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今回の動画についてですが、コレクターの方からAtari2600の実機をお借りして一部動画に組み込みました。Atari2600の動画はゲームチャンネルに個別で上げておりますので興味がある人はぜひ。ruclips.net/video/X8nL0_47EaM/видео.html
実機を借りてまで動画投稿ありがとうございます!
え?もう製造から30年以上経過した機体ですよね?古い家電ほど寿命が長いってゲーム機にも当てはまるのですね。
次からしくじり企業の動画でお願いしますね
Watanabe Takeru ま
掛け軸書くの忘れた。大変申し訳ございません!!
お、おうそんなのあったんだ・・・
*_詫び石よこせ_*
すんませんその掛け軸...うちの猫が盗りました...。
掛け軸の内容は「パックマン E.T」だと思ってたんだけど....残念....
掛け軸の小ネタが楽しみだったので、次回に期待してます。
売れ残りのソフトを埋めたというのが都市伝説になって、事実確認のために掘ったら本当だと証明された話好き
ET...
KOTYにおいて「むごたらしい数百万の子殺し」と書かれていたな…
トップランキング『砂漠から発見された物』
白起将軍の長平の戦いみたいだな...
Ha kuさんの動画で現地ツアーやってましたね…
違法行為をやってない全うなしくじり企業
このシリーズは色んな人がコメントで補足してくれるのがいいよね
1990年代の据え置きゲーム対戦を勝ち切った任天堂とソニーはほんますごい
セガももしかしたら生き残ってたかもね…。セガが撤退したのはドリキャスの逆ザヤが原因だからな。逆ザヤになったのは出荷不足のせい。出荷不足だったのはNECのグラフィックチップの開発の遅れのせいだから。セガが撤退したのは大体NECのせい。
結果的に任天堂もソニーもコンシューマーゲームの確立と発展にかなり貢献してるよね
この解説動画はタメになるぞい
ブッシュネルは創業者利益はしっかり手にして去ってるんだよな
Appleのスティーブ・ジョブズを調べてた時アタリで仕事してたと見た時、笑ったけどそこでいろいろ学んでAppleに生かされたと考えるとアタリは世界一の会社の創業者を育てたことになるのかな。ゲーム会社という点は大きかったのかもしれない
ゲーム系の専門学校卒ですが、まず最初に教わったのはアタリショックでしたね。この教訓として、ソニーチェック、任天堂チェックが生まれ、ライセンス売りっぱなしではなく、ゲーム性や品質管理から果ては表現規制までハードメーカーが審査するのがスタンダードになりました。ただ、ここ何年かはその窮屈さが逆に批判され、インディーズに市場を開放したりと揺り戻しが起きて居るのも興味深い話です。あと結局ブッシュネルは1500万ドルで会社を売って、勝ち逃げしたという見方もできますねw
これ知ったらアタリショックで業界が事実上崩壊した状態からファミコン1つで回復させた任天堂って凄いな
任天堂はアタリショックを教訓にしてゲーム開発してたからな〜🎮
ATARI社のドキュメンタリー番組で元社員達が当時を振り返るシーンが有って「いつでも大音量で音楽が鳴っててどこでも大麻吸ってる奴がいた」とか「頑なにパンいちスタイルで働いてる奴がいて、理由は"服が嫌いだから"」とか「初出勤の日になめられたくなくてとっておきの乾燥大麻を持っていったら先輩社員に質が悪いと鼻で笑われた」とかそんな話ばかりズラズラ出てきて、市場がどうこう以前によく会社として形を保っていられたなと
うぽつです!ソフトを埋めた場所の発掘調査の年が画像では抜けてる2014年の事だったそうで
ATARIが基礎を作り上げ、失った信頼を任天堂が救い上げSONYがライバルとして切磋琢磨して高めあって今があるみたいな胸アツ
セガ「・・・・・・・」
ゲーム=アーケードゲームの時代ってのがあってね、そこでトップを走っていたのは間違いなくセガだから、ゲーム業界を育てたのはセガなんだよ。そんなセガ最大の間違いは家庭用ゲーム機を思いっきり軽視していた点。当時のセガの社風ってのは完全なヒエラルキー制で、アーケードゲームを作ってたチームが一軍なら家庭用ゲーム機のチームは2軍以下のファームみたいな扱いだった。ゲームは最先端を走ってたのに会社そのものは古い体質で最後までそれを改革できなかったってのは皮肉な話だ。
ビデオゲームの歴史を語る上で外せない話。ちなみにライバルのコレコも巻き添えをくったがキャベツ畑人形のヒットで首が繋がる。しかしそれに気をよくしてキャベツ畑人形に注力した結果キャベツ畑人形の在庫を抱えて倒産したそうな、合掌🙏
きゃべぇもんとかいそう
あくまでも「ビデオゲーム」の歴史であって、エレメカを含めたコインオペレートマシン(ゲーム機とゲーミングマシン=賭博機)の歴史はまた別なんだけどねもし、ポンの権利をバーリーに売って、バーリーから発売されることになっていたらどんな歴史になったのかは興味がある(現在のバーリーはゲーム業界に興味を完全に失っていて、スロットマシンなどのゲーミングマシンに専念している)
聞いたことあるけどいまいち知らない出来事を掘り下げて丁寧に解説してくれるのでいつも楽しみに見ていますアタリは当時の時代背景なども垣間見え、そこから学べることもあり非常に興味深いです気が滅入りそうな時はおいしいものたべていっぱいねてうんこしたらなおるよ!
ETの在庫は砂漠に埋められたってのは半ば都市伝説でしたが最近発掘されて実在が証明されましたねwトロヤ遺跡みたいw
鈴木照彦 個人的にはクソゲー界の邪悪なる聖櫃だと認識している。聖杯がチーターマンⅡ、聖槍が香港97だ。異論は認める。
あまり誰も気にしないが ソフトはもう使えなくなってたのかな?
Kimutyan v 流石に30年近く土の中に埋まってたヤツだからな。1300本のソフトが発掘されてそのうち500本が博物館に寄贈されたとか。
後半が聖杯と言うより、泥かアヴェンジャーでは?
やっぱりゆっくりはカカチャンネルが内容がいい。勉強になります!
大型のコンピュータで動いてたPONGをアップライト筐体に埋め込めるサイズに落とせるのがすごいよね。
ゲーム業界で生きていくのって至難の業なんだな。それなのに任天堂は今でも生き残っている、マジで凄いと思うわ。
成崎海 最強の弁護士軍団がいますからね〜
@笹川篠尾 消えたゲーム会社シリーズ欠かさず見てる私としては、ゲーム業界ってスゲーなあとしか思えませんね…ちなみに私ゲームはしませんが😅…
@笹川篠尾 ああ、レトロゲーマーアジャさんの動画で紹介されてましたね〰う~ん、東映はキャラゲーだったら強そうですが…伊藤忠は確か洋ゲーを引っ張ってきてたんでしたっけね?独自開発ではなかったはずですが。
「説明書読まないと遊べないゲームはダメ」格闘ゲームなんてコマンド表貼らないと客が入らないぜ…
20:13浮き上がっては何度も穴に落ちてるETで笑う
うぽつです。これぞ「しくじり」ですよね
今回かなり楽しませていただきました!Y世代の私にとっては、アタリは「アタらなかった」「日本の」ゲーム会社だと思っていたので、完全に認識が誤っていましたね・・・。
>PDP-1当時は1式数十億円で1フロアを占有するような大型コンピュータしかなく、大学や研究所全体で1台しかないので、研究者がなにか試したいことがあっても、申請書を出して数カ月待って使うような状態だった。そこへ、1研究室でも買え、研究室の一角に置ける程度の「【ミニ】コンピュータ」が出たものがだから、PDPシリーズは一世を風靡した。そうして(今のパソコン程度のノリで)比較的自由に使えたからこそゲームも開発された。ちなみに後継機のPDP-7上で初めのUNIXが生まれ、その子孫がLinuxであり、さらにその末裔がAndroidへとつながるし、UNIX→MacOS X→IOSの流れもそこから始まる。
ダウト>ちなみに後継機のPDP-7上で初めのUNIXが生まれ、その子孫がLinuxでありLinuxはUNIXの直系の子孫じゃないよDNA(ソースコード)は完全に別だからね
15:21 のソフトの過剰供給のメカニズムって確かすべての需要に対応しきれなくなった供給側が出来る限り公平かつ広くソフトを届ける苦肉の策として、「小売1件当りの発注10に対して5下ろす」みたいな方針で対処した所を、欲張って機転を利かせた小売が「10欲しいからは20発注する。」という策で対抗したから結果的として地獄のような過剰生産と供給になってしまったという話だったはず。AmazonPrimeやNetflixにあるゲーム史映画でそんな話してたと思う。
いつも楽しく拝見させていただいてます。オジサン世代には懐かしい、アタリ良かったです。リクエストなんですが、ASCIIとマイクロソフトの副社長にまでなった西和彦氏についてやってほしいです。
砂漠からカセットが出てくるやつな
確かに(クソゲーの)カセットが出て来るな....
宇宙人がテーマのゲームでネバダの砂漠ってのがミソだよなw(実際UFOが墜落したという都市伝説がある)
余所から来て古参スタッフを追い出したレイモンド・カサール新社長に対するアタリ社員の怒りは相当なものだったらしく、レイ(Ray)の名前の逆読みを入れた「ヤーの逆襲(Yar's Revenge)」というゲームを出して密かに社長をディスって溜飲を下げていたそうですね。m.ruclips.net/video/pvjajVf3BEc/видео.html
結局新社長は何がしたかったんだろう?「ぼくがかんがえたりそうのかいしゃ」でも作りたかったんだろうか?
繊維業界出身の方だったので、ゲームを「製品」「商品」と捉えて徹底した作業管理をすることで効率化できると考えたのではないでしょうか。製作スタッフがゲームに自分たちの名前を表示させたいと言ったときに「自分の名前をタオルに書くタオルデザイナーがいるか」と一蹴したそうですから。そういう考えかたが自分たちのゲームを「作品」と捉えるスタッフ(特に古参組)と相容れず、組織を乱す邪魔者として追放したんだと思います。
m m アーティストとビジネスマンの物事の考え方の違いと云う事ですね。
ゲーム会社のしくじりをもっとやって貰いたい
steamも有象無象だけどこの時代に比べるとまだマシなんだなぁ…
情報があるからね。他人の評価を見てから買えるし、小作品は最初から5ドルで売られてる。
@@ifpops あとクソゲーすぎたら返品できるのもいい
アタリショックは知っていたけど、優秀な創業者を実質クビにしたのが大きいな
本来創業者社長ってのは筆頭株主だから社長しているわけで、株を手放せば当然でしょう「会社は株主のものである」。大きくなったら手放して換金するのがアメリカのベンチャービジネスアメリカの会社ってのはシステム的に社長が過半数の株を持ってるとかでない限り長期的ビジョンを持てなくて、短期的な利益を追求せざるを得ないので、才能ではなく結果を見るしかないそれで、「後は野となれ山となれ」的な無茶苦茶やってさっさと大金を手に退陣する経営者とかいるわけだ退任後に会社が傾いてもそれは後任者の責任だからね
読み返して気がついた単に筆頭株主だからじゃなくて、「過半数の株を持っている」、つまり問答無用で自分の意見を通せる(議案を任意で一方的に可決もしくは否決できる)から社長ですね
ちなみにブッシュネルの次の一手がゲームバーwゲームやりながら酒飲めて騒げるお洒落な場所、ワーナーの「家庭用ゲーム機発展」って要求とまったく別方向なんである意味対立するのは必然的だったりする
シクジリシリーズは面白いです。勉強にもなります。
朝食シリアルメーカーが参戦は流石に草
まあ日本(ファミコン)でも異業種参入はあったけれどね
任天堂はベビーカーを作っていたという。
日本だって染物問屋が参戦したから多少はね。
@fightersxfighters3304 コーエーくんはまぁ面白いからセーフ。(信長の野望とか)
最初にこちらの動画を見てから、ゲーム機大戦の動画を見たから、すごく理解が深まったことを覚えてます。
ごま付き団子はほんとおいしくて好き
ATARIのブランドは今フランスの会社のものになっていたとは知らなかった素晴らしい動画です!🌟ATARIジャガーはリサイクルされて歯科器具として使われたって聞いたけど本当かなぁ...?
8:19 織 田 裕 二(訂正前のニコニコのコメントにて)
8:23 ここのワーナーコミュニケーションのロゴがモスバーガーのやつと似てる
「ポケモンじゃねーんだぞ!」「返事はイエスかゴーだ」「イエスボス」草ですわ
任天堂がNESを発売しようとした時、大変だったようで。アタリショックの後なので小売店の反応が悪くて…。
サードパーティのクソゲー粗製濫造でゲーム機の市場か崩壊していたし、小売店も倒産したゲームソフトメーカーが返品に応じてくれないので在庫処分セールするしかなくて大損こいた、しかもホビーパソコンがこれからは流行ると言われていた。そんな時期だったから、任天堂がゲーム機として売り出そうとしたら案の定小売店に相手にされなかったので「ゲーム機ではありません!"エンターテイメントシステム"です‼︎(キリッ」と言って何とか店棚に載せた話すこ。
私もロスの郊外でアタリの公認サービス会社をやりましたよ。結構面白かった。修理も技術いらず。エンジニアならぬチェンジニア。回路が故障ならメインPCBをそっくり交換、ジョイスティックが壊れていればこれも保証期間内ならすぐにお取替え。修理が1台終わると検査と称してパックマンかインベーダを1局。数分で止めるのに一苦労。うちが素直に修理業を営んでいたので視察と称して一度はアタリのお偉いさんが社のプライベートジェットで駐車場ならぬ駐機場を持つ通り向かいのモーテルならぬエアテルプラザというランウエイが 2,500m もある Van Nuys Airport に付随する BH に舞い降りて挨拶に来た。あれから何10年も経つなぁ。
7:03 ここ好き
実機用意してETやってる!そんな真面目なところが好感持てるこれはイケメンですね!イケメン税かかればいいのに
どっかの時計台が喜びそうですね・・・。
ゴミ捨て場からE、Tが発掘されてなければ映画レディプレイヤー1が生まれなかったって聞いて爆笑した記憶がw
今回も分かりやすくまとめてくださってありがとうございます 新作(再up)嬉しいです
アメリカならではのストーリーですね。1983-5年頃にアメリカ出張に度々行ってましたが、ナインテンドーはすごい人気でしたね。アメリカ人の家にお呼ばれしたら必ずと言って良いほど子供達とゲーム大会でした。Japan as No1 とか言われて夢みたいな時代だったですね。
ついにアタリが来た!
待ってたよ!
ああ、違和感あるなあと思い、言われて気付きました(掛軸)ニコ動でもリピートして視聴させて頂いてます。ニコ動未配信分の再配信、楽しみにお待ちしています。
ガレージで作られた会社といえばGoogleもそうだねアメリカンドリームってガレージで生まれる共通点でもあるのかしら?
ガレージって車庫って訳されるし間違いではないんだけど車いじりの工具も置いてあってDIYの国で日曜大工の工具もあって物置にもなってる車庫 兼 物置 兼 工作室なケースが多いからモノづくりで成功する人の出発点がガレージなのはありがちなんだよ。
マイクロソフトもだっけ?
12:59ある染料問屋「これからはコンピューターゲームの時代や、せや、ワイらも参入したろ」
そこは社長がガチの技術者だったから……
次はぜひとも弁護士法人東京ミネルヴァ法律事務所について調べて欲しいです。弁護士法人で過去最大規模らしいですね。
毎回楽しませてもらっています。ありがとうございます。個人的な希望なのですが、日本の会社に戻って、「ワイキューブ」(安田佳生社長)代表書籍:「千円札は拾うな」を取り扱って欲しいです
再アップお疲れさんです!
「E.T.」のスピルバーグ監督が、因縁のワーナー配給でアタリのゲームをフィーチャーした「レディ・プレイヤー1」を撮ったという皮肉。
レディプレイヤーってそうやってできたのか。
当然小売店も被害被ったのでNESの営業は大変だったそうな
一時期ナムコ社長が経営していた日活をリクエストします。
振り返ってみると、歴史的にも非常に重要な企業ですね。ゲームなくしてコンピュータは語れない。遊び心と背広の交錯する奇天烈な市場。アメリカンは背広が強すぎる気がします。
何事も最初を作り出すのが大変なんだよね、、、
たとえしくじりで消えたとしてもテレビゲームの先駆けを作ったATARIは誇らしい。某ゲーム機戦争動画を見てATARIの事を知った後、PONGアーケードがROUND1にあったのを見てまだATARIは細々と生き残っているのを知った。ATARI VCS…待ってるぜ
ジャガーは日本では一部店舗の輸入販売のみで、ちょっと正式にリリースされたとは言い難い完全にコレクター向けの趣味のハードでした。
スマブラみたいに誰でも参戦可能なAtari VCS(笑)でも、会社の社運は外れだったみたいね😂
しくじり企業シリーズ、楽しく拝見しております。
アタリリンクスは家にあるけど単三電池6本で2時間動くんだせ
短すぎる
財帽子 昔は持ち運べるだけで革新的でしたからねゲームギアが単三電池6本で3時間、テレビチューナーも別売であったので外でテレビが観られたよ
Lynxだからリンクスの間違いでは?
tko 訂正しました💧
稼働時間が短いというのが当時の携帯ゲームの問題で、だから任天堂のゲームボーイはあえてカラー液晶やバックライトを採用せずに稼働時間を延ばす方針にしたそうな。ちなみにアルカリ単3電池4本で35時間という驚異のスタミナの持ち主である。
当時はアメリカへの憧れが残っていた時代だしスターウォーズのゲームとかでアタリにも憧れがあったな。CMも格好良かった。E.T.は散々な結果だけど今でもゲーム性を擁護する声もあるね。数年前にドキュメンタリー映画のアタリゲームオーバーのdvdを買ってしまったけどすごく懐かしかった。
今回も勉強になりました。魔理沙と霊夢はこっちの顔の方が好きです。
私もやっぱりこっちの顔の方がしっくりくると思います。でも北海道にはバーミヤンがなくなった…。
このアタリの話はネトフリのドキュメントでも観たけどめちゃくちゃで面白いよね
TRONの詳しい情報が知りたいです
リクエストなのですが、イギリスの旅行会社、トーマス・クックの紹介をお願いします。
ちょうど最近AVGNにハマったので再うp助かります🙇♂️
ゲーム会社ということで、楽しく観させてもらいました😃今度はどうでしょう?大企業が参加してポシャったプロジェクトなんてどうでしょう?WiLLプロジェクトとか?いかがでしょう?
17:58 このパソコン、私が初めて買ったパソコンです。当時としてはそれなりのスペックがありましたが、使いにくかったです。
アタリって進○ゼミの教材で名前だけ聞いたことある感じだったんでこの解説動画にはすごく感謝しかないです、、、ゲーム会社関連でしくじった企業っていうとテクノスジャパンもその一つですかね?
初見です 面白かった
ATARIというと思い出す「hard driving」音楽が無いスタート時の「コーーン‼️」今でも耳に残ってます🤣
一番最初のウィンドウズの起動音のようなショックを与えられたのでしょうね。ウィンドウズ起動…「あれ?起動したのに音が鳴らねぇ…、ボリュームを最大にっと…」クソデカ起動音:テテーン!!「\ ギャァァァァァァー!! /」
日本でもファミコンの市場が拡大した時代(1986年頃)にサードパーティーとして畑違いの企業が多く参加して多くのクソゲーが生まれていったけど、日本人はアメリカ人に比べてメーカー名を見て物を買う傾向が強かったから大事に至ることはなかったようですね。それに、畑違いの企業が出したゲームでも『川のぬし釣り』のような名作もありましたし。
up乙です!いつも動画楽しみに見ています!いつか家電量販店のコジマをやって欲しいです!
モトローラの石を使ったパソコンSTは素晴らしかったですよ。
いつ聞いても「あたるとぉかくどがぁぁ~」が秀逸(笑)
8:57 振動するコントローラーだったらモザイクしないとダメですね。
だったらプレステもNGだろww
赤井雷 あれは形が卑猥じゃないからセーフ
この試作故障エピソード、知ってても痺れるな……
うぽつです
25年前にアメリカで同じ業界にいたが、アメリカマーケットの問題は流通と消費者が強く、返品はすべて受付け、メーカーに返送し返金される。返品されたゲームを検品してみるとほとんどがクリアしてあった。任天堂に発注した700万本を出荷し、200万分が不良在庫、100万本が返品、費用はすべて3rd Party負担。カートリッジは売り切りなので任天堂だけが儲かった。これがPSの始まりだった。当時Nの社長さんと話して確信した。アタリショックは業界に入ったばっかりで勉強しました。
胡麻つき団子…いいよね
いい……
次にゲーム企業ネタを扱う折には、IonStormの、大刀(Daikatana)にまつわる顛末を取り上げてほしいです。ゲーム界ではこれ以上ない、驚天動地のしくじりっぷりなので
Daikatanaの生みの親であるジョン・ロメロと古巣のid softwareはPCゲーム史を語る上で外せないですね。
スピルバーグのプレイヤーワンにいたなあダイトウ(大刀)
13:15YESかGOかのGOってなんの意味なんでしょうかねぇ()
Go(to heaven)!!じゃないですかねぇ(白目)
Get Out!(出てけ)ハイと言うかクビになるか
NOという返事は存在しない、という意味では?
YES(はい)かGo(やれ)だろ。
角を矯めて牛を殺すを地で行った様な崩壊劇だったが、かと言って急成長しながらも社員の大多数がヒッピーと言うのもそれはそれで崩壊しそうだしなぁ…
……マイクロソフト(ボソッ)
教えて教えてで、あたりまえだのクラッカーが出てくると踏んでいたんだか。。。
この前、業⚫スーパーで売っていて、生きとったんかワレとなったwww
AVGNさんでお馴染みのATARIの話はありがたいです
バーミヤンか…行きたくなったなぁ🍴
それにしても、車、家電、テレビゲームに漫画、アニメ、他にもあるか、元をたどっていくとそのルーツは全部米国ですな
こう考えるとニンテンドーって最初期からゲームを作っているのに続いてるのがすごい
染物屋「ゲーム作ろ」弁当屋「ゲーム作ろ」花札屋「ゲーム作ろ」↓染物屋「潰れた」弁当屋「潰れた」花札屋「生きてる」
アタリリンクス……………何もかも懐かしい………………当時、憧れたモンですよソフトが洋ゲーしかなくて、本数も少なく、値段が高いのがネックでしたけど……………
ファミ通のドラネコシアターでジャガーがネタにされていたのが懐かしいですwネタにされがちなゲーム会社ですが、ランパートを世に出してくれたアタリには感謝しかありません。
世界初のビデオゲームメーカーが日本の囲碁将棋用語の「アタリ」を社名にしたら、1980年代以降は日本が一大ビデオゲーム大国になったというのは因果な話というか示唆的なものを感じる
ユニーって吸収合併されたんですよね。あのでかい会社の倒産劇を知りたいです。非正規が多いUAゼンセンが強すぎてイオンもヨーカドーも強請られてるのは有名だけど、他にもいっぱい原因ありますよね?
アタリ・リンクスは最近になって某戦車アニメで出てきて驚いた。
神次元ゲイムネプテューヌVで知った。当時元ネタ調べたけど、よくわからなかったけど、改めて解説されると、あのゲームの内容は大体あってるの笑うわ。
ETのゲームの説明で、会社のエライさんが表面的な「勝てる」要素だけみて広告費を突っ込んだあげく爆死する様子を見て、またサムライ8を思い出してしまった。
今回の動画についてですが、コレクターの方からAtari2600の実機をお借りして一部動画に組み込みました。
Atari2600の動画はゲームチャンネルに個別で上げておりますので興味がある人はぜひ。
ruclips.net/video/X8nL0_47EaM/видео.html
実機を借りてまで動画投稿ありがとうございます!
え?もう製造から30年以上経過した機体ですよね?
古い家電ほど寿命が長いってゲーム機にも当てはまるのですね。
次からしくじり企業の動画でお願いしますね
Watanabe Takeru ま
掛け軸書くの忘れた。大変申し訳ございません!!
お、おう
そんなのあったんだ・・・
*_詫び石よこせ_*
すんませんその掛け軸...うちの猫が盗りました...。
掛け軸の内容は「パックマン E.T」だと思ってたんだけど....残念....
掛け軸の小ネタが楽しみだったので、次回に期待してます。
売れ残りのソフトを埋めたというのが都市伝説になって、事実確認のために掘ったら本当だと証明された話好き
ET...
KOTYにおいて「むごたらしい数百万の子殺し」と書かれていたな…
トップランキング
『砂漠から発見された物』
白起将軍の長平の戦いみたいだな...
Ha kuさんの動画で現地ツアーやってましたね…
違法行為をやってない全うなしくじり企業
このシリーズは色んな人がコメントで補足してくれるのがいいよね
1990年代の据え置きゲーム対戦を勝ち切った任天堂とソニーはほんますごい
セガももしかしたら生き残ってたかもね…。セガが撤退したのはドリキャスの逆ザヤが原因だからな。逆ザヤになったのは出荷不足のせい。出荷不足だったのはNECのグラフィックチップの開発の遅れのせいだから。セガが撤退したのは大体NECのせい。
結果的に任天堂もソニーもコンシューマーゲームの確立と発展にかなり貢献してるよね
この解説動画はタメになるぞい
ブッシュネルは創業者利益はしっかり手にして去ってるんだよな
Appleのスティーブ・ジョブズを調べてた時アタリで仕事してたと見た時、笑ったけどそこでいろいろ学んでAppleに生かされたと考えるとアタリは世界一の会社の創業者を育てたことになるのかな。ゲーム会社という点は大きかったのかもしれない
ゲーム系の専門学校卒ですが、まず最初に教わったのはアタリショックでしたね。この教訓として、ソニーチェック、任天堂チェックが生まれ、
ライセンス売りっぱなしではなく、ゲーム性や品質管理から果ては表現規制までハードメーカーが審査するのがスタンダードになりました。
ただ、ここ何年かはその窮屈さが逆に批判され、インディーズに市場を開放したりと揺り戻しが起きて居るのも興味深い話です。
あと結局ブッシュネルは1500万ドルで会社を売って、勝ち逃げしたという見方もできますねw
これ知ったらアタリショックで業界が事実上崩壊した状態からファミコン1つで回復させた任天堂って凄いな
任天堂はアタリショックを教訓にしてゲーム開発してたからな〜🎮
ATARI社のドキュメンタリー番組で元社員達が当時を振り返るシーンが有って
「いつでも大音量で音楽が鳴っててどこでも大麻吸ってる奴がいた」とか
「頑なにパンいちスタイルで働いてる奴がいて、理由は"服が嫌いだから"」とか
「初出勤の日になめられたくなくてとっておきの乾燥大麻を持っていったら先輩社員に質が悪いと鼻で笑われた」とか
そんな話ばかりズラズラ出てきて、市場がどうこう以前によく会社として形を保っていられたなと
うぽつです!
ソフトを埋めた場所の発掘調査の年が画像では抜けてる
2014年の事だったそうで
ATARIが基礎を作り上げ、失った信頼を任天堂が救い上げ
SONYがライバルとして切磋琢磨して高めあって今があるみたいな
胸アツ
セガ「・・・・・・・」
ゲーム=アーケードゲームの時代ってのがあってね、そこでトップを走っていたのは間違いなくセガだから、ゲーム業界を育てたのはセガなんだよ。
そんなセガ最大の間違いは家庭用ゲーム機を思いっきり軽視していた点。
当時のセガの社風ってのは完全なヒエラルキー制で、アーケードゲームを作ってたチームが一軍なら家庭用ゲーム機のチームは2軍以下のファームみたいな扱いだった。
ゲームは最先端を走ってたのに会社そのものは古い体質で最後までそれを改革できなかったってのは皮肉な話だ。
ビデオゲームの歴史を語る上で外せない話。
ちなみにライバルのコレコも巻き添えをくったがキャベツ畑人形のヒットで首が繋がる。
しかしそれに気をよくしてキャベツ畑人形に注力した結果キャベツ畑人形の在庫を抱えて倒産したそうな、合掌🙏
きゃべぇもんとかいそう
あくまでも「ビデオゲーム」の歴史であって、エレメカを含めたコインオペレートマシン(ゲーム機とゲーミングマシン=賭博機)の歴史はまた別なんだけどね
もし、ポンの権利をバーリーに売って、バーリーから発売されることになっていたらどんな歴史になったのかは興味がある(現在のバーリーはゲーム業界に興味を完全に失っていて、スロットマシンなどのゲーミングマシンに専念している)
聞いたことあるけどいまいち知らない出来事を掘り下げて丁寧に解説してくれるのでいつも楽しみに見ています
アタリは当時の時代背景なども垣間見え、そこから学べることもあり非常に興味深いです
気が滅入りそうな時はおいしいものたべていっぱいねてうんこしたらなおるよ!
ETの在庫は砂漠に埋められたってのは半ば都市伝説でしたが最近発掘されて実在が証明されましたねw
トロヤ遺跡みたいw
鈴木照彦
個人的にはクソゲー界の邪悪なる聖櫃だと認識している。
聖杯がチーターマンⅡ、聖槍が香港97だ。
異論は認める。
あまり
誰も気にしないが ソフトは
もう使えなくなってたのかな?
Kimutyan v
流石に30年近く土の中に埋まってたヤツだからな。
1300本のソフトが発掘されてそのうち500本が博物館に寄贈されたとか。
後半が聖杯と言うより、泥かアヴェンジャーでは?
やっぱりゆっくりはカカチャンネルが内容がいい。勉強になります!
大型のコンピュータで動いてたPONGをアップライト筐体に埋め込めるサイズに落とせるのがすごいよね。
ゲーム業界で生きていくのって至難の業なんだな。
それなのに任天堂は今でも生き残っている、マジで凄いと思うわ。
成崎海
最強の弁護士軍団がいますからね〜
@笹川篠尾
消えたゲーム会社シリーズ欠かさず見てる私としては、ゲーム業界ってスゲーなあとしか思えませんね…
ちなみに私ゲームはしませんが😅…
@笹川篠尾
ああ、レトロゲーマーアジャさんの動画で紹介されてましたね〰
う~ん、東映はキャラゲーだったら強そうですが…伊藤忠は確か洋ゲーを引っ張ってきてたんでしたっけね?独自開発ではなかったはずですが。
「説明書読まないと遊べないゲームはダメ」
格闘ゲームなんてコマンド表貼らないと客が入らないぜ…
20:13
浮き上がっては何度も穴に落ちてるETで笑う
うぽつです。
これぞ「しくじり」ですよね
今回かなり楽しませていただきました!
Y世代の私にとっては、アタリは「アタらなかった」「日本の」ゲーム会社だと思っていたので、完全に認識が誤っていましたね・・・。
>PDP-1
当時は1式数十億円で1フロアを占有するような大型コンピュータしかなく、大学や研究所全体で1台しかないので、研究者がなにか試したいことがあっても、申請書を出して数カ月待って使うような状態だった。そこへ、1研究室でも買え、研究室の一角に置ける程度の「【ミニ】コンピュータ」が出たものがだから、PDPシリーズは一世を風靡した。そうして(今のパソコン程度のノリで)比較的自由に使えたからこそゲームも開発された。
ちなみに後継機のPDP-7上で初めのUNIXが生まれ、その子孫がLinuxであり、さらにその末裔がAndroidへとつながるし、UNIX→MacOS X→IOSの流れもそこから始まる。
ダウト
>ちなみに後継機のPDP-7上で初めのUNIXが生まれ、その子孫がLinuxであり
LinuxはUNIXの直系の子孫じゃないよ
DNA(ソースコード)は完全に別だからね
15:21 のソフトの過剰供給のメカニズムって確か
すべての需要に対応しきれなくなった供給側が
出来る限り公平かつ広くソフトを届ける苦肉の策として、
「小売1件当りの発注10に対して5下ろす」
みたいな方針で対処した所を、
欲張って機転を利かせた小売が
「10欲しいからは20発注する。」
という策で対抗したから
結果的として地獄のような過剰生産と供給になってしまったという話だったはず。
AmazonPrimeやNetflixにあるゲーム史映画で
そんな話してたと思う。
いつも楽しく拝見させていただいてます。オジサン世代には懐かしい、アタリ良かったです。
リクエストなんですが、ASCIIとマイクロソフトの副社長にまでなった西和彦氏についてやってほしいです。
砂漠からカセットが出てくるやつな
確かに(クソゲーの)カセットが出て来るな....
宇宙人がテーマのゲームでネバダの砂漠ってのがミソだよなw
(実際UFOが墜落したという都市伝説がある)
余所から来て古参スタッフを追い出したレイモンド・カサール新社長に対するアタリ社員の怒りは相当なものだったらしく、レイ(Ray)の名前の逆読みを入れた「ヤーの逆襲(Yar's Revenge)」というゲームを出して密かに社長をディスって溜飲を下げていたそうですね。
m.ruclips.net/video/pvjajVf3BEc/видео.html
結局新社長は何がしたかったんだろう?
「ぼくがかんがえたりそうのかいしゃ」でも作りたかったんだろうか?
繊維業界出身の方だったので、ゲームを「製品」「商品」と捉えて徹底した作業管理をすることで効率化できると考えたのではないでしょうか。製作スタッフがゲームに自分たちの名前を表示させたいと言ったときに「自分の名前をタオルに書くタオルデザイナーがいるか」と一蹴したそうですから。そういう考えかたが自分たちのゲームを「作品」と捉えるスタッフ(特に古参組)と相容れず、組織を乱す邪魔者として追放したんだと思います。
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アーティストとビジネスマンの物事の考え方の違いと云う事ですね。
ゲーム会社のしくじりをもっとやって貰いたい
steamも有象無象だけどこの時代に比べるとまだマシなんだなぁ…
情報があるからね。
他人の評価を見てから買えるし、小作品は最初から5ドルで売られてる。
@@ifpops あとクソゲーすぎたら返品できるのもいい
アタリショックは知っていたけど、優秀な創業者を実質クビにしたのが大きいな
本来創業者社長ってのは筆頭株主だから社長しているわけで、株を手放せば当然でしょう
「会社は株主のものである」。大きくなったら手放して換金するのがアメリカのベンチャービジネス
アメリカの会社ってのはシステム的に社長が過半数の株を持ってるとかでない限り長期的ビジョンを持てなくて、短期的な利益を追求せざるを得ないので、才能ではなく結果を見るしかない
それで、「後は野となれ山となれ」的な無茶苦茶やってさっさと大金を手に退陣する経営者とかいるわけだ
退任後に会社が傾いてもそれは後任者の責任だからね
読み返して気がついた
単に筆頭株主だからじゃなくて、「過半数の株を持っている」、つまり問答無用で自分の意見を通せる(議案を任意で一方的に可決もしくは否決できる)から社長ですね
ちなみにブッシュネルの次の一手がゲームバーwゲームやりながら酒飲めて騒げるお洒落な場所、ワーナーの「家庭用ゲーム機発展」って要求とまったく別方向なんである意味対立するのは必然的だったりする
シクジリシリーズは面白いです。勉強にもなります。
朝食シリアルメーカーが参戦は流石に草
まあ日本(ファミコン)でも異業種参入はあったけれどね
任天堂はベビーカーを作っていたという。
日本だって染物問屋が参戦したから多少はね。
@fightersxfighters3304 コーエーくんはまぁ面白いからセーフ。(信長の野望とか)
最初にこちらの動画を見てから、ゲーム機大戦の動画を見たから、すごく理解が深まったことを覚えてます。
ごま付き団子はほんとおいしくて好き
ATARIのブランドは今フランスの会社のものになっていたとは知らなかった
素晴らしい動画です!🌟
ATARIジャガーはリサイクルされて歯科器具として使われた
って聞いたけど本当かなぁ...?
8:19 織 田 裕 二(訂正前のニコニコのコメントにて)
8:23 ここのワーナーコミュニケーションのロゴがモスバーガーのやつと似てる
「ポケモンじゃねーんだぞ!」
「返事はイエスかゴーだ」
「イエスボス」
草ですわ
任天堂がNESを発売しようとした時、大変だったようで。アタリショックの後なので小売店の反応が悪くて…。
サードパーティのクソゲー粗製濫造でゲーム機の市場か崩壊していたし、小売店も倒産したゲームソフトメーカーが返品に応じてくれないので在庫処分セールするしかなくて大損こいた、しかもホビーパソコンがこれからは流行ると言われていた。そんな時期だったから、任天堂がゲーム機として売り出そうとしたら案の定小売店に相手にされなかったので「ゲーム機ではありません!"エンターテイメントシステム"です‼︎(キリッ」と言って何とか店棚に載せた話すこ。
私もロスの郊外でアタリの公認サービス会社をやりましたよ。結構面白かった。修理も技術いらず。エンジニアならぬチェンジニア。回路が故障ならメインPCBをそっくり交換、ジョイスティックが壊れていればこれも保証期間内ならすぐにお取替え。修理が1台終わると検査と称してパックマンかインベーダを1局。数分で止めるのに一苦労。
うちが素直に修理業を営んでいたので視察と称して一度はアタリのお偉いさんが社のプライベートジェットで駐車場ならぬ駐機場を持つ通り向かいのモーテルならぬエアテルプラザというランウエイが 2,500m もある Van Nuys Airport に付随する BH に舞い降りて挨拶に来た。あれから何10年も経つなぁ。
7:03 ここ好き
実機用意してETやってる!
そんな真面目なところが好感持てる
これはイケメンですね!
イケメン税かかればいいのに
どっかの時計台が喜びそうですね・・・。
ゴミ捨て場からE、Tが発掘されてなければ映画レディプレイヤー1が生まれなかったって聞いて爆笑した記憶がw
今回も分かりやすくまとめてくださってありがとうございます
新作(再up)嬉しいです
アメリカならではのストーリーですね。1983-5年頃にアメリカ出張に度々行ってましたが、ナインテンドーはすごい人気でしたね。アメリカ人の家にお呼ばれしたら必ずと言って良いほど子供達とゲーム大会でした。Japan as No1 とか言われて夢みたいな時代だったですね。
ついにアタリが来た!
待ってたよ!
ああ、違和感あるなあと思い、言われて気付きました(掛軸)
ニコ動でもリピートして視聴させて頂いてます。
ニコ動未配信分の再配信、楽しみにお待ちしています。
ガレージで作られた会社といえばGoogleもそうだね
アメリカンドリームってガレージで生まれる共通点でもあるのかしら?
ガレージって車庫って訳されるし間違いではないんだけど車いじりの工具も置いてあってDIYの国で日曜大工の工具もあって物置にもなってる車庫 兼 物置 兼 工作室なケースが多いからモノづくりで成功する人の出発点がガレージなのはありがちなんだよ。
マイクロソフトもだっけ?
12:59
ある染料問屋「これからはコンピューターゲームの時代や、せや、ワイらも参入したろ」
そこは社長がガチの技術者だったから……
次はぜひとも弁護士法人東京ミネルヴァ法律事務所について調べて欲しいです。弁護士法人で過去最大規模らしいですね。
毎回楽しませてもらっています。
ありがとうございます。
個人的な希望なのですが、日本の会社に戻って、「ワイキューブ」(安田佳生社長)代表書籍:「千円札は拾うな」を取り扱って欲しいです
再アップお疲れさんです!
「E.T.」のスピルバーグ監督が、因縁のワーナー配給でアタリのゲームをフィーチャーした「レディ・プレイヤー1」を撮ったという皮肉。
レディプレイヤーってそうやってできたのか。
当然小売店も被害被ったのでNESの営業は大変だったそうな
一時期ナムコ社長が経営していた日活をリクエストします。
振り返ってみると、歴史的にも非常に重要な企業ですね。ゲームなくしてコンピュータは語れない。
遊び心と背広の交錯する奇天烈な市場。アメリカンは背広が強すぎる気がします。
何事も最初を作り出すのが大変なんだよね、、、
たとえしくじりで消えたとしても
テレビゲームの先駆けを作ったATARIは誇らしい。
某ゲーム機戦争動画を見てATARIの事を知った後、
PONGアーケードがROUND1にあったのを見て
まだATARIは細々と生き残っているのを知った。
ATARI VCS…待ってるぜ
ジャガーは日本では一部店舗の輸入販売のみで、ちょっと正式にリリースされたとは言い難い
完全にコレクター向けの趣味のハードでした。
スマブラみたいに誰でも参戦可能なAtari VCS(笑)
でも、会社の社運は外れだったみたいね😂
しくじり企業シリーズ、楽しく拝見しております。
アタリリンクスは家にあるけど単三電池6本で2時間動くんだせ
短すぎる
財帽子
昔は持ち運べるだけで革新的でしたからね
ゲームギアが単三電池6本で3時間、テレビチューナーも別売であったので外でテレビが観られたよ
Lynxだからリンクスの間違いでは?
tko
訂正しました💧
稼働時間が短いというのが当時の携帯ゲームの問題で、だから任天堂のゲームボーイはあえてカラー液晶やバックライトを採用せずに稼働時間を延ばす方針にしたそうな。
ちなみにアルカリ単3電池4本で35時間という驚異のスタミナの持ち主である。
当時はアメリカへの憧れが残っていた時代だしスターウォーズのゲームとかでアタリにも憧れがあったな。CMも格好良かった。E.T.は散々な結果だけど今でもゲーム性を擁護する声もあるね。数年前にドキュメンタリー映画のアタリゲームオーバーのdvdを買ってしまったけどすごく懐かしかった。
今回も勉強になりました。魔理沙と霊夢はこっちの顔の方が好きです。
私もやっぱりこっちの顔の方がしっくりくると思います。
でも北海道にはバーミヤンがなくなった…。
このアタリの話はネトフリのドキュメントでも観たけどめちゃくちゃで面白いよね
TRONの詳しい情報が知りたいです
リクエストなのですが、イギリスの旅行会社、トーマス・クックの紹介をお願いします。
ちょうど最近AVGNにハマったので再うp助かります🙇♂️
ゲーム会社ということで、楽しく観させてもらいました😃
今度はどうでしょう?大企業が参加してポシャったプロジェクトなんてどうでしょう?
WiLLプロジェクトとか?いかがでしょう?
17:58 このパソコン、私が初めて買ったパソコンです。当時としてはそれなりのスペックがありましたが、使いにくかったです。
アタリって進○ゼミの教材で名前だけ聞いたことある感じだったんでこの解説動画にはすごく感謝しかないです、、、
ゲーム会社関連でしくじった企業っていうとテクノスジャパンもその一つですかね?
初見です 面白かった
ATARIというと思い出す
「hard driving」
音楽が無い
スタート時の「コーーン‼️」
今でも耳に残ってます🤣
一番最初のウィンドウズの起動音のようなショックを与えられたのでしょうね。
ウィンドウズ起動…
「あれ?起動したのに音が鳴らねぇ…、ボリュームを最大にっと…」
クソデカ起動音:テテーン!!
「\ ギャァァァァァァー!! /」
日本でもファミコンの市場が拡大した時代(1986年頃)にサードパーティーとして畑違いの企業が多く参加して多くのクソゲーが生まれていったけど、日本人はアメリカ人に比べてメーカー名を見て物を買う傾向が強かったから大事に至ることはなかったようですね。
それに、畑違いの企業が出したゲームでも『川のぬし釣り』のような名作もありましたし。
up乙です!いつも動画楽しみに見ています!いつか家電量販店のコジマをやって欲しいです!
モトローラの石を使ったパソコンSTは素晴らしかったですよ。
いつ聞いても「あたるとぉかくどがぁぁ~」が秀逸(笑)
8:57 振動するコントローラーだったらモザイクしないとダメですね。
だったらプレステもNGだろww
赤井雷 あれは形が卑猥じゃないからセーフ
この試作故障エピソード、知ってても痺れるな……
うぽつです
25年前にアメリカで同じ業界にいたが、アメリカマーケットの問題は流通と消費者が強く、返品はすべて受付け、メーカーに返送し返金される。返品されたゲームを検品してみるとほとんどがクリアしてあった。任天堂に発注した700万本を出荷し、200万分が不良在庫、100万本が返品、費用はすべて3rd Party負担。カートリッジは売り切りなので任天堂だけが儲かった。これがPSの始まりだった。当時Nの社長さんと話して確信した。アタリショックは業界に入ったばっかりで勉強しました。
胡麻つき団子…いいよね
いい……
次にゲーム企業ネタを扱う折には、IonStormの、大刀(Daikatana)にまつわる顛末を取り上げてほしいです。
ゲーム界ではこれ以上ない、驚天動地のしくじりっぷりなので
Daikatanaの生みの親であるジョン・ロメロと古巣のid softwareはPCゲーム史を語る上で外せないですね。
スピルバーグのプレイヤーワンに
いたなあ
ダイトウ(大刀)
13:15
YESかGOかのGOってなんの意味なんでしょうかねぇ()
Go(to heaven)!!
じゃないですかねぇ(白目)
Get Out!(出てけ)
ハイと言うかクビになるか
NOという返事は存在しない、という意味では?
YES(はい)かGo(やれ)だろ。
角を矯めて牛を殺すを地で行った様な崩壊劇だったが、かと言って急成長しながらも社員の大多数がヒッピーと言うのも
それはそれで崩壊しそうだしなぁ…
……マイクロソフト(ボソッ)
教えて教えてで、あたりまえだのクラッカーが出てくると踏んでいたんだか。。。
この前、業⚫スーパーで売っていて、生きとったんかワレとなったwww
AVGNさんでお馴染みのATARIの話はありがたいです
バーミヤンか…行きたくなったなぁ🍴
それにしても、車、家電、テレビゲームに漫画、アニメ、他にもあるか、
元をたどっていくとそのルーツは全部米国ですな
こう考えるとニンテンドーって最初期からゲームを作っているのに続いてるのがすごい
染物屋「ゲーム作ろ」
弁当屋「ゲーム作ろ」
花札屋「ゲーム作ろ」
↓
染物屋「潰れた」
弁当屋「潰れた」
花札屋「生きてる」
アタリリンクス……………
何もかも懐かしい………………
当時、憧れたモンですよ
ソフトが洋ゲーしかなくて、本数も少なく、値段が高いのがネックでしたけど……………
ファミ通のドラネコシアターでジャガーがネタにされていたのが懐かしいですw
ネタにされがちなゲーム会社ですが、ランパートを世に出してくれたアタリには感謝しかありません。
世界初のビデオゲームメーカーが日本の囲碁将棋用語の「アタリ」を社名にしたら、1980年代以降は日本が一大ビデオゲーム大国になったというのは因果な話というか示唆的なものを感じる
ユニーって吸収合併されたんですよね。あのでかい会社の倒産劇を知りたいです。非正規が多いUAゼンセンが強すぎてイオンもヨーカドーも強請られてるのは有名だけど、他にもいっぱい原因ありますよね?
アタリ・リンクスは最近になって某戦車アニメで出てきて驚いた。
神次元ゲイムネプテューヌVで知った。
当時元ネタ調べたけど、よくわからなかったけど、改めて解説されると、あのゲームの内容は大体あってるの笑うわ。
ETのゲームの説明で、会社のエライさんが表面的な「勝てる」要素だけみて広告費を突っ込んだあげく爆死する様子を見て、またサムライ8を思い出してしまった。