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いろんな本、紹介してくれるの嬉しい
嬉しいご感想を有難うございます。
饅頭の翠香に血判状とは草当時は今みたいにネットとかないので将軍の顔を確認しにくいので影武者だとバレにくそうですよね。支給された服売るのおもろしいですね。同僚が会社でもらった資格用テキスト売ってるのとかぶって笑ってしまいました。
いつもご感想をいただき有難うございます。自分の指を刃物で切るなんて、ビビッてしまって私にもとても出来ないです(笑)はい、どのくらいの人が将軍の顔を知っていたのでしょう。そこは私も気になります。暴れん坊将軍のように「こやつは上様の偽物じゃ!切り捨てぃ!!」みたいなこともあったのでしょうか(笑)
影武者徳川家康ならぬ、影武者徳川慶喜か・・・・・・次回も楽しみにしております。始めて聞いた話だから非常に興味深い
嬉しいご感想を有難うございます。はい、私も本当に影武者役がいただなんて知りませんでした。
影武者の 話しは 大好きです😆🎵🎵ロマンが有りますね‼️ヒトラー、スターリンにも 影武者が居ましたね😢最近では 中国、北朝鮮かなぁ?
ご感想をいただき有難うございます。今でも・・・いるのでしょうね~😅
いつも面白い動画をありがとうございます。こういう方の記録が残っているということを今回初めて知りました。調べてみるともっとすごい人の記録が残ってるかもしれませんね。
嬉しいご感想を有難うございます。はい、当時の人の日記や回顧録などというのは非常に面白いですよね。これからも良さそうなものありましたらどんどん紹介していきます。
幼少の食べ盛りの頃に寺奉公でひもじい思いをして、御徒になっても美味しくない食事…嫡男との差を見ているだけに食への執着が強くなるのは当たり前かもしれませんね。これから山本政恒殿にどんな苦難が待ち受けているのか…次回も楽しみです。
一方で同じころに酒井伴四郎さんは江戸などでグルメを堪能してたかと思うとなんだか面白いですねw身分が違うし所属も違うので二人が会うことは無かったかもしれませんがもしどこかで美味しいものを食べてる伴四郎とすれ違ってたかもしれないと想像するとなんだかおかしくなりますw
嬉しいご感想を有難うございます。政恒には報われて欲しいと思うところですが、まだまだ困難は続くようで・・・。70歳で自分の人生を振り返り、この一代記を書いたときの政恒の心情まで次回やりたいな~と思っていますのでお楽しみにです。
生々しいですが、今回もとても興味深いお話です。出される食事が身分や格に応じるのは仕方ないにしても、米すらまともに炊いていないって予算を惜しむにしてもひどいもんですね…。
ご感想をいただき有難うございます。そうですよね。将軍の警護なんて重要任務に当たっているのですから、もうちょっと待遇が良くても・・・とは私も思ってしまいます。
貴重な記録ですな、ますます楽しみになってきたわ。霊夢の「とまぁ」かわいいよな。
嬉しいご感想を有難うございます👍
影武者。映画の中だけの話かと思っていましたが、実在したんですね。これはとても勉強になります。少し浮かび上がれたのかと思えば又辛酸をなめる。この本は読んでみなければなりません。後編も楽しみです。
いつも嬉しいご感想を有難うございます。全員同じ格好をして、的を絞らせない。この当時は写真なんて出回ってはいないでしょうから、将軍の顔を知っていた敵ってどのくらいいたのでしょうね。暴れん坊将軍のように「こやつは上様の偽物じゃ!切り捨てい!!」みたいなこともあったのでしょうか(笑)
今回も楽しませていただきました。幕末江戸の御家人がどんな生活をしていたのか、興味深く拝見しました。食に関しては現代人の方が恵まれているように思えます。また同役いじめと言うと「いじめ刃傷」松平外記を思い出します。それでは次回後半で山本氏がどのような人生を歩むのか、楽しみにしています。
嬉しいご感想を有難うございます。やっぱり武家社会はかなり上下関係が厳しかったようですね。水泳での話は私も「うわぁ・・・」という感じでした。
8:49 江戸城で勤務する武士は弁当持参だと思っていた。食事が提供されたのは知らなかった。
ご感想をいただき有難うございます。他の部署はわかりかねますが、政恒が務めていた御徒についてはそうだったようです。
影武者というと戦国時代のイメージしか無かったので面白かったです。普段目にする歴史は支配階級の記録だが多数を占める庶民、下級武士の話はリアルに感じます。
嬉しいご感想を有難うございます。はい、政恒の話は歴史教科書には絶対に載らないでしょうが(笑)こういった当時のリアルを知る方が歴史を好きになれるのかなとも思いますね。
足の痺れと苛め、そうかぁと深く納得しつつ、新しい知識に感動しました
吉田屋の弁当じゃなくて、吉野家で出前取ればよかったのにね。味噌汁付きで。
興味深く見ました。手記ぜひ読んでみたいです。
わかりやすくて面白かったです。詳しく調べてあって、ためになります。ありがとう。
いつも楽しみに観させてもらいました😁なんか侍版おしんみたいな‼️続き、楽しみです‼️
いつも嬉しいご感想を有難うございます。山本政恒という1下級武士。派手さは全くないのですが、どうも私は惹かれてしまいます。
@@偉人はつらいよ文化歴史紹 こちらこそ、ありがとうございます❗️次回は無理せず作って下さい❗️追伸、長崎の皿うどん(あんかけの揚げ麺)行かれた時は小をオーダーしてね❗️小が一人前の両ですけど😃
面白いですな〜
@@偉人はつらいよ文化歴史紹 楽しく見れて癒されます(^○^)
11:15 そういえば、現代のSPもトイレが近くなるから勤務中は水を飲まないと聞いた事がある。
経験者による、所謂「一次史料」ですね。そんなものが伝えられていたとは…しかも食事や訓練内容とか実に生々しい!次回が待ち遠しいです(でも無理はなさいませんように)。
嬉しいご感想をいただき有難うございます。はい、今回紹介しきれませんでしたが、水泳訓練の様子などとても具体的で非常に面白かったです。ここからさらに波乱万丈ですので次回をお楽しみにです。
毒見役を描いた鬼役と言う作品でも、二の間や大奥ですら料理人は薄給のため余分に作って横流しすると言う横領が黙認されていたと言う描写があります。四の間の待遇なんて推して知るべしと言う感じですね。どうせ仕出し弁当で済ませていて害はないのも知ってるでしょうし。
同じ下級武士でも酒井伴四郎の方が気楽でいいな。
ご感想をいただき有難うございます。はい、同じ幕末の下級武士と言えど、これほどの差があるのは面白いですよね。
家康の世良田二郎三郎元信が有名ですね
うぽつです‼️影武者……。今でもお偉いさん方の影武者さんとか居るのかなって考えると、なんだか思うことがあります。。。
ご感想をいただき有難うございます。今でもいるのでしょうか・・・?あ、北の某国ではいそうですね。
上役に挨拶(お歳暮・お中元・ごますり)して、覚え目出度い人(気に入られた人)が出世して行くって、現代でも同じでしょう!昔から変わらないね〜
ザルで御飯を作るのは、江戸時代の宿屋でもやってたとTVで放送してた筈。時短だけで考えれば案外ポピュラーだったのかも知れない。
5:46 16歳で婿養子か。徳川慶喜の父親の徳川斉昭は三男で次兄と弟が分家の養子になれたのに長兄の亡くなった為に長兄の後を継いだ30歳まで部屋住みだった。斉昭の政敵の井伊直弼も14男で兄や弟が養子に行ったのに32歳まで部屋住みだった。
ご感想をいただき有難うございます。井伊直弼の部屋住みは有名と言えば有名なのかもですが、意外すぎますよね。なるべく争いが起こらないための長男相続システムですが、難しいものです。
興味深く視聴させて頂きました。名古屋市にも御成通りという通りがあります。名古屋の殿様が使った道なんでしょうか?
将軍の護衛ですか。王女守る女性騎士みたいな任務ですね。下級武士で、寺の精進料理とどちらがましかわからないほど粗末な食事とは。話はまだ続くみたいで、その時を楽しみにしています。ありがとうございました!
嬉しいご感想を有難うございます。はい、もうちょっと待遇が良くっても良い気がしますよね。次回もお楽しみにです。
身分の低い御家人の三男に生まれたのが運の尽きって感じですね。素直に坊主をやってた方がよかったんじゃないかな。
ご感想をいただき有難うございます。それは何とも言えませんが、もし寺小姓のままであれば、この時代のごくごく平凡な一生だったのかもしれませんね。
時代的には家茂・慶喜公の頃かな?「影武者」というより将軍を守る”その他多数の盾”ですね💦
ご感想をいただき有難うございます。そうですね。この時代将軍の顔を正確に覚えている敵というのはどのくらいいたのでしょう。そこも気になるところです。
@@偉人はつらいよ文化歴史紹 個人的見解としては江戸幕府は尊王攘夷の風潮下や財政難で「瓦解」寸前なので、敢えて将軍を狙うことは考えにくかったと思います。
御徒という御家人(分かりやすく言えば足軽)は上司である組頭(こちらも御家人)と共に御徒町の大縄地と呼ばれる同職場の社宅に住んでいました、山本正恒の場合は200坪の敷地に二十数坪の家を建てて住んでいました。残りの土地は耕作したり他人に貸す事で副収入を得ていました(本来は幕府の土地なので禁止)、明治維新後土地は当然明治政府に返還しましたが屋敷は自弁だったので二十円(明治初期なら=二十両=今なら300〜400万円)で売れたそうです将軍御成の際に御徒が着る羽織は徳川葵の入った黒縮緬の最高級品でした、将軍と同じ物
八丁堀与力および常廻り「俺等はパトロン居るから墨染の黒羽織は最高級品着れたんだぜ」将軍の行列だろうと横切れたのは産婆さんと医者だけらしい
ご感想をいただき有難うございます。支給されて即、売っちゃうというね(笑)生活の足しにしていたのでしょうか。
御徒町の御徒って、やっぱりこの御徒なんですかね
ご感想をいただき有難うございます。今回の参考文献には具体的な関連性は書いていませんでしたので私の感想になりますが、どうみても無関係ではなさそうですよね。
やっぱりそうですよねぇ。
妻夫木‼️‼️
血判するのに神経が密になってる指を切るってw腕や膝や神経の少ない部分なら大して痛くもなく血判に必要な血液が取れるだろうに・・・
ご感想をいただき有難うございます。自分で指を切るなんて、やれと言われても私はようやりません😂
どうも!
いつもどうも!でございます😆
𦾔時諮問録に出てくるのですか❓
ご感想を有難うございます。𦾔時諮問録というのは読んだことがありませんので、ちょっとわかりませんね。でも面白そうですので、読んでみたいと思います。
@@偉人はつらいよ文化歴史紹 様本は あるのですが 老齢なので億劫になりました
千葉に御成街道がある、何故?
あと寺小姓は洞れるし、、、
でも明治の役人は信じられないくらいの高給取りなんだよな。まあ人数じたいが極小なんですが。
動画ありがとうございます。影武者というのは江戸時代版SPですからね。現在でも警察では相当のいじめっぽいこともありますし、水泳でのいじめもさもありなんというところでしょうか。
いつもご感想をいただき有難うございます。イジメはいつの時代にもあるのですね。まあ現代では少しはマシになっていると良いのですが。
将軍って籠に乗ってたのかな?御三家は輿にのる特権があったんだから将軍も輿に乗ってるもんかと思ってた(´・ω・`)
ご感想をいただき有難うございます。今回の参考文献では、「大抵の場合は駕籠に乗っていた」という記述でしたね。輿にのることもあったのかもですけれど。
寺に入れられたらもはや、病院食。
顏も似ていれば危険だけど、優遇はされたかもしれない。影武者と言えばそっくりさんだけど、護衛団のようなモノだったのね。手抜きのお城飯より将軍様お墨付きの仕出し屋さんの方が旨いモノ入れてくれるからなあ。御家人や旗本は3男だったらあまり荒れなかったらしいけど、次男がスペアで無駄にプライドが高いと処分に困ったらしい。ワシは蕎麦掻に、旨い酒をつけてくれたら喰いもんではクレームはないたまにはカモを付けてくれくらいか・・・命張るんだから青首くらい喰わせてくれよ
ご感想をいただき有難うございます。なるべく争いが起こらないための長男優遇システムですが、優秀な次男以降は堪らなかったでしょうね。難しいものです。将軍の警護なんて厳しい任務でしょうから、楽しみは食べることだったのかなぁなんて想像しますが、それにしても酷い食事です。
スクリュー投げそうな名前やね
影武者というより、SPだな…。当時は写真も庶民には出回ってないだろうし、庶民は将軍の顔なんかほとんど知らないだろうから、万一の時は、周囲のものと同じ格好をして紛れていれば十分ごまかせたんだろうから、衣服だけの統一で十分だったんだろうなぁ…。でも、その大事な服を売り払うって…。いざという時役目を果たせるのかよ…。しかし、いじめはいつの時代もなくならないですね…。何ですかね、人間は自分より少しでも弱い存在を無意味に痛めつけたい本能でもあるんですかね。ところで、「株を買ひ出し者」って、武士の身分を買った人の事ですか?
ご感想を有難うございます。支給品を売っちゃうというのは、中々に衝撃的ですよね。山本一人だけ古い羽織を着ていたのでしょうか?それともみんなもすぐに売ってしまって、将軍だけが新しい羽織を着ているとかもあるかもしれませんね(笑)はい、武士身分の売買は江戸時代を通してあったことのようですが、幕末になるとお金にものを言わせた商人が家の泊付けのため、盛んになっていったようです。
いろんな本、紹介してくれるの嬉しい
嬉しいご感想を有難うございます。
饅頭の翠香に血判状とは草
当時は今みたいにネットとかないので将軍の顔を確認しにくいので影武者だとバレにくそうですよね。
支給された服売るのおもろしいですね。
同僚が会社でもらった資格用テキスト売ってるのとかぶって笑ってしまいました。
いつもご感想をいただき有難うございます。
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はい、どのくらいの人が将軍の顔を知っていたのでしょう。そこは私も気になります。
暴れん坊将軍のように「こやつは上様の偽物じゃ!切り捨てぃ!!」みたいなこともあったのでしょうか(笑)
影武者徳川家康ならぬ、影武者徳川慶喜か・・・・・・次回も楽しみにしております。始めて聞いた話だから非常に興味深い
嬉しいご感想を有難うございます。
はい、私も本当に影武者役がいただなんて知りませんでした。
影武者の 話しは 大好きです😆🎵🎵
ロマンが有りますね‼️
ヒトラー、スターリンにも 影武者が
居ましたね😢最近では 中国、北朝鮮かなぁ?
ご感想をいただき有難うございます。
今でも・・・いるのでしょうね~😅
いつも面白い動画をありがとうございます。
こういう方の記録が残っているということを今回初めて知りました。調べてみるともっとすごい人の記録が残ってるかもしれませんね。
嬉しいご感想を有難うございます。
はい、当時の人の日記や回顧録などというのは非常に面白いですよね。
これからも良さそうなものありましたらどんどん紹介していきます。
幼少の食べ盛りの頃に寺奉公でひもじい思いをして、御徒になっても美味しくない食事…嫡男との差を見ているだけに食への執着が強くなるのは当たり前かもしれませんね。
これから山本政恒殿にどんな苦難が待ち受けているのか…次回も楽しみです。
一方で同じころに酒井伴四郎さんは江戸などでグルメを堪能してたかと思うとなんだか面白いですねw身分が違うし所属も違うので二人が会うことは無かったかもしれませんがもしどこかで美味しいものを食べてる伴四郎とすれ違ってたかもしれないと想像するとなんだかおかしくなりますw
嬉しいご感想を有難うございます。
政恒には報われて欲しいと思うところですが、まだまだ困難は続くようで・・・。
70歳で自分の人生を振り返り、この一代記を書いたときの政恒の心情まで次回やりたいな~と思っていますのでお楽しみにです。
生々しいですが、今回もとても興味深いお話です。出される食事が身分や格に応じるのは仕方ないにしても、米すらまともに炊いていないって予算を惜しむにしてもひどいもんですね…。
ご感想をいただき有難うございます。
そうですよね。将軍の警護なんて重要任務に当たっているのですから、もうちょっと待遇が良くても・・・とは私も思ってしまいます。
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嬉しいご感想を有難うございます👍
影武者。映画の中だけの話かと思っていましたが、実在したんですね。
これはとても勉強になります。
少し浮かび上がれたのかと思えば又辛酸をなめる。この本は読んでみなければなりません。
後編も楽しみです。
いつも嬉しいご感想を有難うございます。
全員同じ格好をして、的を絞らせない。
この当時は写真なんて出回ってはいないでしょうから、将軍の顔を知っていた敵ってどのくらいいたのでしょうね。
暴れん坊将軍のように「こやつは上様の偽物じゃ!切り捨てい!!」みたいなこともあったのでしょうか(笑)
今回も楽しませていただきました。
幕末江戸の御家人がどんな生活をしていたのか、興味深く拝見しました。
食に関しては現代人の方が恵まれているように思えます。また同役いじめと言うと「いじめ刃傷」松平外記を思い出します。
それでは次回後半で山本氏がどのような人生を歩むのか、楽しみにしています。
嬉しいご感想を有難うございます。
やっぱり武家社会はかなり上下関係が厳しかったようですね。水泳での話は私も「うわぁ・・・」という感じでした。
8:49 江戸城で勤務する武士は弁当持参だと思っていた。食事が提供されたのは知らなかった。
ご感想をいただき有難うございます。
他の部署はわかりかねますが、政恒が務めていた御徒についてはそうだったようです。
影武者というと戦国時代のイメージしか無かったので面白かったです。
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嬉しいご感想を有難うございます。
はい、政恒の話は歴史教科書には絶対に載らないでしょうが(笑)こういった当時のリアルを知る方が歴史を好きになれるのかなとも思いますね。
足の痺れと苛め、そうかぁと深く納得しつつ、新しい知識に感動しました
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味噌汁付きで。
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わかりやすくて面白かったです。詳しく調べてあって、ためになります。ありがとう。
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続き、楽しみです‼️
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山本政恒という1下級武士。派手さは全くないのですが、どうも私は惹かれてしまいます。
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@@偉人はつらいよ文化歴史紹 楽しく見れて癒されます(^○^)
11:15 そういえば、現代のSPもトイレが近くなるから勤務中は水を飲まないと聞いた事がある。
経験者による、所謂「一次史料」ですね。
そんなものが伝えられていたとは…しかも食事や訓練内容とか実に生々しい!
次回が待ち遠しいです(でも無理はなさいませんように)。
嬉しいご感想をいただき有難うございます。
はい、今回紹介しきれませんでしたが、水泳訓練の様子などとても具体的で非常に面白かったです。
ここからさらに波乱万丈ですので次回をお楽しみにです。
毒見役を描いた鬼役と言う作品でも、二の間や大奥ですら料理人は薄給のため余分に作って横流しすると言う横領が黙認されていたと言う描写があります。四の間の待遇なんて推して知るべしと言う感じですね。どうせ仕出し弁当で済ませていて害はないのも知ってるでしょうし。
同じ下級武士でも酒井伴四郎の方が気楽でいいな。
ご感想をいただき有難うございます。
はい、同じ幕末の下級武士と言えど、これほどの差があるのは面白いですよね。
家康の世良田二郎三郎元信が有名ですね
うぽつです‼️
影武者……。今でもお偉いさん方の影武者さんとか居るのかなって考えると、なんだか思うことがあります。。。
ご感想をいただき有難うございます。
今でもいるのでしょうか・・・?
あ、北の某国ではいそうですね。
上役に挨拶(お歳暮・お中元・ごますり)して、覚え目出度い人(気に入られた人)が出世して行くって、現代でも同じでしょう!
昔から変わらないね〜
ザルで御飯を作るのは、
江戸時代の宿屋でもやってたと
TVで放送してた筈。
時短だけで考えれば案外ポピュラーだったのかも知れない。
5:46 16歳で婿養子か。徳川慶喜の父親の徳川斉昭は三男で次兄と弟が分家の養子になれたのに長兄の亡くなった為に長兄の後を継いだ30歳まで部屋住みだった。斉昭の政敵の井伊直弼も14男で兄や弟が養子に行ったのに32歳まで部屋住みだった。
ご感想をいただき有難うございます。
井伊直弼の部屋住みは有名と言えば有名なのかもですが、意外すぎますよね。
なるべく争いが起こらないための長男相続システムですが、難しいものです。
興味深く視聴させて頂きました。名古屋市にも御成通りという通りがあります。名古屋の殿様が使った道なんでしょうか?
将軍の護衛ですか。王女守る女性騎士みたいな任務ですね。下級武士で、寺の精進料理とどちらがましかわからないほど粗末な食事とは。話はまだ続くみたいで、その時を楽しみにしています。ありがとうございました!
嬉しいご感想を有難うございます。
はい、もうちょっと待遇が良くっても良い気がしますよね。
次回もお楽しみにです。
身分の低い御家人の三男に生まれたのが運の尽きって感じですね。素直に坊主をやってた方がよかったんじゃないかな。
ご感想をいただき有難うございます。
それは何とも言えませんが、もし寺小姓のままであれば、この時代のごくごく平凡な一生だったのかもしれませんね。
時代的には家茂・慶喜公の頃かな?「影武者」というより将軍を守る”その他多数の盾”ですね💦
ご感想をいただき有難うございます。
そうですね。この時代将軍の顔を正確に覚えている敵というのはどのくらいいたのでしょう。
そこも気になるところです。
@@偉人はつらいよ文化歴史紹 個人的見解としては江戸幕府は尊王攘夷の風潮下や財政難で「瓦解」寸前なので、敢えて将軍を狙うことは考えにくかったと思います。
御徒という御家人(分かりやすく言えば足軽)は上司である組頭(こちらも御家人)と共に御徒町の大縄地と呼ばれる同職場の社宅に住んでいました、山本正恒の場合は200坪の敷地に二十数坪の家を建てて住んでいました。残りの土地は耕作したり他人に貸す事で副収入を得ていました(本来は幕府の土地なので禁止)、明治維新後土地は当然明治政府に返還しましたが屋敷は自弁だったので二十円(明治初期なら=二十両=今なら300〜400万円)で売れたそうです
将軍御成の際に御徒が着る羽織は徳川葵の入った黒縮緬の最高級品でした、将軍と同じ物
八丁堀与力および常廻り「俺等はパトロン居るから墨染の黒羽織は最高級品着れたんだぜ」
将軍の行列だろうと横切れたのは産婆さんと医者だけらしい
ご感想をいただき有難うございます。
支給されて即、売っちゃうというね(笑)
生活の足しにしていたのでしょうか。
御徒町の御徒って、やっぱりこの御徒なんですかね
ご感想をいただき有難うございます。
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やっぱりそうですよねぇ。
妻夫木‼️‼️
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ご感想をいただき有難うございます。
自分で指を切るなんて、やれと言われても私はようやりません😂
どうも!
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ご感想を有難うございます。
𦾔時諮問録というのは読んだことがありませんので、ちょっとわかりませんね。
でも面白そうですので、読んでみたいと思います。
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千葉に御成街道がある、何故?
あと寺小姓は洞れるし、、、
でも明治の役人は信じられないくらいの
高給取りなんだよな。まあ人数じたいが極小なんですが。
動画ありがとうございます。
影武者というのは江戸時代版SPですからね。現在でも警察では相当のいじめっぽいこともありますし、水泳でのいじめもさもありなんというところでしょうか。
いつもご感想をいただき有難うございます。
イジメはいつの時代にもあるのですね。まあ現代では少しはマシになっていると良いのですが。
将軍って籠に乗ってたのかな?
御三家は輿にのる特権があったんだから将軍も輿に乗ってるもんかと思ってた(´・ω・`)
ご感想をいただき有難うございます。
今回の参考文献では、「大抵の場合は駕籠に乗っていた」という記述でしたね。
輿にのることもあったのかもですけれど。
寺に入れられたらもはや、病院食。
顏も似ていれば危険だけど、優遇はされたかもしれない。
影武者と言えばそっくりさんだけど、護衛団のようなモノだったのね。
手抜きのお城飯より将軍様お墨付きの仕出し屋さんの方が旨いモノ入れてくれるからなあ。
御家人や旗本は3男だったらあまり荒れなかったらしいけど、次男がスペアで無駄にプライドが高いと処分に困ったらしい。
ワシは蕎麦掻に、旨い酒をつけてくれたら喰いもんではクレームはないたまにはカモを付けてくれくらいか・・・命張るんだから青首くらい喰わせてくれよ
ご感想をいただき有難うございます。
なるべく争いが起こらないための長男優遇システムですが、優秀な次男以降は堪らなかったでしょうね。
難しいものです。
将軍の警護なんて厳しい任務でしょうから、楽しみは食べることだったのかなぁなんて想像しますが、それにしても酷い食事です。
スクリュー投げそうな名前やね
影武者というより、SPだな…。当時は写真も庶民には出回ってないだろうし、庶民は将軍の顔なんかほとんど知らないだろうから、万一の時は、周囲のものと同じ格好をして紛れていれば十分ごまかせたんだろうから、衣服だけの統一で十分だったんだろうなぁ…。でも、その大事な服を売り払うって…。いざという時役目を果たせるのかよ…。
しかし、いじめはいつの時代もなくならないですね…。何ですかね、人間は自分より少しでも弱い存在を無意味に痛めつけたい本能でもあるんですかね。
ところで、「株を買ひ出し者」って、武士の身分を買った人の事ですか?
ご感想を有難うございます。
支給品を売っちゃうというのは、中々に衝撃的ですよね。
山本一人だけ古い羽織を着ていたのでしょうか?それともみんなもすぐに売ってしまって、将軍だけが新しい羽織を着ているとかもあるかもしれませんね(笑)
はい、武士身分の売買は江戸時代を通してあったことのようですが、幕末になるとお金にものを言わせた商人が家の泊付けのため、盛んになっていったようです。