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高島秋帆のおかげで知識では先進国に追いついていたから輸入兵器の凄さもわかるし使い方もわかる。だからこそ補給が混乱しても解決できる。近代化のための助走から始めてくれるのはやはりいいですね。
高島秋帆から、弟子で同士みたいな感じ(?)の江川英龍へと意思が繋がり、そこから多くの若い幕臣や、同じく各藩の若い藩士達に繋がって行ったのも大きいですね。まぁ幕府内でも、理解していない連中が足を引っ張ったり、薩長とかでも過激派が暴走したり、自分勝手な正義の名の下、天誅と称して暗殺や強盗をした馬鹿どもも多かったですけど……。
明治時代の話になりますが、田原坂では官軍・薩軍が互いに激しい銃撃戦を行ったため平成時代になっても付近の畑からエンピール銃やスナイドル銃の弾が出てきたと地元の人が話していましたね。当時の土蔵にも銃弾が刺さったままになっていました。
各地に火縄銃の流派がいくつも生き残っていたようですが、幕末に至っても発射前に気合を発し、発射後しばらく構えを崩さないとか剣術まがいで、関ヶ原の頃と大差無いどころかむしろ形骸化。洋式銃を導入しても一から運用を学まねばならない有様で、260年の平和は貴重でしたが長すぎました。
その平和のおかげで文化は花開いた面もあったけどね。世界一といわれる花火師も平和だから出来た事
兵法書も同じ様な傾向で儀礼的であるものが多く、幕末の戦乱の現実に全く対応できないものは淘汰されました。
260年の平和ボケの日本と今の平和ボケした日本。よく似てる。
スペンサー銃が有名な村田銃に進化した?
これだけ色んな銃を輸入したら扱えなくて混乱するはずなのに、上手く使いこなすのだから凄い。近代兵器も短期間で使いこなすのだから、幕末は本当に優秀な人が多かったんだなと思うわ。
函館の五稜郭に記念館が有りましてそこに当時使われた銃が展示されていますライフリングが切って有る銃と無い銃が有り(後装式もありました)当時銃の発展途上に有ったんだと思いました
高島秋帆て、どっかで聞いた事あるなあと思ってたら、大河ドラマの "青天を衝け" で渋沢栄一が子どもの時に、護送されてる高島秋帆(玉木宏) と会話する場面がありました😳
銃の技術の進歩はすげぇわ
つくづく戦争が人間の進歩を促すカンフル剤だと痛感するよ
人間が争う度に技術が良くなる…やな皮肉よ…
幕末の外国の最新武器も混ざりあってる時代すき水戸黄門だと手動リボルバー式の拳銃型火縄銃使われてたり面白い
時代劇の時代考証は、かなりいい加減な処が有りますからね。某時代劇で、ガトリング機関砲が悪役側の武器として出てきましたが、実際ガトリング機関砲が出てくるのは、その舞台となっている江戸時代の途中の年代より、百年は後の時代なんですよねぇ。
ゲーベル銃とミニエー銃以降では、戦術も戦列歩兵から散兵へと大きく変わったのですが、当時の武士はよく対応できたと思います。ゲーベル銃を装備した戦列歩兵が、ミニエー銃を装備した部隊によって壊滅したこともあったのでしょうか。
第二次長州征伐時にミニエー銃を装備した長州兵が大村益次郎の指導した散兵戦術によって、戦列歩兵の幕府側を破った例がありますね。
@@pontaponta3217 第二次長州征伐は長州側の一方的な勝利となり、家康以来の幕府が軍事力で諸藩を抑える体制が崩壊した事件ですが、その原因がマスケットからライフルへの銃器の革新的変化だったわけですね。大村益次郎は年単位で大きく変わる欧米における銃や戦術の変化の情報を、ほぼリアルタイムで取得・理解して、銃器の調達や軍の編成を行なっていた事になります。幕末における天才の一人なのは間違い無いでしょう。
@@baatarismbaatarism9209 某洋画で小悪党にされてるのかわいそう:cry:
長州征伐で惨敗したのは彦根とかの諸藩の兵で、洋式武装した幕府陸軍、紀伊藩は互角だったとか。鳥羽伏見も惨敗とか言われるけど、死者数からするとそうでもない。勝手に退却しただけ。
新政府側が近代化しているイメージがある戊辰戦争だけどフランスの銃を多く輸入した幕府側にも最新鋭の銃が使われていましたね
高島秋帆は高島平にその名を残していますね。洋式砲術を導入した時、公開砲術演習を行った場所が現在の高島平でした。
射程がゲベールは最大200mくらいで、ミニエーが3〜400mほどだったようですね。
確か幕府側がフランスの軍事指導を受けてたんだよね...というか日本の傑作銃も元はフランス銃が多いな
さすがナポレオンを輩出した欧州一の陸軍国家(ドイツ帝国時代は除く)
ラストサムライ?
@@urontea_ 映画もそうだけど、史実でもフランスだよ~
200年の遅れを一気に取り戻したんですね。幕末はちょうど銃の革命が起きていたころですから、マスケットでの戦列歩兵の軍制改革をやってたらうまく出来なかったかもしれませんね。
幕末期の各勢力にはそれぞれ外国勢力がバックに付いてたから、多彩な武器が出回ったのかもね。薩長にはイギリス、幕府はフランス、長岡藩はドイツみたいに。
ただ、単純に英国は薩長側を支援し、仏国は幕府側を支援しているとは言え(言い切れ)ないんですよね。英国公使官ハリー・パークスは、恭順している徳川慶喜を攻撃し、江戸を火の海にするならば、我が国の軍が相手すると、西郷隆盛に脅し(勝海舟の根回し)を掛けていましたし、仏軍のジュール・ブリュネ砲兵大尉(後の少将)以下数名の軍事顧問団は、仏国本国からの命令を無視して榎本艦隊に合流した為に、後に裁判に掛けられたりしてましたからね。独国が長岡藩を支援したと云うよりは、普国(※プロイセン)人のスネル商会が支援したと云う処ですかね。※プロイセン→後のドイツの一部。
@@小林秀行-u4x さんへ分かってますよ。単純に言っただけで、戊辰戦争は日本国内の内戦ですが、欧米諸国がさまざま関わった国際問題の側面もあるって事です。だからこそ、多種多様な兵器が日本国内に入ってきたって事ですね。
@@閃光ケイン @閃光ケインさん、それは大変失礼しました。🙇幕末維新の頃って、複雑怪奇で分からなくて難しい事だらけなんですよねぇ。幕府内でもいろんな考えや主義主張が有りましたし、もちろん各藩内にも其れ其れの藩士で其れ其れの主義主張が有りましたからね。そこに諸外国等が加わり、更に難しくなってますよね。更に、幕末維新を題材にした小説やドラマ等で伝えられている事が、さも真実で有るかのように錯覚している人が少なからずいる事も、厄介な事に難しくさせているんですよね。学者や教師の人達にも、そのような傾向が有る気がします。薩長は初めから先を読んでいて近代化を進めていたとか、関ヶ原の恨みから倒幕だったとか。幕府は時代遅れな考えで凝り固まり、更に諸外国からの圧力に耐えられず、いいように不平等条約をさせられたとか。実際に幕府は、米国の艦隊が来る事を蘭国から事前に情報を経ていましたし、実際最初にペリー艦隊に交渉しに行った人物(その中の一人が、木戸孝允の海防の恩師の中島三郎助)に対し、ペリーの日記の中で幕府の公証人の事や、地元住民の事も書かれていますし、また当時の下田の住民達も、彼等に対してどの様に応対していたのか、今も地元に伝えられています。また、米国のハリスと交渉した岩瀬忠震などは、ハリスの日記からその交渉力を評価されてましたし、実際その時に提携された内容は、関税は当時の世界標準の関税に収まってましたし、外国人が日本に上陸出来る範囲は、横浜の関内だけと決められていたみたいですしね。その後、長州が起こした馬関戦争や、薩摩の起こした薩英戦争等の敗戦処理により、窓口になっていた幕府は、各国に賠償金を払わなければならず、その金額が莫大な金額に為るため、関税の見直しや外国人の行動範囲の更なる拡大などの、諸外国の要求を飲まざる負えなかった処が有りました。その後に起きたのが、有名な生麦事件ですね。私自身、さほど学があるわけではないですが、歴史は好きなので、色々と調べていますね。
金属薬莢の初期のころは鉄砲鍛冶の丁稚がトンテンカンと作ってたので、連射なんかされたらあっという間に弾切れて命(タマ)もキレますわ。圧延機とプレス加工機は偉大です。
スペンサーカービンの連射力と弾の入れ方は度肝抜いた
実際にやるとチョット面倒い.イエローボーイの方が便利.
@@byk-abcde イエローボーイと比較しちゃいかんでしょ。M1860ヘンリーライフルならわかるが
このスペンサーの小銃は、後装式の新型銃。つまり、元込め式の新しい小銃でした。
しかも、7連発が可能となった。つまり、出来るようになったんスよ❗
本来一つのカテゴリーの兵器でこんな雑多な種類があると補給や教育の面でマイナスにしかならないけど、新種の兵器は別ですよね!色々なアイディアで生存競争が始まり、やがてバトルプルーフされて収斂されていく様が大好きです!
スペンサー騎兵銃は古式銃として日本でも買えますね。値段が200万円位して高くて買えないけど
正確には村田小銃はグラース小銃を原型にしていました。グラース銃は1874年に採用された銃でシャスポー銃を金属製弾薬を使用できるように改良したものでした。
戊辰戦争は敵も味方も新兵器の威力に驚いたんだろうなぁ
南北戦争で両軍がミニエ銃での負傷で手足の切断した負傷兵の写真が有るが、幕末での戊辰戦争で幕府軍や官軍で手足を切断した負傷兵の話は殆ど出て来ない。(幕末の剣豪で伊庭八郎が戊辰戦争で片腕を失っても奮戦して戦死)
幕末日本では手足切断のような外科手術ができなかったからでは?
ミニエー銃は「ライフリング入り銃身だけど、装填時間はライフリング無し銃と同じ」、スペンサー銃だと「立身での装填から解放+連発式」だもんな…
ところどころに入ってくるるろ剣ネタが笑いを誘うww
もろ世代だと特にww
年末大型時代劇奇兵隊と五稜郭好き
使わなくなった武器を売られて、新型だぜ!と思ってたんだろうな。そこから研究して、世界に追いつく探究心がすごい。
当時の世界情勢を調べると、ほんと幕府の援護無しで藩独自にイギリスに戦いを挑んだ、薩摩藩の激チェストが物凄い際立つよねw
因みに、長州の馬関戦争や薩摩の薩英戦争が起きる前は、幕府と米国等と締結した関税は、世界の標準的な関税で有り、外国人も横浜の関内からは出られなかった。しかし、馬関戦争での長州藩の敗北や薩英戦争での後始末の為に、各国との窓口となっていた幕府が対応、敗戦処理の賠償金を支払わなければならず、幕府だけでは到底払う事が出来ず、勿論幕府に払う義務も無い為に、関税が緩くなり、外国人も関内外に出られるようになってしまった。生麦事件が起きたのは、その後です。ただ、幕府にもハリスと交渉した岩瀬忠震や、ロシアのプチャーチンと応対した川路聖謨等多くの優秀な人材が失脚していたので、人材不足でも有ったんですけどね。
@@小林秀行-u4x 薩英戦争の後始末の後に生麦事件、、、?順序が逆じゃないの?
@@雪何すか雪って 御指摘、有難う御座います。本当に申し訳有りません。はい、私の完全なる記憶違いでした。このまま、間違いを晒しますので、御勘弁下さい。🙇なので、ベア※1かエド※2と一緒に、タランチュラの丸焼きとか虫を食べろとか、小幌駅※3に一晩泊まれとか、セントサイモン※4のような気性の激しい馬に噛み付かれて来いとか言わないで下さい。🙏これより下は、※注欄ですので、別に読まなくてもいいです。※1ベア・グリルス(Bear・Grylls)本名/Edward Michael Grylls元英国陸軍特殊部隊(Special Air Service、通称SASの国防義勇軍に属する第21SAS連隊出身)、作家・冒険家・英国ボーイスカウト10代目総長・英国海軍予備員(Royal Naval Reserve、RNR)の英国海兵隊予備員の名誉階級中佐。1998年の5月16日、エベレスト登頂を果たし、「英国登山家最年少(23歳)のエベレスト登頂」として、ギネスに認定される。世界初、水上オートバイによる連合王国一周を成功、凍結した北大西洋を屋根なしの複合艇で横断するという冒険も指揮。※2エド・スタッフォード(Ed Stafford)本名:/Edward James Stafford英国の探検家。元英国陸軍歩兵大尉。1998年にイギリス陸軍に入隊。デヴォンシャー・アンド・ドーセット連隊に歩兵士官として配属。2000年の北アイルランドを巡る作戦に従事。人類史上初めてアマゾン川の全長を踏破したことでギネス世界記録を保持している。※3小幌駅JR北海道室蘭本線に在る、周囲を山で囲まれ、トンネルとトンネルの間(貨物列車の前の方と後ろの方が隠れてしまう程の狭さ)に駅が在り、近くに民家が全然無く、普通列車ですら上下数本しか停まらず通過してしまう、秘境中の秘境駅。利用者の殆どが鉄オタの人達。駅に隣接している森林の中を、暫く歩くと海に出る為、稀に釣り人が利用する。(自動車では行けない。)※4セントサイモン(1881年~1908年4月2日)英国の競走馬・種牡馬。生涯成績10戦10勝(非公式1戦含む)(現在のG1にあたる)主な勝ち鞍/アスコット金杯・グッドウッドC現在でも其の血統は、多くの競走馬に受け継がれている。大変激しい気性の持ち主で、関係者は少しでも気性を落ち着かせる為に、猫を同馬の馬房に入れたが、同馬は猫を咥えるなり天井にまで叩きつけて殺してしまった。(こぇ~🥶)何故か傘が苦手で、傘を広げて何とか利用して、同馬に対応していた。因みに、猫と大の仲良しだったのが、ハンガリーの奇跡と言われた、生涯54戦54勝の名牝キンツェム。キンツェムは遠征する際、猫と厩務員のフランキー氏と共に、汽車や船で何日も過ごしていたと云う。(当時は飛行機が無い。)仏国の港で仲良しの猫が行方不明になった時、2時間程鳴き続け、その場から動かなかったが、ひょっこり猫が現れたら、すっかり大人しくなった。またキンツェムは、フランキー氏が寒そうに脇で寝ていると、自分の馬服を掛けてあげた。その血は現在でも続いている。
長州の馬関戦争での高杉晋作の外交交渉はもっと評価されていいと思う。もし、清だったら領土の一部割譲と賠償金も有り得ました。一寸の領土も譲らなかった交渉結果は素晴らしかったと思います。
@@0721-b9f 幕府老中を勤めた上田藩主・松平忠固の資料を集めた資料館のサイトとかによると、長州とかの過激攘夷派が暴れた事による敗戦処理等で、当時の政権である幕府は、賠償金が払う事が出来ず、当時の対外的にも平均的な、通常の関税率が変更され、賠償金当てられたそうです。そもそも勝手に戦争を始めた長州が、賠償金を支払うべき処を、高杉が幕府に丸投げしただけで、何も褒めるべき処はなく、その後の関税率の変更により、外国との貿易が苦しくなっただけで、明治になって岩倉使節団が再び交渉に向かうまで、外国との貿易は常に赤字に晒されるだけだった。もっとも、当時の幕府にも、黒船来航等の頃に交渉にあたった優秀な人材の多くが、安政の大獄で罷免されたりしていて、まともに交渉出来る人材がいなかったのも確かです。
グローリー(南北戦争)やコールドアンドファイヤー(普丁戦争)とかの映画と江戸時代が同じ時代ってのが何気に凄い江戸時代=めっちゃ昔ってイメージだから
西部劇の時代なんて日本でいったら明治ですぜ
時代劇と西部劇って国が違うだけで時代背景は一緒くらいだからね
それどころかファックスが開発されたのは江戸時代(1843年)で、大政奉還はリンカーンが暗殺された後だったりする。だから時代的には侍とファックスとリンカーンは同じ空間居てもおかしくなかったりする。
井伊直弼が1851Navy使ってた辺りからしてそりゃあねぇ?
@@perinotopolino6915 井伊直弼が使ったの?「使われた」のではなく?どっちにせよ、あの時代の6連装拳銃なんて、衝撃的な火力だっただろうな…
幕府が無用な戦をさせないためにあえて新しい武器の開発を禁じていたというのもあった。しかしその裏では堺筒といいわれるクジラの髭ゼンマイを使ったカラクリで機関銃の設計までされていました。
ヤクトビュクスって聞いたことなかったけど、似た特徴の銃が会津藩で運用されていた記憶があります。名前はヤーゲル銃。弾はゲベールと同じだけど、ライフリング付きで狙撃銃の位置づけだったと思います。ただ、やはり弾込めに難があり、布を噛ませた弾丸を長い銃身の銃に装填するのは非常に厄介だったとか…。装填中に狙撃されかねません。こんなものを渡された部隊が白虎隊士中二番隊。弾丸を豊富に残したまま自害することになりました。藩の未来を担う若者を兵として動員したうえに新型小銃の調達が遅れてショボい小銃しか渡せない。それだけで会津の立場の厳しさを物語るエピソードです。
誰だ、江戸時代は刀の時代とか言ったの
「幕末の戦場」では日本刀は全然だったけど、持ち運びが容易いで目立たない所が評価されて血生臭い尊王攘夷運動では、寧ろ日本史全体で見ても一番剣豪が日本刀で大暴れしてましたね。
後の西南戦争では、旧桑名藩や旧会津藩等の藩士で組織された警官抜刀隊が、かなり活躍しています。日露戦争時のロシア軍の騎兵であるコサック騎兵は、長槍を武器に胸甲を付けて突撃していたそうです。近年でも、米軍がイラクで銃剣突撃を行ったと聞いた事が有ります。
奇襲とか待ち伏せして近づければ銃刀なんかよりよっぽと日本刀の方が小回りが聞くし切れ味あるしね江戸時代の人にはそっちの方が慣れてるだろうしタイマンでかてはいなら作戦で近づばいいのよ頭を使えばいくらでも有用に使えるよね
戦のない江戸時代では銃も性能より彫刻などを施した芸術品としての価値を求めたからな刀も細身の物が多い。武士と言っても今の官僚みたいなもんだった。
戦じゃない時の抗争は普通に刀が大活躍だったのでら
まさかこれまで解説してきた銃器が異世界の極東の島国でも使われていたとは驚き。幕末怖いなぁ
戊辰戦争が日本の内戦で一番好きだから嬉しい
確かに連射出来ると消耗が激しい。薬莢が必要になると、玉も弾薬も自作できない。自作メインで考える方が狂ってると思うけど。歴史上、日本人が戦いに慣れると、戦乱が終わった時に傭兵で海外に流れてヤバい事になるので、日本はずっと平和な状態にした方がいいですよ。
アメリカの南北戦争後で大量のライフルが日本に流れこんだんだよな😅
歴史秘話ヒストリアでも、シャスポー銃の優秀さが紹介されてましたね。あの速射率なら…。なんで弾持たずに前線に出たのかC=🔫💦
今大河ドラマの八重の桜見てるから勉強になったわ
長岡潘の北越戦争で、山本五十六の祖父母が火縄銃で闘ったという話を聞いたことがありましたね
当時世界最強だった英国軍でも1853年のクリミア戦争では一部でミニエー銃が使われただけで主力はまだマスケットだったのにその10年後だと当時はまだ二流の国だったアメリカの内戦でほぼ全数がミニエー銃になってて、さらにその数年後に当時三流の国だった日本の戊辰戦争では一部ではあるがボルトアクションライフルが使われた。1870年代の普仏戦争では両軍がボルトアクションライフルで戦い、弾も金属薬莢になり、1880年の村田銃は黒色火薬、金属薬莢の単発式ボルトアクションライフルの完成形。しかし1880年代には無煙火薬が発明され銃器は10年間くらい試行錯誤されたが1890年代になって用途によっては現在でも通用する無煙火薬、連発式ボルトアクションライフルが各国で完成し1950年代まで主力武器として使われた。1850年くらいは500年前の銃器と大差ない性能だったのに1900年だと現在でも通用する銃に進化してた。500年間で少しずつ進化したのではなくたった50年で一気に進化したことに驚く。
ポポポポポポ…ダルビッシュ…captured…戊辰戦争…
sandstorm🕶
拳銃だとレミントンM1858ですかね.井伊直弼を撃ったやつ.シリンダーごと交換すれば再装填はスピードローダー並みに早いですし.交換の仕方は映画「ペイルライダー」か漫画「ベルスタア強盗団」参照のこと.
これは貴重な資料になりそう。幕末から西南戦争にかけて最新兵器が国内で使われていた事実。隔絶した性能差は凄い衝撃だったろうね。
幕末って、激動の時代ですね~坂本龍馬はリボルバーを持ち歩いていました桜田門外の変では、水戸脱藩志士がリボルバーを使ってましたからね無敵といわれた庄内藩士は最新型の武装をしていました
長く続いた泰平の世に進化するマスケット、そこから実戦に使えるライフルも、本格的な集団戦も必要なかった。幕末になって急激にまた進化し始める。
東北戦争時の庄内藩の強さはもっと評価されて欲しい。
映画釣りバカ日誌の時代劇編でハマちゃんの先祖が浪人で仕官したのが庄内藩で庄内藩は藩士に武芸の一環として釣りを奨励して居て、釣りで足腰を鍛えて気配に対しての対応や地形の掌握に役立ち、戊辰戦争で庄内藩は官軍に対してゲリラ戦をして善戦した。
@@73moto 善戦処か、裏切った秋田藩の藩領の多くを制圧、援軍に来た新政府軍主力を苦戦させているんですよね。
鬼玄蕃で、大河ドラマ見たいです。明智〇秀主役の大河なんてやっちゃう世の中ですし、
@@mihiromiki-maestbritishsid5978 見た目が優男と言われた、酒井玄蕃の役をやるならば、どのような役者さんが良いでしょうかね?戊辰戦争(東北戦争)時は、26歳の家老でしたからね。
幕末最強の藩ですね?本間家の莫大な財力と酒井家の良政によって、官民一体の近代軍隊を作り上げた庄内藩。他の東北諸藩と違って、領内に新政府軍が侵入しなかったのと悲劇的なエピソードが皆無なので、余り語られる機会が少ないのが残念です。進攻地域でも、略奪や暴行を一切許さず厳罰を持って臨み宿営地には必ず金品を払い、庄内様と秋田領内でも慕われたという。
リボルバーカービンとかも少数ながら使われていたらしいですね。
スペンサー銃は浪漫
それ以外の銃もなんだよなぁ
宇水さんは戊辰戦争の10年後でもティンベーとローチンで大活躍してるから・・・何が可笑しい!!でも火薬系だと紅蓮腕で手が吹っ飛ばないのはもっと可笑しい
アームストロング砲を某コブラさんのサイコガンみたいに付けてた方いましたよね。
@@mihiromiki-maestbritishsid5978 人誅編の鯨波兵庫ですね。
ヘンリー・リピーティング・ライフルは戊辰戦争期には入って来なかったのかな?
日本の持つ運の強さを感じる 10年早くても10年遅くてもこうはならなかったかも
なんかゲベール聞いたことあると思ったら某対艦刀か。着剣すればシュベルト(剣)ゲベール(銃)になりますかね?
ドイツ語でも銃剣はBajonett(バヨネット)らしいゾ。これはもう、ガンブレードとかそっち系のロマン武装に進むしか…
薩英戦争時のイギリス軍はミニエー銃でしょうか、まだマスケット銃でしょうか。
長州の大村益次郎の慧眼によるところが大きいですね。
射程が短めで連発なら中距離の制圧火力に出来たら良かったんだがな
日本に入っていたスナイドル銃の数は少なかったが、後装式で連射性、射程に優れており、会津の戸ノ口原の戦いでは僅か10挺のスナイドル銃が、旧式のゲベール銃を装備した会津藩白虎隊300人を打ち破った。東北の諸藩は、武器商人に旧式の銃を掴まされていたので、射程で倍以上の差があった。薩摩・長州では早い段階から、ゲベール銃よりも命中率・射程に優れたミニエー銃やスナイドル銃への更新を進めていた。そして、薩長が買わなくなったゲベール銃が東北に流れた。情報・カネ・武器・人材で大差があったが、なぜか東北の諸藩は「勝てる!」と思いこんでいた (´・ω・`)
日本は戦国時代から1946年までアメリカが驚くほど銃大国
ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲じゃねーか、完成度高けーなオイ
フェートン号事件で幕府から御𠮟りを受けた佐賀鍋島藩の近代化はもっと早かったりしたのでありんすよ。
その後すぐ無煙火薬で革命が起きるが
かつての戦場の主役である、野砲や榴弾砲の解説もお願いします
エンフィールドP1861の実銃なら所持してるんだが、かなり重いんだよなアレ・・・全長も1.2mはあるし、長いわ重いわで射撃姿勢をとると手がプルプルしてきてヤバイ(笑)
ダルビッシュ…(ノルマ)
戊辰戦争…
sandstorm先輩🕶
旧幕府軍と薩長軍の銃比率を知りたいな~
旧幕府軍と言っても、幕府直轄の幕府陸軍(伝習隊とか衝鋒隊他とか)と、奥羽越列藩同盟軍では、全く違いますからね。新政府軍でも、薩長や土佐の他にも洋装部隊の藩もいれば、古い装備の藩も普通にいましたからね。奥羽越列藩同盟軍では、庄内藩の装備が充実していましたね。奇銃隊とか銃兵隊等がいました。庄内藩は、同盟軍を裏切り、新政府軍に付いた秋田藩等を攻撃、瞬く間に秋田藩に侵入し藩領の多くを制圧、増援に来た新政府軍主力にも一歩も引けをとらず、寧ろ新政府軍を苦戦させていました。特に弱冠26歳の家老の酒井玄蕃率いる第二大隊は精鋭部隊で強力でした。仙台藩だと、東北戦争には間に合いませんでしたが、額兵隊がいました。額兵隊800人の内、降伏をよしとしない26歳の隊長、星恂太郎隊長以下250人程が、榎本艦隊と合流し、箱館戦争で活躍しました。会津藩だと、ミニエー銃を装備の主力部隊の朱雀隊ですね。長岡方面で活躍した桑名藩兵は、雷神隊を中心に、弱冠24歳の雷神隊隊長の立見鑑三郎(後の陸軍大将・立見尚文)を藩の総督として組織されました。新政府軍では、長州の奇兵隊(総監の高杉晋作は既に死去、軍監の山県狂介等が率いていた)とか土佐の迅衝隊が有名ですね。新政府軍に鳥羽伏見以降に参加した藩の中で、幕末に幕府の老中を勤めた事も有る上田藩松平家では、早めから洋装部隊が組織されていましたが、大老の井伊直弼を出した彦根藩は、旧式の装備で全然戦力にならなかったそうです。
@ただの日本人 「キル集の人」 長岡藩は、ガトリング機関砲をいち早く導入する等、筆頭家老の河井継之助の卓越した先見性と指揮能力や、桑名藩の全軍を指揮した立見鑑三郎(後の陸軍大将・立見尚文)の用兵の妙等も有って、寡兵ながらも新政府軍を相手に大激戦を繰り広げ、奇兵隊参謀の時山直八を討ち取る等、奮戦してましたね。北越戦争時に長岡藩側は、河井継之助率いる長岡藩兵を中心に、桑名藩兵率いる雷神隊隊長の立見鑑三郎、幕府陸軍第六連隊から派生した衝鋒隊率いる古屋作左衛門などが参戦してましたね。会津戦争で会津藩の主力の朱雀隊は、長岡方面に派遣されてましたが、何処まで北越戦争に関わり、何処まで戦ったのかは、私の勉強不足で少し不明なんですよね。(笑)
@@小林秀行-u4x 薩摩藩もガドリング機関銃を保持しておりました。 銃弾の自動製造装置も購入されておりました。使用した形跡はありませんね。薩摩藩は戊辰戦争をヲオーミングアップで勝って仕舞った感覚です🤪
ヤーゲル銃って言うのもありましたよね🤔
7:45 「ミニエー」は弾丸の形状(ミニエー弾:弾丸の底部にくぼみがある)を指しますので、正確には、ミニエー弾であり、ミニエー銃ではありませんよね。ミニエー弾を使ってたのでミニエー銃ですか。ミニエーはこの弾丸を発明したフランス人の将校の名前(ミニエーさん)です。ガニー軍曹の兵器百科に詳しいです。
るろ剣。。。なぜそのキャラなのです?摩訶不思議です。
ウン100m先の敵をアイアンサイトでブチ抜いたのか??目も腕も良すぎるだろ…
1860年式ヘンリー連発銃(後にウインチェスター1866年モデルに進化)が無いのは残念:発射レート、弾キャパシティ(15+1)、そして取り回しに優れたこの銃は 正式採用こそされていないものの南北戦争時にはプライベート導入物として引っ張り凧。しかし、数出回らず日本にお裾分けが来なかったもよう。刃物に青春を注いでた当時の日本では可能性が低かったが、ヘンリー連発銃/1866年式ウインチェスターが近接戦闘火器として根付いていれば、日本軍は . 44 ロシアン弾をシェアする S&Wのモデル3拳銃とウインチェスターの二本立てになっていた可能性が高い。更にカービン銃の考慮で、しばらくはショボい26年式用の 9X22mm R 弾からは程遠いガチな拳銃弾で行くことになっていたと観ている。又、日露の白兵戦でウインチェスターは 美味い存在であったはず。実際には帝國陸軍は この骨董品を全ての面で凌ぐ近接戦闘火器の開発/導入には至っていない(100式は弾の威力不足)。
シャスポーは湿気で玉がダメになったと聞く。
紙薬莢でしたからね。
スナイドル銃 スペンサー銃 の方が好き
うぽつです。椎の実の形の無垢の鉛弾黒色火薬この辺りで武器の進歩が止まってたらなぁ。
それはそれで貫通せずヤバそう
誰か大砲の弾について解説してくだされー。鉄の棒を結束して使う玉もあるそうなんじゃが文献が…
ジブリの銃は無いの?
ジブリ(主にラピュタとかハウルとか)に出てくる銃は大抵がイギリスかどっかのボルトアクション小銃だったはず
シャープスライフは現代のアメリカでも、南北戦争当時の銃をレビルト(銃床を作り直す)し、猟銃として大型動物をハントしている方もみえますね。このRUclipsにも数多くの動画があがっています。
やっぱりガトリング砲
別名も補足して欲しいかも。ツンナール銃=ドライゼ銃、ヤーゲル銃=ヤクトビュクス。他に、松代真田家が火縄銃を雷管発火式に改造、米沢上杉家が大口径(24mm径)の三十匁火縄銃「雷筒」を使用したとか。分からなかったのが、坂本龍馬が土佐藩に渡したとされるライフル銃。あれどの銃だったんでしょう?
色々言われてるけど実は江戸幕府って、慶喜の匠なやり方で薩長が偽書に頼らざる得なかった戦略戦とか、幕末のベリーハード外交時もしっかり相手の国の事情とか世界事情とか、色々と下調べして戦う外交してたんだよね。特に今でも因縁続くおそロシアは、この時代意味不明理論を駆使して北海道を本気で強奪しようとしてたし、ここで江戸幕府がしくじってたら最悪ロシアに強奪されて、北海道生まれの視聴者が生まれてない可能性すらある・・・
榎本武揚は言うに及ばず、多くの幕臣に優秀な人材がいましたからね。米国のハリスと交渉した岩瀬忠震も、露国と応対した川路聖謨も、米国に渡って通貨の交換比率の見直し交渉に臨んだり、横須賀軍港を開港させた小栗忠順とか、農兵隊を組織し、後に幕府や諸藩からも多くの優秀な人材を育てた江川英龍とか、多くの人材が、幕府にはいましたからね。それに、ペリーと交渉した人物の一人である、中島三郎助は、幕末維新三傑の一人である木戸孝允(桂小五郎)の海防に於ける恩師である事を知っている人は、あまりいないですよね。箱館戦争で五稜郭降伏後も戦い、凄絶な戦死を遂げた恩師の遺族に対し、木戸は生涯面倒を見たそうですね。他にも、幕府歩兵奉行で伝習隊の創設者で、後の箱館政府陸軍奉行の大鳥圭介や、箱館政府海軍奉行で、後の気象台に於ける時報の設立をした荒井育之助、日本の鉄道の線路敷設に活躍した小野友五郎とかもいましたね。抑も、官僚として多くの旧幕臣が明治政府を支える土台として活躍したのも大きいんですよね。それと、岩瀬忠震なんて、いまだに幕末のドラマでは、無能な幕府の役人として画かれている為に、本当に酷い扱いですよ。お前(ら)本当に勉強した(大学出た)のか?と言ってやりたい。
零式で、すぐに遣られそうな、ゆうちゃん。
夜露死苦みたいなものかww
スペンサー銃ドラマで撃っていた人を観て目をハートマークにした後で本当の人物写真 を見たらオレの夢を返せ!という銃
実物は綾瀬はるかに似ても似つかずでした。宮崎あおいが演じた篤姫のモノホンの写真はどうみても奈良の引越しおばさんでしたね…
昔の銃ってやたら長いよね
八重の桜の奴
幕末に、蒸気船、アームストロング砲、小銃を日本は自国で生産していたとは!
今で言うなら鉛玉から、レールガンやらレーザーガンにシフトチェンジするようなもんだからな。負けるはずだよ
作者不明の当時の会津戦争の戦闘図だと、最新兵器を使って攻める明治政府軍に会津藩の軍は火縄銃と和弓で応戦してるという・・・。
南北戦争?
八重の桜を想い出すね。
銃か今回は幕未明治か?
そろそろ騎士団などの解説もお願いします
『ヤクトビュクス』は正確には『ヤークトビュヒゼ』です。
薩英戦争、下関戦争、長州征伐、鳥羽伏見とこれだけ戦争が続いて欧米の銃の威力を知ってきながら、武器の近代化を図らないって無能だよな。
ゆうちゃん、そんな格好していると斎藤一に牙突零式で上半身吹っ飛ばされるぞ(笑)
鉄砲の更新を止めさせた鉄砲方の話ってまんま、今の安保法制や防衛力増強に対抗する九条論者と同じ関係よね
口径が違うから苦労もタマらない
誰も突っ込まないから ヒッテンミツルギスターイル!
NHKの大河ドラマで、種子島を使ってる考証は、合ってるのか? それとも、間違ってるのか?
@原田隆久 鳥羽伏見以降に新政府軍に参加した、幕府老中を出した上田藩松平家では、洋装の新式部隊を派遣していましたが、大老井伊直弼を出した彦根藩は、旧式部隊しか派遣出来なかったみたいですね。
アレレ・・・・おかしいなヘンリー連発銃が抜けてるぞ!ヘンリー連発銃も幕末に来ましたよ装弾数は16発で高価だった後は補足としいてシャスポー銃は幕府の精鋭部隊で有名な伝習隊が使ってましたフランスのナポレオン三世が幕府に渡したと記録に残ってますしかしシャスポー銃も当時貴重なゴムを使ってたので高価でした
戊辰戦争…目隠し…あっ(察し)
ゆうちゃん…変なバイトを
シャスポー銃は装弾数 1発か スペンサー銃はかなりチートだよな
るろうに知ってるのもけっこうおっさんになってしまったな・・
るろうに剣心は今は連載してるしそうでもないのでは
ゆうちゃんの体で2Bコスは無理でしょ筋トレヒップアップしないと……
高島秋帆のおかげで知識では先進国に追いついていたから輸入兵器の凄さもわかるし使い方もわかる。だからこそ補給が混乱しても解決できる。
近代化のための助走から始めてくれるのはやはりいいですね。
高島秋帆から、弟子で同士みたいな感じ(?)の江川英龍へと意思が繋がり、そこから多くの若い幕臣や、同じく各藩の若い藩士達に繋がって行ったのも大きいですね。
まぁ幕府内でも、理解していない連中が足を引っ張ったり、薩長とかでも過激派が暴走したり、自分勝手な正義の名の下、天誅と称して暗殺や強盗をした馬鹿どもも多かったですけど……。
明治時代の話になりますが、田原坂では官軍・薩軍が互いに激しい銃撃戦を行ったため平成時代になっても付近の畑からエンピール銃やスナイドル銃の弾が出てきたと地元の人が話していましたね。当時の土蔵にも銃弾が刺さったままになっていました。
各地に火縄銃の流派がいくつも生き残っていたようですが、幕末に至っても発射前に気合を発し、発射後しばらく構えを崩さないとか剣術まがいで、関ヶ原の頃と大差無いどころかむしろ形骸化。洋式銃を導入しても一から運用を学まねばならない有様で、260年の平和は貴重でしたが長すぎました。
その平和のおかげで文化は花開いた面もあったけどね。
世界一といわれる花火師も平和だから出来た事
兵法書も同じ様な傾向で儀礼的であるものが多く、幕末の戦乱の現実に全く対応できないものは淘汰されました。
260年の平和ボケの日本と今の平和ボケした日本。よく似てる。
スペンサー銃が有名な村田銃に進化した?
これだけ色んな銃を輸入したら扱えなくて混乱するはずなのに、上手く使いこなすのだから凄い。
近代兵器も短期間で使いこなすのだから、幕末は本当に優秀な人が多かったんだなと思うわ。
函館の五稜郭に記念館が有りましてそこに当時使われた銃が展示されています
ライフリングが切って有る銃と無い銃が有り(後装式もありました)当時銃の発展途上に有ったんだと思いました
高島秋帆て、どっかで聞いた事あるなあと思ってたら、大河ドラマの "青天を衝け" で渋沢栄一が子どもの時に、護送されてる高島秋帆(玉木宏) と会話する場面がありました😳
銃の技術の進歩はすげぇわ
つくづく戦争が人間の進歩を促すカンフル剤だと痛感するよ
人間が争う度に技術が良くなる…やな皮肉よ…
幕末の外国の最新武器も混ざりあってる時代すき
水戸黄門だと手動リボルバー式の拳銃型火縄銃使われてたり面白い
時代劇の時代考証は、かなりいい加減な処が有りますからね。
某時代劇で、ガトリング機関砲が悪役側の武器として出てきましたが、実際ガトリング機関砲が出てくるのは、その舞台となっている江戸時代の途中の年代より、百年は後の時代なんですよねぇ。
ゲーベル銃とミニエー銃以降では、戦術も戦列歩兵から散兵へと大きく変わったのですが、当時の武士はよく対応できたと思います。ゲーベル銃を装備した戦列歩兵が、ミニエー銃を装備した部隊によって壊滅したこともあったのでしょうか。
第二次長州征伐時にミニエー銃を装備した長州兵が大村益次郎の指導した散兵戦術によって、戦列歩兵の幕府側を破った例がありますね。
@@pontaponta3217 第二次長州征伐は長州側の一方的な勝利となり、家康以来の幕府が軍事力で諸藩を抑える体制が崩壊した事件ですが、その原因がマスケットからライフルへの銃器の革新的変化だったわけですね。
大村益次郎は年単位で大きく変わる欧米における銃や戦術の変化の情報を、ほぼリアルタイムで取得・理解して、銃器の調達や軍の編成を行なっていた事になります。幕末における天才の一人なのは間違い無いでしょう。
@@baatarismbaatarism9209 某洋画で小悪党にされてるのかわいそう:cry:
長州征伐で惨敗したのは彦根とかの諸藩の兵で、洋式武装した幕府陸軍、紀伊藩は互角だったとか。鳥羽伏見も惨敗とか言われるけど、死者数からするとそうでもない。勝手に退却しただけ。
新政府側が近代化しているイメージがある戊辰戦争だけど
フランスの銃を多く輸入した幕府側にも最新鋭の銃が使われていましたね
高島秋帆は高島平にその名を残していますね。洋式砲術を導入した時、公開砲術演習を行った場所が現在の高島平でした。
射程がゲベールは最大200mくらいで、ミニエーが3〜400mほどだったようですね。
確か幕府側がフランスの軍事指導を受けてたんだよね...というか日本の傑作銃も元はフランス銃が多いな
さすがナポレオンを輩出した欧州一の陸軍国家(ドイツ帝国時代は除く)
ラストサムライ?
@@urontea_ 映画もそうだけど、史実でもフランスだよ~
200年の遅れを一気に取り戻したんですね。幕末はちょうど銃の革命が起きていたころですから、マスケットでの戦列歩兵の軍制改革をやってたらうまく出来なかったかもしれませんね。
幕末期の各勢力にはそれぞれ外国勢力がバックに付いてたから、多彩な武器が出回ったのかもね。
薩長にはイギリス、幕府はフランス、長岡藩はドイツみたいに。
ただ、単純に英国は薩長側を支援し、仏国は幕府側を支援しているとは言え(言い切れ)ないんですよね。
英国公使官ハリー・パークスは、恭順している徳川慶喜を攻撃し、江戸を火の海にするならば、我が国の軍が相手すると、西郷隆盛に脅し(勝海舟の根回し)を掛けていましたし、仏軍のジュール・ブリュネ砲兵大尉(後の少将)以下数名の軍事顧問団は、仏国本国からの命令を無視して榎本艦隊に合流した為に、後に裁判に掛けられたりしてましたからね。
独国が長岡藩を支援したと云うよりは、普国(※プロイセン)人のスネル商会が支援したと云う処ですかね。
※プロイセン→後のドイツの一部。
@@小林秀行-u4x さんへ
分かってますよ。単純に言っただけで、戊辰戦争は日本国内の内戦ですが、欧米諸国がさまざま関わった国際問題の側面もあるって事です。だからこそ、多種多様な兵器が日本国内に入ってきたって事ですね。
@@閃光ケイン
@閃光ケインさん、それは大変失礼しました。🙇
幕末維新の頃って、複雑怪奇で分からなくて難しい事だらけなんですよねぇ。
幕府内でもいろんな考えや主義主張が有りましたし、もちろん各藩内にも其れ其れの藩士で其れ其れの主義主張が有りましたからね。
そこに諸外国等が加わり、更に難しくなってますよね。
更に、幕末維新を題材にした小説やドラマ等で伝えられている事が、さも真実で有るかのように錯覚している人が少なからずいる事も、厄介な事に難しくさせているんですよね。
学者や教師の人達にも、そのような傾向が有る気がします。
薩長は初めから先を読んでいて近代化を進めていたとか、関ヶ原の恨みから倒幕だったとか。
幕府は時代遅れな考えで凝り固まり、更に諸外国からの圧力に耐えられず、いいように不平等条約をさせられたとか。
実際に幕府は、米国の艦隊が来る事を蘭国から事前に情報を経ていましたし、実際最初にペリー艦隊に交渉しに行った人物(その中の一人が、木戸孝允の海防の恩師の中島三郎助)に対し、ペリーの日記の中で幕府の公証人の事や、地元住民の事も書かれていますし、また当時の下田の住民達も、彼等に対してどの様に応対していたのか、今も地元に伝えられています。
また、米国のハリスと交渉した岩瀬忠震などは、ハリスの日記からその交渉力を評価されてましたし、実際その時に提携された内容は、関税は当時の世界標準の関税に収まってましたし、外国人が日本に上陸出来る範囲は、横浜の関内だけと決められていたみたいですしね。
その後、長州が起こした馬関戦争や、薩摩の起こした薩英戦争等の敗戦処理により、窓口になっていた幕府は、各国に賠償金を払わなければならず、その金額が莫大な金額に為るため、関税の見直しや外国人の行動範囲の更なる拡大などの、諸外国の要求を飲まざる負えなかった処が有りました。
その後に起きたのが、有名な生麦事件ですね。
私自身、さほど学があるわけではないですが、歴史は好きなので、色々と調べていますね。
金属薬莢の初期のころは鉄砲鍛冶の丁稚がトンテンカンと作ってたので、
連射なんかされたらあっという間に弾切れて命(タマ)もキレますわ。
圧延機とプレス加工機は偉大です。
スペンサーカービンの連射力と弾の入れ方は度肝抜いた
実際にやるとチョット面倒い.イエローボーイの方が便利.
@@byk-abcde イエローボーイと比較しちゃいかんでしょ。M1860ヘンリーライフルならわかるが
このスペンサーの小銃は、後装式の新型銃。つまり、元込め式の新しい小銃でした。
しかも、7連発が可能となった。つまり、出来るようになったんスよ❗
本来一つのカテゴリーの兵器でこんな雑多な種類があると補給や教育の面でマイナスにしかならないけど、新種の兵器は別ですよね!色々なアイディアで生存競争が始まり、やがてバトルプルーフされて収斂されていく様が大好きです!
スペンサー騎兵銃は古式銃として日本でも買えますね。
値段が200万円位して高くて買えないけど
正確には村田小銃はグラース小銃を原型にしていました。グラース銃は1874年に採用された銃でシャスポー銃を金属製弾薬を使用できるように改良したものでした。
戊辰戦争は敵も味方も新兵器の威力に驚いたんだろうなぁ
南北戦争で両軍がミニエ銃での負傷で手足の切断した負傷兵の写真が有るが、幕末での戊辰戦争で幕府軍や官軍で手足を切断した負傷兵の話は殆ど出て来ない。(幕末の剣豪で伊庭八郎が戊辰戦争で片腕を失っても奮戦して戦死)
幕末日本では手足切断のような外科手術ができなかったからでは?
ミニエー銃は「ライフリング入り銃身だけど、装填時間はライフリング無し銃と同じ」、スペンサー銃だと「立身での装填から解放+連発式」だもんな…
ところどころに入ってくるるろ剣ネタが笑いを誘うww
もろ世代だと特にww
年末大型時代劇奇兵隊と五稜郭好き
使わなくなった武器を売られて、新型だぜ!と思ってたんだろうな。
そこから研究して、世界に追いつく探究心がすごい。
当時の世界情勢を調べると、ほんと幕府の援護無しで藩独自に
イギリスに戦いを挑んだ、薩摩藩の激チェストが物凄い際立つよねw
因みに、長州の馬関戦争や薩摩の薩英戦争が起きる前は、幕府と米国等と締結した関税は、世界の標準的な関税で有り、外国人も横浜の関内からは出られなかった。
しかし、馬関戦争での長州藩の敗北や薩英戦争での後始末の為に、各国との窓口となっていた幕府が対応、敗戦処理の賠償金を支払わなければならず、幕府だけでは到底払う事が出来ず、勿論幕府に払う義務も無い為に、関税が緩くなり、外国人も関内外に出られるようになってしまった。
生麦事件が起きたのは、その後です。
ただ、幕府にもハリスと交渉した岩瀬忠震や、ロシアのプチャーチンと応対した川路聖謨等多くの優秀な人材が失脚していたので、人材不足でも有ったんですけどね。
@@小林秀行-u4x 薩英戦争の後始末の後に生麦事件、、、?順序が逆じゃないの?
@@雪何すか雪って
御指摘、有難う御座います。
本当に申し訳有りません。
はい、私の完全なる記憶違いでした。
このまま、間違いを晒しますので、御勘弁下さい。🙇
なので、ベア※1かエド※2と一緒に、タランチュラの丸焼きとか虫を食べろとか、小幌駅※3に一晩泊まれとか、セントサイモン※4のような気性の激しい馬に噛み付かれて来いとか言わないで下さい。🙏
これより下は、※注欄ですので、別に読まなくてもいいです。
※1
ベア・グリルス(Bear・Grylls)
本名/Edward Michael Grylls
元英国陸軍特殊部隊(Special Air Service、通称SASの国防義勇軍に属する第21SAS連隊出身)、作家・冒険家・英国ボーイスカウト10代目総長・英国海軍予備員(Royal Naval Reserve、RNR)の英国海兵隊予備員の名誉階級中佐。
1998年の5月16日、エベレスト登頂を果たし、「英国登山家最年少(23歳)のエベレスト登頂」として、ギネスに認定される。
世界初、水上オートバイによる連合王国一周を成功、凍結した北大西洋を屋根なしの複合艇で横断するという冒険も指揮。
※2
エド・スタッフォード(Ed Stafford)
本名:/Edward James Stafford
英国の探検家。
元英国陸軍歩兵大尉。
1998年にイギリス陸軍に入隊。
デヴォンシャー・アンド・ドーセット連隊に歩兵士官として配属。
2000年の北アイルランドを巡る作戦に従事。
人類史上初めてアマゾン川の全長を踏破したことでギネス世界記録を保持している。
※3
小幌駅
JR北海道室蘭本線に在る、周囲を山で囲まれ、トンネルとトンネルの間(貨物列車の前の方と後ろの方が隠れてしまう程の狭さ)に駅が在り、近くに民家が全然無く、普通列車ですら上下数本しか停まらず通過してしまう、秘境中の秘境駅。
利用者の殆どが鉄オタの人達。
駅に隣接している森林の中を、暫く歩くと海に出る為、稀に釣り人が利用する。(自動車では行けない。)
※4
セントサイモン
(1881年~1908年4月2日)
英国の競走馬・種牡馬。
生涯成績10戦10勝(非公式1戦含む)
(現在のG1にあたる)主な勝ち鞍/
アスコット金杯・グッドウッドC
現在でも其の血統は、多くの競走馬に受け継がれている。
大変激しい気性の持ち主で、関係者は少しでも気性を落ち着かせる為に、猫を同馬の馬房に入れたが、同馬は猫を咥えるなり天井にまで叩きつけて殺してしまった。(こぇ~🥶)
何故か傘が苦手で、傘を広げて何とか利用して、同馬に対応していた。
因みに、猫と大の仲良しだったのが、ハンガリーの奇跡と言われた、生涯54戦54勝の名牝キンツェム。
キンツェムは遠征する際、猫と厩務員のフランキー氏と共に、汽車や船で何日も過ごしていたと云う。
(当時は飛行機が無い。)
仏国の港で仲良しの猫が行方不明になった時、2時間程鳴き続け、その場から動かなかったが、ひょっこり猫が現れたら、すっかり大人しくなった。
またキンツェムは、フランキー氏が寒そうに脇で寝ていると、自分の馬服を掛けてあげた。
その血は現在でも続いている。
長州の馬関戦争での高杉晋作の外交交渉はもっと評価されていいと思う。もし、清だったら領土の一部割譲と賠償金も有り得ました。一寸の領土も譲らなかった交渉結果は素晴らしかったと思います。
@@0721-b9f
幕府老中を勤めた上田藩主・松平忠固の資料を集めた資料館のサイトとかによると、長州とかの過激攘夷派が暴れた事による敗戦処理等で、当時の政権である幕府は、賠償金が払う事が出来ず、当時の対外的にも平均的な、通常の関税率が変更され、賠償金当てられたそうです。
そもそも勝手に戦争を始めた長州が、賠償金を支払うべき処を、高杉が幕府に丸投げしただけで、何も褒めるべき処はなく、その後の関税率の変更により、外国との貿易が苦しくなっただけで、明治になって岩倉使節団が再び交渉に向かうまで、外国との貿易は常に赤字に晒されるだけだった。
もっとも、当時の幕府にも、黒船来航等の頃に交渉にあたった優秀な人材の多くが、安政の大獄で罷免されたりしていて、まともに交渉出来る人材がいなかったのも確かです。
グローリー(南北戦争)やコールドアンドファイヤー(普丁戦争)とかの映画と江戸時代が同じ時代ってのが何気に凄い
江戸時代=めっちゃ昔ってイメージだから
西部劇の時代なんて日本でいったら明治ですぜ
時代劇と西部劇って国が違うだけで時代背景は一緒くらいだからね
それどころかファックスが開発されたのは江戸時代(1843年)で、大政奉還はリンカーンが暗殺された後だったりする。だから時代的には侍とファックスとリンカーンは同じ空間居てもおかしくなかったりする。
井伊直弼が1851Navy使ってた辺りからしてそりゃあねぇ?
@@perinotopolino6915
井伊直弼が使ったの?「使われた」のではなく?
どっちにせよ、あの時代の6連装拳銃なんて、衝撃的な火力だっただろうな…
幕府が無用な戦をさせないためにあえて新しい武器の開発を禁じていたというのもあった。
しかしその裏では堺筒といいわれるクジラの髭ゼンマイを使ったカラクリで機関銃の設計までされていました。
ヤクトビュクスって聞いたことなかったけど、似た特徴の銃が会津藩で運用されていた記憶があります。
名前はヤーゲル銃。弾はゲベールと同じだけど、ライフリング付きで狙撃銃の位置づけだったと思います。
ただ、やはり弾込めに難があり、布を噛ませた弾丸を長い銃身の銃に装填するのは非常に厄介だったとか…。装填中に狙撃されかねません。
こんなものを渡された部隊が白虎隊士中二番隊。弾丸を豊富に残したまま自害することになりました。
藩の未来を担う若者を兵として動員したうえに新型小銃の調達が遅れてショボい小銃しか渡せない。
それだけで会津の立場の厳しさを物語るエピソードです。
誰だ、江戸時代は刀の時代とか言ったの
「幕末の戦場」では日本刀は全然だったけど、持ち運びが容易いで目立たない所が評価されて
血生臭い尊王攘夷運動では、寧ろ日本史全体で見ても一番剣豪が日本刀で大暴れしてましたね。
後の西南戦争では、旧桑名藩や旧会津藩等の藩士で組織された警官抜刀隊が、かなり活躍しています。
日露戦争時のロシア軍の騎兵であるコサック騎兵は、長槍を武器に胸甲を付けて突撃していたそうです。
近年でも、米軍がイラクで銃剣突撃を行ったと聞いた事が有ります。
奇襲とか待ち伏せして近づければ
銃刀なんかよりよっぽと日本刀の方が小回りが聞くし切れ味あるしね
江戸時代の人にはそっちの方が慣れてるだろうし
タイマンでかてはいなら作戦で近づばいいのよ
頭を使えばいくらでも有用に使えるよね
戦のない江戸時代では銃も性能より彫刻などを施した芸術品としての価値を求めたからな
刀も細身の物が多い。
武士と言っても今の官僚みたいなもんだった。
戦じゃない時の抗争は普通に刀が大活躍だったのでら
まさかこれまで解説してきた銃器が異世界の極東の島国でも使われていたとは驚き。
幕末怖いなぁ
戊辰戦争が日本の内戦で一番好きだから嬉しい
確かに連射出来ると消耗が激しい。薬莢が必要になると、玉も弾薬も自作できない。自作メインで考える方が狂ってると思うけど。歴史上、日本人が戦いに慣れると、戦乱が終わった時に傭兵で海外に流れてヤバい事になるので、日本はずっと平和な状態にした方がいいですよ。
アメリカの南北戦争後で大量のライフルが日本に流れこんだんだよな😅
歴史秘話ヒストリアでも、シャスポー銃の優秀さが紹介されてましたね。あの速射率なら…。なんで弾持たずに前線に出たのかC=🔫💦
今大河ドラマの八重の桜見てるから勉強になったわ
長岡潘の北越戦争で、山本五十六の祖父母が火縄銃で闘ったという話を聞いたことがありましたね
当時世界最強だった英国軍でも1853年のクリミア戦争では一部でミニエー銃が使われただけで主力はまだマスケットだったのにその10年後だと当時はまだ二流の国だったアメリカの内戦でほぼ全数がミニエー銃になってて、さらにその数年後に当時三流の国だった日本の戊辰戦争では一部ではあるがボルトアクションライフルが使われた。1870年代の普仏戦争では両軍がボルトアクションライフルで戦い、弾も金属薬莢になり、1880年の村田銃は黒色火薬、金属薬莢の単発式ボルトアクションライフルの完成形。しかし1880年代には無煙火薬が発明され銃器は10年間くらい試行錯誤されたが1890年代になって用途によっては現在でも通用する無煙火薬、連発式ボルトアクションライフルが各国で完成し1950年代まで主力武器として使われた。1850年くらいは500年前の銃器と大差ない性能だったのに1900年だと現在でも通用する銃に進化してた。500年間で少しずつ進化したのではなくたった50年で一気に進化したことに驚く。
ポポポポポポ…
ダルビッシュ…
captured…
戊辰戦争…
sandstorm🕶
拳銃だとレミントンM1858ですかね.井伊直弼を撃ったやつ.シリンダーごと交換すれば再装填はスピードローダー並みに早いですし.交換の仕方は映画「ペイルライダー」か漫画「ベルスタア強盗団」参照のこと.
これは貴重な資料になりそう。幕末から西南戦争にかけて最新兵器が国内で使われていた事実。隔絶した性能差は凄い衝撃だったろうね。
幕末って、激動の時代ですね~
坂本龍馬はリボルバーを持ち歩いていました
桜田門外の変では、水戸脱藩志士がリボルバーを使ってましたからね
無敵といわれた庄内藩士は最新型の武装をしていました
長く続いた泰平の世に進化するマスケット、そこから実戦に使えるライフルも、本格的な集団戦も必要なかった。幕末になって急激にまた進化し始める。
東北戦争時の庄内藩の強さはもっと評価されて欲しい。
映画釣りバカ日誌の時代劇編でハマちゃんの先祖が浪人で仕官したのが庄内藩で庄内藩は藩士に武芸の一環として釣りを奨励して居て、釣りで足腰を鍛えて気配に対しての対応や地形の掌握に役立ち、戊辰戦争で庄内藩は官軍に対してゲリラ戦をして善戦した。
@@73moto
善戦処か、裏切った秋田藩の藩領の多くを制圧、援軍に来た新政府軍主力を苦戦させているんですよね。
鬼玄蕃で、大河ドラマ見たいです。
明智〇秀主役の大河なんてやっちゃう世の中ですし、
@@mihiromiki-maestbritishsid5978
見た目が優男と言われた、酒井玄蕃の役をやるならば、どのような役者さんが良いでしょうかね?
戊辰戦争(東北戦争)時は、26歳の家老でしたからね。
幕末最強の藩ですね?
本間家の莫大な財力と酒井家の良政によって、官民一体の近代軍隊を作り上げた庄内藩。
他の東北諸藩と違って、領内に新政府軍が侵入しなかったのと悲劇的なエピソードが皆無なので、余り語られる機会が少ないのが残念です。
進攻地域でも、略奪や暴行を一切許さず厳罰を持って臨み宿営地には必ず金品を払い、庄内様と秋田領内でも慕われたという。
リボルバーカービンとかも少数ながら使われていたらしいですね。
スペンサー銃は浪漫
それ以外の銃もなんだよなぁ
宇水さんは戊辰戦争の10年後でもティンベーとローチンで大活躍してるから・・・何が可笑しい!!
でも火薬系だと紅蓮腕で手が吹っ飛ばないのはもっと可笑しい
アームストロング砲を某コブラさんのサイコガンみたいに付けてた方いましたよね。
@@mihiromiki-maestbritishsid5978 人誅編の鯨波兵庫ですね。
ヘンリー・リピーティング・ライフルは戊辰戦争期には入って来なかったのかな?
日本の持つ運の強さを感じる 10年早くても10年遅くてもこうはならなかったかも
なんかゲベール聞いたことあると思ったら某対艦刀か。着剣すればシュベルト(剣)ゲベール(銃)になりますかね?
ドイツ語でも銃剣はBajonett(バヨネット)らしいゾ。
これはもう、ガンブレードとかそっち系のロマン武装に進むしか…
薩英戦争時のイギリス軍はミニエー銃でしょうか、まだマスケット銃でしょうか。
長州の大村益次郎の慧眼によるところが大きいですね。
射程が短めで連発なら中距離の制圧火力に出来たら良かったんだがな
日本に入っていたスナイドル銃の数は少なかったが、
後装式で連射性、射程に優れており、会津の戸ノ口原の戦いでは
僅か10挺のスナイドル銃が、旧式のゲベール銃を装備した会津藩白虎隊300人を打ち破った。
東北の諸藩は、武器商人に旧式の銃を掴まされていたので、射程で倍以上の差があった。
薩摩・長州では早い段階から、
ゲベール銃よりも命中率・射程に優れたミニエー銃やスナイドル銃への更新を進めていた。
そして、薩長が買わなくなったゲベール銃が東北に流れた。
情報・カネ・武器・人材で大差があったが、
なぜか東北の諸藩は「勝てる!」と思いこんでいた (´・ω・`)
日本は戦国時代から1946年までアメリカが驚くほど銃大国
ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲じゃねーか、完成度高けーなオイ
フェートン号事件で幕府から御𠮟りを受けた佐賀鍋島藩の近代化は
もっと早かったりしたのでありんすよ。
その後すぐ無煙火薬で革命が起きるが
かつての戦場の主役である、野砲や榴弾砲の解説もお願いします
エンフィールドP1861の実銃なら所持してるんだが、かなり重いんだよなアレ・・・
全長も1.2mはあるし、長いわ重いわで射撃姿勢をとると手がプルプルしてきてヤバイ(笑)
ダルビッシュ…(ノルマ)
戊辰戦争…
sandstorm先輩🕶
旧幕府軍と薩長軍の銃比率を知りたいな~
旧幕府軍と言っても、幕府直轄の幕府陸軍(伝習隊とか衝鋒隊他とか)と、奥羽越列藩同盟軍では、全く違いますからね。
新政府軍でも、薩長や土佐の他にも洋装部隊の藩もいれば、古い装備の藩も普通にいましたからね。
奥羽越列藩同盟軍では、庄内藩の装備が充実していましたね。
奇銃隊とか銃兵隊等がいました。
庄内藩は、同盟軍を裏切り、新政府軍に付いた秋田藩等を攻撃、瞬く間に秋田藩に侵入し藩領の多くを制圧、増援に来た新政府軍主力にも一歩も引けをとらず、寧ろ新政府軍を苦戦させていました。
特に弱冠26歳の家老の酒井玄蕃率いる第二大隊は精鋭部隊で強力でした。
仙台藩だと、東北戦争には間に合いませんでしたが、額兵隊がいました。
額兵隊800人の内、降伏をよしとしない26歳の隊長、星恂太郎隊長以下250人程が、榎本艦隊と合流し、箱館戦争で活躍しました。
会津藩だと、ミニエー銃を装備の主力部隊の朱雀隊ですね。
長岡方面で活躍した桑名藩兵は、雷神隊を中心に、弱冠24歳の雷神隊隊長の立見鑑三郎(後の陸軍大将・立見尚文)を藩の総督として組織されました。
新政府軍では、長州の奇兵隊(総監の高杉晋作は既に死去、軍監の山県狂介等が率いていた)とか土佐の迅衝隊が有名ですね。
新政府軍に鳥羽伏見以降に参加した藩の中で、幕末に幕府の老中を勤めた事も有る上田藩松平家では、早めから洋装部隊が組織されていましたが、大老の井伊直弼を出した彦根藩は、旧式の装備で全然戦力にならなかったそうです。
@ただの日本人 「キル集の人」
長岡藩は、ガトリング機関砲をいち早く導入する等、筆頭家老の河井継之助の卓越した先見性と指揮能力や、桑名藩の全軍を指揮した立見鑑三郎(後の陸軍大将・立見尚文)の用兵の妙等も有って、寡兵ながらも新政府軍を相手に大激戦を繰り広げ、奇兵隊参謀の時山直八を討ち取る等、奮戦してましたね。
北越戦争時に長岡藩側は、河井継之助率いる長岡藩兵を中心に、桑名藩兵率いる雷神隊隊長の立見鑑三郎、幕府陸軍第六連隊から派生した衝鋒隊率いる古屋作左衛門などが参戦してましたね。
会津戦争で会津藩の主力の朱雀隊は、長岡方面に派遣されてましたが、何処まで北越戦争に関わり、何処まで戦ったのかは、私の勉強不足で少し不明なんですよね。(笑)
@@小林秀行-u4x
薩摩藩もガドリング機関銃を保持しておりました。 銃弾の自動製造装置も購入されておりました。
使用した形跡はありませんね。
薩摩藩は戊辰戦争をヲオーミングアップで勝って仕舞った感覚です🤪
ヤーゲル銃って言うのもありましたよね🤔
7:45 「ミニエー」は弾丸の形状(ミニエー弾:弾丸の底部にくぼみがある)を指しますので、
正確には、ミニエー弾であり、ミニエー銃ではありませんよね。ミニエー弾を使ってたのでミニエー銃ですか。
ミニエーはこの弾丸を発明したフランス人の将校の名前(ミニエーさん)です。
ガニー軍曹の兵器百科に詳しいです。
るろ剣。。。
なぜそのキャラなのです?
摩訶不思議です。
ウン100m先の敵をアイアンサイトでブチ抜いたのか??目も腕も良すぎるだろ…
1860年式ヘンリー連発銃(後にウインチェスター1866年モデルに進化)が無いのは残念:
発射レート、弾キャパシティ(15+1)、そして取り回しに優れたこの銃は 正式採用こそされていないものの南北戦争時にはプライベート導入物として引っ張り凧。しかし、数出回らず日本にお裾分けが来なかったもよう。
刃物に青春を注いでた当時の日本では可能性が低かったが、ヘンリー連発銃/1866年式ウインチェスターが近接戦闘火器として根付いていれば、日本軍は . 44 ロシアン弾をシェアする S&Wのモデル3拳銃とウインチェスターの二本立てになっていた可能性が高い。更にカービン銃の考慮で、しばらくはショボい26年式用の 9X22mm R 弾からは程遠いガチな拳銃弾で行くことになっていたと観ている。又、日露の白兵戦でウインチェスターは 美味い存在であったはず。実際には帝國陸軍は この骨董品を全ての面で凌ぐ近接戦闘火器の開発/導入には至っていない(100式は弾の威力不足)。
シャスポーは湿気で玉がダメになったと聞く。
紙薬莢でしたからね。
スナイドル銃 スペンサー銃 の方が好き
うぽつです。
椎の実の形の無垢の鉛弾
黒色火薬
この辺りで
武器の進歩が止まってたらなぁ。
それはそれで貫通せずヤバそう
誰か大砲の弾について解説してくだされー。
鉄の棒を結束して使う玉もあるそうなんじゃが文献が…
ジブリの銃は無いの?
ジブリ(主にラピュタとかハウルとか)に出てくる銃は大抵がイギリスかどっかのボルトアクション小銃だったはず
シャープスライフは現代のアメリカでも、南北戦争当時の銃をレビルト(銃床を作り直す)し、猟銃として大型動物をハントしている方もみえますね。このRUclipsにも数多くの動画があがっています。
やっぱりガトリング砲
別名も補足して欲しいかも。
ツンナール銃=ドライゼ銃、ヤーゲル銃=ヤクトビュクス。
他に、松代真田家が火縄銃を雷管発火式に改造、米沢上杉家が大口径(24mm径)の三十匁火縄銃「雷筒」を使用したとか。
分からなかったのが、坂本龍馬が土佐藩に渡したとされるライフル銃。
あれどの銃だったんでしょう?
色々言われてるけど実は江戸幕府って、慶喜の匠なやり方で薩長が偽書に頼らざる得なかった戦略戦とか、幕末のベリーハード外交時もしっかり相手の国の事情とか世界事情とか、色々と下調べして戦う外交してたんだよね。
特に今でも因縁続くおそロシアは、この時代意味不明理論を駆使して
北海道を本気で強奪しようとしてたし、ここで江戸幕府がしくじってたら
最悪ロシアに強奪されて、北海道生まれの視聴者が生まれてない可能性すらある・・・
榎本武揚は言うに及ばず、多くの幕臣に優秀な人材がいましたからね。
米国のハリスと交渉した岩瀬忠震も、露国と応対した川路聖謨も、米国に渡って通貨の交換比率の見直し交渉に臨んだり、横須賀軍港を開港させた小栗忠順とか、農兵隊を組織し、後に幕府や諸藩からも多くの優秀な人材を育てた江川英龍とか、多くの人材が、幕府にはいましたからね。
それに、ペリーと交渉した人物の一人である、中島三郎助は、幕末維新三傑の一人である木戸孝允(桂小五郎)の海防に於ける恩師である事を知っている人は、あまりいないですよね。
箱館戦争で五稜郭降伏後も戦い、凄絶な戦死を遂げた恩師の遺族に対し、木戸は生涯面倒を見たそうですね。
他にも、幕府歩兵奉行で伝習隊の創設者で、後の箱館政府陸軍奉行の大鳥圭介や、箱館政府海軍奉行で、後の気象台に於ける時報の設立をした荒井育之助、日本の鉄道の線路敷設に活躍した小野友五郎とかもいましたね。
抑も、官僚として多くの旧幕臣が明治政府を支える土台として活躍したのも大きいんですよね。
それと、岩瀬忠震なんて、いまだに幕末のドラマでは、無能な幕府の役人として画かれている為に、本当に酷い扱いですよ。
お前(ら)本当に勉強した(大学出た)のか?と言ってやりたい。
零式で、すぐに遣られそうな、ゆうちゃん。
夜露死苦みたいなものかww
スペンサー銃
ドラマで撃っていた人を観て目をハートマークにした後で本当の人物写真 を見たら
オレの夢を返せ!
という銃
実物は綾瀬はるかに似ても似つかずでした。
宮崎あおいが演じた篤姫のモノホンの写真はどうみても奈良の引越しおばさんでしたね…
昔の銃ってやたら長いよね
八重の桜の奴
幕末に、蒸気船、アームストロング砲、小銃を日本は自国で生産していたとは!
今で言うなら鉛玉から、レールガンやらレーザーガンにシフトチェンジするようなもんだからな。負けるはずだよ
作者不明の当時の会津戦争の戦闘図だと、最新兵器を使って攻める明治政府軍に
会津藩の軍は火縄銃と和弓で応戦してるという・・・。
南北戦争?
八重の桜を想い出すね。
銃か今回は幕未明治か?
そろそろ騎士団などの解説もお願いします
『ヤクトビュクス』は正確には『ヤークトビュヒゼ』です。
薩英戦争、下関戦争、長州征伐、鳥羽伏見とこれだけ戦争が続いて欧米の銃の威力を知ってきながら、武器の近代化を図らないって無能だよな。
ゆうちゃん、そんな格好していると斎藤一に牙突零式で上半身吹っ飛ばされるぞ(笑)
鉄砲の更新を止めさせた鉄砲方の話ってまんま、今の安保法制や防衛力増強に対抗する九条論者と同じ関係よね
口径が違うから
苦労もタマらない
誰も突っ込まないから ヒッテンミツルギスターイル!
NHKの大河ドラマで、種子島を使ってる考証は、合ってるのか? それとも、間違ってるのか?
@原田隆久
鳥羽伏見以降に新政府軍に参加した、幕府老中を出した上田藩松平家では、洋装の新式部隊を派遣していましたが、大老井伊直弼を出した彦根藩は、旧式部隊しか派遣出来なかったみたいですね。
アレレ・・・・おかしいな
ヘンリー連発銃が抜けてるぞ!
ヘンリー連発銃も幕末に来ましたよ
装弾数は16発で高価だった
後は補足としいて
シャスポー銃は幕府の精鋭部隊で有名な伝習隊が使ってました
フランスのナポレオン三世が幕府に渡したと記録に残ってます
しかしシャスポー銃も当時貴重なゴムを使ってたので高価でした
戊辰戦争…目隠し…あっ(察し)
ゆうちゃん…変なバイトを
シャスポー銃は装弾数 1発か スペンサー銃はかなりチートだよな
るろうに知ってるのもけっこうおっさんになってしまったな・・
るろうに剣心は今は連載してるしそうでもないのでは
ゆうちゃんの体で2Bコスは無理でしょ筋トレヒップアップしないと……