと思います。まぁ、防衛戦の合間に大本営の無茶振りに翻弄されたせいなのも大半だと思いますが。(ゲリラ戦に最初否定的だった長閣下も、八原参謀の作戦立案による戦果は認めていたので)
当時の「アメリカを見た人達」と「そうでない人達」で意見が分かれますね。栗林忠道さんも、こんな感じだったな😅
中国戦線組の戦術、戦略がまるで効かないというのが痛かったんじゃないかな…
南方戦線組と大陸組だとそらあ捉え方違うわな。南方戦線組は米軍にコテンパンにやられてたけど、大陸組は逆にコテンパンにしてた側だから。
ペリリュー島や硫黄島は敵に大損害を与えたね。
すげー丁寧な動画
連合艦隊司令長官の山本五十六、硫黄島の栗林忠道、今回の八原博通と、アメリカに行って実際に相手を見てきた人が対米戦で活躍してるんだよなぁ。
しかも戦前は開戦反対してるんやよなぁ
中川州男大佐も対米戦で活躍されましたね
その山本が実質開戦の実行者だ、山本は〇鹿、無責任,ばくち打ち。
黙れ!事件で有名な東條氏の側近だった某軍務局長も滞米経験がありましたよ。対米戦で活躍したとは到底言えない人物でしたが。
牛島さん、山本さん、栗林さん、やはりアメリカに行った事にある軍人は敵の事をよく知っている。知らな事は怖いと言う事を証明した。
唐突にyoutubeのおすすめに出てきたんだけど、コメント欄を見ると同じようなパターンで動画を見始めた人が多いんだな。そして他の動画も見たけど、現地撮影も織り交ぜたりして動画のクオリティは高いね。よくある「ネット情報をまとめただけのゆっくり動画」とは一線を画してる。
見ていただきありがとうございます🐶急に視聴数が増えてかなりビビってますが、そういっていただけて嬉しいです!
山のように戦死者が出た場所にいっぱい建物建ってて驚いた
どれだけ練りに練ろうとも、すでに確実になっていた「敗戦」を少しでも遅らせることだけが目的の作戦。悲しいものだ。
いや、長引かせてアメリカの民衆が厭戦気分になったら勝ちだよ。ベトナムと一緒、戦略。
八原参謀はちょうどHJ連載漫画に載ってましたね。戦後に牛島司令官の命令で市民に紛れて脱出しようとして崖から落ちたり、洞窟に隠れてたけど風邪ひいて迷惑がられたり。投降後にやる気なくて農作業とかサボってゴロゴロしてたら変な奴として怪しまれて取り調べを受ける結果に。沖縄県職員の尋問で身分を明かした所、米軍に通報されてしまい捕虜に。その際に叫んだ「(職員に対して)犬め」と言う台詞に「それどんな意味なの?」と米軍が興味を示してしまって、「DOGだ」と教えて何故かホッコリされたらしい。その後は家と元日本兵の当番兵を与えられ、米軍側の参謀たちと沖縄戦を議論したりして暮らしたそうです。戦後は困窮した生活を送るも子供達の教育には大変熱心だったそうで、警察予備隊に誘われたけど「もう二度と他人に死を強制するような仕事はしたくない」と断ったそうです。
同じ漫画家さんの32軍の面々を扱った同人誌でも八原大佐は色々な意味で大活躍してるので、強烈に印象深いですのですよね……人間マイナスイオン発生器こと牛島満司令官のエピソードも中々面白いですが。
私もこのような敵に出来るだけ損害を与え、出来るだけこちらの損害を少なくしてたくさんの人を救える作戦を考える自衛官になりたいものです。
八原さんは確か沖縄戦が始まる前から県民の疎開を綱領に加えて実行してたようなサイパンの集団自決のようなことを起こしたくないとか
租界に関しては、対馬丸事件が起きて以降、県民が本土への租界に躊躇してしまった面もあったそうです。
やっぱり優秀な人は後世になって評価されるんだな
反斜面陣地の利点は他にもあると思う。通常の斜面陣地や平地と比較して、敵からの砲撃の仰角がほんの僅かでもずれると、全然違う場所に着弾する。だから尚更砲撃に対する耐性が高まる。
着弾観測が難しいのもありますね。日本軍陣地を見渡せる要所にはトーチカで固めてるでしょうし。航空偵察ぐらいでしょうか。
@@ffa4393 航空偵察も大体の高低差しか解らないから、尚更照準指示するの大変そう。本当に沖縄の地理を活かした、良い意味で頭のイカれた構築だわ。
今の民家の下にはアメリカ人と日本人がミンチにしあった戦いがあったと考えると考え深い
テンポも良く密度も濃い素晴らしい解説と思いました。登録しました。
🎉10万再生おめでとうございます㊗🎉🎊
9:31反斜面陣地の説明の絵が、可愛いだけでなく、とても解かりやすかったので笑ってしまいました。
第9師団がいれば沖縄戦はもっと有利に戦えたとか言われるけど逆に第9師団がいたら攻勢中心の作戦になっただろうから史実よりも簡単に壊滅してた気がする
第9師団がいれば、作戦が米軍上陸部隊殲滅作戦になるため、日本軍が米軍を海に追い落としたかもしれない。八原大佐が主張したと思われる、八重山諸島の第28師団、多数の独立混成旅団、独立臼砲第1連隊の残り、野戦重砲1連隊第1大隊、台湾へ行ってしまった中迫撃砲2個大隊が沖縄本島にあれば沖縄は落ちなかったと思います。
@@suzukinitouhei6241 しかし、水際撃滅作戦になればサイパン島のように艦砲射撃で早々に兵力の大半を失ってしまうのでは?
@@ヤマアラシ-r1z おっしゃられるように、兵力の大半は失うかもしれませんね。サイパンは、陣地が出来ていない状態で米軍上陸です。沖縄は硫黄島と同じように陣地構築ができて、艦砲射撃に耐えられます。作戦の目的が上陸地点で米軍を全滅させるですから。ただ、八原大佐は第9師団がいても、沖縄陥落は1か月延びるだけと言ってます。32軍配下の他の諸島にいた第28師団、独立混成45旅団、独立混成59旅団、独立混成60旅団、独立混成64旅団がいれば兵力は相当残ります。
@@ヤマアラシ-r1z 当初の作戦では米軍上陸第2夜に軍砲兵を総動員して橋頭堡破砕射撃を行う予定でしたから実行されれば上陸米軍は大きな損害を受けたと思われます。但しその後に軍主力を以て橋頭堡に突撃する作戦計画は米海軍火力で沖縄軍は壊滅的打撃を受けたのではないかと想像しますね、戦艦一隻の火力は陸軍砲兵七個師団に相当するとされていますから・・
どうも初見です!
軍人ってやっぱりかっこいいなもちろん守るための軍に限るけど詳しすぎて見たくなるチャンネル
ありがとうございます🐶八原大佐も無意識に見下してるような雰囲気があったそうで、そこは多少の欠点ですね💦こんな方が戦後は貧困に苦しみながら生活したのは想像できませんね🐶!
反射面陣地の思想は抽象化すると仕事に行かせそうですね。
米国留学組だけでなく、英国駐在武官だった今村中将も見事である。重要基地であるラバウルが終戦まで無事だったのは占領地統治が優れていた点もある。私の親戚は満州からラバウル航空隊に移転したおかげで命が助かった。
この動画で出てこられたお一人長勇中将は、昔私が勤めてた会社の通勤途中のちょっと小高い木の茂った小さな丘(福岡市・江辻)にひっそりと祀られていたのを、この動画を見て思い出しました(ご遺族がご供養・祭祀管理されているのかな?たまに幟が立ててあることがある)激烈な戦闘で亡くなられた、勇敢な日米両軍の兵士達や善良な民間人の方々のご冥福をお祈りいたします。
長中将の出身地に胸像などがあるそうなので、福岡県に行った際は行ってみたいなと思っています🐶✨
防御の要則が盛り込まれた戦い
ドイツ軍も精神的に元気であるのが望ましいや、攻勢積極が受け入れられやすく、帝政ロシアでもフランスでも同じです。これは日本軍の特質ではなく、軍隊そのものの気質がそのようです。一般的な参照としてアルノさんの動画をお勧めします。人物評価で結構言われていることなので。
反射面陣地って斜面そのものも要塞かしてるんだてっきり斜面の後ろで待ち構えるのかと思った
反斜面陣地戦術なんてまともな感性してたら作り出せる代物ではない、八原大佐は間違いなく狂人だ、と思っていた考案したのドイツ軍かーいやっぱドイツの参謀本部ってすげえわ
この反射面陣地どうやって破られたんだろう?夜間の出血覚悟の奇襲とか、斜面側面からの攻撃だとか?
米軍の西側からの浸透戦術や兵力差ですかね?通常の戦闘や爆雷特攻で、徐々に力が無くなっていきました🐶
旧帝国軍に欠けていた思考という事だったか…もし仮に、現代日本國が国連軍から4正面(東北・関東・近畿・九州)同時進攻を受けたとしても一億一丸となって防御に徹した長期持久戦を展開することで、いずれ反攻勢の勝機を見出すこともできましょうか…?
その頃には日本という国体が維持出来てないよ…
そもそも、今の国連軍が日本に敵対する何て意味不明だね(笑) 国連軍が敵対するならロシアだね。
化石燃料止められた時点でアウト
ぬぅん…反撃も厳しいかぁ
ドイツ降伏したあとの経験値たっぷり資源たっぷり連合軍に勝てるわけもなく
神航空参謀は戦後県民を守るために軍はあったわけでない。とハッキリ言ってましたね
@@ずんだもち-m7r 彼は八原大佐の作戦指導に死去する迄、批判的でしたね。
第9師団が沖縄に残っていたら、筋書きはかなり変わったろうな。第9師団はまさに九死に一生を得た。
八原 博通陸軍大佐に学び私も生き延びていきたい。
沖縄戦初戦(海岸線無条件上陸)で完全に日本陸軍敗退を象徴しているわ牛島中将は本間中将以上の能力は無いのが良く解るわ~日本海軍も既に本土幹部から逃腰だからマトモな戦略ができませんでした!ゼロ戦の神風特攻を沖縄上陸している米軍兵士に向ければあれ程の悲惨な戦闘は起きなかった???日本の陸軍海軍の連携も上手く機能していないからなぁー
アメリカ参謀から評価もらえてるって事は、県民の犠牲は動きが遅かった結果とみる視点があるね。八原さんめちゃ現実主義者なんだな〜
攻勢に出たがる気持ちは分かる時間が味方してくれるのは工業力、農業力に勝る米軍側だからこそ初戦で粉砕したいだろうただそれを許すほど甘い布陣で米軍側も攻めてこないだろうという当たり前の事を考慮出来ないほど追い詰められていたんやろな
第九師団抽出前では八原参謀は、大変面白い戦をして見せますよ‘と自信満々であったとのこと。もし、第九師団が抽出されなかったら?あの八原参謀の指揮のもと、どのような戦が展開されたのやら・・。
こうして見ると沖縄守備第32軍の陣容は、一桁師団の武兵団(第9師団)を持って行かれ、回没してボロボロの独混44旅団と警備用軽装備の第62師団だと、頼みの綱は第24師団だけだね。各師団の後方部員を戦闘部員に回し、後方部員を現地の沖縄県民から中学生以上40歳程度の男性を集めて補充し膨らませても11万人の兵力か。現地で膨らませても装備は良くて2.5個師団分。装備の不足は竹槍。キッツいな。天皇の要望とは言え長氏のゴリ押し聞いて牛島将軍は、よくこんなショボい兵力で2回も反攻作戦をやっちゃたな。ドイツの反斜面陣地を採用した八原大佐も、2回の無謀な反攻作戦で戦力損耗させられた後、指揮権を渡されるより、損耗してない最初から指揮を任せて欲しかっただろう。
八原大佐は今でこそ再評価されつつあるけど、やはり捕虜になってしまったのがね生き残ってしまった事が軍関係者だけでなく多大な犠牲を払った沖縄県民からも非難される要因かと
じゃあ、死ねば評価されたのかって話だわな。個人的には軍関係者は頭がおかしいとしか思えない。(沖縄県民に関しては気持ちは分かる)
沖縄戦戦没者 平和の礎刻銘者数 (令和3年6月時点)★出身別 ★47都道府県北海道 → 1万806名青 森 → 565名岩 手 → 685名宮 城 → 637名秋 田 → 485名山 形 → 866名福 島 → 1014名茨 城 → 755名栃 木 → 696名群 馬 → 881名埼 玉 → 1138名千 葉 → 1622名東 京 → 3521名神奈川 → 1334名新 潟 → 1235名富 山 → 876名石 川 → 1072名福 井 → 1184名山 梨 → 551名長 野 → 1376名岐 阜 → 1075名静 岡 → 1715名愛 知 → 2973名三 重 → 2728名滋 賀 → 1691名京 都 → 2546名大 阪 → 2339名兵 庫 → 3202名奈 良 → 591名和歌山 → 916名鳥 取 → 553名島 根 → 745名岡 山 → 1838名広 島 → 1352名山 口 → 1208名徳 島 → 1285名香 川 → 1393名愛 媛 → 2090名高 知 → 1008名福 岡 → 4030名佐 賀 → 1031名長 崎 → 1601名熊 本 → 1975名大 分 → 1491名宮 崎 → 1854名鹿児島 → 2929名沖 縄 →14万9584名本土出身計→ 7万7458名(北海道含む)米 軍 → 1万4010名英 軍 → 82名台 湾 → 34名北朝鮮 → 82名韓 国 → 382名★沖縄戦へ上陸、参戦🇱🇷米英軍 → 約 54万人🇯🇵日本軍 → 約 11万5千人(内、沖縄出身兵 約 2万8千人)★米英軍以外の外国人の方は主に沖縄本島近隣離島に🇯🇵従軍★未回収の御遺骨 推定 2794 柱★戦後、不発弾事故の死亡者 園児含む、700名以上★不発弾、未回収 推定 1906トン★不発弾、処理済み 6000トン★不発弾、処理 年平均 500件★沖縄戦時の県知事 島田 氏 在任期間1945年1月12日 ~ 6月27日頃兵庫県神戸市須磨区 出身★沖縄県民の生命保護にご尽力6月27日頃糸満市摩文仁付近で消息を絶つ未だ島田氏の御遺骨は発見されず 沖縄地上戦1945年3月26日 ~ 6月23日 (組織的戦闘の終了)★平和の礎は 沖縄本島糸満市に有ります
島田知事のお名前は叡(あきら)といいます。前知事のことは調べていただくと分かりますが、それに比較し島田知事は地方公共団体の長として県職員、警察官等と共に、摩文仁の丘に移動後も最後まで住民保護、避難誘導に全身全霊を掛けてその職責を全うされました。海軍の沖縄根拠地隊司令官の太田實海軍少将の海軍次官宛最期の電報はあまりにも有名ですが、民間人出身でこれまでの覚悟と決断で沖縄戦に望まれた方は自治体の長はいらっしゃらなかったでしょう。島田知事は知事職が不在を知り、誰かが沖縄県知事になり沖縄県民の為に尽くさなくてはと御自身自ら進んで、この時、沖縄県知事に赴任したそうです。全国の地方自治体の長の方には、ぜひ沖縄戦における島田叡沖縄県知事の事をより知っていただき、その職責に対する覚悟や責任を心に刻んで職務に精励していただきたいと思います。
八原参謀の持久作戦と首里撤退は、民間人の犠牲者を増やす選択だったのかも知れません。
そのうちずんだもんに乗っ取られてゆっくりずんだもんにチャンネル名が変わるのかも( ゚д゚)今も昔も現場の人間を困らせるのは上層部の人達ですねぇ〜
ずんだもんは乗っ取り画策はない…ハズ!!大阪城編で登場したハチ公といい、チャンネル乗っ取ろうとするやつが多いですね🐶‼
沖縄に行ったら海軍陣地跡は行くべき。首里城本部の壕もぜひ整備して公開して欲しい。我らの先祖が考え抜いて賢く、本当に粘り強く戦ったことがよく分かります。沖縄戦であっさり日本軍が降伏していたら今の日本はありません。
安里52号池?
ハチ公が帰ってきたー!
使用した画像はブログで使用した画像なので、犬版ポチ太郎とハチ公が使われてます🐶ブログだとハチ君はレギュラーなんです🐶✨
特に優勢な敵の火力や機甲戦闘力に対して我の損害を軽減し、敵の突撃部隊の分離に乗じて奇襲する意図がない場合、それはただの反対側にある陣地ですもちろん嘉数の陣地は反射面陣地ですが、反射面陣地が反射面陣地たる条件は明記しておいてほしいですねまた、嘉数の資料館で確認することができる敵戦車の侵攻経路なども一緒に説明してくれると嬉しいです
「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」byナポレオン
沖縄戦において、陸軍第62師団の400mから700mにおける毎分投弾量が約11t、米歩兵師団の同範囲においては約12t…ちなみに、100m圏内の毎分投弾量は10t:49t…至近距離の投弾量にこれ程の差があるにも関わらず、反射面陣地により接近戦を挑む姿勢がすごい。加えて突撃破砕射撃開始距離における投弾量は均衡していることから、持久戦を徹底し師団火力の最大発揮を行えれば、凄まじい打撃を米軍に与えたことでしょう。
岡本喜八はいいよね。
楽しく見させてもらってます!いつか伊江島も詳しく見てみたいです!
コメントありがとうございます🐶伊江島いいですよね!公益質屋とか山グシの陣地壕とかニャティヤ洞とかまとめて紹介したいんですが、感染症がもう少し落ち着いてくれないと離島は行きにくいですね🐶💦
どの師団を抽出するかは32軍側の選定に委ねられていたと記憶しているのですが、そうだとしたらなぜ一番強力な部隊である第9師団を出してしまったんでしょうかね。
最精鋭の師団と指定されていたので第9師団と第24師団のニ択になったと記憶しています!あとは山砲部隊と野砲部隊という違いや火力を考慮した結果、第24師団を残したようです。
@@poti-taro なるほどそういうことでしたか。たしかに沖縄戦で善戦できたポイントは丘陵地を巧みに利用した砲兵火力の運用でしたからそういう意味では正解だったのでしょうね。しかし最精鋭師団がどれだけの能力を発揮できたのか見てみたかったところもありますね。史実で戦った部隊ですら米海兵師団の精鋭を破砕してるわけですから単純に考えるとその上ってことですもんね。
動画投稿お疲れ様です!もし今後今回のように戦跡以外の解説を行う予定があれば、沖縄戦の各部隊の指揮官等を解説してみるのはどうでしょうか。例えば、今回の嘉数高地関連では独歩第13大隊の原大隊長、前田高地関連では歩兵第32連隊第2大隊の志村常雄大尉など、その地で戦った将兵や隊長の様子が分かることでより内容が濃い動画を制作することが出来るのではないでしょうか?
ありがとうございます🐶解説系もやっていきたいなって思ってはいたんですが、こんな感じで大丈夫だったんですかね💦編集時間が桁違いな上に仕事もあるので、頻繁には出来ないかと思いますが頑張ります🐶✨
めっちゃ203高地で有名な旅順要塞のつくりに似てますね
自分の陣地に相手が攻め入ってくるんだから勝手を知ってる日本側が有利なのは当たり前だけど、ここまで徹底できるのは凄すぎる。
なんかパエッタとヤンが浮かんでくる権限移譲
牛島大将、これはわざと失敗する作戦を実行した可能性が。。。
今にも通じるな
銀英伝のヤンウェンリーみたいなものか。
やったぜ。
出しちゃった🐶💦
普通の人には秀才の考えは理解し難いものがあるのでしょうね
普通の人はそもそも他人の考えを理解する気などないんだよね。(日本人に限って)自覚症状がないから分からないだろうけど。
海軍に山口多聞あらば、陸軍に八原博通あり。
八原博通さん優しそうな顔をしてるけど戦術はドSのマジキチ、こういう人が一番怖い
今動画は十分に戦術面について解説されているが、日本で唱えられていた決戦論についての議論が飛んでしまっているように感じる。沖縄戦の無意味な攻撃作戦の根本的な原因は、太平洋戦争における決戦の地を依然として定められていなかったことだ。当初は台湾沖航空戦の結果を受けて、フィリピンで決戦を計画100万の兵力を送り込んだが、実際は制海権など確保できておらず、フィリピンでの戦いは敗北した。ここで大本営は、「フィリピン」を「決戦の地」ではないとして、移動させた。あとから「決戦ではなかった」と言い訳したのである。そこで、次の決戦の部隊が沖縄となった。しかし、第九師団を直前に台湾に引き抜いたり、またそもそも戦力投入も非常に少なかったことから、大本営としては、「まだ本気を出していない」という言い訳を手に入れた。本土以外で決戦を行い、勝敗を決めようと以前は主張していた大本営が「沖縄が決戦の地である」のか「沖縄は本土決戦の前の時間稼ぎであるのか」の二点が決められずにいた。八原は後者であり、沖縄戦は持久戦を遂行することで本土決戦の時間稼ぎを行うとしたが、一方で大本営では、沖縄戦が最後の陸上決戦になるという意見が次第に強くなり、攻撃を強く要請したのであった。大本営と八原の見立ての齟齬が、無意味な総攻撃を生み出したのである、
空爆や艦砲射撃で跡形もなく吹き飛ばすアメリカにも有効なのね
満州でもこの戦い方してたって聞いた
さて、違う視点から。攻撃つまり奇襲等を続けることにより優位に立ち続けないと負けるというのがあるから、浸透も難しく効果があるかはともかく攻撃を主張するのは仕方がない面もある。つまり、陸上のみでも戦力比率25倍(ランチェスター)と圧倒的に有利な米軍に更に優位をとられ続け、海を見てみれば陸地の少ない沖縄でいつ包囲されるか分からない状況が何を意味しているのかという事。八原大佐にとっても絶望的な点はそういう所にあって、さらに戦闘前に実証しようがない点もある。防戦に反対していた人の中にも、理解していた人はいたんじゃないかな。WGIPが効いてるせいか理解されないけど彼らも決してバカではないよ。
そもそも大日本帝国は資源の差、外交の差で詰んでるよ。持久戦だろうが奇襲だろうが米国は戦争でたんまり金を貯め込んでたし、大日本帝国がどれだけ持ちこたえようが他国が米国に仕掛けるわけがない。失われた海路を取り戻せるわけでもない。できたのはどう負けるかの選択だけだよ。
@@tnmiok0106 戦術の話であって、戦略の話ではありません。論点がずれてますよ。
飛行場の奪還要請はけして攻撃偏重主義だったからとか米軍を甘く見ていたからじゃないんだよな。防衛作戦のため九州からの延べ数千機の航空攻撃や海上特攻まで計画されていたから、早々に飛行場を明け渡すと米軍の航空戦力が増強され、海空の作戦が失敗してしまうからだよ。しかも沖縄を拠点に本土空襲が更に熾烈になる事も問題となった。陸軍はサイパンの敗戦を研究して「島嶼守備要領」等、持久戦で米軍を迎え撃つ戦略を確立し、ペリリューや硫黄島で大きな効果をあげていた。陸戦に限れば持久戦が最適解なのは大本営も百も承知だったんだよ。
後半のあのBGMのせいで集中できない
栗林中将のこと見てなかったのかな?😅
日本陸軍最強砲兵隊の和田部隊も取り上げてください
第5砲兵団ですね🐶!
@@poti-taro アメリカ側の資料にドイツ軍が撃っているのではないかと言わしめた程の部隊を教えてください
もはや「城」って印象。それも真田丸とか熊本城とかそういうガチなやつ。敵を知り、己を知り、地の利を知ってメタを張る。大本営の邪魔がなければ...。大本営は本当に硫黄島の戦いで学んでおけと...。
対アメリカ戦は防御に特化した戦略でも通用するが対チャイナ戦では裏切り者に特化した戦略要するにスパイ戦に特化した戦略☺️裏切り者の県知事裏切り者の県連裏切り者の県警裏切り者の県警本部長の中でどうやって戦うのか ❓️なんか戦う前から勝てる気がしない😭
八原大佐ワルテルローのウェリントン配置を知っていたのかもな。
確かドイツもノルマンディー後の西部戦線で陣地を組んで防戦をしていたけど、上からの命令で無謀に攻勢を仕掛けて、陣地を守れる程の兵力が無くなった みたいなのをどこかの動画で見た気がする
ファレーズポケット作戦だな攻勢に出た精鋭機甲師団が包囲されて猛烈な砲爆撃を受けほとんど戦わずに壊滅した上空の航空機にまで地上から死体の匂いが漂ってきたらしい
陸軍作戦要務令は、工業力が高いソ連に対して主導権を握るため、積極的な攻勢を思考しており、赤軍野外教令に対抗するように記述されております
一度は賛同得たのも硫黄島の成功実例が大きいやろな
素人の自分なんかだと奪われるのがわかっている飛行場とか使われそうな土地は地雷で埋め尽くしたら、、とか思ってしまぅ
「反斜面陣地」は日露戦争の旅順要塞を構築したロシア軍の陣地にその萌芽をみるとができます。アントニオ猪木とモハメド=アリの戦いには元ネタかあったことがこの動画で分かりました。
米国相手に4年も戦えたのは研究の成果!
1番の敵は味方ってことだなぁ…
まぁ日本だけがマスクしてることからもよくも悪くも日本て感じだよね怖かったろうによく向かってってたよ立派だで終わらせたいもんだね
いいえ、一番の敵は日本の軍部と日本人そのもの
なんでBGMコッペパンやねんwww
ニコニコ動画で育ってきたので、コッペパン好きなんです笑
大佐、大尉を「だいさ」「だいい」と呼ぶのは海軍だけでっせ
対アメリカ戦を対チャイナ戦に応用出来るのかな ❓️違いはチャイナが県民を人質にしてその上県知事が裏切り者こりゃ大変だな。:+((*´艸`))+:。
ずんだもんってもっとサイコなキャラじゃなかったっけ(錯乱)
もっとサイコでいいんですか!?(歓喜
内容はとても素晴らしいと思います!ただ〜毎回思うのですが〜魔理沙とかの機械音声?が早すぎて聞き取り辛い💦他のチャンネルとかの普通の声音朗読が感情も伝わり分かりやすいから余計に聞き取り辛さが際立つ感じですね😓
ペリリュー島、硫黄島の戦訓でしょう。
他の参謀「攻勢に出ないのか!」わし「大戦後期の日本軍が攻勢に出た時って大抵ろくな事にならんやろ」
長参謀長:八原君。君はこの沖縄において、ただの一度も総攻撃をかける事なく、もし敗れる様な事があったら陛下に対して何とお詫びをする。いや、日本になんと詫びるんだ。八原高級参謀:誰にも詫びません。その必要はありません。我々は万全を尽くしております。
よく考えてみたら制空権とられたらより高いところから観測支援されるから無駄じゃない⁉️
ずんだモン
沖縄県民はここまで細かい歴史は残念ながら学校教育では学ばないので非常に助かります。今嘉数公園目の前のそば屋で食べながらこの動画を見ています。この後動画を参考に歩いてみようと思います。現地の写真つきでわかりやすくまとめてくださり大変勉強になりました。ありがとうございます。
半斜面陣地は嘉数、浦添西原、安里と準備はしてたけど、空と海を押さえられたなかで自軍戦力の損耗を押さえて、どうやって相手に打撃をあたえるか?に着目した戦い方だよ。利にかなってるけど、守備側はかなりキツイ籠城戦で、米軍からの評価は空海を押さえられた状態でもここまで損耗を強いられる戦いなのか。って恐れられたんだよ。もしもの話だけど5月の反転攻勢が無ければもう少し耐えたかもしれないけど、今の時代では起きて欲しくはないよ。
私の父親は、当時首里城地下の司令部壕にいて日本側の通信や米軍の通信傍受をしていました。役目上牛島司令官や長参謀長にも会っていたそうです。
最近父が亡くなり生前から言っていた通り摩文仁と首里城地下壕に散骨しましたが、首里地下壕の説明書きに変な事が書いてあり驚きました。それは、従軍慰安婦が壕の中に一緒にいたと書いてあり、これは軍事を知らない人が適当に書いたのだと理解しました。つまり作戦綱領や作戦地図や命令文や通信文など軍事機密のある司令部に部外者が入れるわけがないからです。父の話ではそういうものは街中の店にいたとは聞いてました。
有りもしない事を適当にでっち上げて何か当時の日本軍を貶めようとする意図を感じました。私達は嘘を並べて父や祖父達を貶める事はしてはなりません。
慰安婦も一緒に戦った でいいじゃないか、何を目くじら立ててるんだ。
ビルマ戦線 ミートキーナに飛んだ戦闘機から「こんな処にまで慰安婦を
連れてきてるのか」と日の丸機に走り寄る女性がいたと報告があった。
人にはいろんな事情があったんだよ、きれいごとじゃない 生 の人生が。
従軍慰安婦が首里司令部壕にいたことは,当時鉄血勤皇隊として司令部壕にいた元県知事の大田昌秀氏も証言しておられますし,米軍の報告書などにも記載がありますので,壕内にいたことはほぼ確実です。
実際に慰安婦というか芸者が司令部壕に居たのは事実ですね。牛島中将は反対しましたが
幹部の一人でしたから
嫌々黙認したと、吉村昭さんが司令部で床屋をしていた人物の話として紹介してますね
失敗を認めて謝罪し、最後は自決した牛島将軍は牟田口より10000倍マシ。
部下を散々特攻させて自らは間際に敵前逃亡、戦後も昭和30年代まで生き抜いた富永卑怯次よりも更に10100倍はマシ。
07:05 陸軍種にいた身としては、圧倒的に不利でゴリゴリに消耗する戦場の中で乾坤一擲の逆襲・攻勢転移する誘惑に駆られない自信がないです。
それね「持久って言うけれどいつまで?」ってのもあると思うし
まして避難してきた沖縄県民を抱え物資は目減りする一方
後知恵だから八原氏が正しいってのは解るけれど当時の陸軍将兵も責められんよ
@@呑龍ハルカ 軍中央が沖縄で設定した戦略目標が破綻してるから正直どうしようもない。真面目に目標を達成しようとすると北アフリカ戦線みたいに一か八かの攻勢による敵戦力一掃に賭けるしかなくなる。八原大佐の戦術は時間稼ぎとして大いに有効だけど、味方の増援がなく敵は補充され強化され続ける状況だと負けを先延ばしにはできるけど絶対に勝てない。歴史上、追い詰められた軍人は前者に賭けがち。ここら辺のデメリットは絶対に本人も理解してただろうから冷静に戦力分析を行い、苦渋の最適解を叩きだしていた八原氏の優秀さが際立つ。
しかし、攻勢なんてしたら艦載機からの爆撃と
艦隊からの砲撃を一斉に食らうからなあ
米軍を舐めてたとしか思えない
子供と大人ぐらいの力の差と考えて攻撃したんだろうが
実際は人間が素手でティラノサウルスと戦うくらい無謀だった
@@ヤマアラシ-r1z
あれ?それイケそうじゃね?(ティラノスカベンジ説)
こうなったのもターニングポイントで悉く舐めプした海軍が悪い
こんなに防戦に適した恐ろしい戦法は聞いててゾクゾクする
攻撃の為の策も面白いが守る側の策は無駄を省いた策だから、とても興味深い
第9師団と富山丸の兵員、兵器、物資が沖縄に配置され、八原参謀の作戦を徹底していれば、終戦まで沖縄戦は持ちこたえたかもしれませんね。
現地の映像を最後に入れて下さった点が嬉しかったです。
初めての人でも、具体的な映像を目の当たりにすれば
行ってみようかという気持ちが高まりますし、
地図でも見てみようという気持ちも高まります。
丘の上からの南北の見晴らしの映像は、行くときのヒントになりますし、
現地の公園の映像は、間違いなく目的地に着いたかどうかの判別になります。
コメントありがとうございました🐶♪
挿絵は運営してるブログの絵を流用したんですが、分かりやすかったなら良かったです✨
動画を通して、少しでも行ったような気分になれたなら嬉しいです!
@@poti-taro
^^v
現地で見ると、本当にこの地形めだたないんですよね。
こんなところに陣地を構築しているとは・・・という米海兵隊の気持ちもわかる気がする。
とてもわかりやすかったです。
ありがとうございます。
相互支援が可能な洞窟陣地での持久戦という、それまでの水際撃滅とは全く異なる戦法で戦った同じくアメリカへの滞在経験があり、圧倒的な兵力差&補給や増援の見込み無しの状況で戦う事になった硫黄島の栗林中将と同じような考え方になっているのは興味深いです。
アメリカを知った軍人が多ければ史実とは全く違った戦いになったと言うか、戦争自体に陸海軍が反対したかもしれません。
敵を知る大切さだと思います。
攻撃側は防御側の10倍以上の戦力がないと勝てないとよく言われるけど、
そう言わしめさせた出来事。
でも最初特攻して失敗してるけど最初から防戦に徹底しておけばよかったのに...
他にも戦艦が鹵獲されるって言って、俺が助けに行ってくるって言ったものの
そのまま主力戦艦2隻のうち1隻沈めてきた奴も居るし、
上層部がゴミすぎる。
Americaにボロクソにやられて今の日本海軍は日本近海の海流とかをちゃんと計算して戦うようになったから、最初からアメリカに勝てないから戦略で勝とうと周辺の海流とかを計算して最初からちゃんと戦っておけば日本がワンチャン勝てた説。
そもそも最初にアメリカに勝てないから主力戦艦を破壊するために奇襲(真珠湾攻撃)したのに、
その時点でアメリカに勝てないて分かってる筈なのになぜ特攻するのか。
攻撃を受ける面積を減らして、アメリカ軍の戦力をできるだけ多く削るように戦えばよかったのに。
まぁ一応日本軍にもそうやって動いた人間も少なからずいるんだけど。
野戦の陣地構築をする際に、敵がこっちからこのように攻めてくるしかないという地形を選んで構築するのだと思うけど、
長篠の戦いや関ケ原の時代とは兵器技術も異なって、
空母機動部隊と海兵隊の機械化部隊でも、敵の攻め方が予想できるのが素朴に不思議。
菊水作戦で戦艦大和と集中した空中特攻も終わっているので、上陸地点を読みあって、いきなり九州や千葉に来る事も対策してたのかな?
ともかく、多くの優秀な兵士は既に南で亡くなってもいるだろうから、大勢負け戦の中で
ひたすら敵の損害を増やすための玉砕戦を完遂しえたというのは、現代多くの日本人には想像もできない。
指揮官が恨まれていれば、あらぬ所から弾も来るだろう。 指揮官が居なくなれば、降伏も楽だろう。
@@kazumasaotu6016 九州や千葉に来ることは無かったよ。
今でもそうだけど沖縄とか尖閣諸島とか、日本にはたくさん島があるけど、
そこから飛行機が飛び立てるようにすることで、『不沈』空母となる。
つまり永遠と航空機が飛んでくるからそこを落とさないといけない。
当時の航続距離でも沖縄から千葉まで行けただろうし、沖縄に空軍基地があった。
よってアメリカはそこを取らない限り多分九州とか千葉に艦隊を送っても、後ろから攻撃される。
多分その程度のものだと思う。
だからアメリカも沖縄に上陸してすぐ空軍基地を抑えてるし。
@@kazumasaotu6016 逆に虚をつくというのは自分たちの損害も馬鹿にならないような奇策じゃないとできない。
代わりにこの場面で言うなら沖縄に兵力を集めてるから、いきなり千葉とかに来られたら、多分今と同じ航路を通るなら北海道から東京に来て、乗り換え待ちまたはこれから東京に着く兵士と、東京周辺の隊しかすぐには集められなかっただろうから、電撃のごとく速攻で決めればもうちょっと早く終わってたかもね...
八原高級参謀が米国ではなくほかの国に留学していたらこの手の作戦になっていたかどうか。寝技戦法、一番有名なのは猪木アリ状態ですかね。あれもアリのパンチ封じて猪木の得意なフィールドに誘い込もうとしたとか。
第9師団が引き抜かれるまでは八原大佐も「航空戦力も併用して水際で食い止める」作戦を支持していたので、アメリカに行っていなかったら作戦を変更せずに進んでたかも…ですかね?
頭がキレるでしょうからそうはならないかな🐶💦
違いますよ。試合前に猪木の戦い方見たアリ側がスタンディング・ポジションでの蹴りの禁止、頭突き、タックルの禁止、ヘッドロック、バックドロップの禁止を条件に試合を受けたからあのような戦い方になったんですよ。そもそもプロレスラーが寝技で勝負しようなんてしませんし。結果的には猪木のあの戦法は今でも使われるくらいつよいですが…
八原さんと長さんの参謀内での意見衝突は相当凄かったみたいだよね。
徹底した軍事合理主義者と陸軍の横紙破りと言われた人物とは水と油でしょうから。
然し参謀職よりも野戦指揮官向きの長将軍を沖縄軍参謀長に任命した陸軍中央部の人物ミスに問題ありとも思えますがね。
@@nkvd2967 八原参謀は沖縄防衛戦に向いてましたが、確かに長閣下は不向きでしたね。
推測ですが、長閣下を沖縄防衛戦に就かせたのは主力だった第9師団がおりゲリラ戦では無く正面切って戦うつもりで赴任させたのかも知れませんね。
ただ、防衛戦開始前に第9師団が転任し野戦ではなく硫黄島、ペリリューを参考にしゲリラ戦に作戦移行してからは長閣下の良さが活かされなかったと思います。
まぁ、防衛戦の合間に大本営の無茶振りに翻弄されたせいなのも大半だと思いますが。(ゲリラ戦に最初否定的だった長閣下も、八原参謀の作戦立案による戦果は認めていたので)
当時の「アメリカを見た人達」と「そうでない人達」で意見が分かれますね。
栗林忠道さんも、こんな感じだったな😅
中国戦線組の戦術、戦略がまるで効かないというのが痛かったんじゃないかな…
南方戦線組と大陸組だとそらあ捉え方違うわな。
南方戦線組は米軍にコテンパンにやられてたけど、大陸組は逆にコテンパンにしてた側だから。
ペリリュー島や硫黄島は敵に大損害を与えたね。
すげー丁寧な動画
連合艦隊司令長官の山本五十六、硫黄島の栗林忠道、今回の八原博通と、アメリカに行って実際に相手を見てきた人が
対米戦で活躍してるんだよなぁ。
しかも戦前は開戦反対してるんやよなぁ
中川州男大佐も対米戦で活躍されましたね
その山本が実質開戦の実行者だ、山本は〇鹿、無責任,ばくち打ち。
黙れ!事件で有名な東條氏の側近だった某軍務局長も滞米経験がありましたよ。
対米戦で活躍したとは到底言えない人物でしたが。
牛島さん、山本さん、栗林さん、やはりアメリカに行った事にある軍人は敵の事をよく知っている。
知らな事は怖いと言う事を証明した。
唐突にyoutubeのおすすめに出てきたんだけど、コメント欄を見ると同じようなパターンで動画を見始めた人が多いんだな。
そして他の動画も見たけど、現地撮影も織り交ぜたりして動画のクオリティは高いね。
よくある「ネット情報をまとめただけのゆっくり動画」とは一線を画してる。
見ていただきありがとうございます🐶
急に視聴数が増えてかなりビビってますが、そういっていただけて嬉しいです!
山のように戦死者が出た場所にいっぱい建物建ってて驚いた
どれだけ練りに練ろうとも、すでに確実になっていた「敗戦」を少しでも遅らせることだけが目的の作戦。悲しいものだ。
いや、長引かせてアメリカの民衆が厭戦気分になったら勝ちだよ。ベトナムと一緒、戦略。
八原参謀はちょうどHJ連載漫画に載ってましたね。戦後に牛島司令官の命令で市民に紛れて脱出しようとして崖から落ちたり、洞窟に隠れてたけど風邪ひいて
迷惑がられたり。投降後にやる気なくて農作業とかサボってゴロゴロしてたら変な奴として怪しまれて取り調べを受ける結果に。
沖縄県職員の尋問で身分を明かした所、米軍に通報されてしまい捕虜に。
その際に叫んだ「(職員に対して)犬め」と言う台詞に「それどんな意味なの?」と米軍が興味を示してしまって、「DOGだ」と教えて何故かホッコリされたらしい。
その後は家と元日本兵の当番兵を与えられ、米軍側の参謀たちと沖縄戦を議論したりして暮らしたそうです。
戦後は困窮した生活を送るも子供達の教育には大変熱心だったそうで、警察予備隊に誘われたけど「もう二度と他人に死を強制するような仕事はしたくない」と
断ったそうです。
同じ漫画家さんの32軍の面々を扱った同人誌でも八原大佐は色々な意味で大活躍してるので、強烈に印象深いですのですよね……人間マイナスイオン発生器こと牛島満司令官のエピソードも中々面白いですが。
私もこのような敵に出来るだけ損害を与え、出来るだけこちらの損害を少なくしてたくさんの人を救える作戦を考える自衛官になりたいものです。
八原さんは確か沖縄戦が始まる前から県民の疎開を綱領に加えて実行してたような
サイパンの集団自決のようなことを起こしたくないとか
租界に関しては、対馬丸事件が起きて以降、県民が本土への租界に躊躇してしまった面もあったそうです。
やっぱり優秀な人は後世になって評価されるんだな
反斜面陣地の利点は他にもあると思う。
通常の斜面陣地や平地と比較して、敵からの砲撃の仰角がほんの僅かでもずれると、全然違う場所に着弾する。
だから尚更砲撃に対する耐性が高まる。
着弾観測が難しいのもありますね。日本軍陣地を見渡せる要所にはトーチカで固めてるでしょうし。航空偵察ぐらいでしょうか。
@@ffa4393 航空偵察も大体の高低差しか解らないから、尚更照準指示するの大変そう。
本当に沖縄の地理を活かした、良い意味で頭のイカれた構築だわ。
今の民家の下にはアメリカ人と日本人が
ミンチにしあった戦いがあったと考えると
考え深い
テンポも良く密度も濃い素晴らしい解説と思いました。登録しました。
🎉10万再生おめでとうございます㊗🎉🎊
9:31
反斜面陣地の説明の絵が、
可愛いだけでなく、とても解かりやすかったので
笑ってしまいました。
第9師団がいれば沖縄戦はもっと有利に戦えたとか言われるけど
逆に第9師団がいたら攻勢中心の作戦になっただろうから
史実よりも簡単に壊滅してた気がする
第9師団がいれば、作戦が米軍上陸部隊殲滅作戦になるため、
日本軍が米軍を海に追い落としたかもしれない。
八原大佐が主張したと思われる、
八重山諸島の第28師団、多数の独立混成旅団、独立臼砲第1連隊の残り、野戦重砲1連隊第1大隊、台湾へ行ってしまった中迫撃砲2個大隊が沖縄本島にあれば沖縄は落ちなかったと思います。
@@suzukinitouhei6241
しかし、水際撃滅作戦になればサイパン島のように艦砲射撃で早々に兵力の大半を失ってしまうのでは?
@@ヤマアラシ-r1z
おっしゃられるように、兵力の大半は失うかもしれませんね。
サイパンは、陣地が出来ていない状態で米軍上陸です。
沖縄は硫黄島と同じように陣地構築ができて、艦砲射撃に耐えられます。
作戦の目的が上陸地点で米軍を全滅させるですから。
ただ、八原大佐は第9師団がいても、沖縄陥落は1か月延びるだけと言ってます。
32軍配下の他の諸島にいた第28師団、独立混成45旅団、独立混成59旅団、
独立混成60旅団、独立混成64旅団がいれば兵力は相当残ります。
@@ヤマアラシ-r1z
当初の作戦では米軍上陸第2夜に軍砲兵を総動員して橋頭堡破砕射撃を行う予定でしたから実行されれば上陸米軍は大きな損害を受けたと思われます。
但しその後に軍主力を以て橋頭堡に突撃する作戦計画は米海軍火力で沖縄軍は壊滅的打撃を受けたのではないかと想像しますね、戦艦一隻の火力は陸軍砲兵七個師団に相当するとされていますから・・
どうも初見です!
軍人ってやっぱりかっこいいな
もちろん守るための軍に限るけど
詳しすぎて見たくなるチャンネル
ありがとうございます🐶
八原大佐も無意識に見下してるような雰囲気があったそうで、そこは多少の欠点ですね💦
こんな方が戦後は貧困に苦しみながら生活したのは想像できませんね🐶!
反射面陣地の思想は抽象化すると仕事に行かせそうですね。
米国留学組だけでなく、英国駐在武官だった今村中将も見事である。重要基地であるラバウルが終戦まで無事だったのは占領地統治が優れていた点もある。私の親戚は満州からラバウル航空隊に移転したおかげで命が助かった。
この動画で出てこられたお一人長勇中将は、昔私が勤めてた会社の通勤途中のちょっと小高い木の茂った小さな丘(福岡市・江辻)にひっそりと祀られていたのを、この動画を見て思い出しました(ご遺族がご供養・祭祀管理されているのかな?たまに幟が立ててあることがある)
激烈な戦闘で亡くなられた、勇敢な日米両軍の兵士達や善良な民間人の方々のご冥福をお祈りいたします。
長中将の出身地に胸像などがあるそうなので、福岡県に行った際は行ってみたいなと思っています🐶✨
防御の要則が盛り込まれた戦い
ドイツ軍も精神的に元気であるのが望ましいや、攻勢積極が受け入れられやすく、帝政ロシアでもフランスでも同じです。これは日本軍の特質ではなく、軍隊そのものの気質がそのようです。一般的な参照としてアルノさんの動画をお勧めします。人物評価で結構言われていることなので。
反射面陣地って斜面そのものも要塞かしてるんだ
てっきり斜面の後ろで待ち構えるのかと思った
反斜面陣地戦術なんてまともな感性してたら作り出せる代物ではない、八原大佐は間違いなく狂人だ、と思っていた
考案したのドイツ軍かーい
やっぱドイツの参謀本部ってすげえわ
この反射面陣地どうやって破られたんだろう?
夜間の出血覚悟の奇襲とか、斜面側面からの攻撃だとか?
米軍の西側からの浸透戦術や兵力差ですかね?
通常の戦闘や爆雷特攻で、徐々に力が無くなっていきました🐶
旧帝国軍に欠けていた思考という事だったか…
もし仮に、現代日本國が国連軍から4正面(東北・関東・近畿・九州)同時進攻を受けたとしても
一億一丸となって防御に徹した長期持久戦を展開することで、いずれ反攻勢の勝機を見出すこともできましょうか…?
その頃には日本という国体が維持出来てないよ…
そもそも、今の国連軍が日本に敵対する何て意味不明だね(笑) 国連軍が敵対するならロシアだね。
化石燃料止められた時点でアウト
ぬぅん…反撃も厳しいかぁ
ドイツ降伏したあとの経験値たっぷり資源たっぷり連合軍に勝てるわけもなく
神航空参謀は戦後県民を守るために軍はあったわけでない。とハッキリ言ってましたね
@@ずんだもち-m7r
彼は八原大佐の作戦指導に死去する迄、批判的でしたね。
第9師団が沖縄に残っていたら、筋書きはかなり変わったろうな。第9師団はまさに九死に一生を得た。
八原 博通陸軍大佐に学び私も生き延びていきたい。
沖縄戦初戦(海岸線無条件上陸)で
完全に日本陸軍敗退を象徴しているわ
牛島中将は本間中将以上の能力は無い
のが良く解るわ~
日本海軍も既に本土幹部から逃腰だからマトモな戦略ができませんでした!
ゼロ戦の神風特攻を沖縄上陸している米軍兵士に向ければあれ程の悲惨な戦闘は起きなかった???
日本の陸軍海軍の連携も上手く機能していないからなぁー
アメリカ参謀から評価もらえてるって事は、県民の犠牲は動きが遅かった結果とみる視点があるね。八原さんめちゃ現実主義者なんだな〜
攻勢に出たがる気持ちは分かる
時間が味方してくれるのは工業力、農業力に勝る米軍側だからこそ初戦で粉砕したいだろう
ただそれを許すほど甘い布陣で米軍側も攻めてこないだろうという当たり前の事を考慮出来ないほど追い詰められていたんやろな
第九師団抽出前では八原参謀は、大変面白い戦をして見せますよ‘と自信満々であったとのこと。もし、第九師団が抽出されなかったら?あの八原参謀の指揮のもと、どのような戦が展開されたのやら・・。
こうして見ると沖縄守備第32軍の陣容は、一桁師団の武兵団(第9師団)を持って行かれ、回没してボロボロの独混44旅団と警備用軽装備の第62師団だと、頼みの綱は第24師団だけだね。
各師団の後方部員を戦闘部員に回し、後方部員を現地の沖縄県民から中学生以上40歳程度の男性を集めて補充し膨らませても11万人の兵力か。
現地で膨らませても装備は良くて2.5個師団分。装備の不足は竹槍。キッツいな。天皇の要望とは言え長氏のゴリ押し聞いて牛島将軍は、よくこんなショボい兵力で2回も反攻作戦をやっちゃたな。
ドイツの反斜面陣地を採用した八原大佐も、2回の無謀な反攻作戦で戦力損耗させられた後、指揮権を渡されるより、損耗してない最初から指揮を任せて欲しかっただろう。
八原大佐は今でこそ再評価されつつあるけど、やはり捕虜になってしまったのがね
生き残ってしまった事が軍関係者だけでなく多大な犠牲を払った沖縄県民からも非難される要因かと
じゃあ、死ねば評価されたのかって話だわな。
個人的には軍関係者は頭がおかしいとしか思えない。
(沖縄県民に関しては気持ちは分かる)
沖縄戦戦没者 平和の礎刻銘者数
(令和3年6月時点)
★出身別 ★47都道府県
北海道 → 1万806名
青 森 → 565名
岩 手 → 685名
宮 城 → 637名
秋 田 → 485名
山 形 → 866名
福 島 → 1014名
茨 城 → 755名
栃 木 → 696名
群 馬 → 881名
埼 玉 → 1138名
千 葉 → 1622名
東 京 → 3521名
神奈川 → 1334名
新 潟 → 1235名
富 山 → 876名
石 川 → 1072名
福 井 → 1184名
山 梨 → 551名
長 野 → 1376名
岐 阜 → 1075名
静 岡 → 1715名
愛 知 → 2973名
三 重 → 2728名
滋 賀 → 1691名
京 都 → 2546名
大 阪 → 2339名
兵 庫 → 3202名
奈 良 → 591名
和歌山 → 916名
鳥 取 → 553名
島 根 → 745名
岡 山 → 1838名
広 島 → 1352名
山 口 → 1208名
徳 島 → 1285名
香 川 → 1393名
愛 媛 → 2090名
高 知 → 1008名
福 岡 → 4030名
佐 賀 → 1031名
長 崎 → 1601名
熊 本 → 1975名
大 分 → 1491名
宮 崎 → 1854名
鹿児島 → 2929名
沖 縄 →14万9584名
本土出身計→ 7万7458名
(北海道含む)
米 軍 → 1万4010名
英 軍 → 82名
台 湾 → 34名
北朝鮮 → 82名
韓 国 → 382名
★沖縄戦へ上陸、参戦
🇱🇷米英軍 → 約 54万人
🇯🇵日本軍 → 約 11万5千人
(内、沖縄出身兵 約 2万8千人)
★米英軍以外の外国人の方は
主に沖縄本島近隣離島に🇯🇵従軍
★未回収の御遺骨
推定 2794 柱
★戦後、不発弾事故の死亡者
園児含む、700名以上
★不発弾、未回収
推定 1906トン
★不発弾、処理済み
6000トン
★不発弾、処理
年平均 500件
★沖縄戦時の県知事 島田 氏
在任期間1945年
1月12日 ~ 6月27日頃
兵庫県神戸市須磨区 出身
★沖縄県民の生命保護にご尽力
6月27日頃
糸満市摩文仁付近で消息を絶つ
未だ島田氏の御遺骨は発見されず
沖縄地上戦1945年
3月26日 ~ 6月23日
(組織的戦闘の終了)
★平和の礎は
沖縄本島糸満市に有ります
島田知事のお名前は叡(あきら)といいます。
前知事のことは調べていただくと分かりますが、それに比較し島田知事は地方公共団体の長として県職員、警察官等と共に、摩文仁の丘に移動後も最後まで住民保護、避難誘導に全身全霊を掛けてその職責を全うされました。
海軍の沖縄根拠地隊司令官の太田實海軍少将の海軍次官宛最期の電報はあまりにも有名ですが、民間人出身でこれまでの覚悟と決断で沖縄戦に望まれた方は自治体の長はいらっしゃらなかったでしょう。
島田知事は知事職が不在を知り、誰かが沖縄県知事になり沖縄県民の為に尽くさなくてはと御自身自ら進んで、この時、沖縄県知事に赴任したそうです。
全国の地方自治体の長の方には、ぜひ沖縄戦における島田叡沖縄県知事の事をより知っていただき、その職責に対する覚悟や責任を心に刻んで職務に精励していただきたいと思います。
八原参謀の持久作戦と首里撤退は、民間人の犠牲者を増やす選択だったのかも知れません。
そのうちずんだもんに乗っ取られてゆっくりずんだもんにチャンネル名が変わるのかも( ゚д゚)今も昔も現場の人間を困らせるのは上層部の人達ですねぇ〜
ずんだもんは乗っ取り画策はない…ハズ!!
大阪城編で登場したハチ公といい、チャンネル乗っ取ろうとするやつが多いですね🐶‼
沖縄に行ったら海軍陣地跡は行くべき。首里城本部の壕もぜひ整備して公開して欲しい。我らの先祖が考え抜いて賢く、本当に粘り強く戦ったことがよく分かります。沖縄戦であっさり日本軍が降伏していたら今の日本はありません。
安里52号池?
ハチ公が帰ってきたー!
使用した画像はブログで使用した画像なので、犬版ポチ太郎とハチ公が使われてます🐶
ブログだとハチ君はレギュラーなんです🐶✨
特に優勢な敵の火力や機甲戦闘力に対して我の損害を軽減し、敵の突撃部隊の分離に乗じて奇襲する意図がない場合、それはただの反対側にある陣地です
もちろん嘉数の陣地は反射面陣地ですが、反射面陣地が反射面陣地たる条件は明記しておいてほしいですね
また、嘉数の資料館で確認することができる敵戦車の侵攻経路なども一緒に説明してくれると嬉しいです
「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」
byナポレオン
沖縄戦において、陸軍第62師団の400mから700mにおける毎分投弾量が約11t、
米歩兵師団の同範囲においては約12t…
ちなみに、100m圏内の毎分投弾量は10t:49t…
至近距離の投弾量にこれ程の差があるにも関わらず、反射面陣地により接近戦を挑む姿勢がすごい。
加えて突撃破砕射撃開始距離における投弾量は均衡していることから、持久戦を徹底し師団火力の最大発揮を行えれば、凄まじい打撃を米軍に与えたことでしょう。
岡本喜八はいいよね。
楽しく見させてもらってます!いつか伊江島も詳しく見てみたいです!
コメントありがとうございます🐶
伊江島いいですよね!
公益質屋とか山グシの陣地壕とかニャティヤ洞とかまとめて紹介したいんですが、感染症がもう少し落ち着いてくれないと離島は行きにくいですね🐶💦
どの師団を抽出するかは32軍側の選定に委ねられていたと記憶しているのですが、そうだとしたらなぜ一番強力な部隊である第9師団を出してしまったんでしょうかね。
最精鋭の師団と指定されていたので第9師団と第24師団のニ択になったと記憶しています!
あとは山砲部隊と野砲部隊という違いや火力を考慮した結果、第24師団を残したようです。
@@poti-taro なるほどそういうことでしたか。たしかに沖縄戦で善戦できたポイントは丘陵地を巧みに利用した砲兵火力の運用でしたからそういう意味では正解だったのでしょうね。
しかし最精鋭師団がどれだけの能力を発揮できたのか見てみたかったところもありますね。
史実で戦った部隊ですら米海兵師団の精鋭を破砕してるわけですから単純に考えるとその上ってことですもんね。
動画投稿お疲れ様です!
もし今後今回のように戦跡以外の解説を行う予定があれば、沖縄戦の各部隊の指揮官等を解説してみるのはどうでしょうか。
例えば、今回の嘉数高地関連では独歩第13大隊の原大隊長、前田高地関連では歩兵第32連隊第2大隊の志村常雄大尉など、その地で戦った将兵や隊長の様子が分かることでより内容が濃い動画を制作することが出来るのではないでしょうか?
ありがとうございます🐶
解説系もやっていきたいなって思ってはいたんですが、こんな感じで大丈夫だったんですかね💦
編集時間が桁違いな上に仕事もあるので、頻繁には出来ないかと思いますが頑張ります🐶✨
めっちゃ203高地で有名な旅順要塞のつくりに似てますね
自分の陣地に相手が攻め入ってくるんだから勝手を知ってる日本側が有利なのは当たり前だけど、ここまで徹底できるのは凄すぎる。
なんかパエッタとヤンが浮かんでくる権限移譲
牛島大将、これはわざと失敗する作戦を実行した可能性が。。。
今にも通じるな
銀英伝のヤンウェンリーみたいなものか。
やったぜ。
出しちゃった🐶💦
普通の人には秀才の考えは理解し難いものがあるのでしょうね
普通の人はそもそも他人の考えを理解する気などないんだよね。(日本人に限って)
自覚症状がないから分からないだろうけど。
海軍に山口多聞あらば、陸軍に八原博通あり。
八原博通さん優しそうな顔をしてるけど戦術はドSのマジキチ、こういう人が一番怖い
今動画は十分に戦術面について解説されているが、日本で唱えられていた決戦論についての議論が飛んでしまっているように感じる。
沖縄戦の無意味な攻撃作戦の根本的な原因は、太平洋戦争における決戦の地を依然として定められていなかったことだ。
当初は台湾沖航空戦の結果を受けて、フィリピンで決戦を計画100万の兵力を送り込んだが、実際は制海権など確保できておらず、フィリピンでの戦いは敗北した。
ここで大本営は、「フィリピン」を「決戦の地」ではないとして、移動させた。あとから「決戦ではなかった」と言い訳したのである。
そこで、次の決戦の部隊が沖縄となった。しかし、第九師団を直前に台湾に引き抜いたり、またそもそも戦力投入も非常に少なかったことから、大本営としては、「まだ本気を出していない」という言い訳を手に入れた。
本土以外で決戦を行い、勝敗を決めようと以前は主張していた大本営が「沖縄が決戦の地である」のか「沖縄は本土決戦の前の時間稼ぎであるのか」の二点が決められずにいた。八原は後者であり、沖縄戦は持久戦を遂行することで本土決戦の時間稼ぎを行うとしたが、一方で大本営では、沖縄戦が最後の陸上決戦になるという意見が次第に強くなり、攻撃を強く要請したのであった。
大本営と八原の見立ての齟齬が、無意味な総攻撃を生み出したのである、
空爆や艦砲射撃で跡形もなく吹き飛ばすアメリカにも有効なのね
満州でもこの戦い方してたって聞いた
さて、違う視点から。
攻撃つまり奇襲等を続けることにより優位に立ち続けないと負けるというのがあるから、
浸透も難しく効果があるかはともかく攻撃を主張するのは仕方がない面もある。
つまり、陸上のみでも戦力比率25倍(ランチェスター)と圧倒的に有利な米軍に更に優位をとられ続け、
海を見てみれば陸地の少ない沖縄でいつ包囲されるか分からない状況が何を意味しているのかという事。
八原大佐にとっても絶望的な点はそういう所にあって、さらに戦闘前に実証しようがない点もある。
防戦に反対していた人の中にも、理解していた人はいたんじゃないかな。
WGIPが効いてるせいか理解されないけど彼らも決してバカではないよ。
そもそも大日本帝国は資源の差、外交の差で詰んでるよ。
持久戦だろうが奇襲だろうが米国は戦争でたんまり金を貯め込んでたし、大日本帝国がどれだけ持ちこたえようが他国が米国に仕掛けるわけがない。
失われた海路を取り戻せるわけでもない。
できたのはどう負けるかの選択だけだよ。
@@tnmiok0106
戦術の話であって、戦略の話ではありません。論点がずれてますよ。
飛行場の奪還要請はけして攻撃偏重主義だったからとか米軍を甘く見ていたからじゃないんだよな。
防衛作戦のため九州からの延べ数千機の航空攻撃や海上特攻まで計画されていたから、早々に飛行場を明け渡すと米軍の航空戦力が増強され、海空の作戦が失敗してしまうからだよ。
しかも沖縄を拠点に本土空襲が更に熾烈になる事も問題となった。
陸軍はサイパンの敗戦を研究して「島嶼守備要領」等、持久戦で米軍を迎え撃つ戦略を確立し、ペリリューや硫黄島で大きな効果をあげていた。陸戦に限れば持久戦が最適解なのは大本営も百も承知だったんだよ。
後半のあのBGMのせいで集中できない
栗林中将のこと見てなかったのかな?😅
日本陸軍最強砲兵隊の和田部隊も取り上げてください
第5砲兵団ですね🐶!
@@poti-taro アメリカ側の資料にドイツ軍が撃っているのではないかと言わしめた程の部隊を教えてください
もはや「城」って印象。それも真田丸とか熊本城とかそういうガチなやつ。敵を知り、己を知り、地の利を知ってメタを張る。大本営の邪魔がなければ...。大本営は本当に硫黄島の戦いで学んでおけと...。
対アメリカ戦は
防御に特化した戦略でも
通用するが
対チャイナ戦では
裏切り者に特化した戦略
要するに
スパイ戦に特化した戦略
☺️
裏切り者の県知事
裏切り者の県連
裏切り者の県警
裏切り者の県警本部長
の中で
どうやって
戦うのか ❓️
なんか
戦う前から
勝てる気がしない
😭
八原大佐ワルテルローのウェリントン配置を知っていたのかもな。
確かドイツもノルマンディー後の西部戦線で陣地を組んで防戦をしていたけど、上からの命令で無謀に攻勢を仕掛けて、陣地を守れる程の兵力が無くなった みたいなのをどこかの動画で見た気がする
ファレーズポケット作戦だな
攻勢に出た精鋭機甲師団が包囲されて猛烈な砲爆撃を受け
ほとんど戦わずに壊滅した
上空の航空機にまで地上から死体の匂いが漂ってきたらしい
陸軍作戦要務令は、工業力が高いソ連に対して主導権を握るため、積極的な攻勢を思考しており、赤軍野外教令に対抗するように記述されております
一度は賛同得たのも硫黄島の成功実例が大きいやろな
素人の自分なんかだと奪われるのがわかっている飛行場とか使われそうな土地は地雷で埋め尽くしたら、、とか思ってしまぅ
「反斜面陣地」は
日露戦争の旅順要塞を構築したロシア軍の陣地に
その萌芽をみるとができます。
アントニオ猪木とモハメド=アリの戦いには元ネタかあったことが
この動画で分かりました。
米国相手に4年も戦えたのは研究の成果!
1番の敵は味方ってことだなぁ…
まぁ日本だけがマスクしてることからもよくも悪くも日本て感じだよね
怖かったろうによく向かってってたよ
立派だで終わらせたいもんだね
いいえ、一番の敵は日本の軍部と日本人そのもの
なんでBGMコッペパンやねんwww
ニコニコ動画で育ってきたので、コッペパン好きなんです笑
大佐、大尉を「だいさ」「だいい」と呼ぶのは海軍だけでっせ
対アメリカ戦を
対チャイナ戦に
応用出来るのかな ❓️
違いは
チャイナが
県民を人質にして
その上
県知事が裏切り者
こりゃ
大変だな
。:+((*´艸`))+:。
ずんだもんってもっとサイコなキャラじゃなかったっけ(錯乱)
もっとサイコでいいんですか!?(歓喜
内容はとても素晴らしいと思います!ただ〜毎回思うのですが〜魔理沙とかの機械音声?が早すぎて聞き取り辛い💦他のチャンネルとかの普通の声音朗読が感情も伝わり分かりやすいから余計に聞き取り辛さが際立つ感じですね😓
ペリリュー島、硫黄島の戦訓でしょう。
他の参謀「攻勢に出ないのか!」
わし「大戦後期の日本軍が攻勢に出た時って大抵ろくな事にならんやろ」
長参謀長:八原君。君はこの沖縄において、ただの一度も総攻撃をかける事なく、もし敗れる様な事があったら陛下に対して何とお詫びをする。いや、日本になんと詫びるんだ。
八原高級参謀:誰にも詫びません。その必要はありません。我々は万全を尽くしております。
よく考えてみたら制空権とられたらより高いところから観測支援されるから無駄じゃない⁉️
ずんだモン