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41:28 さすが岩倉高校!鉄道唱歌やん!
タイトルの“岩倉”となっていたので、「おい、まさかあの上野の鉄道高校かよ!?」と驚いたのだが……こんなに野球が強かった時代があったとはな。
国鉄電車特急、車掌さんの車内放送が始まります。
@@売れ残り百貫でブ さん。プロ野球に2人、大学野球に4人が進みました。特にキャプテンだった宮間はプリンスホテル、菅澤は熊谷組と大学卒業後も社会人野球でも活躍。
秋の東京と神宮大会を制したことからダークホース的存在ではあったからね。初出場無欲で一戦一戦を勝ち上がり決勝も普段通りの伸び伸び野球。勝って当然、負けられないPLの方がプレッシャーからか動きが固く、とうとう最後まで付け込めなかった印象だね。
あっぱれ岩倉初優勝‼️。山口素晴らしい投球でした🤗。
もう一度優勝してほしい
当時のPLを1安打完封は凄いしかし桑田のカーブはエグイ
小学校の頃バックネット裏で父と見てる試合!懐かしい(涙)
フル映像がupされているとは知りませんでした。当時以来の再見が出来て嬉しい。up主、感謝です (^^)
80年代のPLは関東キラーだからまさかこの年に岩倉、取手二と関東勢に決勝で2連敗するとは驚きだった
すごい貴重な映像ありがとうございます
Kkコンビが在校した3年間は同じ年なので特に夢中になってみてまして、PLは常に優勝候補だったので、その候補だったPLを負かした岩倉高校との試合は甲子園の中で一番印象に残った試合だった。
中村監督甲子園初敗戦。それまで甲子園20連勝だったっていうのが何気に凄い。
岩倉も弱体化してしまい、PLは廃部とは寂しい限りです。岩倉は次は5回戦なので今夏は甲子園で観たいです。
この大会の岩倉は強かったね。倒した相手がPL、明徳を破った大船渡、夏優勝の取手二、夏ベスト4でPLを追い詰めた金足農だからね。
大阪桐蔭が負けるよりKKのPLが甲子園で負ける事は国民的な事件でしたよ
そのわりには、よく負けていた。横浜や立浪pl桐蔭2度の連覇のチームの方が負けなかった
KKのPLに勝った3校は全て優勝している。
@@Ys-xb4oqまぁ3試合中2試合が決勝だしなそれだけ上位に来るPLえぐいな
桑田清原のPLは試合自体が国民的関心事でしたからね強さでは桐蔭も凄いけど一般の国民はあまり興味ない、その意味では比べ物にならないかも唯一無二のチーム
岩倉のユニフォームカッコいい‼️
岩倉は阪神と同じボタンなしかぶりのユニホームですね。たてじまだと明徳も後に採用してます。
この時15歳の片岡が京都のどこかでこの試合を観てたんだよなぁ。
岩倉高校の山口投手は試合終了後、100点満点で200点と評した。そりゃそうだ。あの桑田・清原のPLに勝てるとは誰も考えていなかったのだから。岩倉が準決勝で対戦したのが、のちに佐々木朗希を輩出する大船渡高校。金野という小気味のいい左腕投手が投げていた。岩倉はここをサヨナラ本塁打で勝ち上がった。それに対してPLの準決勝は都城の田口を打てず、右翼手の落球で辛うじて勝ち上がった。試合前から勢いは岩倉にあったのだろう。特に9回先頭打者の中飛球をショートが好捕したところは神がかり的だった。この出塁を許していれば清原、桑田と回るのでどのようなドラマになっていたかわからない。
岩倉ナイン、9回2アウトになっても浮わついたところが全くない。ベンチの選手も身を乗り出したり立ち上がったりしていない。最後の最後まで平常心だったのだろう。
岩倉は夏は二松学舎に負けた気がするんですが、それもまあ高校野球ですかね。明治神宮と選抜に優勝よりもPL学園と取手二に勝ってるのが凄い。
二松学舎の主戦は初芝だったね。
ビデオがあるのすごい
素晴らしい投手戦でした。桑田清原2年時のこの年のPLは、翌年にも劣らない強いチームだったと思いますが、春夏とも甲子園ではトーナメント終盤の貧打に泣きましたね。
桑田が指を怪我してたからね打撃が全然だったのが痛い
福島さんの解説聞けて当時に戻りました久しぶりに聞けてよかったです。さすが決勝戦ですね。清原の送りバントも貴重映像です
岩倉高校は校歌も鉄道が歌詞に入っているんですね。タモリ倶楽部で近年の状況を見ましたが、野球部がまた活躍してくれたら嬉しいですね。
山岳貫き大江渡り、ひろまる文化を象る鉄路。
@@やまさききまぐれ ”千里の遠きを親しく繋ぎ”がないっすよ!w
20:00~ 清水哲さんが打席に立たれている。選手時代のお姿はあまり拝見したことが無かったので貴重な動画を有難うございます。
この頃は、まさかあの悲劇がもうすぐそこまで迫ってきてるなんて知る由もなかっただろう。将来の夢も大きかっただろうに。
清水哲さんの最高のシ-ンは取手二高との決勝戦、9回裏の同点本塁打じゃないかな。延長ではマウンドにも上がり、敗れはしたものの順風満帆な野球人生だったはずが。。。
やはり、この当時のPLを倒すのは、こういうロースコアしかなかったんですね。桑田投手の完成度の高さがよくわかりますね。
岩倉は今でも同じデザインのユニフォームを採用しているが、時代によるものか当時のようなVネックではなく普通の前ボタンになっている。
PLがヒット一本、、、岩倉のピッチャー凄すぎる、、、
1980年代 春のセンバツは関東勢が80年の帝京から8年連続で決勝進出してるんだが優勝できたのは84年の岩倉だけなんだよな
その中ではこの岩倉と82年の二松学舍大付がかなり不利と予想されていた印象だね。伊東の帝京や印旛はホントに惜しいサヨナラ負けだった。法政二や大宮工、日大桜丘、横浜、岩倉のように初陣でいきなり優勝するチームがあれば帝京や東海大相模のように3度目の決勝進出でようやく紫紺の大旗を手にするチームもある。。各校歩みも様々で高校野球の面白いところだろうね。
当時小1でPL学園の大ファンでした。現地で観戦してました。試合前の打撃練習でPLが全然打ててなかったのをはっきり覚えています。表彰式の拍手はPL学園が2倍くらいありました。当時はとても悔しかったですが、完全アウェイで勝ち切った岩倉高校がすごかったのが今にして分かります。
自分は小3、ライトスタンドの上のほうやった。あの頃のPLは最高のスター。自分の高校の校歌は覚えてないけど、PLのは歌える。それにしても中村監督が30代やったとは。
しかしこの時の岩倉は、本当に強かったですね。取手ニ(確か秋の関東大会優勝)にも勝つし、明治神宮大会も優勝するし、相手がPLでも一歩も引かない。この時の岩倉はセンスのあるいい選手が揃いましたね!
あややや
@@岡山元生 何かの暗号?
ただ夏の甲子園には出れなかったんだよな
当時はまだ明治神宮枠(優勝した地域のセンバツ出場枠が1枠追加される)がなかったからあまり強調されなかったかもしれませんが、明治神宮大会で優勝したチームだったらやる方としたらノーマークってわけにはいかなかったでしょうね。修徳や早稲田実業より上に行っているし。
岩倉は優勝候補の一角ではあったがまさか優勝するとは思いませんでしたね。大会前の前評判ではPLがガチガチの大本命で対抗馬が(東の横綱と言われていた)取手二。その他の有力校が明徳、岩倉、都城、愛工大名電。ベスト8の顔ぶれを見てみると拓大紅陵以外の7校はすべて地区大会優勝校でしたからほぼ順当だったかなという感想です。でも大船渡のベスト4と岩倉の優勝はちょっと意外。
この年の夏か金農がPLに負けたのは2018年のようなことがこの年にあったんだね
当時小3、懐かしい~この頃は試合前に君が代斉唱していたんですね!
BK Nw 今もだよ
おーこんな貴重なシーン見れるんか😊岩倉母校なのでこれ甲子園球場で観てたわ
岩倉のピッチャーはスピードはないが、コントロールとコンビネーションが良かった。ピッチャーはスピードじゃないって手本です。
ストレートで130キロ出てたのでこの当時なら決してスピードがないわけではないですよ。桑田ですら135~138キロですからね。
これは永久保存版!
親父と一緒にライトスタンドにいる自分を探した。PL大好きで唯一甲子園に連れて行ってもらった試合が負け試合だった。
桑田の雰囲気すでにプロだなあ甲子園でKKは3敗。岩倉の山口、取手ニの石田、伊野商の渡辺、相手のエースは全員プロ入りした選手だね。横浜商三浦、池田水野、高知商津野・中山といった有名投手を倒したのはサスガだけど。
KKが負けたチームは力はあったんだろうけど初陣2校に甲子園はその春ベスト8が最高という茨城の県立校。ホント池田や横浜商、選抜4強の東海大一、高知商、天理、津久見、宇部商らを颯爽と倒した強さがオーバーラップしてくるだけに一発勝負の高校野球は改めてやってみないと分からないなと今更ながら思いますね。
山口ナイスピッチング。
34:57旗手選手の息子さんは、サッカーで素晴らしい代表候補。オリンピックに選ばれるといいですね。
ruclips.net/video/T_BCKMmgl7o/видео.html旗手怜央選手ですね スコットランドで初ゴール決めました!
甲子園決勝としては屈指の番狂わせだと思う。むろん、岩倉の戦いは見事でしたが。結果としてプロのエースと4番になった人に勝つとは。
KKコンビがいて最強時代といわれた時のPL学園ですが、この84年と次の85年は負けて結局春は桑田清原優勝できなかったんですね、わからんもんです。で、優勝したのがどちらも伏兵的な岩倉と伊野商業、得てしてこういうことになるんですね。
この岩倉戦は分かりませんが、翌年センバツの伊野商戦はまだ準決勝なのにキャプテンは前日夜のミーティングではおどけて優勝旗を受け取る練習をしたり、メガネをかけた渡辺投手を、雨降れば曇って見えなくなるんじゃないかと清原が言ってたり、など完全に舐めきってた様ですね。2004年夏の甲子園では試合の無いある日のあるグランドでの練習において、駒大苫小牧の割り当て時間がまだ10分(この時間はグランド整備に充てるもの)有るのに、後に控える横浜高小倉部長はもう出ていってくれと言わんばかりの態度を取り、それが駒大苫小牧のキャプテン以下全選手を「北海道を舐めんなよ」とばかり憤慨させ、準々決勝では横浜高は見事撃ち破られました。1983年夏の準決勝では池田は最大の難敵と捉えた中京を準々決勝で倒した事で、PLはスルーして決勝に目を向ける感じで準決勝に挑んだみたいですね。強弱に関わりなく戦わずして相手に点を付けるな、謙虚な態度を忘れるな、と言うのが甲子園の戦い方の一つと言う気がします。
@@山田市之助-q8l ホントそうですね。実力差やネームバリューの差はあっても甲子園出場チームは実力とそれプラスαの力を持ち合わせ勝ち進んでいるわけですから、ナメた言動は却って相手の闘志に火をつけることにも成りかねません。89年日本シリーズにおいての近鉄加藤投手などもそうでしたね。ちなみに伊野商ナインは大会前の抽選会で初戦相手に決まった東海大浦安ナインから、“どこの学校?高知から来たの?よろしくね〜”と完全にナメられ渡辺投手は無茶苦茶腹が立ったと振り返っています。PLでは99年春の覚前主将がベスト4進出時にちょっと油断したようなインタビューがありましたが、。。結果はご存知の通りです。
この時の岩倉は強かったですよ。この選大会では最強じゃないですかね。
岩倉応援してたわ。
この時のPLって都城の試合も相手のエラーによる1点で勝利したし、打線があまり調子良くなかったのかね。
そうです。いつも1回戦はすごいです。そこにピークをおいてたのかな。.?大阪桐蔭と逆です。 桐蔭は前半で負けることが多い。plはkkの時はだんだん落ちていく印象で、実際大会後半でよく負けていた.桐蔭はまだ決勝で負けたことがない.plは準優勝も多い
大会中にコンディションも変わりますね。桑田投手が京都西戦の打撃で指を負傷。都城戦のようにフライアウトが顕著に。くじ運で早い段階で当たっていたら、結果は違ったかもしれない。ト-ナメント戦は、そういった運を味方につけるのも勝ち上がる秘訣。
決勝前に国歌斉唱あるとは
この時期日比谷線沿線上野乗り換えで通学していたが、なぜ偶発的に甲子園大会以前に都大会でも先にも後にも実績の無い上野の鉄道学校の岩倉に選手が集まり、甲子園で快進撃横綱PLにまで勝って優勝したのかは稀に見る珍事で、理解を超える。当時都内はそこそこ勉強ができるかシニアでコネクションのあるやつは早実の商業科、勉強、野球実績普通のやつは帝京か日大系、創価、佼成の宗教系。あんまり得意で無いやつは二松、修徳、堀越、東亜、日体荏原、城西って棲み分けできてたからよく単発で選手集められたか不思議でならない。あと、この画像には同志社で負傷する以前のP Lの清水哲が写っている。貴重だ。
小5の頃に視てましたが、自分はPLが横綱野球で優勝すると思っていたので仰天しましたね。
これだけ活躍した山口投手もタイガースでは内野の守備固めとか、代走のイメージしか無いなあ
この試合PLが負けたのには前日準決勝の宮崎県代表の都城高校の(予想外の)善戦も影響があったと思います。 この都城戦で中村監督は桑田を決勝に備えて温存させるために田口投手を先発させました。しかし都城高校は初回から連打。速球投手の田口投手にタイミングがピッタリで、先取点を取られかねない勢いでした。結局中村監督は浅い回で田口投手を諦め桑田投手に交代させています。この試合も0-0の拮抗した戦いになり最後は相手外野手の落球でかろうじて勝利しましたが桑田投手は結局休むことは出来ずこの決勝戦では3連投になりました。 最後に打たれたカーブは完全に高く握力が無かったことは間違いありません。もし前日の都城高校戦に桑田投手の登板が無くもっと楽に勝っていたら、桑田投手の実力なら決勝戦で点を許してはいなかっただろうと思います。
桑田は問題なかった。誰がみてもpl打線の問題。よくこの頃のplは徐々に打線が湿ってくることがよくあった。この年の、夏もそうだった。
めちゃくちゃ懐かしい
この大会の桑田のカーブは凄かった。これで故障中だってんだから恐ろしい。その桑田から14個も三振しながら1点もぎ取った岩倉も、PLを1安打に抑えた山口投手も凄い。岩倉調の狙い撃ちは他校では聞かれないアレンジこれ結構好き
毎回の全員奪三振はセンバツ決勝史上初だったとか。それほど完璧な投球をしながら勝てないのも(高校)野球の難しさと奥深さなのかも知れませんね。敗れたものの期待に違わぬ内容だったゆえ桑田投手の評価はさらにグーンとアップしたのではないでしょうか。。⚾⛩️☆
みんなPLは85年のチームが強かったと言いますが自分に言わせればこの84年のチームのほうが強かったような気がします❗
破壊力は85年の方が少し上かも知れませんが、超完璧なバランスという点ではこの84年が上回っていたように思いますね。私も後者のチームに思い入れが強く魅力も感じたものです。
今年甲子園行ってほしいぞ岩倉!
ワインドアップの時にタマ握ってるの凄い球種バレないようにするためなのかな
当時D51打線と呼ばれていた。今では常連の応援曲「どうにも とまらない」はこの時の岩倉高校が最初ではないかな?
この前年に自分は野球で岩倉に入りそうになっていたんだけど行かずに都内の他の学校に入学した。行ってたら優勝のスタンドにいれた。運命ってその時の流れに逆らうとこんなものですな。導きってあるもんだね。
岩倉の栄光の歴史
投手戦も面白いね。
桑田投手は甲子園20勝。永遠に破られることのない大記録でPL学園も当時、勝って当たり前だと言われた強豪だった。だからこそ負けた時には逆に世間は盛り上がって桑田投手は傷ついただろうなぁ。プロ100勝以上できたのも甲子園で鍛えられた精神力の賜物でしょうねぇ。。
これからも野球のレベルが上がり160キロやすごい変化球を投げる投手が甲子園に現れると思うけど甲子園20勝投手は二度と現れないだろう
9:52 昔は試合前にバッティング練習あってたんやなww
危険防止のため、10年ほど前にその慣習はなくなったそうです。
しましま そうなんですね!!
決勝戦前は今でもやってるはずです。
9:54今日は決勝戦の場合両ティーム共
スーツの母校
草 四日前にも組
次呂 このときのPLの相手がスーツさんの母校の岩倉高校とは思いませんでした
しかも、優勝w
この年からスコアボードが電光になりましたね
応援歌に『狙いうち』を使った元祖が岩倉高校だと思ってました。まぁ、甲子園出場校以外にもっと早く使っていた所がおそらくはあったでしょうけど………。
狙い撃ちは明治大学が元祖です。
↓,東大病院に受診しに行って,病院で,試合が終わって,岩倉高校がなんと!,あの当時,桑田真澄・清原和博のKKコンビを擁する強豪・PL学園を破って初優勝しましたって,病院のテレビから流れるアナウンサーの声で,そういう声が聞こえてきたので,びっくりしました。たまには?,PLもら調子が悪くて?,負ける事もあるんですね。で?,今もyoutubeで見てますが,岩倉の山口投手の方が,球種がフォーシー厶とカーブが主体のPLの桑田投手よりも,フォーシー厶の他に,今もアナウンサーが言ってたように,変化球がカーブの他にパー厶ボールっていう打者にとって,今までのカーブのような見た事がある変化球と違って高校生じゃ全く見たこともなく,且つ今もアナウンサーが言ってるように,試合前の甲子園での打撃練習では,PLよりも岩倉高校の方が選手たち皆が非常に当たって,バットがよく振れて当たって打球が皆よく飛んでいるっていう岩倉の方が,やはり?,今回は,総合力の点でPLよりも,数段レベルが上のように見えますから,今回はPLが負けても,至極当然のように見えます。PLファンやPL優勝を期待してた人たちには,失礼ですが?。
島村御大の声が若いなぁ
ネームバリューだけでPLの勝ちと決め付けていた人が多かったと思うが、岩倉は戦力充実で大会前から上位進出が予想されていた。相手が桑田清原でなければ、優勝して不思議ではないチームだった。少なくとも、翌年の伊野商ほどの番狂わせではない。
伊野商の方が強かった
岩倉旋風あったな~
今の大阪桐蔭が桑田と対戦したら、打ち崩せたか非常に気になります。
時代が違うチームを比較するときはそれぞれの環境に、合わせた上でを想定しなきゃ
ただ単純に球が速い、球種が豊富かどうかではないと思います。コントロール、間の取り方等もあると思います。
PLは岩倉高校:山口、取手二高:石田と両方シュートを持っている投手のチームに負けている。そして当日の雨。そしてみんな勘違いしているが岩倉は前年秋の明治神宮大会(全国大会)で優勝してる。要は岩倉は秋の全国チャンピオン。そのときPLはどうだったのだろうか?ある意味当たり前の結果だったのかも知れない。そして当時は今ではスライダーと言われているボールがカーブと呼ばれているのがおもしろい。
>みんな勘違いしているが岩倉は前年秋の明治神宮大会(全国大会)で優勝してる。あなたも勘違いしているようだが、当時の神宮大会は今と違って地区大会の覇者が集まって戦う大会ではない。だから神宮優勝=全国優勝=秋の全国チャンピオンと考えるのはかなりピントが外れた無知な主張でしかない。
>要は岩倉は秋の全国チャンピオンじゃあその明治神宮大会がどんな大会だったのか教えてあげましょう。★参加チーム わずか8校北海道 函館有斗 北海道大会優勝東北 出場無し関東 土浦日大 茨城大会ベスト4で敗退東京 岩倉 東京大会優勝北信越 星稜 北信越大会優勝東海 春日丘 愛知大会ベスト4で敗退近畿 京都商 京都大会ベスト4で敗退中国 鳥取商 鳥取大会ベスト4で敗退四国 出場無し九州 大牟田 南福岡大会決勝敗退これが参加した8チームの実績。地区優勝したのは函館有斗と星稜、岩倉の3つだけ。他の5校は県大会で敗退して地区大会には出場すらできていない弱小チームばかり。しかも岩倉はこの低レベル大会を大苦戦しながら辛くも優勝したに過ぎない1回戦 岩倉2-1大牟田準決勝 岩倉5-4土浦日大(延長11回逆転サヨナラ)決勝 岩倉5-0京都商これが秋の明治神宮大会の概要。この大会に苦戦の末優勝して秋のチャンピオンだという主張はあまりにも無知すぎる。ちなみにPL学園は大阪大会優勝、近畿大会も優勝して公式戦全勝。万全の実績で秋の大会を終えている。もし明治神宮大会に出ていれば確実に優勝したでしょうね。
@@ドタマジン太 さん、懐かしい大会の記憶ですね。確かにあの頃の神宮大会は北信越(若狭、福井商、星稜)や東北高校などが優勝を飾っても一冬越したセンバツではベスト8が精々でしたからね。東京の岩倉も今ほどそれに対してはクローズアップされてなかった印象です。やはりどこを倒して優勝してきたのかは実力を推し量る上では重要なポイントでしょうからね。しかし地区王者のみが集う現在の神宮大会、正直選手たちも大切なのは確定しているセンバツの方。本気を出して勝ちにいきケガ故障でもすれば甲子園メンバーから外れてしまいかねない、。。なんて考えるのではないでしょうか。神宮制覇しても地区のセンバツ枠が一つ増えるだけで優勝校にとってさほどメリットが感じられない気もするんですよね。
結局この試合のPL学園のヒットは1回表2死から出た1本だけなのか。
その通り。あわやノーヒットノーランで負けるところだった。
まじ?そんなんだったん?
岩倉エース山口重幸さん当時を振り返る・ruclips.net/video/9DSdTzEtH48/видео.htmlsi=ELxogSNoDrh0tSgu
今は亡き母と初めて甲子園行ったなあ!懐かしい。
放送オープニング最初のアルプススタンドにいる男性が、トータルテンボス藤田かと思った。
この大会MVPは菅沢で決まり!
これ見に行ってた
高校時代の清原を見てるとトムリドルを思い出す
この試合では清原のバントが見られます
いいねぇ雑草軍団岩倉高校。岩倉具視が創立者だから500円札を御守りにポケットに忍ばせていたとか言ってたけど、山口投手が「ご利益あるんですかねぇ?」て言ってた記憶がある
ta i 岩倉具視は創立者ではありません 岩倉高校が数少ない鉄道専門の科(運輸科)があるため明治の鉄道創設に大きく貢献した岩倉具視の名を取ったのです 岩倉高校が創立したときには既に岩倉具視は亡くなっています
岩倉高校優勝後の応援団による東京音頭合唱❗当時の清原和博は何処に投球しても打つ選手と思い込んでいました。この年は秋田県立金足農業高校が春夏と甲子園大会に初出場を果たしました。春の大会では岩倉高校と。夏の大会ではPL学園とそれぞれ対戦して涙を呑みましたが…。
7番バッター(岩田)が後にプロ入りするんやもんなぁ
ホームラン打つと金になるんか!
イルケンチャンヌ 風評被害にも程があって草
岩倉在住岩間好一辞めろ
草
風評被害やめてくれぇ!?
やめてくれぇ?
選抜大会で優勝した岩倉を、夏の予選大会で撃破した我が級友たち決勝で負けて甲子園には一歩届かなかったが、熱く燃えた38年前の夏の思い出
初芝さんがいた頃の二松学舎さんですね。
自分、岩倉高校で鉄道の高校なんて有るのか!って知りました😅岩倉ってもしかしてドカベンのブルートレイン学園のルーツですか?つか、BT学園ってPLと岩倉を合体させた学校?
この試合レフトスタンドで観戦していました。最後の最後までPL学園が負けるとは思っても見なかったです。試合が終了してスコアボードを見て初めて、PL1安打しか打っていなかったんだ、と気づきました。当時はPLが負けることはありえないことでしたからね。
PL学園からは、沢山のプロ野球選手が輩出されたが、岩倉高校からは、後にRUclipsrスーツさんが輩出されるとはこの時誰も知らない😅
NICE。今の時代の若者PL学園は殆ど無名。
この試合は観に行かれへんかったが2回戦のPLー京都西戦の清原の2発のホームランを生で見れたのはよかった。
魔術師三原監督も完全にお手上げだった怪物ぶり。。長い指導歴で高校野球だけはやってみないと分からないことを何度も味わったが、戦う前からまぁ負けるだろうなと思って負けたのはこのPL戦だけだった。。と報知高校野球の私と高校野球に書かれていたね。
33:13 カーブで外した!江夏かよそれにしても桑田は新2年生とは思えない風格だな
そのPL学園の野球部も?,まさか?,廃部になるとは!,思ってもみませんでした。いくら練習が厳しすぎたために,年々,新入生の中で野球部に入部する新入生が徐々に減ってきたとはいえ。卒業生には,中日ドラゴンズOB の立浪和義さんなどの数多くのプロ野球選手を輩出してきた学校なのに○やはり?,時代の流れですかね?。
KKコンビは甲子園で3敗しかしなかった取手二高、伊野商は強かったが、まさか岩倉に負けるとは思わなかった
クッソメシウマやったんやろなぁ
桑田は甲子園5回出て3回しか負けてないのだけど、そのうちの1回がこの試合。もっといいコンディションの日にやっていればPLが夏春連覇してたんじゃないかと当時思いました。しかし今見ると、岩倉の山口もプロにいきましたもんね。取手二の石田も伊野商の渡辺もKKを負かしたやつはプロに行ってる。
桑田・清原のいたPL て、優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回とすごい成績だったけども、「PLは優勝するもの」と思って見ていたから、むしろ、PLに勝った岩倉と伊野商と取手二高と、え~とどこだっけ…が、平幕が横綱に勝った…て感じがした。なにしろ、「阪神はPLに勝てるだろうか」なんて言われたくらいだから。
強いチームが勝つわけじゃなくて勝ったチームが強いと言うこと
当時、新2年生でTb吹いてました。前年の明治神宮野球大会でも優勝していたし、王者PLでも互角にやれると思っていました。部員の皆は、望月さんの人柄に惚れて入部した選手達でしたので、当然の結果だったんじゃないかな‼️
岩倉具視は500円札で知ったで
今や岩倉は超有名RUclipsrまで輩出してしまった。
スーツ君?
正解。「スーツ」こと藤田裕人くんです。
採れない仕事があるものか構えたカメラが受け止めるあぁ青春のストライク頭のイカれたあいつだぜ気は短くて力もち不気味な笑顔が今日も行く※頑張れ頑張れ好一頑張れ頑張れ好一岩間好一※(繰り返し)
1:58:39
球審永野1塁田中2塁広沢3塁清沢の4人です。
KKはすでにプロの風格
東京VS大阪
大阪人ですが80年頃まで高校スポーツにおいてホント東京勢は越えられない壁でした。野球はPLが桜美林に、北陽が帝京と早実に、ラグビーでは大工大高が目黒や久我山に、サッカーでは北陽が帝京に度々敗れ、“何でいつも東京に負けんねん〜!!”とテレビの前で地団駄を踏んでいた小中学生時代が懐かしく思い出されます。
55:55 パイレーツファンの女性 のちに桑田真澄投手がピッツバーグ パイレーツに入団する。
岩倉高校OBの鉄道系RUclipsr・スーツ氏が生まれる前に行われた試合だな
41:28 さすが岩倉高校!鉄道唱歌やん!
タイトルの“岩倉”となっていたので、「おい、まさかあの上野の鉄道高校かよ!?」と驚いたのだが……こんなに野球が強かった時代があったとはな。
国鉄電車特急、車掌さんの車内放送が始まります。
@@売れ残り百貫でブ さん。
プロ野球に2人、
大学野球に4人が進みました。
特にキャプテンだった宮間はプリンスホテル、菅澤は熊谷組と大学卒業後も社会人野球でも活躍。
秋の東京と神宮大会を制したことからダークホース的存在ではあったからね。初出場無欲で一戦一戦を勝ち上がり決勝も普段通りの伸び伸び野球。勝って当然、負けられないPLの方がプレッシャーからか動きが固く、とうとう最後まで付け込めなかった印象だね。
あっぱれ岩倉初優勝‼️。山口素晴らしい投球でした🤗。
もう一度優勝してほしい
当時のPLを1安打完封は凄い
しかし桑田のカーブはエグイ
小学校の頃バックネット裏で父と見てる試合!懐かしい(涙)
フル映像がupされているとは知りませんでした。
当時以来の再見が出来て嬉しい。up主、感謝です (^^)
80年代のPLは関東キラーだからまさかこの年に岩倉、取手二と関東勢に決勝で2連敗するとは驚きだった
すごい貴重な映像
ありがとうございます
Kkコンビが在校した3年間は同じ年なので特に夢中になってみてまして、PLは常に優勝候補だったので、その候補だったPLを負かした岩倉高校との試合は甲子園の中で一番印象に残った試合だった。
中村監督甲子園初敗戦。
それまで甲子園20連勝だったっていうのが何気に凄い。
岩倉も弱体化してしまい、PLは廃部とは寂しい限りです。岩倉は次は5回戦なので今夏は甲子園で観たいです。
この大会の岩倉は強かったね。倒した相手がPL、明徳を破った大船渡、夏優勝の取手二、夏ベスト4でPLを追い詰めた金足農だからね。
大阪桐蔭が負けるよりKKのPLが甲子園で負ける事は国民的な事件でしたよ
そのわりには、よく負けていた。横浜や立浪pl桐蔭2度の連覇のチームの方が負けなかった
KKのPLに勝った3校は全て優勝している。
@@Ys-xb4oqまぁ3試合中2試合が決勝だしな
それだけ上位に来るPLえぐいな
桑田清原のPLは試合自体が国民的関心事でしたからね
強さでは桐蔭も凄いけど一般の国民はあまり興味ない、その意味では比べ物にならないかも
唯一無二のチーム
岩倉のユニフォームカッコいい‼️
岩倉は阪神と同じボタンなしかぶりのユニホームですね。
たてじまだと明徳も後に採用してます。
この時15歳の片岡が京都のどこかでこの試合を観てたんだよなぁ。
岩倉高校の山口投手は試合終了後、100点満点で200点と評した。そりゃそうだ。あの桑田・清原のPLに勝てるとは誰も考えていなかったのだから。
岩倉が準決勝で対戦したのが、のちに佐々木朗希を輩出する大船渡高校。金野という小気味のいい左腕投手が投げていた。岩倉はここをサヨナラ本塁打で勝ち上がった。それに対してPLの準決勝は都城の田口を打てず、右翼手の落球で辛うじて勝ち上がった。
試合前から勢いは岩倉にあったのだろう。特に9回先頭打者の中飛球をショートが好捕したところは神がかり的だった。この出塁を許していれば清原、桑田と回るのでどのようなドラマになっていたかわからない。
岩倉ナイン、9回2アウトになっても浮わついたところが全くない。
ベンチの選手も身を乗り出したり立ち上がったりしていない。
最後の最後まで平常心だったのだろう。
岩倉は夏は二松学舎に負けた気がするんですが、それもまあ高校野球ですかね。明治神宮と選抜に優勝よりもPL学園と取手二に勝ってるのが凄い。
二松学舎の主戦は初芝だったね。
ビデオがあるのすごい
素晴らしい投手戦でした。
桑田清原2年時のこの年のPLは、翌年にも劣らない強いチームだったと思いますが、春夏とも甲子園ではトーナメント終盤の貧打に泣きましたね。
桑田が指を怪我してたからね
打撃が全然だったのが痛い
福島さんの解説聞けて当時に戻りました
久しぶりに聞けてよかったです。
さすが決勝戦ですね。
清原の送りバントも貴重映像です
岩倉高校は校歌も鉄道が歌詞に入っているんですね。タモリ倶楽部で近年の状況を見ましたが、野球部がまた活躍してくれたら嬉しいですね。
山岳貫き大江渡り、
ひろまる文化を象る鉄路。
@@やまさききまぐれ ”千里の遠きを親しく繋ぎ”がないっすよ!w
20:00~ 清水哲さんが打席に立たれている。
選手時代のお姿はあまり拝見したことが無かったので貴重な動画を有難うございます。
この頃は、まさかあの悲劇がもうすぐそこまで迫ってきてるなんて知る由もなかっただろう。将来の夢も大きかっただろうに。
清水哲さんの最高のシ-ンは取手二高との決勝戦、9回裏の同点本塁打じゃないかな。延長ではマウンドにも上がり、敗れはしたものの順風満帆な野球人生だったはずが。。。
やはり、この当時のPLを倒すのは、こういうロースコアしかなかったんですね。
桑田投手の完成度の高さがよくわかりますね。
岩倉は今でも同じデザインのユニフォームを採用しているが、時代によるものか当時のようなVネックではなく普通の前ボタンになっている。
PLがヒット一本、、、岩倉のピッチャー凄すぎる、、、
1980年代 春のセンバツは
関東勢が80年の帝京から
8年連続で決勝進出してるんだが
優勝できたのは84年の岩倉だけなんだよな
その中ではこの岩倉と82年の二松学舍大付がかなり不利と予想されていた印象だね。伊東の帝京や印旛はホントに惜しいサヨナラ負けだった。法政二や大宮工、日大桜丘、横浜、岩倉のように初陣でいきなり優勝するチームがあれば帝京や東海大相模のように3度目の決勝進出でようやく紫紺の大旗を手にするチームもある。。各校歩みも様々で高校野球の面白いところだろうね。
当時小1でPL学園の大ファンでした。現地で観戦してました。試合前の打撃練習でPLが全然打ててなかったのをはっきり覚えています。表彰式の拍手はPL学園が2倍くらいありました。当時はとても悔しかったですが、完全アウェイで勝ち切った岩倉高校がすごかったのが今にして分かります。
自分は小3、ライトスタンドの上のほうやった。あの頃のPLは最高のスター。自分の高校の校歌は覚えてないけど、PLのは歌える。それにしても中村監督が30代やったとは。
しかしこの時の岩倉は、本当に強かったですね。取手ニ(確か秋の関東大会優勝)にも勝つし、明治神宮大会も優勝するし、相手がPLでも一歩も引かない。この時の岩倉はセンスのあるいい選手が揃いましたね!
あ
や
やや
あ
や
やや
@@岡山元生
何かの暗号?
ただ夏の甲子園には出れなかったんだよな
当時はまだ明治神宮枠(優勝した地域のセンバツ出場枠が1枠追加される)がなかったからあまり強調されなかったかもしれませんが、明治神宮大会で優勝したチームだったらやる方としたらノーマークってわけにはいかなかったでしょうね。修徳や早稲田実業より上に行っているし。
岩倉は優勝候補の一角ではあったが
まさか優勝するとは
思いませんでしたね。
大会前の前評判では
PLがガチガチの大本命で
対抗馬が(東の横綱と言われていた)
取手二。
その他の有力校が
明徳、岩倉、都城、愛工大名電。
ベスト8の顔ぶれを見てみると
拓大紅陵以外の7校はすべて
地区大会優勝校でしたから
ほぼ順当だったかな
という感想です。
でも大船渡のベスト4と
岩倉の優勝はちょっと意外。
この年の夏か
金農がPLに負けたのは
2018年のようなことがこの年にあったんだね
当時小3、懐かしい~
この頃は試合前に君が代斉唱していたんですね!
BK Nw 今もだよ
おーこんな貴重なシーン見れるんか😊岩倉母校なのでこれ甲子園球場で観てたわ
岩倉のピッチャーはスピードはないが、コントロールとコンビネーションが良かった。ピッチャーはスピードじゃないって手本です。
ストレートで130キロ出てたのでこの当時なら決してスピードがないわけではないですよ。
桑田ですら135~138キロですからね。
これは永久保存版!
親父と一緒にライトスタンドにいる自分を探した。PL大好きで唯一甲子園に連れて行ってもらった試合が負け試合だった。
桑田の雰囲気すでにプロだなあ
甲子園でKKは3敗。岩倉の山口、取手ニの石田、伊野商の渡辺、相手のエースは全員プロ入りした選手だね。
横浜商三浦、池田水野、高知商津野・中山といった有名投手を倒したのはサスガだけど。
KKが負けたチームは力はあったんだろうけど初陣2校に甲子園はその春ベスト8が最高という茨城の県立校。ホント池田や横浜商、選抜4強の東海大一、高知商、天理、津久見、宇部商らを颯爽と倒した強さがオーバーラップしてくるだけに一発勝負の高校野球は改めてやってみないと分からないなと今更ながら思いますね。
山口ナイスピッチング。
34:57
旗手選手の息子さんは、サッカーで素晴らしい代表候補。
オリンピックに選ばれるといいですね。
ruclips.net/video/T_BCKMmgl7o/видео.html
旗手怜央選手ですね スコットランドで初ゴール決めました!
甲子園決勝としては屈指の番狂わせだと思う。むろん、岩倉の戦いは見事でしたが。結果としてプロのエースと4番になった人に勝つとは。
KKコンビがいて最強時代といわれた時のPL学園ですが、この84年と次の85年は負けて結局春は桑田清原優勝できなかった
んですね、わからんもんです。で、優勝したのがどちらも伏兵的な岩倉と伊野商業、得てしてこういうことになるんですね。
この岩倉戦は分かりませんが、翌年センバツの伊野商戦はまだ準決勝なのにキャプテンは前日夜のミーティングではおどけて優勝旗を受け取る練習をしたり、メガネをかけた渡辺投手を、雨降れば曇って見えなくなるんじゃないかと清原が言ってたり、など完全に舐めきってた様ですね。2004年夏の甲子園では試合の無いある日のあるグランドでの練習において、駒大苫小牧の割り当て時間がまだ10分(この時間はグランド整備に充てるもの)有るのに、後に控える横浜高小倉部長はもう出ていってくれと言わんばかりの態度を取り、それが駒大苫小牧のキャプテン以下全選手を「北海道を舐めんなよ」とばかり憤慨させ、準々決勝では横浜高は見事撃ち破られました。1983年夏の準決勝では池田は最大の難敵と捉えた中京を準々決勝で倒した事で、PLはスルーして決勝に目を向ける感じで準決勝に挑んだみたいですね。強弱に関わりなく戦わずして相手に点を付けるな、謙虚な態度を忘れるな、と言うのが甲子園の戦い方の一つと言う気がします。
@@山田市之助-q8l ホントそうですね。実力差やネームバリューの差はあっても甲子園出場チームは実力とそれプラスαの力を持ち合わせ勝ち進んでいるわけですから、ナメた言動は却って相手の闘志に火をつけることにも成りかねません。89年日本シリーズにおいての近鉄加藤投手などもそうでしたね。ちなみに伊野商ナインは大会前の抽選会で初戦相手に決まった東海大浦安ナインから、“どこの学校?高知から来たの?よろしくね〜”と完全にナメられ渡辺投手は無茶苦茶腹が立ったと振り返っています。PLでは99年春の覚前主将がベスト4進出時にちょっと油断したようなインタビューがありましたが、。。結果はご存知の通りです。
この時の岩倉は強かったですよ。この選大会では最強じゃないですかね。
岩倉応援してたわ。
この時のPLって都城の試合も相手のエラーによる1点で勝利したし、打線があまり調子良くなかったのかね。
そうです。いつも1回戦はすごいです。そこにピークをおいてたのかな。.?
大阪桐蔭と逆です。 桐蔭は前半で負けることが多い。plはkkの時はだんだん落ちていく印象で、
実際大会後半でよく負けていた.桐蔭はまだ決勝で負けたことがない.plは準優勝も多い
大会中にコンディションも変わりますね。桑田投手が京都西戦の打撃で指を負傷。都城戦のようにフライアウトが顕著に。くじ運で早い段階で当たっていたら、結果は違ったかもしれない。ト-ナメント戦は、そういった運を味方につけるのも勝ち上がる秘訣。
決勝前に国歌斉唱あるとは
この時期日比谷線沿線上野乗り換えで通学していたが、なぜ偶発的に甲子園大会以前に都大会でも先にも後にも実績の無い上野の鉄道学校の岩倉に選手が集まり、甲子園で快進撃横綱PLにまで勝って優勝したのかは稀に見る珍事で、理解を超える。当時都内はそこそこ勉強ができるかシニアでコネクションのあるやつは早実の商業科、勉強、野球実績普通のやつは帝京か日大系、創価、佼成の宗教系。あんまり得意で無いやつは二松、修徳、堀越、東亜、日体荏原、城西って棲み分けできてたからよく単発で選手集められたか不思議でならない。あと、この画像には同志社で負傷する以前のP Lの清水哲が写っている。貴重だ。
小5の頃に視てましたが、自分はPLが横綱野球で優勝すると思っていたので仰天しましたね。
これだけ活躍した山口投手もタイガースでは内野の守備固めとか、代走のイメージしか無いなあ
この試合PLが負けたのには前日準決勝の宮崎県代表の都城高校の(予想外の)善戦も影響があったと思います。
この都城戦で中村監督は桑田を決勝に備えて温存させるために田口投手を先発させました。
しかし都城高校は初回から連打。速球投手の田口投手にタイミングがピッタリで、先取点を取られかねない勢いでした。
結局中村監督は浅い回で田口投手を諦め桑田投手に交代させています。この試合も0-0の拮抗した戦いになり
最後は相手外野手の落球でかろうじて勝利しましたが桑田投手は結局休むことは出来ずこの決勝戦では3連投になりました。
最後に打たれたカーブは完全に高く握力が無かったことは間違いありません。
もし前日の都城高校戦に桑田投手の登板が無くもっと楽に勝っていたら、桑田投手の実力なら決勝戦で点を
許してはいなかっただろうと思います。
桑田は問題なかった。誰がみてもpl打線の問題。よくこの頃のplは徐々に打線が湿ってくることがよくあった。この年の、夏もそうだった。
めちゃくちゃ懐かしい
この大会の桑田のカーブは凄かった。
これで故障中だってんだから恐ろしい。
その桑田から14個も三振しながら1点もぎ取った
岩倉も、PLを1安打に抑えた山口投手も凄い。
岩倉調の狙い撃ちは他校では聞かれないアレンジ
これ結構好き
毎回の全員奪三振はセンバツ決勝史上初だったとか。それほど完璧な投球をしながら勝てないのも(高校)野球の難しさと奥深さなのかも知れませんね。敗れたものの期待に違わぬ内容だったゆえ桑田投手の評価はさらにグーンとアップしたのではないでしょうか。。⚾⛩️☆
みんなPLは85年のチームが強かったと言いますが自分に言わせればこの84年のチームのほうが強かったような気がします❗
破壊力は85年の方が少し上かも知れませんが、超完璧なバランスという点ではこの84年が上回っていたように思いますね。私も後者のチームに思い入れが強く魅力も感じたものです。
今年甲子園行ってほしいぞ岩倉!
ワインドアップの時にタマ握ってるの凄い
球種バレないようにするためなのかな
当時D51打線と呼ばれていた。今では常連の応援曲「どうにも とまらない」はこの時の岩倉高校が最初ではないかな?
この前年に自分は野球で岩倉に入りそうになっていたんだけど行かずに都内の他の学校に入学した。
行ってたら優勝のスタンドにいれた。
運命ってその時の流れに逆らうとこんなものですな。
導きってあるもんだね。
岩倉の栄光の歴史
投手戦も面白いね。
桑田投手は甲子園20勝。永遠に破られることのない大記録でPL学園も当時、勝って当たり前だと言われた強豪だった。だからこそ負けた時には逆に世間は盛り上がって桑田投手は傷ついただろうなぁ。プロ100勝以上できたのも甲子園で鍛えられた精神力の賜物でしょうねぇ。。
これからも野球のレベルが上がり160キロやすごい変化球を投げる投手が甲子園に現れると思うけど甲子園20勝投手は二度と現れないだろう
9:52 昔は試合前にバッティング練習あってたんやなww
危険防止のため、10年ほど前にその慣習はなくなったそうです。
しましま そうなんですね!!
決勝戦前は今でもやってるはずです。
9:54今日は決勝戦の場合両ティーム共
スーツの母校
草 四日前にも組
次呂 このときのPLの相手がスーツさんの母校の岩倉高校とは思いませんでした
しかも、優勝w
この年からスコアボードが電光になりましたね
応援歌に『狙いうち』を使った元祖が岩倉高校だと思ってました。
まぁ、甲子園出場校以外にもっと早く使っていた所がおそらくはあったでしょうけど………。
狙い撃ちは明治大学が元祖です。
↓,東大病院に受診しに行って,病院で,試合が終わって,岩倉高校がなんと!,あの当時,桑田真澄・清原和博のKKコンビを擁する強豪・PL学園を破って初優勝しましたって,病院のテレビから流れるアナウンサーの声で,そういう声が聞こえてきたので,びっくりしました。たまには?,PLもら調子が悪くて?,負ける事もあるんですね。で?,今もyoutubeで見てますが,岩倉の山口投手の方が,球種がフォーシー厶とカーブが主体のPLの桑田投手よりも,フォーシー厶の他に,今もアナウンサーが言ってたように,変化球がカーブの他にパー厶ボールっていう打者にとって,今までのカーブのような見た事がある変化球と違って高校生じゃ全く見たこともなく,且つ今もアナウンサーが言ってるように,試合前の甲子園での打撃練習では,PLよりも岩倉高校の方が選手たち皆が非常に当たって,バットがよく振れて当たって打球が皆よく飛んでいるっていう岩倉の方が,やはり?,今回は,総合力の点でPLよりも,数段レベルが上のように見えますから,今回はPLが負けても,至極当然のように見えます。PLファンやPL優勝を期待してた人たちには,失礼ですが?。
島村御大の声が若いなぁ
ネームバリューだけでPLの勝ちと決め付けていた人が多かったと思うが、
岩倉は戦力充実で大会前から上位進出が予想されていた。
相手が桑田清原でなければ、優勝して不思議ではないチームだった。
少なくとも、翌年の伊野商ほどの番狂わせではない。
伊野商の方が強かった
岩倉旋風あったな~
今の大阪桐蔭が桑田と対戦したら、打ち崩せたか非常に気になります。
時代が違うチームを比較するときはそれぞれの環境に、合わせた上でを想定しなきゃ
ただ単純に球が速い、球種が豊富かどうかではないと思います。コントロール、間の取り方等もあると思います。
PLは岩倉高校:山口、取手二高:石田と両方シュートを持っている投手のチームに
負けている。そして当日の雨。
そしてみんな勘違いしているが岩倉は前年秋の明治神宮大会(全国大会)で優勝してる。
要は岩倉は秋の全国チャンピオン。そのときPLはどうだったのだろうか?
ある意味当たり前の結果だったのかも知れない。
そして当時は今ではスライダーと言われているボールがカーブと呼ばれているのが
おもしろい。
>みんな勘違いしているが岩倉は前年秋の明治神宮大会(全国大会)で優勝してる。
あなたも勘違いしているようだが、当時の神宮大会は今と違って地区大会の覇者が集まって戦う大会ではない。だから神宮優勝=全国優勝=秋の全国チャンピオンと考えるのはかなりピントが外れた無知な主張でしかない。
>要は岩倉は秋の全国チャンピオン
じゃあその明治神宮大会がどんな大会だったのか教えてあげましょう。
★参加チーム わずか8校
北海道 函館有斗 北海道大会優勝
東北 出場無し
関東 土浦日大 茨城大会ベスト4で敗退
東京 岩倉 東京大会優勝
北信越 星稜 北信越大会優勝
東海 春日丘 愛知大会ベスト4で敗退
近畿 京都商 京都大会ベスト4で敗退
中国 鳥取商 鳥取大会ベスト4で敗退
四国 出場無し
九州 大牟田 南福岡大会決勝敗退
これが参加した8チームの実績。地区優勝したのは函館有斗と星稜、岩倉の3つだけ。他の5校は県大会で敗退して地区大会には出場すらできていない弱小チームばかり。しかも岩倉はこの低レベル大会を大苦戦しながら辛くも優勝したに過ぎない
1回戦 岩倉2-1大牟田
準決勝 岩倉5-4土浦日大(延長11回逆転サヨナラ)
決勝 岩倉5-0京都商
これが秋の明治神宮大会の概要。この大会に苦戦の末優勝して秋のチャンピオンだという主張はあまりにも無知すぎる。
ちなみにPL学園は大阪大会優勝、近畿大会も優勝して公式戦全勝。万全の実績で秋の大会を終えている。もし明治神宮大会に出ていれば確実に優勝したでしょうね。
@@ドタマジン太 さん、懐かしい大会の記憶ですね。確かにあの頃の神宮大会は北信越(若狭、福井商、星稜)や東北高校などが優勝を飾っても一冬越したセンバツではベスト8が精々でしたからね。東京の岩倉も今ほどそれに対してはクローズアップされてなかった印象です。やはりどこを倒して優勝してきたのかは実力を推し量る上では重要なポイントでしょうからね。しかし地区王者のみが集う現在の神宮大会、正直選手たちも大切なのは確定しているセンバツの方。本気を出して勝ちにいきケガ故障でもすれば甲子園メンバーから外れてしまいかねない、。。なんて考えるのではないでしょうか。神宮制覇しても地区のセンバツ枠が一つ増えるだけで優勝校にとってさほどメリットが感じられない気もするんですよね。
結局この試合のPL学園のヒットは
1回表2死から出た1本だけなのか。
その通り。あわやノーヒットノーランで負けるところだった。
まじ?そんなんだったん?
岩倉エース山口重幸さん当時を振り返る・ruclips.net/video/9DSdTzEtH48/видео.htmlsi=ELxogSNoDrh0tSgu
今は亡き母と初めて甲子園行ったなあ!
懐かしい。
放送オープニング最初のアルプススタンドにいる男性が、トータルテンボス藤田かと思った。
この大会MVPは菅沢で決まり!
これ見に行ってた
高校時代の清原を見てるとトムリドルを思い出す
この試合では清原のバントが見られます
いいねぇ雑草軍団岩倉高校。岩倉具視が創立者だから500円札を御守りにポケットに忍ばせていたとか言ってたけど、山口投手が「ご利益あるんですかねぇ?」て言ってた記憶がある
ta i 岩倉具視は創立者ではありません 岩倉高校が数少ない鉄道専門の科(運輸科)があるため明治の鉄道創設に大きく貢献した岩倉具視の名を取ったのです 岩倉高校が創立したときには既に岩倉具視は亡くなっています
岩倉高校優勝後の応援団による東京音頭合唱❗
当時の清原和博は何処に投球しても打つ選手と思い込んでいました。
この年は秋田県立金足農業高校が春夏と甲子園大会に初出場を果たしました。
春の大会では岩倉高校と。夏の大会ではPL学園とそれぞれ対戦して涙を呑みましたが…。
7番バッター(岩田)が後にプロ入りするんやもんなぁ
ホームラン打つと金になるんか!
イルケンチャンヌ
風評被害にも程があって草
岩倉在住岩間好一辞めろ
草
風評被害やめてくれぇ!?
やめてくれぇ?
選抜大会で優勝した岩倉を、夏の予選大会で撃破した我が級友たち
決勝で負けて甲子園には一歩届かなかったが、熱く燃えた38年前の夏の思い出
初芝さんがいた頃の二松学舎さんですね。
自分、岩倉高校で鉄道の高校なんて有るのか!って知りました😅
岩倉ってもしかしてドカベンのブルートレイン学園のルーツですか?
つか、BT学園ってPLと岩倉を合体させた学校?
この試合レフトスタンドで観戦していました。最後の最後までPL学園が負けるとは思っても見なかったです。試合が終了してスコアボードを見て初めて、PL1安打しか打っていなかったんだ、と気づきました。当時はPLが負けることはありえないことでしたからね。
PL学園からは、沢山のプロ野球選手が輩出されたが、岩倉高校からは、後にRUclipsrスーツさんが輩出されるとはこの時誰も知らない😅
NICE。今の時代の若者PL学園は殆ど無名。
この試合は観に行かれへんかったが
2回戦のPLー京都西戦の清原の2発のホームランを生で見れたのはよかった。
魔術師三原監督も完全にお手上げだった怪物ぶり。。長い指導歴で高校野球だけはやってみないと分からないことを何度も味わったが、戦う前からまぁ負けるだろうなと思って負けたのはこのPL戦だけだった。。と報知高校野球の私と高校野球に書かれていたね。
33:13 カーブで外した!江夏かよ
それにしても桑田は新2年生とは思えない風格だな
そのPL学園の野球部も?,まさか?,廃部になるとは!,思ってもみませんでした。いくら練習が厳しすぎたために,年々,新入生の中で野球部に入部する新入生が徐々に減ってきたとはいえ。卒業生には,中日ドラゴンズOB の立浪和義さんなどの数多くのプロ野球選手を輩出してきた学校なのに○やはり?,時代の流れですかね?。
KKコンビは甲子園で3敗しかしなかった
取手二高、伊野商は強かったが、まさか岩倉に負けるとは思わなかった
クッソメシウマやったんやろなぁ
桑田は甲子園5回出て3回しか負けてないのだけど、そのうちの1回がこの試合。もっといいコンディションの日にやっていればPLが夏春連覇してたんじゃないかと当時思いました。しかし今見ると、岩倉の山口もプロにいきましたもんね。取手二の石田も伊野商の渡辺もKKを負かしたやつはプロに行ってる。
桑田・清原のいたPL て、優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回とすごい成績だったけども、
「PLは優勝するもの」と思って見ていたから、むしろ、PLに勝った岩倉と伊野商と取手二高と、え~とどこだっけ…が、平幕が横綱に勝った…て感じがした。なにしろ、「阪神はPLに勝てるだろうか」なんて言われたくらいだから。
強いチームが勝つわけじゃなくて勝ったチームが強いと言うこと
当時、新2年生でTb吹いてました。
前年の明治神宮野球大会でも優勝していたし、王者PLでも互角にやれると思っていました。
部員の皆は、望月さんの人柄に惚れて入部した選手達でしたので、当然の結果だったんじゃないかな‼️
岩倉具視は500円札で知ったで
今や岩倉は超有名RUclipsrまで輩出してしまった。
スーツ君?
正解。
「スーツ」こと藤田裕人くんです。
採れない仕事があるものか
構えたカメラが受け止める
あぁ青春のストライク
頭のイカれたあいつだぜ
気は短くて力もち
不気味な笑顔が今日も行く
※頑張れ頑張れ好一
頑張れ頑張れ好一
岩間好一
※(繰り返し)
1:58:39
球審永野1塁田中2塁広沢3塁清沢の4人です。
KKはすでにプロの風格
東京VS大阪
大阪人ですが80年頃まで高校スポーツにおいてホント東京勢は越えられない壁でした。野球はPLが桜美林に、北陽が帝京と早実に、ラグビーでは大工大高が目黒や久我山に、サッカーでは北陽が帝京に度々敗れ、“何でいつも東京に負けんねん〜!!”とテレビの前で地団駄を踏んでいた小中学生時代が懐かしく思い出されます。
55:55 パイレーツファンの女性 のちに桑田真澄投手がピッツバーグ パイレーツに入団する。
岩倉高校OBの鉄道系RUclipsr・スーツ氏が生まれる前に行われた試合だな