北条時代の遺構が小田原城から

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  • Опубликовано: 28 ноя 2024

Комментарии • 10

  • @大伴遼
    @大伴遼 4 года назад +2

    小田原在住です。
    お恥ずかしいことに小田原城整備に先生が関わっておられることを知りませんでした。
    城内小学校、動物園、駐車場、懐かしいお話が沢山出て嬉しかったです。
    整備が進んでいく小田原城の姿をリアルタイムで眺められる幸せに浸りつつ、先生の御尽力に感謝いたします。

  • @domms-0963
    @domms-0963 4 года назад +6

    後北条氏の遺構を残して頂けるのは非常に嬉しいです。毎年小田原城を訪れていますが後北条氏時代の遺構を感じさせてくれるのは今では惣構えぐらいでしょうか。当時の土から成る「城」の小田原城をこの眼で見てみたいものです。

  • @kapi6139
    @kapi6139 4 года назад +5

    前田慶次様のチャンネルを見ておるのですが、小和田先生のお話を慶次様からお聞きし歴史初心者の私ですのでそんな私にも読み易い本の紹介をして頂けると推薦していただきました。
    楽しく歴史を学べる機会であると思いますのでこれからもずっと見させていただきます。小田原城も昨年行きましたが、見所踏まえ事態落ち着いたらもう一度行きたいと思います。

  • @不期庵工房
    @不期庵工房 4 года назад +1

    テンション爆上がりな話

  • @KOJI19691005
    @KOJI19691005 4 года назад +3

    50のオヤジです。
    今度(いつかな)国に帰ったら、久しぶりに小田原へ行ってみます。

  • @つるかめ-y4c
    @つるかめ-y4c 4 года назад +4

    「麒麟がくる」の進捗危機が報道されておりますが……どうか、年始始まり▪年末最終回にこだわらずに、明智光秀を丁寧に辿って欲しいと願っています。
    「おんな城主 直虎」もそうですが、歴史の隙間に活躍した武将のお話は、とても興味深いです。こちら遠州、おんな城主といえば「お田鶴の方」(と、「椿姫観音(の由来)」)が知られていました。今川氏とのゆかりは深く、先生のご講話を通して、ただ年代だけで追っていた歴史の出来事の一つひとつが繋がっていく楽しさを知りました。
     ありがとうございました。

  • @きびだんご-z1q
    @きびだんご-z1q 4 года назад +3

    幕末期の姿に何でこだわったのだろ・・・その前に後北条の時代もある訳で、でてもおかしくないのにね。
    単純に埋めるですか、勝者の遺構だけってのも寂しいですね( ´Д`)=3
    歴史の流れからすれば残す決断はありがたいですね。

  • @otojirou
    @otojirou 4 года назад

    『小田原城』『御用米』と来れば、江戸後期の『二宮尊徳』でしょうかね。
    後北条の遺構を取るか、二宮尊徳(勝手に決め付けてる)を取るかで悩ましいですね。

  • @Talent-ke3wq
    @Talent-ke3wq 2 года назад

    アナウンサーは「約50」を「およそ50」などと言っています。
    理由は「やくごじゅう(約50)」と言って「ひゃくごじゅう(150)」と聞こえたらマズイからです。
    なので「約~」を「およそ~」と仰る方が良いと思います。
    細かくて済みませんが宜しければ是非お願い申し上げます。御存じでしたら深くお詫び申し上げます。