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最強の敵になったってええな。戦争をなくすために魔王になった側の物語って感じでおもろい(最終回のエピローグで、本人はただ魔王なりたかっただけかもしれないってオチもいい)黒田清輝、レオナール藤田、東郷青児、村上隆と脈々と魔王の系譜が受け継がれてるwww令和の魔王ははたして
デザインする側から聞いてたけどおっくんの話おもろかった
はじめまして。おっくんさんの話は、「女を口説いた事がない、男のナンパ論」みたいに聴こえましたw でも、すっごく面白かったです。ラストの方で、「この女と付き合って、別れて、この絵が出来て…」みたいに制作側は、云われたくないし、そこで評価されたり、絵に意味づけされるのは、イヤだと、久世さんが仰ってたのは、すご~く共感します。いきなり、自分の作品が薄っぺらくなった気がします。 私は、スポーツ(玉っ転がしのナニが愉しいのか?サッパリ不明)が全くNGだったので、10年間、美術部でして。大学受験を考える時に、美大も考えましたが…「きっと自分は、良くて美術教師、プロとして喰ってゆけるのは、ごく一部。ましてや、プロなら、好きな絵だけ描けなくなる。それでは描く事をキライになるだろうな…」思って、美大を選択肢から外しました。あと、山田さんの「無条件に褒められて育つと、受験用のレッスンには向かないタチになる」に凄く共感しました。絵の技術を褒められたいとか、伸ばしたいと思った事が一度もなく。それも、受験しなかった理由です。ただ、私は、音楽を聴いたり、自然の中に居ると、たま~に動画が浮かんでくるので。それを留める為には、画力が全く足りません。脳内のモノを留める為の、技術としては、テクニックが欲しいと思います。今でも、美術教室にやんわり在籍したり、そこでの展覧会に出展したりしてます。今でも、描くことを趣味として愉しめてるので、自分の気質には、当時の選択は間違ってなかったと思ってます。 山田氏の「美術館は、教会である」は、凄く納得しました。おっくんさんの云う「大衆化した方が、エライし、在野に下りて、お芸術をARTにした。そもそも、日本は浮世絵文化」も、とても納得したし、分かり易かったですが…。わたしにとっては、「ART&ARTに関わる事」は、もっと崇高な瞬間の連続・永遠性に出逢う行為です。それは、ART作品からだけに限らず、漫画でも、雨音でも、同じです。いつか、パウル・クレーも取り上げて頂けると、嬉しいです。 一番、好きな画家ですが、自分がなぜ?好きなのか?不明でして。 因みに、私は、週1くらいBARに行きますが、「BARに1人で居る女は誘われたい」は、大間違いだと思いますw 何軒か、上司や友人達と行った後に、1人になりたくて行ってる女性もいますよ~。そこは、中間管理職リーマンと同じなのでは?
激論だからこそ面白い。
玲司さんに漫画家としてバガボンドはアートか否かを論じてほしい。
44:57 日本人はアートという概念がなかった話。岡田さんと言ってる事一緒だ。
東郷青児は、近所のデパートの食堂(山形屋 宮崎店)にデカイ作品ありました
おっくんの話の時だけ、粗探しみたいな視点になる周りの聞き方嫌なんよなぁ。俺だけかな?こう感じてるの話がぶれてるところがあるのは分かるけど聞き方が好きじゃない
おっくんは主観で見れないタイプかもしれない
宗教的な巡礼でしか可能でなかった崇高な経験を圧倒的な物流網で作品を配布できるようになってからが現代芸術だとすれば、発展という現象にきわめて敏感なのが芸術家とするため、画壇とポップの対立が発生するには、まず確固たる政治経済的な理想論が必要。17世紀の思想家が貧困で苦しみ有名だったのは宗教の延長。現代の消費者経済にはそぐわない。
大木くん死にかけてるやんけ…笑
6:40
フラットに見れてないのは 奥野やん。「それは俺にとってダサい」って個人的な感情論で収束したままやったら、論理になれへんやん。なぜそれが「ダサいのか」まで説明してくれな。あと「俺にとってのロックンロール」とか個人的な定義が多すぎる。言葉の解像度が粗すぎ。それやのに他人の個人的な意見に対しては喧嘩腰というかマウント取ってくるのはなんなんや。久世が言う通り「一鑑賞者の視点として (奥野)望の話はすげぇ面白い」には同感。
芸術も工芸もどっちもアートです。それを分けるのは典型的な間違い。あと東郷青児はいわゆる芸術作品も描いてる。
無駄なウェ~~イ乗りいらないなあ
自分の事しか考えてない笑笑
観覧うるさいな
ねずっちのチャンネルより登録者すくないってwwwwwwwwwwwww
17iwh1te 誰だよそれ
最強の敵になったってええな。戦争をなくすために魔王になった側の物語って感じでおもろい(最終回のエピローグで、本人はただ魔王なりたかっただけかもしれないってオチもいい)
黒田清輝、レオナール藤田、東郷青児、村上隆と脈々と魔王の系譜が受け継がれてるwww令和の魔王ははたして
デザインする側から聞いてたけどおっくんの話おもろかった
はじめまして。おっくんさんの話は、「女を口説いた事がない、男のナンパ論」みたいに聴こえましたw でも、すっごく面白かったです。ラストの方で、「この女と付き合って、別れて、この絵が出来て…」みたいに制作側は、云われたくないし、そこで評価されたり、絵に意味づけされるのは、イヤだと、久世さんが仰ってたのは、すご~く共感します。いきなり、自分の作品が薄っぺらくなった気がします。 私は、スポーツ(玉っ転がしのナニが愉しいのか?サッパリ不明)が全くNGだったので、10年間、美術部でして。大学受験を考える時に、美大も考えましたが…「きっと自分は、良くて美術教師、プロとして喰ってゆけるのは、ごく一部。ましてや、プロなら、好きな絵だけ描けなくなる。それでは描く事をキライになるだろうな…」思って、美大を選択肢から外しました。あと、山田さんの「無条件に褒められて育つと、受験用のレッスンには向かないタチになる」に凄く共感しました。絵の技術を褒められたいとか、伸ばしたいと思った事が一度もなく。それも、受験しなかった理由です。ただ、私は、音楽を聴いたり、自然の中に居ると、たま~に動画が浮かんでくるので。それを留める為には、画力が全く足りません。脳内のモノを留める為の、技術としては、テクニックが欲しいと思います。今でも、美術教室にやんわり在籍したり、そこでの展覧会に出展したりしてます。今でも、描くことを趣味として愉しめてるので、自分の気質には、当時の選択は間違ってなかったと思ってます。 山田氏の「美術館は、教会である」は、凄く納得しました。おっくんさんの云う「大衆化した方が、エライし、在野に下りて、お芸術をARTにした。そもそも、日本は浮世絵文化」も、とても納得したし、分かり易かったですが…。わたしにとっては、「ART&ARTに関わる事」は、もっと崇高な瞬間の連続・永遠性に出逢う行為です。それは、ART作品からだけに限らず、漫画でも、雨音でも、同じです。いつか、パウル・クレーも取り上げて頂けると、嬉しいです。 一番、好きな画家ですが、自分がなぜ?好きなのか?不明でして。 因みに、私は、週1くらいBARに行きますが、「BARに1人で居る女は誘われたい」は、大間違いだと思いますw 何軒か、上司や友人達と行った後に、1人になりたくて行ってる女性もいますよ~。そこは、中間管理職リーマンと同じなのでは?
激論だからこそ面白い。
玲司さんに漫画家としてバガボンドはアートか否かを論じてほしい。
44:57 日本人はアートという概念がなかった話。
岡田さんと言ってる事一緒だ。
東郷青児は、近所のデパートの食堂(山形屋 宮崎店)にデカイ作品ありました
おっくんの話の時だけ、粗探しみたいな視点になる周りの聞き方嫌なんよなぁ。俺だけかな?こう感じてるの
話がぶれてるところがあるのは分かるけど聞き方が好きじゃない
おっくんは主観で見れないタイプかもしれない
宗教的な巡礼でしか可能でなかった崇高な経験を圧倒的な物流網で作品を配布できるようになってからが現代芸術だとすれば、発展という現象にきわめて敏感なのが芸術家とするため、画壇とポップの対立が発生するには、まず確固たる政治経済的な理想論が必要。17世紀の思想家が貧困で苦しみ有名だったのは宗教の延長。現代の消費者経済にはそぐわない。
大木くん死にかけてるやんけ…笑
6:40
フラットに見れてないのは 奥野やん。「それは俺にとってダサい」って個人的な感情論で収束したままやったら、論理になれへんやん。なぜそれが「ダサいのか」まで説明してくれな。
あと「俺にとってのロックンロール」とか個人的な定義が多すぎる。言葉の解像度が粗すぎ。それやのに他人の個人的な意見に対しては喧嘩腰というかマウント取ってくるのはなんなんや。
久世が言う通り「一鑑賞者の視点として (奥野)望の話はすげぇ面白い」には同感。
芸術も工芸もどっちもアートです。それを分けるのは典型的な間違い。
あと東郷青児はいわゆる芸術作品も描いてる。
無駄なウェ~~イ乗りいらないなあ
自分の事しか考えてない笑笑
観覧うるさいな
ねずっちのチャンネルより登録者すくないってwwwwwwwwwwwww
17iwh1te 誰だよそれ