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「お笑いが内輪ネタ、あるあるになった」ていうのがものすごく腑に落ちました
同意。ただ「お笑い」に限らない。友達や仲間内の雑談でも、こうしたコメ欄や掲示板のコメントも同じ傾向になってきた。「こういうのよくあるよね」に対して「こういうのもある」という紹介や「それは違うのでは?」という議論が嫌われ「あるあるw」で終わる。まるで「話題が共有できてて自分が仲間外れじゃない」ことだけを確認したく、自分の知らない知識を披露されたり、自分の意見を言い合う雰囲気にされたくない。話題を拡大したり発展したりされたくない。ぬるま湯の安心感の中に浸っていたい。そういうクッソ気持ち悪い空間だと思う。
立川談志の流れを汲む笑点は意外と政権風刺やってるよな
ここのコメントをみれば分かるように政治(政権批判)の話が関わると、「お前は本当にこの動画を観たのか?」というコメントが散見されるから、お笑いでそれをやっても中身関係無く敵意丸出しで聴くから笑いにならないのが原因でしょうね。嫌韓流という本が発売された辺りから何十年にもわたってあらゆる憎しみを刷り込まれた層の洗脳はなかなか解くのが難しい。
日本人の最大限の批判的態度というのがそもそも「期待しない」だからね批判するのはまるで相手に期待したり相手にやらせようという気持ちがあるように見える民主主義と絶望的に相性が良くない態度だと思ういっそ政治家無視して自分らで政治始めたほうがいいくらいだと思う
ダウンタウン以降、NGKなどは師弟関係がない。明石家さんまもたけしも師匠がいる。なので羽目を外すしても元の位置に戻そうとする仕組みがある。しかし、それらの世代と戦ったダウンタウン以降は羽目を外しっぱなし。そしてそれが武器になってしまい、常に羽目を外してる状態なので常識世論に無防備。結果、同調圧力で守り合ってるとおもう
権力者が政治家じゃないからだろ
アメリカ自体がインディアンの土地を奪ったと思っているが、実はインドじゃなかったというお笑いなのよ。
コロナに対する対応で日本人が戦中から微塵も成長していないのが露骨に判明したからなぁ‥
ワクチン打ってなさそう、マスク意味ないって言ってそう
日本では戦後に激しく政権批判するタイプの人達が幅を効かせすぎてしまったために、そういう人達に対する疑念が根強く残ってるんだと思う。社会党が当時に政権をとってマスコミなどから大々的に叩かれていたら国民感情もまた違ったかもしれないが、実際には政権をとる気もなかったため、批判だけしていれば安全地帯にいられるという所が透けて見え、政権批判=狡い奴らのようになってしまった。
いやいや、そのせいでおかしくなってるよ、アメリカのエンタメ何故なら政治的な話ができるのが左派だけだからポリコレでエンタメ破壊されてむちゃくちゃになってるのもそのせいで、揺り戻しが起きてる
マスコミがある種の権力だからさその配下の芸人はまずマスコミ批判からやれよって話 誰もやらないでしょ
とんねるずは歌ではけっこう政権批判してたけど、コントの中では確かにそうかも。ナイナイ以降は芸人以外の有名人どころか、ただの一般人(蓬田くんとか)にも絡むようになっていったので不快だった。昨今の迷惑行為頻発の原因の一端になったとすら思っている。
メディアの影響の大きさと、その下にぶら下がっている芸能界という組織に所属してしまうからなのですね。TVから飛び出しても結局、RUclipsという特別学級に編入されるだけで、結局、組織論からは逃れられない気はしますね。かといって、ソロで劇場でやってるような人の孤独と絶望も耐え難いものがあり、誰も見向きもしないとなると、まぁ、ねぇ、難しいもんですね。
日本のお笑いは良くも悪くも競技化されたことで政治とか情勢とかとは離れた一つの世界として成立してると思う。狭かれども十分楽しめる盛り上がりが毎年起こってるから誰も社会を斬るようなカウンターを望んでないってことなんじゃないか。
凄い分析、だと思う、すばらしい!
爆笑問題はやってる方だと思う吉本はメディア、東京同企連、法務省との人権コラボ、大阪府とのコラボで権力側にくっついてるからできないだけ
そろそろ政治風刺を求めてもいい時代になって来たんじゃないかな?
テレビで岸田さん風刺しても、わらえる笑える世の中の方が正常、やっぱメディアとかスポンサーなのか、芸人でそれできるの.たけしさんとか太田さんくらい、政治家と同じくらい勉強してないと、難しいのかな?批評するって頭良くないとできないから.ほんとはすごいことなのに
アメリカのエンタメなんてポリコレで終わってるんじゃん。
メディアも左右に大きく分かれているし、州ごとの分権も大きいし、政治発言をする場合は国の半分は、味方だからやりやすいんじゃない?
すんごく面白かったお笑いをタイプと質で語る感じただ今回のテーマからすれば「お笑いの量産化サラリーマン化」が問題だと思います男性アイドル界のちから関係をジャニーさんが作っていた中でお笑い界ではフジテレビでひょうきん族を作った横澤さんが吉本に入り「安定したバラエティ番組の量産化」に従事したのが「日本のお笑いが忖度や同調圧力に屈してしまう理由」に繋がっているんだと思います
非常に面白いウンチクでした。楽しく拝見させて頂きました。
黒人を揶揄するギャグをやれば言論のアメリカに自由があると証明できる。
演歌も恋の歌ばっかりですしね。演説歌はどこにいったのか…
画質きれーねー
今、アメリカエンタメの規制と抵抗を語るならフェミLGBT人種のコードは外しちゃいけないが、日本とは異次元過ぎて語りようがない。
トランプ叩きが抵抗運動で民衆の立場というのは政治風刺のお笑いですか
日本で政治ネタやってちゃんと笑い取れるの爆笑問題くらいかな
上岡龍太郎ポジって今空いてると思うんだが、誰か入らないんかね?事務所やTV局も誰か置こうという気にはならないんかな
日本のお笑いの場合、政治風刺がどこまで観衆に通じるだろうかという疑念はあるけど社会風刺なら笑いが取れるだろうし、そういう方向にまだ手つかずの大地が広がってるんじゃないかな今ならSNSで起きてることを茶化す笑いとかウケると思うけどなあ
政治批判の有無じゃないと思うけど。。。。日本のお笑いというか「バラエティに出てる吉本芸人」がやってるお笑いに寧ろ同調圧力とか忖度を感じるよ。お笑い芸人、松本とか古株の芸人が時事問題なんかで自分の見解を面白おかしく語り「笑え」というオーラ出す ⇒ 他のゲストや会場にいる観衆が笑う。語ってる内容が、そんなに面白くなくても不快でも無表情でいることは許されない感じ。ゲストも観衆も異物になるのを怖れるかの様に反射的に笑う。ひとり位、反応せずブスッとした奴がいてもおかしくないのに一人もいない。ひとり位、ツボに入って立ち直れない位に笑い続けてる奴がいてもおかしくないのに一人もいない。全員が管理されてる様に同じ様に笑う。そういう流れをよく見る。同様圧力をかける芸人というかテレビ番組。忖度して笑う観衆。そういう関係性で番組が成り立ってる様に思える。面白い筈がないわな。
すこし歴史が抜けてる気がする。上岡龍太郎、鶴瓶はどうなんのよ。一時のたけしは。上岡の跡を追いたかった島田紳助がニュース番組をやってたけどバラエティやり始めてさらに退廃した
民主主義で政治批判を突き詰めると大衆批判になるからなぁ。そういえば談志さんは西部邁さんと仲良かったですね
本来の意味の民主主義ではなくなってるけどね
いや、やりゃいいんですよビートたけしなんか「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とかでまさにそれやってたし。
結局客が笑うかどうか、今はそういうものを思想が強いだとか意識高いとか冷笑的に茶化す方がウケるんだと思う良いか悪いかは置いといてね。
伊集院を適切に評価しているところは、やっぱりさすが山田玲司。
昔のはねとびとかは巨人のナベツネを揶揄したコントとかあったけど、今はないよね
とんねるずもクイーンのWe are the championの替え歌で連立チャンポンとかやってたけどね。でも、往々にしてポリティカルな笑いってウケが悪いのか主軸にしてる人は少ない。
いや、海外(アメリカンジョーク)も差別や偏見を笑いに変えてるだけだから酷いもんだぞ
スタンダップ・コメディがさも面白いかのような風潮
とりあえず茂木さんにこれ見せてw
アメリカ文化が常に正しいわけじゃない選挙で選ばれたわけじゃないただのタレントが、政治的影響力を持つのは公平じゃないニュースバラエティという番組も本来はおかしいんだよ民主党とメディアやハリウッドが明らかに癒着してるアメリカは真似しなくていいと思う
国によって文化の違いもあるし、アメリカでやってる事を日本でやってないから終わりだと言うのは乱暴なお話ですね
奥野さんいいこと言うな
生活笑百貨、笑点で社会風刺はやってた気がする。そうゆう笑いが好きな人の為の番組はある。
左翼的な発想だよね 政権批判してたら何も面白くなくても絶賛するからなー
日本では政治ネタを演る人は、そちらの知識が殆ど無かったりしますからねえ
政権批判見たいなマクロなネタは理解はされるけれど、どうしても浅くなってしまうと思う。それに比べたら、ミクロなネタは理解はされなくても、深い。
テレビにでることで のさばっただけの ごり押しタレントの話か
ファスナーの、DJみたいなの、おもしろかった
西部邁も、いたからね
政治家を批判するのがそんなに高度かね?絶対に反撃してこない安倍さんを誹謗中傷する奴は多くいたけど、知的だとも高度だとも感じたことないけど。正直対案も出さずに批判するだけの奴は足を引っ張ってるだけだから存在価値無いと思う。あと、素人の芸人が治批判してるの聞かされたって浅すぎて笑えないよ。そんなに世の中シンプルだったら誰も苦労してない。
高度なんですよ並の奴がそれやってもあなたが言ってる事にしかならず、お笑転化までいかないから。動画で言ってるその手のお笑いてのは「風刺」です。たんなる「ネタ」や「批判」ではなくその先にあるもの。だから欧米ではコメディアンは知的な人物と見られるし、社会的ステータスも高い。実際経歴がガチインテリな人多いし。いい風刺ってのは気づいてなかった視点を提供するとか、的確に本質を取り出し提示して複雑さで煙に巻かれない認識をもたらすとか、そういう物を受け手に与えるのです。
日本は政治に対して実は国民が大きな不満を抱えていない。政治ネタをしてもあまり共感を得ない。あるあるではない。あと村本大輔さんとかぜんじろうさんとか政治ネタをする人があまり面白くない。誰かバカリズムさんや劇団ひとりさんのような才能ある人が政治ネタをすれば流れも変わるが。
政治批判お笑いが廃れたのは「権力者への憎しみが笑いに転じる」構造が平成日本人のメンタルに合わなかっただけだと思う。お笑いで政権を批判して悦に入っている暇があったら、自分が政治家になればいいのにと突っ込まれればそれでおしまいだったし。日本のお笑いも松本人志以降一気にポストモダン化し、八十年代ならバーセルミや筒井康隆がやっていたような意味のズラしみたいな高度なレベルに到達しているんだが、その独自性が未だ日本内からも発見、評価されないのが興味深い。三十年後に突如世界から注目を浴びたシティポップみたいに数年後にコペルニクス的評価を世界中から食らうんじゃないだろうか?
芸人やバラエティーのディレクターに聞けば良いのに。なぜ当事者がいないんだろう。
「大衆芸には常に政治風刺があったのか」という論点にするべきだと思う。政治風刺なんて必ず必要なものでもなく、救いの一形態に過ぎない。アメリカやイギリスにはブラックジョークがあるが日本には乏しいと言いたい人たちは、それらの国にも低俗な笑いやゴシップがあることを何故か語ろうとしない。出オチの応酬だったり、比喩でもなんでもなく有名人を実名や顔写真で引用したりして、分かりやすく笑いを取ることもある。『TED』なんてその最たるもの。2は何故かポリコレと戦ってたけどね。アメリカにも低俗な笑いはある。あと、吉本が内輪ネタだという批判も分からなくはないが、じゃあ漫才やコントはどうなるんだ、と問いたくなる。そこはそこで完結してるじゃないかと。それが芸だと。それに「テレビ芸」に関しても、明石家さんまにせよ、ダウンタウンにせよ、さんま御殿やHEY!HEY!HEY!で、内輪でない相手とも絡んでるだろうと。内輪ネタなんてファンダムが形成されたら、副産物として絶対に起きること。それこそ漫画家どうしのあれこれを、この番組でもよく話題にしているのと同じで、ファンダムの前では、内輪ネタがコンテンツになる。それだけの話。加えて言えば、政治風刺、権力批判というのは、傍流の足掻きのようなものに過ぎない。そこには、本流になれない悲哀と人間くささ、持たざるものだからこそ解像度高く語ることの出来る人間愛がある。まさに談志イズムだと思うけども、では志ん朝に政治風刺や権力批判をネタやまくらでやって欲しかったか?と言えば、疑問符がつくだろう。そもそも政治風刺は多くの場合はメタ化をはらんでしまう。本流として成立しているなら、むしろ必要ないことかもしれない。あまり権威論法は使いたくないが、ドラゴンボールに政治の話は要らない。ワンピースは救いたい対象が増え過ぎて、半ばそうなってしまっているが、初期は鈴木敏夫も言っていたように思うが、爽快な「用心棒もの」の活劇で、説教くさくなく、小難しくなかった。風刺はジャンルに過ぎない。日本に関して言えば、江戸落語ではよくまくらで権力批判をしているし、一部の漫画でも『ファブル2』とか『美味しんぼ』とか、好き放題やってる。全体として、どこかが機能を担っていればいいだけの話で、(テレビ)のお笑いにばかりそれを求める必要もない。安っぽい政治批判なら毎日、ワイドショーでやってるんだから。
レベルの低い風刺は笑えないからやらない連中が多いだけだと思うが… 談志とか全然レベル高く思えないし
長井は創価太田は左巻きこんな人がお笑いで政治批判するのはなぁ
大きなくくりじゃなく誰がおもろいん?実名くれ俺は上岡龍太郎、ダウンタウン、ランジャタイ
ウーマンラッシュアワーがそれをやって失敗したけどな
「お笑いが内輪ネタ、あるあるになった」ていうのがものすごく腑に落ちました
同意。ただ「お笑い」に限らない。友達や仲間内の雑談でも、こうしたコメ欄や掲示板のコメントも同じ傾向になってきた。
「こういうのよくあるよね」に対して「こういうのもある」という紹介や「それは違うのでは?」という議論が嫌われ「あるあるw」で終わる。
まるで「話題が共有できてて自分が仲間外れじゃない」ことだけを確認したく、自分の知らない知識を披露されたり、自分の意見を言い合う雰囲気にされたくない。
話題を拡大したり発展したりされたくない。ぬるま湯の安心感の中に浸っていたい。そういうクッソ気持ち悪い空間だと思う。
立川談志の流れを汲む笑点は意外と政権風刺やってるよな
ここのコメントをみれば分かるように政治(政権批判)の話が関わると、「お前は本当にこの動画を観たのか?」というコメントが散見されるから、お笑いでそれをやっても中身関係無く敵意丸出しで聴くから笑いにならないのが原因でしょうね。
嫌韓流という本が発売された辺りから何十年にもわたってあらゆる憎しみを刷り込まれた層の洗脳はなかなか解くのが難しい。
日本人の最大限の批判的態度というのがそもそも「期待しない」だからね
批判するのはまるで相手に期待したり相手にやらせようという気持ちがあるように見える
民主主義と絶望的に相性が良くない態度だと思う
いっそ政治家無視して自分らで政治始めたほうがいいくらいだと思う
ダウンタウン以降、NGKなどは師弟関係がない。明石家さんまもたけしも師匠がいる。なので羽目を外すしても元の位置に戻そうとする仕組みがある。しかし、それらの世代と戦ったダウンタウン以降は羽目を外しっぱなし。そしてそれが武器になってしまい、常に羽目を外してる状態なので常識世論に無防備。結果、同調圧力で守り合ってるとおもう
権力者が政治家じゃないからだろ
アメリカ自体がインディアンの土地を奪ったと思っているが、実はインドじゃなかったというお笑いなのよ。
コロナに対する対応で日本人が戦中から微塵も成長していないのが露骨に判明したからなぁ‥
ワクチン打ってなさそう、マスク意味ないって言ってそう
日本では戦後に激しく政権批判するタイプの人達が幅を効かせすぎてしまったために、
そういう人達に対する疑念が根強く残ってるんだと思う。
社会党が当時に政権をとってマスコミなどから大々的に叩かれていたら国民感情もまた違ったかもしれないが、実際には政権をとる気もなかったため、批判だけしていれば安全地帯にいられるという所が透けて見え、政権批判=狡い奴らのようになってしまった。
いやいや、そのせいでおかしくなってるよ、アメリカのエンタメ
何故なら政治的な話ができるのが左派だけだから
ポリコレでエンタメ破壊されてむちゃくちゃになってるのもそのせいで、揺り戻しが起きてる
マスコミがある種の権力だからさ
その配下の芸人はまずマスコミ批判から
やれよって話 誰もやらないでしょ
とんねるずは歌ではけっこう政権批判してたけど、コントの中では確かにそうかも。
ナイナイ以降は芸人以外の有名人どころか、ただの一般人(蓬田くんとか)にも絡むようになっていったので不快だった。
昨今の迷惑行為頻発の原因の一端になったとすら思っている。
メディアの影響の大きさと、その下にぶら下がっている芸能界という組織に所属してしまうからなのですね。
TVから飛び出しても結局、RUclipsという特別学級に編入されるだけで、結局、組織論からは逃れられない気はしますね。
かといって、ソロで劇場でやってるような人の孤独と絶望も耐え難いものがあり、誰も見向きもしないとなると、まぁ、ねぇ、難しいもんですね。
日本のお笑いは良くも悪くも競技化されたことで政治とか情勢とかとは離れた一つの世界として成立してると思う。狭かれども十分楽しめる盛り上がりが毎年起こってるから誰も社会を斬るようなカウンターを望んでないってことなんじゃないか。
凄い分析、だと思う、すばらしい!
爆笑問題はやってる方だと思う
吉本はメディア、東京同企連、法務省との人権コラボ、大阪府とのコラボで権力側にくっついてるからできないだけ
そろそろ政治風刺を求めてもいい時代になって来たんじゃないかな?
テレビで岸田さん風刺しても、わらえる笑える世の中の方が正常、やっぱメディアとかスポンサーなのか、
芸人でそれできるの.たけしさんとか太田さんくらい、
政治家と同じくらい勉強してないと、難しいのかな?
批評するって頭良くないとできないから.ほんとはすごいことなのに
アメリカのエンタメなんてポリコレで終わってるんじゃん。
メディアも左右に大きく分かれているし、州ごとの分権も大きいし、政治発言をする場合は国の半分は、味方だからやりやすいんじゃない?
すんごく面白かった
お笑いをタイプと質で語る感じ
ただ今回のテーマからすれば「お笑いの量産化サラリーマン化」が問題だと思います
男性アイドル界のちから関係をジャニーさんが作っていた中で
お笑い界ではフジテレビでひょうきん族を作った横澤さんが吉本に入り
「安定したバラエティ番組の量産化」に従事したのが「日本のお笑いが忖度や同調圧力に屈してしまう理由」に繋がっているんだと思います
非常に面白いウンチクでした。楽しく拝見させて頂きました。
黒人を揶揄するギャグをやれば言論のアメリカに自由があると証明できる。
演歌も恋の歌ばっかりですしね。演説歌はどこにいったのか…
画質きれーねー
今、アメリカエンタメの規制と抵抗を語るならフェミLGBT人種のコードは外しちゃいけないが、日本とは異次元過ぎて語りようがない。
トランプ叩きが抵抗運動で民衆の立場というのは政治風刺のお笑いですか
日本で政治ネタやってちゃんと笑い取れるの爆笑問題くらいかな
上岡龍太郎ポジって今空いてると思うんだが、誰か入らないんかね?
事務所やTV局も誰か置こうという気にはならないんかな
日本のお笑いの場合、政治風刺がどこまで観衆に通じるだろうかという疑念はあるけど
社会風刺なら笑いが取れるだろうし、そういう方向にまだ手つかずの大地が広がってるんじゃないかな
今ならSNSで起きてることを茶化す笑いとかウケると思うけどなあ
政治批判の有無じゃないと思うけど。。。。
日本のお笑いというか「バラエティに出てる吉本芸人」がやってるお笑いに寧ろ同調圧力とか忖度を感じるよ。
お笑い芸人、松本とか古株の芸人が時事問題なんかで自分の見解を面白おかしく語り「笑え」というオーラ出す ⇒ 他のゲストや会場にいる観衆が笑う。
語ってる内容が、そんなに面白くなくても不快でも無表情でいることは許されない感じ。ゲストも観衆も異物になるのを怖れるかの様に反射的に笑う。
ひとり位、反応せずブスッとした奴がいてもおかしくないのに一人もいない。
ひとり位、ツボに入って立ち直れない位に笑い続けてる奴がいてもおかしくないのに一人もいない。
全員が管理されてる様に同じ様に笑う。そういう流れをよく見る。
同様圧力をかける芸人というかテレビ番組。忖度して笑う観衆。
そういう関係性で番組が成り立ってる様に思える。面白い筈がないわな。
すこし歴史が抜けてる気がする。上岡龍太郎、鶴瓶はどうなんのよ。一時のたけしは。
上岡の跡を追いたかった島田紳助がニュース番組をやってたけどバラエティやり始めてさらに退廃した
民主主義で政治批判を突き詰めると大衆批判になるからなぁ。そういえば談志さんは西部邁さんと仲良かったですね
本来の意味の民主主義ではなくなってるけどね
いや、やりゃいいんですよ
ビートたけしなんか「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とかでまさにそれやってたし。
結局客が笑うかどうか、今はそういうものを思想が強いだとか意識高いとか冷笑的に茶化す方がウケるんだと思う良いか悪いかは置いといてね。
伊集院を適切に評価しているところは、やっぱりさすが山田玲司。
昔のはねとびとかは巨人のナベツネを揶揄したコントとかあったけど、今はないよね
とんねるずもクイーンのWe are the championの替え歌で連立チャンポンとかやってたけどね。
でも、往々にしてポリティカルな笑いってウケが悪いのか主軸にしてる人は少ない。
いや、海外(アメリカンジョーク)も差別や偏見を笑いに変えてるだけだから酷いもんだぞ
スタンダップ・コメディがさも面白いかのような風潮
とりあえず茂木さんにこれ見せてw
アメリカ文化が常に正しいわけじゃない
選挙で選ばれたわけじゃないただのタレントが、政治的影響力を持つのは公平じゃない
ニュースバラエティという番組も本来はおかしいんだよ
民主党とメディアやハリウッドが明らかに癒着してるアメリカは真似しなくていいと思う
国によって文化の違いもあるし、アメリカでやってる事を日本でやってないから終わりだと言うのは乱暴なお話ですね
奥野さんいいこと言うな
生活笑百貨、笑点で社会風刺はやってた気がする。そうゆう笑いが好きな人の為の番組はある。
左翼的な発想だよね 政権批判してたら何も面白くなくても絶賛するからなー
日本では政治ネタを演る人は、そちらの知識が殆ど無かったりしますからねえ
政権批判見たいなマクロなネタは理解はされるけれど、どうしても浅くなってしまうと思う。
それに比べたら、ミクロなネタは理解はされなくても、深い。
テレビにでることで のさばっただけの ごり押しタレントの話か
ファスナーの、DJみたいなの、おもしろかった
西部邁も、いたからね
政治家を批判するのがそんなに高度かね?絶対に反撃してこない安倍さんを誹謗中傷する奴は多くいたけど、知的だとも高度だとも感じたことないけど。
正直対案も出さずに批判するだけの奴は足を引っ張ってるだけだから存在価値無いと思う。
あと、素人の芸人が治批判してるの聞かされたって浅すぎて笑えないよ。そんなに世の中シンプルだったら誰も苦労してない。
高度なんですよ
並の奴がそれやってもあなたが言ってる事にしかならず、お笑転化までいかないから。
動画で言ってるその手のお笑いてのは「風刺」です。たんなる「ネタ」や「批判」ではなくその先にあるもの。
だから欧米ではコメディアンは知的な人物と見られるし、社会的ステータスも高い。
実際経歴がガチインテリな人多いし。
いい風刺ってのは気づいてなかった視点を提供するとか、的確に本質を取り出し提示して複雑さで煙に巻かれない認識をもたらすとか、そういう物を受け手に与えるのです。
日本は政治に対して実は国民が大きな不満を抱えていない。政治ネタをしてもあまり共感を得ない。あるあるではない。あと村本大輔さんとかぜんじろうさんとか政治ネタをする人があまり面白くない。誰かバカリズムさんや劇団ひとりさんのような才能ある人が政治ネタをすれば流れも変わるが。
政治批判お笑いが廃れたのは「権力者への憎しみが笑いに転じる」構造が平成日本人のメンタルに合わなかっただけだと思う。
お笑いで政権を批判して悦に入っている暇があったら、自分が政治家になればいいのにと突っ込まれればそれでおしまいだったし。
日本のお笑いも松本人志以降一気にポストモダン化し、八十年代ならバーセルミや筒井康隆がやっていたような意味のズラしみたいな高度なレベルに到達しているんだが、その独自性が未だ日本内からも発見、評価されないのが興味深い。三十年後に突如世界から注目を浴びたシティポップみたいに数年後にコペルニクス的評価を世界中から食らうんじゃないだろうか?
芸人やバラエティーのディレクターに聞けば良いのに。なぜ当事者がいないんだろう。
「大衆芸には常に政治風刺があったのか」という論点にするべきだと思う。政治風刺なんて必ず必要なものでもなく、救いの一形態に過ぎない。アメリカやイギリスにはブラックジョークがあるが日本には乏しいと言いたい人たちは、それらの国にも低俗な笑いやゴシップがあることを何故か語ろうとしない。出オチの応酬だったり、比喩でもなんでもなく有名人を実名や顔写真で引用したりして、分かりやすく笑いを取ることもある。『TED』なんてその最たるもの。2は何故かポリコレと戦ってたけどね。アメリカにも低俗な笑いはある。あと、吉本が内輪ネタだという批判も分からなくはないが、じゃあ漫才やコントはどうなるんだ、と問いたくなる。そこはそこで完結してるじゃないかと。それが芸だと。それに「テレビ芸」に関しても、明石家さんまにせよ、ダウンタウンにせよ、さんま御殿やHEY!HEY!HEY!で、内輪でない相手とも絡んでるだろうと。内輪ネタなんてファンダムが形成されたら、副産物として絶対に起きること。それこそ漫画家どうしのあれこれを、この番組でもよく話題にしているのと同じで、ファンダムの前では、内輪ネタがコンテンツになる。それだけの話。加えて言えば、政治風刺、権力批判というのは、傍流の足掻きのようなものに過ぎない。そこには、本流になれない悲哀と人間くささ、持たざるものだからこそ解像度高く語ることの出来る人間愛がある。まさに談志イズムだと思うけども、では志ん朝に政治風刺や権力批判をネタやまくらでやって欲しかったか?と言えば、疑問符がつくだろう。そもそも政治風刺は多くの場合はメタ化をはらんでしまう。本流として成立しているなら、むしろ必要ないことかもしれない。あまり権威論法は使いたくないが、ドラゴンボールに政治の話は要らない。ワンピースは救いたい対象が増え過ぎて、半ばそうなってしまっているが、初期は鈴木敏夫も言っていたように思うが、爽快な「用心棒もの」の活劇で、説教くさくなく、小難しくなかった。風刺はジャンルに過ぎない。日本に関して言えば、江戸落語ではよくまくらで権力批判をしているし、一部の漫画でも『ファブル2』とか『美味しんぼ』とか、好き放題やってる。全体として、どこかが機能を担っていればいいだけの話で、(テレビ)のお笑いにばかりそれを求める必要もない。安っぽい政治批判なら毎日、ワイドショーでやってるんだから。
レベルの低い風刺は笑えないからやらない連中が多いだけだと思うが… 談志とか全然レベル高く思えないし
長井は創価
太田は左巻き
こんな人がお笑いで政治批判するのはなぁ
大きなくくりじゃなく
誰がおもろいん?
実名くれ
俺は上岡龍太郎、ダウンタウン、ランジャタイ
ウーマンラッシュアワーがそれをやって失敗したけどな