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期間での占いをおしえてほしいです
死神のカードが占いで出るとドキッとしますが、なんか嫌いじゃないカードです。死と再生で私は前向きに捉える事が多いです。仏教で云う処の破壊の神”シバ神”別名を”第六天魔王”になるでしょうか。余談ですが織田信長は自らを第六天魔王、つまり破壊の神シバ神の生まれ変わりと自負していました。死神の冠にあるのは羽が萎れたものでしょうか?大アルカナの”太陽の子供”と”愚か者”にもありますよね...。子供”太陽”が青年”愚か者”になりやがて老いて死神”Death"になる人生の初めと終わりをも表しているのでしょうか? ”執着を捨てる”と云う言葉は好きな言葉です。然しながら中々執着を捨てれなくて苦しみますがそれも私が凡夫の証でしょう。(笑)
コメントありがとうございます💖シバ神は仏教にも登場するのですね!てっきりヒンズー教の神様だとばかり思っていました。阿弥陀如来やお不動様と同じような種類の神様なのでしょうか?執着を捨てるのは難しいですが、まずは「執着を捨てることへの執着」を捨ててみるところから始めてみるといいかもしれません(笑)逆説的に聞こえますが、まずは現状を受け入れることができないと執着は手放せないので、最初のステップとしておすすめです🌟
Coco様、返事ありがとうございます。ちょっとだけ解説しますと、私の考えでは仏教は例えは悪いかもしれませんが、特撮ヒーローの”ウルトラマン”みたいなもので、最初はゴータマ・シッタルダから始まった仏教なのですが、仏教が広まっていくにつれて新しい種類の仏陀が加わって行ったようです。(例えば阿弥陀如来とか、薬師如来、菩提薩埵(菩薩)不動明王など)つまりウルトラマンが始まりなのにそこから派生してウルトラ兄弟が沢山できた感じでしょうか...。今の大乗仏教(大きな乗り物にみんなで乗って悟りを得て、浄土に行こう!の意味)の考え方はインドのガンダーラ地方で起きたようです。仏教が広がりを見せるにつれヒンドゥー教の神であるシバ神やチベット仏教の神であるガネーシャ別名は聖天歓喜天(頭がゾウの仏さま)が取り入れられて行きました。その取り込まれた神々には俗にいう天部があり、帝釈天や梵天、毘沙門天などの四天王も元々は仏教とは違う神々であったものがどんどん吸収されて行きました。京都比叡山の天台宗は大乗仏教の中心になるお寺で今の浄土宗や曹洞宗などの禅宗、法華宗の総本山です。因みにウチは曹洞宗です。高野山の開祖空海は真言密教で真言とはサンスクリット語の事、密教とは言葉や文字に依らない教えの事です。例えていうなら野球選手のイチローが書いた本”これで君もイチローになれる!”などの本があったとしてこれを読んだからってイチロー選手にはなれない事は自明の理ですね。何度も練習して体やカンで覚えて素晴らしいプレーが出来るようになるのに言葉や文字でいくら説明してもスーパープレイは出来ないということです。それが密教の考え方で、その反対は顕教と云うことになります。文字や経典を読んで修めるということになります。密教の仏は大日如来や不動明王になるようです。不動明王は大日如来の憤怒の姿としています。優しい言葉や仏の顔では通じない碌でもない人間も多くいるということでしょう。(笑)因みに菩提薩埵(菩薩)はサンスクリット語の音写ボーディ・サットバで意味は”悟りを求める者”で如来は”真如の世界から来た”と云う意味の如来だそうです。有名な般若心経は物語になっていて、釈迦の一番弟子のシャーリー・プトラ別名舎利弗とか般若心経では”舎利子”になってます。この舎利子が釈迦如来に悟りってなんですか?って訊いたことから、釈迦の代わりに観自在菩薩(観音)が悟りと云うのはねぇ...と説明するお話がそのままお経になってます。般若波羅蜜多とはサンスクリット語の音写で意味は”知恵の完成”です。大まかにいえば観音様が知恵の完成をした時にこの世のものに形がない事(色即是空、空即是色)が解ったので悩んでも恐れても意味がなく生も死もないと理解した(悟った)と説明?しています。ざっとこんな感じなんですけど...。坊さんや宗教家の人が聞いたら怒るかしら。色々な本を読んだ私なりの結論なので参考にならないかもしれませんが...この手の話しようと思ったら一晩じゃ足りないかもです。(笑)執着を捨てる事への執着を捨てるとは素敵な言葉ですね。まさしく禅問答のようです。ありがとうございます。 長い文章すいません。💦
期間での占いをおしえてほしいです
死神のカードが占いで出るとドキッとしますが、なんか嫌いじゃないカードです。死と再生で私は前向きに捉える事が多いです。仏教で云う処の破壊の神”シバ神”別名を”第六天魔王”になるでしょうか。余談ですが織田信長は自らを第六天魔王、つまり破壊の神シバ神の生まれ変わりと自負していました。
死神の冠にあるのは羽が萎れたものでしょうか?大アルカナの”太陽の子供”と”愚か者”にもありますよね...。子供”太陽”が青年”愚か者”になりやがて老いて死神”Death"になる人生の初めと終わりをも表しているのでしょうか? ”執着を捨てる”と云う言葉は好きな言葉です。然しながら中々執着を捨てれなくて苦しみますがそれも私が凡夫の証でしょう。(笑)
コメントありがとうございます💖
シバ神は仏教にも登場するのですね!てっきりヒンズー教の神様だとばかり思っていました。
阿弥陀如来やお不動様と同じような種類の神様なのでしょうか?
執着を捨てるのは難しいですが、まずは「執着を捨てることへの執着」を捨ててみるところから始めてみるといいかもしれません(笑)
逆説的に聞こえますが、まずは現状を受け入れることができないと執着は手放せないので、最初のステップとしておすすめです🌟
Coco様、返事ありがとうございます。ちょっとだけ解説しますと、私の考えでは仏教は例えは悪いかもしれませんが、特撮ヒーローの”ウルトラマン”みたいなもので、最初はゴータマ・シッタルダから始まった仏教なのですが、仏教が広まっていくにつれて新しい種類の仏陀が加わって行ったようです。(例えば阿弥陀如来とか、薬師如来、菩提薩埵(菩薩)不動明王など)つまりウルトラマンが始まりなのにそこから派生してウルトラ兄弟が沢山できた感じでしょうか...。
今の大乗仏教(大きな乗り物にみんなで乗って悟りを得て、浄土に行こう!の意味)の考え方はインドのガンダーラ地方で起きたようです。仏教が広がりを見せるにつれヒンドゥー教の神であるシバ神やチベット仏教の神であるガネーシャ別名は聖天歓喜天(頭がゾウの仏さま)が取り入れられて行きました。その取り込まれた神々には俗にいう天部があり、帝釈天や梵天、毘沙門天などの四天王も元々は仏教とは違う神々であったものがどんどん吸収されて行きました。京都比叡山の天台宗は大乗仏教の中心になるお寺で今の浄土宗や曹洞宗などの禅宗、法華宗の総本山です。因みにウチは曹洞宗です。高野山の開祖空海は真言密教で真言とはサンスクリット語の事、密教とは言葉や文字に依らない教えの事です。例えていうなら野球選手のイチローが書いた本”これで君もイチローになれる!”などの本があったとしてこれを読んだからってイチロー選手にはなれない事は自明の理ですね。何度も練習して体やカンで覚えて素晴らしいプレーが出来るようになるのに言葉や文字でいくら説明してもスーパープレイは出来ないということです。それが密教の考え方で、その反対は顕教と云うことになります。文字や経典を読んで修めるということになります。
密教の仏は大日如来や不動明王になるようです。不動明王は大日如来の憤怒の姿としています。優しい言葉や仏の顔では通じない碌でもない人間も多くいるということでしょう。(笑)
因みに菩提薩埵(菩薩)はサンスクリット語の音写ボーディ・サットバで意味は”悟りを求める者”で如来は”真如の世界から来た”と云う意味の如来だそうです。有名な般若心経は物語になっていて、釈迦の一番弟子のシャーリー・プトラ別名舎利弗とか般若心経では”舎利子”になってます。この舎利子が釈迦如来に悟りってなんですか?って訊いたことから、釈迦の代わりに観自在菩薩(観音)が悟りと云うのはねぇ...と説明するお話がそのままお経になってます。般若波羅蜜多とはサンスクリット語の音写で意味は”知恵の完成”です。大まかにいえば観音様が知恵の完成をした時にこの世のものに形がない事(色即是空、空即是色)が解ったので悩んでも恐れても意味がなく生も死もないと理解した(悟った)と説明?しています。
ざっとこんな感じなんですけど...。坊さんや宗教家の人が聞いたら怒るかしら。
色々な本を読んだ私なりの結論なので参考にならないかもしれませんが...
この手の話しようと思ったら一晩じゃ足りないかもです。(笑)
執着を捨てる事への執着を捨てるとは素敵な言葉ですね。まさしく禅問答のようです。ありがとうございます。 長い文章すいません。💦