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先生は【史実】と言わず【通説】と言う。そのあたりが流石です。
今回も解説頂き有難うございました。毎回思いますが、膨大な資料から該当ページを見つけて引用して頂いていますが、どこに何が書いてあるか現物の資料から探してくること自体が脅威的です。学者先生がどれだけの古書を読みこんでいるのか、全く感銘を受けます。
ドラマでは、本能寺で「家康~?!」、と信長が何度も叫んでいたのが超ユニークで印象深いね。良い悪いとかは別として。小和田さんは本を見ながら詳しく説明してくれて、変にはしょらないから良いね。
本能寺の変は謎が多い分、毎度解釈や表現が変わり面白いです。先生の解説で裏付けが出来て更に趣が深まります。
またか。本能寺の変を謎だというが、他の謀反のことをどの程度知っているのか?それと比較してモノを言うべき
@@錦-c3tさん他の謀反とは何ですか?本能寺の変だけを研究している研究者も大勢おられます。謎が多い程、ロマンが大きい、だから歴史は楽しいと思います。貴方にお聞きします。服部半蔵は忍者だったのですか?
先生の解説、今回も勉強になりました。 ところで、先日のブラタモリでの関ケ原での回も勉強になりました。ありがとうございます。 それと、今回の大河は「諸説あり、多分こうだったかもしれない劇場・大河ドラマ」と勝手に名付けております。
ドラマで茶屋が堺に出向いてそこで、本能寺の変を伝える描写に、私もちょっと違和感を持っていたので、先生の説明で納得しました。伊賀者をあれだけ使っていた家康が、茶屋に教えられるまで変を知らなかったとは思えないので、何だか妙だと思いました。先生も脚本家の意図は分からないが、堺の繁栄ぶりを視聴者に見せたかったのかもしれない?!と言われている姿に、時代考証面でもおかしいと思われているんだろうなあ、と先生のご苦労を推察しました。このチャンネルを見ている私達は、その間の事情を理解しているつもりですので、これからも時代考証に沿った解説をよろしくお願いします。
大河ドラマがファンタジー過ぎるので、先生の解説が不可欠です!ありがとうございます。
演技も下手なので今の大河ドラマは見ていません。20、30年前の大河ドラマばかり見ています。
@@MJ-vw9ud そんな自分がくだらない書き込みをしてることに気づいたら?というか、そんな甘いこと言ってるからどんどん俳優の演技がヘタになってテレビドラマが学芸会を通り越して幼稚園のお遊戯レベルまで落ちてるんだけどww
@@blue_sky1016見てないのに演技下手とは?ただ貶す為だけ?くだらない書き込みですね。笑
@@blue_sky1016 それが正しい態度です。観んといて下さい。
めちゃくちゃ面白い、素晴らしい回でした。これまで様々に演じられて来た本能寺の変に、また新たな1ページが加えられましたね!本能寺で最初に信長の寝所に入って来たのは、半蔵配下の暴走した伊賀者で、光秀の軍勢が攻め入って来た時には既に信長は差されていたと見えたんですが、この解釈で合ってますよね?謀反人が家康だという噂を流す光秀の策もお見事です。家康を謀反人に仕立て上げ、秀吉に家康を討たせれば、光秀の天下は磐石な物となりますね。本能寺に葵紋の旗をたくさん立てる工作をすれば、光秀の策は完璧ですが、作中では桔梗紋しか見えませんでした。光秀には準備する時間がなかったのかもしれませんね。
小和田先生、お元気でいらしてね‥‥これから、もっともっとご指導をお願いします。 2023(R.5) 7.23. (日)
伊賀忍者の伏線からの、伊賀忍者より早い茶屋殿に、大河ならではの「いだてん」アレンジかな~と思いました。堺を見せるための演出もあったんですね。 南蛮人も初登場でしたね。予告で本多正信率いる伊賀忍者に捕まる?ようですし、伊賀超えもひっくり返しそうですね~
飯盛山ということは、三好長慶の城下町だったということですね。やはり交通の要衝で、どこへ逃げるかの相談になった訳ですね。
8/19の先生の公演が予約いっぱいでした。また機会を探して是非拝聴出来たらと思います。
解説ありがとうございます。あんなに近くに光秀いたら、さすがに首取られちゃいますけどねww。まっ今回の大河はこういうもんだと思ってるので、別に構いませんが。来週から伊賀越えですね。
佐藤隆太さんの大納言秀長の演技がおもしろく、秀吉公が本能寺の犯人を徳川家康と誤解して、許さん!といったときは爆笑してしまった。大河本能寺の回で笑えたのは今回が初めてだ。築山殿の有村架純さんとお市の方の北川景子さんは実によい演技でした。演出とはわかっていても家康公家臣団が殿の危機にまったく出てこず、戦い終わってから当然のようにそろって駆け寄ってくる演出も、わかっていてもおもしろかったです。家康公らはぶじににげられるのでしょうか。次週も楽しみです。
堺と家康との関係との伏線ということですかね、ストーリーが進むとわかるのかな。
何時も解説頂き、学習させて頂いてます。ところで信長の死体は本当はどうなっているのでしょうか?何処かで静かに睡って欲しいです。
堺とか千利休は関係ないのでしょうか
本能寺の変直後、柴田勝家は何をしていたのですか?上杉景勝の魚津城を落とした後。本能寺の変を知り京へ向かっていたのですか?教えて下さい。そうなると光秀は二正面作戦ーーーですか。柴田勝家の兵力は?京都までの距離は?秀吉とどちらが近いのですか?光秀は柴田軍に対し、誰を当てていたのですか?筒井順慶や細川藤孝はどこにいたのですか?秀吉軍は1万。姫路まで来たのは秀吉の直率だけですか?2万5千?いた内の宇喜多軍や他は備中に残ったのですね。秀吉について来た中国地方の豪族はどうしたのですか。丹羽長秀や神戸信孝。池田親興、中川清秀らが加わって2万5千。池田親興や中川清秀に対して光秀からの働きかけは? この二人がついた方が勝つ。という感じですか。それとも光秀は池田、中川両軍が味方になると思って天王山へ。秀吉軍を数で圧倒出来ると考えていたのでしょうか?そのような事を書いたモノも。そうなると兵力は。両軍の兵力差は?光秀は柴田勝家と秀吉。どちらを警戒していたのですか。あるいはその情報を得ていた可能性は?柴田勝家はどこにいたのですか?それと上杉景勝が本能寺の変前にーーー変が起こる事を知っていたというような話を?本当ですか?出どころがわからないので。そのような話を聞かれた方はおられませんか?ウロ覚えなので?上杉景勝は当時、柴田勝家、滝川一益、森長可に三方から攻められ。本能寺の変がなけれは、もし本当なら?誰が関与して?気になって。時は今、天の下しむ五月かな。本能寺の変では必ず出てきますし。お題は何ですか?「光秀の天下」とはとても?全体を読むとそこから読み取れる「題は」?
今回の創作ドラマの「時代考証」をよく引き受けられましたね。本ドラマにより先生の歴史学者としての経歴に傷がつかないか心配です。
大河ドラマは第1作目から、創作ドラマです。山岡荘八原作のドラマは創作だらけです。資料提供している市橋先生は、史実に一番近いとおっしゃってます。伊賀越えも、大和を通ったのではと新説が出ています。小和田先生は過去の大河ドラマの時代考証もされてます。心配されなくていいですよ。
茶屋四郎次郎に堺まで行かせた理由が分かりました。あれは、茶屋が京から堺まで走ったという演出だったのですね。「いだてん」からの伏線で、こういう粋な遊び心を何気なく入れてくる古沢さんって、やっぱり素晴らしい。「阿月」に「すねえもん」、今回の「茶屋」と今作の大河は「走る」という裏テーマが隠されていますね。ドラマが走った先にどういう景色が見えるのか、今後が楽しみなアスリート大河です。
勘違いしている人が多いので、コメントします。大河ドラマはドキュメンタリーではありません。史実に拘る人は歴史探偵を見るか、ご自分で史実は何か調べてください。大河ドラマは創作ドラマなので、史実と違って当然です。家康は人質時代に苦労したのが、今迄の通説でしたが、今川義元に大切にされて、教育を受けました。儒学と孫子の兵法を学んでいます。それが気に入らない方もおられる様ですね。時代考証は情報を提供するだけで、脚本家が決めた事には口出しできません。資料提供している、市橋先生は今までの家康ドラマでは史実に一番近いとおっしゃってます。小和田先生の意図は古沢脚本を貶める事ではありません。脚本に文句があるなら、古沢さんに言ってください。脚本は三年前にできてますが。古沢さんはあらゆる資料に目を通してます。嫌なら見なきゃいいだけです。小和田先生は好意で解説されてます。小和田先生を困らせる事はやめていただきたいです、
内情にお詳しいので関係者の方ですか?いち視聴者としては、違和感を持たれる方がいても不思議でないと思いますよ。今回の放映でも、堺でお市の方との会見の場面がありましたが、ここについては全く触れませんでしたね。家康が信長を討つことを翻意する重要なきっかけとなる場面でしたが。
@@ウォーバックスさん関係者ではありません。私は受け取り方どうこうは言っておりません。自由でいいと思います。一次資料、二次資料などを参考にして、家康はどんな気持ちだったのかを肉づけしていくのが脚本家の仕事だと思います。
@@ウォーバックスさんすみません、コメントの編集ができませんので、失礼します。小和田先生が言及してないのは、創作です。創作ではいけませんか。
大河ドラマはあくまでドラマなので、脚本家の着色が多少あっても良いと思います。
歴史専門家の方々が論を張るときは、当然その論拠を示さなくてはならないので、小和田先生も「◯◯大学の◯◯教授によると…」とか、「この資料によると…」などと、書籍の詳細や実物の本を展開していきますが、一人のシロートとしてどうにも腑に落ちないことがあります。それは、本能寺の変における秀吉の動向についてです。自分の認識などが専門家の方々には遠く及ばないものであることは言うまでもありませんが、納得がいかない点について、できましたらご教授いただけたらと切に希望いたします。秀吉が「本能寺の変」を知ったのは、夜間に偶然自陣に迷い込んだ毛利方の伝令によって…とのこと。映画やドラマで見る戦国時代の野戦陣地は、家紋の記された陣幕や無数の松明に囲まれ(明るく)、家紋の入った幟旗も林立している様を想像します。そんなところに、命懸けの(プロの)伝令が誤って迷い込むことなど、本当にあり得るのか? という(笑えるぐらい不自然な)疑問?そして極め付けは、ことの次第を伝え聞いた秀吉が、即決、鵜呑みにして瞬時に泣き崩れたと言う(わざとらしい)説?!当時、群を抜いて諜報・防報に長けていた秀吉や官兵衛が、敵方の伝令の供述をまともに受け取り、裏取りをした痕跡がまったくないことです。ことの真偽を確認するためには、京や大坂に早馬を飛ばしても数日はかかったはず(往復)。にも関わらず、すぐさま毛利方との譲歩を伴う講和、陣払いを挙行し大返しを準備している。…あり得ないと思います。もし自分が、自分にとって大事な人が急死したという一報を受け取ったら、行動を起こす前に、まずは血眼になって情報収集をすると思います。多分、諜報などとは無縁のほとんどの人々でも自分と同じように、自然に確認作業はするのではないかと思います。万一、毛利方の謀略だったとしたら(信長が生きていたら)、ことの次第を知った信長から、子供じみた敵の謀略にまんまとはまった罪を糾弾され、切腹を言い渡されても不思議ではないぐらいの重大な事案だと思うからです。そこは念を押して、周到に確認するのが自然ではないでしょうか? でもしていない。そして、最新の科学的検証(NHKの歴史番組)によって、沼から姫路への1日の移動が不可能であったという厳然たる事実(大雨もあり1日ではなく3日かかったという検証結果。増水した河川の大軍による素早い渡河など絶対にあり得ない)?事前の街道整備の摩訶不思議な理由。信長の一行は少数だったはずなので、大群の移動が要するような道路整備などは必要なかったと思われる。大返しのための入念な下準備としか思えない?途中(姫路)での兵糧準備の不自然さ(あれだけ速かったとされる大返しよりも更に速く伝令が東進し、慌てて米を炊き準備するなど不可能だと思われる)?それから姫路城で、秀吉が兵に金銀をバラ撒いたというが、なぜ当時の姫路城に秀吉の金銀が存在していたのか? 事前に運んでおいたとしか考えられない? そこまで必死に光秀を討ちに急行したのは、共犯者の口封じではなかったのか? 本事変に関する資料(特に光秀の)のほとんどが後に秀吉によって破却された?吉田兼見の2冊の日記の謎? 細川や筒井の手のひら返し? 結局のところこの事変で最終的に徳をしたのは誰か? …等々、疑問点は数え上げたらキリがない。にも関わらず、小和田先生をはじめ多くの敬愛する歴史家の方々は「本能寺の変を秀吉は事前に知っていた説、または首謀者説」を一蹴して誰もが納得するような、その詳細な根拠を語ってくれません。それが本当に不思議でならないのです。
古沢良太脚本は創作創作で良いが、前後の辻褄合わせをちゃんとするように指導して下さい。 服部党や女大鼠一党、そして信長の伊賀の里殲滅戦で命を救って家臣にした忍びの者など500人も本能寺近辺に潜伏させていたのにいざ本能寺の変が起こったら服部半蔵や女大鼠、忍びの者が注進するのではなく、茶屋四郎次郎が三人目のマラソンランナーとして知らせに行くなんて、辻褄が合わないことばかり。 そして、信長を自らが暗殺するなら織田領のど真ん中の京や堺から三河までの逃走手段を検討していないのもおかしいし、船で紀伊半島を回って三河に戻るのが普通であり、500人の忍びの者の活躍も見えない。 創作するのは良いが前後の落とし所、辻褄合わせをしっかりさせないと、食い散らかしといい加減のオンパレードになってしまいますよ!
追加、大河ドラマは第1作目から創作ドラマです。
今晩は 初めてコメント致します。最大のミステリー 本能寺の変 動機 織田信長信忠親子の遺体 弥助の行方 なにゆえ明智光秀が主君織田信長討ったのか いまだに謎です。明智光秀 生年月日 出自 生誕地 幼少期 青年期謎ですね 築城 軍略 内政 外交 教養 本当に能力の高い人物だと思います。本当に謎の多い人物だと思います。明智光秀は
いだてん茶屋四郎次郎なら、誰よりも早く境に走って行けたであろう〜!、ということかと(^^)
枚方辺りで本能寺の変を家康が知るという状態を避けたかったのでは 超ひらパー兄さん 岡田園長(そのながとよむらしい)になってはしゃいでるので忖度したのでは
今年の大河は視聴率は良いが、暴れん坊将軍家康版、フィクション時代劇ドラマ。
小和田先生は時代考証だからドラマがどんなに奇想天外でも関係ないのだぁ~
他所の国のお殿様が、他国に行って、しかも信長直轄地で、協力求めるって、、通報されないのかなあ。協力したら、自分の命も危ないのに。
NHK 各所で余りにひねり過ぎ。小和田さんも内心うんざりじゃないのか。
小和田先生の解説で、納得できますが今回の大河ドラマは、史実と掛け離れてることが多いのでちょっとガッカリ😮💨してます。
齢50代の大河ドラマ好きおっさんです。どうするは昔の大河と比べてちゃんと時代考証が入ってますよ。二次三次資料バリバリに乱用した過去大河よりそのへんは削除されてるから、以外とすっとストーリーが入ってきます。
学者が歴史研究をする際、原文ではなくて、後に読みやすいように活字になったものを読んだだけですか?
家康役の演技と共に史実とぜんぜん違うじゃないか!?と何かと批判が多い、どうする家康ですが、史実から逸脱してないかは、毎回、チーフ・プロデューサーと古沢氏と時代考証担当の専門家の先生とでどの程度重要な人物像として描くのかの大まかな相談をした上で、史実として間違いがないかをチェックしているときいています。
歴史は合意に基づくフィクションである(ナポレオン)でもこの脚本家の先生は、いったい誰と合意したって言うんでしょうか?いくら何でも脚本で遊びすぎですよね?小先生先生、いつキレルか心配になってきます。
この脚本家さんは、現代ドラマを書く方があっているんじゃないかと思うよ。その方が良い物が出来るんじゃあ?今回のこれは、ユニークだよね~。そう思うよ。
本能寺の変という巻であり、僕が最初にコメントしよう。明智光秀嫡流だ。明智光秀の研究を続けて来たけど、僕は本能寺の変は行いそうにないというのが結論です。信長公記に登場する明智光秀と性格はそっくりである。明智光秀の側室の子孫である明智憲三郎さんは、家族を守るためだったという。僕が、明智光秀史料集、麒麟がくる、小和田先生の大河ドラマ時代考証の就任、大阪府・市の開発、JR名古屋高島屋ビル(51階)、JR京都駅ビル(巨大)、尼崎市の開発、高槻市の開発を指図して作らせた。
はい、お疲れ様です。レコード大賞28回取ったんですよね。
小和田さん、そろそろ本音を語ったらどうですか?平山氏のように制作陣に媚を売るのか、歴史家として本音を語るか、どうなんですか!!
@@MJ-vw9udさん座布団100枚
小和田先生は立派な戦国時代の歴史研究者です。失礼過ぎます。
先生は【史実】と言わず
【通説】と言う。そのあたりが流石です。
今回も解説頂き有難うございました。毎回思いますが、膨大な資料から該当ページを見つけて引用して頂いていますが、どこに何が書いてあるか現物の資料から探してくること自体が脅威的です。学者先生がどれだけの古書を読みこんでいるのか、全く感銘を受けます。
ドラマでは、本能寺で「家康~?!」、と信長が何度も叫んでいたのが超ユニークで印象深いね。良い悪いとかは別として。小和田さんは本を見ながら詳しく説明してくれて、変にはしょらないから良いね。
本能寺の変は謎が多い分、毎度解釈や表現が変わり面白いです。先生の解説で裏付けが出来て更に趣が深まります。
またか。
本能寺の変を謎だというが、他の謀反のことをどの程度知っているのか?
それと比較してモノを言うべき
@@錦-c3tさん
他の謀反とは何ですか?本能寺の変だけを研究している研究者も大勢おられます。
謎が多い程、ロマンが大きい、だから歴史は楽しいと思います。
貴方にお聞きします。服部半蔵は忍者だったのですか?
先生の解説、今回も勉強になりました。 ところで、先日のブラタモリでの関ケ原での回も勉強になりました。ありがとうございます。
それと、今回の大河は「諸説あり、多分こうだったかもしれない劇場・大河ドラマ」と勝手に名付けております。
ドラマで茶屋が堺に出向いてそこで、本能寺の変を伝える描写に、私もちょっと違和感を持っていたので、先生の説明で納得しました。伊賀者をあれだけ使っていた家康が、茶屋に教えられるまで変を知らなかったとは思えないので、何だか妙だと思いました。先生も脚本家の意図は分からないが、堺の繁栄ぶりを視聴者に見せたかったのかもしれない?!と言われている姿に、時代考証面でもおかしいと思われているんだろうなあ、と先生のご苦労を推察しました。このチャンネルを見ている私達は、その間の事情を理解しているつもりですので、これからも時代考証に沿った解説をよろしくお願いします。
大河ドラマがファンタジー過ぎるので、先生の解説が不可欠です!
ありがとうございます。
演技も下手なので今の大河ドラマは見ていません。20、30年前の大河ドラマばかり見ています。
@@MJ-vw9ud そんな自分がくだらない書き込みをしてることに気づいたら?というか、そんな甘いこと言ってるからどんどん俳優の演技がヘタになってテレビドラマが学芸会を通り越して幼稚園のお遊戯レベルまで落ちてるんだけどww
@@blue_sky1016見てないのに演技下手とは?ただ貶す為だけ?くだらない書き込みですね。笑
@@blue_sky1016 それが正しい態度です。観んといて下さい。
めちゃくちゃ面白い、素晴らしい回でした。これまで様々に演じられて来た本能寺の変に、また新たな1ページが加えられましたね!
本能寺で最初に信長の寝所に入って来たのは、半蔵配下の暴走した伊賀者で、光秀の軍勢が攻め入って来た時には既に信長は差されていたと見えたんですが、この解釈で合ってますよね?
謀反人が家康だという噂を流す光秀の策もお見事です。家康を謀反人に仕立て上げ、秀吉に家康を討たせれば、光秀の天下は磐石な物となりますね。本能寺に葵紋の旗をたくさん立てる工作をすれば、光秀の策は完璧ですが、作中では桔梗紋しか見えませんでした。光秀には準備する時間がなかったのかもしれませんね。
小和田先生、お元気でいらしてね‥‥これから、もっともっとご指導をお願いします。
2023(R.5) 7.23. (日)
伊賀忍者の伏線からの、伊賀忍者より早い茶屋殿に、大河ならではの「いだてん」アレンジかな~と思いました。
堺を見せるための演出もあったんですね。 南蛮人も初登場でしたね。
予告で本多正信率いる伊賀忍者に捕まる?ようですし、伊賀超えもひっくり返しそうですね~
飯盛山ということは、三好長慶の城下町だったということですね。
やはり交通の要衝で、どこへ逃げるかの相談になった訳ですね。
8/19の先生の公演が予約いっぱいでした。また機会を探して是非拝聴出来たらと思います。
解説ありがとうございます。あんなに近くに光秀いたら、さすがに首取られちゃいますけどねww。
まっ今回の大河はこういうもんだと思ってるので、別に構いませんが。
来週から伊賀越えですね。
佐藤隆太さんの大納言秀長の演技がおもしろく、秀吉公が本能寺の犯人を徳川家康と誤解して、許さん!といったときは爆笑してしまった。大河本能寺の回で笑えたのは今回が初めてだ。築山殿の有村架純さんとお市の方の北川景子さんは実によい演技でした。演出とはわかっていても家康公家臣団が殿の危機にまったく出てこず、戦い終わってから当然のようにそろって駆け寄ってくる演出も、わかっていてもおもしろかったです。家康公らはぶじににげられるのでしょうか。次週も楽しみです。
堺と家康との関係との伏線ということですかね、ストーリーが進むとわかるのかな。
何時も解説頂き、学習させて頂いてます。
ところで信長の死体は本当はどうなっているのでしょうか?何処かで静かに睡って欲しいです。
堺とか千利休は関係ないのでしょうか
本能寺の変直後、柴田勝家は何をしていたのですか?
上杉景勝の魚津城を落とした後。
本能寺の変を知り京へ向かっていたのですか?
教えて下さい。
そうなると光秀は二正面作戦ーーーですか。
柴田勝家の兵力は?
京都までの距離は?
秀吉とどちらが近いのですか?
光秀は柴田軍に対し、誰を当てていたのですか?
筒井順慶や細川藤孝はどこにいたのですか?
秀吉軍は1万。
姫路まで来たのは秀吉の直率だけですか?
2万5千?いた内の宇喜多軍や他は備中に残ったのですね。
秀吉について来た中国地方の豪族はどうしたのですか。
丹羽長秀や神戸信孝。
池田親興、中川清秀らが加わって2万5千。
池田親興や中川清秀に対して光秀からの働きかけは?
この二人がついた方が勝つ。
という感じですか。
それとも光秀は池田、中川両軍が味方になると思って天王山へ。
秀吉軍を数で圧倒出来ると考えていたのでしょうか?
そのような事を書いたモノも。
そうなると兵力は。
両軍の兵力差は?
光秀は柴田勝家と秀吉。
どちらを警戒していたのですか。
あるいはその情報を得ていた可能性は?
柴田勝家はどこにいたのですか?
それと上杉景勝が
本能寺の変前にーーー変が起こる事を知っていたというような話を?
本当ですか?
出どころがわからないので。
そのような話を聞かれた方はおられませんか?
ウロ覚えなので?
上杉景勝は当時、柴田勝家、滝川一益、森長可に三方から攻められ。
本能寺の変がなけれは、
もし本当なら?
誰が関与して?
気になって。
時は今、天の下しむ五月かな。
本能寺の変では必ず出てきますし。
お題は何ですか?
「光秀の天下」とはとても?
全体を読むとそこから読み取れる「題は」?
今回の創作ドラマの「時代考証」をよく引き受けられましたね。本ドラマにより先生の歴史学者としての経歴に傷がつかないか心配です。
大河ドラマは第1作目から、創作ドラマです。山岡荘八原作のドラマは創作だらけです。
資料提供している市橋先生は、史実に一番近いとおっしゃってます。
伊賀越えも、大和を通ったのではと新説が出ています。小和田先生は過去の大河ドラマの時代考証もされてます。心配されなくていいですよ。
茶屋四郎次郎に堺まで行かせた理由が分かりました。あれは、茶屋が京から堺まで走ったという演出だったのですね。「いだてん」からの伏線で、こういう粋な遊び心を何気なく入れてくる古沢さんって、やっぱり素晴らしい。「阿月」に「すねえもん」、今回の「茶屋」と今作の大河は「走る」という裏テーマが隠されていますね。ドラマが走った先にどういう景色が見えるのか、今後が楽しみなアスリート大河です。
勘違いしている人が多いので、コメントします。大河ドラマはドキュメンタリーではありません。史実に拘る人は歴史探偵を見るか、ご自分で史実は何か調べてください。大河ドラマは創作ドラマなので、史実と違って当然です。
家康は人質時代に苦労したのが、今迄の通説でしたが、今川義元に大切にされて、教育を受けました。儒学と孫子の兵法を学んでいます。それが気に入らない方もおられる様ですね。
時代考証は情報を提供するだけで、脚本家が決めた事には口出しできません。
資料提供している、市橋先生は今までの家康ドラマでは史実に一番近いとおっしゃってます。
小和田先生の意図は古沢脚本を貶める事ではありません。脚本に文句があるなら、古沢さんに言ってください。脚本は三年前にできてますが。古沢さんはあらゆる資料に目を通してます。
嫌なら見なきゃいいだけです。小和田先生は好意で解説されてます。小和田先生を困らせる事はやめていただきたいです、
内情にお詳しいので関係者の方ですか?
いち視聴者としては、違和感を持たれる方がいても不思議でないと思いますよ。
今回の放映でも、堺でお市の方との会見の場面がありましたが、ここについては全く触れませんでしたね。
家康が信長を討つことを翻意する重要なきっかけとなる場面でしたが。
@@ウォーバックスさん
関係者ではありません。私は受け取り方どうこうは言っておりません。
自由でいいと思います。
一次資料、二次資料などを参考にして、家康はどんな気持ちだったのかを肉づけしていくのが脚本家の仕事だと思います。
@@ウォーバックスさん
すみません、コメントの編集ができませんので、失礼します。
小和田先生が言及してないのは、創作です。創作ではいけませんか。
大河ドラマはあくまでドラマなので、脚本家の着色が多少あっても良いと思います。
歴史専門家の方々が論を張るときは、当然その論拠を示さなくてはならないので、小和田先生も「◯◯大学の◯◯教授によると…」とか、
「この資料によると…」などと、書籍の詳細や実物の本を展開していきますが、一人のシロートとしてどうにも腑に落ちないことがあります。
それは、本能寺の変における秀吉の動向についてです。
自分の認識などが専門家の方々には遠く及ばないものであることは言うまでもありませんが、納得がいかない点について、
できましたらご教授いただけたらと切に希望いたします。
秀吉が「本能寺の変」を知ったのは、夜間に偶然自陣に迷い込んだ毛利方の伝令によって…とのこと。
映画やドラマで見る戦国時代の野戦陣地は、家紋の記された陣幕や無数の松明に囲まれ(明るく)、家紋の入った幟旗も林立している様を想像します。
そんなところに、命懸けの(プロの)伝令が誤って迷い込むことなど、本当にあり得るのか? という(笑えるぐらい不自然な)疑問?
そして極め付けは、ことの次第を伝え聞いた秀吉が、即決、鵜呑みにして瞬時に泣き崩れたと言う(わざとらしい)説?!
当時、群を抜いて諜報・防報に長けていた秀吉や官兵衛が、敵方の伝令の供述をまともに受け取り、裏取りをした痕跡がまったくないことです。
ことの真偽を確認するためには、京や大坂に早馬を飛ばしても数日はかかったはず(往復)。にも関わらず、すぐさま毛利方との譲歩を伴う講和、
陣払いを挙行し大返しを準備している。…あり得ないと思います。もし自分が、自分にとって大事な人が急死したという一報を受け取ったら、
行動を起こす前に、まずは血眼になって情報収集をすると思います。多分、諜報などとは無縁のほとんどの人々でも自分と同じように、
自然に確認作業はするのではないかと思います。万一、毛利方の謀略だったとしたら(信長が生きていたら)、ことの次第を知った信長から、
子供じみた敵の謀略にまんまとはまった罪を糾弾され、切腹を言い渡されても不思議ではないぐらいの重大な事案だと思うからです。
そこは念を押して、周到に確認するのが自然ではないでしょうか? でもしていない。
そして、最新の科学的検証(NHKの歴史番組)によって、沼から姫路への1日の移動が不可能であったという厳然たる事実
(大雨もあり1日ではなく3日かかったという検証結果。増水した河川の大軍による素早い渡河など絶対にあり得ない)?
事前の街道整備の摩訶不思議な理由。信長の一行は少数だったはずなので、大群の移動が要するような道路整備などは必要なかったと思われる。
大返しのための入念な下準備としか思えない?
途中(姫路)での兵糧準備の不自然さ(あれだけ速かったとされる大返しよりも更に速く伝令が東進し、慌てて米を炊き準備するなど不可能だと思われる)?
それから姫路城で、秀吉が兵に金銀をバラ撒いたというが、なぜ当時の姫路城に秀吉の金銀が存在していたのか? 事前に運んでおいたとしか考えられない?
そこまで必死に光秀を討ちに急行したのは、共犯者の口封じではなかったのか? 本事変に関する資料(特に光秀の)のほとんどが後に秀吉によって破却された?
吉田兼見の2冊の日記の謎? 細川や筒井の手のひら返し? 結局のところこの事変で最終的に徳をしたのは誰か? …等々、疑問点は数え上げたらキリがない。
にも関わらず、小和田先生をはじめ多くの敬愛する歴史家の方々は「本能寺の変を秀吉は事前に知っていた説、または首謀者説」を一蹴して
誰もが納得するような、その詳細な根拠を語ってくれません。それが本当に不思議でならないのです。
古沢良太脚本は創作創作で良いが、前後の辻褄合わせをちゃんとするように指導して下さい。
服部党や女大鼠一党、そして信長の伊賀の里殲滅戦で命を救って家臣にした忍びの者など500人も本能寺近辺に潜伏させていたのにいざ本能寺の変が起こったら服部半蔵や女大鼠、忍びの者が注進するのではなく、茶屋四郎次郎が三人目のマラソンランナーとして知らせに行くなんて、辻褄が合わないことばかり。
そして、信長を自らが暗殺するなら織田領のど真ん中の京や堺から三河までの逃走手段を検討していないのもおかしいし、船で紀伊半島を回って三河に戻るのが普通であり、500人の忍びの者の活躍も見えない。
創作するのは良いが前後の落とし所、辻褄合わせをしっかりさせないと、食い散らかしといい加減のオンパレードになってしまいますよ!
追加、大河ドラマは第1作目から創作ドラマです。
今晩は 初めてコメント致します。最大のミステリー 本能寺の変 動機 織田信長信忠親子の遺体 弥助の行方 なにゆえ明智光秀が主君織田信長討ったのか いまだに謎です。明智光秀 生年月日 出自 生誕地 幼少期 青年期謎ですね 築城 軍略 内政 外交 教養 本当に能力の高い人物だと思います。本当に謎の多い人物だと思います。明智光秀は
いだてん茶屋四郎次郎なら、誰よりも早く境に走って行けたであろう〜!、ということかと(^^)
枚方辺りで本能寺の変を家康が知るという状態を避けたかったのでは 超ひらパー兄さん 岡田園長(そのながとよむらしい)になってはしゃいでるので忖度したのでは
今年の大河は視聴率は良いが、暴れん坊将軍家康版、フィクション時代劇ドラマ。
小和田先生は時代考証だからドラマがどんなに奇想天外でも関係ないのだぁ~
他所の国のお殿様が、他国に行って、しかも信長直轄地で、協力求めるって、、通報されないのかなあ。協力したら、自分の命も危ないのに。
NHK 各所で余りにひねり過ぎ。小和田さんも内心うんざりじゃないのか。
小和田先生の解説で、納得できますが
今回の大河ドラマは、史実と掛け離れてることが多いのでちょっとガッカリ😮💨してます。
齢50代の大河ドラマ好きおっさんです。どうするは昔の大河と比べてちゃんと時代考証が入ってますよ。二次三次資料バリバリに乱用した過去大河よりそのへんは削除されてるから、以外とすっとストーリーが入ってきます。
学者が歴史研究をする際、原文ではなくて、後に読みやすいように活字になったものを読んだだけですか?
家康役の演技と共に史実とぜんぜん違うじゃないか!?と何かと批判が多い、どうする家康ですが、史実から逸脱してないかは、毎回、チーフ・プロデューサーと古沢氏と時代考証担当の専門家の先生とでどの程度重要な人物像として描くのかの大まかな相談をした上で、史実として間違いがないかをチェックしているときいています。
歴史は合意に基づくフィクションである(ナポレオン)
でもこの脚本家の先生は、いったい誰と合意したって言うんでしょうか?
いくら何でも脚本で遊びすぎですよね?
小先生先生、いつキレルか心配になってきます。
この脚本家さんは、現代ドラマを書く方があっているんじゃないかと思うよ。その方が良い物が出来るんじゃあ?今回のこれは、ユニークだよね~。そう思うよ。
本能寺の変という巻であり、僕が最初にコメントしよう。明智光秀嫡流だ。明智光秀の研究を続けて来たけど、僕は本能寺の変は行いそうにないというのが結論です。信長公記に登場する明智光秀と性格はそっくりである。明智光秀の側室の子孫である明智憲三郎さんは、家族を守るためだったという。僕が、明智光秀史料集、麒麟がくる、小和田先生の大河ドラマ時代考証の就任、大阪府・市の開発、JR名古屋高島屋ビル(51階)、JR京都駅ビル(巨大)、尼崎市の開発、高槻市の開発を指図して作らせた。
はい、お疲れ様です。レコード大賞28回取ったんですよね。
小和田さん、そろそろ本音を語ったらどうですか?平山氏のように制作陣に媚を売るのか、歴史家として本音を語るか、どうなんですか!!
@@MJ-vw9udさん
座布団100枚
小和田先生は立派な戦国時代の歴史研究者です。失礼過ぎます。