【終戦から77年】シベリア抑留…96歳元兵士 遺骨収集にウクライナ侵攻の影
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- Опубликовано: 14 авг 2022
- 終戦からきょう15日で77年となりました。当時、旧ソ連の捕虜となった多くの日本兵がシベリアに連行され、厳しい強制労働の中、命を落としました。長年、遺骨の収集や死の真相をたどる調査が続いてきましたが、その活動にいま、ウクライナ侵攻が暗い影を落としています。
◇◇◇
北海道・利尻島。良質なコンブとウニがとれるこの島に、壮絶な体験をした男性がいます。
吉田欽哉さん(96)。現役の漁師です。
戦時中、19歳で出征し、南樺太(現在のサハリン)に配属されました。終戦後、引き揚げ船に乗ったはずが、思いもよらない悲劇が起こります。
吉田欽哉さん
「船が向こう(逆方向)に行くんだもの。まさかシベリア連れて行かれるとは思わない」
対日参戦を表明したソ連は、1945年8月9日、南樺太などに侵攻しました。約57万5000人の日本人が捕虜としてシベリアに強制連行されたのです。冬はマイナス30℃にもなる厳しい環境で、鉄道の建設や伐採などの強制労働を強いられました。
これが「シベリア抑留」です。
吉田欽哉さん
「食べる物ない。何もない。腹減って腹減ったら、ああいうことになるんでしょうね。石が、おはぎに見えるんです」
平和祈念展示資料館には、抑留者たちが暮らした収容所の様子を再現した展示があります。衛生環境も悪く、約5万5000人が命を落としたといわれています。
亡くなった人の埋葬も、抑留者の手によって行われました。
吉田欽哉さん
「ロープ持っていって、せいのこい、せいのこいって引っ張って、重いんですよ。それに腐ってにおいして、最初すごかったんです」
吉田さんは、約4年間の抑留生活を生き延び帰国しました。しかし、忘れることができないのは、命を落とした仲間との約束です。
吉田欽哉さん
「手でかけて埋めてきたんだから。迎えに来るからなって。それが頭から離れないんです」
3年前、その約束を果たすため、吉田さんは厚生労働省の調査班と共にシベリアを訪れました。
吉田さんは「日本に帰るぞー」と叫び、抑留日本人の墓標をなでながら「寒かったな…」と涙を流しました。
仲間の遺骨を見つけるため、ツンドラの大地を手作業で掘っていきます。この時、人骨のようなものが見つかったといいますが、仲間の遺骨とは認められませんでした。
吉田欽哉さん
「墓地だなって思った所から、この石がひとつ出てきたもんだから」
遺骨の代わりに、小さな石をシベリアから持ち帰りました。吉田さんは「次こそは遺骨を持ち帰る」と胸に誓いました。
しかし――
新型コロナウイルスに加え、今年2月に始まったウクライナ侵攻により、ロシアへの渡航が禁止され、遺骨の収集ができない状況が続いています。
吉田欽哉さん
「自分の生涯あと何年あるの。10年ありますか」
「もう1回行って(遺骨を)持ってくるのが、これからの生きがいなんだから」
吉田さんは憤りを感じています。
◇◇◇
厚労省は、遺骨収集の他にも抑留者の調査を行ってきました。
今年、ようやく父親の死の詳細を知ることになった男性がいます。
有賀勇次さん(79)
「これが、今回送っていただきました資料でございます」
横浜市に住む有賀勇次さんが見せてくれたのは、6月に厚労省から送られてきた資料です。
有賀勇次さん
「上が死亡診断書で、下が埋葬証書」
それは、シベリア抑留者となり、現地で亡くなった父・三津三さんの当時の記録でした。
――どの情報が初めてわかった?
有賀勇次さん
「全部。発疹チフスに起因する肺炎で、脳溢血(のういっけつ)なんていうのもですね」
資料には、三津三さんが1945年9月20日、当時の満州・奉天で捕虜になり、12月5日にシベリアに到着。その翌年の3月3日に亡くなり、イルクーツク州のマルタ駅付近に埋葬されたと記録されていました。
有賀勇次さん
「死亡した日にちがはっきりしたのと、埋葬されている場所がはっきりしたということで、あの当時の戦争のどさくさに紛れて、本当に埋葬してくれたかどうかもわからなかったですけど、そういう情報がいただけたことは、ありがたかったと思っています」
◇◇◇
最期が確認された抑留者は、これまでに約3万9000人。依然、1万人以上が不明のままで、記録を待つ家族に届いていません。しかし、ウクライナ侵攻が始まり、資料提供の費用をロシア側に支払うことができなくなり、調査は中断しました。
厚労省 社会・援護局 援護・業務課調査資料室 手嶋和子室長補佐「日本が経済制裁を発令したというところで影響を受けた。(資料提供に対する費用の)支払いが、いまできないために、次の資料の入手に結びついていない」
戦後77年。シベリア抑留者の記録をたどる作業は、いまだ終わりが見えません。
(2022年8月15日放送)
#終戦の日 #シベリア抑留 #日テレ #ニュース
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70年以上この人は戦争の惨禍に苦しめられてきたのか。
仲間が故郷から遠く離れた極寒の地で死んだという事実、
自分なら受け止められない。
北朝鮮の拉致被害もそうですが、自分の故郷で死なせて貰えない
って地獄だなぁ。
そんな北朝鮮に統一教会が資金提供していたらしいですよ……。(保守派である筈の安倍総理とズブズブ)
共通テストやるよりこっち勉強した方がいい。教科書は綺麗事しか書いてないから本当に呆れる
90代には見えない お元気なお姿。吉田さん。
今でも御健在だろうか。私の父は満州高射砲部隊の一員で、戦後 舞鶴に復員 列車にて故郷へ、最寄りの駅から家まで遠いものですから
30k徒歩で父母のもとへ。とーーここまでは聞いてました。その後 一男三女。一男がワタクシ。
父は当時のこと、わたくしどもが聞いても話しませんでした。
82歳で逝きました。
モーリン 追伸
逝く数日前 できるならば お家でとの先生のおことば。
父 帰宅。
祖父、祖母の遺影ある間に寝かせるも、落ち着かない。家人数人がTVみてるとき、おまえたち
「見えないか」と。指差す。
父 間もなく逝った。 今は壺2個 お花捧げん。むすこ。
美容師です。シベリアから無事帰還されたお客様を担当した事がありました。パンしか食えねーんだけど氷食ってるみたいでね、何を食ったって氷の味しかしないんだよ、、、って思い出しながら涙ながらに教えて頂けました。パン一つでもご本人から聞くのと資料館のみで知るのとはまるで違いますから、、、本当に過酷だったのだと思います。
待って 96歳!?
こんな元気な96歳、どうしたらこうなるんだ!!
でもきっと、お役目ですね。
こうして世に伝えるお役目。
知り合いの父さんも終戦後シベリア抑留され寒さと飢え 重労働 働き少ないとパン減らされ動物以下の扱い栄養失調で帰られ翌年亡くなられた 青春時代も知らず 戦争は絶対 駄目其しか言えない
しっかりと文句を言わない政府と体験してない奴がとやかく言う案件
over 70-yrs already passed, his war still not over yet,,,,,,,,,til he gets his fellow soldier bones back to Japan....
ただひとつ変わってないこと。
ロシアのショーもないところは、
全然変わってない。
昔の戦後時代に産まれて来た人しか知りません⁉️
この動画でシベリアで起きたこと
、今年に入って知りました。
教えていただきありがとうございました⁉️
ノルマだとか当たり前に使うけどロシア語だからね怖いわ
戦争はもうしたらあかん
こんな辛いこと悲しいこと
なのにプーチンは…
今のロシア人は良い人が増えたね
それだけでも良しとしなきゃね
ロシアは変わらない😂
なんで日本が金払って資料貰わないといけねぇんだよ
遺骨全てを
返してください
しょうがないだろ
Just BAKA 😆
@@SuperTrumpMAGA でも日本がやってきたこととあまり変わらないのも事実。