【ゆっくり歴史解説】江戸幕末に将軍の影武者を務めた男の生活

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  • Опубликовано: 1 янв 2025

Комментарии • 85

  • @mandm.s
    @mandm.s 3 года назад +5

    いろんな本、紹介してくれるの嬉しい

  • @リヲン-LF
    @リヲン-LF 3 года назад +5

    饅頭の翠香に血判状とは草
    当時は今みたいにネットとかないので将軍の顔を確認しにくいので影武者だとバレにくそうですよね。
    支給された服売るのおもろしいですね。
    同僚が会社でもらった資格用テキスト売ってるのとかぶって笑ってしまいました。

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад +1

      いつもご感想をいただき有難うございます。
      自分の指を刃物で切るなんて、ビビッてしまって私にもとても出来ないです(笑)
      はい、どのくらいの人が将軍の顔を知っていたのでしょう。そこは私も気になります。
      暴れん坊将軍のように「こやつは上様の偽物じゃ!切り捨てぃ!!」みたいなこともあったのでしょうか(笑)

  • @あぼぼです
    @あぼぼです 3 года назад +12

    影武者徳川家康ならぬ、影武者徳川慶喜か・・・・・・次回も楽しみにしております。始めて聞いた話だから非常に興味深い

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад

      嬉しいご感想を有難うございます。
      はい、私も本当に影武者役がいただなんて知りませんでした。

  • @鈴木英樹-z8c
    @鈴木英樹-z8c 3 года назад +3

    影武者の 話しは 大好きです😆🎵🎵
    ロマンが有りますね‼️
    ヒトラー、スターリンにも 影武者が
    居ましたね😢最近では 中国、北朝鮮かなぁ?

  • @緑鬼-b7q
    @緑鬼-b7q 3 года назад +9

    いつも面白い動画をありがとうございます。
    こういう方の記録が残っているということを今回初めて知りました。調べてみるともっとすごい人の記録が残ってるかもしれませんね。

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад +1

      嬉しいご感想を有難うございます。
      はい、当時の人の日記や回顧録などというのは非常に面白いですよね。
      これからも良さそうなものありましたらどんどん紹介していきます。

  • @basilbasilicum
    @basilbasilicum 3 года назад +7

    幼少の食べ盛りの頃に寺奉公でひもじい思いをして、御徒になっても美味しくない食事…嫡男との差を見ているだけに食への執着が強くなるのは当たり前かもしれませんね。
    これから山本政恒殿にどんな苦難が待ち受けているのか…次回も楽しみです。

    • @KOME1990
      @KOME1990 3 года назад +4

      一方で同じころに酒井伴四郎さんは江戸などでグルメを堪能してたかと思うとなんだか面白いですねw身分が違うし所属も違うので二人が会うことは無かったかもしれませんがもしどこかで美味しいものを食べてる伴四郎とすれ違ってたかもしれないと想像するとなんだかおかしくなりますw

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад +1

      嬉しいご感想を有難うございます。
      政恒には報われて欲しいと思うところですが、まだまだ困難は続くようで・・・。
      70歳で自分の人生を振り返り、この一代記を書いたときの政恒の心情まで次回やりたいな~と思っていますのでお楽しみにです。

  • @abbtk14
    @abbtk14 3 года назад +10

    生々しいですが、今回もとても興味深いお話です。出される食事が身分や格に応じるのは仕方ないにしても、米すらまともに炊いていないって予算を惜しむにしてもひどいもんですね…。

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад

      ご感想をいただき有難うございます。
      そうですよね。将軍の警護なんて重要任務に当たっているのですから、もうちょっと待遇が良くても・・・とは私も思ってしまいます。

  • @ちっちゃいちゃん-g6s
    @ちっちゃいちゃん-g6s 3 года назад +4

    貴重な記録ですな、ますます楽しみになってきたわ。
    霊夢の「とまぁ」かわいいよな。

  • @まる2
    @まる2 3 года назад +5

    影武者。映画の中だけの話かと思っていましたが、実在したんですね。
    これはとても勉強になります。
    少し浮かび上がれたのかと思えば又辛酸をなめる。この本は読んでみなければなりません。
    後編も楽しみです。

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад +1

      いつも嬉しいご感想を有難うございます。
      全員同じ格好をして、的を絞らせない。
      この当時は写真なんて出回ってはいないでしょうから、将軍の顔を知っていた敵ってどのくらいいたのでしょうね。
      暴れん坊将軍のように「こやつは上様の偽物じゃ!切り捨てい!!」みたいなこともあったのでしょうか(笑)

  • @木元西
    @木元西 3 года назад +2

    今回も楽しませていただきました。
    幕末江戸の御家人がどんな生活をしていたのか、興味深く拝見しました。
    食に関しては現代人の方が恵まれているように思えます。また同役いじめと言うと「いじめ刃傷」松平外記を思い出します。
    それでは次回後半で山本氏がどのような人生を歩むのか、楽しみにしています。

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад +1

      嬉しいご感想を有難うございます。
      やっぱり武家社会はかなり上下関係が厳しかったようですね。水泳での話は私も「うわぁ・・・」という感じでした。

  • @yh6146
    @yh6146 3 года назад +2

    8:49 江戸城で勤務する武士は弁当持参だと思っていた。食事が提供されたのは知らなかった。

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад

      ご感想をいただき有難うございます。
      他の部署はわかりかねますが、政恒が務めていた御徒についてはそうだったようです。

  • @鯛が好き-d7j
    @鯛が好き-d7j 3 года назад +4

    影武者というと戦国時代のイメージしか無かったので面白かったです。
    普段目にする歴史は支配階級の記録だが多数を占める庶民、下級武士の話はリアルに感じます。

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад

      嬉しいご感想を有難うございます。
      はい、政恒の話は歴史教科書には絶対に載らないでしょうが(笑)こういった当時のリアルを知る方が歴史を好きになれるのかなとも思いますね。

  • @東子-r2e
    @東子-r2e 3 года назад

    足の痺れと苛め、そうかぁと深く納得しつつ、新しい知識に感動しました

  • @ゆっくり解説科学と数学
    @ゆっくり解説科学と数学 3 года назад +3

    吉田屋の弁当じゃなくて、吉野家で出前取ればよかったのにね。
    味噌汁付きで。

  • @ぢぢラニアン
    @ぢぢラニアン 3 года назад

    興味深く見ました。手記ぜひ読んでみたいです。

  • @メイ-z1y
    @メイ-z1y 3 года назад

    わかりやすくて面白かったです。詳しく調べてあって、ためになります。ありがとう。

  • @西田由多加
    @西田由多加 3 года назад +5

    いつも楽しみに観させてもらいました😁なんか侍版おしんみたいな‼️
    続き、楽しみです‼️

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад +2

      いつも嬉しいご感想を有難うございます。
      山本政恒という1下級武士。派手さは全くないのですが、どうも私は惹かれてしまいます。

    • @西田由多加
      @西田由多加 3 года назад

      @@偉人はつらいよ文化歴史紹 こちらこそ、ありがとうございます❗️次回は無理せず作って下さい❗️追伸、長崎の皿うどん(あんかけの揚げ麺)行かれた時は小をオーダーしてね❗️小が一人前の両ですけど😃

  • @mt0kysyk
    @mt0kysyk 3 года назад +1

    面白いですな〜

  • @yh6146
    @yh6146 3 года назад +1

    11:15 そういえば、現代のSPもトイレが近くなるから勤務中は水を飲まないと聞いた事がある。

  • @ctakabe
    @ctakabe 3 года назад +6

    経験者による、所謂「一次史料」ですね。
    そんなものが伝えられていたとは…しかも食事や訓練内容とか実に生々しい!
    次回が待ち遠しいです(でも無理はなさいませんように)。

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад +2

      嬉しいご感想をいただき有難うございます。
      はい、今回紹介しきれませんでしたが、水泳訓練の様子などとても具体的で非常に面白かったです。
      ここからさらに波乱万丈ですので次回をお楽しみにです。

  • @ヒロヒロ-g7v
    @ヒロヒロ-g7v 3 года назад

    毒見役を描いた鬼役と言う作品でも、二の間や大奥ですら料理人は薄給のため余分に作って横流しすると言う横領が黙認されていたと言う描写があります。四の間の待遇なんて推して知るべしと言う感じですね。どうせ仕出し弁当で済ませていて害はないのも知ってるでしょうし。

  • @盆暗粕男
    @盆暗粕男 3 года назад +2

    同じ下級武士でも酒井伴四郎の方が気楽でいいな。

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад +1

      ご感想をいただき有難うございます。
      はい、同じ幕末の下級武士と言えど、これほどの差があるのは面白いですよね。

  • @瑠璃雀
    @瑠璃雀 3 года назад +3

    家康の世良田二郎三郎元信が有名ですね

  • @あああああ-k1q6l
    @あああああ-k1q6l 3 года назад +1

    うぽつです‼️
    影武者……。今でもお偉いさん方の影武者さんとか居るのかなって考えると、なんだか思うことがあります。。。

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад +1

      ご感想をいただき有難うございます。
      今でもいるのでしょうか・・・?
      あ、北の某国ではいそうですね。

  • @keywest0312
    @keywest0312 3 года назад

    上役に挨拶(お歳暮・お中元・ごますり)して、覚え目出度い人(気に入られた人)が出世して行くって、現代でも同じでしょう!
    昔から変わらないね〜

  • @恭心夏雲
    @恭心夏雲 3 года назад

    ザルで御飯を作るのは、
    江戸時代の宿屋でもやってたと
    TVで放送してた筈。
    時短だけで考えれば案外ポピュラーだったのかも知れない。

  • @yh6146
    @yh6146 3 года назад +2

    5:46 16歳で婿養子か。徳川慶喜の父親の徳川斉昭は三男で次兄と弟が分家の養子になれたのに長兄の亡くなった為に長兄の後を継いだ30歳まで部屋住みだった。斉昭の政敵の井伊直弼も14男で兄や弟が養子に行ったのに32歳まで部屋住みだった。

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад

      ご感想をいただき有難うございます。
      井伊直弼の部屋住みは有名と言えば有名なのかもですが、意外すぎますよね。
      なるべく争いが起こらないための長男相続システムですが、難しいものです。

  • @多田誠-d7l
    @多田誠-d7l 3 года назад

    興味深く視聴させて頂きました。名古屋市にも御成通りという通りがあります。名古屋の殿様が使った道なんでしょうか?

  • @カッシングメルヴェイユ
    @カッシングメルヴェイユ 3 года назад +5

    将軍の護衛ですか。王女守る女性騎士みたいな任務ですね。下級武士で、寺の精進料理とどちらがましかわからないほど粗末な食事とは。話はまだ続くみたいで、その時を楽しみにしています。ありがとうございました!

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад +2

      嬉しいご感想を有難うございます。
      はい、もうちょっと待遇が良くっても良い気がしますよね。
      次回もお楽しみにです。

  • @anewreturner1
    @anewreturner1 3 года назад +2

    身分の低い御家人の三男に生まれたのが運の尽きって感じですね。素直に坊主をやってた方がよかったんじゃないかな。

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад

      ご感想をいただき有難うございます。
      それは何とも言えませんが、もし寺小姓のままであれば、この時代のごくごく平凡な一生だったのかもしれませんね。

  • @吉川正純
    @吉川正純 3 года назад +2

    時代的には家茂・慶喜公の頃かな?「影武者」というより将軍を守る”その他多数の盾”ですね💦

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад +1

      ご感想をいただき有難うございます。
      そうですね。この時代将軍の顔を正確に覚えている敵というのはどのくらいいたのでしょう。
      そこも気になるところです。

    • @吉川正純
      @吉川正純 3 года назад

      @@偉人はつらいよ文化歴史紹 個人的見解としては江戸幕府は尊王攘夷の風潮下や財政難で「瓦解」寸前なので、敢えて将軍を狙うことは考えにくかったと思います。

  • @honda10102004
    @honda10102004 3 года назад +1

    御徒という御家人(分かりやすく言えば足軽)は上司である組頭(こちらも御家人)と共に御徒町の大縄地と呼ばれる同職場の社宅に住んでいました、山本正恒の場合は200坪の敷地に二十数坪の家を建てて住んでいました。残りの土地は耕作したり他人に貸す事で副収入を得ていました(本来は幕府の土地なので禁止)、明治維新後土地は当然明治政府に返還しましたが屋敷は自弁だったので二十円(明治初期なら=二十両=今なら300〜400万円)で売れたそうです
    将軍御成の際に御徒が着る羽織は徳川葵の入った黒縮緬の最高級品でした、将軍と同じ物

  • @koishikayayoujyousyo
    @koishikayayoujyousyo 3 года назад +2

    八丁堀与力および常廻り「俺等はパトロン居るから墨染の黒羽織は最高級品着れたんだぜ」
    将軍の行列だろうと横切れたのは産婆さんと医者だけらしい

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад +1

      ご感想をいただき有難うございます。
      支給されて即、売っちゃうというね(笑)
      生活の足しにしていたのでしょうか。

  • @daioh_gtonburi9204
    @daioh_gtonburi9204 3 года назад +1

    御徒町の御徒って、やっぱりこの御徒なんですかね

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад +1

      ご感想をいただき有難うございます。
      今回の参考文献には具体的な関連性は書いていませんでしたので私の感想になりますが、どうみても無関係ではなさそうですよね。

    • @daioh_gtonburi9204
      @daioh_gtonburi9204 3 года назад

      やっぱりそうですよねぇ。

  • @takasi1491
    @takasi1491 3 года назад +1

    妻夫木‼️‼️

  • @近藤雄二-k9s
    @近藤雄二-k9s 3 года назад +1

    血判するのに神経が密になってる指を切るってw
    腕や膝や神経の少ない部分なら大して痛くもなく血判に必要な血液が取れるだろうに・・・

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад

      ご感想をいただき有難うございます。
      自分で指を切るなんて、やれと言われても私はようやりません😂

  • @fw11bred5
    @fw11bred5 3 года назад +2

    どうも!

  • @さとうひさよ
    @さとうひさよ 3 года назад +1

    𦾔時諮問録に出てくるのですか❓

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад

      ご感想を有難うございます。
      𦾔時諮問録というのは読んだことがありませんので、ちょっとわかりませんね。
      でも面白そうですので、読んでみたいと思います。

    • @さとうひさよ
      @さとうひさよ 3 года назад

      @@偉人はつらいよ文化歴史紹 様
      本は あるのですが 老齢なので億劫になりました

  • @スプリンクラーヘッド
    @スプリンクラーヘッド 3 года назад +1

    千葉に御成街道がある、何故?

  • @丸山康平-l2f
    @丸山康平-l2f 3 года назад +1

    あと寺小姓は洞れるし、、、

  • @丸山康平-l2f
    @丸山康平-l2f 3 года назад +2

    でも明治の役人は信じられないくらいの
    高給取りなんだよな。まあ人数じたいが極小なんですが。

  • @宴は終わったが
    @宴は終わったが 3 года назад +2

    動画ありがとうございます。
    影武者というのは江戸時代版SPですからね。現在でも警察では相当のいじめっぽいこともありますし、水泳でのいじめもさもありなんというところでしょうか。

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад

      いつもご感想をいただき有難うございます。
      イジメはいつの時代にもあるのですね。まあ現代では少しはマシになっていると良いのですが。

  • @nuruosan4398
    @nuruosan4398 3 года назад +2

    将軍って籠に乗ってたのかな?
    御三家は輿にのる特権があったんだから将軍も輿に乗ってるもんかと思ってた(´・ω・`)

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад

      ご感想をいただき有難うございます。
      今回の参考文献では、「大抵の場合は駕籠に乗っていた」という記述でしたね。
      輿にのることもあったのかもですけれど。

  • @マサ-t3j
    @マサ-t3j 2 года назад

    寺に入れられたらもはや、病院食。

  • @Mr.Kabuki_MetalStudio
    @Mr.Kabuki_MetalStudio 3 года назад +1

    顏も似ていれば危険だけど、優遇はされたかもしれない。
    影武者と言えばそっくりさんだけど、護衛団のようなモノだったのね。
    手抜きのお城飯より将軍様お墨付きの仕出し屋さんの方が旨いモノ入れてくれるからなあ。
    御家人や旗本は3男だったらあまり荒れなかったらしいけど、次男がスペアで無駄にプライドが高いと処分に困ったらしい。
    ワシは蕎麦掻に、旨い酒をつけてくれたら喰いもんではクレームはないたまにはカモを付けてくれくらいか・・・命張るんだから青首くらい喰わせてくれよ

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад +1

      ご感想をいただき有難うございます。
      なるべく争いが起こらないための長男優遇システムですが、優秀な次男以降は堪らなかったでしょうね。
      難しいものです。
      将軍の警護なんて厳しい任務でしょうから、楽しみは食べることだったのかなぁなんて想像しますが、それにしても酷い食事です。

  • @sk-ed9mu
    @sk-ed9mu 3 года назад

    スクリュー投げそうな名前やね

  • @ドラゴンツッチー
    @ドラゴンツッチー 3 года назад +1

    影武者というより、SPだな…。当時は写真も庶民には出回ってないだろうし、庶民は将軍の顔なんかほとんど知らないだろうから、万一の時は、周囲のものと同じ格好をして紛れていれば十分ごまかせたんだろうから、衣服だけの統一で十分だったんだろうなぁ…。でも、その大事な服を売り払うって…。いざという時役目を果たせるのかよ…。
    しかし、いじめはいつの時代もなくならないですね…。何ですかね、人間は自分より少しでも弱い存在を無意味に痛めつけたい本能でもあるんですかね。
    ところで、「株を買ひ出し者」って、武士の身分を買った人の事ですか?

    • @偉人はつらいよ文化歴史紹
      @偉人はつらいよ文化歴史紹  3 года назад

      ご感想を有難うございます。
      支給品を売っちゃうというのは、中々に衝撃的ですよね。
      山本一人だけ古い羽織を着ていたのでしょうか?それともみんなもすぐに売ってしまって、将軍だけが新しい羽織を着ているとかもあるかもしれませんね(笑)
      はい、武士身分の売買は江戸時代を通してあったことのようですが、幕末になるとお金にものを言わせた商人が家の泊付けのため、盛んになっていったようです。