アイヌ民族副読本と歴史認識 上野 昌之 日本大学大学院総合社会情報研究科 において、以下の2点がまちがいである。 1点、 アイヌ民族は存在しない。民族を消してアイヌと表示すべきである。 13世紀以後、モンゴル軍に追放されたオホーツク民、侵略者が北海道の日本縄文人を殺戮、強姦して、アイノ子、アイノが生まれた。アイノはオホーツク漂泊雑種と縄文人子女との混血であり、民族ではない。 2点、 アイヌは北海道先住民ではない。北海道先住民は日本縄文人と表示すべきである。 北海道は13世紀、オホーツク民が北海道を侵略する以前の数万年前から竪穴式住居の日本縄文人の日本自治区であった。北海道の歴史年表も鎌倉時代以前は日本縄文文化遺跡、鎌倉時代以後はアイヌ文化遺跡と表示されている。 以上を証明する資料として、北大のアイヌの遺伝子調査博士論文がある。 資料添付:博士(理学)佐藤丈寛 学位論文題名 Studies on Genetic Features and Histories of Ancient Human Populations in Hokkaido , using Mitochondrial and Autosomal DNA Analyses (ミトコンドリアDNAおよび常染色体DNA分析による北海道古代人類集団の遺伝的特徴と歴史に関する研究) 著者は、断片化した残存DNAの遺伝子増幅および外来DNA混入の防御に細心の注意を払った古代DNA分析法と多様な遺伝子マーカーを用いることにより、オホーック文化人が仲介となり、アムール河下流域を中心とした大陸集団(漂白民であり民族の共通性はない)からアイヌへの遺伝子流動(日本縄文先住民子女を強姦殺戮して間の子=アイノ=アイヌが生まれた)があったことを明確に示した。以上の成果は、これまで不明であった日本列島北部における人類集団間の遺伝子流動に関して時間を追って示された新しい知見であり、人類学および考古学などの自然史研究に対して貢献するところ大なるものがある。よって、著者が北海道大学博士(理学)の学位を授与される資格があるものと認める。・・・・・
北大論文の要旨を資料として添付する。 ***この論文①によると過去のオホーツク人は現在のアムール川流域、サハリン北部のニブフ、ウリチ、ネギダールである。 ***論文②によると遺跡出土オホーツク人はYㇵプロ頻度が非常に高い。Yハプログループの頻度を現代の民族と比較してみると、ニブフでは60% 以上と最も高く、次いでオホーツク人において高く、近い系統関係にあったウリチ、ニブフ、ネギダールでも高頻度である。ハプログループの頻度の違いから集団間の遺伝的な距離(遺伝的分化係数、FST)を算出して系統関係を調べると、オホーツク人はやはりウリチ、ネギダール、コリヤーク、アイヌに近い。北海道縄文人は、オホーツク人と離れている。北海道縄文人はハプログループYをもっていない。北海道縄文人はオホーツク人遺伝子を持たない別の人種である。 ***③によるとオホーツク人は、アムール川周辺域から北海道のオホーツク海沿岸にやって来た。北海道内続縄文文化や、それに続く擦文文化がオホーツク文化と融合して、その後、アイヌ文化が形成された。論文では、上述はミトコンドリアDNAのデータから推定できる。オホーツク人は大陸と北海道を結ぶ仲介者である。オホーツク人が北海道に侵入し、日本縄文人を殺戮、強姦して間の子、間の、アイヌが誕生した。アイヌは民族ではなく混血である。混血が先住民であるはずがない。敗戦後、アメリカ進駐軍が日本少女を強姦して数万人の混血が誕生した。金髪、碧眼の混血が日本人先住民族とは認められないし、アメリカ先住民族でもない。アイヌも日本先住民族ではない。 ***以上の論文①②③をわかりやすく説明すると、オホーツク民がモンゴル軍に追われ、日本縄文人「擦文人」の北海道を侵略し、日本縄文人には無いハプログループY遺伝子を日本縄文人に注入し、間の子アイヌが誕生した。したがって、アイヌは日本縄文人とオホーツク漂泊民との混血であり、日本縄文人ではない。インカ帝国はスペインに滅ぼされ、インカの少女はスペイン兵に強姦され、間の子、間の、アイヌの混血が誕生した。金髪、碧眼のアイノ子はメスチソと呼ばれ、インカの先住民族とは認定されていない。同様に、アイヌも日本先住民に認定できないのである。国連と日本のボケ国会議員はアホなので在日帰化朝鮮人工作員に騙されて、日本先住民に認定した。これを正さねばならない。アイヌに化けた在日帰化朝鮮人が北海道を先住民の土地として返還運動をしている。放置すれば北海道は在日帰化朝鮮人自治区になり、韓国や中共の領土にされる。どうする、家康!・・・*** 論文抜粋:遺伝子の流れから見たオホーツク文化人と北海道への影響 増田, 隆一Hokkaido University C ollection of S cholarly and Academic Papers : HUS C AP ① ミトコンドリアDNAの中の一部の遺伝情報(コントロール領域のHVR I)を解読して比較しましたープから発表されたデータと比較しました(Sato et al., 2007)。その結果、オホーツクの人たちは、現在のアムール川下流域やサハリン北部に生活していますニブフ、ウリチ、ネギダールの人たちに非常に近縁であることが明らかになりました。さらに、コリヤークやエベンなどカムチャツカ半島周辺の少数民族にもある程度近いことがわかりました。**** ② 北海道縄文人や他の民族のハプログループについては、安達先生がすでに発表されたデータや他の研究グループのデータと比較することにしました(Sato et al., 2009a)。その結果、オホーツク人37体から信頼性のあるハプログループの情報が得られました。その中でG1b、それからN9bとYという3つのハプログループが高頻度で見られ、各々、約 24%、11%、40%でした。特に、Yハプログループの頻度が非常に高いというのが、オホーツク人の特徴になります。Yハプログループの頻度を現代の民族と比較してみると、ニブフでは60% 以上と最も高く、次いでオホーツク人において高く、近い系統関係にあったウリチ、ニブフ、ネギダールでも高頻度であることがわかりました。アイヌの人たちのハプログループYの頻度が約20%であることがわかっています。一方、安達先生たちが発表された北海道縄文人にはハプログループYはまったくみられません。現代のウデヘ、コリヤーク、イテリメンというカムチャツカ半島の民族にはわずかにみられます。韓国でもわずかにみられますが、本州ではほとんどみられません。 さらに、ハプログループの頻度の違いから集団間の遺伝的な距離(遺伝的分化係数、FST)を算出して系統関係を調べると、オホーツク人はやはりウリチ、ネギダール、コリヤーク、アイヌに近いことがわかりました(Sato et al., 2009a)。それに対して北海道縄文はどうかというと、オホーツク人とはかなり離れています。さらに、前述したように、北海道縄文はハプログループYをもっていません。 ③ 以上の結果から、オホーツクの人たちは現在のアムール川下流域の人たちと最も近縁であることがわかります。よって、おそらくオホーツク人は、アムール川周辺域から北海道のオホーツク海沿岸にやって来たのだろうと推測されます。もちろん、あくまでも現在のアムール川下流域に生活する人々に近いということですが、ニブフやウリチの祖先がオホーツク文化期にどこにいたかのかはまだわかっておらず、今後の研究課題です。 いずれにしても、アムール川下流域の人々の祖先がオホーツク人と共通祖先をもっているということ、そして、コリヤークとかエベンともある程度交流をもっていた。そして、北海道内で発達していた続縄文文化やそれに続く擦文文化がオホーツク文化と融合して、その後、アイヌ文化が形成されたことが、上述のミトコンドリアDNAのデータから推定される。
北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月 遺伝的特徴から見たオホーツク人--大陸と北海道の間の交流 増 田 隆 一 *(北海道大学) 以上は、オホーツク人「民族ではない」に日本縄文人が殺戮され、日本縄文人との間でmtDNA遺伝子交流「強姦」があり、北海道侵略オホーツク人が日本縄文人少女を強姦してアイノコ、アイノ、アイヌが産まれたという遺伝子研究博士論文である。その時期は縄文期以降「鎌倉時代以降」と記述されている。アイヌは鎌倉時代までは地球上には存在しなかった。本州や沖縄のような日本縄文人の末裔ではないアイノコが日本先住民であるはずがない。インカはスペイン兵により滅ぼされインカの少女も強姦されてアイノコを産まされた。これをメスチソと呼ばれている。この金髪碧眼のメスチソがインカの先住民とは認められない。同様に、オホーツク民とのアイノコ、アイノが北海道の日本先住民とは認められない。 ・ 資料 Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013. Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaido Ryuichi Masuda* (Hokkaido University) ・Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,ユーラシア大陸北東部に起源をもつオホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される(図 2)。・母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流があり,現代につながっていることを示唆している。 文献:Adachi, N., Shinoda, K., Umetsu, K., and Matsumura, H. (2009) Mitochondrial DNA analysis of Jomon skeletons from the Funadomari site, Hokkaido, and its implication for the origins of Native American. American Journal of Physical Anthropology 138 255-265.
本州、東北にアイヌ遺跡はない。なぜ?アイヌは鎌倉時代以後に北海道に侵入したオホーツク漂白民であるから。鎌倉時代は東北も日本の侍が統治しており、異民族が親友する余地はない。特に、モンゴル軍と戦うために軍事強化していた時代だから、モンゴル人系統の侵入者はすぐに首をはねている。モンゴルの使者がぞっつ国になれとふんぞり返っつてやっつて来たが、即座に首をはねられている。そこで激怒したジンギスカンが九州に大軍を進行させたが日本侍に打ち取られた。そのような時代に北海道以外の本州に大陸系乞食集団が侵入できるはずがない、北海道は日本縄文人であり、言語も日本語が通じ、コメの取れないことから時軸として、放置されていた。そこへ、モンゴル軍に追われたオホーツク乞食が侵入し、日本じょぷ門人を殺戮し、北海道に住み着き、縄文人少女を強姦して、アイノコが生まれ、アイノ、アイヌが誕生した。アイヌという種族、人種は元から存在しない。資料添付。北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月 遺伝的特徴から見たオホーツク人--大陸と北海道の間の交流 増 田 隆 一 *(北海道大学) 以上は、オホーツク人「民族ではない」に日本縄文人が殺戮され、日本縄文人との間でmtDNA遺伝子交流「強姦」があり、北海道侵略オホーツク人が日本縄文人少女を強姦してアイノコ、アイノ、アイヌが産まれたという遺伝子研究博士論文である。その時期は縄文期以降「鎌倉時代以降」と記述されている。アイヌは鎌倉時代までは地球上には存在しなかった。本州や沖縄のような日本縄文人の末裔ではないアイノコが日本先住民であるはずがない。インカはスペイン兵により滅ぼされインカの少女も強姦されてアイノコを産まされた。これをメスチソと呼ばれている。この金髪碧眼のメスチソがインカの先住民とは認められない。同様に、オホーツク民とのアイノコ、アイノが北海道の日本先住民とは認められない。 ・ 資料 Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013. Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaido Ryuichi Masuda* (Hokkaido University) ・Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,ユーラシア大陸北東部に起源をもつオホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される(図 2)。・母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流があり,現代につながっていることを示唆している。 文献:Adachi, N., Shinoda, K., Umetsu, K., and Matsumura, H. (2009) Mitochondrial DNA analysis of Jomon skeletons from the Funadomari site, Hokkaido, and its implication for the origins of Native American. American Journal of Physical Anthropology 138 255-265.
Although I can't understand most of this video, I deeply appreciate the fact that you posted a video on the Ainu language, which today is sadly very near extinction, especially in Japan in 2021.
This video talks about Ainu language spoken in southern area from Hokkaido (northern part of main island of Japan), which completely disappeared today.
北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月 遺伝的特徴から見たオホーツク人--大陸と北海道の間の交流 増 田 隆 一 *(北海道大学) 以上は、オホーツク人「民族ではない」に日本縄文人が殺戮され、日本縄文人との間でmtDNA遺伝子交流「強姦」があり、北海道侵略オホーツク人が日本縄文人少女を強姦してアイノコ、アイノ、アイヌが産まれたという遺伝子研究博士論文である。その時期は縄文期以降「鎌倉時代以降」と記述されている。アイヌは鎌倉時代までは地球上には存在しなかった。本州や沖縄のような日本縄文人の末裔ではないアイノコが日本先住民であるはずがない。インカはスペイン兵により滅ぼされインカの少女も強姦されてアイノコを産まされた。これをメスチソと呼ばれている。この金髪碧眼のメスチソがインカの先住民とは認められない。同様に、オホーツク民とのアイノコ、アイノが北海道の日本先住民とは認められない。 ・ 資料 Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013. Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaido Ryuichi Masuda* (Hokkaido University) ・Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,ユーラシア大陸北東部に起源をもつオホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される(図 2)。・母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流があり,現代につながっていることを示唆している。 文献:Adachi, N., Shinoda, K., Umetsu, K., and Matsumura, H. (2009) Mitochondrial DNA analysis of Jomon skeletons from the Funadomari site, Hokkaido, and its implication for the origins of Native American. American Journal of Physical Anthropology 138 255-265.
北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月 遺伝的特徴から見たオホーツク人--大陸と北海道の間の交流 増 田 隆 一 *(北海道大学) 以上は、オホーツク人「民族ではない」に日本縄文人が殺戮され、日本縄文人との間でmtDNA遺伝子交流「強姦」があり、北海道侵略オホーツク人が日本縄文人少女を強姦してアイノコ、アイノ、アイヌが産まれたという遺伝子研究博士論文である。その時期は縄文期以降「鎌倉時代以降」と記述されている。アイヌは鎌倉時代までは地球上には存在しなかった。本州や沖縄のような日本縄文人の末裔ではないアイノコが日本先住民であるはずがない。インカはスペイン兵により滅ぼされインカの少女も強姦されてアイノコを産まされた。これをメスチソと呼ばれている。この金髪碧眼のメスチソがインカの先住民とは認められない。同様に、オホーツク民とのアイノコ、アイノが北海道の日本先住民とは認められない。 ・ 資料 Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013. Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaido Ryuichi Masuda* (Hokkaido University) ・Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,ユーラシア大陸北東部に起源をもつオホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される(図 2)。・母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流があり,現代につながっていることを示唆している。 文献:Adachi, N., Shinoda, K., Umetsu, K., and Matsumura, H. (2009) Mitochondrial DNA analysis of Jomon skeletons from the Funadomari site, Hokkaido, and its implication for the origins of Native American. American Journal of Physical Anthropology 138 255-265.
大学の講義ビデオが、間違えて一般公開になってしまっているのかと思うほどのクオリティ。
大学レベルでなくて、大学院レベルかもw
オホーツク漂白民の言語を拾いう集めてアイヌ語を創作するな!もともとアイヌは存在しなかっつた。なぜ?オホーツク乞食が日本縄文人少女を強姦して誕生したから。その時期は?モンゴル軍に追われた鎌倉時代13世紀。オホーツク民は統一した言語はなかった。なぜなら、混合民族で多種類の北方民族言語が使われ、統一されて否かっつた。鎌倉時代はモンゴルなどの北方民族に厳しい監視があり、とても本州で暮らせるじょうきょうではなかっつた。鎌倉幕府はモンゴルの使者が属国になれと手紙をもって偉そうに将軍に会いに来た.
EUの大半国を打ち破っつたモンゴルの使者に日本の外務省は小便をチビリ驚愕した。しかし、鎌倉幕府武家の棟梁である。ビビる外務大臣に、即、モンゴルの使いの首を切れ!と決断した。今のアホ政治家にはできない。このような時代に、オホーツク乞食が鎌倉や京都に住めるはずがない。即座に、首をはねられる。本州アイヌ語があるはずがない、うそつきはアイヌの始まり、韓国人の始まり。
ロシア下院「アイヌ民族はロシアの先住民族」←結局これどうなるんやろうね
@@dio3869 ロシアでも日本でも、アイヌ民族が民族自決やナショナリズムに基づいたアイデンティティをもっていないので大した脅威じゃないと思いまーす
こういう口上は抗争地に在住する住民を動かすために用いられるものなので
@@dio3869 アイヌは政治の道具ではない
あなた医者だったり言語学者だったり着ぐるみ着てたり一体何者なんだ
医者?...
@@0.17r.m9 精神科医さんやで
@@sugikyu まじかよw
ほんまに医者さん?
嘘つきkorean
1:03あたりで本州で話されてた未知の言語、知りたいですよねって、スンッて休止入るのマジで知りたいんだなって思えてすき。
オホーツク漂白民の言語を拾いう集めてアイヌ語を創作するな!もともとアイヌは存在しなかっつた。なぜ?オホーツク乞食が日本縄文人少女を強姦して誕生したから。その時期は?モンゴル軍に追われた鎌倉時代13世紀。オホーツク民は統一した言語はなかった。なぜなら、混合民族で多種類の北方民族言語が使われ、統一されて否かっつた。鎌倉時代はモンゴルなどの北方民族に厳しい監視があり、とても本州で暮らせるじょうきょうではなかっつた。鎌倉幕府はモンゴルの使者が属国になれと手紙をもって偉そうに将軍に会いに来た.
EUの大半国を打ち破っつたモンゴルの使者に日本の外務省は小便をチビリ驚愕した。しかし、鎌倉幕府武家の棟梁である。ビビる外務大臣に、即、モンゴルの使いの首を切れ!と決断した。今のアホ政治家にはできない。このような時代に、オホーツク乞食が鎌倉や京都に住めるはずがない。即座に、首をはねられる。本州アイヌ語があるはずがない、うそつきはアイヌの始まり、韓国人の始まり。
北海道以外の考古学遺跡にアイノ文化遺跡、アイノDNA人骨遺跡が皆無。本州の文献で多くの種族名があるがすべて縄文人部族である。縄文人弥生人のDNA調査で最近の成果は、縄文人と弥生人の区別ができない。すなわち、縄文人と弥生人は遺伝子学的に同一民族であった。人骨の外観、形状や、遺跡文化「土器」の違いから縄文人、弥生人と区分したアホな先駆者が居たことになった。 アイヌが日本先住民と捏造されている。しかし、遺伝子学的に、帰化人の子孫でない限り、日本人のほとんどは縄文人遺伝子を引き継ぎ保有している。沖縄人も日本縄文人遺伝子を保有している。アイノを除き、沖縄人を含む日本人は日本先住民族である。
本職の研究者でもやってないような分野にまで手を出せるってこの人一体何者なんですかねえ
むしろ本職がやってる分野で勝負したら本職に叩かれまくるかも
@@tesres2169 本職が利権で腐っとるからな
授業の内容の転載説
@@og4429 政治利用ありきで道民としては悲しい…知りたいのに
@@ロックサワー ですよねえ。僕はちなみに平家の末裔なんですが、もしも現在の平家研究が利権で腐ってたらどうなってたかと想像するとしんどいです。
こういった動画が大好きなのでこれからも頑張ってほしい
オホーツク漂白民の言語を拾いう集めてアイヌ語を創作するな!もともとアイヌは存在しなかっつた。なぜ?オホーツク乞食が日本縄文人少女を強姦して誕生したから。その時期は?モンゴル軍に追われた鎌倉時代13世紀。オホーツク民は統一した言語はなかった。なぜなら、混合民族で多種類の北方民族言語が使われ、統一されて否かっつた。鎌倉時代はモンゴルなどの北方民族に厳しい監視があり、とても本州で暮らせるじょうきょうではなかっつた。鎌倉幕府はモンゴルの使者が属国になれと手紙をもって偉そうに将軍に会いに来た.
EUの大半国を打ち破っつたモンゴルの使者に日本の外務省は小便をチビリ驚愕した。しかし、鎌倉幕府武家の棟梁である。ビビる外務大臣に、即、モンゴルの使いの首を切れ!と決断した。今のアホ政治家にはできない。このような時代に、オホーツク乞食が鎌倉や京都に住めるはずがない。即座に、首をはねられる。本州アイヌ語があるはずがない、うそつきはアイヌの始まり、韓国人の始まり。
ずっと聞いてたら「わからない」までアイヌ語の地名にきこえてきた
北海道 輪空内町
町名の「輪空内」はアイヌ語の「ワッカラナイ」を語源とし、その意味は「言葉の通じぬ人の居る地」と言われています。また、一説には本州から移住した和人が集落を作ったためとも言われていますが、語感が標準語の「ワカラナイ」と類似しているために派生した俗説とも言われています。
・・・道民の皆さんすみません。ただの思い付きです
稚内(ワッカナイ)とかありますからね
学者の人と関わる機会がないから、研究の進め方なんかを知る機会があるのは本当に嬉しいし興味深い。ありがとう。
「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
と推測している。
同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。
オホーツク漂白民の言語を拾いう集めてアイヌ語を創作するな!もともとアイヌは存在しなかっつた。なぜ?オホーツク乞食が日本縄文人少女を強姦して誕生したから。その時期は?モンゴル軍に追われた鎌倉時代13世紀。オホーツク民は統一した言語はなかった。なぜなら、混合民族で多種類の北方民族言語が使われ、統一されて否かっつた。鎌倉時代はモンゴルなどの北方民族に厳しい監視があり、とても本州で暮らせるじょうきょうではなかっつた。鎌倉幕府はモンゴルの使者が属国になれと手紙をもって偉そうに将軍に会いに来た.
EUの大半国を打ち破っつたモンゴルの使者に日本の外務省は小便をチビリ驚愕した。しかし、鎌倉幕府武家の棟梁である。ビビる外務大臣に、即、モンゴルの使いの首を切れ!と決断した。今のアホ政治家にはできない。このような時代に、オホーツク乞食が鎌倉や京都に住めるはずがない。即座に、首をはねられる。本州アイヌ語があるはずがない、うそつきはアイヌの始まり、韓国人の始まり。
北海道以外の考古学遺跡にアイノ文化遺跡、アイノDNA人骨遺跡が皆無。本州の文献で多くの種族名があるがすべて縄文人部族である。縄文人弥生人のDNA調査で最近の成果は、縄文人と弥生人の区別ができない。すなわち、縄文人と弥生人は遺伝子学的に同一民族であった。人骨の外観、形状や、遺跡文化「土器」の違いから縄文人、弥生人と区分したアホな先駆者が居たことになった。 アイヌが日本先住民と捏造されている。しかし、遺伝子学的に、帰化人の子孫でない限り、日本人のほとんどは縄文人遺伝子を引き継ぎ保有している。沖縄人も日本縄文人遺伝子を保有している。アイノを除き、沖縄人を含む日本人は日本先住民族である。
アイヌ民族副読本と歴史認識 上野 昌之 日本大学大学院総合社会情報研究科
において、以下の2点がまちがいである。
1点、 アイヌ民族は存在しない。民族を消してアイヌと表示すべきである。
13世紀以後、モンゴル軍に追放されたオホーツク民、侵略者が北海道の日本縄文人を殺戮、強姦して、アイノ子、アイノが生まれた。アイノはオホーツク漂泊雑種と縄文人子女との混血であり、民族ではない。
2点、 アイヌは北海道先住民ではない。北海道先住民は日本縄文人と表示すべきである。
北海道は13世紀、オホーツク民が北海道を侵略する以前の数万年前から竪穴式住居の日本縄文人の日本自治区であった。北海道の歴史年表も鎌倉時代以前は日本縄文文化遺跡、鎌倉時代以後はアイヌ文化遺跡と表示されている。
以上を証明する資料として、北大のアイヌの遺伝子調査博士論文がある。
資料添付:博士(理学)佐藤丈寛 学位論文題名 Studies on Genetic Features and Histories of Ancient Human Populations in Hokkaido , using Mitochondrial and Autosomal DNA Analyses
(ミトコンドリアDNAおよび常染色体DNA分析による北海道古代人類集団の遺伝的特徴と歴史に関する研究)
著者は、断片化した残存DNAの遺伝子増幅および外来DNA混入の防御に細心の注意を払った古代DNA分析法と多様な遺伝子マーカーを用いることにより、オホーック文化人が仲介となり、アムール河下流域を中心とした大陸集団(漂白民であり民族の共通性はない)からアイヌへの遺伝子流動(日本縄文先住民子女を強姦殺戮して間の子=アイノ=アイヌが生まれた)があったことを明確に示した。以上の成果は、これまで不明であった日本列島北部における人類集団間の遺伝子流動に関して時間を追って示された新しい知見であり、人類学および考古学などの自然史研究に対して貢献するところ大なるものがある。よって、著者が北海道大学博士(理学)の学位を授与される資格があるものと認める。・・・・・
半分秋田半分宮城の者です。バッケもヤチも身近な言葉なのでただただ驚くばかりです。いつも興味深い動画をありがとうございます。
岩手県出身です。自分の田舎でも“バッケ”・“ヤチ”、どっちも当たり前に言ってました。
あなたのような人が歴史を守っていくんだなと感じた、頑張ってください
「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
と推測している。
同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。
こんなに良質な研究結果を発表してくれるとは、感謝です
「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
と推測している。
同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。
北海道以外の考古学遺跡にアイノ文化遺跡、アイノDNA人骨遺跡が皆無。本州の文献で多くの種族名があるがすべて縄文人部族である。縄文人弥生人のDNA調査で最近の成果は、縄文人と弥生人の区別ができない。すなわち、縄文人と弥生人は遺伝子学的に同一民族であった。人骨の外観、形状や、遺跡文化「土器」の違いから縄文人、弥生人と区分したアホな先駆者が居たことになった。 アイヌが日本先住民と捏造されている。しかし、遺伝子学的に、帰化人の子孫でない限り、日本人のほとんどは縄文人遺伝子を引き継ぎ保有している。沖縄人も日本縄文人遺伝子を保有している。アイノを除き、沖縄人を含む日本人は日本先住民族である。
実家の近くに意味不明なカタカナ地名がいくつかあるのですがアイヌ語で解釈したらきちんとした意味になったのでびっくりしました。
実家は愛知県東部なので思ったよりも当時の大都市である関西地方に近いですね。
豊橋か新城あたりですか!?
昭和一桁生まれの母親とアイヌやマタギの話をした時、愛知県にも似たような人々が住んでいたと聞いたことがありましたね。それはもしかしたらサンカの方々だったのかもしれませんが…
不思議なのはアイヌにしろサンカにしろ日本の至る所に彼らと縄文の繋がりを感じる場所と
そして現代日本人の血と記憶の中にだって欠片の様に残されているのに、
土地の所有に拘る者達には"彼らは鎌倉時代にやってきた特権を欲しがる大陸系侵略民族の末裔"と
まるで国を二分せんと策略する分子の如く扱われるようになってしまっている事です。
宮城出身だけど、確かにふきのとうのことは、ばっけって言ってた。
追記:
あと思い出したのがひとつ。湧き出てるような湿地の事をやづって読んでました。おそらく谷池、谷地、谷津あたりを当ててたと思います。
岩手の釜石でもばっけと言うよ。
山形県では言わないです。
盛岡出身の祖母もばっけと言っていました。
青森でも言います!
東北にはアイヌの名残が僅かに地名や名詞にあるらしいですね
話は分かるが理解が追い付かないw
論拠を示し、説明をしたうえで見解を発表するという質の高い内容が無料でとは大変ありがたい。
北海道以外の考古学遺跡にアイノ文化遺跡、アイノDNA人骨遺跡が皆無。本州の文献で多くの種族名があるがすべて縄文人部族である。縄文人弥生人のDNA調査で最近の成果は、縄文人と弥生人の区別ができない。すなわち、縄文人と弥生人は遺伝子学的に同一民族であった。人骨の外観、形状や、遺跡文化「土器」の違いから縄文人、弥生人と区分したアホな先駆者が居たことになった。 アイヌが日本先住民と捏造されている。しかし、遺伝子学的に、帰化人の子孫でない限り、日本人のほとんどは縄文人遺伝子を引き継ぎ保有している。沖縄人も日本縄文人遺伝子を保有している。アイノを除き、沖縄人を含む日本人は日本先住民族である。
0.75倍速でちょうどいい
喋って解説してくれる動画好きです
@suminokura-cd7ru 俺は好きって言っただけで面白いなんて一言も言ってないんだが????????????
最近見つけたけどこの人凄いな…どの動画にも興味持てるし内容も聞きやすい
「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
と推測している。
同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。
北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月
Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013.
遺伝的特徴から見たオホーツク人--大陸と北海道の間の交流
増 田 隆 一 *(北海道大学)
Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaidoyuichi Masuda* (Hokkaido University)
オホーツク人における mtDNA の hypervariable region (HVR) I の 438 塩基に着目して,その遺伝情報を解析することに成功した(Sato et al. 2007)。
その結果,オホーツク人が現在のアムール河下流域集団であるウリチ,ネギダールそして北海道のアイヌに近縁であることを示している。Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,オホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される。
さらにmtDNA に関係しない「 耳あか遺伝子 ABCC11 」の対立遺伝子頻度はオホーツク人と日本縄文人中間値を示した。これはオホーツク人からの遺伝子の流れが北海道縄文系と合流し,現代へと変遷したことを支持している。この結果は,母系遺伝する mtDNA の分析から推定された遺伝子の流れと矛盾しない。
以上のように,母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流「縄文人女子強姦」があり,現代につながっていることを示唆している。
@@観音一騎 私はあまり頭がよくなく申し訳ないのですが
①オホーツク人とはなんですか?
②縄文人とはなんですか?またどうやってDNAを採取したのですか?
③「強姦」では無く「合意の上での性交」の可能性は無いのですか?
そもそも、元のコメントとはあまり関係のないコメントをコピペして貼り付けるのはやめて欲しいです。
大学の講義より楽しいです。
言語取っていますがここまで良質な授業に出会えていないので興味深く拝見しております
「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
と推測している。
同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。
オホーツク漂白民の言語を拾いう集めてアイヌ語を創作するな!もともとアイヌは存在しなかっつた。なぜ?オホーツク乞食が日本縄文人少女を強姦して誕生したから。その時期は?モンゴル軍に追われた鎌倉時代13世紀。オホーツク民は統一した言語はなかった。なぜなら、混合民族で多種類の北方民族言語が使われ、統一されて否かっつた。鎌倉時代はモンゴルなどの北方民族に厳しい監視があり、とても本州で暮らせるじょうきょうではなかっつた。鎌倉幕府はモンゴルの使者が属国になれと手紙をもって偉そうに将軍に会いに来た.
EUの大半国を打ち破っつたモンゴルの使者に日本の外務省は小便をチビリ驚愕した。しかし、鎌倉幕府武家の棟梁である。ビビる外務大臣に、即、モンゴルの使いの首を切れ!と決断した。今のアホ政治家にはできない。このような時代に、オホーツク乞食が鎌倉や京都に住めるはずがない。即座に、首をはねられる。本州アイヌ語があるはずがない、うそつきはアイヌの始まり、韓国人の始まり。
北大論文の要旨を資料として添付する。
***この論文①によると過去のオホーツク人は現在のアムール川流域、サハリン北部のニブフ、ウリチ、ネギダールである。
***論文②によると遺跡出土オホーツク人はYㇵプロ頻度が非常に高い。Yハプログループの頻度を現代の民族と比較してみると、ニブフでは60% 以上と最も高く、次いでオホーツク人において高く、近い系統関係にあったウリチ、ニブフ、ネギダールでも高頻度である。ハプログループの頻度の違いから集団間の遺伝的な距離(遺伝的分化係数、FST)を算出して系統関係を調べると、オホーツク人はやはりウリチ、ネギダール、コリヤーク、アイヌに近い。北海道縄文人は、オホーツク人と離れている。北海道縄文人はハプログループYをもっていない。北海道縄文人はオホーツク人遺伝子を持たない別の人種である。
***③によるとオホーツク人は、アムール川周辺域から北海道のオホーツク海沿岸にやって来た。北海道内続縄文文化や、それに続く擦文文化がオホーツク文化と融合して、その後、アイヌ文化が形成された。論文では、上述はミトコンドリアDNAのデータから推定できる。オホーツク人は大陸と北海道を結ぶ仲介者である。オホーツク人が北海道に侵入し、日本縄文人を殺戮、強姦して間の子、間の、アイヌが誕生した。アイヌは民族ではなく混血である。混血が先住民であるはずがない。敗戦後、アメリカ進駐軍が日本少女を強姦して数万人の混血が誕生した。金髪、碧眼の混血が日本人先住民族とは認められないし、アメリカ先住民族でもない。アイヌも日本先住民族ではない。
***以上の論文①②③をわかりやすく説明すると、オホーツク民がモンゴル軍に追われ、日本縄文人「擦文人」の北海道を侵略し、日本縄文人には無いハプログループY遺伝子を日本縄文人に注入し、間の子アイヌが誕生した。したがって、アイヌは日本縄文人とオホーツク漂泊民との混血であり、日本縄文人ではない。インカ帝国はスペインに滅ぼされ、インカの少女はスペイン兵に強姦され、間の子、間の、アイヌの混血が誕生した。金髪、碧眼のアイノ子はメスチソと呼ばれ、インカの先住民族とは認定されていない。同様に、アイヌも日本先住民に認定できないのである。国連と日本のボケ国会議員はアホなので在日帰化朝鮮人工作員に騙されて、日本先住民に認定した。これを正さねばならない。アイヌに化けた在日帰化朝鮮人が北海道を先住民の土地として返還運動をしている。放置すれば北海道は在日帰化朝鮮人自治区になり、韓国や中共の領土にされる。どうする、家康!・・・***
論文抜粋:遺伝子の流れから見たオホーツク文化人と北海道への影響
増田, 隆一Hokkaido University C ollection of S cholarly and Academic Papers : HUS C AP
① ミトコンドリアDNAの中の一部の遺伝情報(コントロール領域のHVR I)を解読して比較しましたープから発表されたデータと比較しました(Sato et al., 2007)。その結果、オホーツクの人たちは、現在のアムール川下流域やサハリン北部に生活していますニブフ、ウリチ、ネギダールの人たちに非常に近縁であることが明らかになりました。さらに、コリヤークやエベンなどカムチャツカ半島周辺の少数民族にもある程度近いことがわかりました。****
② 北海道縄文人や他の民族のハプログループについては、安達先生がすでに発表されたデータや他の研究グループのデータと比較することにしました(Sato et al., 2009a)。その結果、オホーツク人37体から信頼性のあるハプログループの情報が得られました。その中でG1b、それからN9bとYという3つのハプログループが高頻度で見られ、各々、約 24%、11%、40%でした。特に、Yハプログループの頻度が非常に高いというのが、オホーツク人の特徴になります。Yハプログループの頻度を現代の民族と比較してみると、ニブフでは60% 以上と最も高く、次いでオホーツク人において高く、近い系統関係にあったウリチ、ニブフ、ネギダールでも高頻度であることがわかりました。アイヌの人たちのハプログループYの頻度が約20%であることがわかっています。一方、安達先生たちが発表された北海道縄文人にはハプログループYはまったくみられません。現代のウデヘ、コリヤーク、イテリメンというカムチャツカ半島の民族にはわずかにみられます。韓国でもわずかにみられますが、本州ではほとんどみられません。
さらに、ハプログループの頻度の違いから集団間の遺伝的な距離(遺伝的分化係数、FST)を算出して系統関係を調べると、オホーツク人はやはりウリチ、ネギダール、コリヤーク、アイヌに近いことがわかりました(Sato et al., 2009a)。それに対して北海道縄文はどうかというと、オホーツク人とはかなり離れています。さらに、前述したように、北海道縄文はハプログループYをもっていません。
③ 以上の結果から、オホーツクの人たちは現在のアムール川下流域の人たちと最も近縁であることがわかります。よって、おそらくオホーツク人は、アムール川周辺域から北海道のオホーツク海沿岸にやって来たのだろうと推測されます。もちろん、あくまでも現在のアムール川下流域に生活する人々に近いということですが、ニブフやウリチの祖先がオホーツク文化期にどこにいたかのかはまだわかっておらず、今後の研究課題です。
いずれにしても、アムール川下流域の人々の祖先がオホーツク人と共通祖先をもっているということ、そして、コリヤークとかエベンともある程度交流をもっていた。そして、北海道内で発達していた続縄文文化やそれに続く擦文文化がオホーツク文化と融合して、その後、アイヌ文化が形成されたことが、上述のミトコンドリアDNAのデータから推定される。
江戸時代に青森にアイヌの集落があって、通訳として北海道に行ったりしてたという話を聞いたことがあります。
江戸時代半ばまでは、東北地方にはまだアイヌがチラホラと生き残っていた
凄く詳しく説明しているのに分かりやすいから、ずっと聞いてられる...
RUclipsにある動画で1番好きです
比較文化専攻してたけど退屈で大学を中退した自分を責めたくなる鬱動画(最上級で褒めてます
谷を「や」って讀むのは確かにずっと不思議に思っていましたけど、まさかのアイヌ語由来説は衝撃でした!
親戚の実家八戸なんだが
鮫(鮫浦)=湧き水の出る浜
蕪島=カピュー(うみねこ)の島
と言う解釈はすごく合ってると思う
あそこすげえ水うまいんだよ
しかも蕪島は明らかに
うみねこ だらけだし
そこ住んでる親戚は戦前から身長180
センチ超えばかり排出する
ゴリマッチョばかりだし
ご飯に味噌汁をかけて食べる所謂ねこまんまのことを実家ではチャペライスと言っていたの思い出しました。アイヌ由来だったんですね…
谷の「や」読みがアイヌ語由来とは驚いた。たしかに日本語なら「たに」だもんな…こういうの他にもたくさんありそう
もっと言えば「谷」の音読みは「コク」、古典漢語ではkukのハズなので「たに」という読みも古代朝鮮語や「未知の土着言語」に対する当て字だったのかも…
@昆布 ゼニは訓読みなんですね。確かにセンに似てる。中国から伝わった読みでも訓読みになるんですね。
山形にも「谷地(やち)」「谷柏(やがしわ)」「畑谷(はたや)」なーんて地名があることを思い出しました
アイヌ語由来と言われる地名が所々にあることを考えると、以外に沢山あるのかもしれませんね
@@gagenization 高句麗人は谷をタンと読んでた
らしいぞい
0.75倍速推奨
とても面白い内容でした。
野良で講義を聴講している気分になります。
この分野は「諸説あり」から抜け出すためのブレイクスルーがなかなかに難しいですよね。それだけにロマンがありますが。
あいかわらずとんでもない変態(褒め言葉)
次回作待ってますぅ
千葉県北部では、周辺から伸びるように幾筋もの細長く刻まれたような谷があり、一段低い低地を形成しています。それら谷のことを白井市周辺では「やつ」と言っています。本土アイヌと関係しているのかな??
よく考えたらアイヌのカムイに対する考え方とかまんま八百万の神だし、日本列島には古くからアニミズムが浸透してたんだなって思った。
ミネルグァさんの解説動画 楽しみにしてるんですよ。
たまんないんですよ。
木更津のキサラとか真理谷のヤツとか房総半島に残る地名がアイヌ由来だとすると面白いですね
「長い川」タンネナイ→タンナイ→トンネナイ→トネナイ→トネ川→利根川?って事ですか?
投稿されてからこんなタイミングでコメントするのあれなんですが、
私の地域(山形)でふきのとうを ばっけ
猫を ちゃぺ と言います。 この動画驚きの連続で面白くて仕方ないです。
神奈川だけどアイヌ語由来という神社があるので興味深く拝見しました
13:15 じゃあ谷津って苗字は湿地を表す地名から来てるんかな
祖父が青森の鶴田出身
水のことを、アッコ
小遣いの事を、マッコ
と言ってました。
明治42年生まれです。
子供の頃、初めてヒエログリフのことを知った時ぐらい、ワクワクする
色々自分の仮説がまとまった後に、古代オリエント語や近い語族の言語を並べて考えてみて欲しい。
完全な復元や意味の解釈も出来るかもしれない。
地名や和歌なんて結構古代語で..
「木更津のキサラはアイヌ語に由来する可能性がある」しれっと凄いこと言ってるな、本当かどうかわからないけど面白い!
北海道以外の考古学遺跡にアイノ文化遺跡、アイノDNA人骨遺跡が皆無。本州の文献で多くの種族名があるがすべて縄文人部族である。縄文人弥生人のDNA調査で最近の成果は、縄文人と弥生人の区別ができない。すなわち、縄文人と弥生人は遺伝子学的に同一民族であった。人骨の外観、形状や、遺跡文化「土器」の違いから縄文人、弥生人と区分したアホな先駆者が居たことになった。 アイヌが日本先住民と捏造されている。しかし、遺伝子学的に、帰化人の子孫でない限り、日本人のほとんどは縄文人遺伝子を引き継ぎ保有している。沖縄人も日本縄文人遺伝子を保有している。アイノを除き、沖縄人を含む日本人は日本先住民族である。
私の父の故郷は山形県の酒田市。この辺って結構本州アイヌ語っぽい地名とか結構多いから、私は東京23区で生まれたんだけど高校生頃からエミシの文化になんとなくノスタルジー感じていたんだよね。でも最近知ったんだけどうちのご先祖は元々薩摩隼人だったのが維新戦争後に出羽の国に移住してきたwというオチまでありまして、人の歴史って凄いな~と思います。
エミシとアイヌは違うかも。
参考までに北海道の札幌市に大谷地(おおやち)という地名がありますよ~
地下鉄東西線【大谷地駅】とか【大谷地バスターミナル】とかもあるので札幌在住の方はほとんどご存じだと思います。札幌の中心部ではないので人口増加で街を広げた際に新しく付けた地名かもしれませんね。
その昔白石区・厚別区が白石村(宮城県白石市から渡ってきた人たちの村)だったころ、今の流通センターより北側が厚別川の低湿地帯だったことから「大谷地原野」と名付けられ、その南端だった今の厚別区大谷地がなぜかその時の名前を残しているようです。
宮城県にも谷地とつく地名がいっぱいあって、当時開拓した人はごく一般的な感覚で開拓先の白石村で地名を名付けたのだと思います。
突然おすすめに出てきてみたら面白かったです。考古学の学部卒でしたが、言語学なども興味あったので興味深く拝見しました。言葉は変化するものなので、やはり史料を読み解く力と比較対象とするものがニュートラルでないとなかなか難しそうではありましたが、この動画ではそのあたりが非常に明快でしたのでグイグイ見ることが出来ました。
「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
と推測している。
同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。
北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月
遺伝的特徴から見たオホーツク人--大陸と北海道の間の交流 増 田 隆 一 *(北海道大学)
以上は、オホーツク人「民族ではない」に日本縄文人が殺戮され、日本縄文人との間でmtDNA遺伝子交流「強姦」があり、北海道侵略オホーツク人が日本縄文人少女を強姦してアイノコ、アイノ、アイヌが産まれたという遺伝子研究博士論文である。その時期は縄文期以降「鎌倉時代以降」と記述されている。アイヌは鎌倉時代までは地球上には存在しなかった。本州や沖縄のような日本縄文人の末裔ではないアイノコが日本先住民であるはずがない。インカはスペイン兵により滅ぼされインカの少女も強姦されてアイノコを産まされた。これをメスチソと呼ばれている。この金髪碧眼のメスチソがインカの先住民とは認められない。同様に、オホーツク民とのアイノコ、アイノが北海道の日本先住民とは認められない。
・
資料
Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013. Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaido Ryuichi Masuda* (Hokkaido University)
・Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,ユーラシア大陸北東部に起源をもつオホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される(図 2)。・母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流があり,現代につながっていることを示唆している。
文献:Adachi, N., Shinoda, K., Umetsu, K., and Matsumura, H. (2009) Mitochondrial DNA analysis of Jomon skeletons from the Funadomari site, Hokkaido, and its implication for the origins of Native American. American Journal of Physical Anthropology 138 255-265.
良いチャンネルに出会えたと、改めて思いました。
私の大正生まれの祖父の、そのまた祖父がアイヌ人だと聞いてます。八戸から近隣の集落も含めて全員で南下して関東まで来たそうです。大移動だったと。東北で離脱する人も居てちりじりになったそうです。
本州、東北にアイヌ遺跡はない。なぜ?アイヌは鎌倉時代以後に北海道に侵入したオホーツク漂白民であるから。鎌倉時代は東北も日本の侍が統治しており、異民族が親友する余地はない。特に、モンゴル軍と戦うために軍事強化していた時代だから、モンゴル人系統の侵入者はすぐに首をはねている。モンゴルの使者がぞっつ国になれとふんぞり返っつてやっつて来たが、即座に首をはねられている。そこで激怒したジンギスカンが九州に大軍を進行させたが日本侍に打ち取られた。そのような時代に北海道以外の本州に大陸系乞食集団が侵入できるはずがない、北海道は日本縄文人であり、言語も日本語が通じ、コメの取れないことから時軸として、放置されていた。そこへ、モンゴル軍に追われたオホーツク乞食が侵入し、日本じょぷ門人を殺戮し、北海道に住み着き、縄文人少女を強姦して、アイノコが生まれ、アイノ、アイヌが誕生した。アイヌという種族、人種は元から存在しない。資料添付。北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月
遺伝的特徴から見たオホーツク人--大陸と北海道の間の交流 増 田 隆 一 *(北海道大学)
以上は、オホーツク人「民族ではない」に日本縄文人が殺戮され、日本縄文人との間でmtDNA遺伝子交流「強姦」があり、北海道侵略オホーツク人が日本縄文人少女を強姦してアイノコ、アイノ、アイヌが産まれたという遺伝子研究博士論文である。その時期は縄文期以降「鎌倉時代以降」と記述されている。アイヌは鎌倉時代までは地球上には存在しなかった。本州や沖縄のような日本縄文人の末裔ではないアイノコが日本先住民であるはずがない。インカはスペイン兵により滅ぼされインカの少女も強姦されてアイノコを産まされた。これをメスチソと呼ばれている。この金髪碧眼のメスチソがインカの先住民とは認められない。同様に、オホーツク民とのアイノコ、アイノが北海道の日本先住民とは認められない。
・
資料
Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013. Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaido Ryuichi Masuda* (Hokkaido University)
・Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,ユーラシア大陸北東部に起源をもつオホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される(図 2)。・母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流があり,現代につながっていることを示唆している。
文献:Adachi, N., Shinoda, K., Umetsu, K., and Matsumura, H. (2009) Mitochondrial DNA analysis of Jomon skeletons from the Funadomari site, Hokkaido, and its implication for the origins of Native American. American Journal of Physical Anthropology 138 255-265.
徳川時代の奥羽地方は寒冷化と飢饉の影響が大きいからそこで多くの伝承の断絶や史料の散逸が起きてそうですね…
これまじで待ってました、ありがとう
おもろすぎます
久しぶりに脳汁の快楽に溺れてます
ありがとうございます。感謝
この人は本当に尊敬する!
面白いなあ
資料が少ないのが悔やまれるが前近代にすで言語が失われてしまっていたではどうしようもないよなあ
そのような中でもこうやって考察する手法があるというのが学びでした
今日は嬉しそうですね
高校の日本史の先生が長野県の一部の地名がアイヌ語由来ではないかと言っていました。「諏訪」「佐久」「伊那」など。どうなんでしょう…?
Although I can't understand most of this video, I deeply appreciate the fact that you posted a video on the Ainu language, which today is sadly very near extinction, especially in Japan in 2021.
same here, wish I could though
It's a difficult topic to understand, even for a Japanese😂
This video talks about Ainu language spoken in southern area from Hokkaido (northern part of main island of Japan), which completely disappeared today.
やちで終わる地名で思い出しましたが、札幌市の大谷地ってのもそういう意味だったんですかね?素人質問で申し訳ないんですけど。
私の祖母が猫のことチャペって言ってたなぁ
山形県だけど・・・
人名で思い出したけど、アイヌ語研究の草分け金田一京助博士は自身の苗字の金田一はアイヌ語で『山の人』という意味を持つことに気付いていて、自身のルーツがアイヌだったのではないかと思われていたそうです。
キムンアイン
違います。秦氏系の金山師です。
大阪あたりにもアイヌが住んでいて、アイヌ系の地名が数多く残っているとか、そういう時代錯誤の滅茶苦茶な話と混ざった、ズレた認識の一つです。
縄文系東夷族が大陸から持ってきた言葉には、奈良とか飛鳥とか大阪とか難波とか京都とか太秦とか、色々ありますが、日本語ではないからアイヌ語だろうと考えるのは間違いです。
カムイはアイヌ語ではなく、鬼界カルデラの破局噴火で山東半島から遼東半島付近に集団疎開した縄文系東夷族の社家が用いる高天原言葉です。もちろん日本語では神と言います。アイヌは高天原言葉を借用してカムイと言っていただけです。
なにしろ斎皇家は紀元前の昔から北海道のヒグマを神に見立てて祭祀する神事を伝承しているのですから。それを見て、神威という外来語を採り入れたのです。
秦人=柵外の人=ペルシャ系て、いわゆるインドヨーロッパ語族がシルクロードの交易で稼ごうと、殷墟のあたりに住む縄文系東夷族に妻問婚して、混血の集落を形成していたんですね。その後西進して秦国を興しています。
鬼界カルデラの破局噴火で疎開した、天照大神を奉斎する縄文系東夷族の社家に、シルクロードの西から来た素戔嗚=バアルを奉斎する集団が妻問婚して、一族同士の神婚を行ったことは、誓(うけい)として今に伝わります。
嬴姓の傍流を示す氵を付けた瀛姓を賜った金山師の徐福が、中華圏の統一時に生まれた戦争孤児を率いて、例の不老長寿の薬=辰砂を蓬莱から持って帰ると始皇帝に持ちかけて、大船団を建造して日本列島に里帰りしています。
ところが、
徐福は坑儒を目の当たりにして始皇帝の一族の恐ろしさをよく知っていたので、徐福の名を出すなと遺言したのです。
だから、日本列島での徐福の足跡は表向きよく分からなくなっていますが、厳島神社系列を束ねる皇室神道の指南役“白川伯王家”として明治時代まで残っていました。
安芸の宮島の厳島神社の神楽がペルシャ系の物語なのは、父系のルーツがあちらだからです。秦の始皇帝の兵馬俑はペルシャ式の軍団編成で、付近からペルシア人の人骨も出てきます。
徐福=瀛氏の里帰り=帰化によって、本格的に弥生時代に突入した日本列島は瀛州と呼ばれるようになりました。
金田一氏の一族はアイヌではなく渡来系の金山師です。氏が見出したアイヌ語の多くはアイヌ語ではありません。アイヌ語は日本語よりも新しい歴史の浅い北方系の海洋民族の口語です。古いと考えること自体が間違っています。
@@RayCrosmy いや、違うかどうかは知らないけど、金田一博士自身はそう思ってた、っていう話題提供しただけだよ。
アイヌは縄文人の直系じゃないんですね。
@@RayCrosmy この動画みたらアイヌ語自体は新しい言語とは言えないでしょ
こういう研究もネットがない時代なら目にする事さえなかったと思う。
津軽で同化政策を推進した乳井貢の一族の者としてはこの動画はすごく感慨深い
ちなみに、乳井の由来は弘前市の地名で、ni-o-i (木が群生する所)って興味深いですね。北海道にも荷負(におい)という地名があるそうです。
@@maymeg6777
その乳井には3つ城跡があり、その1つの乳井茶臼館ってのがアイヌの「チャシ」に音も構造も似てるんで、何か関係あるのかなーと思ったりもしてます
この方一般の研究家でしょうか。新しい発見は狭い研究室の机の上でなく市井から自由な発想で生まれる、そんな時代に変わろうとしているのかも知れません。
言葉の借用をお互いしていることを理解して論じるということを60年前の学者には発音ともども思いつかなかったろうな。もっとアイヌの起源を知りたくなる。
アイヌの起源資料送風。北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月
Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013.
遺伝的特徴から見たオホーツク人--大陸と北海道の間の交流
増 田 隆 一 *(北海道大学)
Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and HokkaidoRyuichi Masuda* (Hokkaido University)
オホーツク人における mtDNA の hypervariable region (HVR) I の 438 塩基に着目して,その遺伝情報を解析することに成功した(Sato et al. 2007)。
その結果,オホーツク人が現在のアムール河下流域集団であるウリチ,ネギダールそして北海道のアイヌに近縁であることを示している。Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,オホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される。
さらにmtDNA に関係しない「 耳あか遺伝子 ABCC11 」の対立遺伝子頻度はオホーツク人と日本縄文人中間値を示した。これはオホーツク人からの遺伝子の流れが北海道縄文系と合流し,現代へと変遷したことを支持している。この結果は,母系遺伝する mtDNA の分析から推定された遺伝子の流れと矛盾しない。
以上のように,母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流「縄文人女子強姦」があり,現代につながっていることを示唆している。
@@観音一騎 ありがとう
言葉借用のこととこの資料を読んでみて言語も当人達もアイヌ先住民がそこにはるか昔から脈々と存在したというより屈強な?オホーツク人と縄文人の交わった子孫がそこに住んで文化も閉ざすわけでもなく適度に周りから吸収してたと
北海道以外の考古学遺跡にアイノ文化遺跡、アイノDNA人骨遺跡が皆無。本州の文献で多くの種族名があるがすべて縄文人部族である。縄文人弥生人のDNA調査で最近の成果は、縄文人と弥生人の区別ができない。すなわち、縄文人と弥生人は遺伝子学的に同一民族であった。人骨の外観、形状や、遺跡文化「土器」の違いから縄文人、弥生人と区分したアホな先駆者が居たことになった。 アイヌが日本先住民と捏造されている。しかし、遺伝子学的に、帰化人の子孫でない限り、日本人のほとんどは縄文人遺伝子を引き継ぎ保有している。沖縄人も日本縄文人遺伝子を保有している。アイノを除き、沖縄人を含む日本人は日本先住民族である。
@@観音一騎 >先駆者
えぇ嬉しいような悲しいような事実
北海道の友達は義務教育でアイノの知識叩き込まれたみたいです
話が真実とだいぶ違うとは思うけど酷い扱いを受けてきた民族らしい云々
金田一京助氏が磯部誠一さんのアイヌ語地名解について、「式を考えず、直ちに、答えを出す」と言うやり方は間違っていると言われたのは頗る当を得た言で、・・・
「みんなアイヌ語にしたらいいでしょう」
今と同じ状況が明治41年前後と大正7年にも起きていた。歴史は繰り返す。
アイヌ民族研究家 吉田 巌(1882年- 1963年)愛郷春秋より
すげえ。。すごすぎる。参加したい。。
インドネシア語で街のことをコタ、kotaと言います。
また、バリのクタ、kutaも同じ意味だと言ってました。
これも関係あるかもしれませんね。
結構日本の渡来人以前の古代語ってポリネシア諸語とも共通点があるんですよね。
up主の正体を教えてください。著作があれば読んでみたいです。
面白すぎた
ネタ系も面白いけどこういう真面目系もまた見たいです
10:30
知里さんは「ちさと」と読むのではなく「ちり」と読むそうです!
この動画とても興味深く面白かったです!これからも頑張って下さい!!
銀の雫ふるふる」の知里幸恵(ちりゆきえ)さんの弟さん、ちりましお先生ですね。大学の時、夫人の講義で、よく夫君である知里先生のお話をされてました。
アイヌ語由来の単語がいくつかあるところで育って、なぜここにアイヌの言葉があるのかわからずのまま生きてきたのですが、本州アイヌ語の存在をこの動画で知れて少し腑に落ちました
今後の考察も楽しみにしています
本州にアイヌは存在しない。考古学遺跡DNAからの結論。
「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
と推測している。
同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。
北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月
遺伝的特徴から見たオホーツク人--大陸と北海道の間の交流 増 田 隆 一 *(北海道大学)
以上は、オホーツク人「民族ではない」に日本縄文人が殺戮され、日本縄文人との間でmtDNA遺伝子交流「強姦」があり、北海道侵略オホーツク人が日本縄文人少女を強姦してアイノコ、アイノ、アイヌが産まれたという遺伝子研究博士論文である。その時期は縄文期以降「鎌倉時代以降」と記述されている。アイヌは鎌倉時代までは地球上には存在しなかった。本州や沖縄のような日本縄文人の末裔ではないアイノコが日本先住民であるはずがない。インカはスペイン兵により滅ぼされインカの少女も強姦されてアイノコを産まされた。これをメスチソと呼ばれている。この金髪碧眼のメスチソがインカの先住民とは認められない。同様に、オホーツク民とのアイノコ、アイノが北海道の日本先住民とは認められない。
・
資料
Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013. Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaido Ryuichi Masuda* (Hokkaido University)
・Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,ユーラシア大陸北東部に起源をもつオホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される(図 2)。・母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流があり,現代につながっていることを示唆している。
文献:Adachi, N., Shinoda, K., Umetsu, K., and Matsumura, H. (2009) Mitochondrial DNA analysis of Jomon skeletons from the Funadomari site, Hokkaido, and its implication for the origins of Native American. American Journal of Physical Anthropology 138 255-265.
興味深い。宮城にもトウガッタ温泉、名取(元はニトリ)川などアイヌ地名があります。
大阪の、枚方、枚岡の「ヒラ」は、アイヌ語のピラ(崖)から来てるという説を聞いたことがある。
北海道の豊平、小平と同じで。
実際、枚方市駅付近と、枚岡神社付近は、洪積台地と沖積平野の境界部の崖になってるしね。
沖縄県の平良島も同じく、周囲を海食崖に囲まれてる。
あと大阪の門真市の「カドマ」や寝屋川市の「ネヤ」も、何か本州アイヌ語っぽい気がする。
というか、浪速すら、ナイワッカから来たという話を聞いたことがある。
正に、淀川大和川の河口に位置してるから、ひょっとしたら本当かも?
アイヌは民族ではなくハーフである。鎌倉時代にモンゴルに追われ、北海道に進出したオホーツク乞食が日本縄文人少女を強姦して産ませたハーフである。鎌倉時代に本種に来ればモンゴルと対峙していた鎌倉武士に首をはねられる。本州にアイヌが住める場所はない。「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
と推測している。
同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。
縄文語と言え!と怒っている人は、アイヌ=北方民族という先入観から抜け出せてないだけ。縄文人がアイヌを自称していたとするならそれをアイヌ語として問題ない。
新潟北部で「ナイ」のつく地名出身ですが、幼少期に祖母から叱られるときに「いがすま」と言われたことを思い出しました。これもアイヌ語だったのかも。
北海道札幌市厚別区にある大谷地の「谷地」は単なる湿地ではない可能性ありますね
東北に生まれ育った者なので本州アイヌ語にはとても興味がありましたがなにせ文献や研究がないのでこの動画を見れて嬉しいです
素人の意見ですが、東北に点在するカタカナ地名(タイマグラ、岩手県宮古市川井)なども本州アイヌ語がもとだったりするのでしょうか?
タイマグラはおそらくアイヌ語で解釈できます。宮城県に達居森(たっこもり)、岩手県に達古袋(たっこたい=丘-森)があるようにタイ=森を示します。
@@maymeg6777 青森県にも田子町(たっこまち)という地名があります。
「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
と推測している。
同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。
うちのおじいさんが大学生のときに、金田一先生の助手をしていて、アイヌ語の研究をしていました。がんばってください。
あー…
津軽民だけど死んだばーちゃんが初代猫にちゃぺって名前つけてた
馴染みなくてチャッピーにしたけど
男おいどんと言う漫画でペットの猫に「ネコ」と名前を付けていたのを思い出しました。
@ner sun さま 今でも東北弁には少しアイヌ語の単語が混ざっているそうです。それから東北の人が子供の頃によその家に行って、お風呂に入るから服を脱いだおねえさんがアイヌの守り紐をつけていたのを確かに見たそうです。70年代の本で読んだかな?
アイヌ、琉球だとか日本の民族はほんとロマンだ
面白かった。
沖縄とアイヌは同じですよ!
항상 감탄하고 갑니다. ニブフ語、ウィルタ語もおねがいします
13:53 表を見ると、西日本にも谷を「や」と読む地域が点在してるけど、これってアイヌ語族の人々が西日本にも少数ながら住んでいたって事かな?
改名や合併なんかで比較的新しくできた地名の可能性もある
戦国時代前から安東一族は蝦夷地(渡島半島)に進出しているので安東一族はアイヌとの交易で言葉の接触があったのは容易ですし、南部氏には九戸政実の乱のときに九戸城内にアイヌがいたことが記録されていますし、江戸時代にアイヌと同じ服装や風習を持った人が下北半島などにいて、その人たちの暮らす村を「戎村」として幕府には隠していたことが分かっています。江戸時代の南部家支配地図にも地名が伏せられている空白地があり興味深いです。アイヌが東北地方に移住してきてアイヌ語圏と大和語圏が分かれていた地域もありつつ混在している地域もあったと考えるのが普通かもしれないですね。
@ner sun 平家ですら隠れ里とかあるのにですか?
本州にアイヌ遺跡がない。本州にアイヌがいたというのは嘘である。アイヌは鎌倉時代にもんごるにおわれ、鎌倉時代の北海道に侵略してきた。それ以前はすべて日本縄文人が北海道、沖縄、朝鮮半島に住んでいた。朝鮮半島の日本縄文人遺跡は韓国が伏せている。朝鮮半島の百済、任那は最後の日本縄文人の住む日本国でアッた。日本の前方後円墳十数基も朝鮮半島に残され、日本の土器、黒曜石などがしゅつどする。しかし、韓国ではなかったことにされている。
「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
と推測している。
同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。
鎌倉時代にアイヌが本州に侵入すれば、モンゴル軍と戦う日本の武士集団が黙っつては居ない。
アイヌという民族は存在しない。アイヌとはオホーツク乞食集団が北海道に侵入し、日本縄文人の子孫である擦文人少女を強姦して産ませたアイノコ、アイノ、あいぬ、である。ハーフは民族ではない。遺伝子研究で確定。
「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
と推測している。
同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。
登山がてら岩手県のタイマグラを夜歩いてみた。
タイマグラはアイヌ語で「森の奥へと続く道」との事。文字通り森の奥へと続く道でしたな。
驫木(とどろき)貝良木(かいらぎ)このような語尾の地名が近くに多い。
大童子(おおどし<オドジとも>)大戸瀬(おおどせ)、これはごく近くの別漢字で書かれている地名だが発音はほぼ同じ。
艫作(へなし)、艫の字は船の後部を意味し、トモ、と読む。Japaneseで解釈できない地名がだらけの地域に移住してきて25年、地元の人々はバイリンガルだが、彼らが標準の速度で地元語を話す時、私はヒアリングできない。かなで書こうとすると、該当する字がない言語。
アイヌ語とアイヌ民族を一緒にしてる人本当多い
そして蝦夷のことも「かわいそうな人達」と思っているんですね。わかりますww
なんとなくそうイメージしてしまう、というところまでなら理解出来ますが、この動画を全部見てもなおまだそう言ってる人は本当に話が通じないし、何を言っても無駄なんだなと感じます。
北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月
遺伝的特徴から見たオホーツク人--大陸と北海道の間の交流 増 田 隆 一 *(北海道大学)
以上は、オホーツク人「民族ではない」に日本縄文人が殺戮され、日本縄文人との間でmtDNA遺伝子交流「強姦」があり、北海道侵略オホーツク人が日本縄文人少女を強姦してアイノコ、アイノ、アイヌが産まれたという遺伝子研究博士論文である。その時期は縄文期以降「鎌倉時代以降」と記述されている。アイヌは鎌倉時代までは地球上には存在しなかった。本州や沖縄のような日本縄文人の末裔ではないアイノコが日本先住民であるはずがない。インカはスペイン兵により滅ぼされインカの少女も強姦されてアイノコを産まされた。これをメスチソと呼ばれている。この金髪碧眼のメスチソがインカの先住民とは認められない。同様に、オホーツク民とのアイノコ、アイノが北海道の日本先住民とは認められない。
・
資料
Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013. Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaido Ryuichi Masuda* (Hokkaido University)
・Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,ユーラシア大陸北東部に起源をもつオホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される(図 2)。・母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流があり,現代につながっていることを示唆している。
文献:Adachi, N., Shinoda, K., Umetsu, K., and Matsumura, H. (2009) Mitochondrial DNA analysis of Jomon skeletons from the Funadomari site, Hokkaido, and its implication for the origins of Native American. American Journal of Physical Anthropology 138 255-265.
6:40
陸前高田…も、ぼやっと読むと読めるよね。
10:52
秋田いたころ、現在換算で80から100ぐらいの人は、頭のことを「ガッケ」言う人いたな…
14:13
まじかよ…現在換算で80から100ぐらいの人で猫を「チャペ」言う人いたよ…
比較言語学専門でやってる人のレビューを見たい
「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
と推測している。
同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。
@@観音一騎 オホーツク人との混血は考古学的証拠からもすでに示唆されていますね。
梅原猛さんは古代アイヌ語と古代日本語が非常によく似ていて日本語の源流はアイヌ語ではないかと言っていましたが亡くなってしまいました。東京にも日暮里や世田谷(桜の丘)等アイヌ語由来の地名があります。木更津もそうとは知りませんでしたが研究する価値はあると思います。昔は関東のことを「むさ」と言ったらしいですがこれもアイヌ語由来だそうです。そのむさが京都に近い方が「むさかみ」と言いこれが相模の語源だそうです。京都から遠い方が「むさしも」これが武蔵の語源だそうです。関東もアイヌ語だらけみたいですね。
アイヌ由来っぽいのと武士言葉っぽいのと渾然一体となった日本語ワンダーランドですわ
アイヌ語じゃなくて、縄文語ちゃう?
@@yo2trader539 文字を持たない先住民族はアイヌだけじゃないですしね。
@@og4429 アイヌは北海道・樺太・千島在住の縄文系が南下したオホーツク人と数百年間接触して産まれた言葉・文化だからね。関東にアイヌ語というのは理論的・歴史的にあり得ないです。
@@yo2trader539 ん?ってなると阿弖流為とかは何の人なの?あれ茨城県ですよね。
確かに千葉には谷津干潟ってあるなあ。これも本州アイヌ語由来の言葉なのだろうか。
マタギでは、長老を「エカシ」と言いますが、これもアイヌ語ですよね。
陸前高田から氷上山という山が見えますが、画像の地図の位置からしてあそこにある神社ですかね?
岩手の沿岸部や山間部はメキシコ人みたいな日本人ぽくない顔立ちの方がわりと居ますが、本土アイヌの血を引いてる方々なのかなとふと思いました。
大間のマグロ漁師の山本さんは確実にアイヌの血を引いてると思う。
全角岩手
こんなもん無料公開してええのんか?
日本版ポーネグリフやんか😊
ロマンですね〜❤
津軽ねぷこのあの意味不明な喋りの中にアイヌのエッセンスがいくらか入ってたのだとしたらなかなか浪漫のある話だな
新潟県胎内市の山奥にコモド沢があり、
コモド橋が架けられてます。
近くの登山道の頂上地点をアゲマイノカッチと言います。
更に付近に胎内マタギが作ったと言われる祠があるので、
アイヌ語なのでしょうか。
10:30「ちさと」じゃなく「ちりましほ」さんですよ🗒
山形ではフキノトウはバンケでしたね
大変面白いです!
古代本州アイヌの人名は「コ」で終わるとあったが「もののけ姫」の主人公アシタカの「カ」は正にそれを示唆するものだろうか?
ともあれ宮崎駿氏の知識量と博識と調べる情熱には愕然とする。
本州にアイヌは存在しない。アイヌの遺跡は鎌倉時代以後の北海道しか存在しない。資料。
「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
と推測している。
同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。
面白すぎる!!!
意外と関東以降はアイヌ語由来のものがある可能性があるのか
西日本と東日本で同じ漢字使ってるのに読み方違う地名があったり、どう考えても当て字と思える東日本の地名があったり、言語は奥深いなぁ〜
0.75倍速で聞くとちょうどいいですね
茨城県水戸市に「木葉下(あぼっけ)」という地名がありますが、本州アイヌ語と関係があるという説はありますか?
本州にアイヌは存在しない。アイヌは民族ではない。モンゴル軍に追われたオホーツク難民が北海道縄文人を殺戮強姦してアイヌが誕生した。鎌倉時代のモンゴルと対峙していた本州にアイヌが来れば、当然打ち首。本州にアイヌが住める余地はない。
「北大研究グループ」オホーツク人のDNA解読に成功
6月18日の北海道新聞朝刊に興味深い記事が掲載された。5~13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功。オホーツク人のルーツには諸説あるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことがわかったというもの。また、アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦紋人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。謎に包まれたオホーツク文化が解明されることでオホーツク地域の魅力がさらに深まりそうだ。(以下北海道新聞から紹介します)
どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は
「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係(侵入オホーツク乞食に強姦された日本縄文人少女がアイノコ、アイノ、アイヌを産んだ)にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから受け継がれたのでは」
と推測している。
同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は、最後は消えたという表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団もいたことが示された。アイヌ民族の形成の多様さ(不特定多数の浮浪漂白民)を遺伝子から指摘する研究成果だ」とみている。
一次資料がたくさん出てきて見ごたえがあった。ほとんど考古学のような状況での研究に頭が下がる。そもそも関心も研究も資料も少ない分野なので、昭和期の「情熱に満ちた」思い込みによるアマチュア研究が二次資料となっているあたりも大変そう。
11:19 「全然違う」というのはどうだろうか。音の移り変わりは言語間固有のものだから本州アイヌ語と上代東国語の関係のことを私は全く何も主張できないが、世界的に見れば、hが脱落することはよくあるし、bとpはよく交替する。また、資料が新聞記事なので、一般向けに敢えて根拠を示さずに書いた可能性もある。
19:12 「r > n」 という変化は世界的にはあまりないが(語末の末子音なら有り得る)、「l > n」 ならしばしば見られる。(現代の標準の)日本語の r は[dl]と書くべきだとすら思うほど独特な音だから、「r > d」の変化は納得しやすい。しかし、直接「r > n」ですか? もしかして「r > ?? > n」?