をやの愛、おやさまの愛|現代に生かす「用木の道」シリーズ31

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  • Опубликовано: 27 ноя 2024

Комментарии • 2

  • @香寿美山田
    @香寿美山田 7 месяцев назад +1

    ありがとうございました🙇🙇🙇一つ、気が付かせて頂き感謝です🙇🙇🙇🙌🙌

  • @大澤勇-j6o
    @大澤勇-j6o 4 месяца назад

    いつも会長様からのお道のお話しは勉強になります。
    今回の後継者さんの相談の件ですが。
    私は少し思うところがあり投稿しました。
    はっきり言って熱心な信者さんから思うと違う意見かもしれませんが聞いて下さい。
    私は以前から『道一条』の解釈を疑問に思っています。
    この人の立場で今教会長のための『道一条』ははたして良い助言なのかということです。
    上級の会長さんから言われれば素直に受けるのも道ですが、では家族、妻や子供や生活は…。
    私が上級の会長さんの立場だったら今は生活を重視し段々と会長の仕事をできるようにしなさい。後は私がなんとかする。という言葉を何故、かけられなかったのかと思います。
    仕事をしながら会長職をしている立派方々もたくさん知っています。
    むしろその方が切実な悩みを抱えている人に巡り合います。
    私は仕事をしながらを薦めます。
    家族が幸福なら良いですが不足や崩壊ならその道は選ばない方がいいと私は思います。
    偉そうな言い方で御免なさい。
    私は信仰5代目です。
    祖父は別科を出てから家業に精を出しながらおたすけをし事情により15年間教会長をつとめました。
    父親は修養科、講習を出て東京で『単独布教』し布教所長になりました。
    私はその後継者さんや上級の会長さんの言葉もよくわかります。
    『道一条』の前に『たすけ一条』です。
    昔、祖父、父親が生前中にある先生の言葉を私に話てくれました。
    大正か昭和初期の話で学校の教師が『いつも寛大な心で讃美歌を歌い、いかにも信心をしている感じの信仰と年寄りや病人を集め踊る宗教がある。前者はキリスト教で後者は天理教である』するとある生徒(本部員)が『教師、今の言葉を訂正しろ、年寄りや病人を救けないで何が信仰だ』と。
    私は信仰の根底の話と思っています。
    長々と書きましたが少しでも参考になればと思い投稿しました。
    それでは失礼しました。🍀