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迷/名列車シリーズの中で秀逸。参考文献の使い方、誤字のなさ、日本語の正しさ、見ていて心地よい。
こういった動画は 8000系好きからすれば わかっている話なのに それでも何回も観たくなりますね。尚 6000系の座席は確かにピッチが広かったものの 背摺りはクッションが一部にしかない 固いメラミン化粧板張りで 現代版オハ60系の座席という感じでしたがそれでも 深々と柔らかく 座り心地の良い座面のお陰で 疲れの少ない不思議な座席でした。
ミンデンドイツ台車は 小田急3100形や0系新幹線にも採用されて 高速時の乗り心地や安定性にも定評がありました。経済的に設計された8000系ですが 台車に関しては そこそこ高級な物を使っていたんですね。
大変詳しい解説をありがとうございます。70年頃の東上線車体ですが、床が木製の様で時々きつい臭いの黒っぽい油を塗っていました。そして時々停車時にプス〜〜ウと大きな音がして、異様な臭いが立ち込めました(私ではありません、念の為)あの車体も8000系でしたか?「森林公園駅」が開業されたときに「随分と奥地(志木駅から見て秩父方面)へ行く様な名前だ」と家族で話したことを覚えています。あの頃は、冷房車に当たると「ラッキー」と声を出して喜びました。
ちげーな。
80年代の東武鉄道は北関東のローカル区間になると通勤型車両でも車内喫煙可能で、乗り込んだオヤジや爺さんがロングシートにドカッと座って当たり前の様に煙草を吸っていた光景に驚いた覚えがあります。床が灰皿代わりと言う何とも凄い状態でしたね。
当時は国鉄でもいわゆる「国電区間」を外れた関東の田舎区間では同様でしたね。
@@gambasukiさん ご返信ありがとうございます。確かに当時の国鉄でも郊外区間は車内喫煙可能でしたが、使われている車両がセミクロスの近郊型か2ドアオールクロスの急行型車両でしたので、所謂「国電」タイプの8000系で車内喫煙可能なところに驚いた次第です。国鉄末期の211系で近郊型オールロング車が登場しましたが、妻面とドア脇にちゃんと灰皿が付いていました。
「禁煙」浅草~館林・新栃木亀戸線、大師線、野田線確か、東上線では「禁煙」しか書かれてなかった…
野田線(アーバンパークライン?はて?)沿いの親戚の家に行く時いつも柏から乗ってたなぁ。上野から103系or415系の爆音に揺られて時々E501系に乗っては歓喜して、柏から8000系に乗って、ドア開閉音がうるさくて苦手で、駅に着くたびに耳を塞いでいたあの頃…懐かしい。
幼少時、池袋在住だったので東武東上線に乗る機会が多かった。小学生の頃、芋掘りで武蔵嵐山まで乗ったのも覚えてます。私はベージュオレンジ、セージクリームの頃の印象が強いです。まだまだ7800系も走っていて田舎くさい印象が有ったなぁ。
6:43 この匂いほんとに好き
同意
大学が東上線沿線&当時は池袋発着はほぼ8000系だったので2年間かなり乗りました!(3年生の時も再履修で週1回乗ったのは内緒)
この頃の大山にはグリーンマックスのショールームがあって、Nゲージのパーツを求めて毎週のように自転車で通ったな。それで作った車両を持ち込んだり・・・。
何回かは行ったなぁ…
インフレナンバーまで出た車輌だけど、1980年代でも7800系が夕方の通勤快速に使用されてたのは忘れてない。床板張りの車輌が複々線を走ってたんだから😹
7800系も当初は8000系での置き換えを計画してはいたものの、ダイヤ増発などに対応しなくては行けなくなり置き換えはせず5000系の更新で難を凌ぎ、老朽車は10000系をもって置き換えることに計画変更しました。元々3000系列の車体更新車を作るつもりもなかったようですが、こちらも増発に8000系を回すことになり置き換えに専念できなくなった為の措置だったかと。なので8000系が本来の目的として置き換えたのは、7300系のみだったりします。
カステラも懐かしいな。冬は最高だったよ。椅子ヒーターがあっついぐらい暖かかったよ。
永らく東上線を利用しているが8000系8両固定編成の座席はふかふかで快適だった🎵6000系[快速]の非冷房車には閉口した記憶が🥵🥵
確か東武亀戸線は2004年まで原形ばっかり走っていましたね。😃その後前面改造して小泉線に移籍した車両(8572Fなど)がいましたね。😃💡
よく調べてありますね。素晴らしい。
ナンバー見ると4両がメトロ8000系と京成バスの金町の路線バスと同じナンバーで、下3桁が103系0番台(100)と京浜東北線の103系の高運転台のナンバー(400)で、2両が東急8500系の両端のナンバーと同じで下3桁は武蔵野線の103系の500番台のナンバーを思い出しますね。😃💡
東武8000系の真の目的はあくまで旧型車置き換えと輸送力増強が種であるはずで、103系も同じなのですが東武の方は輸送力問題に追われることになり更新車での置き換えに切り替えました。国鉄の方は旧型国電を103系できっちり置き換えています。103系と東武8000系の違う所はそこだったりしますね。もし潤沢な資金があり、更新車を作らずに8000系をもって同時にこなすとしたら、旧型車置き換えなんて数年あれば出来たでしょうし、10年も作られずすぐに9000系や10000系に切り替わっていたと思われます。ただ予算面的に難しい所でしょう。
2009年まで曳舟に走っていた頃までは良かったですよね。😢因みに8652Fの交通安全のヘッドマークの写真持っています。😃💡
亀戸線なら今でもいるよ!
前面は伊豆急行100系の中期に似ていますね。😃💡
8000系って103系っていうより、古いのに201系と211系を合体させた感じですね。😃💡
当時では異次元の車両で、半世紀以上経った今でも見劣りしないのは技術力で圧倒的に国鉄に勝っていたからと今でも思うところはあります。ここ60年近くのカルダン駆動車は性能もよいので、長生き出来て当然なのです。
9:09東武のお得意先、ナニワ工機と日車の他に2編成のみ汽車会社に発注。とのナレーションで、汽車会社は1920年台後半〜1940年台にかけては東武の電車のお得意先でした(その頃は日車と汽車がほぼ半分ずつ東武鉄道に電車を納入)12:11に写っている2扉の電車(後の32系か54系)が汽車会社製です(このタイプの車体で扉間の車体下部に切れ込みが無く、台枠が見えないのが汽車会社製。車体下部に切れ込みがあり、台枠が見えるのが日車製)ちなみに汽車会社の社名が消滅して今年で50年です(1972年に川崎重工に合併)後、東武の電車を製造していた汽車会社東京製作所はその時閉鎖されて公団南砂団地になり、宇都宮製作所は、川崎重工宇都宮工場〜アイケイコーチ〜いすゞバス製造を経て現在ではジェイバス宇都宮工場になってます。
8000系の運転士側は前面に5mmの鉄板で補強されているから段差があった。
野田線の8000系は、いつまで走るのでしょうね…
無茶なお願いなんですけど、今度は路線バスバージョン名バスをお願いさせても良いですか?😅出来れば凡用型のいすゞエルガの歴史が見たいですね。😃💡
この動画も素晴らしいのですが、以前の大作は公開停止にされたのでしょうか?個人的にあちらも好きでした。
ご視聴ありがとうございます。そちらの動画のリメイクがこの動画で、全4章構成になります。旧動画以上に内容を増強して順次お送りしますので、続編の投稿をお待ち頂ければと思います。(一応旧動画は限定公開設定なので、リンク→ruclips.net/video/y6d3tHYADTE/видео.htmlから一応ご視聴いただくこと自体はできます)
ブレーキ臭は良いものですぞー
20:20辺り映像飛んでない?
ご視聴ありがとうございます。映像の飛びですが当方では確認できないので、なんらかの不具合と思われます。動画を再読み込みしていただけば治るかもしれません。また、ニコニコ動画(www.nicovideo.jp/watch/sm39589307)でも同一の動画をご視聴いただけます。
@@KusattemoToFu 再確認した所括弧書きの部分飛ばしただけでした(汗)。
野田線の主力か・・・。
一応?60000系の方が多い。
何故、東武8000系は『私鉄の103系』とまで呼ばれるほどの、時代の寵児となれたのか。
元々東武に残ってた吊り掛け駆動車はすべてこの車両で置き換える計画でいたけど、沿線人口増加に伴って旧型車置き換えが後回しになったから。
長距離ロングシートも意外に乗り心地悪くない
いつ見ても種車の窓のくだりが草生えますね…
鶴ヶ島とか、春日部は東武でしか…
私鉄の103系。
唯一違う点が置き換えた旧型車が7300系と7800系しかいないこと。103系は概ね通勤線区に残存していた旧型国電を全て置き換えた。
おかしな、おかしな池袋。東が西武で西東武。
保存車8111Fは何か中途半端な剥製だな…どーせならユニットサッシも元に戻して行先標示器なんか埋めちまえってんだ。
8111f含め6連のうち中間の1Mユニットは全車登場時からユニット窓ですよ
迷/名列車シリーズの中で秀逸。参考文献の使い方、誤字のなさ、日本語の正しさ、見ていて心地よい。
こういった動画は 8000系好きからすれば わかっている話なのに それでも何回も観たくなりますね。
尚 6000系の座席は確かにピッチが広かったものの 背摺りはクッションが一部にしかない 固いメラミン化粧板張りで 現代版オハ60系の座席という感じでしたが
それでも 深々と柔らかく 座り心地の良い座面のお陰で 疲れの少ない不思議な座席でした。
ミンデンドイツ台車は 小田急3100形や0系新幹線にも採用されて 高速時の乗り心地や安定性にも定評がありました。
経済的に設計された8000系ですが 台車に関しては そこそこ高級な物を使っていたんですね。
大変詳しい解説をありがとうございます。70年頃の東上線車体ですが、床が木製の様で時々きつい臭いの黒っぽい油を塗っていました。
そして時々停車時にプス〜〜ウと大きな音がして、異様な臭いが立ち込めました(私ではありません、念の為)あの車体も8000系でしたか?
「森林公園駅」が開業されたときに「随分と奥地(志木駅から見て秩父方面)へ行く様な名前だ」と家族で話したことを覚えています。あの頃は、冷房車に当たると「ラッキー」と声を出して喜びました。
ちげーな。
80年代の東武鉄道は北関東のローカル区間になると通勤型車両でも車内喫煙可能で、乗り込んだオヤジや爺さんがロングシートにドカッと座って当たり前の様に煙草を吸っていた光景に驚いた覚えがあります。床が灰皿代わりと言う何とも凄い状態でしたね。
当時は国鉄でもいわゆる「国電区間」を外れた関東の田舎区間では同様でしたね。
@@gambasukiさん ご返信ありがとうございます。確かに当時の国鉄でも郊外区間は車内喫煙可能でしたが、使われている車両がセミクロスの近郊型か2ドアオールクロスの急行型車両でしたので、所謂「国電」タイプの8000系で車内喫煙可能なところに驚いた次第です。国鉄末期の211系で近郊型オールロング車が登場しましたが、妻面とドア脇にちゃんと灰皿が付いていました。
「禁煙」
浅草~館林・新栃木
亀戸線、大師線、野田線
確か、東上線では「禁煙」しか書かれてなかった…
野田線(アーバンパークライン?はて?)沿いの親戚の家に行く時いつも柏から乗ってたなぁ。
上野から103系or415系の爆音に揺られて時々E501系に乗っては歓喜して、柏から8000系に乗って、ドア開閉音がうるさくて苦手で、駅に着くたびに耳を塞いでいたあの頃…
懐かしい。
幼少時、池袋在住だったので東武東上線に乗る機会が多かった。小学生の頃、芋掘りで武蔵嵐山まで乗ったのも覚えてます。私はベージュオレンジ、セージクリームの頃の印象が強いです。まだまだ7800系も走っていて田舎くさい印象が有ったなぁ。
6:43 この匂いほんとに好き
同意
大学が東上線沿線&当時は池袋発着はほぼ8000系だったので2年間かなり乗りました!(3年生の時も再履修で週1回乗ったのは内緒)
この頃の大山にはグリーンマックスのショールームがあって、
Nゲージのパーツを求めて毎週のように自転車で通ったな。
それで作った車両を持ち込んだり・・・。
何回かは行ったなぁ…
インフレナンバーまで出た車輌だけど、1980年代でも7800系が夕方の通勤快速に使用されてたのは忘れてない。
床板張りの車輌が複々線を走ってたんだから😹
7800系も当初は8000系での置き換えを計画してはいたものの、ダイヤ増発などに対応しなくては行けなくなり置き換えはせず5000系の更新で難を凌ぎ、老朽車は10000系をもって置き換えることに計画変更しました。元々3000系列の車体更新車を作るつもりもなかったようですが、こちらも増発に8000系を回すことになり置き換えに専念できなくなった為の措置だったかと。なので8000系が本来の目的として置き換えたのは、7300系のみだったりします。
カステラも懐かしいな。冬は最高だったよ。椅子ヒーターがあっついぐらい暖かかったよ。
永らく東上線を利用しているが8000系8両固定編成の座席はふかふかで快適だった🎵6000系[快速]の非冷房車には閉口した記憶が🥵🥵
確か東武亀戸線は2004年まで原形ばっかり走っていましたね。😃その後前面改造して小泉線に移籍した車両(8572Fなど)がいましたね。😃💡
よく調べてありますね。素晴らしい。
ナンバー見ると4両がメトロ8000系と京成バスの金町の路線バスと同じナンバーで、下3桁が103系0番台(100)と京浜東北線の103系の高運転台のナンバー(400)で、
2両が東急8500系の両端のナンバーと同じで
下3桁は武蔵野線の103系の500番台のナンバーを思い出しますね。😃💡
東武8000系の真の目的はあくまで旧型車置き換えと輸送力増強が種であるはずで、103系も同じなのですが東武の方は輸送力問題に追われることになり更新車での置き換えに切り替えました。国鉄の方は旧型国電を103系できっちり置き換えています。103系と東武8000系の違う所はそこだったりしますね。もし潤沢な資金があり、更新車を作らずに8000系をもって同時にこなすとしたら、旧型車置き換えなんて数年あれば出来たでしょうし、10年も作られずすぐに9000系や10000系に切り替わっていたと思われます。ただ予算面的に難しい所でしょう。
2009年まで曳舟に走っていた頃までは良かったですよね。😢
因みに8652Fの交通安全のヘッドマークの写真持っています。😃💡
亀戸線なら今でもいるよ!
前面は伊豆急行100系の中期に似ていますね。😃💡
8000系って103系っていうより、古いのに201系と211系を合体させた感じですね。😃💡
当時では異次元の車両で、半世紀以上経った今でも見劣りしないのは技術力で圧倒的に国鉄に勝っていたからと今でも思うところはあります。ここ60年近くのカルダン駆動車は性能もよいので、長生き出来て当然なのです。
9:09東武のお得意先、ナニワ工機と日車の他に2編成のみ汽車会社に発注。とのナレーションで、汽車会社は1920年台後半〜1940年台にかけては東武の電車のお得意先でした(その頃は日車と汽車がほぼ半分ずつ東武鉄道に電車を納入)12:11に写っている2扉の電車(後の32系か54系)が汽車会社製です(このタイプの車体で扉間の車体下部に切れ込みが無く、台枠が見えないのが汽車会社製。車体下部に切れ込みがあり、台枠が見えるのが日車製)ちなみに汽車会社の社名が消滅して今年で50年です(1972年に川崎重工に合併)後、東武の電車を製造していた汽車会社東京製作所はその時閉鎖されて公団南砂団地になり、宇都宮製作所は、川崎重工宇都宮工場〜アイケイコーチ〜いすゞバス製造を経て現在ではジェイバス宇都宮工場になってます。
8000系の運転士側は前面に5mmの鉄板で補強されているから段差があった。
野田線の8000系は、いつまで走るのでしょうね…
無茶なお願いなんですけど、今度は
路線バスバージョン
名バスを
お願いさせても良いですか?😅
出来れば凡用型のいすゞエルガの歴史が見たいですね。😃💡
この動画も素晴らしいのですが、以前の大作は公開停止にされたのでしょうか?
個人的にあちらも好きでした。
ご視聴ありがとうございます。
そちらの動画のリメイクがこの動画で、全4章構成になります。
旧動画以上に内容を増強して順次お送りしますので、続編の投稿をお待ち頂ければと思います。
(一応旧動画は限定公開設定なので、リンク→ruclips.net/video/y6d3tHYADTE/видео.htmlから一応ご視聴いただくこと自体はできます)
ブレーキ臭は良いものですぞー
20:20辺り映像飛んでない?
ご視聴ありがとうございます。
映像の飛びですが当方では確認できないので、なんらかの不具合と思われます。動画を再読み込みしていただけば治るかもしれません。
また、ニコニコ動画(www.nicovideo.jp/watch/sm39589307)でも同一の動画をご視聴いただけます。
@@KusattemoToFu
再確認した所括弧書きの部分飛ばしただけでした(汗)。
野田線の主力か・・・。
一応?60000系の方が多い。
何故、東武8000系は『私鉄の103系』とまで呼ばれるほどの、時代の寵児となれたのか。
元々東武に残ってた吊り掛け駆動車はすべてこの車両で置き換える計画でいたけど、沿線人口増加に伴って旧型車置き換えが後回しになったから。
長距離ロングシートも意外に乗り心地悪くない
いつ見ても種車の窓のくだりが草生えますね…
鶴ヶ島とか、春日部は東武でしか…
私鉄の103系。
唯一違う点が置き換えた旧型車が7300系と7800系しかいないこと。103系は概ね通勤線区に残存していた旧型国電を全て置き換えた。
おかしな、おかしな池袋。東が西武で西東武。
保存車8111Fは何か中途半端な剥製だな…どーせならユニットサッシも元に戻して行先標示器なんか埋めちまえってんだ。
8111f含め6連のうち中間の1Mユニットは全車登場時からユニット窓ですよ