【日本最古の神宮】 石上神宮

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  • Опубликовано: 22 ноя 2024

Комментарии • 27

  • @おかめ有希
    @おかめ有希 Месяц назад

    🙏🙏🙏

  • @パワースポット大人旅
    @パワースポット大人旅 3 года назад +9

    こちらの神宮に参拝させて頂きました。神宮、神宮関係者素晴らしです。大変素晴らしい動画有難うございました。沢山の方々に見て欲しいです🌈🌈

  • @yokunarudou
    @yokunarudou Год назад +2

    心が病んだ時よく石上神宮にお参りしてました。
    感謝しかないです。

  • @is4515
    @is4515 Год назад +2

    権禰宜さんの説明の03:39の布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)様について、ご本人が説明する時に緊張して、飛ばして説明してしまったので、意味が変わってしまったらしいです。この動画を見た元同僚の寒川神社の神職さんが直接ご本人に聞いて確認したとの事です。
    権禰宜さんが本当に説明したかった事は…
    「須佐之男命(すさのおのみこと)が八俣大蛇(やまたのおろち)を退治された時の剣が天十握剣(あめのとつかのつるぎ)で石上神宮に祀られている大神様です。八俣大蛇の尾っぽから出てきた剣は、皇室の三種の神器の一つで草薙剣(くさなぎのつるぎ)またの名を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と言います」
    …だそうです。
    つまり
    剣1)→ 八俣大蛇を退治する時に使った剣 = 天十握剣 = 石上神宮に祀られている。
    剣2)→ 八俣大蛇を退治した時に尾っぽから出てきた剣 = 草薙剣 = 皇室の三種の神器。
    という事です。

    • @森岩光
      @森岩光 Год назад +1

      草薙剣。
      の↑の来歴は
      古事記の創作による虚偽です。
      実態は、
      村雲大王が大和王国の初代大王に就任(即位ではない)
      した際に
      母系、女系、嫁の本家、
      出雲王国から
      大王就任のお祝いの品として
      出雲式の青銅剣が贈られたモノ。
      村雲大王(系図の神武)の嫡流(長男~)が
      海大王家。
      次男?他が傍系の王族となった。
      その傍系王族、尾張家が
      三代目大王、海玉手看命の出生(母親の登美の五十鈴依姫命の実家、磯城の登美副王家で生まれ、養育されて)~大王即位(高尾張~磯城に大王家が移った形)に際して
      高尾張の大王宮から
      村雲大王の剣を持ち出して
      新大王、玉手看命に渡す事を拒否。
      さらに大王継承権を声高に唱えだして
      海(あま)村雲大王の剣(天叢雲剣→草薙剣)を
      尾張家が頑なに保持し続け、
      さらに話を拗れに拗れさせた挙げ句の果てに
      本格的に覇権(大王権)を巡り、
      狭い大和王国(奈良盆地)で
      大王家、王族や豪族らを巻き込んだ内乱に発展した。
      系図で、孝。が付された歴代の天皇(大王)(孝昭天皇~)が内乱(倭国大乱)の時代を示唆しています。
      その大和王国の内乱につけ込んだのが
      九州の親戚、
      物部王家。
      紀元1世紀末に物部が大和に侵攻した。
      紆余曲折の末、大和入り~席捲した物部軍に
      大王家や王族、豪族(出雲族)らは大和から排除された。
      この際、尾張家はやはり村雲大王の剣を保持し続けて
      中京地域に入り、
      やがて村雲大王の剣を納めたのが熱田神宮。
      因みに、村雲大王の父、五十猛。改め、
      海香語山命に
      村雲大王の子孫一族はリスペクトして
      こぞって
      タケル、タケ(猛、建、竹)を名乗り、名付けた
      ↑から熱田神宮の
      ヤマトタケル。
      とは尾張家一族の祖先、祖霊神
      だと考えて良さそうです。
      叢雲剣→草薙剣は
      そもそも、その来歴が
      出雲族の太祖、クナト大神が四千年前、
      インドから携えて来た矛先のレプリカ。
      との伝承や、
      幸の神信仰(原神道)のマニュアルでは
      先鋭、鋭利なもの、棒状のモノ、木の根子、ほかは
      主神。クナト大神の形代。
      第二次出雲大王家(継体天皇~)である
      皇室が草薙剣のレプリカを重要視する理由もそれ。
      三種神器の意味するところは総じて
      天皇陛下が
      古の出雲王国の
      正当な『大穴持(帝)』の後継、継承者である証。

    • @is4515
      @is4515 Год назад

      @@森岩光
      私は関係者の神職さんから直接聞いた話をここに記入しました。現在の日本には古事記より古い書物はありません。そして正式な正史である日本書紀とは、少しの差異はあってもおおよそ同じような内容です。もし古事記を虚偽というのなら、その虚偽を証明する論説と証拠となる資料の提示をお示しください。

  • @MrBoboge69
    @MrBoboge69 5 лет назад +12

    タイトルに石上神社とありますが石上神宮です。石上神社はココより40分ほど歩いた桃尾の滝の場所にあります。

    • @tonn7627
      @tonn7627 5 лет назад +3

      石上神社も有るのですか? 祭神は 誰(何)なのでしょうね? 
      神宮のほうは 確か「剣」だったかと!

    • @MrBoboge69
      @MrBoboge69 5 лет назад +3

      石上神社は石上神宮の元宮となります。地元の人ですら知っている人は少ないですよ(笑) 石上神宮の宮司さんに聞いてみると詳しく教えてもらえるのではないでしょうか?

    • @tonn7627
      @tonn7627 5 лет назад +3

      @@MrBoboge69 さん
      有難うございました! 俄然 興味がわきました!!!
      元宮は 物部氏の関係なのか スサノオの関係なのか 調べてみたいと思います

    • @yumiko.i.peaceofmind1384
      @yumiko.i.peaceofmind1384 5 лет назад +3

      あ、ボボシャン、ここにも見っけ(笑)
      |ω・)ノ(*^O^*)

    • @MrBoboge69
      @MrBoboge69 5 лет назад +2

      おチャコさん!こんばんは!6月30日(日) 大神神社、茅の輪くぐり参拝はどうでしたか?自分は雨だと参拝に行かないのでやめました。 一応、雨でも日曜日だったので参拝客は結構いたのではないですか~~

  • @whitedaisy0707
    @whitedaisy0707 Год назад

    ありまと(有難う)🤗🤗🤗🌸🌸🌸🐞🐞🐞DaisyFromJapan

  • @伊賀酔豚
    @伊賀酔豚 4 года назад +5

    何時頃の収録ですか?天然記念物の鳥さんが元気ですね。私は、七枝剣を御守りにしています。魔を払うてめに。

  • @森岩光
    @森岩光 Год назад +3

    最古の神宮。は、
    兎佐(宇佐)神宮。
    兎佐族(元々(素)は兎族と称した)の信奉する月の女神、月読尊(今の媛大神)を
    奉祭した神宮。
    兎佐族は我が国最古の素性がわかっている大族。
    少なくとも4千年以上昔~西日本全域で繁栄していた。
    そこに、インド~ドラビタ族、のちの出雲族(兎佐族はサルタ族と呼んだ)の集団がシベリア経由の北回りで漂着、渡来。
    出雲地域に盤踞して勢力を伸長していくと
    それに圧される形で
    兎佐族(素兎)は勢力圏の縮小を余儀なくされていき、
    北九州地方だけとなった。
    後に紀元前3世紀には
    版図拡大を進める出雲の説得交渉に応じた
    兎佐王家が
    出雲王国に参加する事で
    出雲王国は北九州地方を版図に編入する事に成功した。
    信義に頼る口約束だけではいまいち心許ない事から
    出雲王国第8代大穴持(オホナモチ。帝)の
    郷戸(神門)(八束水)臣津野命の親王、
    アタカタス命が北九州の兎佐に下り、
    兎佐王家の惣領媛(仮に兎佐津媛命)と婚姻して
    一応の主従関係から
    出雲王国(郷戸(神門)王家)の分家、
    胸肩(宗像)王家を創設した。
    兎佐(宇佐)に都したと言う。
    胸肩王家を創設さたアタカタス命の生んだ三姉妹が
    いわゆる、宗像三女神。
    (古代、神は貴人を意味した)。
    一の媛、多岐理媛は
    出雲王国第七代大穴持(帝)の
    富の冬衣命の大后(皇后)となり
    次代の副王、富の八重波津身命(みんな大好きなヱビス様。
    皇室の直系祖先。
    宮中に祀る八重事代主神)
    を生んだ。
    ニの媛、宗像の多岐津(多吉)媛命も
    第8代大穴持(帝)で
    父方従兄弟である
    郷戸(神門)八千矛命(出雲大社の主祭神)
    の大后(皇后)となり、
    味鋤高彦や高光姫命(皇室の母系女系、家系の遠祖)等を生んだ
    三の媛、サヨリ媛命が
    兎佐族の女性優位の母系社会の習い~
    末子相続して
    宗像王家(実質的には兎佐王家)の二代惣領となり、
    出雲王国に秦の始皇帝の使節を隠れ蓑に
    渡来した
    徐福が起こした
    クーデター(初手に八千矛命と八重波津身を相次いで暗殺)
    に失敗して
    秦帝国に逃げ帰り、
    今度は北九州に再度の渡来した
    徐福(ニギハヤヒを自称)が
    サヨリ媛に言い寄って丸め込んで
    まんまと結婚。
    後の物部王家の祖となる
    彦ホホデミ命と、
    ホヤ媛命
    (後に、
    徐福と高光姫の御子、五十猛。改め、海(あま)香語山命に嫁ぎ、大和王国海王朝の初代大王、海村雲命(系図の神武)を生んだ)
    彦ホホデミ(~徐福(本名はフツ!))の子孫、
    物部王家が
    1世紀末と3世紀末に
    二度の東征を行って
    二度目に
    大和のみならず、
    出雲王国や吉備国他を殲滅、征服して
    一応の全国制覇
    (実は関東以南。
    東北地方以北には第一次東征で物部に大和を逐われた海王朝の王族の子孫が建てた強力な日本国が対峙していた)
    を果たして
    今は石上神宮の地に
    物部大王宮を置いた古地。
    フツ。は物部の祖、徐福の諱(本名)。
    要するに、
    石上神宮は徐福を祭る神宮が実体。

  • @asa01053
    @asa01053 5 лет назад +5

    掃除、清掃がやはり基本か❗

  • @CHARLEYCHEN8750980
    @CHARLEYCHEN8750980 4 года назад +6

    布都は徐福,布留は徐福祿,スサノオは徐福寿

    • @asa01053
      @asa01053 Год назад

      ふるは地震ですね!

  • @nihontaro9
    @nihontaro9 9 месяцев назад

    地下神殿🏛があると言う噂は本当ですか?

  • @hayek218
    @hayek218 5 лет назад +5

    神宮としては最古でも、神社としては最古ではない。最古は大神神社。
    タイトルが間違っている

    • @teshiw7521
      @teshiw7521 5 лет назад +2

      その通りです。
      最古の神社は大神神社と宗像大社だと言われていますね。

    • @ゆーげん-x6t
      @ゆーげん-x6t 5 лет назад +4

      あんたらバカか?「最古級」の神社ならたくさんあるが、最古の神社を特定することは不可能。まず何を持って神社の創建とするかだけど、今日我々が神社と聞いて一般的にイメージするような大規模な社殿が造営されるようになるのは律令期以降が大半なので、社殿造営の時点ではなくその場所で祭祀が行われ始めた時点で創建と見なそう。んで、祭祀が行われ始めたのを神社の創建と見なした場合、その場所で祭祀が行われていた形跡は縄文時代からある神社などたくさんある。その中でどれが一番古いのかを特定するのはタイムマシンでも使わない限り不可能。というか、同時多発的に日本(当時はまだ国家としての日本はないが)各地で祭祀が始まってるだろうから、仮にタイムマシンで見ても最古の神社というのは存在しないと思われる。同立最古みたいな感じになってくるだろう。

    • @hayek218
      @hayek218 3 года назад +2

      @@みつ-w4y8p
      ?????
      石上神宮は崇神天皇。伊勢神宮は垂仁天皇。創祀と創建は異なる。